2011年1月アーカイブ

1月29日(土)は、新京成の健康ハイキングの後、筋トレに行って帰ってきた途端、仕事の妻が珍しく家に帰って来ていました。小生が門に入るやいなや、妻の母が脳梗塞で倒れて救急車で、病院に担ぎ込まれたということになり、急遽、車をとばしてまず実家に向かうことに......。

高速の途中で、病院から電話があり、状況報告とこちらの病院到着時間の連絡がありました。車内で頭をよぎったのは、実父が、9年前に同じ脳梗塞で倒れ、意識不明のまま、治療の甲斐も無く、2ヵ月余りで他界したことです。

そのことが頭をよぎり、居ても立ってもいられない状態で、実家に着きました。90歳になったおじいさんが同居していたので、とりあえず、妻が義兄と甥と連絡を取り、先に病院に直行して病状を電話で、小生の方に知らせるようになりました。

一命は取り留めたものの、片側マヒ、および言語が不自由になりそうだとのこと。妻が付き添って、看病しています。一昨日の27日は、夜、妻ともしゃべっていたし、朝方は小生とも話していたのに。

毎月、両親が高齢のため、二人で様子を見に行っていたのに、非常に残念です。

小生は、1月2日に行ったきりで、この間、風邪等で体調を崩したり、ウォーキングイベントがあったりで、「2月に入ったら、早速、実家に行こう」と妻とも話していたところでした。

そういうわけで、今後の義母の状況で、自分の行動も変化して来ると思います。

今年最初の月のブログの締めくくりは、ウォーキングにしようと計画していましたが、残念ながら延期になってしまいました。「一寸先は闇」とはよく言ったもので、何事もやれるときにやっておかないと、何が起こるかわからないのが人生なんですネ。

寒いながらも好天に恵まれた1月29日(土)、第31回新京成沿線健康ハイキング(約2700名が参加)が開催され、ハトちゃんも元気に参加しました。今回で、6回目の参加となりました。このハイクに参加すると、とてもカラフルな記念バッチがもらえます。

高根公団」駅には、10時からの受付でしたが、15分前に到着。すでに駅構内には、多数のハイカーが。昨年、一人で歩いたコースの逆を行く形で、「新高根5丁目公園」で受付をすませて、9時50分にスタートしました。今回は13kmと、かなりの長丁場。前日も歩いていたので2日連続のウォーキングとなりました。

皆さんのあとに続いてしばらく歩いて行くと、突然、工事中で道が通れずハイカーの渋滞に。思わず、ハトちゃんは声を上げてしまいました。すると、前にいた方が、振り返って、「どこかで聞いた声が」と。何と、新京成電鉄広報課の小川さんでした。主催者側で、いつもお世話になっている方で、今回は、カメラをぶら下げて『社内報』の取材とのこと。高根公団団地内の「リブレ京成」まで、話をしながら、同行させていただきました。

そこで、取材の邪魔にならないように小川さんと別れて、先に行きました。やっと、最初の目的地の「観行院」(10:10)に到着。境内内にある四国霊場を巡拝したのと同じ功徳をいただけるという「お砂踏み」を、 DSC02101.JPG人の後に続いて経験し、本堂に礼拝して先を急ぎました。

そこからは、畑の田園風景が続き、少しスピードをあげて、国道船取線を横切った後、「船橋運動公園」(10:30)へ。ここには、陸上競技場、野球場、テニスコート、体育館などがあり、トレーニング中の人や散歩をしている人を見かけました。スタートから半分を超えた7km地点です。

DSC02108.JPG休憩後、「奈良養鶏園」を左手に見ながら、「馬込霊園」(お墓が並んでいた)の入口から、端の方を通って、北谷津川のほとりに広がる里山風景を楽しみながら、樹木が茂っている「金杉市民の森」(11:00)内へ(約10km)。落ち葉の絨毯 DSC02121.JPGを踏みしめながら、森林浴を満喫した後、金杉台公園から「公団金杉台団地」のバス道路を下って、また登って「公団金杉台団地」の児童ホームを右折。

小生は、娘がお世話になっている先生の住居がこの先300mぐらいだったので、寄って見ましたが、あいにく不在だったので、コースに戻りました。坂を下って少し歩くと、ゴールの「御滝不動尊」が見えて来て、境内内の雑木林を進み、境内の階段を登った上の本堂前でゴール受付をしました。高野太鼓の皆さんの実演も披露されました。

DSC02138.JPG「観行院」を過ぎたあたりからペースが上がり、ゴールは11時30分。かなりのハイペースで汗ビッショリでゴールしました。船橋の緑豊かな田園風景と、丘陵地帯を散策できた貴重な一日となりました。

帰りの際、不動尊横の「御滝公園」広場で給水、休憩して、駅への道すがら出会ったハイカーのおばさんと、互いの健闘を話しながら、「滝不動」駅から、新京成の電車で帰宅しました。

他の鉄道では記憶にありませんが、行きの電車も車内アナウンスがありましたが、帰りの電車では「お疲れ様でした。またのご利用をお待ちしています」という車内アナウンスが流れ、とても癒されて好感が持てました。

昼食後、多少疲れていましたが、チャリンコで「東部体育館」に出かけ、恒例(毎週2回以上)の筋トレをしました。

「ゆうほ(友歩・遊歩)21」では、前回の市外「東京スカイツリー&浅草初詣」に続き、28日(金)に、習志野市内のウォーキングを行いました。新年会の賑やかさに比べ、今回の参加者は先生を含めて、11人。

 

空気が冷たいことや、インフルエンザの影響からかマスクをする参加者も。9時30分に京成「津田沼」駅に集まったメンバーは、神田先生の案内で、既定のコースとは違った道で、まず「久々田公園」へ。ここで、先生から津田沼とこの地の地名の由来[津田沼が谷津(やつ)、久々田(くぐた)、鷺沼から、末尾の漢字一字ずつ取出してくっつけた]ことを聞きました。さらに、昔の漁師町の面影の残る細くて DSC02062.JPG狭い路地を抜けて国道14号に抜けました。また、「袖ヶ浦公園」では鯨のあがった話の説明文と、 鯨の模型があるのに、ビックリしました。こんな由来や漁師町があることは、小生にとっても新発見でした。さらに、1966(昭和41年)に習志野市沖合埋立事業の一期分として、埋めたてられてできた、広い袖ヶ浦団地の中を通って、高速道路の高架にある「自転車・歩行者専用道路」を昇降して、秋津ヘルスステーションのある「総合福祉センター さくらの家、社会福祉協議会」の建物に入りました。

 

DSC02076.JPGちょうど、中村会長のお母さんの「切手による作画」がある、「あじさいクラブ連合会作品展」の最終日にあたり、1階の多目的ホールで、市内各地区の高齢者の方々の、すばらしい作品(手工芸、絵画、書道、陶芸、写真など)をみんなで鑑賞しました。トイレ休憩とステーションでのスタンプ捺印後、東京湾が一望できる本日のメインである海浜コースに挑戦。和気あいあいと話をしながら進みました。

 

「茜浜パークゴルフ場」横から、海岸に出て、護岸沿いにできている芝生の散歩コースを一路、船橋方面に向かって、ひたすら歩き続けました。道端には、アスレツック用の DSC02088.JPG設置ベンチや、船を形どった置物も。海岸の左側には、幕張メッセの高層ビル群が見え、前方遠くに房総半島の山々がうっすらと見えて、海には停泊中の船や、運行船も...。市内の海岸を歩くコースは、初めてだったので、いつもの雰囲気と違って、広々としていて、とても気持ちの良いウォーキングでした。

しばらく歩くと、「東経140°通過標」の碑があり、地球が丸くて、世界の国々 DSC02092.JPGと繋がっていると言う、先生の説明に、一同、意義深く聞いていました。

そこから少し歩いて、右手奥に「東京スカイツリー&富士山」の見える地点まで。まさか、都内にある「スカイツリー」が習志野から DSC02093.JPG見えるとは。感激でした!

