2021年1月アーカイブ


18日からやっと通常国会が開かれ、コロナ渦での3次補正予算(可決)、特措法改正、各種給付金や医療逼迫・医療崩壊、雇用など緊急性のある問題について、与野党の活発な議論、審議が続いています。与党幹部の深夜会食のていたらくは言語同断ですが、野党も批判だけでなく、建設的な提案も望みたいところです。

菅首相の国会答弁宣言時の会見でも、トップリーダーとしての「切実感やお願い」が弱く、国民に「何としても協力していただき守ろう」という気概が伝わりにくくなっていると感じます。野党の長妻議員に「菅総理、頑張ってください」といわれる始末。田村厚労大臣や西村担当大臣の方が歯切れも良く、質問に対して内容もわかりやすく回答しています。

宣言が発出されて3週間が経ちましたが、一例で東京の感染者数が2千名を超えることはなくなりましたが、依然千名を挟んで上下している高止まりの状態。重症者や死者もかなり多く、政府や関係委員会の目安であるステージ3には、まだまだ。仮に週末や来週初めに下がっても、減った状態が続かなければ無理だと専門家や与党関係者の声が...。

首都圏や大阪圏では、3月7日まで宣言が延長されるという報道が30日夕方流れました。今回の宣言は飲食業での時短要請ばかりが目立って、国民全体に要請されている意識が、とくに若者には届いていません。また会社でのテレワークや出勤形態の実態も、昨年4月の第1回目のように実行されているとは言い難い数字が出ています。

週明けには延長が発出されるでしょうが、補償も十分に行ったうえで経済への影響を最小限に抑え、一段と強い説明をつけて発出されるべきだと考えます。

次に、東京五輪ですが、日本国内の新型コロナ急拡大が鎮静化するのが第1条件。さらに開催するのであれば無観客以外は不可能だと思います。観客が競技場内にいる際の消毒や警備、設備などいまから間に合うのでしょうか?ボランティアの皆さんや選手、関係者などの検査やワクチン接種の確認など、大変難しい問題が目白押し。

今回、日本は開催にかかった費用や入場料をはじめ、多大な損失が出るでしょうが、「コロナに打ち勝つ、人類の平和の祭典」といったきれいごとよりも、現実と未来を見据えて、東京五輪はまた開催できるチャンスはあるのであきらめるべきだと考えます。トップアスリートにとっては4年に1回のチャンスではあっても、開催してさらにコロナが拡大すると、人類存亡の危機にも発展しかねません。ここは我慢するしかないと思います。

日本はワクチン供給や接種でも遅れています。少なくても国民全体のワクチン接種が終わって、感染が減少し、収束の目途が立ってくれば、開催方法を工夫して大規模な開催も可能になって来るでしょう。コロナは特別な事情なので、もう1年再延期できませんか? いずれにしても、コロナ渦、元のとおりには戻らないでしょうが、宣言など一部解除されて、普通の暮らしが戻る日が待ち遠しい。



1月29日、爆弾低気圧が日本列島を襲うはずでしたが、地元習志野は風が強いものの快晴で日差しもたっぷり。予報が外れて助かりました。

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ハトちゃんは、前日に続いて9時に一人で習志野市東部体育館トレーニングルーム筋トレ。今月は「緊急事態宣言」が出され不要不急の外出が自粛されましたが、ストレス解消と健康維持のため体育館が開いていたので筋トレを初めて以来、最多(月18回目)になりました。

受付後、2階の筋トレ室へ。女性トレーナー二人に挨拶。本日は長袖・長ズボンに着替えて速度はあまり上げずに軽めに15分ウォーキング。その後、腹筋や足腰を鍛える機器を利用、最後はバイク(自転車漕ぎ)を30分行い汗を流しました。室内は暖房を効かせて少々窓を開けていましたが、寒くはありませんでした。終了後は、更衣室で着替えてから館外に出るととても気持ちよくなりました。
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帰りがけに、スーパーで頼まれていた買物をして、午後歯医者、17時30分頃、妻と一緒に毎月1回の29日肉の日)「焼肉 赤門」で夕食を食べて、スタミナ盛り盛りに...。


久しぶりの降雨で湿度が90%台。1月25日は3日ぶりに晴れて3月初旬の陽気。早朝、が急に遊びに来ました。ハトちゃん千葉健生病院健康友の会機関紙「友の会だより」2月号4面の原稿と割付紙面のチェックにチャリンコをとばして20分。

