2014年8月アーカイブ

原水禁世界大会(8/4~6;広島)の報告会が、8月30日(金)午後3時から、千葉健生病院4階第1会議室で行われました。

 

14時からの院内避難訓練が長引き、会議室前で待たされました。終了後、急いで会場設営をして、事務局の用意した資料を各自もらいます。DSC08793.JPG

34名の方々が集まって、岡田院長の「安倍政権の一連の非民主的・暴走時に開催された世界大会の意味は大きい。これから参加者による貴重な報告会を開催します」という挨拶に始まり、司会 今村さんから参加者紹介に続き順次報告。

 

最初に、病院代表の4名(うち1名が仕事で欠席)が報告。パソコンパワーポイントによDSC08798.JPGる資料に、口頭での説明が付け加えられました。詳細にまとまっ ていて、初参加の印象とともに、世界大会総会や被爆の実態・施設見学の様子、分科会での討論内容紹介などから、今後、自分たちにできる活動をしたいという表明。写真の映像もあったそうですが、見せられずに残念がっていました。

 

 その後、友の会からの代表 ハトちゃん(報告の詳細は、前回のブログで紹介していますので省略)。分科会の「碑めぐり・被爆実相学習会」の様子は、写真にキャプションを付けて、模造紙に貼って説明。安倍政権の「集団的自衛権」「特定秘密保護法」「原発再稼動」「辺野古新基地建設と関連する自然破壊」「TPP容認」など、一連の非民主的政策、安保による対米追従の戦争への道に断固反対を強調しました。DSC08803.JPG

同じく女性代表からも、2日目の分科会の熱心な討論などが紹介され、「絶対に戦争を引き起こさせてはいけない。ノーモア広島・長崎、ノーモア福島、ノーモアビキニ、ノーモア被爆者!」の決意表明がありました。

 

そして最後に、 組合代表の 今村さんから、写真入りの資料で、分科会での遺跡めぐりで被爆時とあとの建物や当時の状況について、博学的知識のガイドさんの説明を聞き、事実と理解がより鮮明になったそうです。また、閉会総会では国際連帯を大きく感じたそうです。

 

フィナーレ前に、小生がちょっとコメント。事務局で作成した資料の広島市長・長崎市長の平和宣言、安倍首相挨拶について、24日(日)にアーサー・ビナードさん(詩人)の講演で指摘された点を補足。

『平和記念式典が43年ぶりの大雨にもかかわらず、松井市長(広島)の宣言は「~灼け付く日差しは~」と全く事実と違う判断ができずに、原稿棒読みの愚かさと、「雨」をチャンスと捉えて「黒い雨」問題に関連した宣言にできなかったこと。また、新聞やネットでも取り上げられた安倍首相の挨拶コピペ問題。広島・長崎での昨年のものと酷似していた内容で唯一の被爆国トップの挨拶として、全然、心に響かなかったこと。物笑いの種を世界に発信してしまったこと』

 

本日のフィナーレは、世界大会閉会総会で、手を取り合って歌われた「We shall DSC08807.JPGovercome」の合唱。

今村さんのギター演奏で、参加者全員で1番と2番を合唱し、最後に、今村さんから 『世界大会を単なる夏のイベント、報告会だけで終わらせることなく、参加者たちが今後も平和活動(昨年度の参加者は平和学習会・懇談会を開催)に積極的に参加してもらいたい』と、問題提起されました。 

1時間ほどで報告会を終了しました。近頃の院内の行事集会では、一番多く集まったそうで、「原爆・核兵器をなくし、平和運動を推し進めなくてはいけない」という皆さんの考えが強かったからだと思いました。

 

今年の原水禁世界大会(8/4~6;広島)に参加し、被爆者の実相体験、証言を聴いて、衝撃を受けました。被爆者とともに、未来を担う若い世代に語り継ぐべく、ここに一部要約して紹介します。


原水禁世界大会(広島)被爆者体験話から抜粋     

 『広島原爆には約50㎏のウラン235が使用され、このうち核分裂を起こしたのは1kg程度。B29エノラゲイが飛来して原爆(リトルボーイ)を投下、相生橋よりやや DSC01530.JPG東南の島 DSC08420.JPG病院付近高度約600mの上空、1億分の1秒で核分裂爆発を起こし、爆心地500m圏内では閃光と衝撃波が同時に襲ったとのこと。猛烈な放射線を出し、衝撃波とともに巨大な爆風が建築物の大半を一瞬のうちに破壊し、爆心地2km以内の木造家屋は倒壊炎上。人間を含む生物、草木も放射線を浴びて焼失。爆心地は上からグシャとつぶされた状況(原爆ドームを参照)。


 鉄筋コンクリートも鉄骨を残して消失。橋の石の欄干も爆風で飛ばされた。投下直後、「町が消えた」状態になったそうです。
 強力な熱線により、人が一瞬で蒸発・炭化したと言われているのは誤りで、3千度を超える熱熱線 239[1].jpgは0.2秒ほどで、大半の人々は血液、体液が落ちて照射された部分の皮膚が燃えて、ケロイド状態になり、熱さのため、水を求めて、次々と川に飛び込み逃げまどった。被爆者の衣類を剥ぎ取り、ほとんど裸で、火傷を負った表皮を剥ぎ取り、昏倒から覚めた被爆者は自分の腕や足の皮膚が剥がれて垂れ下がり、爪のところでようやくつながって、ぶら下げて逃げた者や、強い衝撃で眼球が、また腸が腹腔から飛び出した者などもいたそうです。悲惨な修羅場と化し、大混乱。

 

 川も見る見るうちに遺体で埋まり始め、道路も遺体が大量に溢れたそうです。大量の死体を並べて、一同に燃やしたそうですが、判別がつかないほどの損傷で、身元がわからずじまいで誰も引き取りに来ない人が大半。薬を求めて押し寄せる被爆者の仮治療所では、薬の数、手当が間に合わずに、皮膚が腐って来るために、若い人のみ手足の切断をして、やむなく生きる方法を施した医者もいたそうです。後に医者が懺悔。爆心地近くにいて被爆し生き残ったが、現在も原爆の後遺症が残っているとのこと』


 『友人とともに爆風で吹き飛ばされ、自分は閃光とともに気絶した。兄は爆死し、友人もしばらくして亡くなった。7歳にして「地獄絵」を見た。一瞬にして、5万人近い命が失われ、年末までに14万人が亡くなった。その後、「黒い雨」が降りはじめ、目に見えない放射線障害との戦いがはじまった。二次感染で手がしびれたり、体がだるくなることもしばしばあるそうです。思 DSC01527.JPGい出すと、何も言いたくなかったが、核の恐ろしさ、戦争の犠牲者を出したくないという思いから、実相を話す必要性に駆られた』