そこから、来た道を歩いて戻ってのですが、行きとは違って、「メッセ」がどんどん近づいて来る風景もなかなかのものでした。

帰りは、時刻が12時前となったのと、いつもより長い距離(約8km)を歩いた関係で、「市内循環のハッピーバス」で帰りました。

 

ただいま、受験生は最後の受験勉強の追い込みで、本人のみならず、家族の皆さんも大変な時期にさしかかっていることと思います。センター試験も終わり、いよいよ競馬でいう、4コーナーを回ったところです。これまでの苦労も、あと一息のところで、「天と地」との差が付いてしまう結果になりかねません。

小生は、大学事務職員を33年勤めたせいか、この時期になると、入試関係の仕事の繁忙が思い出されます。入試監督でも、受験生と対峙しました。退職前には、平成生まれの受験生に、月日の経つ速さを痛感しました。

自分が受けた経験からは、例えば国公立と私立の併願は、科目数の関係や、得意科目といった関係から、できれば、総合的に得点できるかどうかで、私立一本に絞った方が、集中して学習できるということです。

また、受験校を仮に3校とすると、志望校の日程を見て、できれば連日受験は疲れるので避けることと、まず、最初の受験校は、偏差値の低い、確実に合格できる学校を選ぶべきです。最初に、問題が易しく感じればしめたもので、次にも余裕が生まれて、比較的楽に受験に臨めて、結果もそれなりに付いて来ます。

小生は一浪して入学したのですが、とくに現役の人は、試験に呑まれるケースが見られます。個人差はあるものの、試験恐怖症や、ふだんの実力を発揮できない人もいます。「平常心」でいることは、無理でしょうが、まず、平均60点程度の合格ラインを目指して、確実な問題から解いて、ケアレスミスを少なくすることです。解っていても、間違えてしまう、独特な雰囲気があることを知っておくべきです。

近年、マークシート方式の試験が多いのですが、問題の文章の引っ掛けに注意して、あてずっぽうには頼らないこと。もし正解に、残った2つから選択する場合は、始めに直感的に正解と思った方がだいたい当たっていることが多いのが経験的に言えます。換えて失敗する場合が多い。

いずれにしても、受験は誰しも人生で1回以上、通り抜けてきた道。栄冠目指して、健康に注意して、悔いの無い「受験勉強」にしてください。

そうすれば、自分が親になったときに、きっと適切なアドバイスができることでしょう!

22日(土)は、娘の高校の父母会(卒業生&在校生)のため、妻と一緒に会場の中華料理店に出かけました。前日、筋トレで、東部体育館に行った際、風が強かったのに、帽子をかぶらずに行ったせいか、夜からちょうど風邪気味に。いつもより早めに寝ました。

22日当日、川越のウォーキングは、体調不良で取りやめ、日中も蒲団の中にいました。お腹の調子が悪かったのですが、熱もないので、何とか会場に到着。半年ぶりの再会で挨拶をしていました。

入店時から気分が悪かったのですが、校長先生の挨拶中、悪くなり、妻に「このまま先に失礼します」と言った途端、貧血みたいに気持ち悪くなり、一瞬、立ち上がれなくなりました。会は中断。

顔面蒼白になり、冷や汗が大量に出て、うずくまってしまったので、妻や会のメンバーはビックリした模様で、小生はソファーに横にさせられ、足を担ぎ上げられ「救急車!」の声が。その時点では、意識がもうろうとしていましたが「大丈夫だから」と言ったのですが、騒然としていて聞こえません。5分ぐらいして、「救急車」が来た頃には、意識ははっきりしていました。3人の救命士が車に乗せる際には、足を持つ人がいなくて、足がぶらぶらで不安定に。仕方なく、妻が支えてくれました。車を呼んでしまったので、仕方なく乗りました。

車に乗せられ、心電図と酸素量を測って、病院に当たるも、なかなか、土曜で受け入れに時間がかかり、車は発車しません。ハトちゃんは、顔色に赤みが指して、もう大丈夫でしたが、結局、近くの病院に運ばれました。寝ていて感じたのは、救急車の車内の狭さと、受入れ先の病院との連絡の遅さでした。これでは、危篤になった病人の搬送に不安がよぎりました。

病院では、脳のCT検査、レントゲンと言われましたが、自分もそれらは必要ないと思い、断わり、血液検査のみの結果、案の定、何でもないとのことで、即、帰れました。病名の説明があいまいで、来院した甲斐がないと思いました。

結果論ですが、たまたま、座席の位置が暖房の風が強く当たっていたこと、うずくまった時に、外に連れて行き、冷たい風に当たれば、救急車を呼ぶほどのハプニングにはならなかったと思います。

「無理して出席しなければ良かった」というのが、最善の策でした。

おかげで、ウォーキングや筋トレで培った自信は崩れ、会に出席した校長先生、理事長先生はじめ出席したメンバーに多大なご迷惑とご心配をおかけしてしまいました。

 

1月19日(水)、快晴の中、「JR駅からハイキング」の[オーセンティック=正統的、本格的]横濱に行って来ました。

風も無く、空気は冷たく乾燥していましたが、雲ひとつ無い絶好のウォーキング日和。朝起きて、急に行くことを決めたハトちゃんは、9時30分にJR総武線「幕張本郷」駅を出発し、津田沼で乗り換え、横須賀線に乗って、横浜駅(10:42)に到着。西口にある、受付でマップと缶バッチをもらい、ウォーク開始?と行きました。しかし、最初から、方向音痴で迷子になってしまう。通行人に聞いて、戻りましたが約20分のロス。マップを見ると、最初の立ち寄り所の、「馬車道」は根岸線の「関内」駅前。思い直して4km(1時間)を省略して、電車に乗って「関内」へ。

約20年ぶりの「横浜」は、結構、街並みが変わっていました。「馬車道」を港方面に進んで、関内ホールへ。その前に、日本で最初のガス灯がありました。 DSC02017.JPG  本町4丁目の交差点を右折し、歴史のある建物が左右に立ち並ぶ街並みを写真を撮りながら観て歩く。

マップの2番目の通過場所の「日本新聞博物館」に入館。入口に、巨大な印刷輪転機 DSC02024.JPGが出現。新聞の歴史や貴重な資料(年代別)が展示されていて、活字の好きな小生には貴重な鑑賞に。ちょうど、「2010 報道写真展」が開催されていて、昨年のワールドカップ、サッカーの日本チームの激闘や、冬季オリンピックの浅田真央の演技や表情など、迫力ある決定的瞬間の写真が並んでいてつい魅入ってしまいました。

