早いもので、オジン隊の全員で北千住に行ってから4ヵ月。その間、ハトちゃんちはリフォーム工事で4/12まで家を離れることができなくて、2、3月と不参加。 たどたどしく思い出しながら、ブログを書いています。
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「月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行きかふ年も又旅人也」という序文からはじまる 『奥の細道』。
1689(元禄2)年、46歳の松尾芭蕉は、弟子の曾良を伴として江戸の深川を出発し、陸奥、出羽、北陸の各地をまわる旅に出ました。そして8月21日、美濃の大垣に到着。156日間、476里(2,400km余り)に及ぶ長旅の中で、特に印象に残った出来事や訪れた場所の様子を文章にまとめ、俳句を一句詠むという形で著しました。
コースは;北千住駅 千住街の駅学びピア21(芭蕉像その1)勝専寺(赤門寺)千住神社(富士塚)富嶽三十六景「隅田川関屋の里」矢立初の芭蕉像(芭蕉像その2)富嶽三十六景「従千住花街眺望ノ不二」 素盞雄神社荒川ふるさと文化館(芭蕉像その3)都電荒川線三ノ輪橋停留場延命寺・小塚原刑場跡松尾芭蕉像(芭蕉像その4)南千住駅
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本日(1/12)は、芭蕉旅立ちの地ともいわれる千住を訪れました。
駅ハイ「4つの芭蕉像と富嶽三十六景の地をめぐる千住散歩(約8.5km)」に出かけました。
北千住駅10時集合でしたが、兼子隊長が電車の乗り換えを間違って、30分ほど遅刻。改札口付近で待っているとやっと到着。新年早々、幸先の悪いスタートに。
まずは年始の挨拶。
その後、隊長から理由を聞いて納得。話をしながら歩き出しました。早速、話題になったのは井山、羽生両棋士の国民栄誉賞受賞。
まず、西口を出て、駅前通りからりそな銀行を目指します。銀行前を横断して、宿場
町通り〔江戸時代の日光街道と奥州街道の宿場で千住宿があった〕へ。下町らしい商店街になっています。最初のポイントで昭和レトロ風な千住街の駅〔情報発信基地で観光案内も兼ねている〕前を通過。遅れていたので立ち寄らず。
直進して珠算学校の角を左折。間もなく旧日光街道の先に学びピア21
の建物。入館すると、ガラスケース内で最初の芭蕉像が座っていました。
人気番組「プレバト」で芸能人の俳句作りに、添削者は、毒舌の夏井いつき。指摘が好評で、俳句ブームが起こっていますが、江戸時代の先駆者である芭蕉の偉業に花が咲きます。都内ということもあって多くのウォーカーと出会います。
その後、旧日光街道を北千住駅方面に戻ります。途中、千住3丁目にある千住本氷川神社〔1307(徳治2)年創建。千寿七福神大黒天〕は外観だけ。神社を右側に見て、先ほどのりそな銀行がある駅前大通りを横切って進み路地を入ると、勝専寺〔浄土宗;1260(文応元)年創建。「赤門寺」で知られる。現
在の本堂は、
1906(明治39)年に建立されたもので、住職は洪水の多い地域であることを考え、インドにある寺院を模して、コンクリート製〕。正面にまわり赤門を確認。一礼のみ。
荒川の水底から引き上げられ、千住の地名由来になったという木造千手観音立像が安置されているそうです。
寺を出て右折すると、国道4号線(日光街道)に出ると、交通量が増えます。横断して、中居町会館
の先の五叉路の歩道橋を渡って千寿青葉中の前を通ると間もなく千住神社〔創建は926(延長4)年、平安時代の千崎稲荷が前身。1051年八幡太郎義家が当社に本陣を置かれた時にはすでに現在地に移した。
「史跡八幡太郎源義家陣営の地」記念碑あり。大正に入ると千住神社と改称し社格も郷社となり、足立区内最高の格式とされた〕へ。また、千寿七福神の恵比寿天も祀られています。