友の会事務局に9時30分に到着。間もなく事務局の方が来て部屋を開けてもらいました。コロナ急拡大で事務局ボランティア週2回に限定して出ています。まだ寒かったので、日差しのある花壇前で待機。10分ほどしてから編集室に行くと、ドアが開いていて編集長が来ていました。

早速、割付用紙を見せていただいて、説明を受けました。その割付表を見て、順次原稿を読み誤字や表現の適格性をチェック。また写真やイラストについてもできるだけ原稿に沿ったものを選んで大きさを決めました。他の紙面は、各担当者が責任を持って編集しているので見ていません。27日に印刷所に入稿することになっています。

大きな変更はありませんでしたが、記事が1面と4面で取り扱うものがあり、担当者がコロナの影響で休みだったので、あとの調整は編集長に任せました。内容によって、重複があればレイアウトの変更も出ますが、それもお任せしました。意外と時間がかかり1時間半かかりました。
正午前、帰宅すると娘が車で買物から帰って来ていて、昼食を先にとっていました。
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自分は田舎で収穫したさつまいもを蒸かして食事。午後はテレビを観ながら映画談義や仕事の話をした後、来たついでに栄養士・調理師の娘にカレーを作ってもらいました。


23、24日の両日、久々に雨がほぼ一日中降りました。このところ、西高東低の冬型気圧配置が続いて、空気も乾燥し寒い日々が続き、風の強いときには砂ぼこりが舞ったり、家ではコタツの中から抜けられなくなっていました。

関東地方では、雪予報も出ましたが結局、雨になり良かったです。首都圏疼痛網は雪に弱いため。

本日(1月24日)は、降雨の中、の運転で一緒に筋トレへ。9時開始でしたが、30分遅れて到着。コロナ渦で定員15名中、14、15番目でギリギリで入館できました。コロナ渦で夜間が18時以降利用できないため、サラリーマンや学生、それに雨だったので多かったようです。

トレッドミル(ランニングやウォーキング)は、利用者がいっぱいで、が最後の15
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分のみ利用できました。今月15回目になる小生は上半身と下半身を鍛える機器を利用して対応。トレーニング室内は、寒さのため暖房しながら、窓を少し開けて感染予防。

今週二人では2度目。雨で一人だとコタツに入ってテレビを観るのがオチ。妻が休みでいたので筋トレに行けて終了後の体を動かした爽快感、帰宅後の昼食を作ってくれてお雑煮は体も温まり、一石二鳥。

満腹になったところで、テレビ番組内で懐かしいお笑い芸人の「ダンソン、ダンソン」というギャグを思い出し、息子も含めて、はまってしまい大笑い。その後、我々に刺激されて、息子も自転車で体感ゲームへと出かけました。

時間を無駄にせずに有効活用できた一日でした。

21日は1月9日以来、二度目の自宅フェンス外の崖の木の剪定。冬晴れで風がないので絶好の剪定日和。

午前中はと一緒に習志野市東部体育館で筋トレ。ウォーキングや自転車漕ぎ、腹筋、ストレッチなどで1時間超えで汗を流しました。帰宅後、「スシロー」の「てんこ盛りフェア」で大トロ一皿100円(税抜き)が20日から24日までで、行ける日が本日しかないので、妻の運転で昼食に行きました。

大トロはネタも大きく大変美味でしたが、それ以上に中トロ2貫が甘くて美味だったので、二人とも3皿を注文、結局、小生はいつもより多く、18貫も平らげてしまい満腹に。今まで「スシロー」で一番おいしく感じました。

帰宅して小休止後、午後1時30分から自宅庭先のフェンスを乗り越え狭い通路に下りて、崖途中に生えている5本の木を切ることに...。

まず、周辺の雑木を足元に敷いてゆっくり足場を固め、妻が下りていきます。命綱は着けていません。目標の木にロープをかけて、ハトちゃんがロープを引っ張り、妻がのこぎりでロープ下を切っていきます。幹の途中までは切れましたが、生木なので中心部分は切りづらく裏側からも切っての合わせ技。頑張って切り続けていきます。先日剪定した一番太い木よりも幹が太く大きい。

