沖縄、北海道を皮切りに、91回目を迎える甲子園の熱い夏がやって来ました。
ちょうど、千葉県も7月10日(金)から、177校が、たった1校の県代表の
イスをめぐって、激闘を繰り返し、晴れの甲子園出場をめざします。
昨年は90回の記念大会なので、2校出場できましたが、今年は1校ということで、
昨年にも増して、トーナメントの難しさで、一度も負けられない戦いになります。
昨日は、大分の柳ヶ浦高校の野球部の生徒を乗せたバスが事故を起こし、部員
1人が死亡し、大勢がケガをして、痛ましい事故が報道されました。
甲子園出場をかけて練習を続けてきた野球部員の気持ちを考えると
かわいそうで複雑な思いです。関係者や家族の方は、なおさらでしょう。
さて、私は習志野市に住んでいて、ただいま、スポーツ指導員をめざしていますが、
そのきっかけを与えたくれた方が、習志野市のスポーツ振興協会の石神さん。
その彼が、昨年の4月から、市立習志野高校の野球部のコーチを、仕事のかたわら
指導しています。毎晩、帰宅は午後10時過ぎだそうです。
彼は、スポーツが盛んな市立船橋高校野球部時代、野球部に所属しキャッチャーで4番で
準決勝まで進出した経験の持ち主であったことを、しばらくして、知りました。
現在でも、スポーツマンで優しくてとても好感の持てる男性です。
土日返上で練習した結果、見事、今春、選抜出場を果たしました。部長や監督の
名前は野球部紹介には載りますが、私は、仕事と両立させて、影の功労者だと尊敬しています。
今夏は、「激戦区」で一応優勝候補に名前があがっていますが、野球はやってみないと
わかりません。最後の1球で、勝敗がひっくり返ったこともあります。
最後の決勝戦まで、残ってくれるよう、祈るだけです。「習志野高校、頑張れ!」
決勝戦だけは、幕張の「千葉マリンスタジアム」に毎年、欠かさず行っているので
その勇姿を見せて欲しいものです。
予選は、現在は、便利なパソコンでの試合結果情報と、千葉テレビの放送で応援します。
高校野球がこんなに続くのは、選手たちの全力でのひたむきなプレーを通じて
観てるものにさまざまな感動と勇気を与えてくれるからです。
勝負には、必ず敗者が存在しますが、大人の世界とは違う、純粋さにより、
敗者にも健闘の拍手が送られ、讃えられます。
最後に、
長い歴史の中には、伝説にもなる試合、監督、選手、投手がいて
江川卓、清原和博、桑田真澄、松坂大輔などは記憶に新しい。
千葉では、長嶋茂雄、掛布雅之をはじめ、現役の巨人の小笠原、西武の石井(一)、
広島の長谷川(昌)、千葉ロッテの唐川...。
私が高校野球に魅入られたきっかけは、現在、野球評論家の
平松政次氏(県立岡山東商業→日本石油→大洋ホェールズに入団)が、
1965年春の選抜大会で決勝で1点をとられるまで、39イニング無失点記録を続け、
傷つきながらも一人で投げぬき、優勝インタビューで号泣したシーンを観たとき、
感動して一緒に涙したときからです。
その後、プロではケガが多く、打たれ弱いことから「ガラスのエース」と
呼ばれていましたが、「カミソリシュート」を武器に、打倒巨人で
通算200勝も達成しました。「平松」を追いかけて「横浜球場」でも
紙ふぶきを作ってチームの活躍にばら撒き、球場職員の清掃を増やす
ファンでした。近年は、最下位を独走し、情けない限りです。
また、茨城県で生まれた私が、初めて県勢を、名将木内監督が率いて県立取手二高
が全国優勝したとき、万歳三唱と感涙にむせんだことを覚えています。
木内監督はその後、私立常総学院で監督最後の年に、再度優勝し
私の期待に応えてくれました。引退後、要請により、再度監督になり、
今夏も甲子園をめざしています。その情熱には頭が下がります。
人生にも、勝ち・負け組という言葉がありますが、夢を追いかけて
ひた走る青年期の息吹きをいつまでも忘れず、何事にも「チャレンジ精神」
で立ち向かいましょう。
そこには、小さくても必ず達成感が生まれることを信じて...