隣の「横浜都市発展記念館」も興味があって、立ち寄り、そこで特別展「モダン横濱案内」で、ハマッ子、横浜の「モダン」な都市の賑わいをはじめ、昭和初期以降の日本のモダンな文化の発信地としてのファッション・音楽・百貨店・映画などが、紹介されていました。山下公園からの帰り道に、姉妹館の「開港資料館」に行って、「ときめきのイセザキ140年」伊勢崎界隈の諸相も観て来ました。

だいぶゆっくり鑑賞していたので、急ぎ、チェックポイントの開業50周年を迎えた「横浜マリンタワー」へ。 DSC02035.JPGすぐそばにある「横浜人形の家」に立ち寄る。1階のショップの前には、可愛い車が。ここは、館 DSC02027.JPG長が俳優の石坂浩二で、プロデューサーがブリキのコレクターで、TV「開運! 何でも探偵団」の北原輝久氏で、世界140カ国の郷土人形、および日本の人形(こけしも多数)、そして企画展示の他「あかいくつ劇場」人形劇なども行われているそうで、とても暖かい気分になれました。

DSC02038.JPG山下公園」(12:00)では、横浜港が一望に見え、公 園内では、平日にもかかわらず、観光客や外人の姿も目につきます。大型船が停泊し、観光船も港湾を走ります。「大さん橋埠頭」から歩行者専用の港湾道 路を歩いて行くと、左前方に「赤レンガ倉庫」が大きく見えて来ます。

DSC02048.JPG小樽の倉庫群とはまた、違った味わいがあります。その前で、アイススケートに興じていたおじさんの見事な滑走ぶりに拍手。その後、「横浜ランドマークタワー」に行くはずが、建 DSC02052.JPG物の形を知らなかったので、「ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル」と勘違い。よこはまコスモワールド(大観覧車)の時計は13時26分、すっかり時間を食ってしまいました。慌てて、マップを見て修正し、やっとの思いで「タワー」下へ到着。タワーを後方に見て、すぐのところに「三菱みなとみらい技術館」。本日の博物館めぐりの締めくくりとして入館。ここは、最先端の科学技術を見ながら、遊び感覚で体験できるテクノロジーミュージアムで、6つのゾーン(環境・エネルギー、技術体験、宇宙、海洋、くらしの発見、交通・輸送)をはじめ、乗物のものづくりにも触れることができます。家族連れも来ていました。

日産自動車本社に向かって、歩き続けて、みなとみらい大橋を渡って、「横浜ベイクォーター」から、歩く歩道を通って、「そごう」の中へ。地下2階から地下街を通って、JRの東西通路から、ゴールの西口受付(14:10)まで。距離にして8km。受付の女性から、本日は歩く人が少なかったのか、敢闘賞として、本来はもらえないはずの「特製ハンドタオル」をいただきました。

それにしても、「横浜は観光する場所と、美術・博物館が多い」ので、半日では回り切れません。今度は、「横浜たそがれ♪」か「ナイト in よこはま」でも、誰かさん?とゆっくり回りましょうか。

 

翌16日の日曜は、妻の友達女性3人と一緒に、5人(小生のみ黒一点という感じ?)で南房総の鋸南町「水仙の里」ハイキングを楽しみました。妻の職場友達の3人は、ハトちゃんとも何回か、ハイキングで同行した方々で、顔見知りです。

習志野市の自宅で、朝、起きて外を見ると、雪が降り、うっすらと屋根につもっていました。 DSC01953.JPG今冬、初の冠雪で、行けるか心配になり、妻が友人に電話をかけたところ、結局、出かけることになりました。

JR 「千葉」駅7時45分発の内房線に乗ると、車窓から晴れ間が見えて、富士山も見えてきました。ふだん、ローカルな電車に乗らなかったせいか、特急列車優先と単線のため、途中で何度か5分以上の停車。急ぐ旅ではありませんが、都内だったら大変という話も。

偶然とはあるもので、同じ車両内で、看護学校の先輩と出会い、ビックリ。同じく水仙めぐりに行くとの DSC01965.JPGことでした。我々は、和気あいあいと話をしながら、9時29分に「保田」駅に到着。リュックを背負った同じ目的の人たちで、駅前は大混雑。

まず、観光案内所で、パンフをもらい、10時発の青色の鋸南町内循環バスに...。発車まで車内はすし詰め状態。臨時バスを期待していましたが、そのバスのみとのこと必死に乗り込みました。目的地の「をくづれ水仙郷」まで約20分。終点の「大崩」に近づくにつれ、車窓から、水仙の群落が見えてきて、期待に胸を膨らませました。

DSC01973.JPGバス停を降りて、風も無く、暖かい陽射しの中、一緒に降りた人たちの後について、左右に見られる「水仙」から漂う、甘い香りを嗅ぎながら、水仙の咲き誇る花群に一同感激。途中には観光客目当ての地元の店が。「水仙10本 200円」という表示があり、市販より安いので、買って行く客も...。

DSC01974.JPGそれにしても水仙だらけで、梅の花もところどころに咲き始め、また、紅葉した桜の葉がまだ落ちていないのを見ると、冬でもこの地域が暖かいことがわかります。

ひとまわり鑑賞し、心地よい気分になって、次の目的地である「佐久間ダム」まで、下り坂を進み、ダム手前の山道から、斜面に咲く水仙に、また感激。ダムの周りには、桜の木が立ち並び、お花見の時期も来たい気分です。

DSC01997.JPG次のバスを待つ間、12時ちょい前でしたが、バス停横の空き地で軽食休憩。お 腹も満たされて、元気が出て来ました。陽だまりで湖水と水仙の香りで、「来年も絶対にここに来よう!」との提案が、Tさんから。

時間通り(12:05)に、バスが来て、車内はわれわれ5人だけの貸切状態。 途中、ちょっとホットなお話が。

途中、バスの反対車線前方におばあさんが、バス停付近でバスに近寄り、「乗せて!」と運転手に。運転手は「バスはすぐ折り返して引き返して来るから、止まる方にいてください」とのこと。その場は乗らずにUターンして戻ってきたら、おばあさんは、なぜかまたも反対車線にいるではありませんか?運転手も困っていたので、妻が乗車口まで案内してバスに何とか乗れました。とんだ、ハプニングで、多少、認知症もあったのでしょうが、雰囲気が可愛くて、みんな和んだ雰囲気になりました。

赤伏」(12:22)のバス停で降りて、黄色く染まった「菜の花畑」を通って、江月水仙郷へと向かう。 ここは、「安房勝山」駅からの『駅からハイキング』のコースでもあり、そのために歩いているウォーカーも見かけました。尾根に抜けるまで30分ぐらい、登り一辺倒で汗ビッショリでしたが、幸い、舗装道路だったので、運動靴でも OKでした。

