オジン隊 「JRウォーク」で 有楽町から銀ブラへ

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  「有楽町駅から新旧のコントラストをあなたに~有楽町・日本橋・築地・新橋~(約9㎞)」

コース;有楽町駅  スタート 相田みつを美術館右三菱一号館美術館右福徳神社右エキュートエディション有楽町右築地本願寺右旧新橋停車場鉄道歴史展示室右八戸都市圏交流プラザ8base右NIGÀTÀ100 右有楽町  ゴール
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2022年最後となるオジン隊の有楽町駅ハイは、12月15日(木)早朝、今年1番となる冷え込みでしたが、日頃の行いが良いのか?晴れてウォーク日和。

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東京の中心、「有楽町で逢いましょう♪」ということで、有楽町駅銀座口に10時集合で全員参加。都内のウォークは参加者が多く集まっていました。

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コースマップをもらって、まずは駅前の船形をした特徴のある建物、東京国際フォーラム内へ。国際フォーラムは、国内外の各種イベントや展示会場にな
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っていて、建物内は広く、天井までの吹き抜けの高さは目を見張るほど圧巻。4人で館内を談笑しながら進みます。話題となったのは、岸田内閣閣僚や政務官などの発言による更迭と支持率下落。統一教会問題、安保3文書や原発再稼働などの危険な兆候etc.

地下1階の端に近い場所に相田みつを美術館がありました。心に響く言葉の書を展示、書家で詩人でもある相田みつをの言葉は「人間とは、人生とは何か」というライフワークの教えを感じることができます。小生は二度、入館して感動したことを覚えています。

館外に出てビル街を抜けて間もなく、赤レンガ造りの三菱一号館美術館前へ。美術館前はきれいな花壇や緑の木々に飾られた小道が続き、カフェや軽食ができるお店がある広場があり、
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オフイス街の憩いの場になっています。このあたりはレンガ造りのビルが立ち並び、「一丁倫敦」と呼ばれていました。美術館の入館料が高いので、入館はパス。

その後、国際フォーラム西館→東館を過ぎてJR線の高架下をくぐって、鍛冶橋の交差点へ。外掘通りを左折して、東京駅八重洲中央口前へ。新型コロナ新規感染者が減少傾向になって来たので、バスロータリー前では修学旅行生が多数バスに乗り込む姿が目につきました。

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4人は通りのビル街を眺めながら、日本銀行方面へ直進。呉服橋の交差点、首都高速高架下の一石橋を渡り、常盤橋を渡る右前方に、明治期の重厚な建物で日本の要である日本銀行が見えて来ました。日本銀行を横切って裏手にある室町3丁目南の交差点、中央通りを右折して間もなく、ビルの谷間に3番目のポイント、福徳神社[859~876(貞観年間)にはこの地に鎮座。武将の信仰が篤く、源義家、太田道灌、徳川家康・秀忠などが参詣〕を参拝。

参詣には早かったのですが、社名がと縁起が良いので、来年の幸福を祈りました。

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再び中央通りに戻って間もなく、東海道五十三次の起点となった日本橋へ。日本橋の文字が高速道の側面に表記。川の近くで写真撮影。

橋の袂には、日本橋由来記の看板や記念碑。また橋の中央柱に麒麟、親柱には獅子と東京市章が建っていて、橋の先には日本国道の道標がありました。また、花の広場前に観光案内所がありました。中央通りは道路が幅広で、通行人が目立ちます。

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永代通りを横切り、日本橋から銀座方面へ、久しぶりの銀ブラ旧三菱三井の重厚な石造りの建物や三越高島屋松屋などのデパートが続き、高いビルが立ち並んでいます。

さらに直進すると、八重洲通り。右折すると東京駅八重洲口に出ます。交差点に金属製のキリンのオブジェ。

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途中、高架をくぐった京橋3丁目に、パトカーが止まっている警察博物館。土地の由来と石の橋柱に「きゃうはし」の文字。 

コースは高架下から右折でしたが、そのまま中央通りを銀座4丁目まで直進。交差点で左折し、晴海通りに入ります。左側に新歌舞伎座が見え、「十三代目市川團十郎
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襲名披露」の幟が立っていました。その後は万年橋を渡り、築地川銀座公園の緑地を眺めて直進。次の信号を渡って築地本願の境内へ。
は浄土真宗本願寺派の直轄寺院で1617(元和3)年西本願寺の別院として創建されたが1657(明暦3)年に焼失。
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後に再建されたが、再び関東大震災1923(大正12)年に焼失。1934(昭和9)年に、現本堂古代インド仏教様式の外観で再建された。本堂・門柱・石碑は国の重要文化財〕。平日というのに多くの参拝客が...。外国人の姿も見られました。

今回も体調不良で、ハトちゃんはここまで。残りのウォークは先輩たち3人にお任せしました。

オジン隊の今年前半はコロナ禍で中止が続き、両国(5月)、御徒町(6月)後、またも第8波で中止が続き、日野(10月)、赤羽(11月)、有楽町(12月)という結果でした。

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築地本願寺以降については、兼子隊長のメールにてご紹介します。

「有楽町駅ハイお疲れさまでした。今日は15,000歩でした。 

築地本願寺で別れた後、場外市場で卵焼きを3人で買い、中央市場から浜離宮を抜け、残念ながら新橋から有楽町コースはカットして、サッポロビアホールで昼食と打ち上げにしました。お店はかなり混雑していましたが、生ビールを2杯、山根さんは1杯で先に帰られました。遠藤さんと有楽町まで歩いて帰りましたが、平日でも人出の多いのに驚きながら、円安の影響か4丁目あたりの外国人観光客が目につきました。数寄屋橋の宝くじ売り場には長蛇の列が。ここにも外国人あり。」

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このページは、hatochanが2023年3月30日 12:50に書いたブログ記事です。

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