やっと片方が浮いて来ました。「1、2、3」の掛け声で切り落としました。今回は剪定する木の下にも木があり、落ちる心配はなかったのですが、引っ張り上げるのが大変でした。その後、切った木の周囲に生えていた少し太い木もついでに剪定。切った木の横から手を延ばしロープをかけて切り落とし、引っ張り上げました。習志野市に引っ越して来てから30年近くも放置していたので年々大きくなり眺望を遮っていました。

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妻は山登りが趣味なのでバランス感覚が良く、退職後、筋トレを週2日。筋力もついて来ているそうで「お茶のこさいさい」。何度か「もうやめれば」と声をかけましたが、想定以上に雑木を切り落としてくれました。ただし、切った篠1本が崖下まで、「ストーン」と止まらずに直下したのにはビックリ。
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おかげで、眼下の住宅街の屋根が一望できるようになりました。ちょっと竹で顔に擦り傷ができたのも「勲章の一つ」でしょうか? 明日、小生一人で芝刈りをやります。


1月20日冬晴れ。前日、朝刊に入っていた折込チラシで、工場直送のケーキの直接販売があり、朝筋トレ終了後に、2カ所あった(千葉市幕張7丁目公園習志野市富士見公園)の後者に間に合わせるため、大急ぎで自転車をとばして現地へ。

公園には5分前に到着。新聞のチラシでケーキが半額だったので、目当てのレアチーズが限定なので多くのお客さんが来ているものと思いましたが、行ってみると誰もいなくて、時間どおりに行ったのはハトちゃんのみ。

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公園の片隅、目立たないところに小型ミニバンが止まっていて、ピンクの幟「ケーキ工場直売フェア」を一人の若い女性が立て始めたので、挨拶をして、息子が希望したレアチーズケーキを買いました。その際、どこから来られたのか尋ねると「木更津から」とのこと。ずいぶん遠方から来ているのにビックリ。コロナ渦で、なかなか売り上げが上がらず、出張販売に切り替えたそうです。

ちょうど来たついでに園内の譽田(こんだ)八幡神社〔延宝年間(1673~1681年)、豊臣方の武将 一角頼母氏が一族郎党と共に当地に移住する際、河内国古市郡誉田村(現大阪府羽曳野市)に鎮座する誉田八幡宮の分霊を守護神として奉祀したのが始まり〕へ参拝した後、10分ほど販売の様子を見ていましたが、結局小生のみでした。その後12時30分まで30分ありましたが、売り上げはどうだったんでしょう?平日で学校があり、仕事がある時間帯では、お客さんもあまり多くは望めなかったようです。
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妻と息子が仕事から帰宅。夕食後にケーキを食べました。濃厚ですが甘みが抑えられていて、値段も安く大変好評でした。「美味しかった」と二人から喜ばれて、得した気分になれました。


19日は2カ月に1回、心臓の定期検診。9時30分の予約だったので、少し早めの9時過ぎに診療所の受付へ。ここまではスムーズ。

採血があるため、待合室で待つことに。しばらくして名前を呼ばれ、看護師さんの前に座って、生年月日と名前を言って確認後、採血。本日は気温が低く寒いせいか、腕の血管が出て来ません。以前から小生の血管が細く看護師泣かせ。それでも、いつもの場所から何とか採血できました。

その後、結果を待ってからの診察を待っていました。15分ほど過ぎて、そろそろ名前を呼ばれるかと思っていたところ、隣りの採血室から看護師さんが自分のところへ。「血液の量が足りなくて、申し訳ありませんが、もう1本採らせてください」と。小生は何も言わずに採血室へ。反対の腕から採血しましたが、ふだん採らない場所だったので、ちょっと痛く感じました。2回採られたのは久しぶり。

結局、検査結果が遅れて医者から呼ばれたのは予約時間を1時間過ぎた10時半過ぎ。診察は5分で終わって医療費を支払って薬局へ。

薬局はコロナ渦にもかかわらず大変混んでいて、処方箋を出してから1時間もかかってしまいました。予定していた筋トレは自宅に寄らずに直接行くことに。冷たい北風が5m以上も吹いていて、日差しはあるものの体感は4~5℃。「寒~い、参った」。

11時には間に合わず、約1時間遅れて習志野市東部体育館へ。いつものメニューを少し削ってウォーキングとバイクで汗を流しました。着替えて、帰りは図書館に寄って本の返却、郵便局でお年玉付き年賀はがき当選の切手シートプレゼント、そしてスーパーでの買い物をして、帰宅は午後2時過ぎ。あわてて昼食を食べているとが仕事から帰って来ました。

