コースは「秋の緑区見沼田んぼ散策」
約8km;東浦和駅 清泰寺大牧氷川女体神社浦和くらしの博物館民家園見沼通船堀東縁桜橋鈴木家住宅大間木公園 東浦和駅 ============================================
コロナ渦で駅ハイが再開されてから、はじめて4人のメンバー
が揃った10月23日(金)、オジン隊は東浦和駅ハイに参加。武蔵野線での駅ハイは久しぶり。今にも降りだしそうな雲行き。霧も発生。車窓から遠景は見えません。
10時集合。その際、小生から妻の実家で収穫したジャガイモ(メイクイーン)を手渡し、待ち望んでいた再会を喜びあいました。雨が降り始め、今年に入って4回連続で雨中のウォーク。「誰が雨男?」という冗談も出て嘆き節。
駅前でカードをかざして手続き。傘をさしてのスタート。和気あいあいと四方山話をしながらのウォーク。
駅東口前のロータリーを横切ってコンビニ前から道幅が広い東浦和駅前通りを北方面に直進。一つ目の信号を渡って反対側を進みます。やはり新型コロナの話題が中心で、安倍首相から菅総理への政権交代やその後の日本学術会議の任命拒否問題に話が及びました。
コロナがいつ頃収束できるか、ワクチンがいつ利用できるかなど。兼子隊長が「いい加減にもうコロナ(来るな)」と言うと、一同大爆笑。また、社会学者の上野千鶴子(東大名誉教授)氏が日本学術会議が推薦した新会員候補6人の任命を拒否した問題について「日本学術会議 から『学術』をとったら日本会議になる」と皮肉って投稿したことも話題に。
メンバーは、話に夢中になって、右折の目印、自動車販売店を通り過ぎそうになりましたが、気づいて富士見坂通りに入って、坂を下って行きます。坂を下りきってちょっと右折したところに寺の門がありました。
最初のポイントである清泰寺〔平安時代の高僧慈覚大師円仁によって開かれたと伝えられる天台宗の寺。武田信玄の次女、見性院の墓や351基の庚申塔、有泉勝長木牌など歴史的価値の高い文化財がある〕は、境内が整然としている古刹で、寺の案内板、見性院霊廟の扉には三つ葉葵の紋(武田家重臣の穴山梅雪の正室で、梅雪の死後、家康に養われたことによる)がありました。
だいぶ雨が強くなってきて、この先、どうするかということになりましたが、とりあえずメインの浦和くらしの博物館民家園まで行くことにしました。先ほど右折したT字路を直進し、見沼西通りをドラッグストアまで急ぐことに...。雨が強くなって来て、山根副長が「雨がやまねー」と(笑)。歯科医院手前で、駅ハイ参加のご夫婦のウォーカーとすれ違い。途中でキャンセルして戻るようです。
オジン隊は雨でも前進。
次のポイントである大牧氷川女体神社にやっと到着。緑区には、氷川女体神社と称する神社が他に二つあり、《三つの氷川女体神社》が、開運や縁結びのパワースポットとして密かな人気になっているそうです。由緒によれば、江戸時代の寛永13年頃に建てられ、三室の神社の祭神(奇稲田媛命)の御子姫を祀ったことになっています。
20段ほど上がったところが境内で、覆い屋の中にある小さな本殿は閉ざされていました。何か女体に関するものがあるのかと探しましたが、とくにありませんでした。
参拝後、見沼代用水西縁の水路に出ました。水路に沿って歩いて行くと、前方には稲刈り後の田んぼが続いていてのどかな田園風景。しかし、雨でゆっくり見る余裕はありません。
国道463号線に出ると、ダンプなどの大型車両の往来が多くなり、浅間橋を渡らずに右折。途中、水たまりが多くできていて、ダンプが通ると溜り水が引っかかることも...。約10分ほど歩くと、芝川が見えて来ました。念仏橋の歩行者用道路を渡って間もなく、右側に浦和くらしの博物館民家園駐車場。駐車場を通って右前方に2軒の民家が見えました。
園内は広く、とりあえず正面の旧浦和市農業協同組合三室支
所倉庫へ。1919(大正8)年に小山市で建築され、1958(昭和31)年に移築されました。大谷石と漆喰の土蔵造りで米の倉庫として利用。
とりあえずトイレ休憩、雨宿りと、農機具や生活用品の展示物を鑑賞。小さい頃見た生活用品に昭和のノスタルジーを感じました。小降りになるかと思いましたが、ほとんど変わらず。5分ほどで退室。この先を協議し、芝川第一調節池の周遊はやめて、芝川沿いを直進してゴールをめざすということに。園内で他の施設見学はやめました。
