「古河」は、古くは「許我」と表記され、『万葉集』に当時の情景が二首詠まれている。すでに奈良時代から渡良瀬川の渡し場として賑わっていたことが伺える。平安時代にも交通の要所であり、また製鉄や窯業の生産拠点であったことがうかがえる。
室町時代には古河公方の本拠地として、江戸時代には古河藩の城下町、日光街道の宿場町・古河宿として盛えた。古河藩は下総国であったため、現在でも旧常陸国、水戸街道が中心となって形成している茨城県の中では歴史的・文化的に特異な部分が多い。
ハトちゃんは、3月26日(火)、幕張本郷駅から中央・総武線→武蔵野線→京浜東北線(大宮)→宇都宮線を乗り継いで、城下町の「古河」(茨城県)駅に降り立った。天候は晴れで、小春日和。今回は、桃を観るのが第一の目的。「古河」という街は初めてだったので、期待大。約8kmをウォーク。JR宇都宮線には初めて乗ったが、列車本数は意外と多い。
駅前観光案内所で手続きをして、スタート(9:55)。西口から駅 前広場に出て、 間もなく左側の道を回りこむと、車の往来がそこそこの旧日光街道(野木・古河線)に...。左折して、「日光街道古河宿」「桃まつり」の幟が連なる町並みを、ひたすら南下します。ところどころに、古い商家も...。
旧日光街道は、稲荷神社の先で左に回るが、そのまま直進し公方通りを...。
国道354号(鴻巣の交差点)にぶつかると、いきなり大型ダンプなどが目立ち、交通量が増す。信号を横断して100mぐらいで右折して横道に。
道の両脇に、赤やピンクの桃の木が、まだ小さいが華麗に咲いている。花見の車も多く、駐車場への誘導の声が響く。
古河総合公園〔25haにもおよぶ広大な総合公園で四季折々に美しい花々が咲
く〕の出入口へ
(10:27)。花桃の里恒例の桃まつりが開催されていて、さらに、暖かさで桜も満開。さらに紅梅も残っていて、桃と桜と梅のスリーカード。このところ花冷えの日々もあって、天候は三寒四温が逆に良かったのかも?
まさに「花の競演」といった感じで、何て運がいいのだろうと、自画自賛。
園内には、一面に約2000本植えられたはなもも(矢口、源平、菊桃など)が満開で、「桃源郷」という 言葉がピッタリ。桜はソメイヨシノで木も大きくて、こちらも満開。いくつかある沼・池の周りは散策にはもってこい。また、旧中山家住宅や旧飛田家住宅の文化財として現存している。大賀ハスや花菖蒲も、6月見頃には観賞客が多数訪れるという。また、出店も多数あり、行き交う人で賑わいを見せていた。
一段高い「富士見塚」を登って、上から園内を一望。ゆっくり、写真を撮り、この光景を目に焼き付けてコースマップの先へ進む。
先ほど歩いて来た道に、ほぼ平行に走る里山の道を抜けて、先ほどの国道を横断し、道なりに進み、歩道橋を渡り、さらに直進(約1.5km)すると、何やら京都の嵯峨野に似ている空間に入り込む。
最初に、長谷観音〔古河城の鬼門、北東(艮=うしとら:丑と寅の間)の方位を守 る仏で、歴代古河城主が祈願を込めたところで、丈6尺8寸1分の十一面観世音の木像が本堂内にあり、鎌倉、大和の長谷寺とともに日本三大長谷のひとつ〕へ(11:00)。境内は狭いが、安置された木像を住職に見せてもらいました。
次に、石畳が続き、訪れたのが古河歴史博物館〔古河藩家老 鷹見泉石が収集・記録・研究した蘭 学資料、また原始古代から近代までの古河の歴史、幕末から明治期にかけての古河の文人たちを紹介〕へ(11:04)。館内の照明が意外と暗い。資料や作品を鑑賞後、ホールにあったストリートオルガン(オランダ)が洋風のイメージが漂う。
