2015年10月アーカイブ

 

コースは;中野駅  スタート かこい右中野四季の森公園右刑務所作業製品展示・販売ルーム右平和の森公園右中野区立歴史民俗資料館右野方配水塔右哲学堂公園右新井薬師 梅松院右中野ブロードウェイ右中野駅  ゴール

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10月28日(水)、ハトちゃんは実家のある中央線西八王子駅への途中下車で、中野駅へ。中野は昨年末にサークルとオジン隊の駅ハイで行って以来。

雲一つない、秋晴れのウォーク日和。駅ハイ中野の魅力発見!(約11.2km)」に参加。

駅前北口横でスタート(9:40)。今回は新装された陸橋を通らずに、中野サン 151028 (1).JPGプラザ広場前へ。

結婚式場や各種イベントなども開かれるサンプラザの高層ビルを見上げます。「2020年の東京五輪開催を起爆剤に、サブカルチャーの街、中野がさらに変貌を遂げる――」とのこと。

コンサート会場と して長年、親しまれてきた「中野サンプラザ」を解体・再整備し、JR東日本と組んで初の駅ビルを建設する構想。

 

最初のポイントは、隣りの中野区役所前にある犬屋敷(囲い)跡。7匹(抱えている子犬も含む)の犬の像があります。

151028 (2).JPGこの屋敷跡は、5代将軍徳川綱吉が統治する元禄年間、「生類憐れみの令」によって野犬のための犬小屋を作り、その面積は最盛期で約30万坪(東京ドーム約20個分)といわれ、約8万頭の犬が住んでいたそうです。住居には、五つの大きな犬囲いがあり、囲いの中は「犬小屋」「餌場」「日除け場」「子犬養育場」などが完備され、他にも、専門の医者や役人などが配備されていたというのですから、犬愛護にも度を過ぎると困ったものですね!

 

続いて、すぐ近くの中野四季の森公園〔元は陸軍、戦後は警察学校、警察大151028 (5).JPG学校があり、移転跡地を昨年4月に公園としてオープン。現在「中野四季の都市」として、中野セントラルパークエリアの中心にある〕へ。

サラリーマンや学生(帝京平成大学など)たちの憩いの場所になっていました。オフィスビルの横に広場と休むベンチがあります。

 

続いては刑務所作業製品展示・作業ルームをショートカットして進むと、真正面に平和の森公園〔1985(昭和60)年、中野刑務所跡地に部分的に開園。現在も公園を拡張、整備中〕へ。刑務所跡だけに「平和の森」と名づけたという話もあります。

公園の管理事務所内1階に平和に関する平和資料展示室があり、 戦時中の「中野の戦災・学童疎開」資料・写真パネルなどや東京大空襲時の焼夷弾などが展示されてあり、しばし、戦争の悲141120 (57).JPG惨さと平和の尊さを実感。 141120 (54).JPG

園内には、弥生時代の復原住居があります。

 

それから、北へ直進し、西武新宿線の線路を横断。右側に「沼袋」駅が見えます。

 

その後、新青梅街道まで直進し、江古田の森公園には向かわずに右折。間もなく中野区の歴史民俗資料館が左手に見えます。資料館は外観のみでさらに約1km直進。

細い路地を入って行くと、水の塔公園へ。園内に野方配水塔〔高さ33.6mの塔で、現在は地下に埋設された給水塔に譲ってはいるが、国の登録文化財に指定されている〕へ

。離れたところ 141209 (44).JPGからは、頭のドームが141209 (40).JPG観えますが、近くからは配水塔の高さと太いコンクリートを見上げるのみ。戦時中の弾丸跡も確認できました。園内地下に災害時の巨大な給水タンクが埋設されていました。

 

 

 

新青梅街道から野球場横を通って、哲学堂公園〔この地は、源頼朝の重臣である和田義盛の城址。明治37年に哲学者で哲学館大学(現・東洋大学)創立者、故・井141120 (42).JPG上円了博士によって精神修養の場として創設された。哲学世界を視覚的に表現し、哲学や社会教育の場として整備された全国に例を見ない個性的な公園〕内に入り、階段を上ると、台地になっていました。

園内には「七十七場」の各名称案内板と 建造物が立っていて、「哲学」の真理の雰囲気が感じられます。

【主な建造物】

四聖堂」は、孔子・釈迦・カント・ソクラテスを祀り、「哲学堂」とも称 しました。これが哲学堂の名前 141209 (56).JPGの起こりです。屋根の上に、烏帽子の形をした物が付いています。

 

六賢台 」は、日本の聖徳太子、菅原道真、中国の荘子、朱子、インドの龍 141209 (49).JPG樹、迦毘羅]の東洋の六人の哲人が祀られています。

 

