2013年3月アーカイブ

古河」は、古くは「許我」と表記され、『万葉集』に当時の情景が二首詠まれている。すでに奈良時代から渡良瀬川の渡し場として賑わっていたことが伺える。平安時代にも交通の要所であり、また製鉄や窯業の生産拠点であったことがうかがえる。

室町時代には古河公方の本拠地として、江戸時代には古河藩の城下町日光街道の宿場町・古河宿として盛えた。古河藩下総国であったため、現在でも旧常陸国、水戸街道が中心となって形成している茨城県の中では歴史的・文化的に特異な部分が多い。

 

ハトちゃんは、3月26日(火)、幕張本郷駅から中央・総武線→武蔵野線→京浜東北線(大宮)→宇都宮線を乗り継いで、城下町の「古河」(茨城県)駅に降り立った。天候は晴れで、小春日和。今回は、を観るのが第一の目的。「古河」という街は初めてだったので、期待大。約8kmをウォーク。JR宇都宮線には初めて乗ったが、列車本数は意外と多い。

 

駅前観光案内所で手続きをして、スタート(9:55)。西口から前広場に出て、 PICT5561.JPG間もなく左側の道を回りこむと、車の往来がそこそこの旧日光街PICT5565.JPG(野木・古河線)に...。左折して、「日光街道古河宿」「桃まつり」の幟が連なる町並みを、ひたすら南下します。ところどころに、古い商家も...。

旧日光街道は、稲荷神社の先で左に回るが、そのまま直進し公方通りを...。

国道354号(鴻巣の交差点)にぶつかると、いきなり大型ダンプなどが目立ち、交通量が増す。信号を横断して100mぐらいで右折して横道に。

PICT5582.JPG道の両脇に、赤やピンクの桃の木が、まだ小さいが華麗に咲いている。花見の車も多く、駐車場への誘導の声が響く。

 

 

古河総合公園〔25haにもおよぶ広大な総合公園で四季折々に美しい花々が咲 PICT5578.JPGく〕の出入口へ PICT5580.JPG(10:27)。花桃の里恒例の桃まつりが開催されていて、さらに、暖かさで桜も満開。さらに紅梅も残っていて、桃と桜と梅のスリーカード。このところ花冷えの日々もあって、天候は三寒四温が逆に良かったのかも?
まさに「花の競演」といった感じで、何て運がいいのだろうと、自画自賛。

 

園内には、一面に約2000本植えられたはなもも(矢口、源平、菊桃など)が満開で、「桃源郷」という PICT5584.JPGPICT5597.JPG言葉がピッタリ。桜はソメイヨシノで木も大きくて、こちらも満開。いくつかある沼・池の周りは散策にはもってこい。また、旧中山家住宅旧飛田家住宅の文化財として現存している。大賀ハスや花菖蒲も、6月見頃には観賞客が多数訪れるという。また、出店も多数あり、行き交う人で賑わいを見せていた。

 

PICT5590.JPGPICT5604.JPG一段高い「富士見塚」を登って、上から園内を一望。ゆっくり、写真を撮り、この光景を目に焼き付けてコースマップの先へ進む。

 

 

先ほど歩いて来た道に、ほぼ平行に走る里山の道を抜けて、先ほどの国道を横断し、道なりに進み、歩道橋を渡り、さらに直進(約1.5km)すると、何やら京都の嵯峨野に似ている空間に入り込む。

 

 

最初に、長谷観音〔古河城の鬼門、北東(艮=うしとら:丑と寅の間)のPICT5607.JPG方位を守 る仏で、歴代古河城主が祈願を込めたところで、丈6尺8寸1分の十一面観世音の木像が本堂内にあり、鎌倉、大和の長谷寺とともに日本三大長谷のひとつ〕へ(11:00)。境内は狭いが、安置された木像を住職に見せてもらいました。

 

次に、石畳が続き、訪れたのが古河歴史博物館〔古河藩家老 鷹見泉石が収集・記録・研究した 学資料、また原始古代から近代までの古河の歴史、幕末から明治期にかけての古河の文人たちを紹介〕へ(11:04)。館内の照明が意外と暗い。資料や作品を鑑賞後、ホールにあったストリートオPICT5613.JPGルガン(オランダ)が洋風のイメージが漂う。

手前の噴水がある、憩いの広場も休むのには雰囲気がある。 PICT5616.JPG鷹見泉石記念館は外観のみ(11:09)。

 

 

左手に曲がると古河文学館〔木組み形式が特徴的な大正ロマンの香りが漂う PICT5617.JPG PICT5657.JPG洋館で、永井路子をはじめ古河市ゆかりの作家たちの肉筆原稿、絵本や絵画などを展示〕へ(11:13)。1階入口が受付で、ホール後方に展示室があり、受付のおばさんは何も言わないので、ハトちゃんは間違って、2階のイタリアレストランに入りそうになりました。

 

ざっと鑑賞後、すぐ近くにお休み処「坂長」 PICT5620.JPG〔旧商家と白い蔵の横がレス PICT5654.JPGトラン〕や甘露煮店やだんご屋が並ぶ肴通りへ(11:17)。角には御馳走番所跡もあり、通りの名前由来の案内板。

 

 

 

いったん、肴町通りを戻って、右の細い道へ入り、江戸町通りへと。通りに出て左 折して、100mほ どで篆刻美術館〔大正9年に建造された石蔵を改修し、1991(平成3)年、日本で初の篆刻専門の美術館として開館〕。入館して、500年前から中国で印章から発展した篆刻の作品PICT5622.JPGが多数並べられていて、古河出身の生井子華の遺作の常設展示もある〕へ(11:30)。小生は、書道が好きなので、ここに入館するのも本日の目的のひとつ。特殊な書体なので、説明無しで、字を読んだり、自分で篆書を書くのは極めて難しいが、鑑賞すると味わいがある。国の登録有形文化財の裏蔵内にも展示室があり、現代篆刻家の作品が...。

 

PICT5624.JPGひとつ隣りの古河街角美術館(入館無料)〔市民創作活動の発表の場として、1995(平成7)年開館〕へ(11:37)。日本画の力作が多数あり、1、2階の展示室をまわる。

 

美術館を出て、間もなく左手に小説PICT5626.JPG家、永井路子旧宅〔20 03(平成15)年 PICT5628.JPG、古河文学館の別館として店蔵と住居の一部を開館。東日本大震災後、修復し昨年8月に再オープン〕へ(11:42)。中に受付の優しいおばさんがいて、説明をしてくれました。

 

その後、江戸町通りを進むと、前に堤防らしき一段高い所が見えて来る。手前の階段左手に頼政神社〔1180(治承4)年に平家に敗れた源頼政の首を古河で葬り、祀られている〕があったことを、帰宅後知り、残念。

 

PICT5631.JPG PICT5634.JPG階段を上ると、右手は少な目の菜の花の黄色い絨毯。土手沿いのサイクリングロードからは、渡良瀬川の河川敷が一望できる。河川敷のゴルフ場コースなど。後方には、三国橋も観える。

 

しばらく歩くと、右手にゴルフハウス。その手前に田中正造遺徳の碑〔日本 PICT5638.JPG初の公害事件と言われる足尾銅山鉱毒事件を 告発した政治家として有名〕が立っている。ハウス内では、保育園の保母さんや園児たちがお花見に興じていた(12:00)。

 

 

右手の土手を降りると、雑木林の奥に雀神社〔約1100年前、出雲大社から勧 PICT5641.JPG請したものと言われ、歴代の古河城主が尊拝〕があり、参拝(12:02)。

 

そこからは参宮道路を駅方面へ。途中に、外壁に泥棒避けの柵が施してある立 PICT5644.JPG派な私邸を拝見。右手に正定寺隆岩寺があったが寄らずに、500mほどで左折し、地域交流センターはなももプラザ)へ(12:10)。施設内には1835年にPICT5646.JPG造られた二丁目の旧古河屋台があでやかな姿に復元され展示。

 

野木古河線に出ると、朝歩いた旧日光街道。幟が並び、通りを眺めていると、古河 PICT5652.JPGへの標識。

左折すると、古河駅西口広場へ。改札前中央の観光案内所で、桃の造花を一輪受け取る(12:30)。

 

 

関東地方の中央に位置し、室町時代依頼の城下町として栄えた「古河」の町並み、歴史や文学の一端に触れられ、が一面に咲き誇る総合公園など、また来年もぜひ参加したい記念の場所になった。千葉からは遠方だが、満足のいく駅ハイに...。

 

3/23)土曜は、八王子の実家に行って、小生の3人で、高尾の都営霊園へ墓参。10時過ぎの出発でしたが、道路は行楽地への花見と、彼岸での外出で、かなりの混雑。行きは、スイスイでしたが、帰りは渋滞に...。

PICT5512.JPG霊園内のも、八分咲きぐらいで、陽射しも暖かく、風も穏やか。芝生が整備されていて、同地区にもお花がだいぶ上がっていて、墓参に来ている人たちが数 PICT5523.JPG PICT5518.JPG組。3人で掃除・水・お花・線香をあげ、軽く菓子類と飲み物を。の好きだったビールも上げました。

帰りに、和食レストラン「とんでん」で昼食。弟の運転で帰宅。ハトちゃんが、妻の実家で作った新鮮な野菜を持参したので、半分ずつ渡しました。

 

は、88歳〔米寿〕になり、足・腰の手術もあり、行動半径が狭まって来ましたが、まだボケておらず、元気な状態なので何よりです。

今年の6月末で、父が亡くなって13回忌になります。お坊さんを呼んで、読経をしてもらう日を決めることを長男の小生が連絡。次回は、双方の家族も集まるように約束して別れました。

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3/24)日曜は近くの習志野中央公園パークゴルフ場に出かけました。というのも、毎年の地域のスポーツイベントで、市スポーツ指導員としてのお手伝い。

9時30分に集まったのは、大半が近くのミニバスケットボールをやっている小学 PICT5530.JPG生。パークゴルフをやったことがほとんどない子供たち。参加者は25名ほど。指導員は6名。以前、スポーツ振興協会で大変お世話になった田村さんも初心者の指導とプレーの進行を手伝ってくれました。

 

3,4人を1パーティーにしてスタート

ハトちゃんは、プレーをせずに進行・指導係。1ホール最大で8打で打ち止めですが、最初からOB PICT5539.JPG PICT5537.JPGの連続。やはり、距離感や打つ強弱が初心者には難しそう。あまり、ゆっくり回っていると、次々と遅れてしまうため、できる限り説明は省略。スコアカードをつけるのは一人だけ。

子どもたちにできるだけ自由に打た PICT5546.JPGせます。ピンを行ったり来たりは当たり前。ただし、ピンに向かって平行に立たせて、方向だけはコントロール9ホールで1ラウンド。それでも、2ラウンド目にはパーを出す子もいて、子どもは覚えと順応性が早く、そばで、褒めてあげると一層頑張ります。

2ラウンドを終えて、11時になりました。子どもたちは、口々に「楽しかった」と言ってくれて、小生も「また、ゴルフ場に来てね」と。お手伝いした甲斐がありました。30年前に小生が、八王子でミニバスケのコーチをやっていたので、いろいろと苦労話で話が合いました。

