2019年4月アーカイブ

 

今回、小生は広報紙の企画会議出席のため不参加。代表して兼子隊長に駅ハイの写真と状況を書いてもらい、発表させていただきます

コースは;国分寺駅右cocobunjiプラザ スタート 恋ヶ窪東遺跡柄鏡形敷石住居跡右姿見の池右東山道武蔵路跡右国分寺薬師堂右国史跡武蔵国分寺跡右武蔵国分寺跡資料館右お鷹の道・真姿の池湧水群右不動橋・石橋供養塔右日本の宇宙開発発祥の地顕彰碑・王貞治 国民栄誉賞記念碑右電車開通記念碑右 国分寺駅 ゴール

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国分寺」の地名由来...741年に聖武天皇が国家鎮護の勅命を出し、各国に国分僧寺・国分尼寺を建立することになった。国毎に必ず一つ建立されて、当時、武蔵国の国府である府中から近い場所に武蔵国分寺が立てられ、現在の地名の由来となった。

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 4月25日(木)、JR国分寺駅10時集合。先月に続き今回も3人でのウォーク。190425 (1).jpgハトちゃんは日程が合わず不参加。改札を出ると案内板があり、そこには笑顔の遠藤副長山根副長からは電車が遅れているとのメールあり。だがそれほど待たずに全員集合し、受付のプラザ5階総合案内へ。地図と缶バッチを受け取るが、遠藤副長はいつものように返却。

 


 駅ハイの楽しみは、知らない町を 歩くことだ。お陰で初めての町をたくさん歩いてきた。「JR国分寺駅開業130周年記念 こくぶんじの恋と歴史と文化をめぐる春の探訪(約6.5km)」3時間コースに出発。

 国分寺の恋とは何かと考えながら歩き出す。パラパラと降り出した雨。傘を差すほどでもないので、少し濡れながら歩いていると、そのうちに止んだ。藤沢は強い雨だったと山根副長

 国分寺は武蔵国分寺のあったところ。奈良時代の741(天平13)年、聖武天皇が諸国に国分寺建立を命じ、東山道武蔵路の東に僧寺西に尼寺を建てた。国指定史跡になったのは1922(大正11)年である。

 


190425 (2).jpg 雑談に気を取られ、気づくと行き過ぎていたり、見落としていたりと言ったことがままある。恋ヶ窪東遺跡柄鏡敷石住居跡もそうだ。本町4丁目の信号を真っ直ぐに、姿見の池方向に進んでしまい、気づいて少し戻り、信号を右折し住居跡に。


 この辺りの恋ヶ窪という地名は、鎌倉時代の武将畠山重忠に寵愛された遊女が、重忠戦死の報に悲しみ、自ら命を絶った故事から。この敷石住居は、縄文時代中期(5千年前頃)のものである。

 

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  国分寺駅はJR中央線と西武国分寺線・多摩湖線が交差し、西国分寺駅にはJR武蔵野線が走る。そのため線路を越えたり、くぐったりしながら目的地を辿ることになる。国分寺線を越えて姿見の池に向かったつもりが、米軍基地や失言大臣の話などをワイワイとしていたせいなのか、気づくと西国分寺駅前に出てしまった。

 


 姿見の池は、湧水や恋ヶ窪用水が清水を湛え、遊女たちが朝な夕なに、池に姿を写したというので、姿見の池の名が生まれた。先の恋ヶ窪の遊女が身を投げた池でもあり、『武蔵野夫人』(大岡昇平著)にも登場する名所でもある。「こくぶんじの恋」というのは、このことだったのかと理解する。


 池まで戻ろうかと話し合ったのだが、人生のように振り返らず、前に進む 190425 (5).jpgことにした。中央線と武蔵野線が乗り入れる西国分寺駅。駅前の交番を左折して進むと、日本芸術高等学校の高い建物が目に入る。この辺りは東山道武蔵路が開かれたところ。校内には、東山道の遺構平面レプリカが、野外展示されている。


190425 (4).jpg 190425 (6).jpg 東山道武蔵路跡は奈良時代からの 190425(16).jpg古い遺構で、上野国(現在の群馬県)から武蔵国府に至る往還路だった。発掘調査では、幅12メートルもの道路跡が見つかり、その地下遺構約300メートルが歩道の形で保存されている。

 


  左手に都立多摩図書館、その奥に都立武蔵国分寺公園を確認しながら、幅12メートルの東山道武蔵路歩道を古人の気分で進むと、第四小学校、その先に消防署があり、その角を左折すると、駅ハイのメインである武蔵国分寺エリアである。国分寺薬師堂の横手から中に入ると、新緑が覆った境内は静かな空気が漂う。お堂を背景に今日の1枚を撮影。

 


190425 (7).jpg 190425(17).jpg 190425 (8).jpg 薬師堂は1335(建武2)年、新田義貞の寄進で建立。現在の建物は宝暦の頃に移築、建て替えられたもの。参道の石段下には仁王門も。その仁王門をくぐり、石碑の建つ角を国分寺楼門に回ると、万葉植物園のある国分寺である。国分寺は真言宗豊山派の寺院。江戸時代には徳川幕府に保護され、1733(享保18)年には本堂が再建。現在の本堂は1987(昭和62)年に改築されたもの。 190425 (9).jpg

 


 国分寺万葉植物園には、『万葉集』に詠まれた植物が収集されていて、植物ごとに例歌、詠み人の札も。例えば、カタクリの花には、「もののふの八十をとめらが頼把みまがふ寺井の上の堅香子の花」(大伴家持)。前回の「古河」も『万葉集』 の古里、我々はどうも『万葉集』 に縁を持つようである。


 『万葉集』は、明治以降に広められ、富国強兵・忠君愛国の国づくりに使われることになる。大友家持の歌に曲が付けられた『海行かば』のように。


 

 その隣りの武蔵国分寺跡資料館は見ずに、そのままお鷹の道へ。石碑のある向い側には、国史跡武蔵国分寺が整備され、市立歴史公園になっている。かつての金堂跡講堂跡七重塔跡が見られる。ここもスルーする。


190425 (10).jpg 190425 (11).jpg 190425 (12).jpg お鷹の道は、用水路沿いに整備された、狭いが気持のよい遊歩道である。この辺りは尾張徳川家の御鷹場だった。今はシャガや水芭蕉に似た花が咲き、流れる水は真姿の池湧水群からの名水百選だ。また、蛍の生息地ということで、カワニナを採らないでと、立て札も。この小路の終点は不動橋だ。傍には石橋供養塔不動明王碑があり、かつては疫病や災疫の伝染を防ぐ橋だった。

                                  

 国分寺駅前に出て都立殿ヶ谷戸庭園の前を過ぎ、立体をくぐり、駅の反 190425 (14).jpg 190425 (13).jpg対側に抜けて、早稲田実業学校へ。敷地内には日本の宇宙開発発祥の地顕彰碑が建っている。日本初のペンシルロケットの発射実験が糸川英夫教授によって行われた。並ぶように、ホームラン王・王貞治の国民栄誉賞記念碑が建つ。そうだったのかと感心する。


 

 最後のポイントは電車開通記念碑だったが、分らずに通り越し、ゴール国分寺駅北口へ。12時半過ぎにゴール、約2時間30分、1万4千歩だった。

 


190425 (15).jpg 国分寺駅前には高層マンションが建ち、郊外には静かな住宅地が広がる。縄文時代の昔から長い歴史を持つ地域であるのに、私には初めての国分寺駅下車の旅だった。いくつか見落としがあり、おしゃべりに気を取られてしまったことは、やはり「口は災いの元(笑)」ということだったのか?