 『非人道的兵器は、絶対に許されない。放射能の半減期や無くなるまでの期間を考えると、核兵器や原発の恐ろしさがわかると思う。未だに福島原発事故の最終処理・場が決まっていない矛盾を抱えている。安全でない原発はいらない』


 被爆者の高齢化が進む中で、実相の体験談を聞くことで終わってしまうのではなく、皆さんの「追体験」を作って、次の世代に語り継ぎ広めていってもらいたい。


二度とつらい被爆を起こさせない平和な世界を作るべく、核兵器をなくしましょう 」と。

8月26日(火)、ちょうど、筋トレから帰宅し、洗濯物をとりいれた矢先の16時過ぎに時雨れて、大粒の雨が降って来ました。ハトちゃんは濡れずに、洗濯物も濡れずにセーフ。

午前中、野菜の選別や水洗い、ご近所への配布の後、このところ続けて行っている習志野市勤労会館トレーニングルーム・筋トレへ1時間余り。

実は、ここ3、4ヵ月で急に痩せて、筋力(特に臀部)が落ちて来 たのと、暑い夏の期間は、駅ハイが近郊でも高崎から先の地域になっていることから、足を運ぶ機会が減っています。

DSC08758.JPGそこで、筋トレを8月は2日に1回、時間を45分~60分にして、回数を増やしています。勤労会館のトレーニングルームは、空調設備が設置されていないので、2台の扇風機で対応しています。まぁ、逆にいえば、「運動して汗をかく」のには、良いのですが...。

かれこれ通い始めて、早6年になりますが、当初は利用者が中高年がほとんどでした。昼間の利用者は限られていて、そのうち顔なじみになり、挨拶や声をかけたりするようになりました。

ところが、最近は主婦や大学生の利用が増えて、トレッドミル(ランニングマシーン)2台と少ないため、利用が順番待ちのケースが増えています。市の予算もあるでしょうDSC08760.JPGが、もう1台は、増やしてほしいものです。

一つ困るのは、トレーナーがいないため、利用者が思い思いにトレーニング。それは、どこでも同じ光景ですが、知り合いと来ている主婦やクラブ・サークル関係の学生で、大きな声でおしゃべりをしながらトレーニングしているのは、自分たちは良いかも知れませんが、ルームに注意する係員がいないため、守られていません。ちなみに、別の東部体育館では、話す場所が決まっていて、あまり長く話しているとトレーナーに注意されます。

 

とりあえず、30分ほどでこのブログを書き上げて、そろそろ夕食の準備にかかります。

昨日から、栄養士のも小学校の夏休みが明けて、勤務が始まりました。薬剤師の息子は昨日は代休。本日から小生を除く3人は、働きに行っています。

疲れた体に良い料理を作らねばと、思案中です。妻の実家でとれた野菜がいっぱいあるので、野菜 DSC08767.JPG中心の料理にしたいのですが、子供たちはあまり野菜をとらずに、肉料理が好物なので、困ってしまいます。

小生は、健康と長生きを考えて、毎日、ミニトマトやナスを食べ続けています。

 

 

約1ヵ月ぶりの駅ハイ清流と文化の御岳渓谷めぐり(約6.4km)」に、8月22日(金)に行き、その足で麻雀大会(青梅)に参加。

 

コース

御嶽駅→青梅市御岳交流センター→神路橋→玉堂美術館→御岳小橋→小澤酒造→寒山寺→櫛かんざし美術館→鎧塚→軍畑鉄橋→軍畑駅

 

ハトちゃんは、青梅線御嶽駅に降りて、国道411号線を2分ほど沢井方面へ戻ります。途中、御岳山行きのバス停があり、一緒に降りたハイカーがわれ先にと急ぎ足。

バス乗車客を尻目に、その先の御岳交流センターへ。9時半の受付でしたが、10分前に到着。機械 DSC08605.JPG DSC08607.JPGにカードをかざしてスタート。係員が『暑さが和らいで来たので、今週は日に40人平均参加』 とのこと。

裏の階段を下りると、すぐ御岳渓谷。清流が流れる川のほとりで、浴衣姿のモデルさんの撮影にぶつかりました。このあたりの川は、結構、急流で、長い竿でアユ釣りの太公望がチラホラ見えます。川の清流から出るしぶきと木陰が多くて、だいぶ涼しい。

 

いったん、御岳橋を過ぎて、上流に向かい渓谷の遊歩道を進みます。 DSC08625.JPG DSC08624.JPG DSC08609.JPG川にポールとロープが張られて、カヌーのコースが。道には、野生のアジサイがまだ残っていて、咲いていました。

 

川に沿った細い道で、数人の散歩中の人に DSC08615.JPG出遭います。一人の青年が、 DSC08638.JPG川の中に入っていて、急流と深瀬を覗いていたので『気をつけて』と声をかけました。ラフティングの発着点もその先にありました。

神路橋まで、徒歩20分でしたが、ちょうどDSC08619.JPG前から二人の男性が杣の小橋〔半分くらいの距離〕を渡って来たので、同じような景色なので、ショートカットして 、橋を渡って向こう岸へ。

 

林の間から、湧き水が流れていたり、地面が濡れていて滑りやすいところもあり DSC08630.JPG DSC08628.JPGます。途中、川原を歩き、高い御岳橋の下をくぐると、右手に川合玉堂美術館 http://www.gyokudo.jp/がありました。その先に食事・喫茶処「いもうとや」が。

 

 

御岳小橋を国道側に戻って、右折して遊歩道を進みます。民家が川の傍に点在し、小さな家庭菜園 DSC08636.JPG DSC08643.JPG DSC08645.JPG DSC08650.JPGや庭にカヌーが積み上げられている家も見かけます。

 

 

 

DSC08648.JPGところどころ、膝まで川に入って、竿を垂らしている姿を見かけます。

いつもより、ゆっくりしたペースで歩いているのですが、やはり蒸し暑くなって来ました。

 

寒山寺まで御岳小橋から30分ほど。楓橋を渡って、 DSC08671.JPGDSC08659.JPG山寺へ。一段高いところに本堂があって、上からの眺めは、川の周辺が良く観えます。この辺になると、川の DSC08663.JPG流れがだいぶ穏やかになって来ます。

吉野街道にある「櫛かんざし館」まで歩きましたが、入館はせずに外観のみ。

 

 

坂を下って、楓橋を渡って国道方面へ。途中、右側に食事処「ままごとや」があり、国道に出ると、地 DSC08674.JPG DSC08676.JPG下道を通らずに、車に注意して、向こう側の小澤酒造へ。「澤乃井」が有名。定時の酒造案内には時間が早かったので、 外観のみを見学。 

