2009年7月アーカイブ

入試監督業務の狭間の2月14日(土)、勤務終了後、勤務先のH大学から徒歩でも行ける、
北の丸公園内に徒歩で約20分ほどで「科学技術館」に到着。
 
当日は、第2土曜ということで、何と入場料が無料!
「ちょー、ラッキーな日」でした。
 
その日は真冬なのに暖かく、歩くのには絶好の散歩日和。
公園内は、家族連れや、スポーツを楽しむ人、そして制服姿の高校生も見かけました。
 
前回、四谷の「東京おもちゃ美術館」に行ったときも、そうだったのですが
やはり子どもの入場者が圧倒的に多く、大人は、団体で入場の付き添いの先生や、
家族連れの親が目立つ程度でした。
 
2〜5階には、これまでの科学技術の変遷、紹介、情報などがテーマごとに展示され、
生命科学や地球環境に関する実用・応用例や実演が行われていて、様々な貴重な体験ができます。
 
小生が興味深かったのは、自転車の変遷でした。
 
また宇宙の神秘に関する展示は、大人でも面白く体験し理解できます。
各種イリュージョンによる、脳や目など、人間の身体のメカニズムは新たな発見でした。
 
各階で時間ごとに開かれる「わくわくプログラム」では、実験や実体験によって、
科学の楽しみが案内されていて、多くの子どもたちが参加していました。
 
小生は、文化系に進んでしまいましたが、小さい頃に、こういったところで
目覚めれば、理科系に進んでいたかも?
 
ちょっと子どもに圧倒されて、30分ほど観て、次のところに移動しました。
 
北の丸公園を出て、竹橋方面2分ほど歩いていくと、「国立公文書館」
の隣に、「国立近代美術館」(本館)があります。
 
当日は、近代日本の有名美術家による絵画や彫刻が飾られている常設展のほかに、
特別展「高梨 豊−光のフィールドノート」が開催されていました。
 
写真家、高梨 豊の白黒写真には、50年近いキャリアから、光と影を使い分けた、
見事な当時の都市を中心とした風景や、時代を代表する著名人(例えば、淀川長治の笑顔)の
表情が数多く出品され、見事な作品が並んでいました。
 
小生も、広報関係の職場で新聞・雑誌の編集をやっていた時期があり、
写真の難しさを体験しているので、60〜80年代の時代背景をあらわす
作品に「さすが!」という感動を覚えました。
 
この美術館はスペースも広くて、ゆっくり観ることができました。
 
しかし、あとで書きますが、特別展が一つだと思い込み、当日、横山大観画伯の水墨画を
見忘れてしまいました。受付の方に、聞けば良かったのに...残念。
 
 最後に、少し戻って「国立近代美術館」(工芸館)行ってきました。
建物は、何でも旧近衛師団司令部庁舎を改修して、使用されており、
館全体が重要文化財に指定されているとか。
染織、陶磁、ガラス、漆工、木竹工、金工等の工芸および工業デザインに関する常設展と
企画展を開催する分館で、戦後を中心とする国内外の作品約2,400点が収蔵されているそうです。
 
古い重厚な感じで、当日は「きものの輝き/漆・木・竹工芸の美」が
開かれていましたが、作品は小物が多いせいか、展示場は狭く感じられました。
 
各種染色、模様、織りによる、きものや帯がつるされており、
また、漆・竹・木製の趣のある「飾箱」や「かご」なども展示されて
いました。華やかな感じではなく、地味な感じの伝統的な作品の多い展示でした。
 
きものは、男性のせいか、あぁ、早々に引き上げました。
 
今年に入った、1月17日(土)の勤務終了後、勤務先のH大学のある
JR市ヶ谷駅から東京メトロを使わず、徒歩で約30分ほど、新宿方面へ向かい、
四谷三丁目の近くにある「東京おもちゃ美術館」に到着。
 
冬なのに、歩いて行ったせいで、下着は汗をかく始末。それでも、結構、
北風は吹いていて、コートを羽織って行きました。
 
2009(平成19)年春に四谷の小学校の校舎を壊さずに、昨年(平成20)4月20日に
オープンされたばかりの、とても新しくて、遊び心を満たしてくれるミュージアムでした。
 
中に入ると、内装は木目調で暖かい雰囲気が流れ、昔懐かしいおもちゃや、世界各国のおもちゃが、
色とりどり展示されていて、観るだけでなく、「おもちゃ」を通じての交流ができました。
 
子供さんの入館はもちろん、大人の皆さんでも手にとって十分に楽しめる内容で
世代を超えて楽しめるようになっています。
昔の教室を作り変えた展示室には、エプロン姿のガイドさんが、おもちゃの実演や、
さまざまな知識や、質問にも応えてくれます。
土曜・日曜には各種イベントも開催され、お子さんを持っている方が遠くからも来られているそうです。
 
また、隣の建物は、「地域ひろば」として、多世代交流のサロンやスポーツができる教室スペースで、
イベントなども行われていて、四谷、新宿地域の地域活動の拠点にもなっています。
 
まだ、美術館としての知名度は少ないのですが、日本の玩具・娯楽を楽しめる、貴重な美術館で、
一見の価値があります。
 
続いて、東京メトロ「四谷三丁目」から、日本橋の「三越前」まで移動し、
すぐ目の前の「三井記念美術館」に、私と同じ今年3月選択定年のN教授(H大学能楽研究所長)
からいただいた招待券で入館しました。
 当日は、「国宝 雪松図と能面」という展示を観ました。
 
円山応挙の「国宝 雪松図」屏風は、雪景色の中の松のバランス、
豪華絢爛さは、見事という他はありません。
 
また、金剛流といわれる伝来の能面は、能面の持つ、様々な表情と美術品としての価値、
とくに今回は、「翁・尉・鬼神・男・女」の5種類に大きく分けられ、延べ54面が展示され、
これほど多くの能面を一堂に観られたのは、幸運でした。
 
さらに、小生は欲張って、帰りは、神田駅まで徒歩で歩き、交通費を少しうかせたので、
いつも通勤で特異な感じの建物を見ていたのに行っていなかった、
JR両国駅前にある「江戸東京博物館」にも足を運びました。

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当日の特別展は、NHK大河ドラマで放映中の「篤姫」の「珠玉の輿〜江戸と乗物〜」が
開催されており、担ぎ手部分が2メートルもある「篭(カゴ)」や、
金箔の蒔絵が描かれた「輿(コシ)」や絵画など、その展示物の前では、
身動きができないほどの観客で賑わっていました。
これも、テレビの影響大かも?日本人の熱しやすい性格から?
 
