2022年6月アーカイブ


           「青天の深谷 渋沢栄一論語の里めぐり(約14㎞)」

コース;深谷駅  市民サービスセンター スタート 渋沢栄一翁ふるさと館OAK右渋沢栄一 青天を衝け 深谷大河ドラマ館右清風亭・誠之堂右尾高惇忠生家右鹿島神社右渋沢栄一記念館右旧渋沢邸「中の家(なかんち)右諏訪神社右道の駅おかべ右 岡部駅  ゴール
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新型コロナ感染対策のため、オジン隊は駅ハイを中止。東浦和(2020年10月23日)以来、1年ぶりに、今年のNHK大河ドラマ主人公、渋沢栄一のふるさと、深谷へ(2021年10月28日)。

高崎線深谷駅へは、上野から高崎線で、籠原駅の次駅。上野から普通電車で約1時間20分かかります。当日は、晴れて行楽日和。1年ぶりのメンバーはコロナで自粛生活を強いられましたが、元気に再会できたことを喜びました。

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駅のホームに、近代経済の父といわれる、「渋沢栄一生誕の地・大河ドラマ「青天を衝け」の写真・横断幕が掲げられていて、駅舎は日本煉瓦の代表地にふさわしく東京駅丸の内駅舎の赤レンガと同じ造りが目を惹きます。
 
構内の市民サービスセンター(観光案内所)で受付。今回は距離の長いコース。早速、マップを見ながらスタート。新型コロナ渦の生活や健康管理、母校の先輩である菅首相の政策などが話題に...。

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まず、北口の駅前広場公園には、渋沢栄一翁の座像が下から見上げるようにあります。また、ご当地キャラの「ふっかちゃん(耳が深谷ネギになっている)」人形も回転して飾られていました。


駅前通りを直進。左側に渋沢栄一翁ふるさと館OAK(深谷の情報発信と地元物産を販売する街の駅)。
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館内は休憩処になっていて、地域と訪問者をつなぐ、一息できる場所になっています。城址公園の先から3分ほどで新たに期間限定で建てられた
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深谷大河ドラマ館へ。出入口前には、大きな新1万円札の看板、入館するとドラマのストーリーや衣装などの展示、出演者のパネル、セットの一部を再現、栄一翁の活躍した偉大な足跡を紹介しています。

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その後、唐沢川の土手に上がって、川沿いの遊歩道を直進。国道17号線バイパス下のトンネルをくぐり、小山川との分岐点へ。小山橋手前で左折して、小山川沿いの土手を歩きます。遥か前方には、赤城山も見えました。

この土手歩きは橋と橋との間が長い。川幅は狭く、河川敷は葦の大群生がほとんど。日陰が全然無く、単調で大変。風が少しあったので助かりました。

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やっと共栄橋手前の北部運動公園が左側に見えて、芝生広場を通り、誠之堂・清風亭の建物前へ。乗り降り自由の循環バスを見かけました。公園事務所に立ち寄り見学を希望。

誠之堂―1916(大正5)年、栄一翁の喜寿(77歳)を祝って第一銀行の行員た
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ちの出資により建築されました。 名前の由来は、渋沢栄一自身により名づけられ、儒教の代表的な経典のひとつ「中庸」の一節「誠者天之道也、誠之者人之道也(誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり)」にちなんだもの。煉瓦造平屋建、建築面積112㎡。外観は英国農家に範をとりながらも、室内外の装飾に、中国、朝鮮、日本など東洋的な意匠を取り入れました。
 
清風亭― 1926(大正15)年、当時第一銀行頭取であった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念し
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て、清和園内に誠之堂と並べて建てられました。建築資金は、同じく第一銀行行員たちの出資によるもの。建物は、建築面積168㎡で、鉄筋コンクリート造平屋建。外壁は、人造石掻落し仕上げの白壁で、対称的に黒いスクラッチタイルと鼻黒煉瓦がアクセントをつけています。


見学後、共栄橋を渡って、県道14号・伊勢崎深谷線の大塚から下手計の交差点
211028 (20).JPG左折すると、間もなく尾高惇忠[世界文化遺産富岡製糸場初代場長・栄一翁のいとこで、学問の師でもあり、製糸場の設立に尽力〕の生家前へ。
内部は自由見学ができ、係員が説明してくれます。

鹿島神社[渋沢栄一と関係が深く、幼い頃の遊び場で、恩師だった尾高惇忠生
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家から約300m離れた場所にあり、境内には、栄一らの有志が尾高惇忠の偉業を称え、「藍香尾高翁頌徳碑」を建立した〕を参拝。
神社の先に屋根が丸くて、横長のちょっとプラネタリウム似の渋沢栄一記念館が見えて来ます。


記念館前は広い駐車スペース。駐車場を横切り、渋沢栄一記念館
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[1995(平成7)年開館。に入館。館内は無料で、ガイドさんがいて、説明してくれます。イメージキャラクター「ふっかちゃん」がお出迎え。 1階と2階にかけて、栄一翁の写真や資料がたくさん展示されています。大河ドラマ人気で観光客が多く、説明を聞いていました。

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館外に出て、小山川沿いの土手を進むと、青淵公園が広がっていて、公園の裏手から、渋沢栄一の生家(中の家)へ。


このあたりを「論語の里」と呼んでいます。
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栄一翁は1840(天保11)年に生まれ、養蚕や藍玉作りと販売、雑貨屋・質屋も兼ねて裕福な家庭で育てられたとのこと。立派な門構えで、広い敷地に、塀で囲まれています。
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現存する主屋は妹夫妻が1895(明治28)年に建てたものだそうです。主屋内も見学。和室に栄一翁のアンドロイドが座っていて、ちょっとビックリ。敷地内には栄一翁の写真と案内板がありました。

「近代日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一は、幕末~明治維新にかけて、尊王攘夷に傾倒、その後、一橋慶喜に仕え、次第に認められていきます。15代将軍徳川慶喜の実弟・昭武に随行しパリの万国博覧会を見学し、先進諸国の内情に通ずることができました。その後、明治政府に招かれ大蔵省の一員として新しい国づくりに関わります。