時間がかかりましたが、一緒に楽しい時間を過ごせました。

 

その後、勤労会館内のホールで、2013年度の地区行事打ち合わせPICT5555.JPGあり、名簿の確認もありました。来年度もできるだけ積極的に参加したいと思います。

 

久しぶりの八王子、習志野での週末行事桜の見頃と重なり、晴れ晴れとした気分で、ゴルフ場をあとにしました。

3月20日(祝)は、大安吉日で陽気もすっかり春めいた、絶好の結婚式日和

 

ハトちゃんは、親友の結婚式に出席するべく、久しぶりの正装。このところ、結婚式には縁が無く、7、8年ぶりに白いお祝いのネクタイ。

場所は、都内の結婚式場では有名で、超一流の目黒八芳園 http://www.happo-en.com/。今年で創業70周年で、「おもてなしの心」をモットーにしています。正午までに集合ということだったので、東京メトロを利用して、「白金台」駅下車徒歩2分。

008.JPG以前、ウォーキングサークルで園内の庭園などを散策したことがありました〔元は大久保彦左衛門のお屋敷があった、江戸時代から受け継がれる約1万坪の名庭園で、 閑静な高級住宅街・白金に たたずんでいます。樹齢数百年の樹木や渡り鳥の姿等を見ることもできます〕。当日は、園内のいろいろな桜もだいぶ咲いていて、二人の門出をまさに祝福するように...。夜は、ライトアップもあり。

 

結婚式は、教会のチャペルで、賛美歌がムードを高め、背の高い神父さんの 010.JPG下、二人が白の衣装に身を包んで、厳粛に挙行されました。小生の生涯で2回目の教会形式で、館内の挙式終了後の祝福の生花が投げられるロードを歩く様子や、花嫁がブーケを女性参列者に投げる様子は、華やかさの上に参列者の笑顔が絶えない、印象的シーンで包まれていました。

 

新郎 野崎祐司さんとは、元、勤めていた職場の仕事で15、6年前に知り合い、勤勉実直で責任感が強い性格と相性があったせいで、今でもメール等で連絡し合っている仲。とくに、個人的には、来宅時、娘のエレキギターの弾き方を優しく指導してくれたり、風呂好きの小生と天然温泉に行ったり。さらに、新郎が所属するロックバンド「Zeals」の生演奏を、小生が新宿へ3回聞きに出かけたりと。

留美さんは、同バンドで知り合い、今でも一緒に演奏も続けています。

二人の年齢はだいぶ後輩になりますが、今回、新郎の友人代表として、スピーチを引き受けました。ハトちゃんは書くことは好きですが、話ではあまりうまく表現できません。何とか、一夜づけで責任を果たしました。

 

021.JPGその後の披露宴は、二人の登場からサプライズ。光を当てて、シルエットで浮かび上がり、二人が中央へと進む、心にくい演出。二人の横には、大事にしている各人のエレキギターが飾られ、ケーキは写真のように、バンドをかたどった、お手製もの

ロックミュージックがバックに流れ、スピーチを少なく、各テーブルを新婚さんがまわる時間を、ゆったりとったので、二人に直接傍で声をかけることができました。二人は終始笑顔で対応していましたが出ずっぱりで大変だったの 024.JPGでは?最後には、終わったばかりの結婚式の各シーンが大型スクリーンに二人をはじめ、皆さんの表情が映し出され、終始、和やかなムードの中、閉会となりました。

 

「結婚式はいつでも華やかで、今年で結婚25年〔銀婚式〕のハトちゃんも、幸せな気分に浸れて、有意義な一日となりました。これまで出席した結婚式では、一番印象に残る、式・披露宴でした。

夜の部、新宿「御苑スタジオ」では、バンド系友達との演奏や飲み会もありました。

 

『これからも、お二人で幸せな家庭を末永く築いて行ってくださいね』

 

3/22(金)は、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」で、1年3ヵ月ぶりとなる「京成津田沼駅~海浜幕張を歩きました。晴天と微風に恵まれ、「京成津田沼」駅前広場に集まった参加者は、先生を含め13名。9時32分スタート。

 

まず、駅前から市役所脇の菊田遊歩道へと進みます(9:35)。木々の間の遊歩 PICT5417.JPG道は心地良く、とこ PICT5419.JPGろどころに、桜の樹が、このところの暖かさで七部咲き。

 

PICT5432.JPG途中、左手、急階段を上って、鷺沼城址公園の高台に(9: PICT5430.JPG PICT5428.JPG41)。広場の桜の樹も見頃になって来ました。しばし休憩。休憩後、出入口の八重桜が見事に咲き誇り、民 家のボケの花も珍しい色で目を奪われます。

 

 

PICT5435.JPG国道14号線を横断し直進。長い「ふれあい橋」を上って下ります。介護ケアセンター「習志野」を右 PICT5439.JPG手に曲がって、「花の実」造園脇を通って、総合福祉センター(社会福祉協議会、さくらの家、秋津ヘルスステーションなど)へ(10:10)。

 

 

センター内で、トイレ、水分補給など。正面玄関から出て、秋津運動公園PICT5441.JPG10:19)に向って、進みます。「緩衝緑地 秋津公園」の石碑。入園して、秋津球場横 PICT5445.JPGから園内の道路を歩き、平和広場祈念碑、市民参加による名前や絵などの入ったレンガやタイルがある市民のいこいの広場に出ます。

 

 

ここから、前方の道路を横断し、湾岸道路脇で入口が狭い香澄公園(10:25)へ。香澄公園は、何度もメンバーは来ているので、どんどん進みます。

PICT5447.JPG PICT5453.JPG園内の芝生広場の桜も見頃で、しばらくお花見や写真撮影。じゃぶじゃぶ池は、いまだ大震災以来、ロープが張られたまま。今夏は利用できるのでしょうか?

アスレチックには親子で数組遊んでい PICT5456.JPGました。周囲の木々を観賞しながら、バーべキュー広場や、記念樹の場所を通って、香澄小学校近くの出入口へ。

 

いつもなら、ここからスタート地点に戻るのですが、先生が「千葉市の桜も観ますか?」と提案。

 

その後、株だけの菖蒲田横を通り、池を眺めて幕張方面に向かいます。香澄公園内は東西 に横長 PICT5461.JPG PICT5463.JPG PICT5464.JPGで、途中から千葉市幕張海浜緑地になっています。その境の溝を確認、またいで(10:48)、いよいよ千葉市内へ。海浜緑地の桜は、日当たりや種類が違うのか、あまり咲いていません。「習志野の桜の勝ち!」女性メンバーから声がかかります。ここでまたも、先生から戻るかどうか聞かれ、皆は歩き足りないのか、結局、海浜幕張方面へと向かうことに...。

 

習志野市が案内板、トイレ数・清潔さが見られるのに対し、地続きの千葉市 PICT5470.JPG側は案内板は無く、公園広場のトイレも一つで、あまり清潔ではありません。こんなところで、行政の違いを感じます。『千葉市の皆さん、ごめんなさい』 トイレの横に、おとなしい2匹のセントバーナード犬がいて、一匹の黒い方の模様は珍しい。ちなみに、体重はほぼ大人と同じ55kgもあるそうです(10:57)。

 

PICT5476.JPGテニスコートや芝生広場では、晴天下でスポーツに興じるPICT5478.JPG人々の姿が...。散策道は閑静で、すがすがしい気分に...。

やがて、高速道路分岐浜田陸橋下の横断信号は、変わるのが異常に短い。幕張西・浜田地区へ入りました。

 

PICT5483.JPGPICT5488.JPG幕張本郷」方面に戻って帰る2人が別れて、11 PICT5486.JPG名ははさらに先へ...。浜田 川手前 の道路を右折します。浜田川にはヨットの停泊している光景も見られます(11:08)。道端に白いユキヤナギが印象的。陸橋を左折して降りて、はじめて、東関東自動車道横の散策道を歩きます(11:17)。木が生い茂り、うす暗く、夏はきっと涼しい道でしょう。

 

 

PICT5496.JPG幅広の陸橋を進むと、幕張メッセの歩行者デッキ(スカイウェイ)になります。幕張の高層ビル群を縫うように通っていて、空中の楼閣を観る感じで、まさに幕張新都心を空中散歩している気分。晴れていたので、視界が開け、周りの一流企業のビルやホテル群が、次々と目に飛び込んで来ます(11:28)。

 

途中、幕張メッセモール街〔地上部に駐車場を設けて、2階の歩行者デッキレベルを公園的な緑 PICT5503.JPG PICT5499.JPGの空間として、メッセにつなげる緑の軸線として計画された〕近くでは、高架道にもかか わらず、水盤から水が流れる PICT5505.JPG造園や緑あふれる散歩道もあり、ベンチで小休止(11:30)。緑が多く閑静で、車も見えない空間で、とても得した気分。

 

ふだん海浜幕張地区は、人や車と一緒の地面を歩いているので、自転車や車が走らない歩行者専用道路は広くて歩きやすく、目線の違いで景色がまるで別物。有名企業の高層ビルも近くに見えて、またガラス窓に空や別の建物・風景が反射して映り、ついつい見とれてしまいました。初めて、歩いたメンバーは感激。

右手に京葉線の通るのを見ながら、陸橋の上を歩いて、JR京葉線「海浜幕張」駅前へ。陸橋の上か PICT5511.JPGらの駅前広場の眺めは格別。ここで、解散(11:50)となりましたが、メンバーの大半は、せっかくメッセへ来たので、昼食をとることに。ハトちゃんと、Nさんとが駅前ロー^タリーからバスでの帰宅になりました。

 

本日の市内ウォークは、いつもより2km多い9kmのロングウォークとなりました。先生は、午後も歩くそうなので、コレくらいは何でもないでしょうが。

 

ハトちゃんは、帰宅・昼食後、約2週間ぶりになる東部体育館へ行き、筋トレで1時間汗を流しました。

 

明日、23日(土)は、八王子の実家で母と弟と一緒に彼岸の墓参。24日は、スポーツ指導員として、パークゴルフのお手伝いと、2013年度事業の打ち合わせ。週末の妻の実家での畑作業は、久しぶりのお休み。のんびりとした週末になりそうです。 

 

 

習志野「ゆうほ(友歩・遊歩)21」のウォークは、今回は集合時間を1時間早めて、「スカイツリーに上がる」企画。晴天の下、3月12日(火)8時30分に、「京成船橋」駅構内で待ち合わせたメンバーは、神田先生をはじめ、19人。

 

本日のコースは、「東京スカイツリーから浅草酉の市へ」(約7km)で、スカイツリー開業前にスカイツリーを観て浅草&新年会に行って以来。

 

