「青天の深谷 渋沢栄一論語の里めぐり(約14㎞)」
コース;深谷駅 市民サービスセンター 渋沢栄一翁ふるさと館OAK渋沢栄一 青天を衝け 深谷大河ドラマ館清風亭・誠之堂尾高惇忠生家鹿島神社渋沢栄一記念館旧渋沢邸「中の家(なかんち)」諏訪神社道の駅おかべ 岡部駅
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新型コロナ感染対策のため、オジン隊は駅ハイを中止。東浦和(2020年10月23日)以来、1年ぶりに、今年のNHK大河ドラマ主人公、渋沢栄一のふるさと、深谷へ(2021年10月28日)。
高崎線深谷駅へは、上野から高崎線で、籠原駅の次駅。上野から普通電車で約1時間20分かかります。当日は、晴れて行楽日和。1年ぶりのメンバーはコロナで自粛生活を強いられましたが、元気に再会できたことを喜びました。
駅のホームに、近代経済の父といわれる、「渋沢栄一生誕の地・大河ドラマ「青天を衝け」の写真・横断幕が掲げられていて、駅舎は日本煉瓦の代表地にふさわしく東京駅丸の内駅舎の赤レンガと同じ造りが目を惹きます。
構内の市民サービスセンター(観光案内所)で受付。今回は距離の長いコース。早速、マップを見ながらスタート。新型コロナ渦の生活や健康管理、母校の先輩である菅首相の政策などが話題に...。
まず、北口の駅前広場公園には、渋沢栄一翁の座像が下から見上げるようにあります。また、ご当地キャラの「ふっかちゃん(耳が深谷ネギになっている)」人形も回転して飾られていました。
駅前通りを直進。左側に渋沢栄一翁ふるさと館OAK(深谷の情報発信と地元物産を販売する街の駅)。
館内は休憩処になっていて、地域と訪問者をつなぐ、一息できる場所になっています。城址公園の先から3分ほどで新たに期間限定で建てられた
深谷大河ドラマ館へ。出入口前には、大きな新1万円札の看板、入館するとドラマのストーリーや衣装などの展示、出演者のパネル、セットの一部を再現、栄一翁の活躍した偉大な足跡を紹介しています。
その後、唐沢川の土手に上がって、川沿いの遊歩道を直進。国道17号線バイパス下のトンネルをくぐり、小山川との分岐点へ。小山橋手前で左折して、小山川沿いの土手を歩きます。遥か前方には、赤城山も見えました。
この土手歩きは橋と橋との間が長い。川幅は狭く、河川敷は葦の大群生がほとんど。日陰が全然無く、単調で大変。風が少しあったので助かりました。
やっと共栄橋手前の北部運動公園が左側に見えて、芝生広場を通り、誠之堂・清風亭の建物前へ。乗り降り自由の循環バスを見かけました。公園事務所に立ち寄り見学を希望。
誠之堂―1916(大正5)年、栄一翁の喜寿(77歳)を祝って第一銀行の行員た
ちの出資により建築されました。 名前の由来は、渋沢栄一自身により名づけられ、儒教の代表的な経典のひとつ「中庸」の一節「誠者天之道也、誠之者人之道也(誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり)」にちなんだもの。煉瓦造平屋建、建築面積112㎡。外観は英国農家に範をとりながらも、室内外の装飾に、中国、朝鮮、日本など東洋的な意匠を取り入れました。
清風亭― 1926(大正15)年、当時第一銀行頭取であった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念し
て、清和園内に誠之堂と並べて建てられました。建築資金は、同じく第一銀行行員たちの出資によるもの。建物は、建築面積168㎡で、鉄筋コンクリート造平屋建。外壁は、人造石掻落し仕上げの白壁で、対称的に黒いスクラッチタイルと鼻黒煉瓦がアクセントをつけています。
見学後、共栄橋を渡って、県道14号・伊勢崎深谷線の大塚から下手計の交差点
を左折すると、間もなく尾高惇忠[世界文化遺産富岡製糸場初代場長・栄一翁のいとこで、学問の師でもあり、製糸場の設立に尽力〕の生家前へ。内部は自由見学ができ、係員が説明してくれます。
鹿島神社[渋沢栄一と関係が深く、幼い頃の遊び場で、恩師だった尾高惇忠生