その後、マップでは軍畑駅がゴールだったので、時間短縮を試み、渓谷遊歩道に戻らず、DSC08678.JPGを歩き始めましたが、これが大失敗。沢井市民プールセンター前まで歩きましたが、日陰部分が無く、200mぐらいから引き返して、沢井駅へと向かいました(ゴールは、端末受付コースなのでどこでも良い)。

 

30分に1本だったので、電車が行ったばかりになって、だいぶ待ちました。橋上に改札がある無人駅で、駅前のトイレ前の休憩所で、水分補給と休んでいると、今朝、スタートで一緒だった駅ハイの男性と再会しました。

 

沢井駅から電車にゆられて、15分ほどで青梅駅に到着。駅前に出ると雲間か DSC08649.JPGら太陽が 照りつけ、汗が吹き出ます。駅隣接の観光案内所に寄って、観光チラシを。その横に「オリジ DSC08682.JPG DSC08684.JPGン弁当」があり、390円の期間限定「のりサンマおろし弁当」を注文。購入後、弁当を持って、「かんぽの宿 青梅」へ。

12時集合だったので、駅前からの近道で、釜の淵公園(川の淵が釜の形をしているところから由来)、多摩川にかかる鮎美橋へ。

 

橋上から観る多摩川は蛇行していて、中州ではテントが立ち並び、夏休みを利用した大勢のファミDSC09112.JPGリーたちの水遊びやバーベキューに興じる姿が観え、歓声がこだましていました。

また、目的の建物が望めます。橋を渡り、公園内のベンチで昼食。これが、三陸産のサンマで結構、おいしい。

橋を渡り、郷土博物館宮崎家住宅脇の急坂を上ると、ひと際高い建物「かんぽの宿」。駅からは徒歩約15分。至便で眺望がすばらしい。

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受付で、当グループの所在を聞くと、案の定、ゲームセンター内の麻雀ルームとのこと。

御嶽駅ハイの帰りだったので、すぐさま部屋の鍵を受け取って荷物を置いて、7階の展望風呂へ。

急いで汗を流して着替えて、部屋に戻ってから、気分一新で麻雀ルームに戻ると、われわれのグループの他に、中年のオバちゃんグループが2組いて、かなり、盛り上がっていました。

1年半ぶりの参加で、最初の1局ではビリ。前日から引き続きのメンバーが3人。本日から2人が交代。結局、1日だけの組だったので、半チャンを5回続けてやることに。トップになったのは1回。やはり、ブランクが大きく第1局の出だし早々で、チョンボで満貫払いなど散々な結果に。マイナスとプラスが交互になって、結果的に、負けました。

自分の手を作ることだけで、振り込みも多く、勝負に行ったのも裏目に。今回は相手がリーチをかけて来れば、ベタオリ(相手の捨牌と筋を確認し安全牌を捨てる)しなかったのが作戦ミス。結局、大きく振り込んでは勝てません。

宿の規則で、麻雀は当日23時までで終了。守衛さんが回って来た時にピッタリ終了。その後、部屋で、手動で半チャン1回やって、午前1時に終了。終了後は、ゆったり温泉へ。

翌日は、用があったため、9時過ぎに宿を出ました。さすがに、睡眠不足で帰りの9時37分青梅始発特別快速では、立川の乗換えがないので安心してグッスリ。接続も良くて、12時前には自宅に到着。

8月24日(日)、JR千葉駅東口下車徒歩10分の千葉市文化センター・アートホールへと。核兵器廃絶をめざす千葉県平和事業実行委員会主催、後援は千葉県、千葉市教育委員会、被団協、各新聞社千葉支局など

「いま、力をひとつに ピース・フェスティバルCHIBA2014 」 和太鼓観賞と講演。

千葉市街を歩いて行くと、中央公園からパルコ付近まで、フリーマーケット開かれ、かなりの人 出。

「ピース・フェスティバル」(午後1時半~4時)の会場内に入るとDSC08693.JPG、知り合いのDSC08695.JPG千葉健生病院健康友の会の会長、副会長をはじめ、友の会メンバー、事務局の方々も、10数人来ていました。

DSC08723.JPG受付横では原爆展が開かれていて、パネルに熱心に見入る人たちも...。

 

まず、主催者側を代表して、青木 茂 氏 (実行委員長・原爆被爆者友愛会会長)のご挨拶。「ピース・フェスティバルは21団体が実行 委員会を作って13回目を迎え、核兵器廃絶と平和、憲法などのテーマで、実施して来ました。被爆者は、広島・長崎の原爆、戦争の悲惨さを体が続く限り伝えていく責務があり、昨今の安倍政権は、戦争への道へ突き進もうとしています。若い人たちに戦争の苦しみを味あわせてはいけません。核兵器の恐ろしさを知ってもらい、核兵器廃絶を一日でも早く実現しよう」と。開演後は撮影禁止のため写真無し。

 

その後、司会進行により、太鼓演奏 KOGMIX(八千代高校和太鼓部「鼓組」のOBで編成)
       代 表:三浦祐輝さん
       曲 目 「伊豆の音」にはじまり、「花火」「ヒロシマ(今回のために、三浦さんが作曲して世

            界初披露)」。  

そろいの法被で和太鼓と篠笛を使って、強弱をつけた演出とダイナミックな演奏に魅了されました。

その後は、浦安市在住の益田 敏夫さん(広島被爆者)の被爆の実相話男女高校生3名の原水禁世界大会の感想や核兵器廃絶と平和への取り組みの訴えがあり、最後に「ノーモア広島、ノーモア長崎、ノーモア福島、ノーモア被爆者」の力強いシュプレヒコールがありました。

休憩時には、署名と募金のお願い

 

再開後は、講 演:「千葉の夏・核の冬」  アーサー・ビナード氏(詩人)

―まず、「基地が日本の中にある」のではなく、「基地の中に日本がある」という話。沖縄に行くと、基地が間近にあって感じる。実は千葉も同じ状況下ということ気づいている日本人は少ない。日本に来て25回目の夏。日本に来る前、イタリアで ロダリー作『ダンデライオン』という絵本の翻訳をやって、衝撃を受け、本当のことが自分なりに理解できた。

(中略)戦時中、敵にめがけた砲撃で、「キン・コン・カン」という音が鳴って、兵隊たちは喜んで「平和が訪れ、お祭り騒ぎになる」と。その一方で、上官たちは最後に逃げて行く光景が大事。

