2018年12月アーカイブ

 

年の瀬まであと2日。昨29日は年末最後となる野菜収穫に、義兄がやっている農家にと、義兄の息子()と3人、妻の運転で出かけました。

成田方面に向かったので、海外出発組の混雑が予想されましたが、幸いなことに渋滞はなく、いつもと同じ1時間で着きました。

 

早速、に行くと、前回は霜で地面が凍っていて、長靴の底が冷たくて大変でしたが、霜が無く日も当たって来ると、少々の風はありましたが、収穫には影響なし。

3人で、まずホウレン草を鍬で土を起こし、1株ずつ葉を残して、根の上で切る作業。久しぶりの甥っ子は、風邪気味で慣れていないせいもあり、遅れ気味。インフルが治って全快の妻が一番ハッスルしてリード。ハトちゃんも負けじと頑張りました。

畑を移動して、次は春菊。風で掛けていたビニールが剥がれていて、収穫しやすかったのですが、育ちIが今ひとつで収穫も少し。

 

ここまでで約2時間半。昼食は実家に戻って、義兄が作ってくれたカレーライス。辛さはなく、シチューにカレー粉を混ぜた感じ。スープは塩分濃い目だったので少し残しました。

 

昼食後、甥は1年以上も来なかったので、義兄と一緒に祖父・祖母と母親のお墓参り。その間、妻と小生は近くの畑へ。道より低いところにあるので、日当たりが悪く、強風が吹いていました。慣れている二人は寒いので小松菜を手早く収穫。風邪をひいていた甥が来なくて正解。

ついでに雑草も抜いて、ビニールを再びかぶせて戻ると、すでに13時半。その他、義兄がついてくれた餅や野菜を積み込んで、後部席はいっぱい。甥の座席の横まで段ボール箱。甥は身動きできない状態で乗り込みました。

 

後ろが見えにくい中、混雑を予想しての14時出発、妻が運転。東関東自動車道を東京方面に戻ると渋滞は全く無く、今回はラッキーでした。甥を京成八幡駅まで送って、戻ろうとすると、後部で「ガタ、ガタ」と。甥が乗っていたので崩れなかった箱が崩れて野菜が散乱。降りてスペースが空いたのをすっかり忘れていました。小生が気づくべきでした。途中にあった駐車場の端で、もう一度、積み直してから、安全運転で帰宅。 181230(1).JPG

この頃、わかっていても別のことがあると、忘れてしまう。年のせいもあるでしょうが、気をつけねばと思います。

 

今年は気候、天変地異、政治、経済、社会、スポーツ、芸能と信じられないことも起こりました。日本は「大丈夫かなぁー」と考えさせられる場面が多かったと思います。来年は12月にある程度満足感に浸れる年でありたいと願います。

みなさま、良いお年をお迎えください!

 

2018平成30も残すところ、あと6日。来年5月からは元号の平成が替わります。

 

25日は今年最後の桐生駅ハイに参加。4月から66コースに参加。ここまでは例年とほぼ同じペース。27日に千葉健生病院健康友の会 「友の会だより(1月号)」の校正で仕事は終了。29日は妻と小見川の義兄の家でついた餅と野菜の収穫。

正月は、娘夫婦と妻と息子と小生の5人で、八王子の実家へ。満94歳になった母は自分の家でゆっくり過ごしたいので、みんなで行くことに。耳が遠くなり軽い認知症はあるもののボケることもなく、楽しい会話や飲食もできます。

 

小生の「5大ニュース」をまとめてみると、

 

第5位友の会活動行事やボランティアに参加

180501 (7).JPG毎月の「友の会だより」の発送業務の他に、花クラブ(月1回)やメーデー、ボランティア講座や平和ミニコンサートなどに参加。また草取りも依頼された件数は、全て作業を完了。171218 (2).JPG

9月からは「友の会だより」の企画・編集会議にも参加させていただき、昔、編集・校正した仕事を懐かしく感じながら、編集部・担当者のみなさんと「より良い紙面づくり」をめざしています。

 

第4位 妻がインフルエンザに感染

年末に友人たちと、岩手の大沢温泉に旅行を計画しましたが、前夜、咳きと熱が上がりドタキャン。病院で調べてもらうと生まれて2回目のインフルA。新薬を投与したので高熱はすぐ下がったものの、職場もほぼ全滅。27日まで自宅待機になりました。予防接種はしていたものの感染してしまい、本人はショック。

 

〔第3位〕 駅ハイ&筋トレ

181217(38).jpg健康面で、猛暑や寒さにも耐えて、今年も大病はせ180905 (3).JPGず、健康のためにウォーキング・駅ハイ(平均週1~2回)を中心に、オジン隊(毎月1回)を平均約7km歩いたこと(写真は年末の 銚子・飯沼観音)。また筋トレ1時間、月10回継続したこと。ただし、習志野市勤労会館は8月末で閉館。9月からは東部体育館。今月もクリア。

 

第2位自宅のリフォーム 180411(3).JPG

3月~4月末にかけて、家の外装(石壁の上に金属サイディング、屋根の張替えなど)を大規模なリフォーム工事をしたこと。4年前に石壁の補修をしましたが、結局、雨漏りが解消されなかったのが、やっと解消され雨天時のストレスがなくなり、本当に良かった。 

 

〔第1位〕 娘の結婚

180615 (1).JPG娘が結婚。結婚式が6月15日に挙行されて、参列したこと。無事スピーチできて良かった。最近では、結婚しない若者が増えている中で、26歳で結婚し、親元を離れて夫婦生活をスタートさせました。

職場は変わらなかったので、我が家の近くの小学校。ちょくちょく帰って来るので、嫁に出した実感は今ひとつ。また、電話やメールが来るので身近に感じます。

 

 

ハトちゃん今年最後の駅ハイ群馬県桐生へ。

 

25日(火)は5時過ぎに起床。前日の10m以上の北風がおさまって、今週では一番良い日。年末は最強寒波で今季一番の寒さ予想。 

11時までが受付終了の桐生へ。うっかり腕時計を忘れてしまいました。早朝から雲一つない青空。小山から両毛線(8:45発)に乗って11駅約1時間で桐生駅(9:48着)へ。

 

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コースは11km;桐生駅右 観光物産館「わたらせ」 スタート 西桐生駅右桐生織物記念館右大川美術館右恵比寿通り右ベーカリーカフェレンガ右織物参考館 "紫(ゆかり)"右錦桜橋(きんおうばし)右新桐生駅右桐生大橋右絹撚記念館 右観光物産館「わたらせ」ゴール 右桐生駅   

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桐生」といえば「織物」の町。桐生川と渡良瀬川の二つの川が市内を 181225 (1).JPG流れるこの地は「西の西陣、 東の桐生」といわれたほど織物の町として有名。まちなかには日本遺産の絹遺産群としての繭と絹織物のスポットがいっぱい。

 

桐生は8回目になりますが、今回は4鉄道JR東武鉄道わたらせ渓谷鉄道上毛電鉄〕の合同開催コースで8月に続き参加。 

181225 (3).JPG 181225 (4).JPGスタートは駅構内の「桐生観光物産館わたらせ」で受付。マ ップを受け取ると、スタンプラリーが付いていました(8月と同じ)。絹撚記念館休館でスタンプを受付で押印。

来る車内で腰をひねってしまい、今回もレンタル自転車でまわることに。構内にある 「桐生市民活動推進センターゆい」で自転車無料〕を手続き。桐生は坂が結構多く、電動自転車を借用。 

 

 

早速、マップとデジカメを持って自転車に乗り、JR桐生駅北口ロータリ ー先 181225 (5).JPGの、上毛電鉄「西桐生方面に進むと、セブンイレブンがあります。交差点左側に西桐生駅。駅名の看板は、右からの横文字で駅舎とともにレトロな雰囲気。車両の中に自転車を乗せられる「サイクルトレイン」が名物。

 

右折して本町通り方面へ直進。間もなく、右手を曲がったところに桐生織物記 念館〔1934(昭和9)年、桐生織物協同組合の事務所として建築され、「織都」の別称を持つ桐生の隆盛を今に伝え、国の登録有形文化財に指定されている〕へ。

 