見返り峠下からの下りでは、斜面に水仙群がやはり続き、デジカメを撮りながら、ゆっくりと降りました。やはり、こちらの方が、駅から近くて歩きやすいこともあり、多数の観光客で賑わっていました。鋸南町の水仙は日本3大群生 DSC01993.JPG地の一つで、江月水仙ロードは約3kmの道の両側に咲き乱れています。途中、写真の絶景スポットや、富士山を見れるスポットも(雲がかかって、残 DSC02006.JPG念ながら見れず)。

販売店横には、仮設の簡易トイレが。「水仙トイレ」と書いた、洒落た張り紙もあり、思わず微笑み返し。順番を待つ人が続く...。

途中、ハトちゃんは、4人と「お花見広場」あたりで迷子になり、携帯電話を、販売店のおばちゃんに借りて電話するも応答なし。仕方なく、駅近くまで、30分ほど単独歩行。やっと、T字路で合流しました。「どうして電話できたの」と聞かれ、借りたことを話すと、友人たちに「ちゃっかりしている、典型的なO型人間ネ」と言われ、爆笑のウズ。

合流した一同は、保田漁協直営の「ばんや」へ(14:00)。 DSC02011.JPG以前、来たときも満杯で、必ず順番を待たされるのですが、今回は昼食時間が遅かったせいか、待ち時間20分。呼ばれるのは良いのですが、番号を一緒に読み上げてくれると、見当がついて待ち時間も少なくなると思います。

食事は、新鮮な魚介類が安価で食べられお得ですが、今回は、ご飯がべたついて今ひとつでした。イカのかき揚丼は、イカが大量で腹一杯になります。時間が遅くなると、その日とれた魚料理が売り切れになってしまいます。

お土産を買い、15時34分発の電車に間に合うように「保田」駅まで、寒風の中、駅まで急ぎ足。距離にして約10km、2万歩を超えました。

帰りの水仙を包んだ新聞紙を持つハイカーがホームへ。座れないと辛いので並んで、ホームに入線した車内はラッキーにも空席。ゆっくり座れて、本日の成果を話し、次回の期待を込めて帰宅しました。

今、妻が花びんに挿した、可憐な「水仙」のほのかな匂いで、玄関が満ち溢れています。

 

1月15日(土)昨年の7/17以来になる「JR 駅からハイキング」に参加しました。独身時代に「はけの道&野川」を歩いた記憶がありましたが、約30年ぶりの「武蔵野散索」(8km)となりました。

9時20分にJR中央線「武蔵小金井」駅に到着。駅前は開発が進み、大型店やバスロータリーなど、近代化が進んでいました。9時30分からの受付でしたが、すでに駅ではたくさんのウォーカーで受付で行列。予定参加人数は2千人。地図をもらい、いざ出発。

最初は、ゆっくりと人の後に付いて、向かったのが「どんぐりの森」。雑木林があるだけだったので、すぐコースに引き返して、しばらく歩いて左折したところに、「滄浪泉園」 http://www.geocities.jp/mitaka_makita/nogawa/sorosenen.html に。 DSC01906.JPG入口で係員が「10分ほどで園内をまわれる」と言うので、園内を散策。石畳の坂道がはけ下へと下って行って、武蔵野の雑木林と、湧き水の池や地藏様を鑑賞し、閑静な雰囲気に浸りました。秋の紅葉がすばらしいとのこと。

そこから、新小金井街道のガード下をくぐって、10分ほど歩いて「貫井神社」(9:40)に。「弁天橋」手前から、野川沿いに小さな橋をいくつも越えて歩い DSC01913.JPGて行きました。ここら辺から、少し歩くペースを速める。 

土手沿いの舗装道路を進みますが、川幅は狭く、ところどころ、降りられるところがあり、そこを歩いている人も見かけました。カルガモが数羽岸辺で日向ぼっこ。 DSC01929.JPG途中、前原小学校横は細い場所で、昔の野川と言われるところを通るが、水は枯れて、川の名 残りだけが。ウォーカーも縦に長くなって、間隔が開いて来ました。小金井自動車学校を左に見て、「天神橋(10:00)」を渡って、川沿いにさらに東に進む。やっと、野球のグラウンドと、走っている小学生たちと出会う。バードウォッチングのカメラの列が。 川の両側に広大な「武蔵野公園」の広場が続きます。さらに、西武多摩川線下をくぐって、正面に「野川公園」(10:20)の表 DSC01924.JPG示が見えて来ました。

ここから、出発駅に向かって折り返し。左に「武蔵野公園」を見ながら「はけの道」を進むと、公園内の東屋や広場、そしてその先に、先ほど歩いて来た土手を歩く後続者の姿が―。

15分ほどで、「はけの小路」と書かれた石碑と、「はけ」と呼ばれる段丘崖には昔から清らかな湧水が流れ出した小路が現れ、道の反対側に、「はけの森美術館http://museum.tachikawaonline.jp/30_hakenomori/ が。 DSC01932.JPG初めてなので入館して、「笹岡 了一」氏の抽象と具象の狭間で、自身の幻想的な画風で多彩な配色の作品に触れることができました。2階入口の銅像の横の愛くるしい猫の表情が眼に焼き付きました。

DSC01935.JPGしばし、美術鑑賞で休憩後、「小金井神社」(10:40)へ。その先から、本日のコースを離れて、、小金井街道のガードをくぐり、3分ほどで叔父の家に。実は、今回のコース上に、偶然、叔父の家の前を通ることが分かったので、立ち寄ることにしていたのです。事前に連絡していなかったので、叔父さんはビックリ。アイスをごちそうになり、汗で濡れたシャツを着替えて約40分ほど、四方山話。母にも電話で話ができました。

その後、引き返して、コースに復帰しました。ちょうど、団体さんが来て、一緒に「金蔵院」の境内を見て、最後の立ち寄り場所の「黄金の水http://www.ntv.co.jp/burari/070120/info01.html(前原坂上交差点)へ。ここは、小金井の湧き水を、 DSC01942.JPGコップ1杯無料で飲めます。小生もいただきましたが、水道水より、暖かくて口当たりがよい感じでした。地元の人でしょうか?ペットボトルに何本も汲んでいる人を見かけました。

駅にゴールすると、缶バッチを記念にもらい、駅横では、「武蔵小金井駅 DSC01950.JPG開業85周年記念のコーナーがあったので中を見てまわりました。往時のパネル写真や記念グッズの販売等が開催されていて、立ち寄る方々も...。

本日は、曇っていましたが、風が無くてウォーキングと、叔父さんに会えた"一石二鳥"のイベントでした。 

                 

新年、最初の習志野「ゆうほ(友歩・遊歩)21」のウォーキングは、晴天の下、1月11日(火)の成人式の翌日に行われました。9時30分に、「京成船橋」駅構内で待ち合わせたメンバーは、神田先生をはじめ、13人。プラットホームで、一人見つけて、あわてて電車に飛び乗り、総勢15名で出発しました。

本日のコースは、現在建設中の「東京スカイツリーから浅草観音初詣のコース」(約7km)で、ウォーキング終了後、新年会の予定です。

「京成押上」駅に10時4分に到着。駅構内では、「スカイツリー」見学の他の団体さんもいて、迷子にならないように先生の後に付いてエスカレーターから地上へ。

地上に出ると、右前方に早くも「スカイツリー」が見えました。ハトちゃんは、まじかで見るのは初めてなので、その迫力に圧倒されました。あまりにも近くなので、見上げるたびに首が痛くなるほどです。少し離れた、眺望の利く「ワンパク天国(押上公園)」を先生に案内され、 DSC01791.JPG少し遠方から見ると全貌が見えて感激しました。