本日は予定していた外での剪定は、強風と寒さで延期することにして、溜まっていたテレビ録画を二人で観ました。

15日(金)からは千葉健生病院健康友の会機関紙友の会だよりの発送作業

友の会は12月28日から1月11日まで年末年始休業。さらに7日千葉県に「緊急事態宣言」が発令されましたが、新型コロナの1日感染者は、その後も連日最多を更新。15日は500人を超えてしまいました。

こうした状況下、早朝、診療所・病院の送迎バスに乗って約15分。久しぶりに事務局のドアを開けました。本日は機関紙の納品があって、すでに事務局では機械で折りを進めていました。

バスで一緒だったW副会長をはじめ、事務局やボランティアで来ていた方々と年頭挨拶。早速、チラシ4枚を組み合わせた束を、折られた機関紙に挟み込みました。作業ボランティアは6人。出来上がったセットに宛先紙片をセロテープで巻いて一丁あがり。途中、事務局長、機関紙部長、あとから来た会長に挨拶。

コロナ急拡大で、今月の友の会デー(バザー)は中止の張り紙。今後のイベントも中止の可能性大。ちょうど1年前に新型コロナ第1号感染者が日本で発見されて丸1年。まさかこんなに長期間、急拡大(全国で30万人以上)して深刻な状況になるとは、夢にも思いませんでした。

皆さんとともに正午前まで約2時間ちょっと作業。来週は18日に手伝う予定です。今回、ボランティアさんの出席も制限があるようです。コロナ感染対策をしっかりやって、気をつけて作業を手伝うようにします。安心して生活できる日はいつになったら来るのでしょうか?

7日に首都圏(4都県)の「緊急事態宣言」が発出されてから6日経って7府県が追加。期間は14日から2月7日まで。結局、11都府県になりましたが、その後も各地で感染者数が最多更新するなど、全国的にコロナは急拡大している状況が続いています。

13日夜の菅首相の記者会見では、対象地域の読み間違い(福岡を静岡)があったり、記者のいじわるな「2月7日以降の状況次第での措置はどうするのか」「ビジネスラインの外国人入国禁止の追加はなぜ?」「医療逼迫と病床確保に関する医療法や特別措置法改正について」質問が出ましたが、菅首相は同じ答弁を繰り返すだけで、困った時は諮問委員会の尾身会長に振って、リーダーとしての決意や熱意が感じられませんでした。

ひとつ気になったのは、ある記者が「北朝鮮問題について」の質問は、コロナとは全く関係ないのに首相も司会者も注意をせずに答えていたのは、時間の無駄でした。また「質問を各社1問だけで、今後のスケジュールの都合で終わらせていたのは、事務的に見えました。

日本医師会や都医師会会長が、医療逼迫・崩壊の危機を叫んで、第1波のように厳しくして、範囲を小出しに広げるのではなく、この際、全国的に不要不急の外出禁止、時短要請ではなく補償を伴っての休業要請などの必要性を訴えています。

衆参両院の議院運営委員会に菅首相は欠席。自民党関連の多人数での会食が連日報道され、国民も「お上がやっているから」という軽い認識が横行。コロナ疲れもあって、政府が求めている要請が浸透していない甘い現実があります。

どうすれば感染を減らせるのか、医療逼迫を少なくできるのか、マスコミや医療代表者が先頭に立って繰り返し、国民に感染対策を厳守するようにお願いしていくしかない。自分を含めて一人ひとりが自覚して気をつけて生活していかないと。ウイルスとの戦いは人類存亡の危機といっても過言ではない。

寒気から一転10℃を超える春を思わせる日和。1月14日は3が日以来になる八王子の実家へ。11日に千葉・小見川の畑で収穫した野菜12.5㎏を届けに行きました。

7日の「緊急事態宣言」を受けての外出。9時過ぎの中央・総武線と中央線は比較的空いていましたが、帰りの午後2~3時台の電車は生徒さんの下校時とぶつかり意外と乗客がいたのにビックリ。マスクをしていなかった若者1名にも出くわしました。