入館すると、桐生観光大使の篠原涼子さんが見つめる大型ポ 181225 (10).JPG 181225 (8).JPG 181225 (6).JPGスターあり。1階では、織物製品(和装織物・桐生帯や着物など、洋装繊維製品・生地)を産地価格で販売。2階に織物資料展示室〕があります。 

館内は無料で、資料展示室内を見学。スタンプを押印。桐生織の歴史と伝統、七つの技法を用いて 織られた和装織物の豪華絢爛さ、織機の種類など、過去から現在までの移り変わりを紹介していて、ガイドさんが説明してくれます。

 

その後、2番目のスタンプ設置場所を目指します。本町通りに出ると本町4丁目。さらに直進。4つ角 181225 (13).JPG 181225 (14).JPG右側に「織物参考館 紫」、森秀織物〔森秀織物の旧釜場、旧整経場 、旧鋸屋根工場を利用して、館内で染色や手織が体験できる体験型博物館〕の看板と建物が見えて来ました。受付前の店内で押印。

 

道を戻って、中通りで右折。中通りは道幅が広い割には通行量が少ない。前方に群馬の山並みと手前に群馬大学工 学部の建物が見えます。

マップに沿って天満宮前の道を左折すると、外装がレンガ造りの織物工 181225 (17).JPG 181225 (16).JPG 場跡に喫茶&パン屋を 営業している「レンガベーカリー」へ。店 内にはおいしそうなパンや休憩処がありました。  押印。

スタンプはありませんが、桐生に来ると、必ず立ち寄ってい 181225 (21).JPG 181225 (20).JPG 桐生天満宮〔桐生新町創設にあたり、現在地に遷座された と伝えられる。社殿 は権現造で、本殿と 幣殿の外壁に極彩色の装飾が施されている〕を参拝。天満 宮だけに、境内に牛が鎮座して います。また毎月1回、骨董市が開催されているので有名。

折り返し

本町通りに戻って近くに無鄰館の建物。オジン隊で一昨年の夏、兼子隊長が「桐生世界文化 遺産を目指している」と話すと、隊長から「それは無鄰館(無理ん感)」というダジャレを思い出しました。 181225 (22).JPG

道の両側が桐生新町重要伝統的建造物群保存地区になってい て、1591(天正19)年 、徳川家康の命を受け、大官大久保長安の手代 大野八右衛門により新たに町を興し在郷街として発展。絹織物業を中心に発展してきた桐生を象徴する伝統的な家並み群(主屋や土蔵、ノコギリ屋根など)が並んでいます。

右手に、土蔵やレンガ造りの建物が目を惹きます。

 

その後、本町3丁目先の交差点手前の左側にある有鄰館へ。

181225 (23).JPG 181225 (24).JPG市指定重要文化財の有鄰館矢野本店店舗及び店蔵〔二代目矢野久左衛門が1749(寛延2)年に店舗を構えて以来、商業の発展 に寄与してきた土蔵群。酒類、醤油、味噌などの醸造を行ってきたところで、江戸から大正期にかけて建築された〕に立ち寄って、敷地内にはたくさんの土蔵蔵があり、絵画や書道展のイベントが行われています。押印場所は建物奥にある事務所。スタンプ押印。

※「有鄰」とは、孔子の「徳孤ならず必ず鄰あり」という故事から引用した言葉。

 

有鄰館を過ぎて、さらに本町通りを直進。本町5丁目を過ぎて、両毛線の高架をくぐって反対側の南口へ。街並みはシャッター通りと化していましたが、 かつて繁栄していた商店街の名残りがアーケード、街灯や石畳に残っていました。

 

錦町1丁目から錦町通りに入っ て、途中に雷電神社が右手にありま 181225 (30).JPG 181225 (29).JPGした。結局 181225 (26).JPG東武鉄道新桐生まで行って引き返し、渡良瀬川を一望。

錦桜橋の上からは、渡良瀬川と紅葉した後の山並みが良く観えて、これまでまちなかだけ 181225 (27).JPG 181225 (28).JPGだったので、気分転換。川岸の高層マンションがうらやましい。

 

錦町1丁目で左折。コロンバス通りの 181225 (33).JPG途中にある外観が桃色の「絹撚記念館」〔大正6年に建築された撚糸工場事務所棟で県内最古の 洋風石造建造物。現在は市の郷土資料を展示〕があります。本日は休館。

駅南口から構内の「市民活動センターゆい」で自転車を返して、「桐生観光物産館わたらせ」でゴール(11:21)。次の電車27分発を逃すと1時間待ちになるので、粗品をもらわずにすぐ前の「桐生へ。

 

間もなく11時27分発の小山行がホームへ。発車メロディーはご当地の「八木節♪」。小山駅(12:23着)へ。宇都宮線上野東京ライン熱海行き(12:33発)で上野→秋葉原→幕張本郷駅へ15時前に到着。

 

時計を忘れて、急いでまわりましたが、観るところがたくさんあって、何度来ても良いまちなかです!

 

「コンコン」咳が止まらず、ちょっとヤバイかなぁーと思っていました。が先週の日曜から軽い風邪をひいていましたが、年末で忙しく仕事を続けてなした。

12月23日~24日、親友たちと岩手の大沢温泉に年末観光旅行の予定。前日は仕事休みで、家でのんびりしていたものの、職場で日にちがずれてインフル患者が発生。勤めが診療所でインフルの患者さんがこのところ急に増え始めていました。

昨夜は大事をとって早めに就寝。

 

今朝、起きて熱を測ると37.2度。無理をすれば行けなくもなかったのですが、周囲に迷惑をかけるといけないのでドタキャン。8時過ぎにJRみどりの窓口へ。妻の運転で行ってハトちゃんが払い戻しの手続き。

帰宅後、休日の救急外来へ。うつっても困るというので一人で受診。その間、小生は習志野市東部体育館で筋トレ(今月9回目)。通常の日曜は多いのですが、天候がいまいちだったので来訪者は6~7人。

買物をして帰宅すると、ガレージに車が止まっていて、部屋に入るとメモが置いてあり「インフルAでした」と。

 

そのまま自分の部屋で休んでいます。過労と体調が落ちていたので、かかってしまったのでしょう。小生息子も本当に気をつけなければと思います。

 

 

 

12月21日(金)は、久しぶりに何もない日。眼科で右目黄班変性の経過観察が1年を過ぎて延び延びになっていたので、口内炎で受診の皮膚科と一緒に受診。

9時前に受付を済ませて3番目。皮膚科にカルテをまわしてくれて、診察はほとんど待たずに9時15分に終了。

その後、眼科の待合室へ。眼科の受診者は8番目。一人ひとり違うのですが、視力検査がある人が8割。10時半頃に名前を呼ばれて視力検査を。

 

眼底を見るために、瞳孔を開かせる点眼薬を看護師から受けました。約30分、視界はレンズを見ているように周囲が立体的に見えて、ぼんやりとして来ます。

 

名前を呼ばれて、診察室の待合室に入ると5人が長椅子に座って順番待ち。やっと呼ばれて若い女医さんが診察。12月に交代した新しい医師。

 

診察を終えて、もう終わりかと思っていましたが、ボランティアで手伝っている「友の会だより」に掲載されていた、新型眼底機械眼底の断層写真を撮るということに。こちらは医師の判断を変えられないので、そのまましたがって別の看護師が写真を撮ってくれました。

目薬をさして、案内してくれた看護師に、長椅子で待つように指示されたので、座って待ちました。一緒に座っていた患者さんの診察は進むのですが、ハトちゃんは40分たっても呼ばれません。写真はせいぜい2,3分で画像ができます。

あまりにも遅いので、案内役の看護師に聞くと「写真撮りましたよね?」。目の前に座っていたのに、看護師間の連係が悪いのか、忘れてしまっていたのか、診察室の中に入って出て来ると「次です」と。明らかにごまかしている様子。直後、診察室に呼ばれて、結果を画像を見ながら話してくれましたが、結局、最初の診察どおり。何のために新しい機械を使ったのか、わかりません。

 

診察後、会計用の受付表をもらう際、看護師に一言文句と検査後のスムーズな流れをお願いしました。会計を終えると、12時40分。約4時間も診療所にいて、本当に疲れました。目はぼんやりして遠くがよく見えなかったのですが、気分転換に途中の寺へ寄って、近くは見 えたので、墓周辺の清掃も 181221 (1).JPG181221 (2).JPG兼ねて銀杏をレジ袋(小)にいっぱい詰込みました。少しはストレス解消。

