原水禁世界大会(広島2回目)に参加して

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小生は2週間前に広島に行っていただけに、8月21日(木)未明に、広島市北部を襲った土砂災害のニュースを見て、ショックを受けました。被害に遭われた方々に心より御見舞い申し上げます。

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8月4日(月)~6日(水)、千葉健生病院健康友の会代表として、「2014原水爆禁止世界大会(広島)」に参加。 3日間の日程は、千葉県代表で100名を超え、千葉県民医連の一員としてとして団体行動。参加者は開会総会約6500名、閉会総会約7000名。7月26日(木)に代表団結団式を行い、4日は団体専用列車の2車両で、都・他県の人たちとともに乗車。

 

ハトちゃんは、友の会事務局から8/1(金)電話連絡があり、代表者1名が急遽、ぎっくり腰で行けなくなり代わりに原水禁に行くことになりました。

JR東海道・山陽新幹線団体専用列車で、東京駅から広島駅へ。天候は薄曇りですが、湿度が高い。

駅は、新幹線出口が北口で、やっと反対側の市電の停留所へ。多くの団 DSC08564.JPG体が降り立ったので、大混雑。市電は、ラッキーなことに2台目に乗れました。クーラー付きの電車で会場へ向かう。 横をバスが走っていますが、利用客が少ない。

 

15分ぐらいで、「原爆ドーム前」で降り、そこから徒歩で5分ほどで、県立総合体育館・グリーンアリーナへ。プラカードや各県のゼッケンや幟を持って歩く人たちでいっぱい。同じ場所に向かっているので、ぞろぞろ付いて歩きます。

DSC08264.JPG DSC08270.JPG会場の出入口は、本や資料、Tシャツなどの販売で、ごった返し。

 

 

 

 開会総会(14:00~16:30)会場内は熱気に包まれ、各地域ごとに決められた席に着きます。開会前のオープニング DSC08281.JPG DSC08272.JPGで歌を歌う!やがて開会宣言。主催者報告後、来賓挨拶と続き、数ヵ国政府代表の挨拶。司会者が立って、議事にそって世界大会・全体総会が進む。

 

 

「2015年NPTへ 核兵器全面禁止の大波 DSC08286.JPGを」 ということで、各代表が壇上で挨拶。 中でも、被爆69年を迎え、日本被団協の坪井直さんの被爆体験をまじえた『戦争で国民 DSC08292.JPG DSC08311.JPGを守ったことは一度もない。ネバー・ギブアップ』という力強い決意挨拶に万感の拍手。また、国内外で進められている核兵器のない世界を求める草の根の運動成果が報告されて、交流。平和大行進署名活動原爆展などの報告も...。

 

松井広島市長の代読では『原爆が非人道的兵器の極みで絶対悪。平和首長会議は、6200を超える加盟都市を通じて、広島・長崎のメッセージを行き渡らせ、核兵器禁止条約の締結につなげたいと』。

DSC08323.JPG DSC08329.JPGまた、福島原発事故で苦しむ代表から『即時原発ゼロ』や、安倍政権の沖縄米軍辺野古新基地建設に反対して頑張っている沖縄からは「基地も核兵器も原発のない世界を』 という訴えが共感を呼びました。 

約2時間半の総会が終了。  総会終了後、今村さん(組合代表)と二人でホテルに向かうも、突然 DSC08340.JPGの時雨と道に迷って、上から下までずぶ濡れ。その代わり、体育館・アリーナまで DSC08344.JPG広島城堀に沿った遊歩道・近道をホテルの受付で教えてもらい、以後はすべて徒歩で全体会・分科会へ行くことができました。

 

 

2日目の分科会では、テーマ別に19分科会・シンポジウムに分かれて参加。ハトちゃん「碑めぐり・被爆の実相学習会」に参加。午前中の「碑めぐり」は、幸い雨に降られずラッキー。ガイドがついて、平和公園内の各種原爆碑原爆死没者追悼平和祈念館原爆ドームなど爆心地周辺を見学。DSC08357.JPG DSC08363.JPG DSC08366.JPG被爆状況、爪痕を確認。2時間半ほど歩いて説明と見学をしながら写真撮影。 

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DSC08397.JPG DSC08404.JPG DSC08412.JPG DSC08414.JPG DSC08426.JPG DSC08438.JPG DSC08442.JPG

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午後は、被爆者から非人道的兵器、原爆によって多くの生命が失われ、恐ろしい「地獄絵」のような悲惨さと苦しみを聞き、後世への実相の普及を痛感しました。原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さを物語 DSC08457.JPG DSC08465.JPG DSC08469.JPG DSC08472.JPG

「人類への警鐘」を感じずにはいられませんでした

 

その後、宿舎に戻ってから、18時からの民医連交流会〔場所:本通の「竹取御殿」2年前と同じ〕へと足を運びました。ホテルへ戻った、今村さんと一緒に会場へ向かいましたが、方向音痴の小生が曲がるところを左右間違えて、遠回り。それでも時間前に着いて、一安心。優しい今村さんは、歩数が稼げたと許してくれました。ご愛嬌! 原水禁初参加の方々も多く、自己紹介、今回の印象、分科会内容など、歓談のうちに20時過ぎに終了し、徒歩15分でホテルに帰着。

 

最終日は、早朝から大雨。千葉県からも雨の中を平和公園へ出かけたメンバーもいましたが、小生は平和記念式典をテレビで観ました。会場は、雨にもかかわらず、多くの人たちが訪れ、カラフルな千羽鶴や花束で埋め尽くされていました。8時15分に黙祷し、犠牲者の冥福を祈りました。松井市長の平和宣言では『唯一の被爆国で、日本国憲法のもと、69年間戦争をしなかった事実を重く受け止め、悲劇を三度繰り返してはならない』 誓いに共感。

集団的自衛権をはじめ、多数の論理で、憲法を勝手に解釈して武力行使を進めようとしている安倍首相のスピーチは、原稿の棒読みと昨年と同内容で、白々しく聞こえてしまいました。

 

閉会総会(10:30~13:00)では、国連&政府代表者の挨拶に続き、署名プレゼンテーション。歌手の二階堂和美さんのミニコンサートをはさんで、海外代表からの発言や全国の取り組みが報告さ DSC08504.JPG DSC08505.JPG DSC08510.JPGれ、草の根の代表者から「核兵器禁止・廃絶、原発ゼロに向けての平和運動の共同と連帯をつくりだそう。NPTにも多数送って世界政治の大きなうねりを」という決意表明。

 

2015年核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けて「核兵器全面禁 DSC08544.JPG DSC08538.JPG止のアピール」署名を集めて、 DSC08550.JPG DSC08556.JPG代表団をニューヨークに送る決議を採択。


 

フィナーレは、舞台いっぱいに国内外の多くの仲間たちが手を取りあって大合唱。

 

今回、あらためて「核兵器廃絶と平和への運動」へ積極的に連帯し支 DSC08573.JPG DSC08572.JPG援していくパワーをもらい、運動の必要性を再確認。これからも運動を継続させなくては!と決意させたヒロシマでした。

 

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このページは、hatochanが2014年8月21日 06:23に書いたブログ記事です。

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