 温泉で昼食にして、国立駅からタクシーで「湯楽の里」へ。湯楽の里はいくつもあるので、馴染みの日帰り温泉だ。露天風呂に浸かった後は、いつもより早い食事タイム。生ビール大と角ハイボール大を飲みながら、尽きない雑談。今回は遠藤副長から熊本の土産をいただいた。山根副長とは新宿まで一緒だった。

 最後に一句:「新緑や今日の一枚薬師堂」

 

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【写真説明】上段左から

①国分寺駅改札掲示板 ②恋ヶ窪東遺跡 ③西武国分寺線 ④遺構レプリカ野外展示 ⑤東山道武蔵路跡野外展示標識 ⑥東山道武蔵路歩道説明板 ⑦東山道武蔵路歩道 ⑧武蔵国分寺薬師堂 ⑨薬師堂仁王門 ⑩武蔵国分寺楼門 ⑪国分寺 ⑫お鷹の道(蛍の立て札) ⑬お鷹の道用水路 ⑭不動橋 ⑮日本の宇宙開発発祥の地顕彰碑 ⑯王貞治氏第1号国民栄誉賞記念碑 ⑰国分寺駅北口

 

 

足利

コースは;足利駅右足利まちなか遊学館  スタート  史跡足利学校右鑁阿寺右足利大学右法玄寺右八雲神社右香雲堂本店右友愛会館(足利商工会議所)右太平記館  ゴール右足利駅〔約5km〕

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北の鎌倉といわれている足利へ5度目の駅ハイ。晴れて行楽日和の4/28(日)最初に足利の地を訪れました。

5時起床。ひと月前までこの時間、暗かったのが嘘のよう。あたりはだいぶ明るくなっていました。上野駅(6:48発)宇都宮線快速ラビットで、小山駅で両毛線に乗り換えて足利駅(8:45着)へ。本日はゴールデンウィーク中、大藤で有名な「あしかがフラワーパーク」駅への観光客で、ラッシュ並みの混雑。それでもハトちゃんは、ゆったり座ってゲームをしていた生徒さんに詰めてもらって、座りました。最寄り駅から片道で約3時間。

今回は「感動の詩の生まれたまちを歩く~相田みつをの故郷をたずねて~」となっていて新コース。

 

  190428 (1).JPGいつもの190428 (2).JPGスタート受付の太平記館ゴールで、まちなか遊学館から初のスタート。足利駅から3分ぐらい歩いて、国道293号線通1丁目交差点を渡った角のまちなか遊学館へ。9時前だったので閉館中。大門石畳通り入口には孔子の立像。石畳の突き当たりに足利学校。入学証をもらって入構。

 

史跡足利学校は、1921(大正10)年に国の史跡に指定された日本最古の学校で、創建は奈良時代 190428 (3).JPG 190428 (4).JPG 190428 (5).JPG 190428 (6).JPGや平安時代など諸説あります。

また、宣教師フランシスコ・ザビエ が「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と世界に紹介して有名になりました。

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孔子廟は工事中で見れませんでしたが、南と北庭園の池や築山や植木、歴史ある建物や旧遺構図書館などを見学。

 

 

見学後、学校門を出て右折して、次の角を右折すると、正面に古くて格式のある山 190428 (12).JPG 190428 (19).JPG 190428 (13).JPG門、太鼓橋と堀が見える鑁阿寺へ。堀には鯉が泳いでいます。

 

鑁阿寺(ばんなじ)〔1196(建久7)年、足利氏2代の義兼が創建。本堂 が鎌倉時代後期の禅宗様建築で国宝に指定されている〕の全容に圧倒 されます。広さだけでなく、各種建物(経 190428 (16).JPG 190428 (18).JPG堂、多宝塔、鐘楼などが重要文化財など。本堂は平成25年8月に国宝指定)が建っていて、広い境内や建物に 歴史を感じる厳粛な雰囲気が漂っています。境内を散策。弘法大師像も参道右側にあります。

 

190428 (23).JPG 190428 (21).JPG山門を出て元来た道を戻ると、右側に足利尊氏の立像、石畳脇の老舗などを見ながら、まちなか遊学館に戻ってスタート手続き。その後、国道293号線を渡って足利駅へ。

9時43分発の両毛線下りで足利駅から三つ目の佐野駅へと移動。

 

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佐野

コースは;佐野駅右ぱるぱーと観光案内所  スタート 星宮神社右日光例幣使街道右佐野市郷土博物館右佐野市観光物産会館右佐野厄除け大師右観音寺右宝龍寺右人間国宝田村耕一陶芸館右さのまるの家右佐野東石美術館右佐野市役所7階展望ロビー右ぱるぽーと ゴール 右佐野駅〔約5.5km〕

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佐野といえば小京都と呼ばれ、江戸時代、日光例幣使街道の宿場町で佐野厄除け大師佐野ラーメンと、最近ではゆるキャラの「さのまる」が有名。 

 

190428 (25).JPG 190428 (26).JPG 190428 (27).JPG9時56分に佐野駅に着くと、改札口前に特設の観光案内。1階に降りて隣接のぱるぽーと観光案内所で受付スタート。コースは「日光例幣使街道を行く 歴史と伝統のまち佐野めぐり」。 

 

駅前広場には、番いの鳩の噴水と花壇や休み処が設けられています。 190428 (33).JPG 190428 (29).JPG

駅前通り(あいさつ通り)を直進。右側に建物の一部が吹き抜けになっている立派なのは、佐野市役所。駅から近距離で便利。

その先、信号の左右に走る県道67号線日光例幣使街道〔徳川家康の没後、東照宮に幣帛を奉献するための日光例幣使が通った道。中山道の倉賀野宿を起点として、楡木宿にて壬生通り(日光西街道)と合流して日光坊中へと至る〕へ出ます。ところどころに旧商家の見世蔵造りが残って いますが、重要文化財指定地区にしては新しい建物もあって、川越高崎の新町と比べると、小規模。

 

190428 (30).JPG 190428 (31).JPG横断して右側すぐに「さのまるの店」があって、ゆるキャラ関連グッズやラーメンなどの特産品を販売しています。人気キャラで2013年にグランプリを獲得。

 

 

左側角には、まちなか活性化ビル「佐野未来館 190428 (42).JPG」1階が「佐野市人間国宝 田村耕一 陶芸館」(入館無料)になっています。佐野市出身の氏の偉大な功績を讃え、生涯作品を展示・公開して、街なかにぎわい創出事業により創出されたものです。鉄絵と呼ばれる模様・色彩に数々の技法を加えて、高い芸術性を持つ陶芸を制作。

 

190428 (32).JPGさらに直進すると、二つ目の信号左側に洋館風のピンク色の建物があり、クリケット協会。登録有形文化財の旧影澤医院で佐野市内に現存する最も古い歴史と伝統ある建物。

 

交差点を左折して進むと、佐野厄除け大師の看板。金井通りを進み、右手に間もなく出入口があり、大師の境内へ...。惣宗寺(そうしゅうじ)〔944(天慶7)年創建で開基は藤原秀郷〕 は、一般には佐野厄除け大師として有名。関東三大師の一つ。他に青柳大師川越大師を指すそうです。

 

190428 (36).JPG 190428 (38).JPG 190428 (39).JPG厄除け大師とも呼ばれる元三大師(良源)を祀る寺院(天台宗)で、弘法大師(空海)を祀る関東厄除け三大師とは全く別物だそうです。境内は、名前から予想していたより狭い印象を受けます。高さのある建物がありません。出入口門の紋は、金色の葵御紋。その他、本殿の垂れ幕などにも葵紋。

  190428 (40).JPG

本堂、山門、金銅大梵鐘、子育地蔵尊、水子地蔵尊、春日稲荷大明神、東照宮などが、それほど広くない境内に、効率よく整理されて収まっている感じがしました。 境内にキリシマツツジが赤く咲き誇っていました。バスツアーの観光・参拝客が大勢来ていました。

 

190428 (41).JPG 190428 (35).JPG本堂で厄除けの祈願をして、1時間に1本の電車に乗るため、急いで駅へと引き返しました。

道路反対側の観光物産会館横の佐野ラーメン店は外観のみ。

 

元来た道を戻って佐野駅へ。すると、定時前に、電車がホームから走り去る光景が見えてビックリ。ホームで駅員さんに聞くと、「フラワーパークの観光客のために、1時間に1本では間に合わないので臨時電車(上り)を出していて、その分、下りも多くなっている」とのこと。わかっていれば、もう少しゆっくり観光できました。混雑のため、下りの小山行きも3分遅れての到着。

 

小山駅では、両毛線の5分遅れに合わせて宇都宮線も発車を遅らせてくれたので何とか間にあいました(11:34発)。

本日は「休日きっぷ」を利用したので、寄り道。中央・総武線の本八幡駅で下車。連休用のきっぷと買物をして15時に帰宅。本日は足利佐野合わせて、約2時間で6kmの歩行。

 

 

いよいよ新天皇即位・改元を含む10連休ゴールデンウィーク)がスタート。しかし、今朝から関東地方は小雨模様。

ハトちゃんは、27日群馬の駅ハイに行く予定でしたが、昨日からの低温・寒さでテンション上がらず。結局、息子が仕事で出かけた後、ツタヤの無料で借りたDVD「ザ・ヘラクレス」を観て、家でゆっくりした後、早お昼を済ませて、自転車で15分の習志野市立東部体育館筋トレ