ちょうど、千葉県も7月10日(金)から、177校が、たった1校の県代表の
イスをめぐって、激闘を繰り返し、晴れの甲子園出場をめざします。
昨年は90回の記念大会なので、2校出場できましたが、今年は1校ということで、
昨年にも増して、トーナメントの難しさで、一度も負けられない戦いになります。
昨日は、大分の柳ヶ浦高校の野球部の生徒を乗せたバスが事故を起こし、部員
1人が死亡し、大勢がケガをして、痛ましい事故が報道されました。
甲子園出場をかけて練習を続けてきた野球部員の気持ちを考えると
かわいそうで複雑な思いです。関係者や家族の方は、なおさらでしょう。
さて、私は習志野市に住んでいて、ただいま、スポーツ指導員をめざしていますが、
そのきっかけを与えたくれた方が、習志野市のスポーツ振興協会の石神さん。
その彼が、昨年の4月から、市立習志野高校の野球部のコーチを、仕事のかたわら
指導しています。毎晩、帰宅は午後10時過ぎだそうです。
彼は、スポーツが盛んな市立船橋高校野球部時代、野球部に所属しキャッチャーで4番で
準決勝まで進出した経験の持ち主であったことを、しばらくして、知りました。
現在でも、スポーツマンで優しくてとても好感の持てる男性です。
土日返上で練習した結果、見事、今春、選抜出場を果たしました。部長や監督の
名前は野球部紹介には載りますが、私は、仕事と両立させて、影の功労者だと尊敬しています。
今夏は、「激戦区」で一応優勝候補に名前があがっていますが、野球はやってみないと
わかりません。最後の1球で、勝敗がひっくり返ったこともあります。
最後の決勝戦まで、残ってくれるよう、祈るだけです。「習志野高校、頑張れ!」
決勝戦だけは、幕張の「千葉マリンスタジアム」に毎年、欠かさず行っているので
その勇姿を見せて欲しいものです。
予選は、現在は、便利なパソコンでの試合結果情報と、千葉テレビの放送で応援します。
高校野球がこんなに続くのは、選手たちの全力でのひたむきなプレーを通じて
観てるものにさまざまな感動と勇気を与えてくれるからです。
勝負には、必ず敗者が存在しますが、大人の世界とは違う、純粋さにより、
敗者にも健闘の拍手が送られ、讃えられます。
最後に、
長い歴史の中には、伝説にもなる試合、監督、選手、投手がいて
江川卓、清原和博、桑田真澄、松坂大輔などは記憶に新しい。
千葉では、長嶋茂雄、掛布雅之をはじめ、現役の巨人の小笠原、西武の石井(一)、
広島の長谷川(昌)、千葉ロッテの唐川...。
私が高校野球に魅入られたきっかけは、現在、野球評論家の
平松政次氏(県立岡山東商業→日本石油→大洋ホェールズに入団)が、
1965年春の選抜大会で決勝で1点をとられるまで、39イニング無失点記録を続け、
傷つきながらも一人で投げぬき、優勝インタビューで号泣したシーンを観たとき、
感動して一緒に涙したときからです。
その後、プロではケガが多く、打たれ弱いことから「ガラスのエース」と
呼ばれていましたが、「カミソリシュート」を武器に、打倒巨人で
通算200勝も達成しました。「平松」を追いかけて「横浜球場」でも
紙ふぶきを作ってチームの活躍にばら撒き、球場職員の清掃を増やす
ファンでした。近年は、最下位を独走し、情けない限りです。
また、茨城県で生まれた私が、初めて県勢を、名将木内監督が率いて県立取手二高
が全国優勝したとき、万歳三唱と感涙にむせんだことを覚えています。
木内監督はその後、私立常総学院で監督最後の年に、再度優勝し
私の期待に応えてくれました。引退後、要請により、再度監督になり、
今夏も甲子園をめざしています。その情熱には頭が下がります。
人生にも、勝ち・負け組という言葉がありますが、夢を追いかけて
ひた走る青年期の息吹きをいつまでも忘れず、何事にも「チャレンジ精神」
で立ち向かいましょう。
そこには、小さくても必ず達成感が生まれることを信じて...
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