DSC01804.JPGその後、眺望・写真スポットとして、「十間橋」「京成橋」「東武橋」と北十間川に沿って、スカイツリー周辺を歩き、それぞれの地点で、ゆっくりと見学しました。それぞれ、少しずつ感じが変わっていました。周辺の川、公園の護岸整備や、東武電鉄本社の建築、関連商業施設など、建設が急ピッチに進んでいました。現在の東武「業平橋」も駅名が「東京スカイツリー」駅に名称が変更されるそうです。平日というのに、観光客がかなりいて、橋の上では、カメラを撮る人が鈴なり状態。

途中、「info Plaza」で「東京スカイツリー」の紹介や、模型、チラシを見ながら、知識を吸収。室内は暖かく、しばし暖をとりました。「スカイツリー」は、東武電鉄の遊休地(押上地区)に、高さ634m(完成後、世界一の電波塔になる)で2011年竣工、2012年春のオープンををめざし、総事業費 1,430億、タワー 650億円をかけて建設中とのこと。ちょうど、帰宅後の「読売新聞」夕刊に現在の高さが549mに達して、世界第3位の記事が載っていました。完成時には、さらに観光客が増えて、東京の新しい下町の名所となります。

次に、隅田川沿いの桜の名所で知られる「隅田公園」に寄り、「すみだ郷土資料館」に行きましたが、祝日の振替で、あいにくお休みでした。開館時には、墨田区の歴史・文化関係の郷土史、資料が展示、紹介されているとのこと。

11時5分に、由緒のある「牛島神社」に参拝。先生から「なで牛」をなでると、 DSC01818.JPG病気が治癒すると聞いて、あわてて戻って、牛をなでる人も...(笑)。

さらに、11時20分に「三囲神社」に。ここの本堂の前には、お稲荷さんの狐が両脇に配置され、また、池袋三越店の閉店で、三越のシンボルである DSC01825.JPG「ライオンの坐像」がここに移築されていて、ここでもライオンをなでるメンバーが続出。

次にまわった「弘福寺」(11:35)は、 DSC01830.JPG DSC01833.JPG「隅田川七福神めぐり」の「布袋尊」があり、本堂はどっしりした形の屋根が2層になっている唐風建築で、屋根のてっぺんにしゃちほこが見えました。「咳きの爺婆尊」として知られているそうです。

今回の一つの目玉であった甘味処桜もちの「長命寺」に行くと、寺の前の「言問幼稚園」が今日から新年明け始まっていて、ちょうどお母さんたちの迎えで、ごった返していました。先生から寺への近道を抜けて見ると、「本日休業」の掲示が。その先の名物「言問団子」もお休みでした。ちょうど、トイレ休憩したかったのと、甘味で一息つけると思ったのに、残念。

DSC01844.JPG隅田川沿いの公衆トイレで休憩。土手を上がって、「桜橋」へ。上空から見ると、向島と浅草を結ぶ、Ⅹの形をした歩行者専用橋で、遠方から「スカイツリー」を向島方面に眺めると、ツリーの三角形部分が角度により、傾いて見えました。また、橋の鉄塔の上には、かもめが羽根を休めて止まっていました。

橋を渡り、「台東リバーサイド・スポーツセンター」の建物内を通って行く途中、信号待ちで、人力車に遭遇(後で、浅草「雷門前」で、法被姿で案内する光景が)。その後、「山谷」地名の由来を聞き、「山谷掘」の石畳を見て、「吉原」方面には行かず?、浅草へと向かいました。

道すがら、「待乳山(まつちやま)」の明治時代前の、優美な山としてあったことを画いた看板があり、 DSC01860.JPG「乳待山聖天」前では、『鬼平犯科帳』などの時代・歴史小説で知られる、池波正太郎の生地の記念碑を見学。

角を曲がって、「待乳山聖天」(12:15)は、尊天霊場の一つで、十一面観音菩薩を祀っていて、境内各所に「大根と巾着」が目につきます。これは、大根が身体の毒を清め健康に、巾着が財宝で商売繁盛とのこと。また、日本庭園からの眺めと江戸時代の名残りである「築地(ついじ)塀」も、案内の神田先生から教えていただいた「隠れスポット」でした。

DSC01866.JPG浅草に向かっての通りには、革製品や履物の店も多く、下町道具街の様相で、「花川戸公園」(12:28)で、今話題の名前、歌舞伎の市川団十郎の演じた「助六歌碑」を見学。

新装された「二天門」から、浅草寺境内へ。その前に、三社を祀る「浅草神社」(12:40)に。小生も浅草寺には、何回か来ていましたが、「浅草神社」があることを知りませんでした。

「浅草寺」は、参拝や観光客で賑わっていて、ここで、30分ほ DSC01877.JPG DSC01884.JPGど自由行動になり、雷門前で30分後に集合となりました。小生は、お腹が空いていましたが、仲見世を歩いて、江戸情緒のある小間物店などを覗いて、人形焼をお土産に買いました。また、伝法院通りからのツリーの眺 DSC01890.JPGめは格別でした。

13時20分に集合したメンバーは、Nさんが予約してくれた、雷門近くの寿司の「大番」に入店。新年会は、席を抽選にして、中村会長挨拶後、乾杯、歓談、自己紹介・年頭抱負、新役員選出などで盛り上がり、またワンコインの交換プレゼントも行われ、 カラオケ大会に突入。メンバーは、日頃、鍛えし喉を披露。デュエットやダンスもありで、 DSC01903.JPG楽しい時間があっという間に過ぎました。結局、17時まで延々と続いて、お開きになりました。

帰りは、みんな習志野市内なので仲良く同じ電車で。ただしラッシュ時間帯にぶつかり、車内はいっぱいで、結局、立ちっぱなしでしたが、ほろ酔い気分も手伝い、和気あいあいと話が続きました。

皆さん、本当にお疲れ様でした。次回(1/28)を楽しみにしています。

今年も一緒に、楽しいウォーキングで、「健康づくり」を目指しましょうネ。

 

「号砲一発!」。一斉にランナーが元気よくスタート。今年も年始恒例の「習志野市七草マラソン」が開催されました。晴天で、風も無く、絶好のマラソン日和。日頃の練習の DSC01759.JPG成果を見せようと、1月9日(日)七中グラウンドに早朝から、選手が続々集まりました。

ハトちゃんも、選手ではなく、競技係員として市民スポーツ指導員で、走路の監察員のため参加しました。初の参加で、要領がわからなかったのですが、打ち合わせの説明と、同じ地区の先輩たちから教えていただき、何とかやれそうでした。

当日、参加したランナーは、1,300人を超え、かなりの熱気で盛り上がりました。8時30分に開会式があり、市長や来賓の方々の挨拶後、選手宣誓。9時30分から、小学1,2年女子からスタートしました。学校などの団体での申し込みの他、個人参加もあって、各年代ごとの開始前には、コースの下見等で「香澄周回コース」を試走する姿が目立ちました。