哲理門 」は、 哲学堂の正門にあたる。天狗と幽霊が傍らにあり、天狗は物質界、幽霊は精神界の 141209 (47).JPG象徴であるといえます。右手の天狗は、目測でも確認できますが、左手の幽霊は暗くてよく見えません。写真に撮ることはやめました。 

 

三学亭 」は、日本の古来からの神学、儒学、仏教学の各碵学、 平田篤胤、林羅山、釈凝然を奉崇しています。三角地点の中に入って、パワースポットの力を身体に受けるために、両手を手招きポーズ。

 

ツツジ園菖蒲池 の橋を渡って、バスが運行している中野通りへ。途中、樹齢年数が古い桜並木が道の両脇に...。

南下して、西武新宿線の踏切を渡り中野駅方面へと...。

 

新井薬師公園北野神社を過ぎて、間もなく左折すると、大きな桜の木が本堂前にあって、新井薬師 梅照院 〔新井薬師 として親しまれ、1586(天正14)年、行 141209 (16).JPG 141209 (12).JPG春(元北条家の家臣梅原將監)の 141120 (59).JPG 141120 (60).JPG141209 (14).JPG開基と伝え られる。薬師如来と如意輪観音の二仏一体を本尊としている。

本尊の薬師如来は、子育薬師、治眼薬師(眼の薬師)として信仰されている。毎月8のつく日の縁日には露店が並び、大勢の人で賑わいをみせ、縁日の風情を味わうことができる〕へ。

境内には、本堂前に枝が長く伸びた桜の大木が、で~んと根を張っていて、ねがい地蔵(水をかけたり、拭くスポンジあり)前には、ミニチュアの地蔵も並んでいます。

山門を通って、石碑の前からの眺めは風情があります。参道から薬師門前交差点へと。

  

新井薬師門前から信号を右折すると、薬師あいロード商店街〔古 くから新井薬師の門前町として賑わっていた地域に、1964(昭和39)年に組織化された商店街〕へ。

早稲田通りに出て右折。次の信号を左折すると、正面に中野ブロードウェ 141120 (64).JPGイ商店街〔1966(昭和41)年にオープンした地下1階~地上4階まで約300店舗がある〕へ。天井が低い場所を通過します。出口で中野サンモール商店街と接しています。商店街の照明も明るく、飲食店、生活用品を販売している店などが多数あり、バラエティー豊かな店舗が集まっています。

 

 

続きの中野サンモール商店街〔中野駅北口広場へ続く、アーケー 151028 (8).JPGド商店街〕は、さらに人通りも多く、アーケードの中は、音楽がかかっていて、ちょうど昼時で、飲食店では待っているサラリーマンの姿もあちらこちらに...。

 

今回の駅ハイは、「多彩な魅力あふれるにぎわいの都市(まち)」の交流を目指しての 151028 (9).JPGなかのまちめぐり博覧会2015」(10.31~11.29)の一環で、秋の中野を歩きながら再発見できました。

 

 

 

コースは;高麗川駅  スタート右野々宮神社右駅舎風物置「こおばんち」右巾着田右高麗郷古民家右小さな美術館右聖天院右高麗神社右高麗家住宅右高麗川駅 ゴール

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【秋のウォークシーズンに入って、忙しくなってしまい、1ヵ月前の駅ハイの様子です】

 

シルバーウィーク明けの9月24日(木)、オジン隊 駅ハイで「500万本の曼珠沙華が彩る!秋の巾着田と高麗郡の歴史を訪ねる(約10km)」に参加。 

小生は、高麗川駅までは、前日、八王子の実家に泊まって、当日は西八王子駅から中央線で八王子、反対側ホームの八高線に乗り換え。川越行で高麗川駅まで1時間弱。

10時の集合でしたが、兼子隊長が少々遅れて到着。メンバーは2ヵ月ぶりで 150924 (15).JPGしたが、猛暑を乗り切り元気な顔で集合。当日の天候は曇り。

今回の一番の目的は、日本一といわれる500万本の曼珠沙華(彼岸花)の観賞

小生を除き、初めて高麗川駅に降りたメンバー。高麗川は日高市になり、日高というと北海道を思い出します。

 

 

駅横でスタート受付。再会を喜び、和気藹々としゃべりながらのウォー 150924 (1).JPGク。駅前ロータリーから県道182号線を直進。 「スーパー・オザム」を右折し、県道30号線へ。畑が続 150924 (3).JPGいて、早くも田舎の雰囲気が漂います。道端に多く実った栗の木や曼珠沙華も咲いていましたが、峠を過ぎて、少し枯れ始めていて、巾着田の見頃に一抹の不安も?

山口百恵の歌に「曼珠沙華」がありますが、マンジュシャカと言っているのは、間違い?