その絢爛豪華さは、江戸時代の幕府、将軍様の権力の力が、こういったところにも現れていました。
ある意味、江戸文化の象徴というか、特殊性なんですね。
 
残りの時間を、常設展示と企画展「絵に見る春夏秋冬(江戸東京の一年)で、
浮世絵や春夏秋冬の作品を観て、当時の季節を代表する風物や名所を観て、
江戸東京の文化や暮らしの実態を垣間見ることができました。
 
それにしても中は広いし、江戸・東京ゾーンのそれぞれの建物の模型や美術品・生活品が多くて、
全部回るのには軽く1時間はかかります。歩き、くたびれました。
 
今回は、ついでに回ってしまいましたが、ココだけでも十分に満足できますし、
何と言っても、「駅チカ」がいいですね。都民の方は、一度は足を運んで
江戸東京の歴史・社会・文化に触れられる機会をどうぞ。
 
このあと、親友のY氏と観る予定だった、4/18〜6/21の特別展「手塚治虫展」を、
小生の体調不良で観られなかったのは、何とも心残りでしたが......。


昨年の10月31日(金)、その日は復職後、半日勤務で12時半まで、勤務したあと、翌日から
1日勤務の日常勤務になる最後の日でした。15年ぐらい、博物館・美術館での
鑑賞から遠ざかっていた小生は、朝・夕刊を購読している朝日新聞のASA大久保支店
で当選した無料の鑑賞券を持って、本当に久しぶりで、何年前か覚えていないほど、
行っていない"上野の森"にある「東京国立博物館」の「大琳派展」に足を運びました。
 
小さい頃、遠足で行ったことがありましたが、ほとんど記憶に無かったので、博物館の
展示場の広さと展示作品数に目を奪われました。約1時間ぐらいをかけて、
時の流れを確かめるように、常設展会場も含めて十分に堪能した感じです。
 
「本館」では、23の展示室、全部はまわれませんでしたが、絵画、彫刻、書跡、陶磁、刀剣、漆工
など、代表的な日本の美術作品、そして時代別の展示、
そして、前に来たときには無かった「東洋館」も見ごたえがありました。
 
尾形光琳生誕350周年記念 特別展「大琳派展−継承と変奏−」 が開かれていた「平成館」では、
沢山の入場者で、平日にもかかわらず、ところ狭しという感じでした。
 
国宝や重要文化財になっている数々の琳派の作品が並べられ、琳派系譜の独特な構図の良さ、
絵筆使い、金色に塗られた屏風は、大胆な中にも、繊細さが描かれており、圧倒される作品に
次々と魅せられてしまいました。
 
とくに、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一が描いた、「風神雷神図屏風」の4作品が
一堂に並べられていて、同じテーマの作品でも、配色、風神・雷神の表情、構図などが
微妙に違っていて、同じ画派でも各個人の豊かな特性が表れていて、驚嘆しました。
 
観るまでは、社会の教科書に載っていた、光琳の作品だけかと思っていたくらいでしたので?
 久しぶりに、上野に来れたことと、素晴らしい作品にめぐり合えたことに感謝した次第です。
 
これが、ハトちゃんの"美術館めぐり"を、再び始める、きっかけになりました。
 

尾形光琳生誕350周年記念 
特別展「大琳派展−継承と変奏−」
平成館 2008年10月7日(火)〜11月16日(日)

重要文化財 風神雷神図屏風  尾形光琳筆
江戸時代・18世紀  東京国立博物館蔵
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続いて、ASAの美術館の御招待券が、また当選し、11月11日(木)に、
九段下にある「山種美術館」の「琳派から日本画へ−宗達・抱一・御舟・観山」の美術展を
鑑賞しました。偶然、琳派の作品をまた、観れることになり、午後半休をとって、
早速、鑑賞して来ました。勤務先から、徒歩で10分のところにあり、交通費もかかりませんでした。
 
展示会場は、狭かったのですが、絢爛豪華な様式美、斬新な意匠美などは、随所に表われ、
琳派の酒井抱一の《飛雪白鷺》、近代の下村観山《老松白藤》の作風は、琳派の鈴木其一の
作風に通じるものがあります。
 
近代の画家が、琳派の影響を受け、いくつかの手法を取り入れていることは、
「琳派芸術」として見逃せません。
 
洋画と違った、日本画の伝統というか、日本文化の素晴らしさに触れた「琳派展」の二日間でした。
 
なお、東京の美術館めぐりに、格安の「東京ミュージアムぐるっとパス」が販売されていますので、
利用されると便利で、とってもお得ですヨ!
7月16日(水)、17日(木)の両日、在職時に取引のあったM銀行の
担当者、およびその上司の方とお会いしました。
 
大した額ではありませんが、外貨証券を3年前に購入して資産運用していた商品が、3年たつので、
償還日に向けて、手続きをしなければならないということで、連絡が担当者から来ました。
 
購入時のレートに比べ、為替は、その後の経済不安の状況により、かなり円高になってしまい、
償還後、すぐに円に変えると、かなりの損失になってしまう関係で、
今回は、外貨のまま受け取る手続きを勧められました。
 
そのとおりなので、手続きの書類と方法を聞きました(以下は経過)。
 
7月7日、17時過ぎに自宅に電話が鳴り響きました。
 
米ドル建債券の3年償還日が8月10日ということで、償還を円高のため、
ドル建てでの外貨償還を勧める話がありました。このこと自体は良かったのですが、
こちらの都合を聞きもせずに、近くの支店で手続きを進めることを
前提に、手続きの期限が今週いっぱい(7/10)です、と一方的に依頼されました。
 
普通、相手にお願いする場合、どんなに急ぎでも、一週間ぐらいの余裕は必要ですよネ。
 
こちらは、病院のリハビリに行っていますので、今週は厳しいし、必ずはお約束できないので、
何とかならないものかと、もう一度、最終手続きの期限の確認をお願いをしました。
 