1873(明治6)年、栄一翁は一民間経済人として活動し「第一国立銀行」の総監役(後に頭取)になり、それを拠点に、生涯に約500もの企業に関わったといわれています。
91歳で、長い生涯を閉じましたが、二人の妻がいて、先妻の千代がコレラで早死。路頭に迷って芸者の働き口を探していた兼子を、愛人にする話から再婚にいたったそうです。

先妻との子が3人、後妻の間に儲けた子は4人。と、これだけでも十分子沢山なのですが、愛人が数多くいたため、その庶子を含めると20人以上も子どもが生まれています。そのため現在までで子孫は100人以上いるんじゃないか、なんてこともいわれています。著名人を多く輩出し優秀なDNAをバラまいてくれるのは結構ですが、ずいぶんお盛んだったんですねぇ...。

昼食時間を過ぎていたので、付近の食事処「麵屋 忠兵衛」を覗きましたが、待ち人多し。栄一翁の好物で、深谷の名物「煮ぼうとう」をパス。


結局、相談の上、コースどおりの岡部駅の方が深谷駅より少し近いので、道の駅おかべから岡部駅に出ることにしました。

お腹を空かせ、途中にある諏訪神社前を通って、コンビニのある交差点(国道17号バイパス)を
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右折してバイパスを直進。岡(東)交差点傍にある道の駅おかべ[深谷ネギはもちろん、深谷の特産物・農産物・郷土料理、地酒などを販売〕へ。遅い昼食を「そば蔵」で...(14:26)。
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量も多くて美味しい食事をいただいた後、岡部駅まで1.5㎞(約20分)かけて、岡部駅でやっとゴール。1年ぶりの駅ハイは、中止になった分を取り戻す、約15㎞(2万歩)を超えるロングウォークになりました。それにしても、メンバーはよく頑張りました!
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付記〕後日、メンバーからメール(抜粋)が届きましたので、ご紹介いたします。

兼子隊長...深谷駅ハイお疲れでした。15キロも歩いたのは1年ぶりとしては長い距離でした。
     渋沢栄一オンパレードで、2、3日は疲れが出るかも。歩数は24,775歩でした。


遠藤副長...長いウォーキングでしたが、楽しかったです。皆様、お疲れさまでした。
     さて、私の携帯アプリによると、歩いた距離は深谷駅から道の駅おかべまでが 13.69
     ㎞、道の駅から岡部駅までが1.62㎞、合計15.31㎞となっています。随分歩いたものだ
     と思います。
 

        「街に眠る自然・文化を再発見する道(約11㎞)」

コースは;JR荻窪駅  スタート 西郊ロッヂング右読書の森公園右大田黒公園右(仮称)荻外荘公園右角川庭園・幻戯山房(すぎなみ詩歌館)右善福寺川緑地右田端神社右中道寺右与謝野公園右荻窪南口仲通り商店会右荻窪駅右東京工芸大学杉並アニメーションミュージアム右荻窪 白山神社右JR荻窪駅  ゴール
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2021年12月17日:早朝の雨も上がり、先月に続いて、オジン隊はJR中央線の荻窪駅ハイ4人で参加。駅南側の自然・文化が残る地域をめぐりました。

荻窪は、「」...イネ科の多年草植物で、ススキに似て河川敷などの湿地に群生。が低い地に繁茂していたことに由来。飛鳥時代、仏像を背負った行者が縁があると思い、生い茂っていた荻を集めてお堂を建て、通称「荻寺」と呼ばれる寺の周辺を「荻窪」と呼ぶようになったそうです。

駅はカルチャーが色濃い中野~吉祥寺間の、ほぼ中間に位置していて、アクセスが便利。東京メトロ丸の内線の発着駅にもなっています。北口にはラーメン激戦区として、多くの店が並ぶラーメンの聖地。大正から昭和初期には、東京近郊の別荘地として「西の鎌倉東の荻窪」と称されていた高級住宅地で、文化人に愛されたまち。太宰治や与謝野晶子、角川源義や近衛文麿など、多くの文化人が荻窪に居住していました。

スタートして、線路沿いを進み、中華そば店を右折して細い道に。少し歩くと閑静な住宅街が広がっています。

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まずは、住宅街の角にある西郊ロッヂングへ。登録有形文化財に認定されている、1938(昭和13)年建築された当時を象徴する建物。古びた外観は独特な雰囲気。新館と本館があり、本館は現在も純和風旅館として営業中だそうです。
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次は、荻窪体育館前の読書の森公園。園内に入ると、紅葉が散って落葉が散乱。池の先に杉並区立中央図書館が併設されていて、杖を持ったガンジーの立像があります。借りた本を園内で読書できる珍しい図書館。

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園内を散策後、西郊ロッヂングまで戻り、左折して間もなく区立大田黒公園。音楽評論家の大田黒元雄氏の屋敷跡地に造られ、樹齢100年を経た大イチョウの並木道を通り抜けます。残念ながら、黄葉は散っていました。落葉を集める管理人がいて、聞くと「入場無料で都内屈指の紅葉・黄葉の隠れた名所」とのこと。その先に回遊式日本庭園があります。閑静な佇まいは別荘地として栄えた、当時の荻窪を感じられます。機会があれば、再訪したい場所です。

続いて、マップに沿って進みますが、ミラーが多くあり、道が分かりにくくなりましたが、
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地理に明るい遠藤副長のおかげと、リーダー兼子隊長の判断で、坂を下った先に、(仮称)荻外荘公園近衛文麿の別邸で、敷地全体が国の史跡認定。芝生広場、遊歩道が整備された簡易な公園。邸宅跡地等は整備予定中。立派な門構えの先に広大な芝生が続いていました。

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角川庭園・幻戯山房すぎなみ詩歌館)は、コース近道を直進したためカット。ミラーまで進み右折。右側にマンションが立ち並びます。紅葉はまだ残っていました。直進後、突き当りを左折して交通量の少ない道を直進して、善福寺川緑地のほとりに。以前は富士山を望む景勝地として別荘や高級住宅が建てられ、あたりには今も立派な建物が見られます。

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その後、いくつもの橋を過ぎながら川沿いの遊歩道を進みます。しばらく歩いて尾崎橋を渡ってコンビニ「ミニストップ」の横からいったん、一般道に出て道なりに。成田西児童館を過ぎ、4つの信号を越え、国旗が店頭に掲げられた南イタリア料理店前から階段を下りて、再び善福寺川の道へ。ここでトイレ休憩。