 

途中の信号を左折。車に注意しながら細い道を進みます。突き当りを左に道なりに進みます。マップでは、最初のポイント野々宮神社の鳥居があるはずですが 150924 (7).JPG 150924 (4).JPG、すぐに出て来ません。

やっと鳥居を見つけ、奥の本殿へと向かい、参拝。境内に土俵がありました。その後、運搬ケース箱が高く積まれているメイトーの工場があって、周囲の鄙びた風景を見ながら歩いて行きます。

 

150924 (9).JPG もくせい通りを直進すると、県道15号線に出ます。県道は、巾着田方面に向かう車で込んでいて、ところどころ渋滞。

車を見ながら、歩道を約600m歩くと、鉄道 150924 (10).JPG ファンが昂じて駅舎風の物置こおばんち」(平屋造)がありました。高麗川と 高麗の間の駅 で川越線へ乗り換えができる駅という設定となっています。 先を急いで外観のみ。

 

150924 (11).JPG さらに、約1kmほど直進します。駅前から発着する巾着田行きのバスも渋滞に巻き込まれていて、歩いて正解。

 

パン屋の横を斜め左に横道に入って間もなく、高麗小学校150924 (13).JPG 150924 (14).JPG 。続いて、巾着田の出入口にあたる手前に高麗郷民俗資料館があり、入館が無料ということもあり、見学。巾着田出入口の出店では、お茶の販売も。早くも観 光客がいて、賑わっていました。観光案内の方に聞くと、『ちょうど満開で、見頃』とのことで、安心しました。本日でラッキー!

 

 

その後、あいあい橋〔日本最大級の長さ全長91. 2mの木製トラス橋〕から、巾着田公園の赤 150924 (16).JPG 150924 (22).JPG い絨毯を見下ろせる唯一のスポットを渡りました。公園全体と、園内の花の群生とそれを観賞する観光客の姿が良く見渡せます。

橋の先の巾着田〔高麗川の蛇行が、日和田山から見ると 巾着の形に似ていることから由来〕へ。

150924 (23).JPG

公園内は入園料300円(この時期のみ)の臨時出入口ができて、柵がありましたが低い。横の 川沿 150924 (18).JPG 150924 (25).JPG いの遊歩道と、公園は隣りあわせで、歩いているだけで満開の曼珠沙華の群生を観賞できて、メンバーは『入園せずに十分』 ということになり、写真撮影。

観賞後は、巾着田の川沿いではなく、中央 部を歩いて行きます。 駐車場は 大混雑。出入口の誘導員は汗だく。150924 (26).JPG

水車小屋、広大な畑や湿地、小川(ホタルが生息)などを観て、里山風景の息吹きを吸いながら、  管理事務所に立ち寄って、スタンプ押印。

 

 

その後、観光バスの行き来を見ながら 150924 (32).JPG 、県道15号線へ。本来は、天神橋を渡って、右手に高麗郷古民家〔国登録有形文化財;江 戸末期~明治にかけての名主の住居〕がありましたが、横断歩道まで遠かったのと、橋の下を通らなければならないので県道越しに外観のみ。

後でわかったのですが、チェックポイントのスタンプはこの場所。ゴール受付では、管理事務所のスタンプで通ってしまいました。

左折して、高麗本郷の交差点を渡って、日和田山方面へ。少し上り坂の舗装道を進みます。

150924 (34).JPG 150924 (35).JPG 日和田山に登る二人連れのハイカーがいました。メンバーは廃墟化したレストラン前を通って、突き当りを道なりに右に曲がると、小さなモダンな小さな美術館。残念ながら休館日だったので、外観のみ。そこから幾分下って行き、商店脇から広い道へと出ました。

右に曲がって約1km強歩くと、やっと左 150924 (36).JPG 150924 (37).JPG に寺院の建物と参道手前の広場へ。途中、道端にコスモスが咲き、民家の入口にハローウィンのかぼちゃは良かったんですが、骨だけのブルドッグはグロテスク。

一段高いところに本殿がそびえる聖天院へ。寺の正面には、「天下大将軍」「地下女将軍」と書かれたチャンスンが建っています。厳 かな雷門があり、 150924 (38).JPG 150924 (39).JPG 150924 (41).JPG 雷門の先にある石段を登ると、新築の中門で受付があります。今回は石段を上って、中門前まで。

拝観料を払うと、本殿から高麗郷の街並みが展望できたり、見事な庭園や、阿弥陀堂、銅鐘などを観ることができます。また、若光の像や、高麗の偉人たちの石像などがあります。

寺院の参拝を終えて、   次に、高麗神社を目指します。細い道を進むと、一の鳥居の横の自動車お祓い所に出ます。二の鳥居をくぐって高麗神社の境内へと。

 

