2022年12月アーカイブ


2022(令和4)年も残すところ3日を切りました。

29日は義兄宅へ。年末最後の野菜収穫ついた餅をもらいに行きました。早朝6時起床で妻の運転で田舎へは7時半過ぎに到着。畑は大霜。葉物は凍り付いていて、すぐには収穫できません。ビニールを片側だけはがしました。その間、義兄がとった🥕の根と葉を落として暖かくなるのを待ちました。しばらくして、溶けてきたので収穫スタート。

風がなかったのは幸いで、義兄が大根、白菜を抜いてくれ、妻が外の葉を落としてきれいにしてハトちゃんが箱へまとめてから車へ運びました。それから葉物のほうれん草、春菊、長ネギの順で収穫。4週間ぶりだったので、だいぶ大きくなっていました。

11時を目標に作業し、10分前に何とか終了。野菜・果物(ゆず)を種類ごとに段ボール箱に詰め、前日、義兄が搗いてくれた餅14枚を加えて車いっぱいに詰め込みました。。

帰宅してから野菜の整理をして、近所や知り合いに配った後、残りを屋内に運び込みました。スッキリしていた廊下は、段ボール箱でまた埋まりました。

来年の正月は久しぶりに自宅で過ごすことに...。妻は残った野菜料理を考えるのが大変。小生は餅をたらふく食べることになり、体重増が心配です。

旅行支援サービスがあり、格安のバスツアーに先月に続き、12月26日(月)妻と参加しました。冬晴れで風も微風、絶好の行楽日和。今回は読売新聞系の読売旅行の企画。「沼津港グルメ&お買い出し~時之栖イルミネーション」。

ハトちゃんたちは京成津田沼駅第一病院前から(9時10分出発)でしたが、余裕を持って集合場所へ。参加者がバスに乗り込み5分前に出発。次にJR西船橋駅前で残り33名を乗せ46名の満席状態でツアースタート。添乗員さんは女性で、車内注意事項と旅行支援関係書類などを提出。前から9番目。大多数は高齢者のペア。全国旅行支援が一応、今月末までとなっているので、今年最後でツアーに参加したと思われます。
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【行程】
JR津田沼・京成津田沼・JR西船橋駅各地)→沼津港(自由散策・自由昼食)→三嶋大社時之栖イルミネーション各地

高速道に乗り湾岸線を利用せずに首都高に入ると、平日で遅い出発なのに渋滞が続きます。年末で仕事納めの運搬などでしょうか、なかなか首都高を抜けられない。途中、SAには寄らず、横道に入ってトイレ休憩できたのは幸いでした。

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やっとの思いで東名高速に入ってさらに大渋滞。車の波、波、波...。少し進んでは止まって、ノロノロと10㎞以上の大渋滞。座席間が狭いので、同じ姿勢が続きくたびれました。やっと、海老名SAの広い駐車場でトイレ休憩18分。一息つけました。

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途中、快晴だったので雄大な富士山が車窓からはっきりと見えました。地域クーポン一人3,000円券と沼津での自由昼食1,500円券をいただきました。ガイドも少なくあとは手持ち無沙汰でほとんど目をつぶって休んでいました。説明の中で良かったのは、箱根八里の歌の意味や御殿場・三島・沼津が東海道の宿場町だったこと。

沼津インターを下りたのが13時30分。「お腹が空き過ぎて、どうにかなりそう!」。持参した甘味「東京ばなな」でちょっとだけ腹の足しに。

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沼津港到着は1時間遅れの14時。昼食・買物を入れて1時間30分しかありません。ガイドさんから観光できる場所と食事処のマップをもらい、早速、おいしい海鮮丼を食べさせるお店を探しました。平日でお昼時を過ぎていたにもかかわらず、多くの人出で賑わっていて、食事処は長蛇の列。マップを見ながら空いているお店を探し、漁師めし食堂「海女の台所」を見つけ、食べ歩きクーポンを利用してやっとの思いで注文。