手前の噴水がある、憩いの広場も休むのには雰囲気がある。 鷹見泉石記念館は外観のみ(11:09)。
左手に曲がると古河文学館〔木組み形式が特徴的な大正ロマンの香りが漂う 洋館で、永井路子をはじめ古河市ゆかりの作家たちの肉筆原稿、絵本や絵画などを展示〕へ(11:13)。1階入口が受付で、ホール後方に展示室があり、受付のおばさんは何も言わないので、ハトちゃんは間違って、2階のイタリアレストランに入りそうになりました。
ざっと鑑賞後、すぐ近くにお休み処「坂長」 〔旧商家と白い蔵の横がレス トラン〕や甘露煮店やだんご屋が並ぶ肴通りへ(11:17)。角には御馳走番所跡もあり、通りの名前由来の案内板。
いったん、肴町通りを戻って、右の細い道へ入り、江戸町通りへと。通りに出て左 折して、100mほ どで篆刻美術館〔大正9年に建造された石蔵を改修し、1991(平成3)年、日本で初の篆刻専門の美術館として開館〕。入館して、500年前から中国で印章から発展した篆刻の作品が多数並べられていて、古河出身の生井子華の遺作の常設展示もある〕へ(11:30)。小生は、書道が好きなので、ここに入館するのも本日の目的のひとつ。特殊な書体なので、説明無しで、字を読んだり、自分で篆書を書くのは極めて難しいが、鑑賞すると味わいがある。国の登録有形文化財の裏蔵内にも展示室があり、現代篆刻家の作品が...。
ひとつ隣りの古河街角美術館(入館無料)〔市民創作活動の発表の場として、1995(平成7)年開館〕へ(11:37)。日本画の力作が多数あり、1、2階の展示室をまわる。
美術館を出て、間もなく左手に小説家、永井路子旧宅〔20 03(平成15)年 、古河文学館の別館として店蔵と住居の一部を開館。東日本大震災後、修復し昨年8月に再オープン〕へ(11:42)。中に受付の優しいおばさんがいて、説明をしてくれました。
その後、江戸町通りを進むと、前に堤防らしき一段高い所が見えて来る。手前の階段左手に頼政神社〔1180(治承4)年に平家に敗れた源頼政の首を古河で葬り、祀られている〕があったことを、帰宅後知り、残念。
階段を上ると、右手は少な目の菜の花の黄色い絨毯。土手沿いのサイクリングロードからは、渡良瀬川の河川敷が一望できる。河川敷のゴルフ場コースなど。後方には、三国橋も観える。
しばらく歩くと、右手にゴルフハウス。その手前に田中正造遺徳の碑〔日本 初の公害事件と言われる足尾銅山鉱毒事件を 告発した政治家として有名〕が立っている。ハウス内では、保育園の保母さんや園児たちがお花見に興じていた(12:00)。
右手の土手を降りると、雑木林の奥に雀神社〔約1100年前、出雲大社から勧 請したものと言われ、歴代の古河城主が尊拝〕があり、参拝(12:02)。
そこからは参宮道路を駅方面へ。途中に、外壁に泥棒避けの柵が施してある立 派な私邸を拝見。右手に正定寺や隆岩寺があったが寄らずに、500mほどで左折し、地域交流センター(はなももプラザ)へ(12:10)。施設内には1835年に造られた二丁目の旧古河屋台があでやかな姿に復元され展示。
野木古河線に出ると、朝歩いた旧日光街道。幟が並び、通りを眺めていると、古河 駅への標識。
左折すると、古河駅西口広場へ。改札前中央の観光案内所で、桃の造花を一輪受け取る(12:30)。
関東地方の中央に位置し、室町時代依頼の城下町として栄えた「古河」の町並み、歴史や文学の一端に触れられ、桃が一面に咲き誇る総合公園など、また来年もぜひ参加したい記念の場所になった。千葉からは遠方だが、満足のいく駅ハイに...。
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