境内入口に、「高麗建郡1300年」の幟が見えます。2016(平成2 8)年には、この高麗郡が設置されてちょうど1300年を迎え、先人への感謝を表し、高麗神社主催による「高麗郡建郡1300年記念事業」を計画、実施するそうです。

高麗郡の歴史;高麗郡(こまぐん、こまのこおり)は、かつて武蔵国、埼玉県に存在した郡〔716年、大和朝廷が駿河など7ヵ国に居住していた旧高句麗の遺民1799人を武蔵国に移したことにより高麗郡として設置されたのが最初〕。

150924 (43).JPG 150924 (44).JPG なお、高麗神社は、紀元前1世紀~7世紀後半まで朝鮮半島の北部を中心に栄えた高句麗国の王族・高麗王若光を祀る神社。初代の郡長として若光が赴任した。出世開運の神として知られるほか、梅や桜の名所としても有名。神社の鳥居奥には、「天下大将軍」「地下女将軍」と書かれたチャンスンが建っています。

   150924 (45).JPG

境内では、高句麗文化展が開催されていて、華麗な民族衣装や装束品を展示。

境内でトイレ休憩後、裏手にある高麗家住宅(国指定重要文化財)は、3月に屋 150924 (46).JPG 根の茅の葺き替えが完成し、みんなで家の中の様子を見学。

メンバーからは、高句麗王の墓や王族が国外に逃げて、高麗(当時、舟で来て、こんな山奥)まで来た交通手段の難しさと苦労。この地まではさすがに追って来なかっただろうという話題になりました。

古代ロマンに思いを巡らせながら、神社を後にしま 150924 (49).JPG した。高麗川にかかる出世橋では、横にかかるアーチ型の鉄橋の階段の意味と、出入口が簡単に入れる危険さにビックリ。

道なりに進むと、上り坂では左手眼下に牧場と遠方に秩父の山並みが見える 150924 (50).JPG 里山風景が続き、見晴らしが抜群。

 

県道30号線に出て、行きで曲がったスーパーを今度は高麗川駅方面へ左折。

途中で、昼食を食べようということになり、スーパーに入って、とんかつ屋の看板を見つけて、中に入るも見当たらず。店ではなく、商品販売でした。紛らわしい!

その後、高麗川駅でゴール。受付のブースはなくなっていて、駅員さんが確認するも、名簿で名前を探すのに苦労していました。受付は再考の余地あり。 

今回は、田 150924(51).JPG舎の空気を存分に吸えて、無料で満開の曼珠沙華の花群を観れたのが一番の収穫でした。

 

帰り、先輩たちは恒例の天然温泉へ。小生のみ八高線(高麗川駅14:26発)で川越駅経由、川越線・埼京線で武蔵浦和で武蔵野線に乗り換えて西船橋へと出ました。乗り換え回数は多いものの、接続はほとんど待たずスムーズに17時前に帰宅できました。駅に着くと、パラパラと雨が...。

 

 

 

コースは;土浦駅  スタート つくばりんりんロード右亀城公園右旧水戸街道右土浦まちかど蔵右ザ・モール505(産業祭)右土浦駅  ゴール

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10月24日(日)、ハトちゃん茨城県土浦市へは過去2回、春のお花見に新川、桜川沿いを歩きましたが、秋は初めて。

少し雲はありましたが、さわやかなウォーク日和の中、半年ぶりに土浦に来て、駅ハイつくばりんりんロードと土浦産業祭・そばまつり(約11km)」に参加。

武蔵野線と常磐線を乗り継いで土浦駅西口に到着。チラシやマップの 151024 (2).JPG入った袋をもらってスタート(9:40)。 マンホールのデザインは、霞ヶ浦と帆引き船に筑波山。

 

りんりんロードは、春に歩いていたのと、坐骨神経痛で左足がしびれていたので、ポイント2番目以降のコース(亀城公園以降)に変更。歩くよりも観光を主に楽しみました。

駅前の中央通りを進んで、土浦高架橋の下をくぐって、亀城公園へと向かいます。途中、右手につくば銀行の立派な建物が見えました。

 

続いて、城下町の名残りを残す亀城公園(土浦城址)〔土浦城の本丸と二の丸の一部を 整備した公 151024 (3).JPG 151024 (6).JPG園。江戸時代前期の建造物である櫓門は関東唯一〕へ。

ここで、園内の庭園、東西の櫓を見 151024 (7).JPG学。園内では、広場でゲートボールや遊具施設に休日で家族連れが数組来ていました。また、管理事務所の方々が落葉の清掃を。

 

151024 (8).JPG 

その後、公園傍に立っている市立博物館の外観を見てから、

途中、土浦小学校〔校地は、土浦藩の高級武士の屋敷151024 (10).JPG地であった〕では、外記(げき)門の内枡形跡 として西郭北門が復元して残っていて、正門に大手門跡の碑も立っています。