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再び川沿いの道を進みます。途中、河岸工事中。細い橋を渡り、マップに沿って歩いて行くと田端神社。神社は菅原道真を祀り、足痛・腰痛を治癒する神社として知られています。茅ノ輪くぐり後、参拝。


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神社を出て間もなくコース中間地点で6㎞弱。「まだ半分か。結構、長い」とメンバーは感じました。その先の橋を渡り、松渓中学、松渓公園手前に、緑のトンネル。公園を右折。間もなく中道寺[日蓮宗:1582(天正10)年創建。本堂正面にある鐘楼と山門を兼ねた珍しい様式で区有形文化財に指定。本堂前で記念撮影

参拝後、交通量の激しい環八通りを横断して、与謝野公園へ。この公園も
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与謝野鉄幹・昌子夫妻が晩年を過ごした住居跡を整備し、1982(昭和57)年南荻窪公園として開園。その後、与謝野公園と改称。二人が詠んだ歌碑などがあり、駅ハイ参加者とともにメンバーはじっくり案内板や歌碑を見学。

見学後、コースどおりに環八通りに出て横断し、歯科が見えて右折。善福寺川の忍川上橋を渡って通りの狭い荻窪南口商店会のお店を見ながら荻窪駅方面へ。昔ながらの小売店もあり、住宅街と駅を結ぶ商店街は、人通りも多い。

この後、コースは北口側が残っていましたが、残るポイントも二つだったのでショートカット。ゴール後、駅前で昼食。来年1月の船橋駅ハイを決めました。

荻窪は少し歩くだけで歴史が垣間見え、新旧文化、商業が盛んなベッドタウンで、自然も多い落ち着いた雰囲気のまちでした。
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【荻窪駅ハイ後、新型コロナ第6波の急増により、オジン隊は5月の両国まで断念しました】

付記〕終了後、メンバーからメール(抜粋)が届きましたので、ご紹介します。

兼子隊長...3時前に家につきました。心配された雨も上がり、今年最後の荻窪駅ハイも無事終了し
   ました。お疲れ様でした。私の歩数は16,000歩。運動不足がたたり、やはり疲れました。

遠藤副長...荻窪駅ハイ、雨も上がって歩くことができて良かったです。駅ハイ、いろいろな場所に
    行きましたが、どこでも神社、仏閣が見どころの一つだと思いました。では、寅年の来年
    もよろしくお願いいたします。

山根副長...荻窪駅ハイお疲れさまでした。雨が止んで助かりました。こちらの歩数は、家までの往
     復の歩きを入れて2万歩になりました。さすがに疲れました!
      新型コロナウイルス感染が今の状態のままであれば良いのですが、オミクロン株の
     感染が広がらないよう願いながら、正月の箱根駅伝を楽しみたいと思います。


      「葛飾北斎が愛したまち[すみだ〕をめぐる(約6㎞)」

コースは;JR両国駅右 両国観光案内所 スタート 勝海舟生誕の地右芥川龍之介文学碑右吉良邸跡右回向院右旧安田庭園右刀剣博物館右すみだ北斎美術館右野見宿神社右大横川親水公園右能勢妙見山別院右錦糸町駅 ゴール
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新型コロナ渦で5カ月ぶりにオジン隊3人は、5月25日(水)晴れ 両国駅に10時集合
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最高気温は27度で5月としては蒸し暑い。山根副長は所用のため不参加。オジン隊では2020年1月15日雨中の新日本橋~両国ゴール以来。駅西口の観光案内所からスタート。何といってもロシアによるウクライナ侵略渡辺裕之・上島竜兵さんの連続自殺新型コロナ感染の下げ止まりなどが話題に...。

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駅前を通ってから南下。右折して細い横綱横丁に入り直進。通りには相撲のちゃんこ鍋のお店もありました。国道14号線に出て両国3丁目の交差点を横断し向かい側を進みます。交番を過ぎて右折し、通り2本先の健診プラザ両国の建物を確認してまた右折。間もなく両国公園内の片隅に勝 海舟生誕の地の由来が書かれた石碑がありました。墨田区役所前の勝海舟の銅像 本所生まれの幕末の雄・勝海舟(1823~1899年)を思い浮かべました。


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その後、両国小学校敷地角の芥川龍之介
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文学碑前を通ったまではよかったのですが、時津風部屋を見つけることができず迷い道。地元の方に聞いて少し
戻り、やっと白壁の記念碑を発見。「忠臣蔵」で有名になった赤穂四十七士が討ち入った吉良邸跡・本所松坂町公園へ。
園内に吉良上野介の像と松坂稲荷が奉納されていて、上野介の首洗いの井戸がありました。

ここからは正規コースに復帰。14号線から見える、特徴的な山門の回向院
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[浄土宗:1781(天明元)年以降に、境内で勧進相撲が興行され、今日の大相撲の起源となる。国技館建設までの時代の相撲を指して「回向院相撲」と呼ぶこともあり、1936(昭和11)年には大日本相撲協会が物故力士や年寄の霊を祀る「力塚」を建立〕へ。竹林の先に、慰霊碑「力塚」の太字と大きい石碑が目を惹きます。また無縁仏の埋葬やペットの埋葬・供養塔、水子地蔵の発祥の地となっています。奥には、江戸時代の盗賊、鼠小僧次郎吉の墓があり、長年捕まらなかったにあやかりたいと、墓石に似た鉱物を削り取ってお守りにする参拝者がいました。

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回向院を出て両国2丁目交差点を直進すると、歴代横綱の土俵入りと手形の彫像が通りにあり、両国相撲のまちだということを現わしています。

左側はゆったりした流れの隅田川。駅の北側に出ると、右手に力士の名前が書かれ
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たカラフルな幟が見える両国国技館・相撲博物館が見えて来ます。国技館の後方に、東京スカイツリーも観えます。

国技館を過ぎて、右手に入ると、旧安田庭園
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〔汐入回遊式庭園で名園の一つで無料〕 。ここからも池越しにスカイツリーが...。刀剣博物館は外観のみ。