 

一生懸命やっているのはわかりますが、待ち時間をできるだけ短くする工夫と声かけを、診療所や看護師さんにぜひともお願いしたい。

 

房総半島の一番東に位置し、海に囲まれ自然に恵まれた漁港としても有名な街「銚子」。

12月17日(月)総武本線、成田線の終点、銚子駅へ。成田線では妻の実家がある小見川駅の先にあたります。

ぬれ煎餅」で有名な銚子電鉄にも乗れることや数年前から駅ハイ事務局に、ハトちゃんは銚子での開催をお願い。昨年、実現して2回目。新コースは 「魚の街を感じる、ちょうしがよくなるハイキング」。しゃれが効いてるキャッチコピーです。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

コースは約11km 銚子駅右 銚子セレクト市場  スタート 銀座商店街右飯沼観音右川口神社右銚子漁港第二卸売市場右銚子漁港第三卸売市場右銚子ポートタワー右ウオッセ21(水産物卸売センター)右嘉平屋本店おみやげセンター右~海のそばのハーブ園~ハーブガーデンポケット右海鹿島海水浴場右君ヶ浜右犬吠埼灯台右銚子電鉄犬吠駅 ゴール 

 

銚子へは兼子隊長と山根副長が特急で先着。遠藤副長小生は成田から成田線経由。ハトちゃん 181217 (8).JPGは最寄り駅から京成本線で京成成田へ。電車が遅れて、JR成田駅では乗車の際、ドアが閉まりかけ、あわてて右手を入れて何とかドアが開いて、飛び乗りました。冷や汗をかいた後、遠藤副長と話しながら銚子駅へ。

 

あいにくの雨(銚子方面のみ)で、久しぶりに傘を 181217 (3).JPG 181217 (2).JPGさしながらの駅ハイ。駅前大通りを直進。通りは広く、歩道の切れ目には、港にある船のロープをつないでおく、Lを逆さまにした形)のビット船留め)が漁港町を表しています。大通りなのに信号機がほとんどありません。

 

間もなく右手に銚子セレクト市場の建物。市場内には食事処銚子ジオパーク事務所もあり、土産店でスタート受付。店員さんの話では「本日、はじめての参加者です」と。一応、千葉方面の上り電車の時刻表を確認。コースマップをもらい、歩くコースを検討。隊長から提案があり、「悪天候で犬吠埼までは無理だろう。今回は途中の卸売市場の見学と昼食、土産品購入までとしよう」にメンバーも賛成。

隊長を先頭にスタート

 

 

まず、銚子市役所交差点を右折して、街の中心部を歩きます。歩道に敷き詰めたタイルが滑る箇所や、切れ目では大きな水溜りの箇所も...。

181217 (6).JPG 181217 (7).JPG港岸の2本手前の銀座通りは名前負けしていて、シャッター通りと化していて、営業中の店は少なく鄙びた感じ。直進。

 

 

20分ほど歩くと、観音前交差点へ。正面に飯沼観音が見えて来て、横断して境内へ。雨中でも参拝に来る人たちがいました。境内は広くて、整然と建物などが配置されて立派なお寺の印象。本尊・十一面観音を安置する観音堂本堂)や五重塔があり、日本における河川測量の原点である「飯沼水準原標石」があります。

181217 (18).JPG 181217 (9).JPG 181217 (12).JPG 

本堂前の両脇には、醤油の街としても有名なヤマサ醤油ヒゲタ醤油のお供物があって、駅ハイプレゼントの御縁守をいただきました。

 

飯沼観音圓福寺)は、坂東三十三ヵ所観音霊場第二十七番札所。728(神亀5)年、漁師の網にひっかかった十一面観音像の奉安に始まり、弘仁年間(810~824年)に 181217 (13).JPG 181217 (15).JPG 181217 (17).JPG 181217(37).jpg東国を巡っていた弘法大師が開眼したと伝えられています。銚子の繁華街や商店街は、飯沼観音を中心に形成され門前町として繁栄してきたそうです。文化財としても歴史的、学術的に価値のあるものだそうです。

  181217(38).jpg

 

三叉路を間違って進んでしまい、途中で地元の人に聞いて、道を修正。すぐ傍を曲がったところに銚子第一卸売市場がありましたが、寄らずにコースに沿って前進。

 

歩いて行くと、商店や民家がポツポツと点在。雨は止まず、言葉少なめに歩いて行きます。隊長は結構、早いペース。後ろの3人は付いて行きますが、ペースが上がりません。

 

すると、ハトちゃんの靴に違和感。犬の糞を踏んづけてしまい、雨のせいか時間が経っていないのか、跳ね返りがズボンの右裾にべっチャリ。「参りました!」。困っていると、すばやく山根副長がティシュを出してくれ、それで拭きました。「いつも優しい山根さんに感謝!」。

遠藤副長からは「これで来年は運(うん)がつくネ」と冷やかされ、一同大笑い。信号で追いついた際に隊長にも報告。「まぁ、良いんじゃないの?」と笑われました。

 

 

観音から約2km海岸が観える道路に出て、再び街なかへ。海が眼下に観える信号前右側に川口神社。川口町の小高い丘の上にあり、986(寛和2)年に創建の古社。昔から利根川河口を出入りする 181217 (21).JPG 181217 (23).JPG漁船の船主や漁師の守り神として、拠り所となって来ました。「白紙明神」ともいわれ、あざ除けの祈願に訪れる女性も数多くいるそうです。

 

参拝後、海岸沿いの道路を渡ると、周辺が漁港第二卸売市場。外観のみ。堤防沿いを漁港を 181217 (27).JPG 181217 (25).JPG観ながらのウォーク。カモメが羽根を休めていたり、桟橋や漁船が停泊していたり。海面は暗く観える光景。漁港独特の磯の香がすいます。

 

道路の一段低くなった場所が海浜公園になっています。正午になっていなかったので、先へと急ぎます。公園内の歩道には、いたるところに犬の糞が落ちていて、観光地なのに市民マナーの悪さを痛感。またも、「うん」の話に花が咲きました。

海の眺望が同じなのと雨が降り続き、第三卸売市場で土産や食事処が見つかるかはわからないので、銚子ポートタワーからだいぶ手前で引き返すことに...。

 

 

181217 (30).JPG 181217 (31).JPG今度は右側に海を観ながら、第二市場へと。すでに市場内は閑散としていましたが、船の網を直している漁師の姿を見かけました。お奨めの食事処の名前を教えてもらい、探しながら海岸沿いを、一路、駅方面へ向かって行きました。船宿や網元の家や直営店もありました。

 

結局、中心街に一番近い第一市場近くで女性店員が呼び込みをして 181217 (35).JPG 181217 (34).JPGいた「蔵鮪(まぐろ)」に入店して魚料理を食べながら反省会と新年一発目の日時と場所を決めました。味はさすがに漁港なので美味でした。

時間を見ながら出て、三叉路近くの生鮮魚店で土産の干物を購入。観光客が来ない日に、われわれは魚店に貢献し、店主もさ 181217 (20).JPGぞかし喜んでいたでしょう。

 

 

三叉路を渡る際、行きに間違えた道がわかりました。再び、銀座通りに戻り、少し歩いて左折。ス 181217 (4).JPGタート時の銚子セレクト市場(セレクト館)で、銚子電鉄を守るために自社工場で焼いている「ぬれ煎餅」や地酒など土産品をそれぞれ購入。

  181217 (36).JPG

市場を出ると、皮肉にも雲の切れ間から青空が見えはじめ、運の悪さをみんなで嘆きました。

 

銚子駅ではハトちゃんだけ千葉行き普通(14:05発)に乗って帰宅。隊長と副長たちは後発(14:17)の特急しおさいで千葉駅へ。千葉駅からタクシーで年末最後の天然温泉「笑がおの湯」へ。

 

雨中の銚子で、約7kmしか歩けませんでしたが、来年こそ「上り調子」で「ちょうしがよくなるハイキング」にしたいですネ!