体育館は、市民の健康づくりもあって、ゴールデンウィーク中も通常どおり、開放されています。

 

ときおりチラつく小雨に濡れて、体育館への曲がり角にある、東習志野コミュニティセンター東習志野図書館前には、紫色のツツジ、体育館前は桃色の花 190427 (1).JPG 190427 (2).JPGが満開で見頃に。

 

体育館トレーニングルームには、運動をしに時間帯(12~13時)としては幾分多い10名が来ていて、汗を流していました。ほとんどが高齢者。小生も膝のリハビリを含めて45分、軽めに調整。

 

午後もぐずついた天気が続いて、小雨が降りました。

明日は晴れて行楽日和なので、順延の駅ハイに行って、歩いて来ようと思います。普通電車での利用で、混雑は心配ないと思います。

 

4月23日(火)成田線に乗って、の実家がある小見川駅の一つ先、笹川駅ハイに6年ぶりに参加。義兄からの連絡で明日、急遽、妻と小見川でタケノコ掘りに行くことになってしまいました。明日でも良かったのですが、本日は初夏を思わせる陽気になったので、出かけることにしました。

今回、行きと帰りとで、運賃を最も安くあげるためルート変更。

行きは京成線を利用して、JRには成田駅で乗り換えて、笹川駅へ(9:31着)。

 

190423 (1).JPG 190423 (2).JPG 190423 (4).JPG駅に着いて駅前通り(県道209号線)アーチをくぐって直進し、国道356号線にぶつかって横断して右折。諏訪神社境内前にある、東庄町観光会館前スタート受付。地元観光ガイドの男性たちが出迎えてくれました。

 

マップを見ると、次々発の上り電車時間までに、笹川駅に戻って来るようにするには、西福院までの往復がちょうど良いと判断。

 

まずは、受付の裏にある観光会館天保水滸伝遺品館)〔小 190423 (7).JPG 190423 (6).JPG 190423 (5).JPG説、浪曲、講談などで有名な天保水滸伝で、笹川繁蔵や繁蔵の用心棒といわれた平手造酒や子分に関して、当時の侠客の風俗を語る任侠物語の登場人物ゆかりの品を展示〕へ。駅ハイ参加者は入場無料。

 

190423 (8).JPGひととおり見学した後は、諏訪大神に参拝。境内前には「駅ハイ」や「天保水滸伝」の幟が数本立っていました。

 

その後、コースマップに沿ってセブンイレブン(3年前にオープン)前の県道265号線に入って、市街地を道なりに進みます。市街地の店舗は閑散としていて、人通りも少ない。道端にパンジーやひなげしの花壇。

190423 (14).JPG 190423 (12).JPG 190423 (11).JPG 190423 (10).JPG

単線の踏切を渡って進むと、右側に田んぼが続いて、既に水が張られています。竹やぶの前の歩道にすずめが一羽死んでいて異臭を放っていました。その先には、入正醤油の煙突が見えました。入正醤油は、醤油一筋に1724(享保9)年以来、醤油だけを造り続けて、280年の歴史を持つ老舗。

 

190423 (15).JPG 190423 (16).JPG県道を進むにしたがって、田園地帯のビューポイントが望めます。間もなく、県道から用水路が続く道に入ると、前方左手の西福院〔真言宗豊山派:1235(嘉禄元〕年、意教上人が創立開基したといわれる。境内には天保水滸伝で知られる侠客笹川繁蔵の墓がある〕へ。

境内には、空海上人の立像がありました。ちょうど大輪の牡丹(白、ピンク、赤など)が見事に咲いていて、しばし撮影を...。数人のハイカーや観光客に会いました。 190423 (22).JPG 190423 (19).JPG 190423 (17).JPG

 

駅ハイ参加者は、コースどおりに高橋いちご園→下総 190423 (21).JPG橘駅へと向かいましたが、ハトちゃんは、元来た道を戻りました。途中、後から参加したウォーカーとは二人だけしか会わず、平日で遠距離の笹川の参加者は非常に少ない感じがしました。

 

駅前の踏切横にファミリーマートがあり、そこを左折すると笹川駅でしたが、行 190423 (27).JPGきにセブンイレブンのおにぎり100円掲示を見つけたので、観光会館前の信号横のセブンイレブンで、おにぎりを買って、車内での昼食にしました。

 

190423 (29).JPGということで、帰りも行きと同じルートで笹川駅でゴール。歩行は1時間で約4km。駅前広場に彫像がありました。帰りの電車(10:50発)は、当駅からの乗客が小生を含めて5人でした。帰りはJR成田線で千葉を経由して、幕張本郷駅まで、身障者割引で戻りました。

 

 

4月22日(月)本日から開催の駅ハイ葛西臨海公園へ参加。朝のうちは曇っていましたが、次第に晴れて暑くなりました。

西船橋駅から武蔵野線で葛西臨海公園駅へ。 190422 (2).JPG

スタート受付の15分前に到着、ハイカーが並んでいたので、手続きは後にして直接、公園へと向かいました。

 

 

葛西臨海公園は、構内から階段を下りるとすぐ前の道路から広がり 190422 (5).JPG 190422 (4).JPG 190422 (1).JPGます。駐車場の遠方に、地上117mの大観覧車が目に飛び込んで来ます。その大きさは日本最大で、公園のシ ンボル的存在。観覧車に乗って、周囲を見渡すと、晴れていれば、東京湾、ゲートブリッジ、アクアラインの海ほたる、東京タワーやスカイツリー、富士山なども一望できるので、お奨め。

 

1989(平成元)年に、失われた東京湾葛西沖の自然を再生しようと、海を埋め立てて開園した「東京都葛西臨海公園海浜公園を隣接)」。

水族館」を含め「野草園」、「展望広場」「汐風の広場」「バーベキュー広場」、「日本庭園」、「展望レストハウス」などの他、海浜公園の「西なぎさ」へも徒歩で行けます。「東なぎさ」は野鳥保護のため立入禁止。散歩、運動、観光など、利用者がいつも多い行楽地。1995(平成6)年に「鳥類園」ゾーンがオープンして、都区内最大級の都立公園となっています。

 

190422 (7).JPG 190422 (6).JPG 190422 (29).JPG中央園路へ進む途中の右手に、公園サービスセンターがあってマップやチラシをもらいました。センター前から定時にパークトレインが走っています。 レストラン前の花壇は、色とりどりの花が咲いていて、道端にはツツジが満開。

190422 (10).JPG 190422 (8).JPG 190422 (11).JPG

続いて、真っ直ぐ進んで、展望ハウスクリスタルビューに上がって、東京湾を一望。波も穏やかで、広い海を眺め、ゆったりして爽快な気分に...。西なぎさと東なぎさの干潟も良く観えます。

 

 

続いて、公園マップにしたがい、本日メインの水族館へ。東京湾・葛西に浮かぶガラスドームが特徴。

190422 (14).JPG 190422 (28).JPG 190422 (15).JPG途中、バスツアーや遠足の生徒たち、団体観光客、それと車椅子で水族館に来たグループなどの往来でにぎわっていました。

 

水族館前では、5月4日みどりの日入場無料の表示。ハトちゃんは、身障者無料で入場できました。今回で、4回目の入館。 

館内は平日というのに、見学者で結構、溢れていました。順路に沿って、海や川の生き物たちが紹介されていて、水槽を覗き込みます。 190422 (27).JPG 190422 (18).JPG

 

今、ひそかにブームになっている「深海の生物」、そして「世界の海」「大洋の航海」では、いろいろ な、また珍しい生き物がいっぱい。「エンゼルフィッシュ」などの鮮やかな暖かい海に棲む魚など。大小さまざまな形状や色の魚介類に釘付け...。写真もフラッシュを焚かなければ一部を除いて、撮れるので記念になりました。

 

190422 (20).JPG 190422 (22).JPG 190422 (21).JPGさらに、水族館の目玉である「100尾以上のマグロの回遊水槽」は圧巻。横、下から見上げる大水槽は、しばし足を止めてしまうほど、。泳ぐスピードの速さと、群れをなして同方向にまわっている姿に目を奪われて、ゆっくり観る価値があります。

 

その他にも、小笠原諸島~東京湾の海に生息するもの 190422 (24).JPG 190422 (25).JPGや、一旦 、出口に出たかと思う錯覚になりや すい「ペンギン・海鳥」のフロアは何とも愛くるしくて時間を忘れてしまいます。

1時間ほど海の生物などを十分に堪能・観覧して、来た道を戻って、駅構内のスタート地点でゴールカード手続き(スタート)。ゴールのカード手続きはないので、1回のみ。

 