本殿の他に神楽殿、神輿蔵、いくつもの末社、そして富士塚もあります。
その後、再び国道に出て千住警察署入口を横断して駅方面に進みます。線路手前の左側に東京芸術大の建物があり、右に曲がってミリオン通り商店街を進みます。突き
当りを右折すると墨堤通り千住仲町公園前に氷川神社(七福神弁財天)と、道端に葛飾北斎の富嶽三十六景「隅田川関屋の里」の碑があります。
墨堤通りを横断し、常磐線の高架沿いに進むと、200mで右折し
桁下1.6mの低い高架を頭を下げて通過。やっちゃば緑道の土の道に入ります。脇の家々は下町の情緒が...。緑道は常磐線路に沿っています。。「やっちゃば」とは、競り市場のことで、足立市場の競りのかけ声が由来です。
道なりに右手に進むと足立市場〔都内唯一の水産物市場。千住の魚河岸としても有名で
、一般客も一部買物できたり、食堂利用、マグロ解体ショーも行われます〕前
を通過。コースの中間地点。昼近くなので、閉散した状況。隅田川にかかる千住大橋のたもとに...。富嶽三十六景「従千住花街眺望ノ不二」の碑と矢立初めの芭蕉像と句碑がある大橋公園へ。場所がわかりづらく、ウォーカーに教えてもらって確認。
国道を横断して千住大橋方面へ。
幅広で長く、交通量の多い千住大橋を渡って直進。間もなく右手に素盞雄神社〔795(延暦14)年、修験道の開祖・役小角の高弟で、黒珍が牛頭天王・飛鳥権現が降臨したという奇岩を祀り、創建したと伝えられる。御祭神は天照大御神の御弟神。八俣大蛇を退治し、その尾から天叢雲剣、後の三種の神器の一つ<草薙の剣>を取り出し、天照大御神に献上した勇敢な神様〕へ。
江戸時代に建てられた松尾芭蕉の碑が本堂の横に。芭蕉碑:1820年(文政3)10月12日の芭蕉忌に、千住宿の文人達が建立。風雨により剥落損傷が激しくなったため、1995年(平成7)に復刻。
すぐ傍の荒川ふるさと文化館へ。文化館前には、安政の大獄で刑死した幕末の志
士橋本左内(1834~59)の陶製座像が屋根付きであり、入館すると旅姿の芭蕉像がありました。チラシの半券を渡すと展示室入館が無料に。
その後は、コースマップに沿って、政治や経済、芸能関係など和気藹々と話をしながら、総合スポーツセンター前を通過。メンバー全員が中高年の病気の知識や健康増
進の必要性を痛感。三ノ輪銀座商店街を通って、日光街道に出て、都内唯一の都電(路面電車)荒川線の起点駅・三ノ輪橋停留場は通りからちょっと覗くだけ。
コースにはコツ通り商店会も通るようになっていて、いくつもの商店街を通らせる目的だったのと時間の関係で隊長判断で、延命寺・小塚原刑場跡もショートカット。真っ直ぐ南千住仲通りから直進して、南千住駅前へ。
駅西口ロータリーには、松尾芭蕉のブロンズ像が立っていました。2015(平成27)年3月に「奥の細道千住あらかわサミット」を
記念して造立。芭蕉が遥か奥州へ思いを馳せて、矢立初めの句を詠む姿を表現しています。駅で完歩賞として奥の細道や富嶽三十六景などの絵はがきを1枚(選択)いただきました。
西口駅前の「デニーズ」しか食事処が見当たらなかったので、そこで昼食。来月の駅ハイを隊長が住んでいる近くの天王洲アイルに決めて1時間弱で解散。
〔後日談〕
兼子隊長から、メールが届きました(抜粋)。
プレパトは時々観ますが、俳句にリズムや心地よさがないので、好みが違う感じ。荒川区は俳句のまち宣言で俳句のイベントも多く、1月末締切のフォト俳句コンテストに応募。写真の橋本左内の墓套堂を詠んだものですが、
冬木立左内套堂啓発ス(ふゆこだち さないさやどう けいはつす)
左内の啓発録に掛けて、俳句らしくないけど、漢文よろしく漢字羅列の作。
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遠藤副長からも届きました(抜粋)。
千住は、品川のように華やいではいませんが、奥深い地方へ出立する宿場町という印象でした。
私には身近な街ですが、改めて訪れて新鮮でした。