押上」駅に9時15分に到着。東京ソラマチ4階までエスカレーターに乗る PICT5087.JPG。2人を除いて、全員が東京スカイツリー高さ634mの放送送信用タワーで世界 PICT5103.JPG 一。新しい下町名所〕入口へ。日本で一番高い天望回廊(451.2m)まで上ることで、期待とチョッピリ高所不安が錯綜していつになく落ち着きません。大人数でも乗れる高速エレベーターは、最初に350mの天望デッキまで、約1分で到着(9:24)。耳がキーンとするが、揺れはコップの水がこぼれないほどの静かさと安定感。先生の後に付いてエスカレーターを降りて、眺望の観えるデッキへ。デジカメやスマホで記念写真を撮っている人が目立ちます。

 

先着の観光客が特殊ガラスの壁に並んで、感激した様子で、上から観る景色に歓声やためいきが聞こえます。われわれも空いた所から覗き込み、初めて観る景色に子供のようにはしゃぐ女性陣。

 

PICT5108.JPGそれでも、さらに100m高い天望回廊へ先に行くことになり、あら PICT5099.JPGためて料金を支払って、上空へのエレベーターに乗り、降りてから景色を眺めると、さらに建物などは小さく観えて、空が青くて、その下に薄い黄色がかった層ができて、遠くに富士山が白くぽっかり浮き上がっているように観えます。

本日は、富士山が浮かんで観えてラッキーでした。

 

さらに、らせん状のゆるやかなフロアを歩いて行くと、眺望できる最高到達点へと(9: PICT5107.JPG58)。「〇〇があそこに」「〇〇も観える」といった具合に、知っている場所を、次々と発見。ウォーキング指導員の神田先生が明解に教えてくれます。

 

ゆっくり眺望を楽しんで、名残り惜しかったのですが、下の天望デッキへ。こちらは、 PICT5117.JPG PICT5126.JPGスペースが広いので就学旅行生や外人の観光客も多数見かけます。地方なまりのある団体さんもいっぱい。記念写真のコーナーや、足元が透けて直下の景色が観える場所では、落ちるわけが無いのに、足を震わす人もいて、苦笑い。お土産コーナーも関連商品を買い求める方たちも...。

十分に天上の景色を楽しんで、やっと、地上に降りて来ました。

 

ソラマチ(商業施設)内でウィンドーショッピングやトイレ休憩(10:45)。ここ PICT5142.JPGでしか買えない商品などもあり、しばし休憩&買物タイム。

さぁ、本日の目標は終わりましたが、これからウォーキングサークルなので浅草へと歩きの時間。地上に出ると、前方に「スカイツリー」が見えました。まじかの迫力に圧倒され、あまりにも近くなので、見上げるたびに首が痛くなるほどです。下からは、少し離れた遠方から見ると全貌が見えて感激します。

PICT5144.JPG PICT5146.JPGその後、ツリー開業に合わせ整備された北十間川に沿って歩き、東武橋、業平橋を渡って、マップとは違う浅草通りへと...。(11:11)スカイホップ、バスチケット売場や、船の形をした公園皇太子御降誕記念があり、吾妻橋手前のリバ PICT5149.JPGーピア吾妻橋と呼ばれるコミュ二ティースペース。アサヒビールのインテリジェントビル(金団雲のデザイン)前のビアホールで昼食(11:35)。ランチしかなく、他に地ビールを飲むメンバーも...。

 

昼食後、アサヒビールの金とん雲の建物の右手、墨田区役所前うるおい広場にある右手を指差して PICT5157.JPG PICT5160.JPGいる幕末の雄、勝安芳(海舟)〔1823~1899本所生まれ〕の銅像へ。見上げるほど高い位置にあります(12:32)。上空には、アリコ・ジャパン PICT5156.JPGの飛行船が飛んでいました。

その反対側のビルのガラスに、反射した金色のスカイツリー が写っていて、隠れスポットになっているのを、メンバーに教えてあげました。

 

途中、「浅草文化観光センター」の5階から「東京スカイツリー」が観える絶好ス PICT5162.JPGポットにも立ち寄りました。赤い欄干の吾妻橋を渡って、浅草へ。右手には、浅草寺 PICT5165.JPG PICT5166.JPG雷門から連なる仲見世が見えて来ます。土産店を覗き込むメンバーもいました。雷門通りを直進し、途中、久保田万太郎(小説・戯曲家)生誕の地記念碑あり。その後、国際通りを横断して、左折。

 

 

西浅草1丁目の通りを今度は右折すると、本山東本願寺へ(13:08)。境内は広く、本殿の屋根が PICT5169.JPG PICT5171.JPGPICT5175.JPG大きくて立派です。先生から「ドイツ人捕虜収容所として、浅草本願寺が使用されていて、地元習志野市の捕虜収容所が1915(大正4)年9月に新たに完成し、移設されたという経緯で関連があった」とのこと。1868(明治元)年、彰義隊が結成され、その拠点に。その後、浄土真宗大谷派から独立し、現在に至る。社殿の中では、檀家さんでしょうか? 仏具を磨いていました。また、外壁の白い5本線は、格式の高い門跡寺院の印です。

 

次に、かっぱ橋道具街通りを千束方面に真っ直ぐ進みます(13:19)。調理道具や食器、厨房設 PICT5176.JPG PICT5183.JPG備、製菓洋品などの店舗道具類が店舗に並べられています。一般にも小売をしているので、家庭の主婦が多いメンバーは、急にゆっくりしたペースで、物色し、安い品を購入して、先に行っているメンバーも待つ破目に。案内の先生は、「買物はご自由に」という姿勢で優しい。

 

 

前を行くメンバーは、台東区立中央図書館内の池波正太郎〔小説家で、「鬼 PICT5185.JPG平犯科帳」や時代小説で有名〕記念文庫を鑑賞。ちょうど、「池波正太郎自筆絵画 PICT5187.JPG展 ヨーロッパの人-田園の人-」を開催中。

ホールでは、14時からピアノの生演奏でしたが、出発が10分前で聴けませんでした。途中に、つばきのきれいな花が...。

 

その後、道具街の終点から花園通りに出て、間もなく左折すると、赤、金色などを使った宝船や招き PICT5188.JPG PICT5191.JPG PICT5194.JPG猫、千両箱など、きらびやかな飾りをつけた大きな熊手が赤い鳥居の左手に。「酉の市」で有名な鷲神社・長国寺へ(14:03)。神社の境内に、樋口一葉玉梓乃碑があり、木製の大きな福笑いの面を撫でると、その部位が良くなるということで、皆、触っていました。長国寺は、 PICT5197.JPG PICT5199.JPG御酉様の寺として1630(寛永7)年に開山。1868(明治元)年、神仏分離令により、寺と神社に分離され神社の隣りに寺が...。

 

すぐ先に、飛不動があります(14:12)。「飛不動」という名から、航空安 PICT5203.JPG全の守護神として有名になり、現在ではゴルファーのボールが遠くに飛ぶようにと願PICT5206.JPGうこ とでも参拝者が多いとのこと。途中の道路脇に、「樋口一葉旧居跡」の案内がありました。

 

 

最後は、台東区立一葉記念館 http://www.taitocity.net/taito/ichiyo/ 〔樋口一葉(明治の作家で「たけくらべ」「にごりえ」で有名。また、現在の5千円札の肖像にもなってい PICT5210.JPGる。2006(平成18)年11月に再オープン〕前で、解散ということになりました(14:20)。

 

入館組と、帰る組とに分かれて、ハトちゃんは帰る組で、東京メトロ・日比谷線「三ノ輪」駅へと向かいました。

 

初の世界一の高さからの眺望は、強く印象に上りました。一人では上らなかったと思うので、東京ゲートブリッジと同様に、サークルの強みを感じました。

12日の火曜に続いての東京スカイツリー見物となった3月15日(金)JR駅ハイ「上野から東京スカイツリーを眺めて下町散策(約9km)」に、大学の先輩たちと行って来ました。

 

まず、上野駅集合(9:30)でしたが、駅ハイ受付は10時から。遠藤さんは、前回の佐倉ウォーク時に兼子先輩からいただいた、ブルーのウェアで颯爽と登場。いつもより30分早く時間がもったいないので、コース外の上野恩賜公園を案内することに。

 

便利になった横断デッキを渡って、公園側へ。

PICT5233.JPGまず、、東叡山 寛永寺清水堂の舞台へ。上野の寛永 PICT3302.JPG 西の比叡山延暦寺に対して、山号が東叡山ということ、清水堂が京都の清水寺に見立てて、舞台があること、そして不忍池が琵琶湖に見立てていることなどを、話しました。舞台は狭く、輪になった木の真ん中をかわるがわる覗きます。先輩たちは、清水寺と比べてあまりにも小さいので、笑っていました。

 PICT5231.JPG

次に、公園シンボル西郷隆盛像へと向かいます。整備も進んで、犬を連れた西郷 どん、ハトの糞の汚れも落としたきれいな顔をバッチリ見ました。さらに、清水堂脇の階段を下りて、不忍池(しのばず の池)へ。階段が2段ごとにあり、歩幅が合わず降りづらい。

 

 

不忍池の中の島にある弁天堂(弁財天)へ。 正面を進んで、広い池のPICT3324.JPG PICT5234.JPG PICT5235.JPG 中央部分へ。池は、枯れた蓮の茎で覆われています。参拝客も訪れ、早速、「江戸最古の谷中七福神めぐり」を参拝。兼子先輩は、相変わらず、お賽銭を投げて参拝。弁 天堂の外装はまだ新しく、赤を中心にきらびやか。鯉や亀が池で泳いでいました。また、水鳥も結構います。 池のほとりにふぐの墓碑めがねの碑駅伝発祥の記念碑などもあります。

改装した精養軒横を通って、次に行ったのが五篠天神社 PICT5236.JPG 花園稲荷神社 DSC00929.JPG

さらに、上野大仏〔度重なる地震や火災で破壊さ れ、胴体は太平洋戦争で供出。顔だけがレリーフとDSC00938.JPGして残存。実際の像高約6mの釈迦如来坐像だった〕へ。上野に大仏の頭だけがあるなんて、前回の新発見。奥行きの無い、平べったい顔のパーツのバランスが悪く、また場所が目立たないので、知らない人も多いと思います。傍に、大仏再建を願うパゴダ(仏塔)があります。

   

さらに、噴水広場から正面に国立博物館を眺めて、もっと案内したかったのですが、 PICT5239.JPG 10時をまわっっていたので、また、横断デッキを戻って、駅ハイ受付でコースマップなどをもらって、やっとスタート

いよいよ楽しい道中が始まりました。駅前から首都高速4号線に平行の昭和通りに出て左折して直進。北上野1丁目の横断歩道を渡って右折し、左側通行で PICT5241.JPG PICT5244.JPG 進みます。

かっぱ橋本通りに入ると、正面にスカイツリーが見えて来て、途中、何箇所かかっぱの置き物があります。

左折すると、かっぱ橋道具街で、調理道具や食器、製菓用品などの生活用具の問屋街で、店頭や道路際まで並べられていて、道行く人もつい立ち止まって手にとったり、小売用に値札もついていて、かなり安価。2人は、家事をやっていない?のか、あまり、立ち止まらず黙々と...。