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コース〕 「野鳥と新緑の溢れる都会の自然、つつじ山とバラ園を満喫!春の葛西ウォーク」(約10km)」

葛西臨海公園駅 スタート 鳥獣園ウォッチングセンター右ラムサール条約湿地登録記念碑右カヌースラロームセンター予定地右臨海町緑道右新左近川親水公園右フラワーガーデン右なぎさ公園右なぎさポニーランド右葛西臨海公園駅 ゴール

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係員から「コースはこっちです」と言われたので「もうまわって来ました。お疲れ様でした」と答えると、何やら不思議顔。

これからスタート受付をするハイカーをよそに、Suicaで入場して、帰宅の途に着きました。本日は約1.5時間で3km。園内散策と水族館見学で終わり。

 

 

 

コース

スタート 八柱駅→松戸運動公園→馬橋東市民センター萬満寺(チェックポイント)→桜並木→小金原公園ゴール 常盤平駅セブンイレブン〔歩行距離は約10.8km〕

 

日ざしが暖かでポカポカ陽気の4/21(日)ウォーク日和。残り3日となった新京成電鉄の期間設定(3/15~4/22)「第74回新京成沿線健康ハイキング八柱~常盤平 190421 (1).JPG 190421 (9).JPG)」に参加。

新京成は、スタート受付がありません。ハトちゃんは膝の故障から調整中。したがって、スタート前を5kmほどカット。コース途中の常磐線馬橋駅で下車して近道で常盤台に向かうことに(9:00)。マンホールは矢切の渡しデザイン。

 

まず東口に出て駅前通りを直進し二つ目を左折した突き当たりに、チェックポイントの萬満寺が見え 190421 (2).JPG 190421 (3).JPG 190421 (4).JPG ました。萬満寺は、鎌倉時代に千葉頼胤により創建された臨済宗の古刹。本尊は中気除不動尊。古くから厄病除けとして信仰され特に中風や足の病によく効くといわれています。春と秋の大祭と正月三が日には仁王尊が御開帳され「仁王の股くぐり」(病除け)が行われます。190421 (5).JPG

正面手前の仁王門に安置されている「阿(あ)」・「吽(うん)」の木造金剛力士 像が国の指定文化財。また、木造不動明王像、豊臣秀吉の制札が松戸市の文化財。

ちょうど、地元のウォーキングでガイドさんが説明中。何でももともとは真言宗だったとのこと。

本堂手前左に石を掘った不動明王像があり、僧侶が清掃中。手水舎前でスタンプ押印。後からご夫婦と思われるウォーカーが...。

寺の前の道路を左折して直進すると、間もなく国道6号線の八ヶ崎交差点。国道は大型ダンプが多 190421 (8).JPG 190421 (10).JPG 190421 (11).JPG く、交通量も多い。左角に東京トヨペットの店舗。歩道橋がありましたが、膝が痛いので横断歩道の信号を待って横断。ちょっと道は細くなります。道の両脇に残念ながら花びらは全部散ってしまって、葉桜になってしまった桜並木がゆるやかな上りで続きます。 1km以上、八ヶ崎桜並木(ただし、途中から片側だけ)の横 を通って行きます。

バス停があり、馬橋駅からゴールの常盤台駅北口行きのバスが10分間隔で走っています。この区間のバス停数は10個。

間もなく左手にビッグA、右側にローソンがあります。武蔵野線陸橋手前におっ母さん食品館マツモトキヨシが隣接している建物があって、陸橋を越えると、道は左に右にくねくねとゆるやかな下りに。途中の左側に、老人福祉センターの建物があり、歩道はペイントのみ。車に注意して、道なりに直進し1kmほど行くと、やっと八ヶ崎5で けやき通りとぶつかりました。

190421 (21).JPG 190421 (20).JPG 左前方には、松戸市の広大な「21世紀の森と広場」の森が見えます。190421 (18).JPG横断すると、バス停があり、一神宮前の表示。工事中でしたが、自由宗教一神会のバスが停車中。初めて聞く宗教でした。

さらに道を直進すると、八坂神社前交差点。ここで、道を間違えそうになり、念のため持って行った第50回マップが役に立って、ちょっとまごつぎましたが、何とかマップどおりに進めました。

すぐ左に石段が長い八坂神社が見えました。 190421 (25).JPG 190421 (24).JPG 190421 (23).JPG

 

次の石碑を曲がる地点は、ちょっとわかりづらいので、要注意。

 

 

石碑を右に曲がると、ゴールの常盤平駅へは道 190421 (26).JPG 190421 (27).JPGなりに...。見覚えのある扇形の大きいマンションを発見。広い道路に出ると、デイサービスがあり、雑木林の横を抜けると、新京成線「常盤平」駅が見えます。

駅前にもセブンイレブンがありましたが、前回間違えて知っていたので、真っ直ぐ構内のセブンイレブンゴール

ゴールでは、古いマップ 190421 (28).JPGを出してしまい、店員さんが困り顔。あわてて気づいて、今回のマップとスタンプを提出。

500mlの緑茶を1本いただき、またシールが4枚貯まったので、新京成オリジナルシャーペンシルをいただきました。馬橋駅~常盤平駅まで、ほぼ一直線の4kmウォークを終了。ゆっくりでしたが暑かったので汗ビッショリ。

 

 

暖かな春の陽気に誘われて、4月20日(土)は実家の小見川へ、タケノコ掘りに。膝のケガがいまいちのハトちゃんは初の赤羽駅で開催された駅ハイ受付手続きのみに出かけました。

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コース〕 「赤羽駅からめぐる健康ウォーキングコース(約8.5km)」

赤羽駅右ジェクサー・フィットネスクラブ赤羽 スタート 赤羽八幡神社右薬師の泉庭園右小豆沢公園右赤羽自然観察公園右ジェクサー・フィットネスクラブ赤羽 ゴール右 赤羽駅

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北区・赤羽へは、最寄りの幕張本郷駅から片道JRで640円、京成線およびJR線で610円ですが、赤羽駅近くまで行ける東京メトロ南北線・埼玉高速鉄道線を利用すると480円と一番安価。

 

赤羽岩淵駅で下車(9:49着)。地上に出ると国道122号線(北本通り) 190420 (6).JPG 190420 (5).JPGが目の前。交差点を右折し、道幅の広い赤羽東本通りを直進。

間もなく赤羽駅南口前の交差点。右手奥に赤羽駅舎が見え、左側にはスクランブル交差点があり、LaLaガーデン(商店街)のアーケードが見えます。

さらに直進すると、右側に駅東口と高架下の商店街が続き 190420 (7).JPGます。本日は休日で東京開催、駅ハイ最終日ということもあり、多くの参加者と出会いました。

 

その先で、道は交差し、左側の高架下に今回のスタート受付である、ジェクサー・フィットネスクラブ赤羽。赤羽駅からは徒歩3分の至便さ。小生は手続きのみ。マップとスポーツドリンクのペットボトル1本いただきました。

  190420 (8).JPG

フィットネスクラブは、JR 東日本グループが展開するフィットネスクラブ事業で、ジム、プール、スタジオ、ヨガ、スパなど最新設備が整っています。トイレを借りたついでに、短時間の見学。ジムで筋トレに汗を流す人たちが休日利用していっぱい。

 

190420 (9).JPG 190420 (10).JPG 190420 (11).JPG受付嬢にパンフレットをもらい外へ。相変わらずスタート受付周辺は賑やか。建物およびベンチ前の花壇には、色とりどりのポピーやパンジー、白いマーガレットなどがきれいに咲いていました。

 190420 (12).JPG

帰りも元来た道を戻って、 赤羽岩淵駅(10:27発)に乗って、真っ直ぐ家路に着きました。本日の歩行は赤羽岩淵駅ジェクサー・フィットネスクラブ赤羽との往復、約30分で2km。

 

 

190420 (1).JPG 190420 (3).JPG 190420 (2).JPG午後、天気が良いので、習志野警察署近くハミングロードの桃色の八重桜と、近所の習志野6中前のあいさつ通りに咲いている、薄いピンクの八重桜を観賞。校門横の看板190420 (4).JPGには、明日に迫った市長選市議選立候補者ポスターが貼られていました。

 

 

4月14日(日)、が山の先輩宅にグループの皆さんと親睦会に行った帰り、実家(小見川)でタケノコ野菜キャベツ春菊サンチュネギなど)収穫に一人で行って来ました。帰宅は夜の19時過ぎ。今年初となるタケノコ80本、ダンボール箱に詰めて持参。