DSC01760.JPG小生の受け持ち場所は、「香澄ふれあい公園」のバス停前で、ランナーが車道内の左側に赤いコーンを置き、その中を走るように、紅白の旗を持って、誘導するものです。走路の確保とバスの乗降が気になりました。

3km以上の距離の種目が5番目のスタートで、それ DSC01761.JPGまでじっと待っていました。10時45分頃に「先導車」がゆっくり走って来て、最初のランナーの姿が目に入りました。間もなく、必死の頑張りを見せて、小生の横を駆け抜けて行きます。後続のランナーたちも、ゼッケンをなびか DSC01776.JPGせて、色とりどりのユニホームやウェアで走って来ました。そばから、「頑張れ! 負けるな!」の大きな声援も。ハトちゃんの大好きなZARDの「負けないで♪」が頭をよぎりました。

さすがに、中学以上の男女、一般女子、30歳以上 DSC01782.JPGの各年代のレースでは、早い人と遅い人との差が開いて、来るランナーの間隔も長くなり、しばらく途絶えることも。

ちょうど走っている際は、市内循環バスや、定期バスが来るので、乗車位置を停留所から離して、バスに乗降してもらうので、運転手や乗客に挨拶して、ランナーの安全を確保しました。道路を走る車も走路からだいぶ離れて、センターラインギリギリに走ってくれました。

最後の、一般男子10kmは、トップの二人がダントツに速くて、後続は思って DSC01787.JPGいた以上に差がついて4周回の最終回では、先導車が行った後に、最終車が来てもう1周とのこと。それから、約30分ほど遅れて、終わりの合図が来たのが13時半で、コースに立っていた時間は、3時間半でしたが、選手の頑張っている姿から、元気をもらって、とくにレース中の事故も無く、無事に終了することができました。

交通整理が無事に終わった安堵感で、グラウンドに戻ってみると、校舎のガラス DSC01789.JPGに成績が貼られていて、選手たちが鈴なり状態。

帰りに七中の校門をチャリンコで出る際、中学生たちに「失礼します」という言葉をかけられ、小生も挨拶。立ち疲れと安全誘導で少々神経を使いましたが、市民の一員として協力できた、さわやかな一日でした。

今朝、10日は強風が吹いていて、昨日とは打って変って、「ビュービュー」と冷たい風が。今頃、競技関係者の誰もが、昨日の開催で良かったと思っていることでしょう?

1月8日(土)、晴天の下、昨日に続き『新京成のんびりおでかけ途中下車』(No.25)コースをウォーキングしました。本日が「年末年始切符」の最終切符(お好きな3日有効)で乗車。連休初日、昼食後、昨日より30分遅く出発。13時33分に「京成津田沼」駅から、新京成電車に乗って、「新鎌ヶ谷」駅(13:56)に降りました。

「新鎌ヶ谷」駅は、成田スカイアクセスの運行により、駅前は整備され、近代的な風景に。北総鉄道の高架下の道路を、「鎌ヶ谷市市制記念公園」に向かって10分ほど歩くと、右側は「分譲中」の看板で、住宅 地の造成が急ピッチ。「成田スカイアクセス」は、高いガードレールで、通過時に電車の上部分だけが見えますが、かなりの本数が頻繁に通過しています。

DSC01730.JPG「市制記念公園」への道は、「第29回新京成健康ハイキング」でゴール地点付近で、休憩した場所で、今回が2度目。見覚えがあったので、難なくたどり着けました。前回は、汗びっしょりで、園内をよく見なかったのですが、今回はゆっくり散策。面積は、それほど広くありませんが、鎌ヶ谷市が1971(昭和46)年9月に県下24番目の市制施行を記念して10月10日に開園。まず、正面に 「デコイチ」の愛称で親しまれる「D51蒸気機関車」と、その後方に、黄色の機体で日の丸をつけた「まつかぜ」が目につきます。テニスコート、野球グラウンドなどのスポーツ施設の他、園内に児童用 の電気自動車が走っていて、時に、正面衝突することもあり、子ども連れの家族が楽しんでいました(14:20出発)。

DSC01732.JPG北総線の道を駅方面に戻って、イオン鎌ヶ谷ショッピングセンター前を左折すると、広い車の多い通りを船橋方面にまっすぐ歩いていく。すぐ前方右手に、「鎌ヶ谷市役所」(14:45)の建物が。さらに、直進して新京成「初富」駅手前に、図書館の建物。行き過ぎたので戻ると、一つ前の車道沿いに「郷土資料館」(14:50)が。 DSC01744.JPGここは、看板があるものの、車道に面しているので、分かりづらい。中に入ると、中央にある「竪穴式住居」の復原物が目に入る。また2万年以上前の土器や貴重な史・資料が並んでいて、「鎌ヶ谷」の歴史の移り変わりがわかる貴重な保存、展示。小生の他3名ほどの入館。

貴重な史料を閲覧して、コースの目的地である「道野辺神社」に向かったのですが、東武野田線の「鎌ヶ谷」駅横の船取線の道路は車の往来が激しく、ガードをくぐって、往来の少ない反対側の道路を初富から鎌ヶ谷駅に沿って、15分ほど、歩いて行きました。ここが直線ですが、長くて疲れました。

DSC01748.JPG鎌ヶ谷商店街には、あちらこちらに「がんばれ!フレッシュ・ファイターズ」の垂れ幕が...。 そうです。今年のドラフトの目玉であった、斉藤佑樹投手が日本ハム二軍グラウンドのある「鎌ヶ谷市」に来るための商戦です。経済効果が出ると、良いですネ。

鎌ヶ谷駅西口の表示を見て、そのまま商店街を抜けると、道路左前方に、「道野辺八幡神社」駐車場の案内標識があり、そこから、左は下り坂になっていました。通りがかりの中年の男性に教えてもらって、階段を登らない、平坦な、車の通れる北門から、境内へ。階段はきついので、このときの道を聞いたのは、大正解 DSC01752.JPGでした。境内を奥に進むと、なかなか広くて、社殿も立派な神社で、土曜日ということもあり、参拝客が結構いました。前日、3ヵ所参拝しましたが、社殿が立派なことと、参拝客がいたこともあり、本日も連られて参拝。これで、見納めとしました(15:13)。連日のウォークで疲れて来ていましたが、約7kmを完歩して、鎌ヶ谷ショッピングプラザ前の新京成「初富」駅に着いたのが、15時20分でした。

16時に、京成「津田沼」駅に着き、駅前の駐輪場から、まだ西日の残る京成「大久保」駅までの「ハミングロード」をマスクと手袋をして、完全武装で駆け抜けました。

冬のウォーキングは、服装が難しくて、風邪を引かないように、早めに寝ました。

明日は、マラソン大会の、初の道路交通整理員の仕事が待っていたので...。

 

冷たい風が顔に染みる1月7日(金)、晴天の下、『新京成のんびりおでかけ途中下車』(No.6)コースをウォーキングしました。午前中に用事があり、昼食後、13時に「京成津田沼」駅から、新京成電車に乗って、「松戸」駅一つ手前の「上本郷」駅(13:43)に降りました。