つまり、平和になると困る人間がいて、戦争がなくなると、利権が無くなるということ。

ビナード氏は『平和は過激で革命』だと。「過度な平和運動」をやれば、本当の平和になるかも知れないと。『実現すると、輝かしい世界のはじまり』。

日本に来て、1990年夏、湾岸戦争「勃発」と書かれた日本語が解らず、辞書で調べて解ったが、結局、米政府の手先だったフセインブッシュにはめられたシナリオ通りで、決して勃発したのでは無い。英語のbreak outもおかしい表現。

百姓一揆ならありうるが、戦争は勃発しない。武器調達や戦車など、事前に準備されているのでもわかる。

オスプレイは、決して現在の問題では無い」。開発は30年前にさかのぼる。オスプレイの本州、九州などへの負担軽減は、「庇を貸して母屋を盗られる」ということわざを忘れないように...。戦争はどこまでも続くので、実質は負担増になる。

8月6日の広島平和記念式典では43年ぶりに雨。雨がっぱをした松井広島市長の平和宣言では「~焼けつく陽射しの中~」という、使い古しの原稿を読んで驚き。本当に平和を願うのならば、雨が絶好の好機で「黒い雨」で通すと平和を本気で取り組む姿勢が見れたのに、政府の筋書き通り。安倍首相は、コピペで論外。

オバマ大統領の「チェンジ」政策は、「チェ」で終わってしまい、医療保険制度が唯一の成果だが、TPPでそれも吹っ飛んでしまう。大統領が広島に来てほしいと言うが、逆に来たら、広島の価値が下がってしまう。

沖縄辺野古新基地問題も、本質を見抜いているか? 米軍追従の政策を安倍政権が進めていて、報道では「普天間基地の代わりとしての辺野古移設」という表現は、おかしい。比較すると、普天間は米軍にとってはお荷物で、面積も狭く滑走路も1本で、使い勝手が悪い。辺野古の新基地は、広くて海上にあるので発着が容易でV字滑走路は、結局、2本作ることのごまかし。

すべてペンタゴン米国防総省)の21世紀戦争政策の手の内。

ここで詩を読み、『移せないもの、辺野古のジュゴンサンゴ海草をどこに持って行くのか?かけがえのないものをどうするのか?』

新基地のためのボーリング掘削工事の反対運動も少数ではダメで、多くの平和を願う人たちが多数集まれば、政府も対応に苦慮する。

辺野古は、原爆投下された前日と同じ状況。今、辺野古を止めなければ、千葉もいずれ踏み潰される。このままでは、歯止めが利かない。

『皆さん、今、過度な平和運動で、本気で立ち上がろう!』 と呼びかけました。

詩人という、何か優しいイメージとは違って、シャレもまじえて、流暢な日本語で熱弁。講演時間を30分もオーバー。

 

歴史的経緯、戦略を深く掘り下げた洞察力から、現在の政治、経済、社会問題平和運動に欠けている点を指摘した話、ハトちゃんは、衝撃を覚えました。

小生は2週間前に広島に行っていただけに、8月21日(木)未明に、広島市北部を襲った土砂災害のニュースを見て、ショックを受けました。被害に遭われた方々に心より御見舞い申し上げます。

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8月4日(月)~6日(水)、千葉健生病院健康友の会代表として、「2014原水爆禁止世界大会(広島)」に参加。 3日間の日程は、千葉県代表で100名を超え、千葉県民医連の一員としてとして団体行動。参加者は開会総会約6500名、閉会総会約7000名。7月26日(木)に代表団結団式を行い、4日は団体専用列車の2車両で、都・他県の人たちとともに乗車。

 

ハトちゃんは、友の会事務局から8/1(金)電話連絡があり、代表者1名が急遽、ぎっくり腰で行けなくなり代わりに原水禁に行くことになりました。

JR東海道・山陽新幹線団体専用列車で、東京駅から広島駅へ。天候は薄曇りですが、湿度が高い。

駅は、新幹線出口が北口で、やっと反対側の市電の停留所へ。多くの団 DSC08564.JPG体が降り立ったので、大混雑。市電は、ラッキーなことに2台目に乗れました。クーラー付きの電車で会場へ向かう。 横をバスが走っていますが、利用客が少ない。

 

15分ぐらいで、「原爆ドーム前」で降り、そこから徒歩で5分ほどで、県立総合体育館・グリーンアリーナへ。プラカードや各県のゼッケンや幟を持って歩く人たちでいっぱい。同じ場所に向かっているので、ぞろぞろ付いて歩きます。

DSC08264.JPG DSC08270.JPG会場の出入口は、本や資料、Tシャツなどの販売で、ごった返し。

 

 

 

 開会総会(14:00~16:30)会場内は熱気に包まれ、各地域ごとに決められた席に着きます。開会前のオープニング DSC08281.JPG DSC08272.JPGで歌を歌う!やがて開会宣言。主催者報告後、来賓挨拶と続き、数ヵ国政府代表の挨拶。司会者が立って、議事にそって世界大会・全体総会が進む。

 

 

「2015年NPTへ 核兵器全面禁止の大波 DSC08286.JPGを」 ということで、各代表が壇上で挨拶。 中でも、被爆69年を迎え、日本被団協の坪井直さんの被爆体験をまじえた『戦争で国民 DSC08292.JPG DSC08311.JPGを守ったことは一度もない。ネバー・ギブアップ』という力強い決意挨拶に万感の拍手。また、国内外で進められている核兵器のない世界を求める草の根の運動成果が報告されて、交流。平和大行進署名活動原爆展などの報告も...。

 

松井広島市長の代読では『原爆が非人道的兵器の極みで絶対悪。平和首長会議は、6200を超える加盟都市を通じて、広島・長崎のメッセージを行き渡らせ、核兵器禁止条約の締結につなげたいと』。

DSC08323.JPG DSC08329.JPGまた、福島原発事故で苦しむ代表から『即時原発ゼロ』や、安倍政権の沖縄米軍辺野古新基地建設に反対して頑張っている沖縄からは「基地も核兵器も原発のない世界を』 という訴えが共感を呼びました。 

約2時間半の総会が終了。  総会終了後、今村さん(組合代表)と二人でホテルに向かうも、突然 DSC08340.JPGの時雨と道に迷って、上から下までずぶ濡れ。その代わり、体育館・アリーナまで DSC08344.JPG広島城堀に沿った遊歩道・近道をホテルの受付で教えてもらい、以後はすべて徒歩で全体会・分科会へ行くことができました。

 

 