 

最近、手紙を書く機会がほとんどなくなり、メールで済ませてしまうケースがほとんど。

青梅の麻雀・散策から帰って来た12月19日夜、テレビ東京の「カラオケチャンピオン」を観終わる頃にが帰って来て夕食中、決勝に残ったプロになったばかりの男性歌手が優勝して番組が終わりました。

181220(1).jpgすぐ9時からのドラマが始まり、強盗に入り、男が老婆を絞め殺すシーン。二人で「暗いねぇー」と言って、チャンネルを替えようと思いましたが、タイトルが「手紙」で東野圭吾原作と出たので、ちょっと興味があり主役に亀梨和也をはじめ豪華キャスト陣だったので、さわりを見ると、ついつい引き込まれて、結局、最後まで一緒に観賞。

 

 

181220(2).jpgあらすじは、強盗殺人をして収監されている兄と、犯罪者の唯一の肉親である弟との手紙の交換からはじまり、弟の人生が犯罪者の家族ということで、恋人のいとこや両親から交際をやめさせられ、自分の夢である大学進学もあきらめる。理解してくれる友人女性が、兄に代筆の手紙を送っていたことがバレるが、「唯一の兄を大事にして」とお願いされる。一流流通会社に勤めるも、兄の存在がばれて、左遷。やっと同級生で応援してくれていた友人と結婚。

 

社長は犯罪者の家族のつらさを理解し、本人に生き方を問いかける。

娘も生まれやっと努力して幸せな家庭を築くも、隣りに引っ越して来た元先輩夫婦に近所へ噂話を流され、途方に暮れる。そして、社長に再び会って相談すると、「正々堂々と生きて来ただけで甘えがある」と言われる。

 

そんな中、娘が暴漢(若者)に襲われ、顔や体、妻も傷つく。犯人が捕まり、その両親が謝りに来て、自分が犯罪者を批判する立場になって、被害者側が加害者を許せないことに気づく。

 

兄に、犯罪者の弟として、社会から家族や仕事での差別を背負って生きて来たと本当のことを述べて、兄に更生を頼んで、縁を切る手紙を送る。その後、兄が殺した家に、謝罪に行き、息子さんから、兄がずっと手紙を送り続けて来て無視していたが、弟からの手紙を受け取って、被害者に対する謝罪ともう弟に返事が書けないと聞く。今回で最後のけじめをつけることを弟に告げる。

 

ラストシーンは、刑務所の慰問コンサートに行き、そこで坂本 九「見上げてごらん夜の星を♪」を涙ながらに歌い、受刑者の中に兄が泣きながらいる。

 

手紙は話し言葉と違って、破ったり、捨てたりしない限り、残るものである反面、見えないので受け取る側である程度推測しながら判断することが多い。一方向なので相手が返信しないと、それで終わってしまうこともあります。

犯罪が起こると必ず報道記者・リポーターなどが必要以上に、家族や親戚を追いかけることがありますが、十分に配慮することを望みます。

このドラマでは、理不尽な差別や偏見などが犯罪者の家族へ負担をかけると同時に、なるべく避ける一般人の姿を赤裸々にとりあげ、結論はなくても大変だということが良くわかりました。被害者の家族は、犯罪を記憶から消すことはできないし、加害者本人のつぐないと家族などの苦労もわかって、とにかく事件や犯罪が起これば、いろいろな犠牲が生じ、幸せになれないんですね。

 

東野氏の社会派サスペンスは、犯罪と家族、被害者と加害者、社会のあり方など、深く考えさせられた今年一番のTVドラマとなりました。原作も読みたいと思います。亀梨さんの渋い演技はピッタリで感動しましたが、ソロの下手さは、最後に九ちゃんの歌で締めたので、良しとしますか。

 

 

12月18日(火)~19日(水)にかけて、元勤務先の先輩や後輩たちと麻雀大会(青梅)に参加。

 

ハトちゃんは、中央・総武線で御茶ノ水駅へ。1本遅れてしまったので、快181218 (1).JPG速立川行きが隣りフォームに入って来ました。小笠原諸島への観光ラッピング。立川駅で1番線に乗り換えて青梅駅11時23分着。

 

集合時間は12時だったので、観光する時間は無し。

東京の奥座敷・青梅は駅構内とロータリーに、映画全盛期の看板。赤塚不 二夫シネマチックロード181218 (4).JPG 181218 (5).JPG 181218 (7).JPGや古き良き昭和の時代を意識した街づくり がレトロな雰囲気を醸し出しています。マンホールのデザインは梅とウグイス。

 

雲一つない冬晴れ。駅横に「オリジン弁当」があり、320円(税込)の「タルタル 181218(20).JPG 181218 (6).JPGのり弁当」を注文。

 

 

その後、駅前からの近道(案内板が出ている のでわかりやすい)で、 釜の淵公園(川の淵が釜の形をしているところから由来)内の、多摩川にかかる鮎美橋へ。 181218 (10).JPG 181218 (8).JPG

橋上から観る多摩川は蛇行していて、夏の川遊びの賑わいは嘘のような冬景色。太公望もいません。 

 

橋の左前方に「かんぽの宿」7階建の建物が望めます。橋を渡り、久しぶりに、古民家の旧宮崎家住宅は外観のみ。 旧宮崎 181218 (11).JPG家住宅〔19世紀初頭、江戸末期のものと推定される農家で、市内北部の山あいに残った住宅を移築したもので、囲炉裏と広間が一体になった広間形と呼ばれる造りが特徴〕。

郷土博物館裏の急な石段を上ると、「かんぽの宿」駐車場から玄関前へ。駅からは徒歩約15分の至便さ。ロビーに今はやりの市内 181218 (14).JPG 181218 (15).JPG俳句選を掲示。かんぽの宿は利用者に高齢者のリピーターが多いのも特徴。

 

 

本日は5人のメンバー。13時過ぎから早速、麻雀を開局。麻雀ルームには、5台の自動麻雀台がありますが、他に1グループが 181218 (12).JPG 181218(16).JPG利用していました。夕食時間前まで東場3回の激闘。途中、ハトちゃんは1回抜けて、展望風呂でゆっくりしました。写真左は夕焼けがきれい。右は日の出後。

 

今回も和気藹々としゃべりながらは少なく、黙々と勝負に徹していました。隣りの女性4人組は、暖房が暑いと、「上着を脱いじゃおうかなぁー」と恥ずかしくもなく言って、大声で笑っていました 181218 (13).JPG。われわれ男性陣はたじたじ。やはりオバちゃんパワーには負けます。昔は徹夜マージャンもやりましたが、皆さんだいぶ年をとって、日を跨いではやらなくなりました。家族・健康麻雀といえます。

 

ハトちゃんは半年ぶりの参加。今回は2日間で、計6名。23時まで夕食をはさみ5回。ちなみに戦績は1位1回と2位2回と4位1回で、メンバー内では3位と不本意な結果に。

もう一つの楽しみである7階の展望風呂へは翌朝を含めて3回。展望風呂(天然温泉「鮎美の湯」アルカリ性単純温泉)からの眺望がすばらしく、泉質もまろやかで、肌に優しく、ゆったりと湯船に浸かって青梅市街と多摩川の夜景を一望しました。

夕食の料理は前回に比べて年末ということもあり、少し量も質も落ちていました。配膳係が若返っていて、不慣れなこともあり、ちょっと手間取りました。朝食はバイキングで和食と洋食が自由に食べられます。

 

 

181218(17).JPG19日朝は、旅館のお土産を買って、早めに出て釜の淵公園を散策。園内に2代市長 181218(18).JPG 181218(19).JPGの榎戸米吉氏の像がありました。また河原に日射しが差し込んで、橋の上から川面がキラキラと輝いて気持ち良かったです。

都会の喧騒を離れて、多摩川渓谷の景色を眺めて、麻雀&温泉で気分転換ができました。 

 

 

今週は一段と寒くなって、冬本番。日中も気温が上がらず、ダウンジャンパーを着用。

12月13日、早朝、広報紙「友の会だより」の発送作業に向かう際、念のためもう一度、寺へ寄り道。

というのも、2ヵ月前に健康友の会助けあいのボランティアで草取りをした家の前にあるの境内に、大イチョウの木が2本。塩害の影響で大木の南側面だけが茶色くなって葉がほとんど散ったのと同時に、落ちた銀杏ぎんなん)をレジ袋に詰めて持ち帰ったブログを書きました。

 