 

 

その後、裁判所前を通って、中 央一の交差点を左折して歴史ある小径の旧水戸街道(中城通り)へ。

151024 (13).JPG 151024 (12).JPG間もなく、まちかど蔵「大徳」〔江戸時代末期に造られた見世蔵、袖蔵、元蔵、向蔵を改修した観光 151024 (15).JPGアンテナショップ〕へ。道の反対側にまちかど蔵「野村」の旧商家の建物があって、路地裏散策を楽しみました。

 


    
元来た道を引き返して、産業祭が行われている土浦高架橋下に続くザ・モール505へ。両脇に飲食店をはじめいろいろな店が出ていて、行き交う人々で賑わっていました。

小生も覗き込みながら、アンケートに答えたりで、無料で花の種、ウェットティッシュやポケットティッシュ、さらにホワイトボードのビニールや、ミニチュアの折りたたみイスもいただけて、大収穫。

151024 (19).JPGまた、人気のうなぎ弁当前では長蛇の列も。

駅に近いモールの出入口まで、ゆっくり 151024 (20).JPG 151024 (21).JPG見物。生サンマも11時から無料配布(先着)でしたが、すでに多くの人が並んでいたので、こちらはパス。イベント会場も盛り上がっていました。

 

 

出入口からは、駅方面に右折。駅前の土浦市役所 うらら広場151024 (25).JPG 151024 (23).JPGでは、そばまつりが行われていて、土浦産常陸秘そば店を販売。手打ちそばの実演も観られました。 多くの客が予約待ちで、用意されたイスでそばをおいしそうに食べていました。

 

帰りは、JR常磐線では初めて土浦駅からの上野東京ライン品川行特別快速(11:00始発)に乗って、行きと同じ経路で1時間半かかって、12時30分過ぎに帰宅。

 

今回は、産業祭とそばまつりの観光が中心で、ちょっぴり歴史散策を加えました(歩行距離は4km)。プレゼントがいっぱいの駅ハイになりました。スタートでもらった袋の中身を確認しなかったので、そばの割引券とまちかど蔵のプレゼントは使わずに、終わってしまいました。

 

 

 

コースは;吉川駅  スタート 中川土手右延命寺右芳川神社右永田公園右吉川中央緑地右吉川美南駅前公園右美南中央公園右金のなまずモニュメント右よしかわ天然温泉ゆあみ右吉川駅  ゴール

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4年ぶりに、ハトちゃんは、10月23日(金)「JR 駅からハイキング(in 吉川)約11km」に出かけました。

まず南口ロータリーの「金のなまず」(モニュメント)を観て 151023 (2).JPG 151023 (1).JPGから、北口前の「ラッピーランド」(なまずをモチーフにした土産店)をスタート(9:15)。

  151023 (3).JPG

りそな銀行の手前を左折して進み、土手を上がると、幅広の中川が見えて来ます。 151023 (4).JPG

土手の草を踏みしめ、土道の上を心地よく、 川を見ながら600mほど歩きます。後方の橋に、武蔵野線の電車が通過。

 

吉川橋の手前を右に上がると、葛飾吉川松伏線(国道67号)沿 151023 (5).JPG 151023 (6).JPGいに延命寺があり、建替えてまだ年数の浅い本堂の外装は朱色が鮮やかでした。その後、いちょう通りに出て加藤平沼線との交差点を過ぎて右折し、芳川神社〔1187年に土着神を氏神諏訪神社と 151023 (7).JPGして、吉川氏が再興〕へ。

 

こちらで、水分を少し補給。その後、前方のさくら通りの右手にある「まつざわ煎餅」へ立ち寄りました。特典で煎餅がもらえると思ったのは、24日(土)の見間違い。ご主人の顔を見て、4年前に煎餅の他に取り立ての151023 (9).JPG柿を一ついただいたことを思い出しました。

さくら通りを北上し、木工房シンでは、工場見学ができましたが、外観のみ。

 

DSC05129.JPGその後、直進。コンビニを過ぎて左折すると、突き当たりに永田公園〔敷地面積約2.6haあり、市のほぼ中心にある〕へ。広場の真ん中に、高さ16mの公園のシンボル「よしかわ富士」。きれいな円錐型の小高い丘に子どもたちがたく さん登って遊んでいました。

 

 

DSC05124.JPG少し歩いて、 吉川運動公園のテニスコート、陸上用トラックが見えて来ます。

 

信号二つ先の角に吉川沼部公園〔アスレチックが中央にある〕へ。右折して栄小学校の先、左側に吉川中央緑地があって、すぐ前方に中央中学校が並んでいます。

 