しばらくして、電話があり、15日(水)が限度と言ったあとで、上司に確認されたようで、
再度、しつこく今週にこだわり、あろうことか、「手続きの関係で近くの支店に二度行ってください」と、
命令口調で、傷病の状況など、認められないと言い、挙句の果てには、「始めに手続きした支店に
来ていただき手続きするのが原則で、さも例外を受け付けるのは、こちらの方です」と、
迷惑そうな感じで言われました。
 
「それって、役所と同じ、上からの目線の対応で、お客様の立場に立った接遇ではないのでは?」と、
少なくても状況を考慮して欲しいと。本来であれば、お客様の一番可能な方法を採るべきでは。
 
......最終的には、自宅の最寄り駅で手続きすることには、なりましたが。
 
そうして、16日(水)に手続きがすべて終わったと思い、安心していたところ、
当日の夜に、再度、電話があり、「書いてもらう書類がもう一つあり、どうしましょうか?」と
上司の方が話されたので、「まだ、手続きに時間があるはずなので、郵送で手続きしましょう」と
私から提案しましたが、結局、「間に合わない」ということで、翌日に会う約束をしたというわけです。
 
本当に、ちゃんと書類等を調べてから連絡なり、会っていただきたいな、とつくづく、思いました。
 
振り回されて、不愉快でくたびれたのと、二日連続でコーヒーを飲むハメになりました。
 
今回のことで、ふと思い出したのは、私が若輩の頃、歌手の三波春夫さんが
常々、おっしゃっておられた「お客様は神様です」という言葉です。
 
この言葉は「相手のことを敬い、その方が自分の歌や踊りを視聴してくださるからこそ、
自分がある」という名言で、「自分一人の能力を過信せず、相手への"思いやり"が一番、
大事なことを表しています。
 
私は、この言葉を「座右の銘」にして仕事をしてきたつもりです。
 
現代は、"パソコン全盛時代"といっても過言ではない時代ですが、
サービス業をされている方は、ぜひ"暖かい真心"を持って接していただきたく、
お客様に人間らしい、優しい精神で仕事を続けて欲しいものです!
 
7月17日(金)の朝は、雨もちょっと降って、昨日の34度を超える猛暑とは
うって変わって、さわやかな朝です。
 
毎晩、このところ、家族と議論が続き、少々、寝不足で疲れ気味。
 
それでも、朝の腰痛体操からスタート。長年の習慣で、朝は洋食のパンで
和食のご飯が食べられません。また、暖かくしても牛乳は飲めません。
 
通勤していた時に、無理してご飯と牛乳を飲んで、出かけると、必ずといっていいほど
電車の中で、腹痛を起こして、途中下車してトイレに駆け込んでいました。
看護師の妻に聞くと、男性は、胃腸の弱い人が女性に比べて多いとか。
毎日、しっかり食べて通勤に出かける、妻がうらやましい限りです。
 
今日の予定は、とりあえず、パズルも、昨日、全部解答してはがきを出したことだし、
筋トレ・ストレッチに出かける時間を除いて、本日は、トマトの世話と「寝不足解消」の
休養ですね。起きたら、千葉テレビの高校野球の観戦でしょうか。
 
私の息子は、現在、東邦大学の薬学部2年生。私は、ん?十年前に市ヶ谷にある
H大学の社会学部を卒業しましたが、基本的に文科系なので、ほとんど忘れましたが、
授業もさほど厳しくなく、苦労せずに、無難に卒業できたと記憶しています。
 
息子の通っている大学は、自宅から、ちゃリンコで10分。今、起きてきて、これから
授業に行っても、1限の授業に間に合うそうです。交通費がかからないのは、
親からすると、助かりますが、学費が高いことと、薬学部は6年間の就学になりました。
 
薬学部在学の学生の大半は、薬剤師志望ですが、国家試験も難しく、また、学校の
試験、および進級も厳しく、ついていけない学生もいるそうです。
 
来週から、前期の14科目の試験。本人もちょっと憂鬱だそうです。それでも、
「学生の本分は、勉強」ですので、頑張らなくてはなりません。本当に、理科系は大変そうです。
 
「思考回路」が私と違っているので、政治や社会情勢には、あまり関心が無いのですが
小さい頃から、理科が好きで、
生物や化学などは、関心があり、実験などや昆虫を育てて喜んでいたことを考えると、
これも当然の帰結なのかな?と思っています。
 
家の近所に、同じ高校出身の2年先輩の卒業生がいます。彼が、高校生の頃に、
着ていた制服が、息子の高校時の制服と同じだったのです。
 
たまたま、昨日、病院に行くときに、その家のおばあちゃんにばったり会い、
立ち話をすると、大学は違う大学でしたが、そこの薬学部に入っているとのこと、
現在、東京大学へ研修に行っているとのこと。参考になれば、今度、息子さんに
話をできるように、お孫さんに聞いてあげるとのことでした。
 
もし、近所で、いろいろと相談できる先輩が要れば、心強いと思い、私からもお願いしました。
 
病院から帰ってきたら、もう時計の針は12時。いつもの「笑っていいとも」を見ながら
昼食を一人で食べ、前回の「ゴキちゃん」のブログを書き、そのあと、近くの
「勤労会館」で、ストレッチ、筋トレでたっぷり汗をかき(ここは、普通のジムでは
冷房化なのに、いまだに冷房されていません。会議室をはじめ他の部屋には、冷房が
入っているのに、トレーニング室は扇風機が2台と、全開された窓からの風のみ。
身体のためにはこのほうが良いのですが...。
 
「バイク」をこいで、汗をかき、休憩していたとき、私が、ここに来てちょうど2年になりますが
私より10歳以上年上の見慣れた顔の人に、こちらから声をかけました。
 
トレーニングは、みんな、メニューも使うマシンも違うのと、黙々とおこなっているため、最初と
最後の挨拶以外は、友人同士で来ている方などを除いて、あまり運動中は話をしません。
そんなこともあり、今まで見かけていた男性でしたが、声をかけられませんでした。
 