ところが、厨房の料理人が少なくて30分以上待たされ、慌てて駆け込んで食べたので味も良くわからなかったです。

その後、地域クーポンでお土産のえび煎餅や海産物など、3,000円を利用して買物。トイレに寄ってバスにギリギリ間に合いました(15:30)。

バスに戻ると、添乗員さんが配った伊豆まんじゅうほうじ茶が置いてありました。

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バスは三島市に入り、パワースポットの三嶋大社へ。まず、バスを降りて門前通りの山本商店でご当地「みしまコロッケ」を1個いただきました。その後、自由参拝。大社は伊豆一の宮として、源頼朝が挙兵に際し祈願をよせ、緒戦に勝利したことで有名。境内には、天然記念物のキンモクセイ(樹齢1,200年)や重要文化財の総ケヤキ素木づくりの御殿などの貴重な建物や史跡が残っています。春には参道のソメイヨシノや三島桜、神池周辺のしだれ桜が咲き、秋にはキンモクセイが薄黄色の花を咲かせます。初詣には60万人もが参拝します。

境内に赤福に似た福太郎餅が有名ですが、残念ながら店は終わっていました。鳥居をくぐって奥に進むと境内は広い。能舞台の先に立派な本殿があり、一足早い健康祈願・無病息災・娘の安産祈願。

バス集合時間(16:50)にはあたりが暗くなり、最後の観光スポット、冬の風物詩 時之栖イルミネーションのある御殿場高原へ。

到着すると、あたりはイルミネーションで明るい。ガイドさんからエリアのマップをもらい入場。完全防備といわれましたが、風がほとんどなく寒さもそれほどではありません。ラッキー!広場前の黄色い球形や紫の三角錐(ツリー似)に感動!
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全長300mの光のトンネルに入ると、軽快な音楽が流れて色とりどりの光がカラフルに色を変え、魔法の景色にうっとり。さらに、リーフ(葉)のツリーイルミネーションツリーが星屑カーテンのもと100m続いて王宮の丘へと導いてくれます。
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王宮の丘では最大級の「スイングベル」やハートマーク前のスポットや丸い電球が浮き上がって広がる「スローハウストゥインクル」が望めます。

そして、1,500円の有料エリアの音楽とレーザー、噴水を融合したマルチメディ
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アショーは、光・音・水三位一体の迫力あるパフォーマンスで圧巻でした。日本一の高さ150mの噴水は傘をささないと濡れてしまうほど...。

たくさん写真におさめられて大満足。帰りも人波に付いて行き、様々なイルミネーションを楽しみました。
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集合時間(18:50)を気にしながら急ぎ足で、広場奥にある土産ショップ、手づくり工房へ。こちらで静岡地域クーポン最後の買物。

近くの御殿場ICから東名高速に乗って帰宅の途へ。

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帰りも渋滞が心配されましたが、トイレ休憩も1回にして時間を節約。海老名SAに着いたのが19時45分。各駅に着くのが21時を過ぎる予想だったので、名物のメロンパンを買って車内で食べる方々も。

海老名を過ぎて都内に入ると、高層ビル群が続き、会社の照明が結構、点灯していて、日本人の勤勉さが感じられました。途中、運転手さんが車内の照明を消してくれて、ビルの谷間から3色にライトアップされた東京タワーや水色(粋)の東京スカイツリーも観ることができました。

帰りは遅い時間帯だったので車が少なくなり、スムーズに走ることができて、何とか西船橋駅前に21時5分。ガイドさんの「旅心」という話で「コロナで初めて仕事がなくなり、今は好きな仕事で人に会えることが楽しい」という言葉が印象に残りました。その後、国道14号線で京成津田沼駅前には21:30分到着。第一病院前で下車。帰宅は22時過ぎ。

本日のバス乗車は観光、散策を含めて約12時間。座っていた時間が長かったので、だいぶ疲れたのと、散策などをした時間が短かったのでゆっくり楽しめませんでしたが、時之栖のイルミネーションはすばらしく感動したバスツアーになりました。