今回は先日拾った方でなく、もう1本の根元に銀杏の実がいっぱい落ちていました。先週、習志野市のいつもの拾得場所に出かけたものの、銀181214(1).JPG杏は1個のみ。もう今年は、無理かなぁ?と思っていました。

 

歩く場所は掃除されていてほとんど落ちていなかったのですが、墓石の間にたくさん落ちていて、手を伸ばして拾いまくり、墓付近もきれいになりました。誰もいなかったので15分。小型のレジ袋がいっぱいになるほど詰めました。ビニール手袋を持って行かなかったので、素手で。

 

友の会の発送作業は9時半過ぎから開始。本日はバザー開催日。大勢のお客さまとボランティアさんが集まって、賑やかでした。レジ袋は臭うのでチャリンコの前カゴに置いたまま。

正午に発送業務を終えて、帰りも寺へ寄ると、子ども連れの東南アジア系のお母さんがいて、可愛い娘さんがイチョウの黄葉を集めていました。

銀杏(ぎんなん)を知らなかったので、教えてあげて、拾いに来て、試食してみることを薦めました。

娘さんに「バイバイ」した後も、黙々と拾っていると、石材業者の車が昼食を終えて墓石の傍に停車したので、早々に退散。

これで、今年も来年の分もゲットできました。

 

 

181214(2).JPG帰宅後、お茶漬けを食べて、習志野市東部体育館で今月6回目の筋トレ。軽く汗を流しました。写真は、手前が紅葉して落葉し始めたプラタナスで奥が体育館。

 

あとは、妻と息子が帰って来る9時ごろまで、夕食の準備と一人の時間が続きます...。

 

12月10日(月)は、千葉健生病院健康友の会 花クラブの定例活動日。今年一番の寒さで、肌を突き刺すような冷たさ。風が無かったのが幸い。集まったのは5人でクラブの半数。

花壇に先月植えたネモフィラ、キンセンカ、キンギョソウ、パンジーなどは根付いて、その周りの草取り。1月は草も伸びないので例年活動は休止。その分、丁寧に小鎌を使って、きれいに取りました。

約1時間の作業。その後、会議室で打ち合わせ。代表から、花クラブ及び友の会活動の取り組み、行事で、松戸本土寺紅葉観賞熱海の高齢者大会秩父長瀞での友の会旅行、友の会会員増署名活動の推進・結果が報告されました。

来月の活動休みと、新年会(1/15(火)11時集合.中華料理「ジャンク」)を決定。本日欠席者に連絡することに。11時40分閉会。新年の挨拶をして、別れました。

その後、ハトちゃん「友の会だより」の宛名シール貼り。担当のボランティアさんが誰もいなかったのですが一人で、昼食を除き1時間。

 

午後1時過ぎに事務所を出て、自転車で京成幕張駅近くの幕張公民館に向かいました。

 

181210 (6).JPG1時30分開始の健康友の会九条の会主催「第23回 平和ミニコンサート&戦争体験を聞くつどい」に5年5ヵ月ぶりに参加。参加者は46名。

 

 

第一部のコンサートは、ピアノ伴奏による、バリトン 増野さん、ソプラノ 布村さん、長谷川さんによる豊富な声量による、すばらしいボーカル・合唱 ♪ が披露されました。

はじめに、ご存知の「たき火」の合唱。181210 (2).JPGその後は、増野→布村→長谷川の順で交代して熱唱。ソロの歌声が響き渡り、会場内は聴き入りました。途中、ピアノの栁沢さんのすばらしい演奏にも感動。

増野さんの千の風になって」は、途中歌詞を忘れてしまったのはご愛嬌。高齢にもかかわらず、張りのある歌声。とくに、カンツォーネを言語で歌 181210 (3).JPG 181210 (4).JPGわれた「オーソレミオ」は聴衆を魅了しました。「ブラボー」のかけ声が3人に何度もかけられました。

 

最後に「ともしび」「ジングルベル」は3人の出演者と参加者が一緒に歌って楽しみ、和やかな雰囲気で1時間をこえて終幕 181210 (1).JPG

小生も、本物の声楽歌手の歌を聴くのが久しぶりで、とても良かったです。

 

休憩を挟んで、第二部は、憲法改悪の話で、講師は渡会 久実さん(弁護士)。演題は「止めよう改憲発議 この憲法で未来をつくる 安倍9条改憲NO! 止めよう辺野古新基地建設」。参加者は29名。

娘が帰宅し、一緒に夕食を共にする関係で、今回はカットさせていただきました。この企画が23回も続いているのも、関係者の多大な努力と、日本では戦争がなく、平和であってこそのコンサートを聴ける幸せを感じました。

 

 

コースは;菊名駅 スタート 八幡山 観音寺右篠原八幡大神右菊名池公園右菊名池弁財天右長光山 妙蓮寺右菊名桜山公園右菊名神社右菊名駅 ゴール

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明日(12/17)が銚子駅ハイというのに、書くのが遅くなってしまいました。11月21日(水)、オジン隊駅ハイ 横浜線開業110周年記念 菊名沿線ハイキングと寺社仏閣めぐり(約6.5km)」に初の水曜参加。

菊名駅10時に4人全員が集合のはずでした。「あれぇー、隊長が来ない」。連絡があった時間を過ぎても来ません。それもそのはず、読書で1駅先の小机駅まで行ってしまい戻って来たので、20分遅刻して合流。

菊名駅は、横浜線と東急東横線の乗換駅で、新幹線の新横浜駅が隣りにあり、近年、急に乗降客も増え続けています。

181121 (1).JPGスタート受付は、改札通用口前で駅員さんが行っていました。今回は以前、保土ヶ谷駅ハイで歩いた6.5kmとほぼ同じの短い距離。マップのスタンプは、菊名神社のデザイン。

 

 

兼子隊長を先頭に、ひと月ぶりに雑談しながらマップに沿ってのウォーク。 181121 (4).JPG 181121 (2).JPG

まず、西口を出て横浜線の高架下を通ると、角に真っ赤な中華料理店が正面に。その前を右折して、線路沿いを直進。

300mほど歩いて左折し、十字路を右折すると、住宅街が続きます。

マップに沿って進むと線路の向かい側に、ベランダが広くて日当たりの良いマンションが目につきました。

右の小道に入ります。小道を進んで道なりに進むと、コンビニ「セブンイレブン」横に出て、T字路を左折。曲がるところが、ちょっとわかりづらい。神奈川県なので、矢印があっても良いと思います。

 

住宅街を抜けてゆるやかな上り坂を進みます。途中、狭い道路に大型車が方向転換をしていて、われわれも立ち往生。メンバーから「交差点などでよくぶつからずに運転できるよネ」と感心の声。

右側に公園があったので、道は間違っていなかったと安心。

公園には紅葉した木もありました。

 

181121 (6).JPG 181121 (7).JPG 181121 (9).JPG続いて、右折。左側に横浜市指定名木古木の大イチョウが2本。樹齢は200~300年。

 

 

すぐに八幡山 観音寺〔真言宗智山派:創建年代は不詳。1192(建久3)年に創建された篠原八幡大神の別当だったとあり、山号も「八幡山」となっている。本尊は十一面観音坐像〕へ。
 鉄筋コンクリート造の本殿と不動堂は1975(昭和50)年に再建されました。本堂に参拝。

 

境内を抜けて先を急ぎ、住宅街の先のカーブミラーのある交差点を 181121 (10).JPG 181121 (11).JPG 左折すると、間もなく篠原八幡神社へ。篠原八幡大神とも呼ばれている〔創建800年で由緒ある神社。日本神社百選にも選ばれている〕は、境内裏手から入ったので、寺の境界をまわって石段を上らず、楽に境内へ。

参道を進むと、天保年間奉納の狛犬が迎えてくれます。また、拝殿は天保年間に建立され、絵馬が掲げられています。


拝殿の左に境内末社の稲荷社が鎮座しています。八幡山からは横浜菊名の街がちょっとだけ眺望できました。

 

境内から広い道に出て、ゆるやかな下り坂を約1km直進。

 

ここで、メンバーからお孫さんの話。遠藤副長のところでは「じいじ、ばあば」と呼ばせているそうで、小生も娘が今年6月に結婚したので、もし孫ができたら、どう呼ばせるか、悩みどころです。ちなみにシティーボーイの隊長から、孫がいたら「おじいさま」と呼ばせたいという冗談に一同大笑い。