昨日は、何気なく話してみて、聞いたところ、N氏は退職後から始めて、4年、週2日くらいの
ペースで来ているそうです。鍛えられた上半身は、若い頃、柔道をやっていたそうです。
 
「おしゃべりなハトちゃん」は自己紹介と家族構成を話したところ、息子さんは、すでに社会人で
結婚されているそうですが、何と、息子と同じ「東邦高校」卒業の先輩とのこと、
またまた、偶然にも息子と同じ高校の話題が...。
 
 「まぁ、何でも話してみると、新しい発見があるものだ」とつくづく実感しました。
 
よく「二度あることは三度ある」と言いますが、1日に2回も偶然の話が起こるんですね。
 
7月13日に、娘の父母懇談会での「偶然とは、こんなもの?」に続く不思議な一日でした。
 
いよいよ、梅雨が明けて、30度を超す猛暑日の到来。
 
今日(7/16)は、午前中、自転車をこいで、病院へ。
腰痛のリハビリ、および診察で〜す。
 
多少は、自転車は涼しいのですが、3日前とは、日差しが違います。
娘は、通学で、日焼け止めをべったり塗って出かけています。
 
家に帰ってきて、今、パソコンに向かってブログを書いているのですが、
上半身は裸で、それでも汗が滴り落ちます。
 
我が家は、高台に位置しているため、隣の千葉市から引越しして以来、
猛暑でも、1年に1回あるかないか、クーラーをかけずに、自然の風で過ごしています。
もう、身体が慣れてしまったので、家族全員、クーラーをそれほど、必要としません。
 
まぁ、風が無くて、死にそうな暑い日もありますが、何とか、しのいでいます。
逆に、スーパーなどの冷房のきつさには、ときに、腹痛や寒気を覚えます。
 
今年の3月まで仕事をしていたとき、太った方が"暑がり"で、
よく温度の上げ下げのスイッチを変えに行きました。
最近は、エコの関係で、ネクタイをはずしてもOKですし、適正温度に設定されていますので、
面倒は少なくなりました。どちらにしても、暑さ、寒さには、自分で健康管理をしなければいけません。
 
汗をかくのは、身体に良いことなので、このあと、体育館に行って、
筋トレ・ストレッチに、1時間ほど、汗をかいてきます!
 
 さて、本題ですが、昨夜、テレビを観ていた午後11時ごろ、リビングの
天井に、何やら黒いもの?が、張り付いていました。
 
息子と妻が、何気なく見ると、そこに3センチぐらいの「ゴキブリ」が一匹いるではありませんか。
 
家は、天井が他の家より少し高いので、153センチの妻には、届きません。
そこで、新聞紙を丸めて、投げつけました。見事、命中したのですが、
「ゴキちゃん」もさるもの、羽根を広げてヒラリと、別の天井にへばりつき、
スパイダーマンのように、天井にぶら下がり、へばりつきながら逃げたのです。
 
執念深い妻は、それを見て、ビックリするかと思いきや、さらに新聞紙を
固めて、ゴキちゃんめがけて、中学時代のソフトボール部の経験を生かして「執念の1投」。
 
またも、ヒットし、今度はさすがのゴキちゃんも下に落ち、もの影に隠れようと
しましたが、ついに、御用となり、この世とはおさらばになってしまいました。
 
妻は、満足そうに、冷たいウーロン茶を飲み、自分の腕を誇らしげに、
ゴキちゃんとの闘いに勝ち誇った夜でした。
 
ゴキブリが飛ぶことは、知っていましたが、天井に逆さまにへばりついて
逃げる様子は、映画「スパイダーマン」とそっくりで、正直、ビックリしました。
 
私だったら、おそらく逃げられたであろうに、何とも、運の悪い「ゴキちゃん」でした。
 
昨日、7/12の日曜日は、都議選。結果は、自公の与党の過半数割れで、
民主党の第1党で大躍進という結果でした。
 
そんな都議選を尻目に、千葉県民の私の方はというと、高校3年生
になる娘の通っている、T高校の年1回の父母懇談会に、妻と一緒に行ってきました。
 
定例の父母会は、毎回、教室で開催されますが、昨夜は居酒屋を
利用しての懇親会で、これは昨年からスタートしたのです。
 
早いもので、娘も高校3年生(昔は、舟木一夫が制服で歌った、あの、
あぁ〜高校三年生が思い出されます)になり、いよいよ、進路を決定する時期なんですね。
 
幸い、「栄養士になりたい」という希望でしたので、先月末に、いま通っている
高校の近くの栄養科のある短期大学のオープンキャンパスに参加したのと、
今月中旬に専門学校を見学した後、どちらに行くかを本人が決めることになります。
 
今後、どうなるかは不安もありますが、本人の頑張りに期待しています。
 
ちょっと、本題と、はずれてしまいましたが、「偶然とは、こんなもの?」という
のは、居酒屋での会話での出来事です。
 
みんな、ほろ酔い気分で、気持ちの良くなってきた頃、あらかじめ決められた席は、
父親、母親が交互に混じっていましたが、そのうち、父親と母親のグループに席が移動となり、
私も、男性なので他の父親たちと酒をつぎ交わしていました。
 
進路についてのそれぞれの情報交換のあと、
ちょうど上映中の「剱岳」という映画の話題になり、ある方が、ワンダーフォーゲル
部の出身で、山登りのベテランで、奥さんも同じワンゲルで知り合ったという話があり、
「実は、ハトちゃんも40代に苦労して、踏破し、頂上で感激したことがある」と話したところ、
そのご夫婦は、中央大学の法学部の出身だということがわかりました。
同じテーブルにいたN氏は、間髪を入れずに、
「私も中央の法です」と。1年後輩で、ラグビーをやりながら「エセ山岳会だった」と暴露したのです。
あとで、名物教授の話題で、盛り上がっていました。
 
その隣の方が、続いて「私は明治の山岳部だった」と。
 
私は「まぁ、今年、大学の事務職を選択定年でやめたんですけど、若い頃、山登りは金はかからず、
目標をクリアーする達成感に病みつきになった」と。
 
たった、4人の偶然の隣り合わせの出会いは、
受験雑誌でいうところの[MARCH]の、それも学年も最大で4年しか違わず、
大学へ通った駅も隣り合わせという、本当に偶然とはあるものですね。
自己紹介が無ければ、何もわからずに、ただの隣りの人という感じなのに。
 