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間もなく、都立横網町公園〔「被服廠跡」「東京都慰霊堂」「東京都復興記念館」とも呼ばれていて、関東大震災や東京大空襲の惨事を伝える記念館や、先生と子どもたちとの像などがある〕へ。外観を見ながら周囲を回って清澄通りに出ます。東京メトロ大江戸線両国駅方面へ進むと、間もなく右側に、甲子園で有名な日大一高と、屋根が大きくそり立つ江戸東京博物館が観えました。

日大前の交差点を左折。この通りは、北斎にちなんで北斎通り
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呼ばれていて、曲がり角などに、有名な「富嶽三十六景」などの浮世絵パネルが貼られています。通りをお相撲さんが歩いていました。

途中、左側に「あられ屋」があり、その前に葛飾北斎が本所割下水で誕生したとの看板が...。300m先の右側の突き当たりに、すみだ北斎美術館[2016(平成28)年開館。北斎の作品を展示。世界的に有名な代表作
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神奈川沖浪裏」レプリカやタッチパネルで作品を楽しめる〕。こちらも入館せず。

北斎通りに戻り、錦糸町方面へ直進。途中に野見宿禰神社。相撲の始祖とされる野見宿禰を祀り、日本相撲協会により管理されています。途中、細い路地から押上方面を見ると、目前に迫って来るほどの東京スカイツリーが大きく観えました。

三ツ目通りを越えて、大横川親水公園へ。
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公園入口からスカイツリーが良く観えます。園内で記念撮影。川の脇を歩ける遊歩道を進みます。清平橋紅葉橋までは、都会とは思えない、石を組み合わせた渓谷の雰囲気で、とりわけオアシスといったところ。


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紅葉橋を上がって、能勢妙見山別院(日蓮宗:妙見神信仰)を参拝。境内はこじんまりとしてひっそりとした佇まい。本堂などの他に、勝海舟の胸像が立てられています。親子鷹で有名な海舟が9歳の時に野犬に睾丸を咬まれ瀕死の重傷を負った際、父の小吉が水を被り回復を祈ったといわれ、熱烈な信者だったそうです。

その後、オジン隊では縁の無いたばこと塩の博物館まで歩いて錦糸町駅へと戻るコースでしたが、ショートカット。コース先の広い四ツ目通りを右折後南下して、駅ビルテルミナのある錦糸町駅へ。

昼食は駅南口にあるデニーズへ。来月の駅ハイの日時を決めて1時間ほど休憩。本日の歩行距離は全コース6㎞でしたが、スマホの表示では約8.5㎞。主催者の距離表示を疑いました。
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付記〕終了後にメール(抜粋)が届きましたのでご紹介します。

兼子隊長 今日はお疲れ様でした。歩けてよかったです。私は帰ると足がつってしまいました。
     痛いので湿布をしていますが、久しぶりに15,000歩も歩いたからかと思います。

遠藤副長 兼子さんと同様に太ももの筋肉がつりました。今日の夜明けに痛みが走り、目覚めて
     しまいました。最近、足をつることが多いので、対処薬、芍薬甘草湯を服用しました。

[観光順〕
服部農園あじさい屋敷(茂原)→藻原寺(茂原)→東京ドイツ村(袖ケ浦)

花香る6月21日の運転で娘と3人で、房総の花めぐりに出かけました。3人でドライブするのは10年前、千倉に行って以来。

自宅近くの京成大久保駅で7時待ち合わせ。本日のメインは、東京ドイツ村。開園時間の関係で、新聞記事で紹介されていた服部農園(アジサイの名所)へ。

高速道と一般道を利用して約1時間半。初めて利用した高速道はちょっと遠回りで予定時間をオーバー。外房線の茂原駅から少し山側寄りの服部農園へ。アクセスは車が便利。

千葉県茂原市にあるアジサイ専門のガーデンで、開花期の6月~7月上旬のみの開園となっています。園内は総面積27,000㎡の屋敷に18,000㎡、250品種・10,000株以上のあじさいが色彩豊かに咲いています。入口は長屋門風の建物で売店になっています。アジサイの苗やお土産、軽食が買えます。目の前が駐車場。
 
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門を入ると広がる斜面に囲まれた敷地に色とりどりのアジサイが目に飛び込んで来て壮観。順路にしたがってゆっくり観賞。アジサイのみが見所とあって素晴らしい迫力と量感。昨年、妻と娘が来園した時よりも最盛期で品種も豊富。紫、青、赤紫、白など、花の形もさまざま。初めて観たものもありました。

時間があったので、山の斜面を上がることに。園内はよく管理されていましたが、山道は斜面なうえ滑りやすいので注意して進みます。高いところから見ると、斜面になっているのがよく分かります。どの地点からでも美しく咲き乱れるアジサイを一望できます。頂上からの景色も圧巻。途中に休憩できる東屋もあります。

帰りに、売店で採りたてのトマトとキュウリを買って、あじさい屋敷をあとにしました。

茂原といえば七夕まつりが有名。外房線から、七夕飾りがデザインされたガスタンクが見えます。1954(昭和29)年に、商店街主催で開催され、以来50年を超えています。現在は7月末の週末に3日間開催し、80万人を超える人出で賑わう県下で有数の行事となっています。仙台・平塚と併せて「三大七夕まつり」と呼ばれています。

茂原に来たついでに、市街地まで戻り、茂原公園に隣接する藻原寺(そうげんじ)へ立ち寄りました。日蓮宗の本山(由緒寺院) で、「茂原」市名の由来になり、日蓮宗寺地は、この地に流刑になった斎藤兼綱の居館跡で、日蓮聖人が、1253(建長5)年に鎌倉に向かう途中で布教したとき、斎藤兼綱が最初の帰依者となり仏堂を建てたのが始まりとされています。日蓮聖人が、お題目初唱をした霊場として知られ、日蓮宗の中で最も古い歴史を持つ寺の一つ。本堂の唐門向拝彫刻は、市指定文化財。

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駐車場から正面に何やら異様な雰囲気の黒光りする像にビックリ。胸から上の大きな日蓮聖人の銅像の頭部です。大きさは4m。資金が集まらず、現在の高さでの寄付を募っています。

次に、1933(昭和8)年に建造された コンクリート製の多宝塔のような 山門。茂原市のランドマークとも呼ばれ、 高さ25m。今までに見たことがない変わった形の山門です。