今年も残り1週間を切り、いよいよ年の瀬が押し詰まって来ました。最後の日曜25日は、冬晴れで乾燥状態。

ハトちゃんは数年前から依頼されて、月に1度、チラシを配っています。ふだん
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の担当場所は慣れているので、100部あっても30分ほどで終了します。前日に自分の分は終えていたので安心していましたが、夜、「別の場所の担当者が配布できなくなったので、代わりにお願いできませんか」という連絡が入り、他の方々も難しそうなので引き受けました。

マップのコピーをもらって本日の午後、自転車に乗って初めての場所へ。数量は倍の200部。今回の場所はふだん自転車で通るのですが、細い路地は全然、わかりません。また、各家の郵便ポストの位置が判りにくかったり、崖があってぐるっと迂回したり、住人がいない雰囲気だったりと悪戦苦闘。やはり、初めての場所で効率よいルートを見つけるのは一苦労。

何とか1時間ちょっとで配り終えて家に戻りました。もう一度、マップで歩いたルートを妻と確認すると、崖下の10軒が抜けていたのを指摘され、3時のおやつ後、再び出かけました。やはり、慣れない場所では抜けがありました。チラシの期限は1月7日ぐらいまでで年明けでも大丈夫でしたが、忘れるとまずいので、風が冷たくなって来ましたが自転車を走らせ、もうひと踏ん張り。

チラシは多めにもらっていたので、余ったものは帰りに責任者に届け無事終了。「初めてのところは大変だったでしょう?」「マップを見ながらほぼ全戸に配りました」と。

最近は犬を飼っている家が少なくなっているようで、一度も吠えられることがありませんでした。ただし、草木は茫々、ゴミが敷地内に散乱している家が1軒あり、近所迷惑だなぁと。また崖の上に建っている家は石段の上り下りがあり、年寄りにはきついなぁと感じました。

23日は習志野でも強風と寒さでブルブル。上信越・北陸をはじめ、寒波の襲来で日本海側を中心に大雪に。前日から車の大渋滞、停電、物流の停滞、雪かきによる事故などが発生。生活に支障が出ていて大変な状況に陥っています。

そんな中、政府は原発の新規建設推進や60年を超える運転を認めた基本方針と今後10年間の工程表を決定。原子力を脱炭素の基幹電源として「東日本大震災の福島原発事故以後、新増設や建て替えをしない」という方針を撤回。原発回帰に大転換。国民の声、福島で被災した多くの住民の気持ちを考えないのか、理解に苦しみます。未だに福島では汚染水処理、廃炉方法など収束していません。科学的根拠・基準に基づいて安全確保が担保されるべきです。

岸田首相は、国際情勢の緊迫化、電力需給のひっ迫、電力料金の高騰を理由にあげていますが、原子力導入は経済界などの要望を入れただけで、本当に国民のためになるのか、おかしいと思います。安全神話は、福島で明らかに崩れました。むしろ原発周辺の住民は常に不安に脅えながら生活しています。

12月に入り、安全保障の3文書や防衛予算増の発表、そして今回の原発再稼働や稼働延長、さらに新設など、内閣支持率が過去最低になる中で、やることが国民に寄り添っていません。「大反対」の声をあげなければならない。

自民党ハト派といわれソフトなソフトなイメージのある岸田首相の最近の言動は、ハトではなくタカで、安倍元首相以上に民主主義を理解しない専制首相に見えます。

12月20日、今冬一番の冷え込み。筋トレ後、本日締切の原稿を書くことに...

鼓動】(防衛指針の大転換)―である調

 年末に政府は今後10年程度の外交・防衛政策の「国家安全保障戦略」など安保3文書を閣議決定。岸田首相が会見し、戦後安全保障政策を大転換、反撃能力の保有を明記。防衛費や関係費を合わせ2027年度に現在の国内総生産(GDP)の2%とし、防衛体制強化を打ち出した。

 確かに、日本をとりまく北朝鮮、中国そしてロシアのウクライナ侵略など、国際情勢の脅威により抑止効果を高める必要はあると思う。しかし、敵基地攻撃が可能になると日本国憲法に則った自衛隊の専守防衛の保証はなくなる。

 日本の防衛指針に、与党だけで1週間程度で決定するのは、民主主義国家とはいえない。先に国民に提示し、国会で十分に議論すべきで本末転倒である。首相の言う「国民の声」は聞いていない。

