オジン隊 「JRウォーク」で 荻窪へ

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        「街に眠る自然・文化を再発見する道(約11㎞)」

コースは;JR荻窪駅  スタート 西郊ロッヂング右読書の森公園右大田黒公園右(仮称)荻外荘公園右角川庭園・幻戯山房(すぎなみ詩歌館)右善福寺川緑地右田端神社右中道寺右与謝野公園右荻窪南口仲通り商店会右荻窪駅右東京工芸大学杉並アニメーションミュージアム右荻窪 白山神社右JR荻窪駅  ゴール
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2021年12月17日:早朝の雨も上がり、先月に続いて、オジン隊はJR中央線の荻窪駅ハイ4人で参加。駅南側の自然・文化が残る地域をめぐりました。

荻窪は、「」...イネ科の多年草植物で、ススキに似て河川敷などの湿地に群生。が低い地に繁茂していたことに由来。飛鳥時代、仏像を背負った行者が縁があると思い、生い茂っていた荻を集めてお堂を建て、通称「荻寺」と呼ばれる寺の周辺を「荻窪」と呼ぶようになったそうです。

駅はカルチャーが色濃い中野~吉祥寺間の、ほぼ中間に位置していて、アクセスが便利。東京メトロ丸の内線の発着駅にもなっています。北口にはラーメン激戦区として、多くの店が並ぶラーメンの聖地。大正から昭和初期には、東京近郊の別荘地として「西の鎌倉東の荻窪」と称されていた高級住宅地で、文化人に愛されたまち。太宰治や与謝野晶子、角川源義や近衛文麿など、多くの文化人が荻窪に居住していました。

スタートして、線路沿いを進み、中華そば店を右折して細い道に。少し歩くと閑静な住宅街が広がっています。

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まずは、住宅街の角にある西郊ロッヂングへ。登録有形文化財に認定されている、1938(昭和13)年建築された当時を象徴する建物。古びた外観は独特な雰囲気。新館と本館があり、本館は現在も純和風旅館として営業中だそうです。
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次は、荻窪体育館前の読書の森公園。園内に入ると、紅葉が散って落葉が散乱。池の先に杉並区立中央図書館が併設されていて、杖を持ったガンジーの立像があります。借りた本を園内で読書できる珍しい図書館。

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園内を散策後、西郊ロッヂングまで戻り、左折して間もなく区立大田黒公園。音楽評論家の大田黒元雄氏の屋敷跡地に造られ、樹齢100年を経た大イチョウの並木道を通り抜けます。残念ながら、黄葉は散っていました。落葉を集める管理人がいて、聞くと「入場無料で都内屈指の紅葉・黄葉の隠れた名所」とのこと。その先に回遊式日本庭園があります。閑静な佇まいは別荘地として栄えた、当時の荻窪を感じられます。機会があれば、再訪したい場所です。

続いて、マップに沿って進みますが、ミラーが多くあり、道が分かりにくくなりましたが、
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地理に明るい遠藤副長のおかげと、リーダー兼子隊長の判断で、坂を下った先に、(仮称)荻外荘公園近衛文麿の別邸で、敷地全体が国の史跡認定。芝生広場、遊歩道が整備された簡易な公園。邸宅跡地等は整備予定中。立派な門構えの先に広大な芝生が続いていました。

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角川庭園・幻戯山房すぎなみ詩歌館)は、コース近道を直進したためカット。ミラーまで進み右折。右側にマンションが立ち並びます。紅葉はまだ残っていました。直進後、突き当りを左折して交通量の少ない道を直進して、善福寺川緑地のほとりに。以前は富士山を望む景勝地として別荘や高級住宅が建てられ、あたりには今も立派な建物が見られます。

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その後、いくつもの橋を過ぎながら川沿いの遊歩道を進みます。しばらく歩いて尾崎橋を渡ってコンビニ「ミニストップ」の横からいったん、一般道に出て道なりに。成田西児童館を過ぎ、4つの信号を越え、国旗が店頭に掲げられた南イタリア料理店前から階段を下りて、再び善福寺川の道へ。ここでトイレ休憩。

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再び川沿いの道を進みます。途中、河岸工事中。細い橋を渡り、マップに沿って歩いて行くと田端神社。神社は菅原道真を祀り、足痛・腰痛を治癒する神社として知られています。茅ノ輪くぐり後、参拝。


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神社を出て間もなくコース中間地点で6㎞弱。「まだ半分か。結構、長い」とメンバーは感じました。その先の橋を渡り、松渓中学、松渓公園手前に、緑のトンネル。公園を右折。間もなく中道寺[日蓮宗:1582(天正10)年創建。本堂正面にある鐘楼と山門を兼ねた珍しい様式で区有形文化財に指定。本堂前で記念撮影

参拝後、交通量の激しい環八通りを横断して、与謝野公園へ。この公園も
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与謝野鉄幹・昌子夫妻が晩年を過ごした住居跡を整備し、1982(昭和57)年南荻窪公園として開園。その後、与謝野公園と改称。二人が詠んだ歌碑などがあり、駅ハイ参加者とともにメンバーはじっくり案内板や歌碑を見学。

見学後、コースどおりに環八通りに出て横断し、歯科が見えて右折。善福寺川の忍川上橋を渡って通りの狭い荻窪南口商店会のお店を見ながら荻窪駅方面へ。昔ながらの小売店もあり、住宅街と駅を結ぶ商店街は、人通りも多い。

この後、コースは北口側が残っていましたが、残るポイントも二つだったのでショートカット。ゴール後、駅前で昼食。来年1月の船橋駅ハイを決めました。

荻窪は少し歩くだけで歴史が垣間見え、新旧文化、商業が盛んなベッドタウンで、自然も多い落ち着いた雰囲気のまちでした。
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【荻窪駅ハイ後、新型コロナ第6波の急増により、オジン隊は5月の両国まで断念しました】

付記〕終了後、メンバーからメール(抜粋)が届きましたので、ご紹介します。

兼子隊長...3時前に家につきました。心配された雨も上がり、今年最後の荻窪駅ハイも無事終了し
   ました。お疲れ様でした。私の歩数は16,000歩。運動不足がたたり、やはり疲れました。

遠藤副長...荻窪駅ハイ、雨も上がって歩くことができて良かったです。駅ハイ、いろいろな場所に
    行きましたが、どこでも神社、仏閣が見どころの一つだと思いました。では、寅年の来年
    もよろしくお願いいたします。

山根副長...荻窪駅ハイお疲れさまでした。雨が止んで助かりました。こちらの歩数は、家までの往
     復の歩きを入れて2万歩になりました。さすがに疲れました!
      新型コロナウイルス感染が今の状態のままであれば良いのですが、オミクロン株の
     感染が広がらないよう願いながら、正月の箱根駅伝を楽しみたいと思います。


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このページは、hatochanが2022年6月24日 20:53に書いたブログ記事です。

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