やはり、出会いがあり、何事も話して(発信)行かなければ、何かが起こらないのですね。
 
われわれは、同じ時代を生きてきた妙な仲間意識を持って、昔の話
(山、学生時代、受験勉強、人生論など)、学生時代に戻った気分で、それぞれ熱弁し、
「子どもの進路に、親父のできることは何か」という話にまで発展し、
「親父の会」を作ることになりました。
 
閉会の時間を超過し、やっと、お開きになり、私と妻が居酒屋を出ようとした、そのときです。
 
奥さん方の話で、3人の方がそこにいて、同じ3年生の知っている奥さんが、
妻に、「3人で同窓会を作るんですが、入りませんか。何年生まれ」と聞いてきました。
「酉年生まれの昭和32年です」と答えた瞬間。皆さん、同じ年の"酉年"とわかり、意気投合。
携帯電話のアドレスを送って登録。
 
妻は、アドレス交換するのに、赤外線とカメラの操作を間違えて、やはり、機械に弱い世代を露呈。
5分ぐらい、奮闘してアドレスをゲット。
 
それにしても、偶然というのは起こるんですね。また、それが人生かも。
もっと早く知っていたら、とも思いました。
 
偶然の出会いに、酔いしれて、家路に着きました。
沖縄、北海道を皮切りに、91回目を迎える甲子園の熱い夏がやって来ました。
ちょうど、千葉県も7月10日(金)から、177校が、たった1校の県代表の
イスをめぐって、激闘を繰り返し、晴れの甲子園出場をめざします。
 
昨年は90回の記念大会なので、2校出場できましたが、今年は1校ということで、
昨年にも増して、トーナメントの難しさで、一度も負けられない戦いになります。
 
昨日は、大分の柳ヶ浦高校の野球部の生徒を乗せたバスが事故を起こし、部員
1人が死亡し、大勢がケガをして、痛ましい事故が報道されました。
甲子園出場をかけて練習を続けてきた野球部員の気持ちを考えると
かわいそうで複雑な思いです。関係者や家族の方は、なおさらでしょう。
 
さて、私は習志野市に住んでいて、ただいま、スポーツ指導員をめざしていますが、
そのきっかけを与えたくれた方が、習志野市のスポーツ振興協会の石神さん。
その彼が、昨年の4月から、市立習志野高校の野球部のコーチを、仕事のかたわら
指導しています。毎晩、帰宅は午後10時過ぎだそうです。
 
彼は、スポーツが盛んな市立船橋高校野球部時代、野球部に所属しキャッチャーで4番で
準決勝まで進出した経験の持ち主であったことを、しばらくして、知りました。
現在でも、スポーツマンで優しくてとても好感の持てる男性です。
 
土日返上で練習した結果、見事、今春、選抜出場を果たしました。部長や監督の
名前は野球部紹介には載りますが、私は、仕事と両立させて、影の功労者だと尊敬しています。
今夏は、「激戦区」で一応優勝候補に名前があがっていますが、野球はやってみないと
わかりません。最後の1球で、勝敗がひっくり返ったこともあります。
 
最後の決勝戦まで、残ってくれるよう、祈るだけです。「習志野高校、頑張れ!」
 
決勝戦だけは、幕張の「千葉マリンスタジアム」に毎年、欠かさず行っているので
その勇姿を見せて欲しいものです。
 
予選は、現在は、便利なパソコンでの試合結果情報と、千葉テレビの放送で応援します。
 
高校野球がこんなに続くのは、選手たちの全力でのひたむきなプレーを通じて
観てるものにさまざまな感動と勇気を与えてくれるからです。
 
勝負には、必ず敗者が存在しますが、大人の世界とは違う、純粋さにより、
敗者にも健闘の拍手が送られ、讃えられます。
 
 最後に、
長い歴史の中には、伝説にもなる試合、監督、選手、投手がいて
江川卓、清原和博、桑田真澄、松坂大輔などは記憶に新しい。
千葉では、長嶋茂雄、掛布雅之をはじめ、現役の巨人の小笠原、西武の石井(一)、
広島の長谷川(昌)、千葉ロッテの唐川...。
 
 私が高校野球に魅入られたきっかけは、現在、野球評論家の
平松政次氏(県立岡山東商業→日本石油→大洋ホェールズに入団)が、
1965年春の選抜大会で決勝で1点をとられるまで、39イニング無失点記録を続け、
傷つきながらも一人で投げぬき、優勝インタビューで号泣したシーンを観たとき、
感動して一緒に涙したときからです。
 
その後、プロではケガが多く、打たれ弱いことから「ガラスのエース」と
呼ばれていましたが、「カミソリシュート」を武器に、打倒巨人で
通算200勝も達成しました。「平松」を追いかけて「横浜球場」でも
紙ふぶきを作ってチームの活躍にばら撒き、球場職員の清掃を増やす
ファンでした。近年は、最下位を独走し、情けない限りです。
 
また、茨城県で生まれた私が、初めて県勢を、名将木内監督が率いて県立取手二高
が全国優勝したとき、万歳三唱と感涙にむせんだことを覚えています。
木内監督はその後、私立常総学院で監督最後の年に、再度優勝し
私の期待に応えてくれました。引退後、要請により、再度監督になり、
今夏も甲子園をめざしています。その情熱には頭が下がります。
 
人生にも、勝ち・負け組という言葉がありますが、夢を追いかけて
ひた走る青年期の息吹きをいつまでも忘れず、何事にも「チャレンジ精神」
で立ち向かいましょう。

そこには、小さくても必ず達成感が生まれることを信じて...
先々週、6月26日、(現地時間、25日)"キング・オブ・ポップといわれ
世界的なアーティストのマイケル・ジャクソンさんが50歳の若さで亡くなりました。
誰しも早すぎる偉人の死に、「どうして?」という感じです。

50歳と言えば、日本では、昔はよく「人生50年」という言葉があるように、
50歳で死んでも普通だと思われていましたが、いまや、男性は80歳に近づき、世界一の長寿国です。
世界中から、彼の死を悼む報道と、死因を疑問視する報道がなされ、
それ以後も、遺産や、親権問題など連日報道され続けて、影響力が大きいという証拠です。