駅から線路沿いに歩いて左折、5分ほどで「風早神社」に。 DSC01712.JPG松戸市内の一番古い神社で、正月3が日に参拝に行けなかったので、今年最初の参拝になりました。健康第一で「無病息災」「家内安全」祈願をしました。神社入口横には、「松戸獅子舞」の由来の、看板もありました。

DSC01713.JPG道なりに、直進すると、左手に「本福寺」が見えて来る。そこは、松戸市内では、時宗遊行派のお寺で、鎌倉時代に、この寺が開かれたとのこと。境内の本尊には阿弥陀如来像を中心に観音菩薩と勢至菩薩、また、「切られ地蔵」の石碑とお地蔵さんが祀られています。左折して84段の階段がある急坂を下りると、「カンスケ井戸」と呼ばれる湧き水のある小さい池があって、鯉が雄大に泳いでいる姿が見られました。

DSC01718.JPGしばし、鯉を鑑賞し、坂を上って、広い通りをの角に、「明治神社」があります。そこで、本日二度目の参拝。交差点を渡って、今度はひたすら JR「馬橋」駅方面に向かって、道なりに進むと、途中、いたる所に、1/9の「七草マラソン」の立看板が。わが町、習志野市でも同日同名のマラソンが開かれ、お手伝いするので、つい親近感を覚えました。

ここからが、長くて、単調な通りを、しばらく歩くと緩やかな下り坂に。広い交差点(14:20)の水戸街道にぶつかると、右手前方に「総合格闘技ジム」の建物が。その水戸街道を横切り、5分ほど商店街脇を進むと、本日の最終目的地の「万満寺」が車道沿いの正面に見えて来ます。国の重要文化 DSC01724.JPG財になっている仁王門があり、「仁王様の股くぐり」で有名。運慶作といわれる「木造の金剛力士像」は、夕陽がガラスに反射してよく見えなかったのが残念でした。また、水掛け不動尊や本堂も立派で、7日というのに、家族連れの参拝客も見られ、厄除けも本堂で行われていました。ここで、三度目の正直とばかり、3回目の参拝。これだけ参拝すれば、御利益も保障されるというもの。なお、ここまでの道のりは、約3km。

帰りは、モデルコースでは馬橋駅から帰るようになっていましたが、ハトちゃんは、距離が物足りなかったのと、道がまっすぐで分かりやすかったので、来た道を戻ることにしました(14:35)。

あとは、また水戸街道を横切り、今度はゆっくりした上り坂を進んで、明治神社前の交差点(14:50)まで、かなり速いスピードで歩き続け、「上本郷」駅(15:15)に迷うことなく着きました。

そこで、娘と約束してあったお豆腐屋さんを探しました。駅前の「上本郷図書館」の受付に聞くと、駅反対側の線路際100mほどだと聞き、駅前のロータリーを過ぎて線路沿いを進むと、「とうふ」ののぼりが目に付きました。NPO法人 まつかぜの会による「豆のちからhttp://mamenochikara.com/index.html と呼ばれる、福祉作業所 とうふ工房で、 DSC01728.JPG現在、業界で話題の大豆「ミヤギシロメ」を使った「とうふ」他、こだわりの品を作り、販売しています。

たまたま、11月20日(土)「新京成の第30回健康ハイキング(松戸近辺)」のゴール後の松戸駅「伊勢丹」前広場で行われていた「福祉バザー 第17回ふれあいフェスバル」で「とうふ」を買って、家族に大好評だったので、本日、寄って見ました。帰宅後の夕食で、家族に喜ばれたのは、言うまでもありません。

そんなこんなで、上本郷駅から万満寺の往復6kmのウォーキングが終了。時間と距離的には、もう少し多かったかも知れませんが、実り多い2時間のウォーキングとなりました。

15時36分発の「京成津田沼」行きに乗り、途中うとうとして、帰路につきました。

 

寒いながらも好天に恵まれて、1月6日(木)11時30分から、JR「津田沼」駅南口徒歩3分の「習志野文化ホール・ホワイエ」にて、習志野市・習志野商工会議所・習志野市社会福祉協議会の主催による「習志野市 新春賀詞交歓会」が盛大に行われました。

ハトちゃんも、昨年、市の事業(国体ボランティアや、市民スポーツ指導員)に関わった関係からか、初めて、市の総務課から案内のハガキが年末に届き、今回、初出席しました。

DSC01687.JPG11時過ぎに会場入口に着いたのですが、獅子舞・お囃子が出て、正月気分に。荒木市長をはじめ、すでに多くの人が来ていました。今年の4月の市長選および市議会議員選挙がある関係で、例年よりも出席者が多いとのこと。受付で4,000円の会費を払い、会場内へ。市民の参加だけで約550人、招待者、関係者を含め650人程度、集まりました。開始前には、壇上で雅楽演奏にあわせ、舞踊が披露されました。あとで、面をはずすと、女性の演者で、ちょっとビックリ。

DSC01699.JPG続々と市内の各界、各層の方々が集まり、会場内は熱気でムンムン。いよいよ実行委員会委員長である荒木市長の挨拶が始まり、昨年の習志野市の国際化(視覚障害者のクライミング世界大会の開催、千葉国体開催の市民の協力等)への実績、知名度の普及を進めたことを報告、さらに市長は今春の市長選には立候補せず、市政に5期20年の実績を残し、勇退することとなり、この間の市民の協力に感謝の言葉を述べられました。

次に、商工会議所 鈴木会頭から、経済不況の中、小さい習志野市の商工会議所が県下で頑張っていること、良い意味(メルセデス・ベンツ会社の日本支社が習志野に)と悪い意味(相撲賭博の阿武松部屋)での習志野市の知名度について言及。また、スポーツ、文化分野で先進的役割を担っていることを報告、挨拶されました。

社会福祉協議会の海實会長からは、昨年に続いて、力強く「元気の気」を発信していただき、ウサギ年の今年が、元気な年になるようにご挨拶いただきました。

DSC01702.JPGその後は、来賓の市議会議員議長、県会議員、衆議院議員、参議員議員の方々の新年のご挨拶がありましたが、どうしても選挙関連の話が出て、さらに国政の話が出るなど、聞いていて、少々しらけムードも漂って、結局、挨拶だけで1時間以上も過ぎてしまいました。

小生は、会場内の雰囲気を、デジカメで撮っていましたが、次期市長選に立候補予定の屋敷地区(自宅のある)の宮本タイスケ夫妻に挨拶、それから、前列テーブルで、筋トレでお世話になっている勤労会館の、小川さんから呼ばれました。

乾杯をした後は、まず料理がなくなってしまうと大変なので、早速、皿にサ DSC01698.JPGンドイッチやオードブルを取ってテーブルへ。こういうパーティーでは、飲んでいると、食べるものがすぐ無くなり、お腹が空いてしまうので、まず食べることからスタート。初めてなので、ほとんど顔見知りの人には出会えませんでしたが、体力測定で何回か出会う、小野さんと会ったのでしばし歓談。

途中、本拠地を習志野に置く、アメリカンフットボールの日本一に輝いたオービック・シーガルズの紹介と、ヤクルトスワローズ小川監督(市立習 DSC01709.JPG志野高の全国制覇のときの優勝投手)の紹介がありました。また、監督から、帽子とボールのプレゼントがあり、市長が受け取り、ご満悦に。

13時になる前に、お楽しみ抽選会が行われて、特別賞、3等から特等、その他の当選番号の発表がありましたが、半分ぐらいの当選番号該当者が途中で帰ってしまい、無効になっていたのが印象的でした。 「当たらない小生には、もったいない話です」。

15分ほど、予定時間をオーバーして、閉会の挨拶があり、お開きとなりました。

今年は、選挙の年で熱気がありましたが、政治も、経済、社会も、元気を取り戻して、明るい未来のために、市民の協力で前進できればと願うばかりです。

ハトちゃんも、今年一年、自分も周囲も、ウサギ年のように、跳ねる一年になるように、頑張ります!             

