昨日、7/12の日曜日は、都議選。結果は、自公の与党の過半数割れで、
民主党の第1党で大躍進という結果でした。
そんな都議選を尻目に、千葉県民の私の方はというと、高校3年生
になる娘の通っている、T高校の年1回の父母懇談会に、妻と一緒に行ってきました。
定例の父母会は、毎回、教室で開催されますが、昨夜は居酒屋を
利用しての懇親会で、これは昨年からスタートしたのです。
早いもので、娘も高校3年生(昔は、舟木一夫が制服で歌った、あの、
あぁ〜高校三年生が思い出されます)になり、いよいよ、進路を決定する時期なんですね。
幸い、「栄養士になりたい」という希望でしたので、先月末に、いま通っている
高校の近くの栄養科のある短期大学のオープンキャンパスに参加したのと、
今月中旬に専門学校を見学した後、どちらに行くかを本人が決めることになります。
今後、どうなるかは不安もありますが、本人の頑張りに期待しています。
ちょっと、本題と、はずれてしまいましたが、「偶然とは、こんなもの?」という
のは、居酒屋での会話での出来事です。
みんな、ほろ酔い気分で、気持ちの良くなってきた頃、あらかじめ決められた席は、
父親、母親が交互に混じっていましたが、そのうち、父親と母親のグループに席が移動となり、
私も、男性なので他の父親たちと酒をつぎ交わしていました。
進路についてのそれぞれの情報交換のあと、
ちょうど上映中の「剱岳」という映画の話題になり、ある方が、ワンダーフォーゲル
部の出身で、山登りのベテランで、奥さんも同じワンゲルで知り合ったという話があり、
「実は、ハトちゃんも40代に苦労して、踏破し、頂上で感激したことがある」と話したところ、
そのご夫婦は、中央大学の法学部の出身だということがわかりました。
同じテーブルにいたN氏は、間髪を入れずに、
「私も中央の法です」と。1年後輩で、ラグビーをやりながら「エセ山岳会だった」と暴露したのです。
あとで、名物教授の話題で、盛り上がっていました。
その隣の方が、続いて「私は明治の山岳部だった」と。
私は「まぁ、今年、大学の事務職を選択定年でやめたんですけど、若い頃、山登りは金はかからず、
目標をクリアーする達成感に病みつきになった」と。
たった、4人の偶然の隣り合わせの出会いは、
受験雑誌でいうところの[MARCH]の、それも学年も最大で4年しか違わず、
大学へ通った駅も隣り合わせという、本当に偶然とはあるものですね。
自己紹介が無ければ、何もわからずに、ただの隣りの人という感じなのに。
やはり、出会いがあり、何事も話して(発信)行かなければ、何かが起こらないのですね。
われわれは、同じ時代を生きてきた妙な仲間意識を持って、昔の話
(山、学生時代、受験勉強、人生論など)、学生時代に戻った気分で、それぞれ熱弁し、
「子どもの進路に、親父のできることは何か」という話にまで発展し、
「親父の会」を作ることになりました。
閉会の時間を超過し、やっと、お開きになり、私と妻が居酒屋を出ようとした、そのときです。
奥さん方の話で、3人の方がそこにいて、同じ3年生の知っている奥さんが、
妻に、「3人で同窓会を作るんですが、入りませんか。何年生まれ」と聞いてきました。
「酉年生まれの昭和32年です」と答えた瞬間。皆さん、同じ年の"酉年"とわかり、意気投合。
携帯電話のアドレスを送って登録。
妻は、アドレス交換するのに、赤外線とカメラの操作を間違えて、やはり、機械に弱い世代を露呈。
5分ぐらい、奮闘してアドレスをゲット。
それにしても、偶然というのは起こるんですね。また、それが人生かも。
もっと早く知っていたら、とも思いました。
偶然の出会いに、酔いしれて、家路に着きました。
民主党の第1党で大躍進という結果でした。
そんな都議選を尻目に、千葉県民の私の方はというと、高校3年生
になる娘の通っている、T高校の年1回の父母懇談会に、妻と一緒に行ってきました。
定例の父母会は、毎回、教室で開催されますが、昨夜は居酒屋を
利用しての懇親会で、これは昨年からスタートしたのです。
早いもので、娘も高校3年生(昔は、舟木一夫が制服で歌った、あの、
あぁ〜高校三年生が思い出されます)になり、いよいよ、進路を決定する時期なんですね。
幸い、「栄養士になりたい」という希望でしたので、先月末に、いま通っている
高校の近くの栄養科のある短期大学のオープンキャンパスに参加したのと、
今月中旬に専門学校を見学した後、どちらに行くかを本人が決めることになります。
今後、どうなるかは不安もありますが、本人の頑張りに期待しています。
ちょっと、本題と、はずれてしまいましたが、「偶然とは、こんなもの?」という
のは、居酒屋での会話での出来事です。
みんな、ほろ酔い気分で、気持ちの良くなってきた頃、あらかじめ決められた席は、
父親、母親が交互に混じっていましたが、そのうち、父親と母親のグループに席が移動となり、
私も、男性なので他の父親たちと酒をつぎ交わしていました。
進路についてのそれぞれの情報交換のあと、
ちょうど上映中の「剱岳」という映画の話題になり、ある方が、ワンダーフォーゲル
部の出身で、山登りのベテランで、奥さんも同じワンゲルで知り合ったという話があり、
「実は、ハトちゃんも40代に苦労して、踏破し、頂上で感激したことがある」と話したところ、
そのご夫婦は、中央大学の法学部の出身だということがわかりました。
同じテーブルにいたN氏は、間髪を入れずに、
「私も中央の法です」と。1年後輩で、ラグビーをやりながら「エセ山岳会だった」と暴露したのです。
あとで、名物教授の話題で、盛り上がっていました。
その隣の方が、続いて「私は明治の山岳部だった」と。
私は「まぁ、今年、大学の事務職を選択定年でやめたんですけど、若い頃、山登りは金はかからず、
目標をクリアーする達成感に病みつきになった」と。
たった、4人の偶然の隣り合わせの出会いは、
受験雑誌でいうところの[MARCH]の、それも学年も最大で4年しか違わず、
大学へ通った駅も隣り合わせという、本当に偶然とはあるものですね。
自己紹介が無ければ、何もわからずに、ただの隣りの人という感じなのに。
やはり、出会いがあり、何事も話して(発信)行かなければ、何かが起こらないのですね。
われわれは、同じ時代を生きてきた妙な仲間意識を持って、昔の話
(山、学生時代、受験勉強、人生論など)、学生時代に戻った気分で、それぞれ熱弁し、
「子どもの進路に、親父のできることは何か」という話にまで発展し、
「親父の会」を作ることになりました。
閉会の時間を超過し、やっと、お開きになり、私と妻が居酒屋を出ようとした、そのときです。
奥さん方の話で、3人の方がそこにいて、同じ3年生の知っている奥さんが、
妻に、「3人で同窓会を作るんですが、入りませんか。何年生まれ」と聞いてきました。
「酉年生まれの昭和32年です」と答えた瞬間。皆さん、同じ年の"酉年"とわかり、意気投合。
携帯電話のアドレスを送って登録。
妻は、アドレス交換するのに、赤外線とカメラの操作を間違えて、やはり、機械に弱い世代を露呈。
5分ぐらい、奮闘してアドレスをゲット。
それにしても、偶然というのは起こるんですね。また、それが人生かも。
もっと早く知っていたら、とも思いました。
偶然の出会いに、酔いしれて、家路に着きました。
コメントする