浅草ビューホテルチェックポイント。中でトイレ休憩とだいぶ歩いて暑くなって来たので、上着を1枚脱ぎます。

ホテルを出ると国際通りに。いきなり、交通量が増えます。左折して、300m PICT5247.JPG ほどで西浅草3丁目の交差点。右折して、今度は言問通りを直進。間もなく、浅草寺病院が右手にあり、浅草寺の裏手に。「雷5656(ゴロゴロ)会館」等看板名に(笑)。あとで、浅草寺は寄るので、言問橋手前の隅田公園〔約1kmにわたる桜の名所で、約700本の桜の木が植えられている〕へ。言問橋からもスカイツリーが高く聳えているのが、よく観えます。

 

PICT5251.JPG PICT5252.JPG 橋を渡り、右手に降りて、ちょっと牛嶋神社に寄り道。「牛、見たくない?」とハトちゃんが聞くと、満更でもない様子。境内には、自分の体の悪い部分と同じ場所を撫でると病気が治るといわれている「撫牛」があり、心身快癒の祈願物として信仰されています。明治初期に隅田川に沿う旧本所一体を「牛嶋」と呼ばれ、総鎮守として「牛嶋神社」と称したというゆかりが...。神社では珍しい左右一対の牛の石像〔狛犬ならぬ狛牛〕や、社殿は総桧権現造りで雰囲気のある大社。

 

PICT5248.JPG 言問通りに戻って、スカイツリー方面に直進。東武鉄道の「とうきょうスカイツリー」駅前へ。ここで、せっかく来たので、込み具合で、できたらツリー天望回廊に上ろうということに...。

エスカレーターで入場受付へ。

火曜に来た時は、早朝9時半だったので5分待ちだったので 淡い期待をして行ったんですが、やはり、昼近くは2時間近くの待ち。あきらめて帰ろうとした時、先日の天望回廊での会話を思い出しました。

PICT5260.JPG そうです。「ソラマチビル無料で展望できる場所がある」と PICT5258.JPG 言っていました。1階まで降りて、全然並ばずに、シースルーのエレベーターで31階(地上約100m)へ。展望スペースは、狭い場所に限られていますが、隅田川にかかる桜橋やいくつかの橋、東武鉄道の線路や、市街地が観えて、とりあえずツリーを模して上空気分に浸りました。今度は、早朝に来ないとダメですね。

 

PICT5262.JPG 東京ソラマチ」で、ウィーンドー・ショッピング。ここにしかしかない店・商品もあり、酒好きの兼子先輩は、日本酒を1本購入。ご満悦。PICT5268.JPG

 

外の広場からは、太い鉄骨の上にスカイツリー。ちょっと観ていただけで、首が痛くなります。二人はツリーと人を入れるべく、寝転んで写真を...。

ツリーには上れず残念でしたが、ゆっくりとしたペースで、整備された北十間川に沿って歩き、東武橋で河津桜2本が散り始めていましたが、絶景スポットから3人の記念写真を。いつもいる案内人の名物おじさんの姿も...。

 

業平橋を渡って、浅草通りでバスチケット売場脇を抜けると、船の形の公園や2階だての観光バスを見かけます。直進して、5差路を進むと、吾妻橋。ここで行き先を間違えそうになりました。

PICT5272.JPG ここで、またハトちゃんから、寄り道の提案。アサヒビールの金とん雲の建物の右手、墨田区役所前うるおい広場にある右手を挙げている幕末の雄、勝安芳(海舟)〔1823~1899本所生まれ〕の銅像へ。見上げるほど高い位置に。

 

その反対側の金色のビルのガラスに、反射したスカイツリーCIMG0622.JPG 隠れスポットになっていて、これを二人に見せたかったので、連れて来ました。感激してくれて、うれしい限り。しばし、絶景に小休止。

 

 

吾妻橋の赤い橋の欄干を過ぎると、「東武浅草」駅前の交差点。横断すると、角に神谷バー。このあたりから雷門にかけて、観光客目当ての人力車を引く若者の威勢の良い格好が続く。

雷門前では、多数の待ち合わせや観光客。仲見世通りを平 PICT5277.JPG 日だというのに、 PICT5275.JPG ごった返しする中、浅草寺の境内まで進みます。

 

浅草寺〔628年の飛鳥時代の開創といわれ、都内随一の古刹 PICT5278.JPG PICT5280.JPG で参賀客も毎年ベストテンに。外国人(東南アジア系)の参拝客や修学旅行生も来ていて、いつも賑わっています。広い境内には、雷門、宝蔵門、本殿、五重塔などがあり、スカイツリーと寺のコラボもスポットに。

PICT5282.JPGコースでは、伝法院通りを通るのですが、境内横の道から、六区通りを進みます。浅草にゆかりの喜劇人の写真が通りに沿って並んでいます。また、観光案内する人力車寄席の呼び込みも...。

 

国際通りに出て、近くの「デニーズ」で遅い昼食・喫茶と雑談(12:50)。

 

40分ほど休んで、国際通りを進み寿4丁目の交差点で、右に曲がって、浅草PICT5285.JPG通り上野方面へ。

道の両側は、仏壇通りになっていて、仏像や仏壇・仏具を並べている店が続きます。

PICT5289.JPG PICT5291.JPG 下谷神社前で左折すると、突き当たりに下谷神社〔730(天平2)年開創の古社〕。境内は狭いが、右手に「寄席発祥の地」の石碑が立っています。

 

 

 

続いて、永寿総合病院の前を通り、ここで「永く寿という名」が各々いたく気に入って、「ここに入院すれば長生きできるぞ!」と勝手な解釈。

 

その先の東上野コリアンタウン〔都内で最も歴史があり、ベトナム料理や韓国PICT5293.JPG 料理・キムチなどの食品店〕の外観を見物。意外と店数は少ない。

 

 

首都高速の低いガード下を潜り抜け、アメ横商店街〔JR御徒町駅~上野駅の高架 PICT5297.JPG PICT5302.JPG 線路下の商店街。戦後の闇市が発端で、駐留軍の横流し品を扱い、当時飴屋が多かったことに由来。生鮮食料品やお菓子、野菜、靴、洋服などあらゆる品物が、店頭に並べられ、安く販売〕。人込みの中、ゆっくりと見物して、前の人の後に続く...。値段を連呼する店員や、テレビでも有名になった、おまけするチョコレート店など。師走には、正月買い物客でごった返す。

 

やっとのことで、上野駅ゴールへ(15:33)。待合所のパンダの上の桜が鮮やか〔本 PICT5227.JPG 物ではありません〕。「ああ上野駅♪」で歌われていた頃とは大きく様変わり。

ゴール後、反省会と次回の打ち合わせ。駅ビルアトレの「スターバックスコーヒー」 CIMG0619.JPG は満席状態。その先の「アフタヌーンティー」に入店。店は静かで、メイドさんの衣装も大人っぽい雰囲気。女性客ばっかりで、われわれ男三人組を除くと一人のみ。

案の定、コーヒーの値段は、通常の店の倍以上。その他も777円となぜか。ぞろ目が好きみたい。

 

人込みで疲れたのか、定年後の男として暇なのか、四方山話に花が咲いて?〔15日は桜がまだ開花宣言ならず〕時間を費やしました。

 

ハトちゃんが、一昨日、年金事務所で裁定手続きを終え、使用した戸籍謄本が無料だったのに感激した話をすると、兼子@品川の2万歩男は知っていて、「そりゃー、感無量無料?)だったな」と冷やかす始末。相変わらずのおやじギャグの冴えを見せてくれました。

 

先輩たちは、スカイツリーに上れなかったので残念でしたが〔ハトちゃんは12日(火)に展望〕、下町の懐かしい町並みや穴場スポットを一緒に散策して、楽しいウォークになりました。今回の上野は、ほぼ3人の住居地から等距離で、1時間以内。

来月は、金曜日が都合の良い品川の髭男爵に合わせ、12日に「流山の江戸川沿いの菜の花の黄色い絨毯を」観に行く予定。

 

お二人さん、お疲れ様でした。

 

3月16日(土)、春らしい陽気で駅ハイ期間設定ウォーク(in 大宮)は、残り2日となって、ぎりぎりの参加。

 

大宮は、中山道の宿場町として発展し、駅周辺には明治の頃から車両工場が置かれて、「鉄道のまち」として知られています。また、東北新幹線の停車駅で、「鉄道博物館」があり、近隣には、大正時代より続く盆栽村もあり、埼玉県下有数の商業と文化の中心都市になっています。

 

大宮駅は、3ヵ月前の駅ハイ以来。9時30分着で降り立ったハトちゃん

 駅前のインフォメーションセンタースタート(9:31)。今回は駅東口から、大 PICT5310.JPGPICT5315.JPG中央通りを真っ直ぐ進みます。3つ目の信号右側に交番があり、左折し北進。氷川参道(氷川神社の参道が真ん中にあり、両側を舗装道路に挟まれている。参道の幅は広く、大きな木々が聳えています。

 

 

 

一つ目の信号右手に、さいたま市立図書館が手前で、右手奥に博物館。博物館 PICT5319.JPGが無料だったので入館し、さいたま市に関する歴史・考古・民俗等の資料の収集・展示を見学。郷土学習や体験学習コーナーもありました。特別展「さいたま考古学の始まり」を開催中。

 

PICT5321.JPG PICT5327.JPG PICT5330.JPG次に、参道に戻り直進すると、右手に氷川の社文化園の竹林、前方に立派な鳥居と社殿がある、武蔵一宮氷川神社〔二千年以上の歴史をもつといわれ、大いなる宮居として地名の由来にもなった日本でも指折りの古社。武蔵一宮として関東一円の信仰を集め、東京都・埼玉県近辺に約200社ある氷川神社の総本社で、他の氷川神社と区別する際は大宮氷川神社とも呼ばれる〕へ。

参道の長さは中山道の「一の鳥居」から約2km、また県道2号ぞいの「二の鳥居」は高さ13mで、明治神宮より寄贈移築され、現存する木造の鳥居では関東で一番大きいと言われています。境内には楼門、舞殿、神橋、神池もあり、広い境内は約3万坪もあり、古杉や老松は悠久の歴史をしのばせます。

 

 

本殿の横から、大宮公園〔1885(明治18)年、駅開業と共に県初の県営公園として開園。自然豊 PICT5333.JPG PICT5335.JPG PICT5340.JPGかな公園で、桜の名所でもある〕へ入園できます。ジョギングのランナーが横を走り抜けて行き、日本庭園を過ぎて、公園手前のNACK5スタジアム前では、土曜のJリーグサッカーの試合前にファンがオレンジのユニフォーム姿で並んでいました。翌日の新聞で、試合結果は、新潟と1対1の引き分け。

園内には、野球場をはじめ、競輪場、体育館などの運動施設の他、ボ PICT5344.JPGート池や小動物園、それに広い芝生と、散歩やウォークには持って来いの憩いの場所。

 

 

園内の案内に沿って、「歴史と民俗の博物館」へ。正面は先でしたが、裏から PICT5346.JPG PICT5349.JPG入り、喫茶店内を抜けて、階下に入口があるという珍しい設計。駅ハイの割引料金で入館。入口で縄文時代と弥生時代の土器の違いを、手で触って体験。常設展では、埼玉における人々のくらしと文化を時代を追って、見学。

