コースは約12km;小金井駅オアシスポッポ館 日酸公園久保公園御使者橋・姿亭栃木県埋蔵文化財センター天平の丘公園花広場しもつけ風土記の丘資料館下野国分寺跡オトカ塚古墳・伝紫式部の墓ゆうゆう館・天平の湯慈眼寺・金井神社小金井一里塚 小金井駅
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4月13日(土)、ハトちゃんは宇都宮線で小山駅の次駅、 日光街道14番目の宿場町「小金井」へ(9:01着)。天候は昨日の冬の寒さが去って快晴で暖かい日差し。
駅ガード下観光案内所「オアシスポッポ館」でスタート手続きのみ。マップを見ると、コース・ポイントはほぼ昨春と同じ。
その後、始発の上り電車(9:08発)に乗って、2駅手前の間々田駅へ。
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コースは12.5km;間々田駅小山市立博物館 間々田ひも店間々田八幡宮千駄塚古墳(浅間神社)西堀酒造小山総合公園小山政光・寒川尼像城山公園小山評定跡須賀神社まちの駅 思季彩館おやま本場結城クラフト館小山駅
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今回初めて間々田駅に降りました。膝のケガにより「思川桜と伝統工芸を訪ねて~開運のまち歩き」コースのうち、ハトちゃんは間々田駅に近い間々田八幡宮往復に変更。
西口ロータリーの向かって右側の道を直進。国道4号線を渡って約3分ほどで小山 市立博物館でスタート手続き(9:20)。館内が無料だったので、展示室を観賞。間々田は、江戸および日光から11番目の宿場で、 距離的にも18里(約72km)の中間点に位置していたことがわかりました。名前の由来にも関係している説も。
マンホールは馬3頭のデザイン。小山市が繁栄していた頃の中世と同じ時代に発展していた西洋ロマネスク時代の生命感あふれる「馬」のレリーフをデフォルメしたもの。
博物館を出ると、隣接して国指定の乙女不動原瓦窯跡があり、広 場には屋根の瓦や横穴住居があります。見学しながら、田園地帯より一段上がった遊歩道の山下通りへ。
約100本の思川桜並木が続いていて、まだ花びらも残っていて、花吹雪を浴びながら、惜しみ行く桜を眺めました。と ころどころピンク色の桜は満開で、白と紅の桃も咲いていました。
10人以上のウォーカーがいて、写真を撮ったり、 話しながらのウォーク。雲一つない快晴なので、土手を歩いて行くと、遠方に野木の渡良瀬遊水地の広々とした土地や群馬の山並みが良く見えます。
いったん、国道4号線に出て左折し、しばらく直進。間々田交差点を過ぎ、右側 に郵便局が見えて、ちょうど道路を隔てた位置に間々田宿本陣跡の看板 があり、現在は駐車場になっています。
さらに進み、間々田4丁目交差点の左に間々田八幡宮の標識。左折して鳥居をくぐって、細い道の舗装道を進みます。500m先に八幡宮の森が見えて来ます。
間々田八幡宮〔創建は729~749年(天平年間)と伝えられる。 江戸時代には朝廷より日光に遣わされた例幣使が道中必ず参拝する習わしとなっていたという〕へ。
約2万坪もの敷地の一部は「間々田八幡公園」として開放され、「間々田のジャガマイダ」(田植えの前に五穀豊穣や疫病退散を祈願し、各町内ごとに小・中学生が竹・藁・フジツルなどで作った長さ20mにもおよぶ竜頭蛇体の作り物をもって「ジャーガマイタ、ジャガマイタ」と練り歩く祭り)が開催される池や拝殿など、境内に風情があります。
参拝後、元来た道を戻って、間々田4丁目交差点を横断して、4号線を間々田駅方面に戻ります。途中に日光街道の中間点を示す榎が植えられており、"間(あい)の榎"と呼ばれて往来する旅人の目印となっていました。しかし、いつからか"逢(あい)の榎"と書かれるようになり、縁結びの木として信仰を集めたといわれています。樹勢は衰えていました。
また、途中に白壁の小山市立車屋美術館〔肥料問屋の小川家住宅。国の有形文化 財で、米蔵や肥料蔵が展示室になっています。
最後に、間々田交差点近くに間々田ひも店〔間々田ひもは、何本もの正絹糸を組み合わせた伝統工芸品〕が、西口から徒歩10分にあります。
帰りは、国道4号線の歩道を約2.5km一直線で駅まで戻りました。「蛇(じゃ)がまいたの像」という竜頭蛇体の像が駅前にありました。
本日の歩行距離は、ケガ後最長の約5km。足が張って、ちょっと疲れました。間々田駅(11:03発)から宇都宮線で古河へ(オジン隊の先輩方が3月にウォーク)。古河で湘南新宿ラインの快速に乗り換えて、赤羽経由で幕張本郷駅(13:04着)まで片道2時間乗車の長旅でした。
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