 戦争は平和を破壊し人類に悲惨な状況を生み出す。対米従属、兵器調達などの軍事協力は戦争への危険な道を突き進んでしまう。何より大事なことは、他国を排除するのではなく、平和のための外交に力を注ぎ、協力関係を構築するのが最重要。

 コロナ禍での自粛、物価高、年金減額など生活が苦しくなっている中、防衛費増が追い打ちをかける。人殺しの兵器を買うくらいなら国民生活に直結する暮らしや福祉などに税金を使うべきである。

2022(令和4)年も残すところ約二週間。昨年に続き世界中がコロナ渦で、感染拡大は止まらず、ワクチン接種が引き続き行われました。オミクロン株については、比較的軽症ということもあり、行動制限や渡航・来航も緩和され、イベントも3年ぶりに再開されて、緩和されながらの注意に変わりました。野球やサッカーなどでの日本人選手の活躍で感動しましたが、ロシアによるウクライナ侵攻による戦争、国際緊張、物価値上げの波、地球温暖化など、社会生活における不安が急増しました。
経済・社会や文化をはじめ、いろいろ制限、圧迫されて「いのちと暮らしを守る」ことの大変さと「平和」の大切さを実感した1年となりました。

ところで、ハトちゃん今年5大ニュース

 第1位 母が長生きし、98歳で八王子で一人暮らしを続けていること(最近、認知症の他に、家の中で転ぶことがあって、介護も大変になり、施設への入所も考慮しないといけない段階に来ている)。

 第2位 妻が退職後、家にいることが増え、家事の心配がなくなったこと。
              旅行支援を利用して、11月に山陽、山陰旅行や日帰りツアーができたこと。

 第3位 筋トレを毎月20日以上、クリアしたこと。

 第4位 大学時代の親友と12月に十数年ぶりに会って、旧交を温めたこと。

 第5位 オジン隊(駅からハイキング)に参加し、昔の職場の先輩たちと毎月1回歩けたこと。



政府(与党)は今後10年程度の外交・防衛政策の「国家安全保障戦略」など安保3文書を閣議決定。岸田首相は16日夕方、会見し「戦後安全保障政策を大きく転換するもの」とし、「相手に攻撃を思いとどませる反撃能力の必要性」で保有を明記。防衛費や関係費を合わせて2027年度に現在の国内総生産(GDP)の2%とし、防衛体制強化を打ち出した。

確かに国際情勢の悪化で、日本をとりまく北朝鮮、中国そしてロシアのウクライナ侵攻など、軍事力増強で脅威が増しており抑止効果を高める必要はあると思う。しかし、わが国が防衛費を増額すれば抑止できるとは考えにくい。とくに日米安保条約のもと、米国が戦争に参加した際は、わが国が兵を派遣することや攻撃が避けられない。憲法に則った専守防衛が守られるか?自衛隊の役割もなし崩し的になる恐れがある。

今回の日本の防衛指針という最重要な問題に、1週間程度の与党だけで議論し閣議決定したのは、民主主義とはいえない。3文書や税制大綱は決定以前に国民に提示し、国民の代表である国会で十分に論議し決定すべき。強行突破して危険な戦争への道を突き進んでいる。

岸田首相は先のバイデン大統領との会談で、米から言われた防衛費の引き上げを約束し、来年1月の訪米で報告し、軍事協力するため。さらに兵器調達は米に頼らざるをえない。もし、日本が仮想敵国から攻撃を受けて対抗できるのか?はなはだ疑問である。それよりも外交で戦争を回避する方が犠牲が少なくなると思う。「銃に銃を向けての殺し合いでは、平和は遠のき憎悪だけが残って、いずれ人類は滅びてしまう」と危惧している。


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年賀状は新年の挨拶と普段なかなか会えない友人や親戚、目上の方々に送る日本の文。なかなか会えない人には、年1回の年賀状が元気にやっている知らせにもなっています。日本の習慣が今でも続いていますが、近年、職場では自粛。スマホや携帯電話、メールが普及し、年賀状を出さなくなっています。