義兄の話では、実家の竹林には、今年はほとんど無くて、たまたま農家をしている友達が手伝ってくれてタケノコ掘りに竹林の穴場へ案内してくれたそうです。190415(1).JPG

テレビ番組「ガッテン」で放送していましたが、タケノコの根は縦横無尽に張って いて、竹の強さの原因を教えてくれました。今年は、雨が少ないのでタケノコが不作の年だそうです。

大きいのでは無く、枯葉に隠れている小ぶりの出たばかりのタケノコが、一番柔かくおいしいそうです。

 

夜、二人でタケノコの皮を剝いて見ると、約6~12cmしか中身がありません。妻が、タケノコを茹でて、料理。

150421.JPG翌々日に八王子市役所への補装具申請に行った際、野菜と茹でたタケノコを実家へ持って行きました。その夜、食べておいしかった御礼の電話がありました。

わが家でも、旬のタケノコが食べられ、美味に舌鼓を打ちました。また、雨後のタケノコになるとグーンと生長するので、今週の日曜、今度はハトちゃんと二人で掘りに行く予定です。

 

 

 

コース約12km小金井駅右オアシスポッポ館  スタート 日酸公園右久保公園右御使者橋・姿亭右栃木県埋蔵文化財センター右天平の丘公園花広場右しもつけ風土記の丘資料館右下野国分寺跡右オトカ塚古墳・伝紫式部の墓右ゆうゆう館・天平の湯右慈眼寺・金井神社右小金井一里塚 右小金井駅 ゴール

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 190413 (2).JPG 190413 (1).JPG

4月13日(土)、ハトちゃんは宇都宮線で小山駅の次駅、 日光街道14番目の宿場町「小金井」へ(9:01着)。天候は昨日の冬の寒さが去って快晴で暖かい日差し。

駅ガード下観光案内所オアシスポッポ館」でスタート手続きのみ。マップを見ると、コース・ポイントはほぼ昨春と同じ。

その後、始発の上り電車(9:08発)に乗って、2駅手前の間々田駅へ。 

 

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コース12.5km間々田駅右小山市立博物館 スタート  間々田ひも店右間々田八幡宮右千駄塚古墳(浅間神社)右西堀酒造右小山総合公園右小山政光・寒川尼像右城山公園右小山評定跡右須賀神社右まちの駅 思季彩館右おやま本場結城クラフト館右小山駅ゴール

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今回初めて間々田駅に降りました。膝のケガにより「思川桜と伝統工芸を訪ねて~開運のまち歩き」コースのうち、ハトちゃんは間々田駅に近い間々田八幡宮往復に変更。 

 

西口ロータリーの向かって右側の道を直進。国道4号線を渡って約3分ほどで小山190413 (6).JPG 190413 (5).JPG市立博物館スタート手続き(9:20)。館内が無料だったので、展示室を観賞。間々田は、江戸および日光から11番目の宿場で、 距離的にも18里(約72km)の中間点に位置していたことがわかりました。名前の由来にも関係している説も。

  190413 (19).JPG

マンホール馬3頭のデザイン。小山市が繁栄していた頃の中世と同じ時代に発展していた西洋ロマネスク時代の生命感あふれる「」のレリーフをデフォルメしたもの。

 

博物館を出ると、隣接して国指定の乙女不動原瓦窯跡があり、広 190413 (9).JPG 190413 (7).JPG 場には屋根の瓦や横穴住居があります。見学しながら、田園地帯より一段上がった遊歩道の山下通りへ。

 

約100本の思川桜並木が続いていて、まだ花びらも残っていて、花吹雪を浴びながら、惜しみ行く桜を眺めました。と 190413 (10).JPG 190413 (12).JPG 190413 (13).JPGころどころピンク色の桜は満開で、白と紅のも咲いていました。

 

10人以上のウォーカーがいて、写真を撮ったり、 190413 (15).JPG話しながらのウォーク。雲一つない快晴なので、土手を歩いて行くと、遠方に野木の渡良瀬遊水地の広々とした土地や群馬の山並みが良く見えます。

 

いったん、国道4号線に出て左折し、しばらく直進。間々田交差点を過ぎ、右側 190413 (16).JPGに郵便局が見えて、ちょうど道路を隔てた位置に間々田宿本陣跡の看板 190413 (18).JPGがあり、現在は駐車場になっています。

さらに進み、間々田4丁目交差点の左に間々田八幡宮の標識。左折して鳥居をくぐって、細い道の舗装道を進みます。500m先に八幡宮の森が見えて来ます。

 

 

間々田八幡宮〔創建は729~749年(天平年間)と伝えられる。 江戸時代には朝廷より日光に遣わされた例幣使が道中必ず参拝する習わしとなっていたという〕へ。 190413 (26).JPG 190413 (25).JPG190413 (20).JPG

約2万坪もの敷地の一部は「間々田八幡公園」として開放され、「間々田のジャガマイダ」(田植えの前に五穀豊穣や疫病退散を祈願し、各町内ごとに小・中学生が竹・藁・フジツルなどで作った長さ20mにもおよぶ竜頭蛇体の作り物をもって「ジャーガマイタ、ジャガマイタ」と練り歩く祭り)が開催される池や拝殿など、境内に風情があります。

 

190413 (28).JPG参拝後、元来た道を戻って、間々田4丁目交差点を横断して、4号線を間々田駅方面に戻ります。途中に日光街道の中間点を示す榎が植えられており、"間(あい)の榎"と呼ばれて往来する旅人の目印となっていました。しかし、いつからか"あいの榎"と書かれるようになり、縁結びの木として信仰を集めたといわれています。樹勢は衰えていました。

 

また、途中に白壁の小山市立車屋美術館〔肥料問屋の小川家住宅。国の有形文化 190413 (29).JPG財で、米蔵や肥料蔵が展示室になっています。

 

最後に、間々田交差点近くに間々田ひも店〔間々田ひもは、何本もの正絹糸を組み合わせた伝統工芸品〕が、西口から徒歩10分にあります。

 

190413 (30).JPG 190413 (3).JPG 190413 (4).JPG帰りは、国道4号線の歩道を約2.5km一直線で駅まで戻りました。「(じゃ)がまいたの像」という竜頭蛇体の像が駅前にありました。

 

 

本日の歩行距離は、ケガ後最長の約5km。足が張って、ちょっと疲れました。間々田駅(11:03発)から宇都宮線で古河へ(オジン隊の先輩方が3月にウォーク)。古河で湘南新宿ラインの快速に乗り換えて、赤羽経由で幕張本郷駅(13:04着)まで片道2時間乗車の長旅でした。

 

 

木更津駅右観光案内所 スタート 八剱八幡神社右證誠寺右木更津甚句記念碑右中の島大橋右光明寺右選擇寺右矢那川公園右旧安西家住宅右郷土博物館金のすず右きみさらずタワー右木更津駅 ゴール

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12日(金)は曇り空で気温が5℃くらいの冬に逆戻り。途中から小雨が落ちて来るあいにくの天気。昨春に続き駅ハイ 「春の木更津~桜とお寺の満喫コース(約10km)」に出かけました。

千葉駅で内房線に乗換え、木更津駅(9:03着)へ。

木更津駅は木更津市の市街地にあり、駅舎ができて来年で50年。で発展してきた西口は、週末でも閑散としています。今回のコースは、2017年とほぼ同じ。「狸ばやし」の伝説で有名な證誠寺もコース内に。駅前西口ロータリーの一角にあるビルの1階観光案内所からスタート。西口には、逆立ちした「きぬ太くん」のモニュメントもあります。 190412 (1).JPG 190412 (2).JPG

また、市内の歩道マンホールには「狸ばやし」の歌詞とのデザイン。 

 

本日は、ケガの試し歩行と、ポイントは一昨年190412 (4).JPGに完歩しているので、小生のみ東口へ。近くにレンタルサイクルがあると案内所で教えてもらい探しましたが、地元の方も知らなかったので、矢那川のお花見に限定して歩きました。

ロータリーを右折して直進。途中、右側のビル前に、の石像。さらに進むと矢那川のほとりの大正橋へ。

 

190412 (5).JPG 190412 (8).JPG 190412 (9).JPG橋手前を左折して矢那川青春ロードを進みます。川沿いにある両側の桜は古木で、今年は寒い日が多く強風が少なかったのか、少しずつ散り始めたところ。

まだ満開の桜を眺めな がら、矢那川公園内を通って、昭和橋を越えて矢那川橋へ。橋 の手前には、川面の段差や錦鯉、鯉の群れも。

 