 

181121 (14).JPG181121 (3).JPG 181121 (13).JPG前後に駅ハイウォーカーの姿が見えません。ちょっと不安でしたが、コースだと信じて進みます。右側の住宅には、横浜を象徴するようなモダンな家もあって、マンホールのデザインは、ベイブリッジと横浜港のデザイン。

 

やっとレンタカー会社の看板が見えて、右折。東横線手前の道を 181121 (18).JPG 181121 (17).JPG 181121 (15).JPG右折し、菊名池公園へ。公園内の池では蓮の花と葉、それにカモが数羽泳ぎながらエサを探していました。

いったん、公園を出て菊名橋の交差点を渡って、再び菊名池公園へ。左側にプール〔夏場は流れるプールが人気〕が見え181121 (20).JPG 181121 (21).JPGて来て、まわり込むように遊歩道を歩くと 小さな菊名池弁財天〔横浜七福神の弁財天が祀られている〕があり、参拝。

 

 

 

公園を出て、妙蓮寺駅前商店街を抜けると、東横線の妙蓮寺駅前の踏切。 181121 (25).JPG 181121 (23).JPG 181121 (22).JPG上下線の電車が通るのを待って横断。正面が妙蓮寺〔1350(観応元)年、大経院妙仙寺と称し、日蓮宗池上本門寺の末寺。日蓮聖人のご尊像を祀っている。駅はかつて寺の境内だった〕への参道になっていて、本日は葬 181121 (24).JPG儀場になっていて、ちょうど霊柩車と参列者の車が出て来ま した。本堂前で記念撮影。このところの暖かさで、寒桜が咲いていました。 

 

 

その後、菊名駅方面へ東横線沿線をたどって間もなく、右折して上り坂。坂には滑り止めのための丸い溝が施されています。校庭が一段下にあって、丘の途中に校門がある港北小 181121 (29).JPG 181121 (27).JPG学校横の歩道を抜けて妙蓮寺駅入口のT字路を左折し直進。

前方に歩道橋が見えて来ます。オジン隊は松見町歩道橋を渡らずに、傍にあった横断歩道を渡り、交通量が増えた道を直進。歩道が狭く、一列で歩く箇所も...。

また、約800mほど直進。車を正面に見ながら、排気ガスを避けて歩きますが、ときおり臭って来て、ウォークコースにはあまり向いていません。

 

ガソリンスタンドやコンビニを抜けて、老人センター前へ。前のクリニックの建物を確認して左折。閑静な道に入ります。前方に中高年夫婦のウォーカーがいて、181121 (32).JPGもなく樹林が続く菊名桜山公園へ。地元では八重桜の名所で「カーボン山」181121 (31).JPGとも呼ばれています。出 口近くの花壇にはきれいな花が咲いていました。

 

公園内は地面にウッドチップが敷き詰められていて、歩くのが心地良い。公園の高いところからゆっくり坂を下って行く 181121 (34).JPGと「カラスに注意!」の看板。この時は、あたりにカラスがいませんでしたが、メンバーのゴミ収集日にカラスにやられた話やカラスの賢いエピソードも話題に上りました。

山道を過ぎ、階段を下り、左に曲がって菊名駅方面へ。途中から同じ方向に歩く人が増えたので、駅への道だと確信しました。

コースマップを見ながら横浜線の高架下をくぐって、駅前通りを進むと、賑やかな菊名駅東口へ。

 

菊名神社へ向かう道は細く、それでも路線バスが通っています。「横浜ラーメン」など、有名なラーメン店が軒を連ね、ちょうど昼時だったので列ができている店もありました。

 

とにかく、メンバーは最後のポイント「菊名神社」へ。神社は駅東口から徒歩 181121 (36).JPG 181121 (35).JPG3分ぐらいで、鳥居が珍しい黒色。パワースポットとしても名高いそうで、千年以上の歴史を持つ由緒ある神社。境内は道路に接するも静か。境内正面・本殿横には「がまんさま」の石像があ181121(39).jpgり、200年以上も我慢強く手水鉢を支えています。参拝後、みんなで読んで、納得。休日などに「がまんさま」の 焼印入りの蒲鉾が入ったうどんを限定販売。

 

 

その後は、駅前でファミマを探し、交番でも聞きましたが無くて、結局、神社への途中にあった「日高屋」(チェーン店)へ戻って昼食。本日の成果と来月の駅ハイを決定しました。

 

そこで、台湾に3泊4日で旅行した隊長から、故宮博物館台湾の親日家が多いこと、簡体字を使わない漢字を使っての文化では台湾が一番だったり、食べ物の話を聞くことができました。また、台湾出身歌手のジュディー・オングやテレサ・テンの話題で大盛り上がり。

また、3人に年代物の紹興酒をお土産として買って来てくれました。ウォーク中、重いのに3本も持って歩いていたのにビックリ。

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今回の菊名はのんびりと晩秋の神社・仏閣・公園をめぐったのですが、横浜ということで、坂が多く、静かな住宅街をめぐる旅にもなりました。

 

菊名駅で別れた後、先輩たちは恒例の天然温泉へ。

新横浜の温泉は14時からで、お茶して待ちましたが、ホテルのロビーの珈琲が250円でビックリ。温泉は貸し切り状態で、我々以外客なし。その後、駅の飲食街で懇親。【隊長のメールより】

 

 

11月27日(火)に駅ハイ東京〔受付のみ〕&品川に行って来ました。

東京駅へは運賃の安い東京メトロを利用。

昨年と全く変わって新コース「~晩秋の東京 今昔物語」は、東京駅丸の内駅舎をスタートして、築地本願寺や深川不動堂、勝鬨橋や永代橋、東京ミッドタウン日比谷など、新旧の歴史・文化と大型商業施設を組み合わせて、今昔物語と銘打って、興味を惹く  181127 (3).JPG  181127 (2).JPG  181127 (4).JPGコース。ハトちゃんは、ミッドタウン日比谷以外は、ウォーキングサークルや駅ハイで歩いていました。

スタート受付後 、丸の内駅舎の外観と駅構内を眺めただけ。

 

コースは約 10km東京駅 スタート  赤レンガ駅舎・丸の内広場右和田倉噴水公園右東京ミッドタウン日比谷右銀座NAGANO右歌舞伎座右築地本願寺右勝鬨橋右成田山東京別院 深川不動堂右永代橋右富士の国やまなし館右東京駅 ゴール 

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早々に退散後、山手線内回りで品川駅へ(10:19着)。 

江戸時代、交通の要であった東海道の一番目の宿場町品川。田町駅と品川駅間に新駅を建設中。昨日、発表になった2020年4月開業の「高輪ゲートウェイ。山手線内は漢字だけの駅だけでしたが、今回のカタカナ表記が入るのは、駅員さんも言いづらいし、ハトちゃんも、正直、「高輪」だけで良いと思います。

 

コースは約 10km品川駅 スタート  御楯橋右楽水橋右天王洲橋右新東海橋右港南大橋右浜路橋右五色橋右港栄橋右潮路橋右レインボーブリッジ右ゆりかもめ お台場海浜公園駅 ゴール  

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品川駅中央改札口でスタート受付。コースマップを見ながら歩き出しました。今回は品川ベイエリアに点在する「」や「運河」、「ビル」や「東京湾)」を景観します。

 181127 (8).JPG  181127 (5).JPG  181127 (9).JPG  181127 (10).JPG東口(港南口)に出て、直進。早速、京浜運河に架かる最初のポイント御楯橋へ。運河の左右には高層ビル。運河に沿って遊歩道があります。

橋を渡って右折し、運河に沿って歩いて行きます。正面に東京海洋大学の建物とキャンパス。遊歩道をしばらく歩くと、右側に港南公園が見えて来て、家族連れが遊具で遊んでいます。

 

 181127 (13).JPG  181127 (14).JPG続いて、小さな楽水橋(緑色の橋)を渡って左折すると、間もなく天王洲橋。天王洲運河に架かって、旧海岸通りが通っています。天王洲は造船所とし  181127 (18).JPG  181127 (17).JPGて活用されていたので、昭和初期頃は倉庫街になっていました。

 

 