とくに印象深かったのは、地階の板碑(板石塔婆―鎌倉時代中期から戦国末期にかけて造立された供養塔婆で5mを超えるものがある)が、吹き抜けのフロアから堂々と立っていた光景に目を奪われました。特別展「発掘された木の道具」を開催中。珍しい木器の出展です。

 

 

博物館を出て、右折。弓道場では、遠くの的が並んでいるのが見えます。国体 PICT5354.JPG記念会館を越えて、東武野田線「大宮公園」駅手前を左折し、踏切を渡って直進し、間もなく風情のある四季の道へ。

 

 

途中の漫画会館(入館無料)に立ち寄る。日本近代漫画の先駆者北沢楽PICT5360.JPG天 住 居跡に建設された PICT5357.JPG日本初の漫画美術館 で、当時の世相を風刺すPICT5365.JPGる姿勢や、独特の筆致による『時事漫画』の真髄に感じ入った次第です。

 

 

その後、盆栽村〔現在は5軒で、うち蔓清園〕を見学。また、 PICT5367.JPGくつ PICT5369.JPGろぎの場所として盆栽四季の家(休憩室)は外観のみ。

 

 

 

四季の道を抜けて、やっと大宮市盆栽美術館に到着。館 PICT5371.JPGPICT5377.JPG内には、盆栽の作り方や手入れ方法なども紹介されていて、奥のフロアでは、「春の花もの盆栽展」が開催中。盆栽の名品や盆器、水石、絵画資料などが展示されていて、盆栽の美しさとむずかしさに触れることができました。

屋外では、鉢植えの古木の盆栽も40鉢程 PICT5381.JPG度展示されていて、いろいろな角度から眺められます。また、2階デッキから全体を一望できます。駅ハイのウォーカーをはじめ、中高年の多数の入場がありました。

 

PICT5384.JPGその後は、JR宇都宮線の土呂駅横の中島踏切を渡って、コースマップに沿って、ほぼ一直線で1.5kmほど、黙々と右側通行で進み、JRの高架下を左折して、高架に沿って直進。鉄道博物館の駐車場が続き、出入口ではガードマンが...。

 

 

ニューシャトルの「鉄道博物館(大成)」駅前に鉄道博物館 http://www.railway-museum.jp/top.html 〔JR東日本の創立20周年記念事業のメインプロジェクトとして2006年5月に閉館した交通博物館に替わる施設として、2007年10月14日 PICT5387.JPGの鉄道の日に開館〕。 博物館前にも、車両や車輪があり、路面には時刻表が書かれています。前回、博物館内は十分に見学したのと、入場料が高いのでパス。チェックポイントにカードを通すのみ。

休日のせいか、家族連れの姿が多く見られます。

 

鉄道博物館を出て、線路沿いを大宮駅に向かって真っ直ぐに30分ほど歩きます。博物館から少し歩 PICT5392.JPG PICT5397.JPGくと、車両の変遷パネル写真が通路の壁に飾られていて、歩きながら沿革を辿れます。覚えていたものもあり、懐かしい感じが...。車両センター付近に、蒸気機関車D51の先頭車両があり、車両センター付近までパネルが続きます。最後は、左折して西口から東西横断道路で中央改札口のインフォメーションセンターでゴール(12:05)。

 

前回も、身障者切符を買う際、みどりの窓口は並びましたが、今回は休日でさらに並んでいました。約10分で何とかセーフ。早めに駅でゴールしておいて助かりました。

 

大宮から3時間かけて妻の実家に着いたのが15時半過ぎ。週末の畑仕事で汗を流しました。 

 

3月16日(土)は、東京の靖國神社の標準木のソメイヨシノが例年より10日も早い開花宣言

寒かった冬も終わりそうかなぁ? と思っていた矢先に、一転、本日(3/18)は、強風の一日。

10時過ぎに、毎月、定例の千葉健生病院健康友の会花クラブのサークル活動日。颯爽と、チャリンコに乗って出かけるも、舞い散る砂ぼこりが目に入り、また踏切で遮断機が降りて、10分の遅刻。

 

PICT5407.JPG PICT5410.JPG陽気が暖かくなったので、国道14号線ドーロ(道路)沿いに、らっば水仙ロード(花壇に並んで咲く)が満開で、可憐な姿でお出迎え。

また、病院の花壇に咲く、黄色い菜の花や、色とりどりの花々もきれいです。

その一方で、雑草もだいぶ生えて来て、参加したメンバーは、汗をjかきながらも黙々と小鎌で草とり。1時間半で、大きなゴミ袋が7、8個いっぱいに...。

 

一人では、嫌になりますが、みんなでやったので、見違えるほどきれいになりまし PICT5412.JPGた。その後、会議室でお茶を飲みながらの打ち合わせ。正午を少し回ったところで終了。今年のお花見は、来月の活動日(4/8)には散ってしまうと予想されることから、実施しないことになりました。

 

午後からは、機関誌「友の会だより」の発送のお手伝い。ハトちゃんは、今月、14日に続く二日目。明日の午前中も参加して、何とか、祝日の前に終わりそうです。今月号の表紙に、小生の拙文が載っていて、チョイと恥ずかしい限り。

 

今、自宅で20日(祝)の結婚式スピーチの原稿を書いていましたが、雨はぱらぱらですが、強風が古家の外壁や窓にゴーゴーと呻りをあげて、台風並みにぶつかり、恐ろしいほど...。

 

春の嵐は、低気圧が発達して、すさまじい風の強さ。高台の家は、コレだから嫌なのと、妻はつぶやく。2階の子どもたちは、はたして今晩、熟睡できるのかな?

 

3月9日(土)ハトちゃんは駅ハイで、山武 いちごの里(成東)約10kmを歩きました。

 

PICT5046.JPG千葉駅を7時35分発の成東行き(大網回り)で8時22分着。PICT5082.JPG

30分からの受付でしたが、5分前に開始。天候は晴れて、日差しが暖かい。 まず、安井理民作の魁の碑前を通過。直進後、間もなく左折して、総武本線の成東踏切を渡ります。

国道126号線に沿った道を進んで、境川にかかる往環橋を渡って、旧街道をひたすら直進。ウォーカーは縦一列に少し離れて歩く光景...。

 

 

PICT4986.JPG PICT4987.JPG最初のポイント、光明寺〔徳川将軍家の菩提寺である上野寛永寺の隠居寺として、835(承和2)年建立、寿老人を祀る〕へ(8:37)。手前の山門が古刹で勘違い。本堂は先で、境内にマラソンの碑〔小出監督と高橋尚子選手の足型〕があります。

次に、通り沿いにある大高醤油〔1804(文化元)年より、醤油などの製造・販売〕 PICT4992.JPGの外観だけ(8:42)。

 

すぐ右折して、国道沿いの「いちご園・いちご狩り」の幟や看板と次々と出会い PICT4995.JPG PICT4997.JPG PICT5000.JPG

ます(8:45)。一坪ほどの販売所や、大きいビニールハウスがある苺園など。その数は、ざっと見ても、10軒を超えます。いちご狩り料金の割引がきくマークの店も並んでいます。

 

小手苺園駐車場を過ぎて、十字路手前の信号を道案内にしたがい右折。 PICT5005.JPG間もなく、広口苺園直売所前で観光協会の方々が準備してくれた「いわしの特製つみれ汁」のサービス(9:06)。味も良くて、もう一杯おかわりしたいほど。身体が温まりました。

 

PICT5008.JPG右に曲がって、前方に総武本線の線路が見えて来ます。線路を越えてすぐ右折(9: PICT5011.JPG11)。

線路に沿って、ひたすら長い直線道路を進みます。あたりは、遠くまで一望できて、のどかな田園風景が続きます。歩いている途中で、こちらに向かって来た車の運転手さんから「今日は何かあるの?」と聞かれ「駅ハイで歩いているんです」と。「頑張ってね」と激励されました。

 

PICT5015.JPG一度、横を電車が通り、感激。単線なので、1時間に1本しか走っていないのでラッキー。

しばらく歩いて、道なりに左手の方に進みます。右手は草っ原の道が線路づたいに延びています。

 

PICT5017.JPG PICT5022.JPGさらに、真っ直ぐ田園風景を歩いて行くと、やっと境川の耕基橋のたもとに(9:41)。橋を渡り、川沿いの道を進むとわずかに咲いている、黄色い菜の花が部分的に。

 

 

PICT5026.JPG

右折してマルキ苺園の角を右に曲がって、少し進むと、山武市歴史民俗資料 PICT5035.JPG PICT5043.JPG前に(9:51)。係員の方々が歓迎してくれました。手前に、伊藤左千夫の歌碑と、来館記念『野菊の墓』の政夫と民子の顔はめ看板があります。左千夫記念館も兼ねていて、左千夫の遺品・書籍・文房具なども展示されています。

裏庭に、座敷、奥ノ間、囲炉裏、土間など PICT5037.JPGのある伊藤の生家茶室 唯真閣』を見学。

 

ここでも「頑張ってください」と別れの言葉をかけられ、東金線の踏切を渡り、白梅が満開の家も。伊藤左千夫記念公園を右手に見て、山武市役所前へ。

 

「いちごの里 さんむS1グランプリいちごスイーツ対決の会場へ(10:05)。開会式は11時 PICT5050.JPG PICT5051.JPG PICT5053.JPGで少し早すぎた到着で係員が準備中。ぐるっと歩いてコースに戻りました。

 

 

国道126号線を渡って、作田川の大橋を渡って右折すると、前方の石塚山中 PICT5058.JPG腹にそ PICT5065.JPG PICT5070.JPGびえ立つ浪切不動院長勝寺は、天平年間(729~749年)にが難破船の海難除けとして不動尊像を彫ったものを弘法大師が石塚山に移して開眼し、お堂を建立したのが始まりとされています。朱塗りの本堂は、入母屋造りの瓦葺き、間口三間、奥行四間、欄干・回廊をめぐらした懸崖造りとなっています。創建年代は不明ですが、改修をした際に発見された棟札に1618(元和4)年と記されていたと伝わる。 新上総国三十三観音・第三十二番札所〕へ(10:24)。

 

PICT5067.JPG本堂へ向かう途中の観音堂には、ぼけ封じ縁むすびの石があり、急階段を登り、朱塗りというよりはに近い本殿から、成東の町を一望できて、登った甲斐がありました。

境内には、昔ここが海だったことを示す奇巌・怪石もあります。

 

左手の小高い成東城跡公園(桜の名所)は、結構、広い。堀のゆったりしたPICT5076.JPGれを見ながら、右折して駅方面へ。勧業大橋を渡って、JAの敷地内へ(10:48)。

PICT5080.JPGテントで、山武自慢の米粉麺〔お米を麺にした半生麺〕試食はつるつるした喉ごし。熱いとん汁サービス。さらに、「ちばエコねぎ(3本入り)」のお土産もいただきました。今年の駅ハイで、最も多いサービスに感激。