2日目の分科会では、テーマ別に19分科会・シンポジウムに分かれて参加。ハトちゃん「碑めぐり・被爆の実相学習会」に参加。午前中の「碑めぐり」は、幸い雨に降られずラッキー。ガイドがついて、平和公園内の各種原爆碑原爆死没者追悼平和祈念館原爆ドームなど爆心地周辺を見学。DSC08357.JPG DSC08363.JPG DSC08366.JPG被爆状況、爪痕を確認。2時間半ほど歩いて説明と見学をしながら写真撮影。 

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DSC08397.JPG DSC08404.JPG DSC08412.JPG DSC08414.JPG DSC08426.JPG DSC08438.JPG DSC08442.JPG

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午後は、被爆者から非人道的兵器、原爆によって多くの生命が失われ、恐ろしい「地獄絵」のような悲惨さと苦しみを聞き、後世への実相の普及を痛感しました。原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さを物語 DSC08457.JPG DSC08465.JPG DSC08469.JPG DSC08472.JPG

「人類への警鐘」を感じずにはいられませんでした

 

その後、宿舎に戻ってから、18時からの民医連交流会〔場所:本通の「竹取御殿」2年前と同じ〕へと足を運びました。ホテルへ戻った、今村さんと一緒に会場へ向かいましたが、方向音痴の小生が曲がるところを左右間違えて、遠回り。それでも時間前に着いて、一安心。優しい今村さんは、歩数が稼げたと許してくれました。ご愛嬌! 原水禁初参加の方々も多く、自己紹介、今回の印象、分科会内容など、歓談のうちに20時過ぎに終了し、徒歩15分でホテルに帰着。

 

最終日は、早朝から大雨。千葉県からも雨の中を平和公園へ出かけたメンバーもいましたが、小生は平和記念式典をテレビで観ました。会場は、雨にもかかわらず、多くの人たちが訪れ、カラフルな千羽鶴や花束で埋め尽くされていました。8時15分に黙祷し、犠牲者の冥福を祈りました。松井市長の平和宣言では『唯一の被爆国で、日本国憲法のもと、69年間戦争をしなかった事実を重く受け止め、悲劇を三度繰り返してはならない』 誓いに共感。

集団的自衛権をはじめ、多数の論理で、憲法を勝手に解釈して武力行使を進めようとしている安倍首相のスピーチは、原稿の棒読みと昨年と同内容で、白々しく聞こえてしまいました。

 

閉会総会(10:30~13:00)では、国連&政府代表者の挨拶に続き、署名プレゼンテーション。歌手の二階堂和美さんのミニコンサートをはさんで、海外代表からの発言や全国の取り組みが報告さ DSC08504.JPG DSC08505.JPG DSC08510.JPGれ、草の根の代表者から「核兵器禁止・廃絶、原発ゼロに向けての平和運動の共同と連帯をつくりだそう。NPTにも多数送って世界政治の大きなうねりを」という決意表明。

 

2015年核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けて「核兵器全面禁 DSC08544.JPG DSC08538.JPG止のアピール」署名を集めて、 DSC08550.JPG DSC08556.JPG代表団をニューヨークに送る決議を採択。


 

フィナーレは、舞台いっぱいに国内外の多くの仲間たちが手を取りあって大合唱。

 

今回、あらためて「核兵器廃絶と平和への運動」へ積極的に連帯し支 DSC08573.JPG DSC08572.JPG援していくパワーをもらい、運動の必要性を再確認。これからも運動を継続させなくては!と決意させたヒロシマでした。

 

 

それにしてもお盆明けが「暑~い」。

今週のはじめ18日(月)から、真夏の暑さが戻って、残暑というより、猛暑。気温もぐんぐん上がって、本日も千葉は33度を超えました。

 

駅ハイも7月17日(木)にオジン隊で河口湖に行ったのを最後に、約1ヵ月のお休み。幸い、千葉健生病院健康友の会事務局がお盆休みで、今週から 『友の会だより』の発送作業があり、冷房の部屋で過ごせます。クーラーが利いていて自宅にいるよりも心地よく作業ができます。現在、自宅前の隣地では、大工が来ていて、連日、午後6時過ぎまで、騒音があって、窓を開けるとうるさいので、閉めている状態。クーラーをかけない小生は、できるだけ筋トレなど、外出を心がけていますが、ここ2、3日、外は暑過ぎ。

ハトちゃんは、午前中のみ、約1~2時間お手伝い。ボランティアの皆さんもベテランがそろい、あっという間に予定の宛名シール貼り広報紙とチラシとの組み送付紙片を巻いた DSC08596.JPG封入といった一連の作業を、順番に行って4~5日間で終了させます。

最近は、朝方だけは涼しいので、庭の落葉樹の掃除を約1時間やってから、その日の日課を決めるようにしています。

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セミは、夜、網戸にぶつかったりして、だいぶ弱って来ましたが、暑さの中、ひっきりなしにうるさく鳴き続けていて、暑さを感じさせます。夏の暑さももう少しと思って我慢しています。7月下旬に買った「青春18切符」。そろそろ使わないと、宝の持ち腐れになってしまいます?

8月16日(土)高校野球全国大会2回戦第2試合で、千葉県代表の東海大望洋高校は、城北(熊本)に5対3の逆転負け。それも8回表まで1点リードしていながら、その裏に3点を取られて、一番悔しい負け方。

千葉県は県予選を勝ち抜くのも大変で、まぁ、代表校は甲子園の初戦、勝利するものと信じていただけに、結果として残念。

今年は、大差の試合があるものの、9回の攻防で勝敗がつく試合が多く、好試合が続出。ちょうど、ハトちゃんが夏風邪を引いたことで、外出を控えたために、いつもより高校野球を観る機会が増えました。

野球にかける、ひたむきな高校球児のプレーは、観ている&応援している人たちに多くの感動を与えてくれます。

県代表校1校は、必ず出場するので、故郷や住居地、近隣といった関係があると、つい力が入って応援してしまいます。

高校野球の数ある名勝負や印象に残った試合、監督、選手の中でも、一番感動したのは、1984(昭和59)年茨城県初の全国制覇した決勝戦。

取手二高(県立)が、後に、プロ野球で大活躍の清原、桑田選手(KKコンビ)を擁するPL学園を破り優勝した試合。その後、常総学院の監督になり、県代表常連になり「木内マジック」と言われた木内監督

茨城県出身のハトちゃんが、テレビで観戦して試合終了と同時に、雄たけびを上げ、監督のインタビュー時の茨城弁丸出しに郷愁を覚え、涙を抑えることができなくなった記憶があります。

 

2011(平成23)年に勇退するまで、常総学院でも全国制覇し、県勢3回(春1回、夏2回)のすべてにかかわっていて、2003(平成15)年には、ダルビッシュ・有〔現:テキサスレンジャーズ〕投手を擁する東北高校に4対2で勝ち、2回目の夏全国優勝を飾りました。