190412 (14).JPG 190412 (16).JPG 190412 (17).JPG 190412 (19).JPG 190412 (22).JPG公園前では、おばあちゃんがハトにエサをやって日向ぼっこ。ちょっとだけ立ち話を。園内の遊具には機関車トーマスのベンチや遊具があって、幼児とお母さんが遊んでいました。

 

120405(1).JPG本日は、矢那川橋から駅へと引き返しましたが、左折して県道222号線の交差点を右折して、すぐの場所に、 太田山公園の入口があり、坂道を登って行くと、郷土博物館 金のすずや市街地を一望きるきみてらすタワーといったビュースポット(2012.4月撮影)もあります。

 

川沿いの道を戻って、大正橋を渡らずに右折して真っ直ぐ進むと、 190412 (25).JPG 190412 (26).JPG木更津駅東口へ。こちらのロータリーには「金の鈴」モニュメントあり。約3kmを1時間でゆっくり歩いて、ちょっと体が温まりました。

10時13分発の千葉行きで帰途へ。発車メロディーは、ご当地ソング「狸ばやし♪」が流れました。

 

今回は、矢那川のお花見だけでしたが、木更津の春を少しだけ味わいました。

 

 

今回、小生は膝の靱帯を痛めて不参加。したがって、代表して兼子隊長に駅ハイの状況と写真、付帯記事を書いてもらい、発表させていただきます

コースは;古河駅右観光案内所  スタート 雀神社右古河公方公園(古河総合公園・桃まつり会場)右篆刻美術館右古河第一小学校右古河文学館右古河歴史博物館右 古河駅 ゴール

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古河」は、古くは「許我」と表記され、『万葉集』に当時の情景が2首詠まれている。すでに奈良時代から渡良瀬川の渡し場として賑わっており、平安時代にも交通の要所になり、また製鉄や窯業の生産拠点であったことがうかがえる。

室町時代には古河公方の本拠地として、江戸時代には古河藩の城下町奥州街道・日光街道の宿場町・古河宿として盛えた。古河藩下総国であったため、現在でも旧常陸国、水戸街道が中心となって形成している茨城県の中では最も西部に位置し歴史的・文化的に特異な部分が多い〔ハト記〕。

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3月29日(金)、山根遠藤兼子の3名で古河を歩いた。めずらしく私が一番乗り。


古河は奥州街道、日光街道の宿場町で、『万葉集』にも詠まれた古い町だ。今回は古河公方公園桃まつりがメイン。地図と缶バッチを受け取りスタートだ。遠藤副長は缶バッチいらない派。今回は約9.5km、3時間のコース。

190329(4).jpg 
古河が茨城県とは知らず、栃木と埼玉、千葉の重なる辺りだ。

駅前の鍛冶町通りを進み、よこまち柳通りに右折したが190329(2).jpg、雑談に気をとられて、行き過ぎてしまった。慌てて100mほど戻り、ポイントのファミリーマートの角を右折し、まっすぐの道を雀神社に向かう。昔この辺 りを雀が原と呼んでいたことに由来する。参拝者は駅ハイ組の女性が一人。


神社横手の堤に上がると、渡良瀬川の広々とした河川敷にゴルフ場が広がり、 190329(5).jpg 190329(6).jpg土手には菜の花も咲き誇る。


クラブハウスらしき前には、足尾鉱毒事件田中正造翁の大きな記念碑が建つ。正造翁は、「戦争は犯罪である。世界の軍備を全廃せよ」と訴えた人物でもある。利根川も5kmほどだ。

 190329(7).jpg
土手道がサイクリングロードになっていて、そこを三国橋とその先の新三国橋まで進む。曇り空で少し寒いが、気持は清々しい。新元号の話などいつもの雑談を楽しみながら前へ。

新三国橋を越えると、古河スポーツ交流センター、クリーンセンターの建物が並び 、土手を降りて古河公方公園への道に入る。

 

 

桃まつりの会場がこの公園で、広場の舞台では演歌歌手が黄色いドレスで唄っている。熱気球のアトラクションも見える。白のテントでは、焼きそば、たこやきなどが売られている。たこ焼きを3人で食 190329(8).jpg 190329(9).jpgべたが、焼きたてで、火傷しそうに熱い。


公方公園は、鎌倉公方足利成氏の時代に由来する。江戸期には城主土井利勝が桃栽培を奨励した故事から、70年代に桃花の林を復活させたもの。利勝は秀忠、家光時代の老中である。園内の桃の木は3 190329(3).jpg 190329(10).jpg 千とも言われ、満開で見頃だ。公園一杯の桃の花が見事。


 

矢口源平といった5種類の桃が咲き誇っている。中でも一つの花が紅白に分かれているもの、一つの木で紅白 190329(11).jpgの花をつけたものがあり、驚いたものだ。開催は4月5日まで。

また、大賀ハス(別名古代ハス)の池もあり、花の最盛期は7月。パンフによれば、2003年ユネスコの「メリナ・メルクーリ国際賞」に輝いた公園でもあり、入口にはその記念碑も。

 

 
桃の花を堪能し、公方通りを古河駅までまっすぐ戻るつもりだったが、途中の篆刻美術館に立ち寄 190329(12).jpgる話になった。その江戸町通りで、駅ハイの団体と行き交った。3館共通券を買ってしまったため、古河文学館古河歴史博物館にも回ることに。

文学館には、古河出身の作家永井路子小林久三などの作品が展示されている。博物館では、刀剣コレクションのほか、藩医河口信任の脳解剖書『解屍編』の出版本と解剖刀の展示も。


途中に建つ古河第一小学校は大変洒落た校舎で、石畳が敷かれ整備された綺麗な一角になっている。真面目に3館を回ったので、駅に戻ったのは2時近くになる。  


行動時間は4時間、歩数は1万8千歩。この日はコースどおりではなく、行きつ戻りつで、結果長くなってしまったようだ。

 

ご当地グルメの「七福カレーめん」は食べずに、タクシーで市内の温泉いちの湯」に向かい、昼はそこで。 洞窟風呂もあり、3人で疲れを癒やした。風呂上がりに食事処でビールを頼むと、プレミアム・フライデーで、ビールのサービス券がもらえた。お陰様で、一杯250円でビール2杯が飲めた。


帰りは17時14分発の上野行。土産を探し、4分発の平塚行に乗る積もりが、私のミスで乗りそこなった。それと、二人に出雲土産を渡すつもりが、家に帰ってから気づくという締まらない終り方だった。

最後に一句: 「咲く桜 菜の花も咲き 桃も咲く 」


 

 【新元号雑感


エイプリルフールに発表された新元号「令和」。古河駅ハイで、『万葉集』の展示を見たりした後なので、その偶然に驚いた。


だが、「令和」の典拠とされる『万葉集巻五梅花の歌」の題詞は、山上憶良が書いたと言われる。

憶良は遣唐使で漢籍にも通じた人。研究者の間では、詩文集「文選」の巻十五、張衡の「帰田賦」から、また王羲之の『蘭亭序』の「恵風和暢」の一節から借用したものとされている。令月と言う言葉も、中国からのものだろう。

 
政府が出典を国書に拘ったことから、エイプリルフールについた悲しい嘘とは言えまいか。自分流の裏翻訳は、「命令に従わぬは和を乱す元なり」。は、「人を集めて従わせる」の象形。は、昭和の和で、戦前の記憶と重なる。

「令和」の考案者は、『万葉集』研究の中西進氏と言われる。『古事記』や『日本書紀』よりも、『万葉集』に脚光が集まることは悪いことではないが、「令和」の典拠を併記するなど、誠実さがあってよかったし、日中の歴史を振り返ることも大事であったはず。

 
また、東大の本郷教授(歴史学)は、従来皇太子の命令を「令旨」、天皇の命令は「綸旨」と呼んできており、この「」の使用はダメとも指摘している。西暦世界標準の現在、せめて公文書も併記すべきだとは、駅ハイでの声であった。この機会に、元号について考えてみたい。

 

 

コース7.5kmいすみ鉄道 大多喜駅右 大多喜町観光本陣 スタート 大多喜県民の森タケの情報館右大多喜城右豊乃鶴酒造右大屋旅館右夷隅神社右良玄寺・本多忠勝公墓所右行徳橋・本多忠勝公銅像右Resort Ⅴiew大多喜右商い資料館右渡辺家住宅右大多喜町観光本陣  ゴール右大多喜駅

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4月7日(日)、ハトちゃんは5時に起床して、6度目となる城下町大多喜へ向かうことに......。