DSC05122.JPG中学校の校庭を過ぎて左折し、県道377号線加藤平沼線に出ます。次の信号を左折して、コースは吉川美南駅方面へと向かうようになっていましたが、小生は足の左小指と臀部が痛くなって来たので、そのままスタートの吉川駅へと向かいました。

 

151023 (8).JPG

さくら通りに出て、郷半用水脇の道を進みます。車はほとんど通りませんが、用水の水は、モスグリーンで汚い。途中、保公園香取神社がありました。

 

151023 (10).JPGその後、駅に直結するいちょう通りに出て直進。すると、スーパー前の右側ビルの1階に「天然温泉 ゆあみ」。料金は半額500円でしたが、今回は 「天然温泉」は外観のみ。商店街を抜けると、すぐ前方に「吉川」駅のロータリー。ゴールはスタート地点と同じ「ラッピーランド」。

 

DSC05121.JPGなまずの里 吉川」は、中川の河川交通で栄え、河岸付近に川魚料理の料亭が集まっています。郷土料理として、なまずが人々に親しまれて、吉川の由来・シンボルになったそうです。

 

コースは;我孫子駅  スタート 手賀沼公園右手賀沼遊歩道右親水広場公園右水生植物園右香取神社右鳥の博物館右志賀直哉邸跡右杉村楚人冠記念公園右天神坂右小熊家右我孫子駅  ゴール

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10/21(水)千葉健生病院健康友の会のファミリーウォークは、習志野サークル「ゆうほ(友歩・遊歩)21」で歩いた手賀沼散策。JR幕張駅前へ8時30分に集まったのは、15人。先頭で案内役をハトちゃん、一番後ろを友の会元事務局長の今村さん

本日のコースは、「北の鎌倉・手賀沼周辺を歩く」(約7km)。 150609 (7).JPG写真は9/28下見時に撮影。

中央・総武線で西船橋→新松戸(武蔵野線)→我孫子(東京メトロ千代田線・常磐線各駅)へ。JR「我孫子」駅に9時20分に到着。駅の構内でトイレをすませましたが、清掃のため、15分ほどかかりました。

150928 (1).JPGその後、南口駅前広場へ。駅周辺の地図と、手賀沼ゆかりの文人たちの記念碑が...。本日のコース説明と注意事項を話し、自己紹介後、ゆっくりスタート150928 (2).JPG

 

 

ロータリーを抜けてゆるやかな公園通りの下り坂を直進し、目の前の手賀沼公園へ。

150928 (5).JPG 150928 (6).JPG 150928 (7).JPG園内に入り、150m先の「バーナード・リーチの碑」を見学。その後、公民館や 生涯学習センター、図書館がある「アビスタ」の建物内を通って、外に掲示されている、我孫子ゆかりの文人杉村楚人冠の紹介や古い手賀沼周辺の写真パネルなどを観ました。

 

園内の右側には、平和の記念碑も建っています。沼畔に出ると、遊覧船乗り場が見えて、多くの船が停泊しています。貸しボートやレンタサイクルでの散策も楽しめます。150928 (8).JPG

 

左折して、遊歩道を手賀大橋方面に向かって、和気藹々と話をしながら、ゆっくりとしたペースで歩いて行きます。 

手賀沼は周囲38kmの東西に細長い沼で、マコモやヨシなどが沼の畔からだいぶ広く繁茂しています。一時、日本で一番水質の汚い烙印を押されましたが、現在では努力の甲斐があり、だいぶ浄化されて来ています。

大橋までの遊歩道は整備が進んでいて、道路にウレタンが入っていて、弾力を楽しみます。ところど 150928 (9).JPG ころ、桜の根っこが盛り上がっている箇所や枯れている木もあります。ときおり遊覧船が通ります。畔の一部に、まだショベルカーや、クレーンが残っていて護岸工事中。いつまで、護岸工事が続くのやら。

 

  150928 (10).JPG

文人の文学の碑がある広場の横がフェンスで覆われて、展望広場は展望がききません。

 

 

幅広で長い手賀大橋の手前にある我孫子高校の校庭横をくぐり抜けて、大橋手前の信号を横断。 150928 (12).JPG 150928 (14).JPG橋を渡った先には 天然温泉「満天の湯」が見えます。反対側には道の駅があります。トンネルを抜けると、一気に眺望が開けて、沼が一面に観えます。

 

漁業組合の前の沼には、シラサギやカモが十数羽いて、人がいても逃げません。餌付けされ150928 (15).JPGているようです。営業されていない釣堀の向こうに、建物の上部がドーム型の「水の館」が見えて、だんだん大きく近づいて来ます。

 

沼のほぼ中央にある展望デッキから見る河童3体の像が浮いていて印象 150928 (16).JPG的。残念ながら現在は噴水は出ていません。足元に注意して、像と沼を眺望しました。