境内は広くて、芝生や木々の手入れが行き届いています。本堂にも参拝。本堂前には、子どもたちが足元にいて、子どもを抱く子育観音像
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ちょっと離れたお堂の間は、朱塗りの橋でつながっていて、無料で見学できます。3人は橋を渡るとつ池の鯉や築庭の木々が背後によく映え、とても綺麗でした。また出入口前には日蓮上人の手を広げた立像がありました。

参拝、散策後、ナビを利用し一般道で東京ドイツ村へと向かいます。外房から内房への移動となり、千葉の低山を越えて、袖ケ浦方面へ。ドイツ村へはいつも高速道で姉崎袖ケ浦ICから5分だったのですが、今回ちょっと迷いましたが、娘のナビで無事に到着。

ハトちゃんは初めて。ドイツ村は、約91万坪(東京ドーム19個分)の里山に、ドイツの田園風景を再現した自然が満喫できる花と緑のテーマパーク。東京を頭につけたのは、アクアラインが開通し首都圏から近くなったことに由来。中央に広大な芝生広場があり、その周りには、ユリ、コキアなど四季折々の花々が咲き誇るフラワーガーデンやこども動物園、晴れた日には東京湾や富士山が望める観覧車やパターゴルフ、芝そりゲレンデ、ボート池などが点在。中心施設「マルクトプラッツ」には、ショップやレストランなどがあります。園内は広く、テーマパークごとに駐車場があって移動もマイカーで廻れます。

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最初に、バラ園の花がまだ残っていて、バラのかぐわしい香りに誘われて周囲を観賞。噴水のあるフラワーガーデンでは、日日草と見事な芝生。ちょうどカートで芝刈りをしていました。

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次に訪れたのが、種類、色別に並んで咲いていたユリのガーデン。これから満開になる前で、タイミング的には見頃で、ガーデン内で写真を撮ったり花を観賞して感激。広いパターゴルフ場があり、一日楽しめそう。またジャガイモ掘りもやっていました。

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続いて大観覧車前を通って、レストランやお土産品の売店のある大駐車場へ。昼食時で観光客が食事をしたり、休んでいました。年末・年始にイルミネーションで飾られる芝生広場丘の上ステージから眺め、その時期に来館したいと思いました。

アミューズメント広場は、平日で家族連れが少なく、遊技施設は閑散。
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最後は、遠方から見えたあじさいの森へ。服部農園のアジサイを観た後だったので、迫力なし。途中で引き返し、こども動物園へ。小動物(モルモットねずみヤギなど)がたくさんいましたが、暑さでだいぶバテていました。ヤギ(山羊)といわれるだけに、
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高いところを好み、人の背以上の高さの板を軽々と渡っていたのに驚きました。エサを売っていましたが、エサをやると我先に寄って来そうなのでやめました。

帰りに、美味しいと評判の農園カフェに行きましたが、平日にもかかわらず1時間半待ち。あきらめて高速道で帰り、地元幕張の和風レストラン「とんでん」で遅い昼食。

房総花めぐりの旅は終了。ドイツ村は四季折々、楽しめるので、また足を運びたいですネ!


      「江戸時代から現代まで、歴史・文化・アートのまち散策(約6.5㎞)」

コースは;JR御徒町駅  スタート 湯島天満宮右学問のみち右アーツ千代田3331右鳥越神社右鳥越おかず横丁右佐竹商店街右下谷神社右アメ横商店街右摩利支天 徳大寺右上野案内所  ゴール
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夜中、降っていた雨も早朝に上がり、6月22日(水)曇りながら蒸し暑い御徒町駅ハイへ。雨具を用意したオジン隊4人が駅北口に10時集合。改札口を出たところで駅員さんが受付。久しぶりに元気な顔が揃いました。都内ウォークのため、参加者は多数。コロナ渦なので、都内では珍しい新幹線の除菌ウェットティッシュをいただきました。

御徒町は江戸時代から御徒(おかち)と呼ばれる武士が多く住んでいたのが地名の由来。地図でコースを確認しながら、ウォーカーの後について行きました。駅前の雰囲気は近代的になり、
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だいぶ変わっていましたが、高架脇・下に広がるアメ横商店街の出入口が見えます。400以上の商店が軒を連ね、食料品、鮮魚、洋服、ブランド品などを販売。年末買い出しの混雑は、年末の風物詩となっています。名前の由来は、屋が多かった説やアメリカ進駐軍の物資取り扱いからの両説があります。途中、昔ながらの寄席「上野広小路亭」の建物と出入口に出演者の紹介写真が張られてていました。


再会を喜び、雑談をしながら、最初のポイント島天満宮をめざし直進。
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車が多く排気ガス漂う、中央通りの上野広小路を過ぎ、不忍池の緑地を右側に
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見ながら不忍通りを横切って間もなく、天満宮の不忍通用門から境内へ。

湯島天満宮[456(雄略2)年、雄略天皇の勅命により創建。本殿横に梅の老木やなで牛が置かれていて、学問の神様菅原道真公が祀られていて、合格祈願の絵馬もたくさんぶら下がっていました。
境内で茅の輪くぐり[心身を清めて厄災を払い、無病息災を祈願〕、参拝記念撮影

湯島天神の参道を出て、ふたたび御徒町駅へと引き返します。学問のみち[湯島天神から仲御徒町駅までの細い道を学問の神様にちなむ〕は通らずに、1本先の道を進みます。黒門小学校を右手に見るはずが左手に。黒門町の名前が古典的で恰好よく話題に...。結局、中央通りに出ればよいのでそのまま直進。

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最終的には、中央通りに出ることなく、右折して人通りの少ない道を進み、旧練成中学校を過ぎて練成公園の先に中学校を改修して誕生したアーツ千代田3331[2010年に開館した、千代田区にある民設民営のアートセンター。展覧会やイベント、ワークショップを開催〕へ。外観のみ。

やっと中央通りに出て、外神田5丁目の交差点を左折して蔵前橋通りを1.2㎞直進。途中、二長町交差点で約半分。少し前を天満宮で写真を撮ってくれたご夫婦が歩き、信号で一緒になったり。清州通りの鳥越1丁目で、鳥越神社を見終わったウォーカーと遭遇。この後、左折すると佐竹商店街から下谷神社方面へ行くことになります。