天候は晴れ。は野菜収穫で小見川へ。

千葉駅6時29分発外房線上総一ノ宮行きに乗り、上総一ノ宮駅を3分接続で安房鴨川行きで大原駅下車。最寄りの幕張本郷駅から約2時間。

 

いすみ鉄道(ワンマンカー)に乗り換え。1両で運行。車窓の両脇には、田植えの準備やのどかな田園・里山風景が続きます。ところどころ黄色い菜の花畑と桜並木を観ながら大多喜駅へ。

190407 (3).JPG電車に揺られて約30分。8時14分到着。駅構内に、忠勝候と家来の武者人形やムーミンがデザインされている車両があります。 

 

房総の小江戸「大多喜」は、江戸時代、房総一の十万石を治め、徳川四天王の一人本田忠勝を初代藩主とする「大多喜城」を中心とする城下町

駅を出て、すぐ目の前に、スタート・ゴール大多喜町 観光本陣。武家 190407 (5).JPG 190407 (4).JPG屋敷の外観を呈する観光案 内所。レンタルサイクル(一般車1日300円、電動500円)も。早かったので係員があわててセッティング。チラシを見ると、前回と同じコース。いざスタート(8:20)。

 

町中は、いかにも城下町らしい。十字路などには、標識案 190407 (6).JPG内が木製で、歌舞伎の 看板に使う勘定流文字で書かれています。歩いてすぐの所に、大手門。門をくぐり、「小谷松」駅方面へ線路に沿って歩き、南郭踏切を右に横断。

 

 

その先がメキシコ通り。 起点に、メキシコ国旗が掲げられている記念塔 190407 (19).JPGがあります。周囲は早朝で空気が澄んでいてすがすがしい。

沿道沿いに「本田忠勝・忠朝」大河ドラマにという紫の幟が立ち並んでいます。これは町のあちらこちらでも見られます。ゆるい上り坂を、くねくねと~。歩道に蛙などのアートデザインが。

 

190407 (7).JPG左手眼下に御禁止川おとめがわ)の渓谷が続きます。手前に桜が数本咲いていました。夷隅川と同じ流れですが、お城の前は御禁止川という別名になっています。 

1.2kmほど坂を上って、大多喜城への分岐を右 190407 (9).JPG折せずに左の道を直進すると、大多喜県民の森・タケの情報館。両脇の桜並木は満開。入館。今回は竹のペン立て・湯のみのお土産なし。

 

190407 (11).JPG 190407 (12).JPG 190407 (13).JPG情報館前から案内矢印で左折すると、その先が鎖の張ってあるゲート横を通って、桜が続く野球グラウンドに沿って大まわり。グラウンドが一望できます。

 

大多喜中央公民館を通過して、左の下り坂へ。 いったん下って駐車場横から上り坂になり、大多喜水道跡の先、城を目指します。

 

二の丸公園の見事な紫色のヤシオツツジを観て、右手に曲がると目の前の 190407 (18).JPG大多喜城天守閣を見上げます。城周辺の桜が見頃で、初めて桜に彩られた城を撮影。外観のみ。

190407 (14).JPG 190407 (16).JPG「大多喜城」は、徳川四天王の本田忠勝が1590(天正18)年に築城。千葉県立博物館大多喜城分館として、城郭と武器、甲冑武具などを展示。1871(明治4)年の廃藩置県で城は廃城。1975(昭和50)年に本丸跡に、天守閣作りの博物館を復元しました。

 

コースは、城敷地から山道を下りますが、膝の再発を 190407 (20).JPG考慮し、元来た舗装道を下ります。踏切までの途中にある 大多喜高校薬醫門〔二ノ丸御殿にあったと伝えられ、城建造物唯一のもの。県指定史跡〕に立ち寄りました。

 

その後、元来たメキシコ通りを戻って、踏切を渡る際、大多喜小学校の校舎〔三角屋根が並ぶ特徴的な外観で県建築文化賞を受賞〕を裏側から眺め190407 (21).JPGました。本来のコースは、町の中心にある豊乃鶴酒造から回るコースでしたが、大幅にショートカット。

 

駅前に戻る観光案内所手前に天然ガス記念館があります。入 190407 (22).JPG 190407 (23).JPG館すると、人形が受付に座っていてユニーク。

観光本陣ゴール(9:20)。コーヒーとなた豆茶の無料ドリンクサービス本日はアップダウンが少々ありましたが、大多喜城往復約3kmを歩きました。

 

  190407 (25).JPG 190407 (24).JPG

帰りの電車は、当初1両だけでしたが、大多喜駅からもう1両連結。貴重な連結作業の瞬間を、子どものとき以来、久しぶりに見ました。

 

190407 (27).JPGかつて日本のどこにでもあった懐かしい情景を車内案内を聞きながら、途中の国吉駅では、電車のかぶり物した弁当販売も現れ、のんびりと走る「いすみ鉄道」を味わって終点の大原駅へ。

外房線との接続はちょっとあって20分ほど。駅前を散歩すると、新たにセブンイレブンがオープン。その後、10時32分発千葉行きの電車に乗りました。2日連続で地元を歩き、初めて桜の大多喜を楽しみました。

 

 

コースは約10km布佐駅  スタート 徳満寺右赤松宗旦旧居右来見寺右布川神社右柳田國男記念公苑右とねっ子公園右利根川桜づつみ右利根町役場右布佐駅  ゴール

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春うららの4月6日(土)、駅ハイで「利根町さくらまつりと歴史めぐりハイキン 190406 (1).JPG」(5~7日の3日間限定開催)に昨春以来参加。

柳田國男ゆかりの地我孫子~利根の桜を観に行きました。久しぶりの成田線沿線でのウォーク。自宅から近距離で、京成本線「京成成田」駅で下車。徒歩2分でJR「成田」から5駅の布佐駅に到着(9:17)。コースは昨年とほぼ同じで、とねっ子公園から先が変更になっていました。

 

190406 (2).JPG駅前でスタート受付。 布佐千葉県我孫子市なので、マンホールは手賀沼の鳥の博物館にちなんで水鳥のデザイン。

東口広場から左に入り直進。寂しい商店街を抜けて県道197号線を進むと、布佐駅入口交差点へ。

 

左折してしばらく県道4号線を直進。いきなり交通量が 190406 (5).JPG増えます。前のウォーカーに付い て行くと国道356号線。横断して利根水郷ラインも越えると、前方に栄橋。徳満寺へは橋の左側を通るのが近道。橋の真ん中が県境。ゆったりとした流れで幅広の利根川流域を橋の上から眺めながら進みます。結構、長い橋で、道は車で大渋滞。

190406 (13).JPG渡ると、茨城県利根町の看板。マンホールデザインは橋とヒバリと桜に変わります。

 

 

橋を渡ると、保育園が見えて最初のポイント徳満寺。寺は〔真言宗;1571(元亀2)年、祐誠上人が開山。子育て地蔵の名前で親しまれる地蔵 190406 (10).JPG菩薩 がある〕へ。境内には、地蔵堂と客堂、石碑や石仏など多数。また、オレンジのジャンバー着用の歴史ボランティアさんがいて説明を聞きました。町一番の宝物である金銅板両界曼荼羅

 

190406 (7).JPG 190406 (12).JPG190406 (8).JPG 190406 (9).JPG客殿の左手頭上に「間引き絵馬」が掲げられている。ここ利根町は、日本民俗学の父とも呼ばれる・柳田國男(1875~1962年)の第二の故郷。「間引き絵馬」を見たことが、後に民俗学に進む元になったとされています。「図柄は、産褥の女がはちまきを締めて、生まれたばかりの嬰児を押さえつけているという悲惨なもので、障子にその女の影絵が映り、それには角が生えている。その傍らに地蔵様が立って泣いている」絵で、当時の口減らしを意味していて、貧乏を表していました。

 

190406 (14).JPG 190406 (15).JPG 190406 (32).JPG参拝後、石段を降りて下の道に出て、本来のコースは左折して進みますが、赤松宗旦旧居から先は昨年回ったので、今年は右折して利根町役場~利根川土手の桜方面へと向かいました。

 

 

さくらまつり」のメイン会場の町役場前では、屋台が出ていて、観光客も。利根川堤の下にも桜並木が続いていました。途中から階段を上がって、土手の上から春風 190406 (26).JPG 190406 (20).JPG 190406 (18).JPGを感じながら、利根川沿いの桜並木を観賞。ちょうど満開で桜のトンネルもあって感激。係員がミニSLの線路や土手下への転落防止ロープを張っていました。この桜づつみは桜のオーナーによって整備されています。