天王洲橋を渡って、テレビ東京のスタジオを左折すると、新東海  181127 (19).JPG。運河沿いにウッドデッキが設置され、海岸通りへ抜ける道に、レストランやカフェがあって、倉庫の壁やフェンスに、クリエーターによるユニークな人物像や顔が描かれています〔ボンドストリート〕。

 

クルーズ船や屋形船が運行しています。間もなく右側に東京モノレール天王洲アイル駅へ。広場の横を通って、天王洲運河に沿って遊歩道〔ボードウォーク〕を歩き ます。テラスに座席があり、食事もできます。

 

 

続いて、海岸通りを横断。幅広の品川ふ頭橋を渡って、すぐ左折。引込  181127 (23).JPG  181127 (22).JPGみ線沿いの歩道をしばらく直進。すぐ前に、2人の男性ウォーカー。右側高架道と線路の高架が続きます。

 

 181127 (24).JPG  181127 (26).JPG約1.2kmほど単調な道を直進。左側に倉庫群。搬送用の大型車が多数停まっています。

 

突き当たって、スロープを上って、京浜運河を渡る橋が港南大橋。長さが218.5mもあって、品川ふ頭を往復する車  181127 (28).JPG  181127 (27).JPGが多く、排気ガスが邪魔をします。

 

そのまま直進して、田町駅ハイで見覚えのある地域へ。

 181127 (30).JPG  181127 (32).JPG高浜運河の新港南橋を渡って右折し、運河沿いの遊歩道に下りて直進。ユリカモメが羽根を休めていました。ゆっくりと景色を見ながら、運河風景を楽しみます。

 

白いヨットのオブジェのある浜路橋。海浜に向かう道の橋から名づ  181127 (33).JPGけられたそうです。

 

中間地点(5km)を過ぎましたが、もっと歩いた感じ。その先の五色橋。高浜水  181127 (35).JPG門越しにお台場が望めます。首都高速道に沿って、高架下の道を田町駅、ゲートブリッジ方面へ。

 

 

   181127 (37).JPG

芝浦運河に架かる港栄橋を渡ると、いよいよ田町近辺。運河に沿って右折し、新芝運河沿緑地を進みます。きれいな花壇もあります。運河を警備する警備艇  181127 (38).JPG  181127 (39).JPGが横を走って行き、先で停泊。高さ1.9mのトンネルを通過。

 

 

前方に、潮路橋が見えます。小生は、レインボーブリッジは2回ほど行っ  181127 (41).JPGていたのと、高所恐怖症なのでカット。

 

 181127 (46).JPG  181127 (45).JPG船路橋を渡らずに左折して、カルガモ生息地が見える渚橋から汐彩橋へと歩いて、田町駅東口芝浦口へと向かいました。

渚橋では、上空に東京モノレールがちょうど真上を通過。初めて、下から車両を眺めました。  

 

ちょうど昼時で賑わう、商店街を横目に見ながら、直進して右側の上りエスカレーターに乗って田町駅東口ゴール(12:00)。 

 

ちょっと汗をかきましたが、趣きの違う橋を渡りながら、運河の景色や周辺を一望。品川・田町ベイエリアでの貴重な橋めぐりができました。

 

コース7.5kmいすみ鉄道 大多喜駅右 大多喜町観光本陣 スタート 大多喜県民の森タケの情報館右大多喜城右豊乃鶴酒造右大屋旅館右夷隅神社右良玄寺・本多忠勝公墓所右行徳橋・本多忠勝公銅像右Resort Ⅴiew大多喜右商い資料館右渡辺家住宅右大多喜町観光本陣  ゴール右大多喜駅

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12月4日(火)、ハトちゃんは5時に起床して、5度目となる城下町大多喜へ向かうことに......。

天候は昨夜の雨も上がって場所に寄っては靄っていました。しかし日が射して晴れ上がると、季節はずれの暖かさ、最高気温は約22度。

千葉駅6時29分発外房線上総一ノ宮行きに乗り、一ノ宮駅で3分の接続で安房鴨川行きで大原駅下車。最寄りの幕張本郷駅から約2時間。

 

いすみ鉄道 ムーミン列車(ワンマンカー)に乗り換え。ちょうど 181204 (2).JPG 181204 (1).JPG通学時間だったので車内は大多喜高校の生徒たちばっかり。2両で運行。車窓の両脇には、のどかな田園・里山風景が続きます。大多喜駅へと向かいます。

房総の小江戸「大多喜」は、江戸時代、房総一の十万石を治め、徳川四天王の一人本田忠勝を初代藩主とする「大多喜城」を中心に、現在まで続く城下町。

 

電車に揺られて約30分。8時12分到着。駅構内に、忠勝候と家来 の武者人形やムーミンの車両が保管されています。 

 

駅を出て、すぐ目の前に、スタート・ゴール大多喜町 観光本陣。武家屋敷の外観を呈する観光案 181204 (5).JPG 181204 (4).JPG内所。早かったので係員が機械をあわててセッティング。チラシをもらって見ると、前回とまったく同じコース。いざスタート(8:20)。

 

町中は、いかにも城下町らしい。十 181204 (7).JPG 181204 (6).JPG字路などには、標識案内が木製で、歌舞伎の 看板に使う勘定流文字で書かれています。歩いてすぐの所に、大手門。大手門をくぐり、「小谷松」駅方面へ線路に沿って歩き、南郭踏切を右に横断。

 

その先がメキシコ通り。 起点に、メキシコ国旗が掲げられて いる 記念塔があります。周囲は昨夜の雨上がりで空気が澄んでいてすがすがしい。

沿道沿いに「本田忠勝・忠朝」大河ドラマにという紫の幟が立ち並んでいます。これは町のあちらこちらでも見られます。ゆるい上り坂を、くねくねと。 歩道に蛙などのアートデザインが。

 

181204 (8).JPG 181204 (9).JPG左手眼下に御禁止川おとめがわ)の渓谷が続きます。紅葉がちらほらと。夷隅川と同じ流れですが、お城の前は御禁止川という別名になっています。 

 

1.2kmほど坂を上って、大多喜城への分岐を右折せずに左の道を直進すると、大多喜県民の森・タケの情報 181204 (11).JPG 181204 (10).JPG。入館して、展示場を観賞。竹細工の香りと自然を生かした技法が伝わって来ました。帰りに竹のペン立て・湯のみがお土産。

 

情報館前から案内矢印で左折すると、その先が鎖の張ってあるゲートを通って、野球グラウンドに沿って大まわり。左 181204 (14).JPG 181204 (18).JPG 181204 (15).JPG側の雑木林は紅葉が見事。グラウンドから一望できます。

大多喜中央公民館を通過して、左の下り坂へ。 いったん下って、上り坂になり、天守閣を目指します。今回、初めて大多喜水道跡を見つけました。

 

 

181204 (17).JPG

通行門があ って、 その先が駐車場。落葉を清掃している人に挨拶。右手に曲がって目の前の大多喜城天守閣を見上げます。城内には開館前だったので入館せず。

「大多喜城」は、徳川四天王の本田忠勝が1590(天正18)年に築城。千葉県立博物館大多喜城分館として、城郭と武器、武具などを展示。1871(明治4)年の廃藩置県で城は廃城。1975(昭和50)年に本丸跡に、天守閣作りの博物館を復元しました。

 

城前の展望所から大多喜町街が一望できます。横の急ですべりやすい階段を下って、大多喜高校のグラウンド前へと進みます。授業中で校内は静か。すぐ前に大井戸〔忠勝が掘ら 181204 (19).JPG 181204 (20).JPGせた大きくて深い井戸で周囲17m、災害時用。県指定史跡〕がありました。

 

その先、高校の入口階段を上がったところの薬医門〔二ノ丸御殿にあったと伝えられ、城建造物唯一のもの。県指定史跡〕に寄りました。

 

 

その後、元来たメキシコ通りを戻って、踏切を渡っ 181204 (21).JPGて、大多喜町役場181204 (24).JPG 181204 (23).JPG上南郭公園減速通学路〔石像あり〕、大多喜小学校前へ。標識やバス停の白壁に土蔵のデザインが。大多喜小学 181204 (25).JPG校の校門と校舎〔三角屋根が並ぶ特徴的な外観で県建築文化賞を受賞〕を眺めました。

 

 

