「ゆうほ21」で 上野公園から谷中七福神めぐり&新年会

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1月8日(火)、今年初のサークル「ゆうほ(友歩・遊歩)21」ウォークは、上野公園から谷中七福神めぐりを行い、山手・京浜東北線「田端」駅までの約7kmコース。

当日、9時半に京成船橋駅構内に集まったのは、神田先生をはじめとするメンバー15名。新年の挨拶も早々、出発ということになりましたが、いつもギリギリか遅刻のKさんに変わり、 PICT3294.JPGYさんが遅刻。「今年は選手交代?」。

電車に揺られて、京成本線上野駅に到着。まず、西郷隆盛像へと向かいます。前回は、工事中のフェンスで見られませんでしたが、整備も進んで、公園シンボルの犬を連れた西郷どんをバッチリ見ました(10:19)。

 

続いて、東叡山 寛永寺清水堂の舞台へ(10:24)。ここで、先生から上野の寛永 PICT3297.JPG PICT3302.JPG 西の比叡山延暦寺に対して、山号が東叡山ということ、清水堂が京都の清水寺に見立てて、舞台があること、そして不忍池が琵琶湖に見立てていることなどを、再び教えていただきました。舞台は狭いが、輪になった木の真ん中を覗きます。前には不忍池が...。脇の階段を下りて、不忍池(しのばず の池)へ。階段が2段ごとにあり、歩幅が合わずちょいと苦労します。

 

本日は、新年ということもあり、先生の案内で「江戸最古の谷中七福神めぐり」PICT3324.JPG

PICT3305.JPG PICT3310.JPG 最初は、不忍池の中の島にある弁天堂(弁財天)へ(10:33)。 正面を進んで、広い池の中央部分へ。池は、枯れた蓮の茎で覆われています。参拝客がいっぱいで、先生を先頭にメンバーも参拝。七福神の御朱印状を購入して、印をもらうメンバーも...。これで、全部まわるのが必要条件になってしまいました。 弁天堂の外装はまだ新しく、赤を中心にきらびやか。鯉や亀が池で泳いでいました。 池のほとりにふぐの墓碑めがねの碑駅伝発祥の記念碑などもあります。

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公園内には戻らず、上野動物園水上動物園に沿って、細い道路を日暮里方面へ。外の柵越しに、ポニーや子供動物園の小動物を覗くことができました。右手上方には、モノレールも...。

PICT3312.JPG PICT3314.JPG 左手に水月ホテル鴎外荘が見えて来ます。

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ここで、ホテル中庭に復元されている、明治の文豪 森 鴎外邸を見学(10:53)。往時を偲ばせる日本庭園〔池には錦鯉が多数〕や家屋、屋内の遺品などに浸りました。

「ここに泊まりたい」と羨むメンバーも...。

 

PICT3321.JPG PICT3322.JPG 次にめぐったのが、護国院(大黒天)〔寛永寺の開山 天海僧正の弟子が開創〕へ(11:10)。珍しい能舞台の楽堂がありました。

 

 

続いて、両脇に東京芸術大学の建物・キャンパスが...。古い校舎の趣きや PICT3325.JPG 半円形の窓ガラスなど、さすが「芸大」という、特徴のある感じ。建物の外観に魅了されました。

PICT3328.JPG 次に入ったのが、「東京藝大アートプラザ」へ(11:25)。外のテラスで休憩。芸大の初代校長の像あり。

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旧東京音楽学校奏楽堂前を通って、公園に戻り、整備されて広くなった噴水広場 と「スターバックス珈琲」店前に分かれて、昼食(11:40)。夕方に新年会が控えていたので、少し早めに。

PICT3337.JPG ハトちゃんは、噴水広場のベンチに座って、おにぎりを頬張りました。国立博物館の重厚な建物を前方に観ながら食事の最中、噴水が自動でいろいろなバリエーションで吹き上がり、一番高い噴水時にはきれいな虹が観えました。

東照宮の ぼたん苑が満開だという新聞記事が載っていたので、寄れなかったのがチョッピリ残念。

メンバーの掛け声で、コーヒー組が合流。「あと、4キロ少し」と言う先生の言葉とは裏PICT3341.JPG腹に、一部のメンバーは相当かかるという感じで、重い腰をあげました。旧東京音楽学校奏楽堂の広 場前では、4、50人が集まって揃って歌っていました。