 

残念ながら、今大会では茨城県代表の藤代高校は8点リードを守れず、史上タイの得点差で大垣日大高(岐阜)に逆転負けで早々と姿を消してしまいました。

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3回戦に入り、いよいよ白熱した試合が続きますが、どこが優勝するのでしょうか?  予想はつきませんが、できればまだ全国制覇が無い県が優勝すると、個人的には盛り上がるのですが。

 

 

 

8月14日(木) 庭では、セミの鳴き声が真っ盛り。午後3時前、天気予報どおり、時雨れて雷が鳴り DSC08583.JPG DSC08577.JPG雨が降り出して来ました。

今朝、庭の燈籠の前のリュウノヒゲの間に、ユリが一斉に花を咲かせました。白い花が垂れ下がって見事。まだ全部は咲いていないので、これからしばらくは観賞できます。

 

これは、別に球根を買って来て、育てたわけでは無く、最初は近所の家の外壁ブ DSC08592.JPGロックと道路との間に咲いて、『こんなところに咲くなんて、強いユリだなぁー』 と。

そのうち、いつの間にか種子が飛んで来たのか、ハトちゃん宅でも毎年咲くようになりました。

 

調べてみると、ユリの仲間で、タカサゴユリと言います。

台湾原産の帰化植物タカサゴ:琉球語のサカサングに由来する台湾の別称)で、観賞用として大正時代に導入されたそうです。

テッポウユリによく似た花を咲かせるので、除草されず、各地に広がりつつあり、荒地でも生育し、花の外側が赤褐色を帯びている点などが特徴的だとか。

DSC08587.JPG DSC08581.JPG種子が飛んで来た1年目は茎を形成せず、数枚の細長い葉を伸ばすだけで、葉で得た光合成の栄養物を球根に溜め込み、2~3年目に花茎を出して開花するとのこと。

庭には、もっと飛んで来たのでしょうが、知らずに草取りをしていて、現在は大小3本のみあり。

 

今のところ、広がってもいないで、ちょうど景観も良いので、咲き続けるように見守っていきたい!!

 

 

夏風邪を引いて、自宅で休養中。 ブログもこの間、少々間隔が開いてしまい、申し訳けありません。

昨日(8/13)まで、咳が出たので外出はひかえて、録画してあった「認知症」の2時間特別番組を妻が終業して帰宅後、観賞。現実の一例を3つの型に分類して紹介。まず、第一に感じたことは、アルツハイマー型では、明日はわが身ということもあり得ること。どのパターンも決して本人がなりたくてなったのではないのに、苦しみの日々が続き、また面倒をみる家族も、大変だということ。

わが家でも、妻の父が、亡くなる1年前から認知症が進み、自分の名前は書けるものの、字が乱れていたり、小銭の勘定ができなくなったり、物をしまった場所を忘れたり、同じことを何度も言ったりという症状がだいぶ出て来て大変でした。1週間に1回の訪問は何とかできましたが、毎日、世話するとなると非常に大変です。

義父が2週間ほど、体調を崩した際、小生の自宅で寝食を共にして面倒を見ましたが、こちらの体力だけでなく、むしろ精神的にきつくなりました。家族が世話をするのは当たり前ですが、認知症がだいぶ進んでしまった段階では、家族の負担を軽減する意味でも、施設など専門の方に見てもらう必要があると、番組では結んでいました。

予防法では、脳のトレーニング、スマホなどの携帯に頼りがちな生活改善や食事療法を紹介していて、非常に参考になりました。同年齢のアルツハイマー型認知症の症例は、人ごとではなく、小生もできるだけ頭をつかったり、運動をしたりして、前向きな生活を、これからも心がけなくてはと改めて思いました。いずれ小生や妻も、認知症になる可能性があると思うと、身につまされました。

 

お盆休みで自宅にいる社会人の息子や娘は、休みを謳歌して、自分たちの部屋で、パソコンゲームやアニメで過ごしていますが、今の若者たちは、言われたことはやっても、自分から家族のために何かをやるという自覚は薄いようです。

妻とハトちゃんは、『子どもたちには頼らずに、自分たちの老後は、自分たちで生活し守る』 という考えで一致していますが、何よりも二人ともできるだけ健康で、体も動いてボケないように頑張りたいと、常々話しています。

 

 

 

8月10日(日)は、「ハト(810)ちゃんの日」 と勝手に呼んでいます。

 

ハトちゃんは、4日から6日までの3日間、千葉健生病院健康友の会の代表として、3年連続で原水禁世界大会に参加。広島へ行って来ましたが、台風11号の影響で、3日間とも雨が降る大会になりました。雨の平和式典は、何と43年ぶり。平和公園原爆ドームへも訪れて、折鶴を献上...。

8日(金)は、午前中、健生病院の診察、午後、40分ほど友の会事務局で宛名シール貼り、その後、歯医者でマウスピース(就寝中にはめる物)ができて来たので、試着と受け取り。それまでは、何ともなかったのですが、夜から喉が痛くなり、咳も出始めてダウン。

ちょうど、友の会事務局も1週間夏期休暇だったので、ボランティアも来週の月曜以降になったのは幸い。

3日前のブログでは、帰宅後、1日休息をして、疲れがとれたと思いましたが、やはり総会、学習会、懇親会など過密なスケジュールがいっぱいで、疲れが出たのか、夏風邪を引いてしまったようです。9日(土)~10日(日)の八王子の実家へのお盆帰りは、妻と子どもたちで行ってもらい、続けて休養に...。台風の影響、被害が心配されましたが、千葉・習志野は、時々の強い雨があったぐらいで、すみました。しかし、ニュース報道では、四国や西日本では、800ミリ以上の降雨量、栃木の一部では突風の被害、その後も北日本で甚大な被害が出て、先週の台風12号に続き、8月としては極めて被害の多い年になっています。

被害に遭われた各地の方々に、心より御見舞い申し上げます

 

それにしても、高台にある自宅では、日本海に抜けた台風が熱帯低気圧になった(11日)にもかかわらず、7m以上の強風が朝からずーっと吹き続けていて、外に洗濯物は干せないし、雨戸はギシギシ音を立てていて、窓はほとんど開けられず、室内は蒸し風呂状態に...。

 

 

昨夜、原水禁世界大会(8/4~6)を終えて、広島から帰宅。「暑~い広島」を想像していたのに、毎日、雨が降って、過ごしやすかったのは幸いでした。

7日の予定は、前夜、それほど疲れていなかったので、駅ハイ秩父〔本日が最終日〕に参加の意気込み...7時前の電車に乗ろうと、目覚ましをかけていました。

 