小学校前の南郭通りを進んで左折すると、間もなく夷隅神社〔鎮座の年 代は不詳。大多喜町では最も格式の高い神社;社殿は権現造り、玉垣を廻し、古来、牛頭(ごず 181204 (35).JPG 181204 (29).JPG 181204 (28).JPG)天皇宮ともいわれている〕の裏手から境内に入り本殿を参詣。その後、隣接する大屋旅館〔国の登録有形文化財〕を見て右折し、良玄寺へ向かって、細い道を直進。

 

突き当りに大圓寺

行徳橋への近道を知っていたので大圓寺から左折して直進。橋の手前に大多喜町の観光絵図が立っています。

フィッシングパーク入口の看板が。橋の下には夷隅川が流れていますが川幅は狭い。行徳橋の親 181204 (31).JPG181204 (30).JPG柱の上に、本多忠勝公の威風堂々とした武者姿の座像。

コースは、Resort Ⅴiew大多喜〔大多喜城を中心にした街を一望できるホテル・レストラン〕になっていましたが、大多喜駅9時55分の次が1時間以上も開いてしまうので、橋を渡らずに中心街のみのウォークに変更。

 

橋からUターンして、大圓寺の先に、広場のような境内で殺風景な良玄寺 181204 (34).JPG 181204 (33).JPG 181204 (32).JPG。境内を右手奥に まわると、小さいが風情のある「忠勝公園」。墓地の一番奥に「本田忠勝親子の墓が並んでいます。ちょうど参拝者がいて挨拶。

 

 

その後、城下町通りを駅方面に戻りま 181204 (36).JPGす。昭和通りとの曲がり角に十万石最中が有名な御菓子司「津知屋」。すぐ先の角にある銘酒「大多喜城」の醸造元である豊乃鶴酒造〔国の登録有形文化財〕前へ。外観のみで城下町通りを左折して直進。

  181204 (38).JPG

途中、道なりに進むと「商い資料館」。出入口で駅への一番の近道を教えてもらいました。

釜屋や、商い資料館などの商屋造りや土蔵造りが見られる城下町通りの町並みは房総の小江戸といわれるたたずまいが色濃く残っています。

 

181204 (39).JPG 181204 (40).JPG 181204 (41).JPG100m先の向かい側に、渡辺家住宅〔江戸時代末期の商屋造り 、国の重要文化財〕が、コンビニ「セブンイレブン」の隣りにあり、外観のみ。現在は一般公開していません。

 

左折してコンビニ横の坂を上って行く途中、房総中央鉄道館の建物を発見。有料なのでパス。

 

坂はゆるやかで短く、途中、雨露に濡れた夏みかんがなっている 181204 (44).JPG 181204 (43).JPG民家がありました。上がったところが駅前で、観光案内所手前に天然ガス記念館があります。入館すると、人形が受付に座っていました。

観光本陣ゴール(9:45)。本陣ではコーヒーとなた豆茶のドリンクサービス。Resort Ⅴiew大多喜を除いて約5.5kmを歩きました。

 

181204 (45).JPG電車1両(9:55発大原行き)に乗客は3名。かつて日本のどこにでもあった懐かしい情景を、のんびりと走る「いすみ鉄道」を味わいながら終点の大原駅へ。

昨年に続き晩秋?暖かい大多喜を楽しめました。

外房線との接続は良くて、6分待ちで千葉行きへ。帰宅・昼食後、時間があったので、12月は27日までの筋トレ(毎月10回目標:今月3回目)へ出かけました。

 

 

千葉市では前夜からの雨が上がって12/3(月)曇り。千葉健生病院健康友の会助けあいの依頼で、早朝、草とりボランティア。先月1日に草取りを行ったお宅へ。

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場所は千葉市花見川区の瑞穂の杜(25年前に分譲)付近へ。現在は、一大新興住宅地になっていて、区役所や学校、商業施設に立派な舗装道路が整備されています。

前回と同じメンバー。5日前に松戸本土寺紅葉観賞したメンバー6名のうちハトちゃんを含め3名。

 

広い庭を眺めると、玄関から向かって左側が済んでいて、本日は右側。夏みかんやゆずが鈴なりになっていました。2~3cm程度ですが、雑草がべったりと地面に張り付いています。前回、小生は小鎌で苦労したので、自転車に立鎌を持って行きました。

高齢のおばあさんは、通院のためゴミ袋と飲み物を用意して、タクシーで出かけました。

作業開始。このあたりの土地は、分譲前が田んぼだったこともあり、地盤を強くするため、小石を後から入れたので、草と石が混じっていて非常に取りづらい。早速、持参した立鎌を活用。昨夜の雨で草と一緒に土も結構付いてしまいます。それでもだいぶ楽です。数箇所にまとめて後で草を振るって袋に入れます。

 

1時間の予定でしたが終わらなかったので、相談して30分延長。幸い風が弱くて寒くもなく無事に終了。60ℓ のゴミ袋3個が成果。袋は運ぶのに少し軽めにということでしたが、まとめるとご老人にはちょっと重たかったかも知れません。庭全体がきれいになりました。これで、お正月が迎えられますネ。

作業後

181203(1).JPG 

 

 

コースは「神宮球場、いちょう並木だけじゃない~信濃町周辺の新たな魅力発見ウォーキング~」約6.5 km信濃町駅  スタート 聖徳記念絵画館右明治神宮外苑いちょう並木右Hondaウエルカムプラザ青山右TEPIA先端技術館右鳩森八幡神社右国立能楽堂右佐藤美術館右信濃町駅 ゴール

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いよいよ師走がスタート。小春日和12月1日(土)は、八王子で宿泊した181201 (1).JPG帰り、信濃町駅ハイに立ち寄りました。改札外の受付は、都内で紅葉・黄葉シーズンということでウォーカーによる長蛇の列。

コースは短距離でしたが、帰ってからやることが多いので、昨年 と同様、神宮外苑のいちょう並木だけを観賞。

その前に、外苑東通りの歩道橋を渡り近道をして、絵画館前へ。正面から聖徳 181201 (2).JPG 181201 (3).JPG記念絵画館〔明治天皇・昭憲皇太后の業績を後世 に残すため、1926(大正15)年に竣工。縦3m、横2mの壁画〔日本画・洋画各40点〕が年代順に展示。歴史的光景を当時の一流画家により描写・展示〕の外観のみ。

 

広場横に、なんじゃもんじゃヒトツバタゴ)の木〔水戸黄門こと徳川光圀が時の将軍に「あの木は何という木か」とたずねられ、その返事に窮してとっさに「なんじゃもんじゃ!」であると答えたと言われている〕がありました。 181201 (5).JPG 181201 (4).JPG

そこから右側の明治神宮外苑を歩いて行くと、ランナーの姿を多く見かけました。また2020東京オリンピック・パラリンピックのメイン国立競技場が建設が進んでいました。

 

今年は暖かい日が続いて、39年ぶりに木枯らし1号が吹かず、色づ いた葉はまだ残っていて、今週がピーク。早朝から休日ということもあって人通りは多い。

樹高順に並んだ、左右対称の並木は、遠近法の手法により、より雄大に観えます。ここだけヨーロッパの雰囲気が漂っています。

 

 

181201 (12).JPG 181201 (13).JPG 181201 (17).JPG 181201 (19).JPG

黄色く色づいた「いちょう並木」の下で、撮影したり、散歩を楽しむ人々。黄色い落葉の絨毯を踏みしめながら突き当たりの青山通りまでゆっくり 黄色一面の道を歩きました。観光客の多くは、言葉から東南アジア系の方々でした。

181201 (8).JPG 181201 (10).JPG 181201 (18).JPG

 

 

 

絵画館前では「いちょう祭り」の開場前で、こちらも長蛇の列。 明日2日まで開催。 181201 (9).JPG 181201 (6).JPG

 

帰りは、青山通りを進んで、東京メトロ半蔵門線「青山一丁目」駅から乗車。

「九段下」駅でちょうど来た東西線東陽勝田台行きの快速に乗れましたが、2週間前と同じく、車両故障で後続の電車と交換。東西線の車両整備に問題があるのかもと思いました。

帰宅後、12月初日ということもあり、チャリンコで東部体育館の筋トレへ。は仕事を終えた後、山の仲間たちと忘年会。小生は11月分の残したブログ2本と、このブログ仕上げを奮闘中。

 

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