旧高野家住宅(寄棟茅葺屋根の商家建築)と旧綿貫家住宅(防火に優れた塗屋造り)は、帰る道すがら外観のみ。
国道に出て左折し、念仏橋まで戻って左折。芝川沿いの遊歩道(散歩道)を進みます。芝川第一調整池付近で後方から年配のおじさんと若い青年がマップを持って近づいて来ました。「親子かなぁ?」と思っていましたが、おじさんがスピードを上げて、我々を追い抜いて行きましたが、青年はどういうわけか、ときどき独り言を言いながら、我々の後ろに付いて来ました。結局、ゴールの駅前近くまで一緒に歩くことに...。池は広くて、池畔が整地されているところもありますが、大半は葦で覆われていました。同じような風景なので、コースどおりに周遊して約2㎞歩いても疲れるだけのようで、ショートカットで正解。
青年の話では「今日は家でデスクワークの日で、気晴らしに散歩に来た」そうです。人なつっこい感じで、ポイントで立ち止まると一緒に立ち止まり、見学していました。
芝川沿いの道はところどころ砂利道になりましたが、比較的歩きやすく、雨が降ってい
るせいとコロナ感染予防から、どちらかと言えば黙々と歩いて行き、一時、雨がやみ傘を閉じますが、再び降り出して来ました。ずっと直進で長く感じました。
あやうく通り過ぎそうになった木製の美しい橋である桜橋(現在は補強工事のため車両通行止め)を過ぎると、八丁橋手前の左側に、見沼通船堀東縁が見えました。見沼代用水東縁および西縁と芝川を結ぶ、総延長約1040mの閘門式運河地点も確認。
見沼たんぼが開かれたのは江戸時代中期。享保の改革のため、土木技術家・井沢弥惣兵衛為永 に、数多くあった池沼の新田開発が命じられました。その一つとして、1727(享保12)年に 八丁堤を切って見沼溜井 が干拓され、見沼たんぼが生まれました。農業用水確保のため、利根川から約60kmに渡って用水が引かれ、 見沼たんぼの西縁(にしべり)と 東縁(ひがしべり)の台地にそって水路が掘削され、農業用水が供給されました。
これが 見沼代用水。
八丁橋を右折し、橋を渡って県道103号線を直進。コースは途中の路地を右折するようになっていましたが、東浦和駅が近付いて来て忘れてしまい、大間木公園は県道
から森を見たのみ。さらに直進。途中にあった鈴木家住宅〔1727(享保12)年、鈴木家は高田家とともに井沢弥惣兵衛為永に従って、見沼干拓事業に参加。見沼通船堀の完成で鈴木・高田両家は幕府から差配役を任じられ、江戸の通船屋敷で通船業務をつかさどり、八丁堤などには通船会所を所有〕へ。道路沿いに建つ母屋は年代物ですが立派で、見沼通船の船割り業務を担っていた役宅として貴重な建物です。
途中、右側に二つ目の附島女体神社〔東京湾が大宮あたりまであったことの名残が"附島"という地名で、江戸時代に三室氷川女体神社を勧請して創建。因みに、本殿も《見世棚造神社》で、創建年が不詳〕の鳥居が見えました。三つ目の氷川女体神社は、芝川の上流、見沼氷川公園傍に位置しています。
東浦和駅でゴール。同行していた青年とは、駅前近くでいつの間にか別れました。
その後、地元の方にお勧めの食事処を聞いて駅前通りのコンビニを横断した近く「農家の居酒屋 煉」へ。店内は広くて掘りごたつ式の居酒屋風。ランチメニューは武蔵野うどん&お惣菜ビュッフェ食べ放題1,280円【時間無制限】となっていました。
うどんは食べ放題ですが、品数が無く、単品注文は安くないので、定番ランチを注文。一人前を茹でてから、その後追加注文もできますが、ビュッフェでの総菜や飲み物のバイキングは、店員さんの説明を聞いてもよくわからず、全員戸惑いました。11・12月の駅ハイ参加日時と場所を決めて雑談。うどんは美味しかったのですが、一度、席に着いてからの食べ物、ドリンクは面倒なので、ついドリンクを忘れてしまい、結局は食事のみ。
紅葉にはまだ早い中、雨中、彩の国さいたまの緑と自然をめぐるウォーク(歩行距離は約6.5㎞、1時間半)でした。コロナ渦、全員が健康で楽しく歩けたのは幸いですが、次回こそ、晴れてほしいと願うばかりです。
〔追記〕
後日、兼子隊長からブログアップの返信で、下記の俳句を投稿してくれましたので、ご紹介します。
出かけられずに家にいるので、気がふさぐ日々。
温き冬の日差しのいま部屋にゆれ