野菜は、かぼちゃ白菜キャベツさつまいも大根ほうれん草小松菜かぶサトイモそれに湿布薬を持参。

到着後は、まだヘルパーさんが帰らなかったので、庭の枯れ枝葉、清掃とゆず取りをやってから家に入って挨拶後、昼食を食べながら母と雑談。96歳になった母は、だいぶ足腰が弱ってきていて、食事後の片づけと洗い物、それに洗濯物をしまったりしてから帰宅の途に...。

母から交通費とお土産として1個50円の赤玉子といちごをもらいました。

帰宅後は、妻がいたので遅めの3時(おやつ)とお茶で八王子の報告を。

そうこうしているうちに、4時を過ぎてしまいましたが、妻はパソコンで調べもので忙しく、夕飯の支度と戸を閉めたりであっという間に時間が経ってしまい、結局、ブログを書いたのは8時半過ぎになってしまいました。

明日は、今年初の千葉健生病院健康友の会で機関紙「友の会だより発送業務を手つだう予定です。

7日の「緊急事態宣言」(東京・千葉・埼玉・神奈川)を受けて以降も連日東京では一日の陽性者は2千人超、日曜こそ2千人を割りましたが、首都圏3県も最多更新が続いています。また、大阪・京都・兵庫も政府に対して「宣言」を要請中。

7日夜の菅首相の国民向け記者会見は、首相や政府が重大局面に立って切迫している状況を把握しているのかはなはだ疑問を感じる内容でした。主に、飲食店のみ時短要請を行い、多種の店や施設は非該当。小出し感が否めません。これ以上の厳しい徹底は必要でないのか、さらに補償が十分なのかについても現状認識に程遠く、わずかの補償アップのみ。さらに、第4から第3ステージに戻らなかった場合の処置はあいまいで2月7日以降もそのまま継続される確率が高いと感じました。全般に記者の質問に詳しい回答がありませんでした。

検討委員会の尾身会長のトーンも、自身の会見時に比べて政府寄りでトーンダウン。

(小生の意見)
ここまで急拡大してきた原因は、第1波や第2波時の検証が十分でなく、医療が逼迫、崩壊することが心配されていたのに、措置を講じる先手を打てずに待っている間に危機に瀕してしまったこと。

政府の情報公開が遅く、知事との役割分担、連携が下手で、国民は「どうすればコロナから守れるのか」がよくわからず、世代別でもとらえ方が甘いところがあったのだと思います。

とりあえず、「いのちを守る」ために、国民側も意識と実践を共有、協力して生活していくしかありません。小生の住む習志野市では、午前と午後の2回、マイク放送で市民の協力と理解を啓蒙していますが、同じ内容の録音で心に響きません。やはり市長が肉声で、本日の市の感染者数などを発表し注意を呼びかけるようにしてもらいたい。

最後に、2月7日になった時点で、どれくらい一日の陽性者や重症者、死者が減る結果が出ることを期待しています。さらに、このようなコロナ急拡大では、日本でのオリンピックパラリンピック開催は無理だと個人的には思います。開催中や開催後の感染の影響を考えると、観客は見込めないし、選手の健康状態や関係者、警備、ボランティアなど規模が大きいだけに大変難しい。スポーツは平和の祭典とはいえ、リスクを背負っての開催はやめた方がよく、次回のパリ大会まではまだ時間があるので、十分な対策を講じて実施できるよう努力すべき。
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1月9日朝晩一番の寒気。風呂場の窓が水滴で凍って見えなくなりました。

午前中は今週3回目になる妻と一緒に習志野市東部体育館で筋トレ。ウォーキングや自転車漕ぎ、器械を利用したりストレッチで1時間ほど汗を流しました。

帰宅して、残っていた餅でお雑煮やあんころ餅を妻が作ってくれて昼食。

休息後、午後1時から自宅庭先のフェンスを乗り越え狭い通路に下りて、崖途中に生えている2本の木を切ることに

が少し横に生えている木の根元に下りていき、足場を確かめながら木にロープをかけて、ハトちゃんがロープを引っ張り、妻がのこぎりでロープ下を切っていきます。幹の途中までは簡単に切れましたが、生木なので中心部分は切りづらく裏側からも切っての合わせ技。妻は頑張って切り続けていきます。