まずは、そのまま直進。長くてくたびれました。中間地点の近くに浅草橋3丁目の交差点。
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鳥越神社はすぐ目の前でした。鳥越神社[651(白雉2)年、源義家が前九年の役の際、白い鳥に浅瀬を教えてもらい難を逃れたことから「鳥越大明神」の社号を奉った〕。境内は閑静で、案内板に6月例大祭の案内が掲示されていて、近所のおじさんが宣伝と写真を撮ってくれました。

通り道に「浅草橋」の地名があったので、おじさんに「浅草橋駅」を教えてもらうと、近くだとのこと。ハトちゃんは2日前に左足がつって、歩行が十分でなかったので、ここでリタイア。本日の駅ハイゴールまでを先輩たちに頼み、来月の候補地は新小平に決定。

メンバーと別れて神社前の蔵前通りを横断し、セブンイレブンの横を直進して中央・総武線のガード下まで約3分。浅草橋駅がこんなに近いとは意外でした。駅エレベーターに乗ってホームに出ると、間もなく千葉行きが到着。12時前に最寄りの幕張本郷駅に到着。本日の歩行は1時間で、約半分の3.2㎞。梅雨時で雨に降られないラッキーな駅ハイでしたが、完歩できずに残念!

[付記〕 先輩たちはゴールまで完歩。終了後にメール(抜粋)が届きましたのでご紹介します。

兼子隊長 帰宅して確認すると、14,400歩でした。上野界隈は昼時でも飲む人が多く、国際的な
     街だと分かったのも今回の駅ハイのお陰でした。それと、摩利支天徳大寺を知ったのも
     収穫でした。

山根副長 久しぶりに歩いたなという感じです。皆さんと別れたあと、時間も早かったので、久し
     ぶりに上野周辺(国立博物館の琉球展など)にも寄れましたので、ちょっと充実した
     かなという気分でした。

遠藤副長 本日、帰宅後に愛犬の散歩をしました。約3.5㎞は、歩いたと思います。夜中や明け
     方に足がつらないかと心配です。



6月19日は父の日。前日の疲れは睡眠でだいぶ回復。スーパーでお中元を知人に贈る手続き後、4日ぶりに筋トレへ。

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1階のアリーナで、市役所の職員でお世話になった方に出会いました。本日は市民スポーツ指導員実技&講習会の参加者が来館。約30人ぐらいが指導者のもと、実技ユニカール―氷上で行うカーリングを屋内で手軽に楽しめるようにと、1979年にスウェーデンで考案されたスポーツ)指導に聞き入っていました。

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そういえば、ハトちゃんも今から7~8年前まで約10年間、講習を修了して市スポ(略称)の資格を取得。地域スポーツ振興のため、年間5~10回、ソフトボールやバレーボール、少年野球やパークゴルフ、ウォーキングのお手伝いをしていましたが、活動日が土・日曜で、田舎での野菜収穫や行事とのブッキングで、10年を区切りに習志野市に返上し、やめました。退職して無職の今ならできそうですが、体が以前のように付いて行かないので無理ですネ。

コロナ渦で地域スポーツが自粛され、市スポもだいぶ減って、今回新たに市が募集したそうです。若い人たちが多く、地域スポーツ発展のために、ボランティアで大変でしょうが、ぜひとも頑張ってほしいものです。



父の日の前日(6/18)は、八王子の実家で剪定後のゴミ整理。持参した野菜は16日に収穫した、にんじん、新玉ねぎ、新ジャガイモの他、乾電池と湿布薬で8.2㎏。9時過ぎに実家に着くと、ちょうどデイサービスの送迎バスが来ていました。母を見送った後、着替えて作業開始。

間もなく隣宅で建設業者か外構作業を開始。先日、業者に連絡をとり、母の所に建物工事の平面図と立面図が届いていました。コンクリートを混ぜる音がうるさい中、1週間前にが剪定した木々を剪定ばさみでゴミ袋に小さく切って詰めました。

前回の倍以上の量があり、午前中に玄関横部分を片付け、午後から庭の方をやりました。
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アジサイの枝は中が空洞なので簡単に切れましたが、南天は実がこぼれたり、松は針葉樹なので慎重に切って入れるなど、結構、面倒でした。
切れない太い枝だけ別にして、その他はゴミ袋にギュウギュウに詰め込んで45ℓ計7袋。その後、あたりを清掃し、16時半の電車に合わせて、ツゲとドウダンツツジだけ揃えて終了。

暑くなる予報でしたが、作業中、曇っていたので思っていた以上にスムーズに。一人だったので途中で飽きて来ましたが、何とか全部片づけました。
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帰りは16時37分発の特別快速を利用。御茶ノ水駅から中央・総武線に乗るとラッシュアワー時間帯で混雑。帰宅したのは18時過ぎ。筋トレの用意はしていましたが、疲れてお休み。妻が夕食とお風呂を用意してくれ、早めに寝ました。


小雨が降り続く6月15日は、千葉県民の日。千葉県にある公立学校などが休みになる祝日。由来は、1873(明治6)年6月15日に、木更津県印旛県合併したことで今の千葉県ができました。1984(昭和59)年に、この日を千葉県民の日にすることが決められました。

千葉県にある施設の多くは、県民の日に利用料金や入場料金が割引になったり、無料公開されるので大いに利用することをおすすめします6/15は「千葉県民の日」無料・割引スポット23選 県民以外もお得 | 子供とお出かけ情報「いこーよ」 (iko-yo.net)。とくに、今年は新型コロナ感染者が減って、中止されていたイベントも多く復活されました。

習志野市の体育施設も同様で、1日だけ利用料金が無料になります。

いつものように市立東部体育館に筋トレに行くと、入口に利用者が集まっていました。受付の女性に聞くと「今日は県民の日で無料です」と。ハトちゃんは、障がい者のため利用料金が無料だったので、すっかり県民の日を忘れていました。「おめでとうございます」と言って受付を済ませ、早速、トレーニング室へ。感染対策で先着15名は変わらず。いつものメンバーの他に、見慣れない利用者の顔を発見。