 

190406 (28).JPG 190406 (30).JPG 190406 (31).JPGさらに桜並木が続いていましたが、同じ風景なので、途中で引き返し、川沿いの道を一直 190406 (6).JPG線。栄橋を渡って我孫子市へと戻って来て、駅前通りを南下し布佐駅へと...。

 

 

本日は、膝のケガも考慮して、約1時間3kmの歩行。成田線は単線で上りと下りの発車時間が同じ。10時33分発に乗って、最寄りの京成大久保駅まで。

自転車に乗ろうとすると、キーがありません。カメラを取り出したときに落としてしまいました。結局、重い自転車を約800m先の自転車屋まで引っ張って行き、カギ部分を無料で切断してもらいました。ウォークでは汗をかかなかったのに、最寄り駅から汗ビッショリ。

最後に、キーを落とすという落ちが付いてしまいました

 

 

2019年度初の駅ハイは、4月4日(木)ハトちゃんの生まれ故郷の石岡駅へ。青春18きっぷの最終5日目。

観光案内所へは、スタート受付時間のあとすぐ(9:04)。受付のみ

190404 (5).JPG 190404 (3).JPG 190404 (2).JPG案内所は西口駅のエスカレーターを降りて、バスターミナルの手前左側にあります。もらった袋には、チラシの他に、ご当地出身でデブキャラで絶好調の渡辺直美さんが案内している「るるぶ特別編集」と、ウェットティッシュ、ミニメモ用紙が入っていました。駅ロータリーには、愛犬タローの像。改札口前の窓は、滝平二郎(茨城県新治郡玉里村出身)のカラーの切り絵が飾られています。

また東口には、今春センバツ高校野球に21世紀枠で出場した「石岡一高」の横断幕が掲げられていました。

いしおか桜の名所めぐり~春の絶景に出会う道~約13kmコース:石岡駅右石岡市観光案内所 スタート 常陸国分寺跡右常陸風土記の丘右柏原池公園右まち蔵「藍」右看板建築右石岡駅 ゴール 

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その後、上り電車との時間が8分しかなかったので、あわててホームに戻って、電車に乗り込みました。

土浦駅までは3駅で、土浦駅(9:37着)へ。改札口を出てすぐのところに観光案内所があり、コースは東口からでしたが、ハトちゃんは膝をケガしてから始めてだったので、本日は亀城公園周辺往復 190404 (6).JPG 190404 (7).JPG 190404 (8).JPGにして、係員に公園までの道を聞くと、西口を出て直進約15分とのこと。構内には、サイクリングのポスターや相撲の大関 高安関の看板があります。

 

暖かい日差しの中、道を思い出しながらゆっくりしたペースで、駅前の中央通りを進んで、土浦高架橋の下をくぐって直進。

ちなみにマンホールのデザインは、霞ヶ浦と帆引き船に筑波山。途中、東 190404 (12).JPG 190404 (13).JPG京三菱UFJ銀行の手前「桜橋」の信号付近に、桜橋跡 190404 (9).JPGの記念碑があり、その左側に入ったところに、まちかど蔵がある中城商店街。そこを通り越して、直接、亀城公園へと向かいました。

 

亀城公園土浦城址)〔土浦城の本丸と二の丸の一部を 整備した公園。江戸時代前期の建造物である櫓門は関東唯一。「続日本の100名城」にも認定へ。歴史遺産が点在する市民憩いの場所〕

190404 (16).JPG 190404 (17).JPG 190404 (19).JPG堀にいっぱいの鯉のぼりと桜が映えて、櫓(東門・西門)と合わせて、写真家が集まっていました。

園内には50本のソメイヨシノが咲き誇り「桜まつり」を開催中。桜を愛でながら、園内の庭園、東西の櫓や散策。子供連れ 190404 (22).JPG 190404 (18).JPGの家族を目にしました。

 

高麗門(江戸後期の建物)を出て、裁判所前を通って、中央一の交差点を左折して旧水戸街道 へ。間もなく、まちかど蔵「大徳」〔江戸時代末期に造られた見世蔵、袖蔵、元 190404 (24).JPG 190404 (25).JPG 190404 (14).JPG 190404 (28).JPG蔵、向蔵を改修した観光アンテナショップでレンタルサイクル(一般車一日500円)もやっている〕へ。道の反対側にはまちかど蔵「野村」の旧商家の建物。

 

その後、元来た道を戻って土浦駅西口へ出ました(歩行距離は約2k 190404 (1).JPG 190404 (29).JPGm)。

帰りの土浦始発〔10:28発)の上り品川行きの車窓から、遠方に筑波山霞ヶ浦や水郷橋先の桜川堤沿いの桜が満開なのを見ることができました。

常磐線と武蔵野線を乗り継い で西船橋から途中、本八幡 190404 (30).JPG駅傍で買物。駅前では千葉県議会議員の街頭演説が行われていて、立候補者と握手。12時過ぎに帰宅。

 

 

桜香る歴史の街~土浦市の花 桜の名所満喫ハイク~約12kmコース土浦駅→土浦市観光案内所 スタート 霞ヶ浦右桜川堤の桜右旧水戸街道右新川堤の桜右真鍋小学校(真鍋の桜)右新川堤の桜右土浦市立博物館右亀城公園右まちかど蔵右鷲神社右アルカス土浦右土浦駅 ゴール

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春の選抜高校野球大会は、4月3日決勝戦を迎え、地元千葉の市立習志野高校が前評判を覆して決勝まで勝ち進みましたが、決勝戦で東邦高(愛知)に0対6で敗れて、準優勝。京成実籾駅前で号 190403 (1).JPG 190403 (2).JPG外が配られ、ロータリーと大原神社の横断幕は「出場」から「準優勝」に変更されました。

10年ぶり4回目の出場となる習志野高は、1回戦日章学園、2回戦星陵高校、準々決勝市和歌山高校、準決勝明豊高校に勝利。とくに2回戦の星陵高校の大会No.1といわれた奥川投手を攻略。以後、逆転で決勝戦まで駒を進めました。

残念ながら、決勝戦は東邦の石川投手の前に打線が沈黙。得意の機動力190403(1).jpgも封じられ、完敗しましたが、千葉県勢初の優勝への期待を抱かせてくれました。

小生は、中学生の頃から高校野球のファン。青春をかけて野球に打ち込む姿勢やひたむきなプレーに感動し、それ以来、新聞記事のスクラップを続けています。トーナメント表を見ては、勝ち負けを予想したり。今回も試合当日のテレビ観戦やラジオ放送では、習志野の追撃、逆転の点が入るたびに年甲斐もなく、歓声を上げていました。

 

結果、東邦高校平成元年優勝にはじまり、平成30年締め括りに優勝したのも、神様のいたずらでしょうか?惜しくも、優勝には1歩届かなかったものの大健闘。

野球部員たちの一生懸命なプレーに、大きな勇気と感動をもらいました。

驚異的な粘りで逆転で勝ち進み、決勝まで勝ち残ったのは、習志野市民の一人として誇りです。

これからも、一市民で一高校野球ファンとして、応援していきます。 

夏こそ、県大会で優勝し、再び甲子園の活躍を見せてください。

   【高校野球を楽しませてくれてありがとう! 球児たちに感謝 !! 】

 

 

4月がスタート。前日に比べ晴れて暖かくなり、自宅のソメイヨシノも分咲き、かろうじて花見ができるようになりました。

190401 (1).JPG 190401 (2).JPG 190401 (3).JPG今朝は、案の定、テレビは新元号特別番組やニュースで持ちきり。11時30分の「令和(れいわ)」決定後もNHKはもちろん民放のテレ東までも菅官房長官の発表や安倍首相の談話に時間を費やし、その後のワイドショーも元号一色。

小生はほとんど無関心。何であろうが、決まれば使用するのみ。元号によって、世の中ががらっと変わる訳もないので。

 

昨日に引き続き、チャリンコで近くの東部体育館で軽い筋トレ50分。ウォーキングをしないとストレスが溜まるので、トレッドミルで20分とストレッチ他で、汗を流しました。入館時に出入口で、小生がウォーキングや筋トレを始めるきっかけとなった習志野スポーツ振興協会のSさんに出会い、館長として本日から就任されるとのこと。懐かしさと今後、お世話になる挨拶を...。

午後2時からは、天候が急に悪くなって、洗濯物をしまい、野菜の整理と水洗い。

 

ようやく半月ぶりに、明日、千葉健生病院健康友の会 「友の会だより」の校正・企画会議に出席することにしました。

 

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