8/7(木)、目覚ましが鳴ったのも覚えていないほど、熟睡。目が覚めると、9時をまわっていて、結局、受付時間には間に合わず、休息日に変更。「 やっぱり、疲れていたのかなぁー!」

庭では、セミが鳴き続けていて、夏真っ盛り。習志野は、晴れて気温が高い割に、風が結構強く吹いているので、暦の上の立秋という感じ。朝食後、世界大会の資料と写真整理。その後、家の掃除洗濯・洗濯物の片付け、4日(月)妻が終業後に実家から収穫した野菜の水洗い選別冷蔵庫に収納などで、あっという間に午前中は終了。

午後は、チャリンコで近くの勤労会館へ出かけ、4日ぶりの軽い筋トレストレッチ。40分後に、ハミングロード先の「天然温泉 菜々の湯」(本日はが付く日でポイント2倍)で、いろいろな湯に浸かって、疲れを癒しました。

館内の体重計に乗ると、旅行前より1kg体重が増えていたのは、意外だったなぁー! やっと、60㎏を超えて、少し安心。広島のホテルは、3人部屋で65歳以上の方々と一緒だったので、毎晩、22時前に就寝したのと、お好み焼き郷土料理を食べてスタミナをつけたことなのかなぁーと思ったりして...。

おかげで、ほとんど旅の疲れがとれた1日になり、良かったです。

 

 

 

先週の日曜(7/26)に妻と二人で、妻の実家へ行って、夏野菜の収穫。

 

が7/31~8/3まで、山行に。入れ違いに8/4早朝からハトちゃん広島へ...。今週末は、明日からの広島があるので、実家へ帰らずに自重して休息。窓を全開にして、明日の資料整理と持ち物準備。その間に筋トレテレビ観賞(BS1の「ツール・ド・フランス」)でくつろいでいます。

実家へ野菜を収穫に帰るのも、週末以外は、妻が通勤で車を利用しているので無理。

真っ赤に熟したトマト、ミニトマト、きゅうり、ナスなどは、とくに生長が著しく、本当は、毎日、収穫しなくてはダメですが、一週間に一度が精一杯。今回は、他に、モロヘイア、ツルムラサキがだいぶ大きくなったので、初めてとりました。

とうもろこしは、実が熟し過ぎて固くなって来たのと、虫が食べはじめて来たので、全部とってしまいました。

結局、何種類かの野菜を段ボール箱に別にして、7個も持ち帰りました。

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収穫するのは、結構、楽しみですが、あとが大変。

帰宅後、持って来た野菜の選別、水洗いなど。img_0[1].jpg

早めに食べるのがおいしいので、夜に、妻がナスのしんやき、ピーマ ンのヒキ肉つめ、さらに、とうもろこしやモロヘイヤを茹でて、早速、旬の野菜を二人で食べました。八百屋で買うのと違って、新鮮なので甘みがあり、作る楽しみ食べる楽しみの一石二鳥を感じています。

野菜の量は、できるだけ種類を多く、少しずつしか作っていないのですが、自分の家だけではとても食べきれない量になります。子供たちはあまり野菜を食べないので、もっぱら近所と、八王子の母、友人、友の会などへ配っています。

健康のためには、生野菜や野菜料理が体には良いのですが、毎日、食卓に並んでいると、正直、飽きてしまいますが、根性で食べ続けています。

 

明日から3日間は、広島(原水禁世界大会)に参加するので、夜にでも、うまい郷土料理でも食べに行こうと思っています。

7月31日(日)に、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」で昨年の12月10日(火)に体調不良で行けなかった行「駒場東大前から代官山・恵比寿を歩く」(約7km)を、一人で歩きました。

少し風があるものの、真夏の太陽がギラギラと照りつける中、JR中央・総武線「幕張本郷」駅を出発。東京メトロの「西船橋」(東西線)→「九段下」から半蔵門線に乗り換えて、「渋谷」へ。「渋谷」から京王井の頭線の「駒場東大前」駅へと向かいました。

「駒場東大前」(10:37)に着きましたが、時間はそれほどかからず、スムーズに。同サークルの別コースでこの駅を起点としたことがあったので。

早速、ウォーキングマップを見ながら歩き始めました。

 

線路に沿って歩いて行くと、まわりに学生さんの歩く姿が。踏切を渡らずに右折。 DSC08152.JPG東大前商店街の石段を降りて、Y字路を左に入り、細い路地をほぼ道なりに進むと、都道423号線へ。横断して都立駒場高校、第一中学校の横を曲がると、間もなく下り坂へ。

坂の終点「東都リハビリテーション学院」建物手前右に、赤い小さい鳥居と急な石段。 DSC08160.JPG DSC08161.JPG氷川神社の石段を登って行くと、社殿があり、参拝。

DSC08164.JPG富士講の碑もあり、小高い丘から眼下に市街地(高い建物が多い)が望めます。正面の急階段(52段)を注意しながら下りて行きました。

 

下りると、目の前に首都高速道路と高架下の玉川通りへ。車の往来が激しく、騒音がやかましい。

 

長い陸橋を渡ると、昨年3月に開園した目黒天空庭園の氷川橋出入口へ。首都高速中央環状線と3号線を結ぶジャンクションの上に回遊式の天空庭園が広がっています。

DSC08167.JPG DSC08169.JPG DSC08170.JPG階段またはスロープが付いていて、ちょうど前にサラリーマンの男性が歩いていて、屋上の庭園内には「十の庭」が回るように配置されています。管理棟に寄って、チラシをもらい、憩い・交流広場なども見学。 DSC08172.JPG

庭園を眺めると、残念ながら花は少ない。クロスエアータワーに入ると、大橋図書館などに来館者が来ていて、先生が作った資料を見せて、真上からのアングルを探しましたが、『高層マンション上部から撮影したもので、一般人は入れない』と言われて、、「やはり無理か」とあきらめました。

 

また、ここが庭園上部の終点(タワー9階)で、『良く歩いて来ましたね』 と。帰りは、エ DSC08180.JPG DSC08179.JPGレベーターを利用して2階から地上へ出てオーバスブリッジ(国道246号線)に出て、 目黒川に沿って、山手通りを横断し、さらに目黒橋の先を川に沿って歩くと、広い感じの菅刈公園〔西郷従道(つぐみち、隆盛の弟)の邸宅跡に建てられた公園〕へ。

 

 

出入口右手に、和館があって西郷家ゆかりの書画を展示。庭園 DSC08188.JPG DSC08185.JPG DSC08183.JPGには地形を生かして、滝と池が配置されていて、鯉が悠々と泳いでいて、ほとりに近づくとエサを求めて、寄って来ました。また園内には遊具や芝生広場がある児童公園が隣接されています。