マイケル・ジャクソンは、まぁ、70〜80年の少年期から青年期にかけての活躍、
80年代の全盛期に比べ、90年後半以降はあまり音楽活動が目立たなくなり、
ひたすら、ゴシップ記事で話題になってしまいましたが、顔の整形については
「なぜ、そんなに多く?」という感じで、かわいそうになってしまいましたが、
音楽・映像でのパフォーマンスは圧巻でした。

私が、最初にすごいと思ったのは、洋画ファンで、少年とねずみの愛情を
描いた映画「ベン」(ねずみの名前)のテーマを、愛くるしい透き通るような高音で、
感情豊かに歌ったのがとても心に残り、すがすがしい気分になったのを
覚えています。それから、ジャクソン5時代の数々のヒット曲を聴き、
天才マイケルの音楽センスの良さに、日本から声援を送っていた一ファンで
当時、カセットテープが擦り切れるまで、何度も聞き続けていました。

大方、専門家の評価では、黒人ミュージックを白人だけでなく、全世界に認知させたことや、
PVを使って、聞かせる音楽から、ダンスを映像に取り入れて
より大衆受けする総合パフォーマンスの先駆者となったこと、が業績として評価されています。

私も、同感ですが、何と言っても、世界で1億500万枚といわれる「スリラー」のPVを観て、
その歌と踊りの見事なマッチングに触れたとき、鳥肌がたちました。

最初に、シルバーのキャデラックで二人が車から降りてきて、月が隠れてマイケルが
狼男に変身して、彼女が襲われる場面が、実は映画の1シーンで、ポップコーンを食べて
余裕のマイケル。映画館を出た後、黒人の彼女に、軽いステップで歌をささやくが、
あたりの雰囲気が一変し、多数のゾンビが次々と出てきて、取り囲まれる二人。
突然、マイケルの顔もゾンビに変わり、歌とゾンビたちとの息のあったステップは最高。
両手を挙げたゾンビの振り付けと踊りは、何かの席でやり、大うけでした。

同じステップは、その前のPV「ビリー・ジーン」でも見られますが、「スリラー」では、加えて
円熟かつ華麗な踊りと映像の演出の意外性と、その後の音楽ビデオに与えた
多大な影響力は計り知れません。また、独創的な「ムーンウォーク」は格好よくって、
真似しようとチャレンジしましたが、難しくて断念。

13分を超える映像と、最後に不気味に笑う、彼の眼の金色のコンタクトと、不気味なのに
可愛い感じの微笑み。ナレーションの低音の笑いは、耳に残り、
怖いもの見たさの人間の心理を上手く憑いたもので、当時はビデオが無かったので
なぜか、深夜が多かったのですが、テレビのチャンネルを回して、映っていたときは、
途中でも、ずーっと観ていて、満足していました。

彼が、20代で世界的に成功し、大富豪になっていたことは後に知りましたが、
「スリラー」のときの怖さの中の愛くるしい表情と、華麗なステップのPVは、今、見ても
「素敵で革命的ともいえる」内容です。

彼が、ロンドン公演を7月に行う直前に亡くなったのも、
神様の運命みたいなものを感じずにはいられません。

追悼式での有名歌手による「we are the world」の大合唱は、希望を持って
未来に望む、ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソン作の、世界中に
呼びかけた歌は、本当の意味の「地球は一つ」を象徴していて、
みんなで歌って、協力して地球を救うというメッセージは、、現実の世界でも
「環境問題」などにも、改めて必要なんだなと痛感しました。
また、長女の「パパは最高でした」という言葉は、いろいろなゴシップで
マイケルの印象は、変人扱いでしたが、娘を持つ同じ父親として
マイケルの優しい一面を見れて泣けました。
家の娘は、「あれは、セレモニーなので誰かの演出だよ」と言ったので
「そんなことは無いよ、親になればわかるよ」と反論しました。

7月早朝のNHK総合でも、追悼特集で、彼の偉業が紹介されましたが、
訴訟事件など、変人という見方も否定はしませんが、ある意味、マスコミによる
スーパースターが故の、束縛や悩みが死を早めたのかも知れません。
世界中から、彼の一挙手一投足が注目され、人間としての評価は難しいところも
ありますが、音楽業界での活躍、業績は不滅です。

マイケルの死の一週間前に、高画質の「スリラー」のPVを見つけ、
パソコンの「お気に入り」に入れたばっかりで、ニュースが流れたのも何かのスリラー......。

毎晩、マイケルの動画や歌を聴いて、
ある意味、自分の若かりし頃の古きよき時代を思い浮かべています。

マイケルよ、永遠に!
                                                                                        マイケルの一ファンより

昨日、七夕(7/7)は、朝から電車に乗って、F診療所へ、聴力検査および診察へ出かけました。
8時17分の京成大久保駅から一つ乗り換えて電車で揺られること30分。
駅に着いて歩くこと10分で目的地に着きました。
 
昨年の3月から、ずーと、耳鳴りが続いていたので、診てもらうついでに、
聴力検査もしてもらいました。
結果は、同年代の人より、良く聞こえているそうで、「耳鼻科の範囲では
無いようです」と担当医から言われ、「でも、耳鳴りが聞こえてわずらわしい」と話したところ、
「あまり、気にしないことですね、年をとってくると多かれ少なかれ出て来るんです」とのことで、
結局、去年の診断時と変わらない状況で、
「まぁ、仕方ないか。大きい病院へ行くのも面倒なので」様子を見ることになりそうです。
 
帰り際に、受付で整形外科の予約を聞いたところ、早くて今月の24日と言われ
どうしようかと悩みましたが、検査は早いほうが良いと判断。
 
ちょうど、この日は、午後に整形外科があり、予約無しと予約の両方が受診できると
受付の人が言われたので、午後の2時の診察を受けるべく、
これ、幸いとばかり、腰痛がすっきりしないので「MRI検査」を受けられると聞いて
10時30分頃に終わった耳鼻科のあと、診療所のレストランで12時まで昼食と喫茶していました。
機械で受付をする関係で、午後は1時30分から受付開始。
 