やっと片方が浮いて来て木の重さがかかりました。思っていた以上に重くて、木に持って行かれる感じになってちょっと妻からも「大丈夫?」と声をかけられました。

そのうちにグラッと来て、木が切れました。幸い、直下の崖側ではなく、雑木の上に倒れて引っ張り上げることができました。小生が握っていたロープの木の下部と、蔓が絡まっていた木の上部で重さが分散されて助かりました。

その後、切った木の下に生えていた太い枝部分も、切った木の上か
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ら手を延ばしロープをかけて切り落とし、小生が引っ張り上げました。習志野市に引っ越して来てから30年近くもほったらかしにしていて、ここ2~3年大きくなってずっと気になっていた木でした。

は若い頃、ロッククライミングをやっていて、8日、10日も房総の山に友達とハイキング。山登りが趣味なのでバランス感覚が良く、退職後、筋トレを週2日。筋力も少しついて来ているそうです。高所恐怖症のハトちゃんには到底無理で、何度も「もうやめれば」と声をかけましたが、最後までやり抜いて本当に「恐れ入谷の鬼子母神」。

それで調子に乗って、休憩後、今度は南側に飛び出していた竹も2本切って、フェンス外の雑木の高さが揃って、ずいぶん景色が良くなりました。「お見事!」。明日、筋肉痛になりそうです。


 「東の佐倉、西の長崎」と呼ばれた蘭学の盛んだった城下町をたずねて

コースは;JR佐倉駅 右駅前観光情報センター  スタート サムライの古径 ひよどり坂右大聖院右武家屋敷右麻賀多神社右佐倉城址公園右国立歴史民俗博物館右旧平井家住宅右佐倉新町おはやし館右宗圓寺・嶺南寺甚大寺右松林寺右妙隆寺右佐倉順天堂記念館右旧堀田邸・さくら庭園右JR佐倉駅  ゴール

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1月7日の東京・千葉・埼玉・神奈川の「緊急事態宣言」発令があった翌日、2月の駅ハイ中止にまたなるかも?という予感があって、急遽、駅ハイで近場の佐倉へ。

 「歴史の地さくら 佐倉市ゆかりの偉人を感じる名所めぐり約10km)」 でしたが、ハトちゃんは地元でもあり、何度も足を運んで名所は知り尽くしていたので、例年どおり正月は「佐倉七福神めぐり」に切り替え。


京成大久保駅(9:05発)から京成佐倉駅までは約20分。そこから、千葉グリーンバスでJR佐倉駅へ(9:50)。JRだけの利用よりも運賃が90円安い。 

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佐倉駅階段下の観光情報センターで受付。係の女性二人と立ち話。本日は3人目だそうです。案の上「宣言」のため、夜に駅ハイのホームページで12日から2月7日まで中止になりました。マッ プとチラシをいただいてスタート(9:55)。佐倉は今回12回目。本日は冬晴れ。七福神めぐりはマップがなくても覚えています。
 
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まず、駅前のロータリーに女性が二人、ベンチでたたずむ彫像があり、彫刻通りを直進。高崎川に架かる城南橋に向かう道の両側には、女性の彫刻像が並んで日差しで光っていました。城南橋を渡って左折。お花見で有名な桜並木の高崎川土手沿いを進みます。川沿いの公園には正岡子規の句碑があります。竜灯橋手前で右折し横断、佐倉八景園を右手に回り込みます。
 
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高崎川の河川敷がのぞめ、その先に城南堤が右側に続く道路へ。矢印があった城南堤手前の細い曲がり角を右折。
間もなく、サムライの古径ひよどり坂へ。両側が竹林に囲まれた坂道は、武骨な雰囲気が漂って、京都・嵯峨野を思わせる雰囲気。

階段を上ると、右側にある最初の七福神、大聖院〔布袋尊・真言宗〕へ。石の布袋尊
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の表情は愛嬌があります。参拝後、武家屋敷通りへ。通りには、新たに侍の社(無料観覧)があります。その並びに関東地方では最大級の武家屋敷が続き、藁葺屋根の旧但馬家住宅をはじめ、旧武居家住宅、旧河原家住宅など5棟が道なりに点在していて、往時の城下町の面影を残しています。奥に住宅地ができて、雰囲気がちょっと壊れてしまったのは仕方がないのでしょうか?舗装工事の横を通って道なりに左側へ。

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その先の麻賀多神社手前には、佐倉養生所跡の石碑があります。町のあちらこちらに近代医学の先駆的役割を果たした蘭学"佐倉"の面影が残っています。
 