最近の年賀状を見ると、年賀状ソフトやパソコンで、はがきの表面の文字、裏面のデザインや言葉も多種多様に自由自在に作成できる便利さから、印刷所に頼むことが激減。費用、 時間の短縮と豊富なデザインで色もほぼ変わらない程度になっています。

印刷されたまま送られているのが大半ですが、一言、近況などを添えてあると、出してくれた人の状況や雰囲気が伝わり、会えずとも想像して思わず微笑むことも...。

現職でいた頃は100枚を超す年がありましたが、現在では1/5に減っています。退職したのが13年前でもう関係ないのですが、いまだに年賀状をいただく方には、返事を書いて近況を知らせています。今年70歳になりましたが、先輩方や親戚の訃報の知らせが届くと、"年齢"を感じ、健康であることの大切さを痛感します。



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12月11日(日)寒風吹く中、大学時代の親友が仕事で上京。十数年ぶりに再会。千葉駅東口前のアパホテルに宿泊中だったので、昼食・喫茶に行きました。

(雑賀)は学生時代、同じクラスで野球部に所属。和歌山市の出身でたまたま新入学オリエンテーションで一緒になってから友達になり、4年間下宿に遊びに行ったり、試験勉強したりのつきあい。Uターンして地元に就職後も、東京や千葉に来た時にいろいろな話をしたり、飲食したりで楽しいひとときを送らせていただきました。独身時代から健康そのものでスポーツ大好き人間で、卒業後も草野球も長くやっていました。小生は奥さんも知っていたので、自分が大阪や和歌山出張の時、彼の家で家族ぐるみで天然温泉や和歌山ラーメンの店に案内され、宿泊させてもらいました。

久しぶりに会った彼は、仕事もバリバリで海外出張や商談で現役中。元気に頑張っ
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ていました。お互い白髪や頭が薄くなって老けましたが、喫茶店で四方山話で盛り上がりました。


小生は選択定年で早めに退職。現在は筋トレ(毎月20回以上)とオジン隊(毎月1回)のウォーク、妻の実家で野菜の収穫や自宅の剪定・草とりなどで、それなりに追われる日々を過ごしています。いろいろと人間関係や仕事をこなし、現役で頑張っている彼をうらやましく思いました。

それぞれ違った環境で生活していますが、久しぶりに会って、短時間でしたが、学生時代に戻った気分になり、彼の話で大変、参考になることと元気をもらいました。

また上京した折には、元気な姿で会って、負けずに有意義な話をしたいと思います。



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12月10日(土)午後1時30分から、プラッツ習志野市民ホールで「まもろう!平和!習志野・船橋市民のつどい'22」が開催されました。新装された市民ホールは初めて。会場は平和を守り愛する人たちで満員。ちょっと座席の前後のスペースが狭いので、荷物も置けず長時間座っているとくたびれました。

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千葉県母親連絡会会長の渡辺京子さんの挨拶に始まり、ロシアによるウクライナ侵略や国際関係の緊張など平和が脅かされる問題が起こっていますが、日本国憲法を守り、新しい年に希望をつなぐため、平和への思いをより強く求める」ことを話されました。

次に習志野出身のオペラ歌手、立川かずささんと長年のペアで津田沼高校出身のピアノ山内涼子さんの登場。日本の叙情曲を中心に、「椰子の実」「母に贈るうた」「宵待草」
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「見上げてごらん夜の星を」「津軽のふるさと」「青い山脈」「アメイジングストーリー」「歌劇「カルメン」より~ハバネラ~」を熱唱。中・高齢者が多いことを配慮して懐かしい曲を選定されたそうです。メゾソプラノの美声と張りのある歌声は聴衆を魅了。「青い山脈」では参加者の手拍子をまじえて会場が大いに盛り上がりました。

時間は押していましたが、アンコールで「マイフェアレディー~踊り明かそう~」「きよしこの夜」を会場の黙唱とで演奏を締めくくりました。

休憩後、金平茂紀さん(ジャーナリスト:TBS報道特集の前リポーターで、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の勅使河原秀行改革推進本部長の会見で、被害者にわびないことなどを鋭く突いた質問を行いテレビで生中継された)の講演会。テーマは「2022年という転換点~ウクライナ侵攻、安倍元首相銃撃殺害事件~」。質問を受付、講演後、回答。

