原水禁世界大会2014の報告会

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原水禁世界大会(8/4~6;広島)の報告会が、8月30日(金)午後3時から、千葉健生病院4階第1会議室で行われました。

 

14時からの院内避難訓練が長引き、会議室前で待たされました。終了後、急いで会場設営をして、事務局の用意した資料を各自もらいます。DSC08793.JPG

34名の方々が集まって、岡田院長の「安倍政権の一連の非民主的・暴走時に開催された世界大会の意味は大きい。これから参加者による貴重な報告会を開催します」という挨拶に始まり、司会 今村さんから参加者紹介に続き順次報告。

 

最初に、病院代表の4名(うち1名が仕事で欠席)が報告。パソコンパワーポイントによDSC08798.JPGる資料に、口頭での説明が付け加えられました。詳細にまとまっ ていて、初参加の印象とともに、世界大会総会や被爆の実態・施設見学の様子、分科会での討論内容紹介などから、今後、自分たちにできる活動をしたいという表明。写真の映像もあったそうですが、見せられずに残念がっていました。

 

 その後、友の会からの代表 ハトちゃん(報告の詳細は、前回のブログで紹介していますので省略)。分科会の「碑めぐり・被爆実相学習会」の様子は、写真にキャプションを付けて、模造紙に貼って説明。安倍政権の「集団的自衛権」「特定秘密保護法」「原発再稼動」「辺野古新基地建設と関連する自然破壊」「TPP容認」など、一連の非民主的政策、安保による対米追従の戦争への道に断固反対を強調しました。DSC08803.JPG

同じく女性代表からも、2日目の分科会の熱心な討論などが紹介され、「絶対に戦争を引き起こさせてはいけない。ノーモア広島・長崎、ノーモア福島、ノーモアビキニ、ノーモア被爆者!」の決意表明がありました。

 

そして最後に、 組合代表の 今村さんから、写真入りの資料で、分科会での遺跡めぐりで被爆時とあとの建物や当時の状況について、博学的知識のガイドさんの説明を聞き、事実と理解がより鮮明になったそうです。また、閉会総会では国際連帯を大きく感じたそうです。

 

フィナーレ前に、小生がちょっとコメント。事務局で作成した資料の広島市長・長崎市長の平和宣言、安倍首相挨拶について、24日(日)にアーサー・ビナードさん(詩人)の講演で指摘された点を補足。

『平和記念式典が43年ぶりの大雨にもかかわらず、松井市長(広島)の宣言は「~灼け付く日差しは~」と全く事実と違う判断ができずに、原稿棒読みの愚かさと、「雨」をチャンスと捉えて「黒い雨」問題に関連した宣言にできなかったこと。また、新聞やネットでも取り上げられた安倍首相の挨拶コピペ問題。広島・長崎での昨年のものと酷似していた内容で唯一の被爆国トップの挨拶として、全然、心に響かなかったこと。物笑いの種を世界に発信してしまったこと』

 

本日のフィナーレは、世界大会閉会総会で、手を取り合って歌われた「We shall DSC08807.JPGovercome」の合唱。

今村さんのギター演奏で、参加者全員で1番と2番を合唱し、最後に、今村さんから 『世界大会を単なる夏のイベント、報告会だけで終わらせることなく、参加者たちが今後も平和活動(昨年度の参加者は平和学習会・懇談会を開催)に積極的に参加してもらいたい』と、問題提起されました。 

1時間ほどで報告会を終了しました。近頃の院内の行事集会では、一番多く集まったそうで、「原爆・核兵器をなくし、平和運動を推し進めなくてはいけない」という皆さんの考えが強かったからだと思いました。

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このページは、hatochanが2014年8月30日 14:21に書いたブログ記事です。

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