 

最後に、駅前観光所前でゴール(10:57)。スタンプラリーの印と、PICT5061.JPGチラシの収集。PICT5056.JPG

 

成東駅から総武本線銚子行で、駅下車。駅前からバスで30分。妻の実家小見川駅行きで、「南原地」で下車。スーパー「マルヘイ」で買物していた、義兄と待ち合わせて、車で5分。

土、日は、じゃがいも植えと、篠やツタの枯れ木の伐採、野菜の収穫など、畑仕事。PICT5400.JPG

ただし、日曜は、強風で煙霧花粉も飛散して、目には砂埃が入ったり、マスクをしていても鼻水がズルズルで、つらい作業となりました。火事が起こって、家の前を2回も消防車が通る始末。防災香取から「焚き火をしないように」と、再三のアナウンス......。良かったのは、この頃の暖かさで、やっとつくしがニョキニョキと顔を出しました。

 

10mを超える強風が吹く中、3月13日(水)は、午前中に幕張年金事務所へ、老齢厚生年金の裁定請求書を提出に行って来ました。必要書類を前日までに揃えて、早朝、近所にある京葉銀行大久保支店で、振込先の金融機関証明印をいただき、年金事務所に9時30分到着。

 

「3月末の退職者の相談が増えて来ていて、正午以降は混雑が激しい」とのこと。幸い、書類も整っていたので、20分で手続きを終えました。前の職場で、社会保険を10年ほど担当していた関係で、麹町社会保険事務所には、頻繁に出かけていました。その頃、裁定請求書提出のお手伝いもしていたのですが、自分の分を提出する年齢になったことに、時の流れを感じることに...。

 

3年前の選択定年時に、年金加入問題で社会保険庁が批判され大変だった頃に、年金額の照会に行って調べた金額よりは、だいぶ下がっていて、ガックリ。それでも、一定の額をもらえることに感謝。

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昼食後、千葉ロッテ埼玉西武とのプロ野球オープン戦を、ウォーキングサークルの中村さんと千葉QVCマリンスタジアムで観戦。小生は、花粉症のためマスク着用。

PICT5211.JPG強風を避けて、珍しく一塁側内野席へ。観客は、オープン戦なので、3千人弱。空席が目立ち、座席のカラーシートが大半見える状況。

球場では、すでにスターティングメンバーの紹介が始まっていました。 定刻13時 にプレーボール。いきなり、初回、西武がホームランなどで3点。嫌な雰囲気でしたが、その裏にロッテも反撃、2点をとり、さらに同点にするまでは、ゲームとして成 PICT5214.JPG立していました。進行はゆっくりで3回で1時間半を超えました。

 

ハトちゃんが持って来たつまみと、中村さんが持って来たビールを二人で飲んで、あれこれ四方山話に花が咲きます...。

陽射しは、だいぶ春らしくて、気温も高いのですが、強風で買って来たレジ袋が舞うこともしばしば。

 

ビールを売るバイト女子高校生のカラフルなユニフォーム。半袖、スカートのユニフォームの子も数人いて、さすがに寒そう。通路の階段を上り下りして、「ビール、いかがですか」には、少々同情的になり、手を挙げて買ってしまう人も...。まだ、肌寒いせいか、ビールもそれほど売れません。

野球のほうは、その後も、巨人から移籍のゴンザレス投手が打たれて、当然、ピッチャー交代の場面を引っ張り続けて、メロメロ。さらに、救援の外国投手ロサが、満塁で長打を打たれ万事休す。

 

5回のグラウンド整備での、チア・ガールズやチームマスコットキャラの「マーくん」(写真左)が観客関で愛嬌たっぷりのサービス、「クールくん PICT5224.JPG」(写真右) PICT5216.JPGの連続バク転が唯一の楽しみ。さらに、ラッキーセブン時は風船飛ばしがたったの2個。お寒い応援でした。回の合間に、クール君が近くまで来ると、クール君とチアガールのそばで撮影。

 

5回に、1塁側が陰って来て、寒くなったので、日当たりの良い3塁側に移動。ラッキーセブンの代打ホワイトセルの2点タイムリー打を見て、とりあPICT5220.JPGえず納得して帰りのバスで、家路を急ぎました。試合結果は、帰った時点と変わらず、5対12の完敗。

昨シーズンのオールスター戦までの大健闘に終わることなく、1年を通して、優勝の栄冠をぜひとも今年は勝ちとってほしいものです。しかし、オープン戦とはいえ、投手陣の不安が露呈した後味の悪いゲームにぶつかってしまいました。

 

3/8(金)は、15日までの確定申告のため、昼食後、暖かい陽射しを受けながら、3km先の幕張メッセの会場まで、チャリンコで...。

途中、約3週間ぶりになる幕張にある千葉健生病院健康友の会事務局へ顔出し。軽い腱鞘炎のため、ボランティア活動を先月は控えました。事務局では3.11の東日本大震災復興支援バザーの準備で、2名の女性がきれいな和紙で、楊枝入れを作っていました。1時間ほ PICT4973.JPGど時間調整をして、3時過ぎにメッセの国際会議場へ。

 

確定申告日は、以前からの傾向で、朝は年配の方が早く来ていて、1時間以上立ったまま順番待ち。トイレに行くのも遠慮するほど。半日ほどかかって、大変くたびれた思い出があります。昨年の経験で、雨の日の午後が空いていたのですが、今年は晴れが続いて、8日で妥協。というのも、小生は来週、ウォークやサークル活動で行事が目白押し。

受付会場に並んでいたのは、20人ほど。受付後の順番で呼ばれた時間は5分ほど。昨年と同じ内容の申告なので、受付も必要帳票もスムーズ。質問や相談をしている人の後ろになると、ちょっと時間がかかって不運。今年は、それほどでもなく...。

そこまでは、良かったのですが、パソコン入力会場では、百人以上が税務署職員に教えてもらいながら、入力作業。中には、キーボードの入力に苦労する人も結構いて、職員の皆さんも仕事とはいえ、多人数を毎日、繰り返し説明、補助するのは本当に大変そう...。

 

若い女性の係員は、非常に親切に確認しながらの作業。ハトちゃんも4年目のパソコン申告でだいぶ要領がわかって来ました。後から会場に入った中では、入力作業も早く終了しました。

一方で、e-taxを使用しての、自宅でのパソコン入力は自信がありません。確かに税務署の事務簡素化には違いありませんが、本当に金額、内容チェックをしているのか疑問に思います。中には、間違った入力で、還付金をもらっているのではと。

PICT4974.JPG受付に並んで、提出するまでの時間は、50分ほど。まぁ、半日かかる人もいるそうなので、小生は良かったほうだと納得。ロビーの豪華なソファーでホットコーヒーを飲んでホット一息。

聞けば「本日は、週末で朝から混んでいて、来週は最後の週なので、例年、大混雑になる」そうです。

帰りは、JR「幕張本郷」駅方面へ。チャリンコで歩道橋を3ヵ所ほど越えます。X型の歩道橋の上から PICT4976.JPG PICT4979.JPGメッセのビル群が一望できました。これで、24年度の確定申告を終えて、若干の還付金がもらえるので、無収入の小生には、貴重な年間1回の出稼ぎ?になったかも。

早春の訪れとともに、3月5日(火)期間設定コース「JR 駅からハイクin 大井町)約9.4km」に参加。

 

ハトちゃんは、スタート受付時刻の10時30分に、京浜東北線「大井町」駅へ到着。アトレ大井町(1F)インフォメーションでカードをチェック。

 

大森寄りの改札口から左折して、スロープを下ると、ゼームス坂上から大井銀座商 PICT4885.JPG店街を八潮方面へと進みます。池上通りを横断して旧仙台坂(くらやみ坂)をゆるやかに上って下って、第一京浜の南品川3丁目を横断、京急本線ガード下をくぐって、一直線。本日、駅ハイ終了後、昼食を約束している兼子先輩の自宅方向へ真っ直ぐ。

 

鮫洲運動公園を過ぎて、海岸通りを横断。右手に産業技術大学院大学の建物が見えて来ます。さらに前方に進むと、らせん状のスロープと階段があり、ハトちゃんは、ピッタリのタイミングでエレベ PICT4888.JPGーターで上がると、八潮橋の上から左右に東京モノレール、京浜運河と、右手に八潮パークタウンなどが一望できます。

 

景色を眺めながら、なだらかに下って行くと、間もなく大井 PICT4893.JPG頭緑道公園〔南北に細長い1kmほどの散歩道あり〕の入口が左手にあり、入園。雑木林の間を散策道がず~っと続いています。急に、閑静な空間に入った感じで、都会のオアシスといっても過言ではありません。

 

右手にドッグレッグしたあとは、首都高速湾岸線と、その横を平行に走る国PICT4900.JPGPICT4899.JPG 357号線に沿って、真っ直ぐ進みます。木立の間から、大型車両などが走っているのがちらちらと...。平行している散策道の割に、騒音や排気の臭いが感じられない。ときおり、アップダウンや水たまり・池〔カモが数羽優雅に泳いでいる〕や、木道などが現れ、野鳥の声も聞こえます。

 

次に、高架をくぐって、また南へ直進。右手に大井ふ頭中央海浜公園。国道沿いの道を進みます。 PICT4906.JPG PICT4908.JPG PICT4909.JPG車の往来を見ていても単調なので、野球場手前から左に入り、公園内の道路をスポーツ施設を見ながら、大田スタジアムの前へ。

来た方向を見ると、スポーツ施設の他、芝生広場などが広がっていて45万㎡の公園になっています。

 

せせらぎの森入口のゲートが空いていたので、中に入ったのは良かったの PICT4911.JPGですが、マップの「公園に入る」という場所が違うことに気づき、散歩中の男性に道をたずねて、ゆうやけ橋を東西に横断して、やっと本来のコースへ...。

前に歩いていたウォーカーも、同じように間違えていました。

 

PICT4918.JPG PICT4922.JPG PICT4927.JPG彫刻広場前で、トイレ休憩と小休止。公園内を進むと、水上バス発着場がある運河の前へ。しおじ浜では、鳥を捕まえた女性が横たわっている、躍動感のあるの前に、広々とした運河と、前方高所に、モノレールが行き交います。また、勝島橋を通る船も...。開催中の大井競馬場から実況アナウンスも PICT4930.JPG聞こえます。見晴らしが良い絶景スポット

 

公園を出て左折し、勝島橋を渡ると、大井競馬場前駅。乗降客の横を通って、新浜川橋を渡って左手にある、しながわ区民公園〔「花とひろばと水の緑の空間」をテーマに、1987(昭和62)年4月オープン。区立としては最大規模の総合公園〕へ。

PICT4938.JPG花や広い空間、きれいな水辺や緑とのふれあい、自然の中で自由に活動できる潤いの場所として、楽しまれており、野球場、テニスコート、子どもの遊び場の他、梅林やくじらの噴水広場などがありました。また、先には、イルカのショーで有名になった品川水族館もあります。

 