再び、 旧博物館動物園駅(閉鎖中)を右手に見て進むと、向かいに、 PICT3329.JPG 耐震工事中の黒田清輝(近代洋画の父・「湖畔」が代表作)記念館も外観のみPICT3345.JPG(12:33)。赤レンガの外装は趣きがあります。

途中、寛永寺〔天台宗の寺。1625年(寛永2)天海が幕府の命により創 PICT3347.JPG建。比 叡山が京都の鬼門(北東)にあたるのに対して、寛永寺は江戸の鬼門にあたり東叡山と号して、江戸城鎮護と国家安穏長久を祈願した。1698(元禄11)年に建立された根元中堂は、戊辰戦争で焼失。明治12年に川越喜多院本地堂を移築したもの。江戸期には、将軍家の菩提寺として、また、幕末から明治への変革期、大正・昭和の歴史を物語る際、上野寛永寺はその中心に。多くの史跡が残存。未公開の徳川6人の将軍霊廟がある〕に寄りました(12:38)。

 

PICT3355.JPG PICT3359.JPG次は、浄名院江戸六地蔵の一つが墓地越しに見えました。谷中霊園横を通って、霊園内の有名人墓地めぐり(12:58)。結構、墓めぐりをしている人が見られました。俳優の長谷川一夫、川上音二郎、高橋お伝(「毒婦」と言われた殺人犯)墓碑のみで埋葬されていない)や歴史上の人物などが多数埋葬されています。

 

時間の関係で数人だけをまわり、次ぎ3番目の天王寺(毘沙門天)〔富くじ興行で評PICT3365.JPG判。途中にPICT3360.JPG PICT3364.JPG重塔焼失跡の礎石のみが残る場所も見学。 高さ5m近い釈迦牟尼仏坐像が圧巻〕へ(13:07)。兼六園などで見られる雪つりがきれいでした。

 

 

PICT3366.JPG PICT3368.JPG PICT3367.JPGそこから出ると、次が長安寺(寿老人)へ(13:20)。道の突き当たりにあり、境内は狭いが、鬼瓦が目立ちます。また、画家の狩野芳崖の墓があります。諏訪台通りを西日暮里駅方面に北上すると、右手に日暮里駅西口へ。今回は左手に進むと PICT3370.JPG焼けだんだんの階段を下りて、格安の商店街で有名な谷中銀座の前へ(13:36)。商店街を通らずに込まない道を右へ進みます。

 

PICT3374.JPG PICT3375.JPG真っ直ぐ進むと、修性院(布袋尊)の境内へ(13:44)。城壁におもしろい布袋尊のイラストが描かれていて、ユニーク。

朱印をもらうのに時間がかかるため、すぐPICT3378.JPG近くの青雲寺(恵比寿)へ先に行くメンバーも...(13:48)。 境内には、「南総里見八犬伝」の作者 滝沢馬琴の硯塚と筆塚があります。

 

最後の七福神は、道灌山通りを渡り、田端文士村を歩いた時にも訪れた東覚寺 PICT3381.JPG PICT3388.JPG(福禄寿)へ(14:10)。寺前の道路工事も終わっていて、入口の不動堂に2体の仁王像。赤紙がぐるぐる巻きついてい て顔が判別できないほど。「赤紙仁王」と呼ばれ、自分の病と同じ部位に貼ると、病が治癒すると信じられています。以前より、赤紙の厚さが増えました。

 

境内本殿裏に、日本庭園があり、初めて観賞。錦鯉がかなりの数 PICT3385.JPGPICT3384.JPG泳いでいました。その後、都道458号線を田端駅に向かって3分ほどで駅に着きました。ゴールは14時30分。

 

そこから、JR山手線に乗って、二つ目の日暮里駅から、京成本線特急(京成船橋)→普通(谷津)で谷津駅まで。2人が用があり、帰りました。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――駅前商店街の奥、中華料理「味香園」新年会。新年会参加だけの女性メンバー2人が加わり、全部で15人が、次々来る料理に舌鼓を打ち、飲み放題の酒に酔いながら、盛り上がり、自己紹介・新年の抱負などで交流を図りました。人の話に感動して、泣き出す女性も...。

あっという間に時間は過ぎて、約2時間半の新年会は盛会のうちに終了。

さらにパワーのある先生と数人は、京成大久保駅で降りて、カラオケへ。

今年も、健康で楽しいウォーキングができますように― 最初のウォークが江戸最古の七福神めぐりだったことは意義がありました。  

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このページは、hatochanが2013年1月10日 18:13に書いたブログ記事です。

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