沼はヨシや葦が背丈以上に 伸びた場所もあって、左奥にハスが一面に繁茂していました。

 

このあたりから、親水広場公園になっていて、ジャブジ ャブ池、水の広場、ふれあい広場があり、ちょうど芝刈りや落葉の清掃中。

本日は、ここから折り返しのコー としました。

 

右手に鳥の博物館がありましたが、外観のみ 。館内は3階 150928 (19).JPGの見晴らしデッキから、手賀沼が 眺望できます。また手賀沼の四季の鳥や自然、鳥の剥製など貴重な資料を展示しています。

入館せずに、反対側の親水広場公園内「水の館」へ。本日は残念ながら休館日。

建物の前の沼周辺には、ベンチとトイレあり。

トイレに入ると、鍵がかかっていて利用できず。トイレが建物の外に付設されているので、いつでも利用できるように開放すべきとの一致した意見。

親水公園内を観ながら目の保養。 

若松交差点前の駐車場のトイレが使用できて助かりました。

交差点を横断して細い舗装道の文学の道へと入って行きました。閑静な道沿いに、文人の史跡や別荘などの有形文化財が点在しています。

 

ところどころ、石畳がある道ですが、たま150609 (42).JPG150928 (22).JPG車も通ります。二列縦隊で車に注意しながら進みます。

急遽、予定には無かった旧村川別荘へ。

 

竹林の間の石段を上って行くと、敷地内は庭園風で、西洋古代史の大家、村川堅固・堅太郎親子の母屋と朝鮮風な屋根の新館が建っています。

団体の場合、予約が必要でしたが、お願いすると観光ボランティア市民ガイドさんが引き受けてくれて、説明をしてくれました。『ゆかりの文人たちが、嘉納先生とのつながりでこの地に集まって来た』 ことを知りました。ガラス窓からは、手賀沼や富士山も良く観えたとのこと。

 

 

御礼の挨拶後、文学の道に戻って先に進むと、道端に湧き水の出たはけの道。前に行った、東京の国分寺を思い出しました。また、白樺派の重鎮、志賀直哉邸跡と、小説『暗夜 150609 (44).JPG行路』などを書いた書 150928 (23).JPG 150928 (24).JPG斎が、一段高くなった平らな場所にあって見学。

 

 

 

すぐ近くの向かい側には、白樺文学館がありましたが、外観のみ。白樺派(大正デモクラシー時代の新文芸活動)が、 手賀沼のほとりで育まれ、発展したことを紹介。150928 (25).JPG雑誌『白樺』原本、復刻本や白樺文人の貴重な原稿、書簡、書、色紙などが展示されています。

  

 

その先を右に折れて少し坂を上ると、閑静な場所に位置する杉村楚人冠記念公園。杉村〔本名 広 150928 (26).JPG 150928 (27).JPG太郎〕氏は、明治末期から昭和前期まで東京朝日新聞で活躍した 幹部ジャーナリスト。「天声人語」の創始者。手賀沼湖畔に集まって来た白樺派文人などへも多大な影響を及ぼした先進的な新聞人。

ぼうぼうの芝生広場の脇に碑が建っています。

 

木々や竹林で覆われている天神坂階段を上がると、公園風にな 150928 (32).JPG 150928 (31).JPGっている天神坂緑地の右手に嘉納治五郎〔文部省参事官、教育者・柔道家〕別荘跡。緑地内は広くて向かいにあるのが嘉150928 (30).JPG納の甥っ子である柳宗悦〔民藝運動を起こした思想家。哲学者〕が住んでいた三樹荘跡。案内板があります。 椎の実が一面中に落ちていて、昔、食べていた話題に。また、天神坂は狭く短い石段の坂道で 、大正時代に我孫子が「北の鎌倉」といわれた雰囲気を醸し出しています。坂の途中に銘板あり。

 

駅への戻りは、ひかり幼稚園の脇を通り、大光院前へ。

 

また、我孫子宿の名主で脇本陣をつとめた小熊家〔1831(天保2)年築の茅葺屋根〕の母屋の外観と 、旧水戸街道の我孫子本陣跡は現在、ベネッセコーポレー 150928 (35).JPG 150928 (34).JPGション前にありました。

 

 

突き当たりの常磐線の線路に沿って左折して間もなく、けやきプラザインフォメーションセンター アビシルベ(観光案内所)前でゴール(12:45)。無事、けが人や脱落者も無く、全員に完歩証が渡されました。

紅葉にはちょっと早かったのですが、我孫子が手賀沼ほとりの自然とともに、文化人が集まった別荘地として賑わって(行きたい別荘地のNo.3になったこともある)風光明媚な場所だったことを認識できました。

 

 

 