 

今年も、小生は筋トレの継続を、年初来の目標にして、4日(火)、5日(水)の二日間、近所の習志野市立勤労会館へ。受付の方々と新年の挨拶後、トレーニング室へ入室。4日は、今年の開始日なので、常連さんと挨拶。また、休み中の学生さんのトレーニング姿が目立ちました。

ハトちゃんも、正月のお雑煮の餅をはじめ、おせち料理や、実家に帰ってのご馳走で、1.5kgも体重が増え、腹も少々出てしまいました。受付で、「顔がふっくらしていない?」と冷やかされるシーンも。入念なストレッチの後、ランニングマシーンで20分ほど、いつもより遅いスピードで、体を温めました。やはり、年末年始休暇の関係で、開館が6日間空いた関係で、スムーズな足の運びができずに終わってしまいました。その後、上半身と下半身に利く機械を利用して、自分のペースで1時間ほど汗を流しました。最後に、「ベルトトレーナー」という機械で、だぶついた腹や背中、手足を振動させて体をほぐして引き揚げました。

DSC01685.JPG本日(5日)も、14時30分過ぎに行ったのですが、自分を含めて3人のみ。小生が最初の10分間のストレッチ中に、一人の若い男性が退室し、年配の男性と二人になってしまいました。しばらくすると、その方から、声を掛けられ、話しているうちに、「去年の12月からここに来始めているが、どうも歩き方に違和感があって、機械の利用法及び歩き方を教えてほしい」とのこと。

今日は二人だけで、その後誰も入室がなかった関係で、話もできたので、ご本人の話をうかがって、歩く姿を見ながら、まず、「ランニングマシーン」で補助バーにつかまり、遅いスピードで、足の運びや、歩くときの正しい姿勢を指導しました。

2年前に、習志野市の市民スポーツ指導員の資格を取得した際、現ウォーキングサークルの神田先生から教えていただいたことを手本に、説明させていただきました。こんなところで役に立つとは、思いも寄りませんでした。

その後、下半身を鍛える機械の使用方法を簡単に説明しましたが、年齢の割に驚くほどの重い負荷をかけていたので、少し軽めにトレーニングして、無理のない程度に抑えることを教えてあげました。「継続が大切」ということを、強調しました。

足の筋肉が衰えてきて、ご本人も自信を喪失されていて、歩くときに周囲の目を気にされていたので、トレーニングの効果を、小生の経験談を交えて話すと、「他のトレーニング施設でも、トレーナーに聞いたけれども、具体的な練習、目標値、成果を教えてくれなかった。今日は、本当にここに来て良かった」とのこと。今後は、春ぐらいまでにウォーキングで長い距離を歩きたいという希望も。

帰り際には、自信をもって、再度、ランニングマシーンで歩く姿勢のチェックと、少しスピードを上げてチャレンジ。「ありがとう」との言葉で、久しぶりに"手助けできた喜び"を味わいました。この日は、自分のトレーニングは10分のみでしたが、人に喜んでもらえた、有意義な午後の筋トレタイムでした。

 

明けましておめでとうございます!

今年もよろしくお願いいたします

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2011(平成23)年も、あっという間に正月3が日が過ぎてしまいました。幸い、晴天に恵まれた、良いお正月になりました。

ハトちゃんは、元日、家でゆっくりして、もらった年賀状の返信に追われ、夜はテレビの特番を観ていました。一つの番組が、長時間なので、見疲れました。2日は、妻の実家に義兄、甥と家族で帰り、90歳になる妻の両親に新年の挨拶に、義兄の運転で出かけました。残念ながら、妻は前夜食べた「すし」で食あたり。ひとり、家で留守番と相成りました。

蜀咏悄.JPG3日は、小生のみが西八王子の実家に帰ることに。40年来の友人になる、佐藤(政)さんと、散田にある「とんでん」で待ち合わせ。今日まで、彼が休みだったので、 ちょうど会えて良かったです。おっちょこちょいの小生は、昨夜、約束した時間を30分間違えて、早く着いてしまいました。しかし、佐藤さんが早めに来てくれたので助かり、15分ほどの待ちでOK。正月とはいえ12時前だったので、店内は待たないで注文できました。近況や思い出話など、四方山話で盛り上がり、昼食の時間があっという間に1時間過ぎてしまいました。

「今年は、二人でどこかに行きましょう」という約束をして、12時15分過ぎに別れました。

そこから、京王線の「めじろ台」駅に向かって歩き、左折して、朝日が丘という地名の実家まで、歩くこと10分。高台の上にある実家に到着。

母は、弟の家に年末の31日から本日(3日)までお世話になっていました。父が無くなってから、毎年、弟の家族とお正月を迎えるのが恒例になっています。まだ、帰って来ていなかったので、持っていた鍵で、家の中に入り、閉め切っていた1階のサッシ等を開けて、空気の入れ替えを行いました。

弟の家に電話すると、あと、30分くらいで着く様子。台所を見ると、出かけるときに、慌てて出たのか、茶碗や皿が水につけてあったので、小生が洗いました。その時、靴下に違和感が。電気も点けなかったので、だいぶ暗くて何だか解りませんでした。

テレビを見ながら、母や弟の帰りを待っていると、片方の靴下が、何やら、何かを踏みつけて、べとべと感。

そして、台所に戻って、床を見ると、何と 『黒くて小さい生き物の死体があるではありませんか?』。そうです。「ネズミ」捕りに、ネズミ がかかって死んでいたのです。ぎょっとして、一瞬、たじろぎました。

結局、靴下のねばねば感は、ネズミ捕りの鳥もちのような物質を踏みつけたせいでした。小生は、まったく母からこのことを聞いていなかったので、本当にビックリしました。

しばらくすると、母たちが帰って来て、「ネズミ」捕りを見て、かけて置いて良かったと言って、他の4箇所のネズミ捕りも見ると、もう一匹かかっていました。

実家は、1964(昭和39)年の建物なので、かなり老朽化もありますが、最近、「ネズミ」の被害にあっていたので、弟が、留守中、ネズミ捕りを仕掛けて、まんまと捕獲できました。

小生にとっては、昔、渋谷のラーメン店で、ネズミが壁を駆け上がってビックリした時以来の、ハプニングでした。

今年は「ウサギ」年なのに、正月早々、「ネズミ」に出くわすとは......。御祓いに行かないといけませんネ。

 

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