当然、予約無しの1番の番号で「パズル誌」を解きながら待機していました。
 
時間になって、予約無しの1番で手続きをしようと診察券を入れたところ、
午前の耳鼻科の受診の登録があって、本日、2回目ということで、機械では手続きできずに、
受付の方が手続きをして、「整形1番」という書かれた紙を渡され、
それを問診表と一緒に整形外科の窓口に提出。
 
ちょっと、いやな予感がしました。
 
2時から、先生が来て、受診開始と相成りました。予約の患者様が優先みたいで
1時間がたっても呼ばれません。こんなに待たせるのなら、全部、予約にすれば
良いのにと感じました。あとで待っていた人も、同じ言葉を口走っていました。
 そのうち、私の後ろの番号の人が、看護師に「レントゲンを先に受診してください」と
次々に呼ばれていったのです。
 
「まぁ、私はMRI希望なので仕方が無い」と思っていました。
 
また、1時間ぐらいした時です。看護師に呼ばれ、「何と、レントゲンを受診してください」と。
「MRIは医師の診断後で、当日の急な検査はできない」と。
 
受付が話した内容と違うので、「何とかならないか」と聞きましたが、ダメでした。
 仕方なく、レントゲンを撮ったあと、また待っていました。
 
それでも呼ばれないので、とうとうシビレをきかし順番を聞いたところ、「もうじきです」と。
そして、言った次に、間髪を入れずに呼ばれました。
「偶然か、それとも1番の紙を忘れ、カルテの順番を間違えたか」真相はわかりませんが
何のために2時間も前に並んで1番をとったのか、意味がなくなりました。
 
また、診察は3分で終わり、「"MRI"も手術をする時で良い」と言われ、こちらの
病状の心配を払拭できませんでした。
 
それにしても、病院等の待ち時間は長すぎます。医療費の負担も高く
当日、処方薬をもらわないのに、5,000円以上がぶっ飛びました。
 
家に着いたのが午後5時。9時から5時まで、一日、働いていた時間と同じとは?
また、所内は冷房が効き過ぎて、だるさと疲れと、時間のムダが残る一日でした。
美術館めぐりの翌日、6月28日(日)のことでした。

女房と娘が、娘の進学校のオープンキャンパスに出かけて帰ってきた時、
外は雨がしとしと。駅まで、行きは自転車で行ったのですが、濡れるのは
嫌だと言ったのと、買い物をして荷物を持っていたので、
今年の2月に運転免許を取ったばかりの、初心者ホヤホヤの息子を呼び出し、
迎えに来るようにとの電話を受けました。本人は、自家用車が3回目の運転です。

私は、電話は聞いてませんでしたが、何気なく出かけようとする息子に
「一人で大丈夫か?」と言って、不安なので助手席に乗って少しでも不安を
取り除いてやろうと、待ち合わせ場所まで同乗し、運転のアドバイスをしました。

ただし、自分は免許を持っていますが、ここ十数年、ペーパードライバーです。
運転をしないので、ゴールドカードですが、名目だけの優良ドライバーになるのかも?

待ち合わせ場所が、スーパーの裏で狭い道幅の道路で、自分の前にも停車の車があり、
ちょっと嫌な予感が走りました。妻と娘が来て、妻が助手席の私と変わって、
息子が発信しようとした時です。こちらが駐車していて、発信の合図で出た瞬間、
相手の車が私たちの左前方手前の駐車場に車を入れようと、
いきなりスピードを落とさず、バックで突っ込んで来たのです。

自分の車の右横はグシャッとへこみ、相手がびっくりして出て来たのは、
40代のおじさんですが、私たちの車の位置を、全然、確認しなかったことが、あとでわかりました。
ぶつけられて、へこんだドアを見て、ショックを受けました。
幸い、こちらは誰一人として、ケガはなかったのですが...
(私は、頭に毛が無しですけれど)。

向こうは、調子が良くて五分五分の責任で保険会社に調停するようにいわれ、
同意しましたが、警察を呼んでもよかったのかな、とも思いました。

女房も私も、子どもが初心者だったので同意しましたが、トラウマにならないか心配です。
これから注意して、いっそう安全運転になると思います。

そういう意味で、本当に何事も予想できないことと、事故は紙一重で、
そこに相手の駐車場が無ければ良かったのと、雨で窓を開けずに、
後ろと前だけは確認したのに、反対車線の車のバックは予想できなかったことが不運でした。

保険に入っていたので良かったのですが、保険会社同士で決着する際、
五分五分の責任は、ありえないと思います。

〔田舎の村祭り〕
そんなこったで、7月4日(土)は、女房の実家にへこんだ車で帰りました。

ちょうど、村のお祭りでしたが、神輿を、広場まで、かついで来るのではなく、
車に積んで運んできて、そこで村の若い衆や子どもたちがそれぞれ
かつぐといった光景で、昔の豪快な勢いのある、元気な姿は影を潜めていました。

それでも、今年は開催されただけマシな方です。ここ2〜3年は、
若い人が集まらず、かつげなかったそうです。地方の過疎化と、少子化が進んだ証拠です。

おばあちゃんは、ちょっと耳が遠いので、お祭りがテレビよりも大好きで
休憩時間も含めて、1時間もじっと見ていて、楽しんでいました。

祭りは、夏や秋に開かれるのが多いのですが、
千葉県香取市小見川町の五郷内は時期が早いのです。
梅雨時期なのに、雨が降らずに、超ラッキーでした。

実家は農家なので、21年前(7月9日が結婚記念日で〜す、もうすぐ。)から、
米は市販のものは食べていません。いつも、もらっています。
また、季節の野菜も、二人では食べ切れないので、帰りの車はいつもいっぱいです。
帰って、近所にも分けています。

でも、おじいさん(88歳--喜寿)、おばあちゃん(86歳)と高齢です。
のんびりした田舎で過ごしているので、長生きしています。
危ない時期もありましたが、今は何とか生活しています。
病気が心配なので、毎月、一日は、妻と見に、実家に帰っています。