 

和館の先を抜けて、ゆるやかな坂を左折。そこで、UPSと書かれた黒っぽい車を発見。運転手に西 DSC08194.JPG郷山公園からヒルサイドテラスへ抜ける道を尋ねると、親切に教えてくれました。なおUPSは、国際輸送サービスだそうです。初めて知りました。

西郷山庭園〔西郷従道の別邸跡にできた公園で、庭園は東都位置とたたえられた。1941〔昭和16)年まで、西郷家の本邸として私用されていた〕は小高い丘の DSC08193.JPG DSC08196.JPG上にあり、展望が良い。階段&スロープを上って行くと、滝の前でお孫さんを連れたおばさんに出会い、『ウォーク中で、これから恵比寿へと向かう』と話すと、『暑いので気をつけて、頑張ってください』と激励の言葉を...。

 

頂上の平坦なところから出入口が、旧山手通りに繋がっていて DSC08200.JPG、右折して歩いて行くと、スフィンクスDSC08204.JPGどの彫像が並ぶエジプト大使館や、インテリアに凝っているレストランなど。

このあたり一体をヒルサイドテラスと呼んでいて、ビルの建物の空いたスペースに、鳥居と上に2基の円墳がある猿楽塚がありました。

 

戻って、信号を横断。すると旧山手通りをはさんだ目黒側のエリ DSC08208.JPGアに、低層でおしゃれな建築デザインの建物が続く一角があり、手前に「ヒルサイドテラス前」のバス停。ギャラリー、カフェ、レストラン、オフィスなどのきれいな景観。

 

次のポイント、猿楽古代住居跡がある猿楽公園は狭くて、場所がわかりづらく、園内 DSC08214.JPG DSC08215.JPGの竪穴住居跡や展示もしょぼい(大したことはない)。途中に、渋谷区立猿楽トレーニングジムの建物。

 

次に、何度か歩いている代官山の通りへ。住宅地のほか、ブティック、洋菓子店、レストラン、カフェなどの商業施設も多く見られます。1996(平成8)年まで、同潤会代官山アパートメン DSC08224.JPGトでしたが、再開発によって取り壊され、2000(平成12)年に複合施設「代官山アドレス」とし DSC08225.JPGて開業。同施設にある「代官山アドレス ザ・タワー」(地下4階地上36階;約120m)は付近唯一の超高層建築としてランドマークとなっています。以降、原宿・表参道エリアに次ぐ高感度なファッションタウンとして広く認知されるようになりました。

 

その後のコースがジグザグとなっていたので、わかりやすい駒沢通りに出て左折して、恵比寿駅西口を目指しました。恵比寿駅近くの公園の先に、恵比寿神社があ DSC08229.JPGり参拝。

ちょうど神社を出て駒沢通りに戻ったところに、東京メトロ日比谷線の出入口があり、電車に乗ると、冷房が効いていて、生き返りました。

 

帰りがけに、首都圏公園スタンプラリー旧岩崎邸庭園に立ち寄ろうと、「湯島」駅で下車。不忍通りの前を左折して、案内に沿って3分。門をくぐって、長い砂利道(暑いのでしんどい!)の先に、出入口が(13:05)。受付横で押印。入園 DSC08242.JPG DSC08239.JPG DSC08248.JPGして、洋館、和館、撞球場(地下で洋館に繋がっている)、広い芝生を見学。

すると、和館奥に見慣れない建物が建っているではありませんか?

 

帰りに受付で聞いてみると、出入口が岩崎邸横に併設されている、国立近現代建築資料館。昨2013年5月の開館展示が公開の最初でまだ日 DSC08244.JPG DSC08247.JPGが浅い。初めてだったので館内に入ると、学芸員も2名で、広いスペースに建築資料・図面の展示のみ。建築物の模型や写真も少なく一般向けにはほど遠い。専門家はいざ知らず、あまりにも不親切で、展示数も少なくもったいない。

調査が目的で、展示が目的ではないのかも知れませんが、文化庁ももう少し建物・ブース構成を考えてほしい。出入口にも大きな掲示板も無く、出入りも入館証を警備員に断ってもらうなど、面倒。税金をかけて造った建物なのに...。警備員に上記の要望を託して、後にしました。

 

正午をだいぶ過ぎていたので、近くのセブンイレブンでアイスコーヒ DSC08259.JPGーとおにぎりを買って、不忍池(徒歩1分)に寄ると、ピンクの蓮の花が咲いていましたが、何よりビックリしたのは、葉が大きくなり、一面に茂っていたこと(13:35)。

池のほとりのベンチでは、暑さを避けて、休息する人たち。その横で、小生もやっと昼食にありつきました。

 

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「ゆうほ21」のメンバーが12月に歩き、小生は夏真っ盛り。体にはきついウォークとなりました。

  

今年も 『暑い、暑いなぁ~』 と言っていると、早8月に。1日は八王子に住む母の90歳誕生日

今のところ、膝と腰の手術をした程度で、ボケることも少なく、ヘルパーさんなど、多くの人たちに支えられて元気に一人暮らしを続けています。

孫たちも社会人になり、『おめでとう』 の電話を入れて、「9~10日にハトちゃんの家族4人で八王子へ顔見せ&遊びに行くこと」になりました。

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ところで、今朝8時半前に、千葉健生病院健康友の会事務局から電話あり。

「2014原水禁世界大会(広島)」の代表者1名が、ぎっくり腰になって不参加の連絡が入って、ピンチヒッターでの打診がありました。今年は当初から別の方にお願いすることに決定していたので、全く考えていなかったので困惑してしまいました。

午後の4役会議での結果で、他に候補者がいないとのことになり、結局、一昨年の広島、昨年の長崎に続いて、今年も代表としてお願いされて、急遽、参加することになりました。

現地でのスケジュールは、猛暑の中、3日間、ほとんど夜を除いて、全体集会、分科会への出席で缶詰め状態。終了後も報告書の提出や、研修成果の発表など、正直、大変です。

それでも、貴重な報告や体験、学習、交流ができるので、代表として参加できるのは光栄ですが、選ばれて派遣される以上、体調には十分注意して、頑張って来ようと決意しています。

そんなわけで、世界大会の資料を確認する作業が入り、2日(土)の秩父駅ハイや妻の実家での畑仕事も、大事をとってやめました。

 

4日(月)7時過ぎの東京発の臨時新幹線に乗り遅れないようにしなくては!

 

ブログは、2日に「ゆうほ21」の駒場東大前~恵比寿を書いた後は、7日(木)までお休みさせていただきますので、御了承ください。

 

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