家から約300m離れた場所にあり、境内には、栄一らの有志が尾高惇忠の偉業を称え、「藍香尾高翁頌徳碑」を建立した〕を参拝。
神社の先に屋根が丸くて、横長のちょっとプラネタリウム似の渋沢栄一記念館が見えて来ます。
記念館前は広い駐車スペース。駐車場を横切り、渋沢栄一記念館
[1995(平成7)年開館。に入館。館内は無料で、ガイドさんがいて、説明してくれます。イメージキャラクター「ふっかちゃん」がお出迎え。 1階と2階にかけて、栄一翁の写真や資料がたくさん展示されています。大河ドラマ人気で観光客が多く、説明を聞いていました。
館外に出て、小山川沿いの土手を進むと、青淵公園が広がっていて、公園の裏手から、渋沢栄一の生家(中の家)へ。
このあたりを「論語の里」と呼んでいます。
栄一翁は1840(天保11)年に生まれ、養蚕や藍玉作りと販売、雑貨屋・質屋も兼ねて裕福な家庭で育てられたとのこと。立派な門構えで、広い敷地に、塀で囲まれています。
現存する主屋は妹夫妻が1895(明治28)年に建てたものだそうです。主屋内も見学。和室に栄一翁のアンドロイドが座っていて、ちょっとビックリ。敷地内には栄一翁の写真と案内板がありました。
「近代日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一は、幕末~明治維新にかけて、尊王攘夷に傾倒、その後、一橋慶喜に仕え、次第に認められていきます。15代将軍徳川慶喜の実弟・昭武に随行しパリの万国博覧会を見学し、先進諸国の内情に通ずることができました。その後、明治政府に招かれ大蔵省の一員として新しい国づくりに関わります。
1873(明治6)年、栄一翁は一民間経済人として活動し「第一国立銀行」の総監役(後に頭取)になり、それを拠点に、生涯に約500もの企業に関わったといわれています。
91歳で、長い生涯を閉じましたが、二人の妻がいて、先妻の千代がコレラで早死。路頭に迷って芸者の働き口を探していた兼子を、愛人にする話から再婚にいたったそうです。
先妻との子が3人、後妻の間に儲けた子は4人。と、これだけでも十分子沢山なのですが、愛人が数多くいたため、その庶子を含めると20人以上も子どもが生まれています。そのため現在までで子孫は100人以上いるんじゃないか、なんてこともいわれています。著名人を多く輩出し優秀なDNAをバラまいてくれるのは結構ですが、ずいぶんお盛んだったんですねぇ...。
昼食時間を過ぎていたので、付近の食事処「麵屋 忠兵衛」を覗きましたが、待ち人多し。栄一翁の好物で、深谷の名物「煮ぼうとう」をパス。
結局、相談の上、コースどおりの岡部駅の方が深谷駅より少し近いので、道の駅おかべから岡部駅に出ることにしました。
お腹を空かせ、途中にある諏訪神社前を通って、コンビニのある交差点(国道17号バイパス)を
右折してバイパスを直進。岡(東)交差点傍にある道の駅おかべ[深谷ネギはもちろん、深谷の特産物・農産物・郷土料理、地酒などを販売〕へ。遅い昼食を「そば蔵」で...(14:26)。
量も多くて美味しい食事をいただいた後、岡部駅まで1.5㎞(約20分)かけて、岡部駅でやっとゴール。1年ぶりの駅ハイは、中止になった分を取り戻す、約15㎞(2万歩)を超えるロングウォークになりました。それにしても、メンバーはよく頑張りました!
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[付記〕後日、メンバーからメール(抜粋)が届きましたので、ご紹介いたします。
兼子隊長...深谷駅ハイお疲れでした。15キロも歩いたのは1年ぶりとしては長い距離でした。
渋沢栄一オンパレードで、2、3日は疲れが出るかも。歩数は24,775歩でした。
遠藤副長...長いウォーキングでしたが、楽しかったです。皆様、お疲れさまでした。
さて、私の携帯アプリによると、歩いた距離は深谷駅から道の駅おかべまでが 13.69
㎞、道の駅から岡部駅までが1.62㎞、合計15.31㎞となっています。随分歩いたものだ
と思います。
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