リポータ―当時と変わらぬ、歯に衣を着せぬ発言。想定外のできごとが起こる。2月24日、ロシアは一方的にウクライナに軍事侵攻。侵攻後、自らの立ち位置で現地調査の報告を続け、10カ月に及ぶ現状を踏まえて考察。ウクライナは多数の難民をはじめ、領土の破壊、戦争が続いて多数の犠牲者が犠牲になっている。また核兵器使用もちらつかせ、自国の支配を強引に推し進めようとしている。国際的にも西側の支援や制裁で対抗するも、いまだ和平の道は閉ざされている。国際的緊張が続く中で、日本も日米安保条約にもとづき、アメリカに追従。世界的食料問題も深刻。

日本でも7月に安倍元首相の銃撃殺害事件が発生。犯人の母が旧統一教会の信者で家庭生活がめちゃめちゃになったことで、統一教会への恨みで殺害計画。政治家で深く関連していた安倍氏に矛先を変えて殺害にいたる。ここから、国民の間でも政治と統一教会の関係が問われ、報道で取り上げられ批判が高まる。臨時国会で「質問書の送付」「被害者救済法」が成立したが、不十分。法律と現実とのギャップが今後埋められ、ギャップが無くならないと意味がない。課題は多い。

沖縄辺野古基地への移転では、沖縄から基地はなくならず、これからも米軍のいいなりになる可能性がある。北朝鮮や中国といった仮想敵国の進出を警戒するあまり、防衛費の大幅増は日本も戦争への道を進めている。

平和は軍事費増では解決しない。平和憲法である日本国憲法九条を守ることこそ、平和につながる。国民一人ひとりの平和に対する意識と行動、連帯が必要。

閉会の挨拶は宮腰直子さん(弁護士)。

選挙投票率が低い現状の中で、より政治、経済、社会に目を向け、自分にできる「平和」への取り組みを考え、実行していきたいと再確認できました。


サッカーのワールドカップ2022は、8強が出揃いました。最後にモロッコがスペインに勝ち、ヨーロッパ、南米の一角を崩す大殊勲。グループリーグ1位通過で敗退は、日本のみという結果に。ほぼ順当に強豪国が残ったという感じ。準決勝はどこが勝っても素晴らしい試合になると思います。

7日、日本の監督、コーチ、スタッフ、選手が帰国し、会見を開きました。正直、予選リーグで強豪のドイツ、スペインに勝利するのは難しいと思いましたが、見事、逆転勝利で予選を突破。アグレッシブな運動量、頭脳的な作戦は、世界各国に「日本サッカー」の強さをアピールできました。

ハトちゃんも高校時代にサッカー部に入部した経験から、練習の大変さやチームワーク、技術の鍛錬からはじまり試合の勝敗の非情さなど、奥の深い競技だと痛感しています。

PKも勝敗を決めるもの。日本代表なので技術もトップレベルでしょうが、ゴールを
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入れる、外すのはプレッシャーの中で、極限状態です。GKとの一対一の駆け引きは運が左右され、成功・失敗は紙一重。

クロアチアに負けたとはいえ、結果は引き分けに。あと一歩がどこか足りなかっただけです。

4年後のW杯には、ぜひとも8強の壁を越えてもらいたいと強く願います。深夜行われた試合で、眠い目をこすりながら応援した熱いサポーター、一般ファンもやっと平常に戻れますネ。あと、世界最高峰の7試合、他国ながら見守っていきたい。

日本チームのみなさん、本当にお疲れ様でした。勇気と感動をたくさんいただき、ありがとうございました


前日の今冬一番の寒さに比べ、12月7日(水)は雲一つない晴天。ハトちゃんは京成電鉄のさわやかウォーク都立水元公園&柴又帝釈天を散策しました。

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東京の東端に位置し、江戸川を境に千葉県と接する葛飾区柴又は、今も下町情緒と町人文化が残る人情深い町。映画 『男はつらいよ』(山田洋次監督) フーテンの寅さんの故郷として知られる帝釈天界隈には、寅さんゆかりのスポットが多く点在し、名物だんごや土産物の商店を巡る参道歩きが楽しい。さらに江戸川上流を辿れば、都内屈指の広さを誇る水元公園があり、水辺に広がる緑と季節の花々を楽しむことができます。