突き当たりに七福神の恵比寿天 ・福禄寿が祀られている 麻賀多神社〔佐倉藩
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の総鎮守で古くから「まかたさま」と親しまれている〕へ。 境内には、数人の参詣客が 訪れていて、参詣後、本堂裏手にある樹齢約800年の御神木の大イチョ
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、本殿の両脇にある二つの七福神を参拝。休憩ベンチやトイレもあります。今年の干支である丑の絵馬も多数ぶら下がっていました。
 
その後、佐倉市街の中心通り新町交差点へ。平井家住宅の外観を確認。路線バス
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が通る旧城下町通りは歩道が赤色で区分さ れています。右側に高く聳えた建物があり、佐倉市立美術館 〔佐倉・房総ゆかりの作家、作品を展示〕は外観のみ。何度も歩いているので特典のある店舗を覚えていました。
 
通りを進むと、市立図書館の傍に、ガラス越しに大きな山車が
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見える佐倉新町おはやし館(佐倉市指定無形文化財の佐倉囃子の歴史やきらびやかな山車人形など)を展示しています。
 
通りに面した「手づくり工房さくら(お休み処)」に立ち寄って、お茶の無料サー
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ビスと七福神缶バッチを1個いただきました。地元工芸作家の作品展示・販売もしています。
 
何度も来ているので、本日は七福神めぐりの順番を変えて歩くことに。


2番目は、中心街を過ぎて通りの突き当り手前の細い坂道を下りて途中
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から上ると、目の前に地方裁判所。左手に大きな樟の大木2本に囲まれた松林寺〔佐倉藩主「土井利勝」により江戸時代 に創建された浄土宗の寺。〔佐倉七福神毘沙門天〕へ。境内の御神木が大きくて立派なのに比べ、境内、本殿は小規模で質素。女性二人が参拝していました。隣りにある、土井家の墓も墓参。


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次に、蘭学通りを美術館方面に戻って、脇の坂を下ってすぐ左折。右側にある道と間違えやすい。坂を下って間もなく妙隆寺〔日蓮宗・大黒天〕へ。境内に続く山門前には、鬼子母神の地蔵仏が多数並んでいて、山門前の水仙と黄梅が咲いていました。

旧城下町通りに戻って、佐倉小学校への道を右折。

道を直進。左側にある嶺南寺 〔弁財天・曹洞宗〕(梅の老木が枯れてなくなっ
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ていました)があり ます。向かいに宗圓寺〔寿老人・臨済宗〕があり、それぞれ参拝。  
 
その先、宗圓寺と甚大寺との間の閑静な場所にある堀田家墓所(県指定史跡)を墓参。佐倉藩主だった堀田家当主
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や夫妻の墓所が並んで建っています。
墓碑を読むと、伯爵という文字があり、大名だった堀田家夫妻の墓碑(夫妻の一緒の墓碑は珍しい)には、両方の家紋が刻まれています。

 
続いて、最後の7番目になる一番奥にある甚大寺〔堀田家の菩提寺で天
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台宗の寺院。本尊は十一面観音 像。不動明王、金比羅 権現なども祀っている。七福神毘沙門天〕 へ。赤い枠の外壁が特徴。境内奥に本殿。その扉に小さな窓があり、覗くと薄暗い中、観音像が安置されていました。また、扉にはコロナ渦で「終息祈願」が掲示されていました。

いつもなら旧城下町通りに戻って、美術館前の京成佐倉駅への道でしたが、冒険しようと思い、佐倉
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小学校の先の突き当りで、掃除をしていたおばあさんに道を尋ねると、京成佐倉駅へ
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行けるとのこと。細い道を進んで竹林を抜けると急な階段があり、下って間もなく、朝通ったバス通りの駅近くに出ました。

約10分ほど短縮できる近道を発見できました。バスの発車場所までは約3分。信号を渡ると、正面が京成佐倉駅でゴール〔歩行1時間で距離約4km〕(11:25)。


行きと同様に、各駅停車で京成大久保駅(11:56着)へと戻りました。偶然ですが、行きも帰りも昨年と同じ時刻の電車になりました。



ハトちゃんは正月の餅やすき焼き&おせち料理を食べて、運動をほとんどしなかったので少々太り気味。体重計に乗ると約1kg増。

4日が初日で11時15分開始の習志野市東部体育トレーニングルームへ妻と一緒に筋トレ。くもりのち晴れで寒さはちょっとやわらぐ。

入館し受付で年頭挨拶。定員15名で参加12名。
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210104(9).JPG210104 (8).JPG早い時間の参加者は今年も気合が入っています。その後、2階の筋トレ室へ。
馴染みの女性トレーナー2人に挨拶。室内に「トレーニング室 1月だより」が大きく張られていました。