高速道手前の公園出入口を出て細い道を進むと、鈴ヶ森刑場遺跡〔品川区南大 PICT4940.JPG井にかつて存在した刑場。江戸3大刑場の一つ。慶安4年(1651年)に開設された御仕置場で、東海道に面しており、元禄8年に実施された検地では、その規模は間口40間(74m)奥行き9間(16.2m)であったといいます。明治4年(1871年) に廃止されるまでの220年の間に約10万人が処刑されたとのこと〕。
にぶつかります。

 

PICT4943.JPG PICT4944.JPG刑場跡の墓碑に拝礼後は、京急、JR京浜東北線の高架下を通って、700mほどで池上通りへ。JRの高架下のトンネルの壁に、貝塚のモチーフがあり、歩行者だけでなく自転車も横をすり抜けて行きます。うす暗く、ちょっと通行しづらかった。

トンネルの上にあった、紫の葉牡丹の花壇が印象的。

 

待ち合わせ時間まで、時間があったので、ペースを落として池上 通りに出て、コPICT4952.JPG PICT4946.JPGースとは反対の右手に曲がって、大森貝塚遺跡公園庭園内にはモース博士像などの他に"大森貝塚"と刻まれた記念碑があるほか、貝層標本も保存されていて、貝殻が堆積している様子を実際に目で見ることができる〕へ寄り道。線路沿いの小高い場所にある狭い公園で、ベンチに座り電車を眺めたり、水分補給。貝塚の記念碑や貝塚跡を確認。

 

その後は、コースに戻り、中間チェックポイントの品川歴史館へ。十分に余裕があったので、入館し、 PICT4957.JPG PICT4960.JPG PICT4966.JPG東海道第一の宿場として栄えた品川宿を中心に原始・古代から現在までの品川の歴史がわかる資料や展示物や企画展「江戸・明治の旅にでかけよう」(立正大学開校140周年記念、田中啓爾文庫の中から絵図・古地図を紹介)などを鑑賞。

また、庭の離れにある茶室「松滴庵」や竪穴住居跡(8世紀初頭のものと推定)を観てまわりました。水琴窟〔地中に埋められた甕に落ちた水滴が反響して琴の音に聞こえる〕は、水枯れで場所を見ただけ。

 

ゆっくり美術・庭園鑑賞後、ゴール大井町駅へ13時に。駅広場の時計塔の鐘 PICT4970.JPGの音を聞くことができました。

 

30分ほど待つと、地元の@風来坊 兼子さん(大学の先輩)が、コナミスポーツでのストレッチ・エアロビ終了後ということで、さっそうと登場。

 

PICT4972.JPGイトーヨーカドーの7階(シースルーエレベーターで、スタート時の大井町商店街が観えました)の、とんかつ「いなば 和幸」でランチをごちそうになり、四方山話を...。ご飯やみそ汁、それにキャベツを盛りだくさんにおかわり。2人とも運動した後なので、「まぁ、いいか」ということに。

その後、食後のコーヒーを飲みに、駅ビルアトレ2階カフェ 「ア・ラ・カンパーニュ」でおいしいコーヒーを久しぶりに飲みました。30分ほどくつろいで、駅ハイ15日(金)上野駅で会うことを約束し、別れました。

 

今週(2/4)に入り、日中の気温や日差しが暖かくなり、春の訪れを感じます。庭のシダレ梅紅梅も満開。気分も浮かれる感じで、寒い冬もそろそろ終わりに近づいた感が...。

2/6(水)は、昨日の駅ハイ〔大井町〕の疲れもあり、休養日。

 

前夜、急遽、娘から頼まれた、本棚の組み立てを早朝6時40分から取り掛かりました。

可動式で、2段重ねの組み立ての製品を購入。まず、娘の部屋まで狭い階段を、通信販売 アマゾン(株)から購入した品物を 「えっちらおっちら」と運びます。

 

組み立て順番の説明書と部品を確認後、協力しながら組み立てますが、大きな物だけに、ビスをねじ回しで取り付けるのは、父親の小生。

コレが、意外と微妙なバランスとねじ山へ入れてしっかり最後まで押し込むのが大変。

最初は、素手でやっていましたが、力がいるのと、ハトちゃんの手が脂性のため滑ってしまうので、手袋を用意。はじめは、草取り用の手のひらがゴム製のものを使用。途中でゴムが擦り切れて穴があくほど。終わり近くに、もう一つの硬い手袋でやると滑らず、簡単でした。後のまつり

娘は手順書の解説兼監督で、何とか一つを作るのに、3時間余りを費やしました。途中、10分ほどの休憩をはさみ、二つ目は、さすがに要領を得て、軽くて簡単な小物から作ったので、何とか午前中までに作業をやり終えました。既製品で運搬代払った方が、値段が高くても、良かったのかも...。

 

右中指に肉刺をつくり、腕もパンパンに。 ドライバーを手で回して作業するのは久しぶり。本当は、2週間前には右手が腱鞘炎になって使えなかったのに。それでも、娘一人では、組み立てができないと思い、結局、親ばかなのか、ほとんど作ってあげてしまいました。

 

午後は、娘も休みなので、船橋へ友達と遊びに...。ハトちゃんは、東部体育館に行って筋トレで気分転換。

ただいま、娘は疲れたのか爆睡中。

 

小生は、昨日のブログを午前中に書こうと思っていましたが、とんだ依頼人の登場で、予定外。

それでも、娘の「ありがとう」という一言に、面目が立ったような、良い気分になった半日でした。将来、白い本棚を見るたびに、「父親と一緒に本棚組み立てに苦労した」思い出話になることを期待して...。

 

3/2(土)は、2/28(木)の駅ハイ大多喜」に続き、外房線に乗って、「御宿春の海とつるし雛めぐり(11km)」に行って来ました。最寄りの御宿駅へは9時43分に到着。 PICT4791.JPGご当地キャラ「エビアミーゴ」がお出迎え。

駅前で受付を済ませてスタート(9:45)。

 

勝浦方面に進み、須賀交差点手前右に曲がり、部田別橋梁 PICT4799.JPGを通って、まず、PICT4796.JPG最明寺〔天台宗。822(弘仁13)年創建。御宿という名の由来は、鎌倉時代に北条時頼が最明寺に宿泊し、それにまつわる歌「御宿せしそのときよりと人とは網代の海に 夕影の松」が伝えられていることから〕へ(10:00)。墓苑PICT4800.JPG前の紅梅が三分咲き。次に、妙音寺尾崎士郎(作家)が滞在。名作「人生劇場」創作の源とな った寺〕(10:02)に寄り、そこから、外房線の狭いガード下をくぐり、海岸に向かって歩きます。 

 

黄色いジャンバーの交通整理員が要所ごとに道案内。御宿海岸〔約2kmに渡る県下海水浴場のメッカ〕に出る(10:05)と、風は冷たく強風。海岸線から外房の荒海が一望できます。波打ち際を避けて歩きますが、風が強く、ときおり靴に砂が入 DSC07405.JPGって来て、歩きづらい。

童謡「月の沙漠」(加藤まさを)で有名になった、この地を記念したラクダに乗った旅人像の前へ。記念写真を撮っている家族連れが。

 

ハトちゃんは、うっかり行き過ぎて、清水川河口を大回りして、8分ぐらい歩いて、ようやく道路際に。

昨年は、その先の広場で、「海の花まつり」が開催されていましたが、今年は、2月24日(日)に終了とのこと。地元の旬野菜や魚介類、花の即売、するもん汁の無料配布などが行われていただけに、残念。

 

ポイントの月の沙漠記念館〔詩人、加藤まさをの作品をはじめ、ゆかりの文人、 PICT4811.JPG画家の作品展示〕http://www.town.onjuku.chiba.jp/  は外観のみ(10:17)。

 

海岸通りの舗装道路は、歩きやすいのですが、思ったより距離が長く感じま PICT4813.JPGDSC07417.JPGす。海辺では、若者がサーフィンを楽しむ姿も...。船谷トンネルを抜けて、少 し上りのくねくねとした山道に。アップダウンが続く道路を約1km。

 

 

今年は、海洋生物研究所までの、往復約2kmがオプション PICT4816.JPGになっていました PICT4818.JPGが、小生は昨年の印象が良かったので先まで足を運ぶことに...。

途中で、先週の2/24(日)保田で会った、四街道市在住の中村さんとすれ違い、挨拶。

 

研究所手前右手に係員が立っていて道案内と資料配布。階段を降りて行くと、海岸の景勝地 PICT4819.JPGが...。ドン・ロドリゴ上陸地(田尻海岸)〔1609(慶長14)年、フィリピン諸島総督ドン・ロドリゴと乗組員374 人が乗った船が、この地で座礁。村人が乗組員を救出・介護した〕に出ます(10:38)。曇っていましたが、そそり立つ岸壁と岩礁に打ち寄せる波が絶景。

 

ひとしきり眺めて、階段を上がって元の道へ。道の両側にある、海洋生物環境研究所へ(10: 40)。本館前 PICT4825.JPGで、熱い伊勢えび汁が出て、冬場のウォークには持って来いのもてなし。ベンチで、前を歩いていた健脚の男性ウォーカーと話。

 

ハトちゃんは、ゆっくり建物内で写真PICT4828.JPGやパネルなどPICT4831.JPGを観て 、その後、反対側の飼育・研究施設内に入って、海洋環境研究・試験・調査、飼育水槽や海水供給設備や放射能測定などについて、研究員から説明を聞きました。

資料をもらって、来た道を戻る際には、研究所へ向かうウォーカーとすれ違い。

 

PICT4838.JPGコースの合流地点から、右折して、急坂 を気合を入れて登って行くと頂上付近に高い塔が。メキシコ記念塔〔座礁したサンフランシスコ号の乗組員を救助したこと を記念し、1928(昭和3)年に建立。御宿とアカプルコとは姉妹都市〕へ(11:10)。周囲が公園になっていて、突端から、青い海と美しい海岸が一望できました。

 

帰りは、人ひとりが通れるぐらいの山道の階段を一気に下り、民家のそばに。途中、大宮神社の角に整理員がいて、左折すると、そこからは、ほぼ一直線で駅方面へ。道は車が通らず、歩きやすい。

 

 

途中にピンクの「つるし雛」の幟 があちらこちらにあり、店頭に雛が吊るされています。市内で、「第7回まちかど つるし雛めぐりスタンプ」を実施中。

PICT4846.JPG PICT4845.JPG国道128号に出て、左折してすぐのところの「おんじゅくや(つるし雛会場)商工会・商工会女性部主催へ(11:27)。1階に色とりどりのきれいなつるし雛が所狭しと飾られていて...。製作体験コーナーもあり、2階では写真展も。

華やかな雰囲気で、かなりの人が来ていて、賑わっていました。鮮やかな雛人形などを観て、元気になりました。

 

国道128号線を蘇我方面に向かい、一つ目の信号を左折して直進 。少し歩いて PICT4855.JPG右折す ると、小さな赤の社の白山神社。左手に酒造「岩の井」PICT4853.JPG1723(享保8)年創業。東京サミットにも献酒したことがある老舗〕(11:35)。「岩の井」の由来は、「岩瀬の井戸」を表現。