トレンドミル(ウォーキング)30分を終えて、トイレに向かう際、2階からアリーナ(1階)を眺めると、市立習志野高校のバレーボール部員がハッスルしながら練習中。また、中高年対象の卓球サークルも初心者歓迎で、小さいピンポン玉を追っていました。

その後、小生はマシンを使っての筋力アップとストレッチで身体をほぐして終了。明日機関紙の再校後、小見川で野菜収穫明後日は八王子で不慮の交通事故で亡くなられた隣家のご主人の送別があり、二日間できないので、その分も頑張りました。


6月14日、娘が来訪。朝から妻と3人でリビングで四方山話に花が咲きました。夕方、帰った後、自宅近くの農家の方が見え、前日、畑のにんじん収穫を全部終えて、試食用のにんじんを届けてくれました。

その際、たまたま娘さん息子中学の同級生だったことがわかり、「〇〇くんは、頭が良くて、足が速くて恰好よかったよネ」と。言われたとおり、中学時代は陸上部のキャプテンをやっていて、体育祭のリレーや県大会のリレーメンバーだったことを思い出しました。高校、大学も地元習志野で入学し自宅から通学していました。ハトちゃんも応援に行って、精いっぱい声援を送っていました。現在は、薬学部を卒業し、薬局で働いていることを話すと、「畑の傍を通る、赤い自転車に乗っていますよネ」と、息子の顔も覚えていました。

習志野の地に移ってから25年経ちますが、小生は全然知らずに妻も同様で、話してみて発見することもあるんですネ。

息子が仕事から帰って来て、娘さんを覚えているかを聞くと全く覚えておらず、クラブだけに夢中になっていて女の子には関心がなかったようです。夕食時は、テレビも観ずに中学時代の話で盛り上がり、妻の若い頃の運動神経がよくて、体育祭や地域の対抗戦での活躍まで出て大笑い。小生が中学・高校時代に足が速かったことは、「体弱い」イメージからほとんど信用されず、苦笑い。
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付記〕前回のブログの黄色い花ですが、愛読者の方から金糸梅キンシバイ)だと教えていただきました。キンシバイは中国原産の半常緑低木で、日本に持ち込まれたのは江戸時代中期で、その
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頃から観賞用として栽培されてきました。緑の葉と黄色い花が人気で、近年では庭木としてだけでなく、公園や街路樹としても栽培されるようになり、切り花や華道でも利用されているそうです。

ありがとうございました。



ほとんど毎日、梅雨空

5月は雨が多く、草木が一段と伸びてしまった状態。あまりにも見苦しいので、9日から庭の草とりと剪定を玄関横→裏→表の順番で再開6月11日も5時に起床。本日は裏の梅の木赤い実が生った高木の剪定。毎日、作業する木を決定。梯子と剪定バサミ、高バサミを使用。蒸し暑いので、無理をせずにやっています。枝がまだ細いので、順調に作業ができました。ついでに、物置の屋根に上がり、フェンス外の高い篠の高さも揃えました。一人なので、梯子を上った時は慎重にバランスをとりながら続けました。7月で満年齢で古希を迎えますが、来年も剪定ができるかな?結局、筋トレ前の1時間半と帰宅後の枝葉ゴミ収集で2、3時間かかります。
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結果として、90ℓ ゴミ袋1~2個できます。フェンス下の法面(崖)にすべて捨て、地面が下がらないように盛り土にしています。

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夕方、買い物の途中、ハミングロード(習志野京成大久保駅付近)で、色とりどりのアジサイが咲いているのを観て疲れを癒しました。手前の黄色い花の名前がわかりません?


6月10日五月晴れで半袖でもよい日差し。ハトちゃんは、国民健康保険の特定健診のため昼食抜きで、15時受付まで待機。前回までは受付が9時だったのですが、午後予約にしたため、9時からは水とお茶のみでお腹がグーグー。

一応、30分前に医院に着いて手続き。待合室には6人が待っていました。15時過ぎに室内に呼ばれ院長の女医さんが問診。ここ4年続けてなので、同じような内容で答えました。血圧と腹囲を測定。血圧が高く心電図の指示。奥の検査室で、身長・体重を測り、心電図、採血、。今回は1回でうまく採ることができました。30分ほどで健診は終了し、受付でオプションのがん検診代(1,000円)を支払い1週間過ぎての結果説明を言われました。

帰りに、妻が毎日のウォーク(6千歩以上)で「実籾本郷公園の菖蒲が見頃よ」と話していたので、医院の傍なので立ち寄りました。

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四季折々の花木が楽しめるこじんまりとした公園は、自然が残っていてゆっくり散策できます。旧鴇田家住宅(県指定有形文化財)前の菖蒲田には、白、紫、ピンク、紺色など色とりどりの菖蒲が沢山咲いていて目の保養になりました。紫系の花が多かったのと一輪一輪の花が大きいので、とても鮮やかで見栄えがして素晴らしい!平日にもかかわらず、菖蒲観賞や写真を撮っている人たちの姿が目立ちました。横にかわいいアジサイも咲いています。自宅から歩いて片道15分くらいの場所にあるので、毎月1回は足を運んでいます。
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公園を出て、上り坂を進むと左側に県立実籾高校があり、ちょうど土手の草刈りをしていた造園業の人たちに「きれいになりましたね」と、声をかけました。帰宅してすぐ昼食をとり、やっと一息つきました。


と一緒に6月5日(日)梅雨の合間に、義兄宅(小見川)で野菜収穫。今回は新玉ねぎ新ジャガイモが中心で他にそら豆と今春最後になるスナップえんどう絹さや

最初に妻と豆類を取って、残った枝葉を空き地に一輪車で運ぶ作業を一人でやりました。その間、義兄と妻は、ジャガイモ掘りを担当。さすがに義兄は慣れた手つきで早く、妻も教えてもらって2畝頑張って取りました。手袋が真っ黒に。予定時間を30分超過。義兄が前日、取ってくれた玉ねぎ3箱に、ジャガイモ他の野菜でトランクはほぼいっぱいに。

帰宅後、まず玉ねぎの白と紫を分け、大きさも分類。そら豆は大量でしたが、妻と二人で皮を剥き、夕食時に妻が茹でたそら豆をいただきました。固くなった物も多く、前回が一番旬で美味しかったです。その日は疲れもあり、野菜の整理は翌日以降に...。