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楽々コース〕9㎞

スタート 京成金町駅→葛飾新宿(にいじゅく)みらい公園→水元総合スポーツセンター(チェックポイント)→水元大橋→ゴール 柴又駅

今回は、近場の京成金町駅からメタセコイアの紅葉を観ながら水元公園を散策し、下町柴又へ。

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まずは京成金町駅から傍のJR金町駅へ。駅手前の道路を左折し、JR線の狭い地下道(天井が低い)をくぐると、マンションがあり、その先に芝生広場と親水公園になっている葛飾にいじゅくみらい公園が続いています。広々とした景色で開放感に浸れます。右側には、東京理科大葛飾キャンパスの近代的な建物。園内を数人が歩いていて、その後をついて、大学の図書館横を通過。

マップに、目印がないため、曲がり角を間違えて1本先へ。花の木小学校に出てしまい、仕方なく守衛さんに「飯塚小学校」へ出る道を聞くも説明がわかりづらく、その先のセブンイレブンの店員に聞きましたがわからずじまい。仕方なく検討をつけて先に進みました。途中、若い男性に道を聞き、偶然にも飯塚小の卒業生だったので、やっとたどり着くことができました。この間、約20分ぐらいロス。

飯塚小への道をもっと広いと思っていましたが、意外と道幅が狭く、道を間違える人が続出すると思いました。小学校を左側に見ながら直進。交差点のコンビニを発見。やっと安心しました。
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さらに直進して突き当たると前方に水元総合スポーツセンターチェックポイント)体育館があって、出入り口でスタンプ押印。


マップがだいぶ不正確なので、館内受付の女性にマップを見せて、水元公園までの道を教えてもらいました。バス通りに出て直進。交差点で不安になったので、地元の方に聞くと「先週、行って来たばかり、まっすぐ進んで20分くらい」とのことでした。

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直進し、住宅街を抜けて突き当たると見覚えのある風景が見えて来ました。噴水広場に到着。

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二日前のテレビでメタセコイア高木の紅葉を放映していましたが、その時より落葉が進んでいました。それでも、生きている化石、メタセコイアの黄金色の紅葉が観れて良かったです。園内の中央広場、ポプラ並木、メタセコイアの高木、花壇を観ながら進みます。
都立公園で一番の広さと江戸川溜、水辺の流れや四季折々の花木が観られ、中でも菖蒲は有名。

公園の端が遠いので、雰囲気を味わった後、Uターン。周囲には保育園の園児 たち、風景を描いたり、写真撮影グループ、サイクリング、散歩を楽しむ人たちも...。水色の水元大橋を渡らず、噴水広場へ戻ります。

行きで道に迷ってしまったので、ここからはコースとは違う、知っている広い道を歩いて柴又を目指します。

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釣り人が釣り糸を垂らしている公園内溜に沿って歩きます。都道307号線にぶつかるも、幅広のバス通り(金町方面)を直進。しばらく歩くと、右側に理科大の建物。多くの学生が信号待ち。さらに進むと、朝来たにいじゅくみらい公園へ。マンションが見えたので、JRの地下道(金町ガード)をくぐって、商店街を抜けて、京成金町駅へ。商店街の一角に都内では珍しい銭湯が営業中。

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ここから柴又街道ではなく、京成金町線の線路沿いの歩道を進みます。途中、都民のおいしい水を扱う金町浄水場の鉄柵の長さと浄水場の広さは圧巻。柴又駅傍まで続いています。


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20分ほどで、帝釈天門前通りへ。その後、通りを右折し参道へ。突き当りの帝釈天を参拝。境内で、『男はつらいよ』に出て来たシーンのニ天門、大鐘楼や、帝釈堂、境内の枝ぶりの良い松などを散策。再び参道通りから柴又駅までの途中は、ウインドーショッピング。