本宅は、数少ない茅葺屋根で、そこで利き酒と甘酒のサービス。店員さんともお話。先代の禎之氏(故人)は、戦前から海女を撮り続け、毎日新聞社主催の展覧会で、「総理大臣賞」を受賞した写真家でもあったとのこと。

PICT4861.JPGその脇の「海女記念館」(無料)を教えてもらい、貴重な海女さんの記録写真を観て来ました。現在は、誰もやっていないそうです。

 

週末は、妻の実家で農作業のため、電車の接続が良い12時31分発の千葉行に乗ります。ここからは時間調整で、ゆっくりとしたペース。駅手前に御宿町公民館、横に歴史民俗資料館(11:50)。資料館に入館。御宿とゆかり の文人や歴史・民俗文化(農機具や海女が盛んだった頃の道具)、江戸~昭和時代の教科書「五倫文庫」などが展示、「スペイン・メキシコ展」が開催されていました。

 

資料館を出ると、ちょうど正午。時報に「月の沙漠のメロディーが流れて来て、まさに「御宿」。前に PICT4873.JPG10mを越すフェニックスが立ち並び南国風。行き止まりに御宿駅が...。

ゴール(12:05)でスタンプラリーの押印をもらい、観光案内所で御宿のパンフをもらって、着替えて休憩。DSC07496.JPG

駅ホームには、海女さんの坐像があります。電車内で軽食と水分補給し、千葉駅で乗り継ぎ、成田線の小見川駅へは、15時30分過ぎ。強風の影響で、15分遅れて到着。義兄の迎えで、妻の実家へと...。

3月最初の駅ハイは、「御宿の海と、桃の節句にちなみつるし雛」を観て、もうすぐ春の訪れを感じるウォークとなりました。また、2012年度のポイントが、目標の200ポイントを達成

「大多喜」は、江戸時代、房総一の十万石を治め、徳川四天王の一人本田忠勝を初代藩主とする「大多喜城」を中心に、現在まで続く城下町。

ハトちゃんは、2月末日、千葉駅を8時過ぎの外房線に乗り、房総の小江戸「大多喜」城下町をめぐって約11kmをウォーク。大原駅からは初めて乗る「いすみ鉄道」。一両で運行。

 

まず、ビックリしたのは、いすみ鉄道というと、ムーミン列車とばかり思ってい PICT4701.JPG PICT4703.JPGたのですが、何と車内に入るやいなや、若い男の声で車内アナウンス。自己紹介と車内注意を。

「ジャニーズJr.ランド号」と称し、車内の座席の上に、ジャニーズJr のメンバー写真が掲示されていて、女子中高生や大学生(妹に写真を頼まれて来た)が、写真の前で歓声をあげたり、携帯で撮影したり...。

車内は、平日の昼間ということで、出発時は15人。山間を抜けたと思うと、広い田園地帯をのどかに走ります。

 

PICT4709.JPG電車に揺られて約30分。「城見ヶ丘」駅手前の左手に大多喜城が見えて来ました。ワンマンカーなのに、車掌が乗車していて、駅名が「城が見える丘から名づけられた」とアナウンス。

大多喜」駅到着(10:14)。構内に、 PICT4712.JPG忠勝候の武者人形やムーミンの車両がある車庫も...。

 

PICT4717.JPG PICT4716.JPG駅を出て、すぐ目の前に、スタート・ゴール大多喜町 観光本陣(案内所)。武家屋敷の外観をした観光案内所。この時間の駅ハイ参加者は5人。手続き後、手荷物を預けて無料〕、いざスタート(10:19)。

 

町中は、いかにも城下町らしい、標識案内が木製で字が太い文字〔歌舞伎の出演者 PICT4719.JPG看板に使う字のよう〕で、歩いてすぐの所に、大手門(10:20)。大手門をくぐり、「小谷松」駅方面へ線路に沿って歩き、南郭踏切を右に横断してメキシコ通りに。沿道沿いに「本田忠勝・忠朝」を大河ドラマにという紫の幟が風になびいていました。

 

PICT4722.JPGまっすぐ進んで、大多喜高校横にある薬医門〔二ノ丸御殿にあったと伝えられ、城建造物唯一のもの。県指定史跡〕を見学(10:28)。その先の大井戸〔忠勝が掘らせた大きくて深い井戸で、災害時用。県指定史跡〕でUターン。

メキシコ通りを右折。メキシコ国旗が掲げられて PICT4728.JPGいる PICT4724.JPG記念塔があります。ゆるい上り坂を、くねくねと~。左手眼下に御禁止川おとめがわ)の渓谷が続きます。夷隅川と同じ流れであるが、お城の前は御禁止川という別名がある。昔禁漁区であったことに由来。

 

1.2kmほど歩くと、大多喜図書館天賞文庫薬草園の看板 PICT4733.JPGを右折。B&G海洋センターを過ぎて、左手奥、野球場の先に、城西国際大学薬草園〔1987(昭和62)年、千葉県が設立。大学薬学部が管理運営。緑に囲まれた16,000 ㎡の園内に約350種の薬用植物を集め、使用目的などにより各植物区に区分、植栽されている〕の園内を散策(10:40)。

その後、戻って、大多喜中央公民館の前を左に坂を下ります。案内板が無かったので、行き過ぎて引き返す...。

 

間もなく、急な上り坂になり、天守閣を目指します。門があ PICT4738.JPGって、その先が駐車場に PICT4735.JPG。目の前に大多喜城天守閣の勇姿が...。順路に沿って歩くと、天守閣の階段を上った入館受付の横に、チェックスタンプがあり、押印(10:54)。「大多喜城」は、本田忠勝が1590(天正18)年に築城。千葉県立博物館大多喜城分館として、城郭と武器、武具などを展示。1871(明治4)年の廃藩置県で城は廃城、1975(昭和50)年に本丸跡に、天守閣作りの博物館を復元。

天主閣には上らず、手前の駐車場内のトイレ休憩。本日は、最高気温14℃(習志野市)との予報。当地は温暖なのでさらに3℃は高いのでは...。暑くて、上下1枚ずつ脱ぎました。

 

大多喜城を後にして、間もなく右手に下る道路をコースどおりに進みます。下った先は田園地帯で広くあたりが一望できます。

 

のどかな田園地帯を抜けて、NTTの建物横を通って、前を歩いていた男性が右に曲がりましたが、矢印がありません。念のため、角の家のおばさんに訪ねると真っ直ぐ行くと、城下町通りにぶつかると言われ、道を聞いて良かったと...。

通りに出て、自転車店のご主人に再度、コースを確認。コースどおりに向かってい PICT4742.JPGることが判り、泉水交差点を真っ直ぐに歩道を進みます(11:21)。ずーっと登って行って、上がりきった所からゆるい下りに。広い横山交差点に出ると、左右は国道297号線で車の往来が多い。 

「7イレブン」を右に見て、歩くこと20分ぐらい。正直、直線は見通しは良いのですが、なかなか折り返しのベジタブルガーデンに着きません。

 

汗ビッショリでやっとガーデンの出入口に到着(11:41)。シャレた店内に入ると、ハーブを使った商 PICT4749.JPG PICT4748.JPG品を販売していて、 ハーブの心地良い臭いが充満しています。奥にガーデンがあり、全天候型室内ガラスハウスガーデンでは野菜やハーブを栽培、ベンチもあります。軽食カフェもあり、ハーブティーの一杯無料サービス。身体が火照っていたのと、ガーデン内の暖かさやティーの熱さもあって、半分だけで帰路に着きました。

右手坂上に、ハーブガーデンがあり、入口まで行きましたが、ティーは十分 PICT4751.JPGだったことや、先ほどのガーデンと同じような感じだったので引き返し、ひたすら戻ることに...(11:52)。途中で、朝、スタート地点で会った女性ウォーカー2人とすれ違いました。

横山交差点(12:00)から、本来のコースは国道を左折するのですが、泉水交差点で道が合流するので、行きの道を引き返し、城下町通りを南下。いすみ鉄道の高架下をくぐると、町の中心街へ。

 

PICT4756.JPG PICT4758.JPG四ッ角公園〔城内から4番目の門があった所〕の先に、渡辺家住宅〔江戸時代末期の商屋造りの住宅で、国の重要文化財〕が、コンビニの隣りにあり、外観を...(12:20)。また、通りの向かい側には、釜屋や、商い資料館などの商屋造りや土蔵造りの建物の町並みは江 PICT4762.JPG戸時代からの房総の小江戸といわれるたたずまいが色濃く残っています(12:22)。

千葉銀行を過ぎて、右折すると銚子信用金庫があり、駅方面ですが、細い道を PICT4766.JPG真っ直ぐ進むと、左手に大きな夷隅川があり、橋の欄干の上に、忠勝公の威風堂々の武者姿が(12:29)。

 

フィッシングパーク入口の看板が。右手に曲が PICT4771.JPGると、手前に大 PICT4774.JPG円寺、その先に良玄寺、境内を右手奥にまわると「本田忠勝親子」の3つの墓が並んでいます(12:36)。

 

 

PICT4773.JPG PICT4775.JPG PICT4776.JPG墓参後、右手に小さいが風情のある「忠勝公園」(12:37)。大屋旅館〔国の登録有形文化財〕を見て(12:40)、突き当りを右手に進むと、角に十万石最中が有名な御菓子司「津知屋」、道の隣りに銘酒「大 PICT4778.JPG多喜城」の醸造元である豊乃鶴酒造〔国の登録有形文化財〕 も外観のみ(12:42)。

 

PICT4780.JPGPICT4779.JPG13:09発の大原行に乗るため、ゴールへと。突き当たりの大多喜小学校手前 の道を右折すると、上南郭公園大多喜町役場前を通ります(12:45)。標識やバスの停留所にも白壁に土蔵のデザインが。この町ならではの雰囲気。

 

 

ゴールして、預けていた手荷物(着替え)を奥のトイレで行い、さっぱりし PICT4784.JPGてから、駅へ向かい、電車を待ちます。帰りの電車も「ジャニーズJr.ランド号」に(13:09発)。行きと同じ車掌さんが同乗していたので軽く会釈。新しい企画のジャニーズ事務所とのコラボは、集客作戦でしょうが、城下町や里山のノスタルジー気分がそがれました。逆に、自分も老いて来たのかも...。かつて、日本のどこにでもあった懐かしい情景が、のんびりと走る「いすみ鉄道」周辺に感じられ、ゆったりらくらくの旅を、次回も味わいたいと思います。

大原駅でのJR外房線との接続は3分。前日に〔最寄り駅の「みどりの窓口」廃止による隣り駅で――前回のブログで紹介〕切符を購入していたので、大丈夫でした。

 

15時過ぎに自宅へ着いて、(月~金)放映 韓流時代劇TVを2本観て、ゆっくりお休み。

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夜は、前月に続き、焼肉「赤門」が29(ニク)の日で半額サービス。2月は28日 。娘の運転で家族4人、腹いっぱいの焼肉でスタミナをつけた次第です。

 

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