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雨が降り続いたこともあり、作業は取った梅の実で梅ジャムを妻が作ったくらい。8日午前中(曇り)に妻とジャガイモの泥をたらいの水で落としてからテラスに干し、乾かしてから段ボール箱に大中小とキズ物に分類。妻が酒々井アウトレットパークに買物に行っている間、残っていたそら豆を剥く作業。結構、厚い皮で親指の爪先を痛めました。とりあえず、食べられる量を冷蔵庫に、残りは冷凍にして保存しました。

野菜の収穫は取る量と時間を決めてできますが、収穫してきた野菜の後処理(洗い、分類、料理)は大変で、長時間かかります。良いところは、新鮮で美味しい野菜を食べられることです。

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筋トレの帰り道、習志野二中のフェンス前に色とりどりのアジサイが開花。通行人を楽しませてくれます。


激しい雨が予想された6月6日、朝から降り続いた雨は一日中降っていましたが、先週3日ゲリラ豪雨(強風・ひょう・冠水)ほどでなく一安心。しかし、気象庁は西日本を飛び越して関東・甲信地方の「梅雨入り」宣言。朝の予報では、「来週には?」と言っていただけにビックリしました。

普通はオホーツク高気圧と太平洋高気圧の間に前線ができて、南から北上し、順次、梅雨入りとなるのですが、今年は南の高気圧の張り出しが弱く、梅雨前線が例年より南に下がっているので、まだ梅雨入りはないと思っていました。

午後のニュースで「梅雨入り」が発表され、解説によれば各気象地グルー
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プの協議によって決定。理由として、1.必ずしも前線の位置には関係ない 2.雨や曇りが2~3日続く 3.豪雨などの被害が出る恐れなどを喚起させる といった意味合いがあるそうです。特に、明確な基準はなく、昨年みたいに当初の梅雨明けを9月に訂正して遡って確定させるそうです。

こうして考えると、日にちの決定に意味があるとは思えません。今年は5月の雨の多さは異常で、5月に梅雨入りしたと考えた方が自然かも?

これからは、雨が降る確率が増えるのは確かです。食中毒カビの発生洗濯物干しなど気をつけなければなりません。折り畳み傘は必携になります。線状降水帯による集中豪雨も心配です。

約1~1.5カ月すれば、今度は湿気の多い猛暑がやって来て、ハトちゃんの嫌いな夏になります。今のうちに体力をつけて暑い夏を乗り切らねば!

6月3日は、整形外科付き添い。持参した野菜はにんじん、玉ねぎ、小松菜、ジャガイモ、キャベツなど4.8㎏。9時半過ぎの電車で約2時間。昼食は駅前のスーパーでかつ丼(税込321円)。ボリュームがあり美味。いつも買って行きます。

福祉タクシーが来る間、隣地の様子を見に...。解体工事が終わり、整地されていました。なお、これまで使用していた境界のブロックを壊して、新しいブロック上に境界矢印のピンが設置されていました。
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しかし、建設業者からどういう建物が建つのか連絡がなく、工事期間のチラシが届いているだけ。建物の大きさ、高さ、境界と建物の距離、日照問題など、隣りの方に聞いてもよくわかりません。周囲がお年寄りばかりなので関心度が薄く困ったものです。来週早々、問い合わせてみます。

福祉タクシーの迎え時間は予定通り(13:15)。母と一緒に病院へ。時雨は幸運にもやみました。

西八王子駅前の病院。出入口で早朝体温と問診。受付をすませ13時45分予約の整形へ。来院者は10人ほど。3番目に呼ばれました。簡単な問診後、いつもの注射を打ってくれました。次回の予約は2カ月後。診察が終わり、会計に書類を出し支払いを済ませ向かいの薬局へ。

薬をもらい福祉タクシーに電話。混んでいて15分待って迎えに来てくれました。実家に戻って、4日前に弟が、ケアマネージャーやデイサービス担当者との会議前に剪定した木々をゴミ袋に小さく切って詰めました。その際、ゆずの枝が紛れていて、指に刺さり血が出ました。別にして置けば良かったのですが、固まりの下にあったのを見落とし。ゆずの棘は枯れても刺さるので注意が必要です。

16時半過ぎまで作業。45ℓ ゴミ袋3個。少し残りました。

帰りは17時00分発の特別快速を利用。御茶ノ水駅から中央・総武線に乗るとラッシュアワー時間帯で混雑。さらに急な大雨の影響で8分遅れのアナウンス。帰宅したのは19時過ぎ。妻が夕食を用意していたので一緒に食べました。筋トレは帰りが遅くなったのと疲れでお休み

病院の付き添いは、来月、眼科と内科のダブル受診になります。


6月1日は妻の誕生日。当の本人は、長崎旅行中

早くも6月。急激な円安も加わり、身近な食料品も値上げが相次いでいます。天候は梅雨時を忘れるような夏日が続き暑い日々。5時過ぎからフェンス外の通路に生えた篠やつる、雑草の剪定。簡単に終わると思っていましたが、だいぶ伸びてしまい、約2時間かかりました。とりあえず、庭の片隅に放置し、翌朝ゴミと一緒に捨てることにしました。8時半過ぎに娘がやって来ておしゃべり。午前中、芸能関係や仕事の話など、四方山話に花が咲きました。

午後1時に津田沼へ。МS信託銀行の方から運用報告を受け45分。帰りはJR幕張本郷駅の駐輪場から、直接、今月初の筋トレへ。第3回の受付から遅れること50分。急いで着替えて運動開始。いつもの常連さんから「昨日は短時間で今日はどうかな?」と冷やかされました。

というのも、昨日は午前中、雨で、午後一で出かけましたが、お風呂場の窓の鍵をかけたか不安になって、運動を30分で切り上げたため。結局、ちゃんと閉めてあったのですが、気になり始めると落ち着かず急ぎ帰宅した次第です。

翌2日は風があるのでよいのですが、晴れて暑くなりました。息子有休
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夕方、九州から帰って来ます。冷蔵庫にあったおかずは、ほとんど食べ終わったので、夕食を何にしようか?ただいま思案中。

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