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柴又駅前には「寅さんと妹さくらの銅像」があり、ゴール

ここまで約2時間30分約9キロ。最後に、帰りの行先 京成高砂京成金町と勘違いして、上り下りを間違えて15分待ちぼうけをくらってしまうドジな結末になってしまいました。



12月4日は冬晴れ。3日前に2週間ぶりに妻と小見川の義兄宅で収穫したサツマイモ(段ボール4箱)の天日干し

野菜は収穫後の作業が大変。

種類は紅あずま(2)、安納芋、紫芋。まずは土を軽く落とし根をハサミで切ります。そして、小さくて細いもの、悪いものを取り除きます。

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その後、タライに水を張り、手で丁寧に洗うのですが、冬場の水は冷たいのですぐ手が
真っ赤に。きれいにしたイモを大きさを揃えてテラスで天日干し。表面が乾いたらひっくり返して約2時間。甘みが増します。ちなみに、ジャガイモは日光に当たると有毒物質(ソラニンやチャコニン)が発生するため厳禁。表面が緑色に変色します。

冬場は日が沈むのが早いので、早めに室内に入れ、段ボール箱に種類、大きさを揃え保存しました。泥を落とさずに保存すると、腐ったり痛んだりするので、洗ってから保存するのがベスト。

当分、ハトちゃんの昼食はイモが続きそうです!

2週間ぶりに母の病院付き添い2科受診)のため、12月2日、八王子へ。コロナ感染に注意して出かけました。持参した野菜はジャガイモ、玉ネギ、長ネギ、春菊など8.5㎏。

5時起床。中央・総武線幕張本郷駅6時32分発に乗車。通勤前ですぐ座れました。総武線と中央線を乗り継いで西八王子駅に8時過ぎに到着。実家へは徒歩15分。荷物を置いて診察券や血圧表などを持ち、再び駅前の南多摩病院へ。というのも、前半の内科は代理受診ハトちゃんのみ。9時半予約だったので午後の整形外科まで、長時間待たなくてはならないので、母には家で待ってもらいました。この3カ月間の健康状態は変わらなかったので、同じ薬をもらうことに。

終了後、実家にはヘルパーさんが来ていたので、小生は歩いて20分ぐらいの富士森公園&富士森陸上競技場に久しぶりに足を運びました。小・中学校の頃、短距離が速かったこともあって、市の
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大会に出場したり、公園内で遊んだり散歩したりするのが好きでした。カメラを持っていなかったので、紅葉や景色を撮ることができずに残念。陸上競技場は2018年にリニューアルされ、きれいになりました。正午まで散歩やかつ丼を食べ、ベンチに座りグラウンド内のゲートボール大会などを見ていました。すると、昼休みでスタンドに戻った高齢者の話からワールドカップで日本がスペインに勝利、予選リーグを突破したことを聞き、早速、実家に戻り確認。 「本当に良く頑張りました」。


13時30分に福祉タクシーが迎えに来て、母を連れて病院出入口へ。車いすが無く、運転手さんが受付まで借りに行ってくれました。車いすに乗せ1週間前からの体調だけを聞かれ、前月より軽めの確認。整形外科へ。一番に呼ばれ、担当医が問診と4カ所に注射。診察を終わり待合室で待っていると、看護師さんから急に先生から採血の依頼。母は血管が細く、採血は大の苦手。

仕方なく、採血室へ。案の定、右手で採れず、左手に刺してやっと採血。痛い思いをさせてしまった看護師さんは低姿勢。やっと本日の診察・処置も終わり、会計から薬局へ。

薬局では午前の内科と合わせて2科分の薬や湿布。時間がちょっと長くかかり、その後、福祉タクシーへ連絡。間もなく迎えに来てくれ、運転手さんに実家への送りをお願いして、小生は西八王子駅へ。15時55分の特別快速に間に合い、18時過ぎに自宅へ到着。

母は採血で疲れ、小生も2科受診の付き添いでだいぶ疲れましたが、途中の富士森での懐かしい散策がせめてもの救いでした。

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