おかげで、新鮮な野菜と、おいしい米が食べれます。
ありがとう。
私が、パズルを本格的に始めたのは、2006(平成18)年8月からです。
それまでも、雑誌や新聞の片隅にあった問題を何気なく解いていたのですが、
別に投書することもなく、漫然と、できるところだけ解いて、
あとはそのままという状態。暇つぶしにちょっとという感じでした。

たまたま、2004(平成16)年夏に、心臓の弁膜手術を受けました。
急死に一生を得る状態で船橋二和病院に入院中で、ベッドに寝ているだけではつまらないので、
病院の売店でパズル誌を一冊買ってきて、解き始めました。

時間があったのと、病院外に出られないせいもあって、集中できたのです。
しかし、結局、1冊全部は解けず、中途半端になって、「やめーた」......。
結構、難しかったのと、いいかげんだったのかも。

そのときの中途半端な解きかけの1冊を、本棚に残して2年近くが過ぎました。
本を整理していたとき、病院で買ったパズル誌が目にとまり、早速、
やって見たところ、意外にもほとんど解けたのです。

当時、パズル誌は書店の本棚にも、そう種類もなく、現在のパズル誌の
多様な種類は想像できませんでした。

それに味をしめた小生は、負けず嫌いの性分がむらむらと立ち上がり、
書店で3冊(漢字ナンクロ、ナンクロ、数ドク)を購入。

その日から、趣味にパズルが加わり、ジグゾーパズル(500〜1000ピース)
も含めて、解く楽しみに、はまったという感じです。

現在、パズル誌の方は、紆余曲折はありましたが、毎月、『ナンクロプレゼント』
(ペーパーハウス発行)1冊におさまりました。

一時期は、はまりすぎて、深夜遅くなったり、通勤時の電車でも解いていましたので
視力と、疲れがとれなくなり、しかし、おもしろいのでやめられない。
子どものファミコン状態でしたが、最近は、アウトスポーツをやる関係で少なくしました。

ただ、この『ナンクロプレゼント』は、毎号定期購読して、全問正解を
2006(平成18)年11月号から継続中で、名前が毎号誌面の一行に
載っていて、それを励みに難問にも立ち向かって毎日、2時間は格闘中です。

翌月の解答の締め切りはありますが、大体、10〜15日で終わってしまいます。

パズルの解き方で、これまで解ったことは、どんな問題でもヒントはあるので
それをさがして、あきらめないことです。
あと、解けずにとまったときは、しばらく頭を休めて解くことが正解のコツです。

また、最初に「ン」をさがし、ただし高度な出題者はいじわるで入れないのですが、
9割以上は「ン」が入り、そこから言葉がひらめきます。

「イ」「ウ」の母音は、一番多いので、その言葉から導き出せます。
それから「カ」「キ」「シ」「ツ」「リ」を見つけ、出題頻度の多い言葉を覚えれば
大抵の問題は解けますよ!

「ホワイトナンクロ」といって、マスに黒色が無いものもありますが、必ず、
慣用語が入っているので、よく考えて正解を見つけてください。

中高年の皆さん、「頭の体操」には、とても良いですよ。
どんなパズル誌でも結構ですから、自分に合ったものにチャレンジしてみては?

応募すると懸賞付ですので、何か当たるかも? ちなみに、小生は、
現金1万円が1回とテレホンカードが3回、そしてボールペンが5回当たりました。
長くやっていると、ときには良いこともあるのですね。

もし、同じ趣味をお持ちで、解らないことがあったら聞いてください。一緒に考えますよ。
今日も起きて空を見るとどんより。しとしとと雨が降り続く関東地区。
九州地方などでは、大雨で被害続出のニュース。

月もあらたまり、いよいよ7月に突入。梅雨が明けると、灼熱の太陽が降り注ぐ暑い夏。
風をきって走るチャリは「自然扇風機」。運動不足解消にもなりますが、暑さ対策も万全に。

昔の湘南ボーイも、今では7月5日が来れば、57歳。あぁー、年とったなー。
なんて言ってっていられないので、7月1・2の両日、幕張メッセのそばを
自転車(ちゃリンコ)でサイクリング。

ちょうど、そこへ3人乗りの自転車。2人の子どもを乗せたママチャリが、
何ともさっそうと走って来たではありませんか。

その光景に、しばしMyチャリを止めて傍観。そういえば、今日から3人
乗りが,道路交通法でOKになったはずと思い、偶然とはいえ、興味津々でした。

ちょっと、横から見た限りでは、前の座席が大きいかなという感じ。
重心の取り方が難しそうで、自転車を止めるときと子どもを降ろすとき、
ひっくり返らないかと、心配になってしまいました。

少子化社会では、今後、日本の人口も減っていくので、2人の子どもを
乗せられるので歓迎はしたいのですが、需要は伸びるのかと、
自転車の安全面が大丈夫なのかな?と、思ったしだいです。

ふと、若い頃、娘を前に乗せて、今は無いJRと京成線の幕張駅の
「通称、開かずの踏切」で、降りて押して渡っていた途中で、
警告のカンカンという音に、あわてて行こうとした時、チャリをひっくり返して
当時、5歳の娘を線路に投げ出した記憶が甦りました。

その時は、踏み切りの中のできごとで、それこそ「やっちまったなー」と
顔面蒼白。あわてて踏み切りの外へ...。幸い、娘はケガ一つ無く、一安心。

そのことがあってから、すぐに自転車屋さんで後ろにちゃーんと座席を
取り付け、安全に走行しました。前の買い物カゴで代用してはダメですね。
でも、1年ぐらい乗せて、その自転車はお役目ご苦労さんになり、
以後、わが家では4人とも1台ずつになり、
今では、通学、買い物などちゃリンコは欠かせません。

4台の中で、Myチャリは、歩道でカギを掛けずにいても、絶対、盗まれません。
黒い車体に、錆びた車体で、見るからにボロで、年代物です。ちょうど
10年ぐらい乗りましたか?カラ自慢です。

子どもたちには、乗ってもいいよ、と言っても「格好悪い」と言って、誰も乗りません。
本当に「Myチャリ」になってしまいました。

まだ、ちょっと左足が痛いので、市内に買い物や用事に行くときには「私の足」になっています。

"おんぼろ自転車"でのサイクリングも、また、楽し。

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