筋トレ開始

一週間空いたのでだいぶ体がなまっていましたが、 初日ということもあり、トレッドミル(ウォーキング)20分とバイク30分で軽めの調整。最後にストレッチ。今年も健康のため、2~3日に1回のぺースで頑張ります。


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帰る途中、縁結びで有名な大原神社(京成線実籾駅から徒歩3分)へ立ち寄って参拝。大原神社は1124(天治元)年習志野市実籾本郷に創建。御成街道の整備に伴い1593(文禄元)年、当地へ遷座。ハトちゃんは悪病退散と天変地異が少なくなるようにお祈りしました。今年の参拝はマスク着用と消毒液が置かれたり、混雑を避けているので、昨年に比べ少ない感じ。参拝後、おみくじや絵馬、お札を買い求めていました。また、たき火が焚かれ、古いお札を持ち寄って、くべていました。

最近の新型コロナ感染急拡大で1都3県の「緊急事態宣言」がどうやら発表されそうな状況。ワクチン接種が始まっているとはいえ、一日でも早く安心できる生活が戻る日を願っています。



  新年明けまして おめでとうございます2021年 丑年がいよいよスタート 

 正月3が日は絶好の冬晴れ。ハトちゃんは元旦~3日まで、昨年に続き96歳の母
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が住む八王子の実家でおだやかな正月を過ごしました。 元日と2日はも同行して1泊。往復の車中は、コロナの急拡大で「静かなお正月」のためか、車内はガラガラ。

八王子へは餅と野菜、お年賀を持参。今回は餅と野菜も少なく、小生のリュックのみで7㎏。

2日まではあまりテレビを見ずに、娘が持参した「クロスワードに熱中、80問掲載のうち32問を解答してしまいました。いつも自宅での就寝は12時を過ぎるのに、八王子ではパソコンがないので10時前に就寝。昼食は出前寿司、夕食は駅前のスーパーで買って来た肉で妻がすき焼きを作ってくれみんなで食べて、四方山話に花が咲きました。

唯一のテレビ番組は、2日~3日の箱根駅伝往路では優勝候補の筆頭、青学大がまさかのブレーキで往路12位。まったく注目されていなかった創価大が優勝。以下東洋大、駒大と続きました。
翌日の復路でも創価大が9区まで力走し、2位以下に3分以上の差をつけて初優勝が見えて来たかと思いましたが、ドラマは最終盤に駒大が逆転で優勝。歴史に残る決着となりました。駒大が13年ぶり7度目の総合優勝、準優勝が創価大、3位東洋大の順。青学は復路で頑張り復路優勝。意地を見せました。
母校は遠く及ばず17位。シード権を今年も逃しました。次回予選会、本大会の奮起を期待します。

2日の午後、妻と娘が帰った後、実家は一気に静かになり、母と二人きり
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。昼間は庭のゆずをもぎったり、屋根の鳥の糞を洗い流したり、ふすまの張り替えなど。間に運動不足で食事も進まないので散歩。高台からは、富士山の白い頭がくっきりと青空と山並みの合い間に見えました。夜は、母と昨年の医療や役所関係の書類を整理。

3日は古くなった蛍光灯を買いに行き、新しいのと交換。あとは庭木の剪定と清掃、ゴミの整理。10時半に実家を出て、途中、本八幡駅で途中下車し買い物。

午後1時ごろに帰宅し、荷物の整理後、今年の年賀状に目をとおして返信を印刷し、言葉を添えて、近くのポストへ投函。意外と時間がかかり、間もなく日が暮れはじめ、洗濯物を急いで取り込みたたんで、炊飯器のスイッチを入れました。

私事ですが、あと25回ブログを書くと、2000回に到達します。何とか2000回を目標に頑張って来ました。読者の皆様に楽しんでもらえるような記事にしたいと思います。

           今年もよろしくお願いいたします

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