コースは;大崎駅  スタート ねむの木の庭右池田山公園右国立科学博物館附属自然教育園右権之助坂商店街右瀧泉寺 (目黒不動尊)右林試の森公園右武蔵村山商店街パルム右戸越銀座商店街右大崎駅  ゴール

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ちょうど3年前の10月6日に、JR駅ハイで「江戸情緒が残る目黒不動と、大都会の真ん中にある林試の森~下町商店街めぐり」を歩いて以来の、大崎駅へ。

 

10月20日(火)、晴れですがちょっと気温は低め。今回は「都会の自然と下町の商店街をめぐる(約10km)」。目黒不動尊以下は同じコース151020 (1).JPG

 

JR大崎駅南口改札前スタート(9:54)。東側から左折し、エスカレーターを下って、線路沿いを進みます。間もなく山本橋を渡って、左側に五反田南公園。ベンチでくつろいでいる人たちの姿が。

その先に、五反田駅。9時半過ぎというのに、駅前は大勢の人たちが行き交います。100mほど先で、国道1号線を渡って、少し上って住宅街に入ります。

 

右手に曲がった角に、最初のポイント品川区立公園「ねむの木の庭」〔2004年8月開園:皇后陛下 151020 (4).JPG 151020 (3).JPGのご実家・旧正田邸跡地に整備された公園。皇后陛下が高校生時代に作られた詩「ねむの木の子守歌」にちなんで命名された〕へ。

園内には、バラのアーチの他、花壇には季節の花が咲いていて、案内板も立っていました。

 

その後、200m先の池田山公園〔旧岡山池田藩下 151020 (7).JPG 151020 (5).JPG屋敷跡を整備した鑑賞型公園。四季折々の花が美しく、高低差を生かした池泉回遊式で、高台部は遊戯・休憩ゾーン、低地部は回遊ゾーンとなっている〕へ。

入園すると、まず雑木林が目に入ります。下ったところに池があって、階段を降りて、ハトちゃんは上から景色を眺めました。木が生い茂り過ぎ、景色は今ひとつ。前のウォーカーは、下まで降りて、森林ゾーンまで歩いて行きました。

続いて、マップでは坂道を下って行くコースでしたが、小生は住居表151020 (5).JPG示の地図を見て、元の道へ戻って行く方向の検討をつけて歩いて行くと、ちょうど目黒通りに出て、東 京都庭園美術館前。

 

横断ができないため、迂回して、東京都庭園美術館と、隣接する国立科学博物館附属自然教育園〔江戸時代には高松藩主松平頼重の下屋敷。1949(昭和24)年に全域が天然記念物および史跡に指定されると同時に、国立自然教育園として一般に公開さ 151020 (9).JPG 151020 (10).JPG 151020 (11).JPGれる。1962(昭和37)年に国立科学博物館附属自然教育園となる。自然の本来の姿に近い状態で残そうという独特の考え方で運営〕の前へ。出入口では、小学校の遠足で来ていた先生が、園内マナーの説明中。園内は何度も来ていて、広いので今回は入園せず。

 

チラシをいただいて、目黒通りを目黒駅方面へと向かいました。というのも、瀧泉寺目黒不動尊)から先のコースは以前のコースで見学・歩いていたのと、18日の151020 (12).JPG田駅ハイで痛めた左小指の豆が潰れて、靴に当たっているのと、左腰部からの臀部の痛さがあって、無理をしないようにショートカット。また、明日21日は千葉健生病院健康友の会ファミリーウォーク案内人を控えていたので無理をせずに目黒駅をゴールに。国道1号を横断。道の左側を歩いて行くと建設中のフェンスに、「目黒駅周辺の歴史」を説明するパネルが。

 

道を挟んで右手にアコレの高い方の建物、左手にも駅ビルアコレがあります。

 

151020 (14).JPG 151020 (15).JPG駅を過ぎて、その先の権之助商店街へ。バスの発着場や幅広い下り坂の両脇に商店街が立ち並んでいます。間もなく目黒駅ビルアトレ」へと。  151020 (13).JPG

 

帰りは、東京メトロを利用して、目黒駅の地下鉄ホームへ。地下の駅改札口までは、かなり深くて階段をだいぶ降りました。

また、東京メトロ南北線の改札口がわかりにくく、ホームで女子学生に聞いて解りましたが、東急線と一緒で、行き先で区別するようになっていました。

 

飯田橋で東西線に乗り換えて、快速で西船橋→中央・総武線で幕張本郷へと。運賃はJRよりも240円安く帰れました。

結局、歩行距離は3.8km(歩行時間は約1時間)で、ほとんど歩いていません。ポイント稼ぎのみ

 

 

 

 

コースは;蓮田駅  スタート岩崎食品右市民体育館(コスモス畑)右山ノ神沼右井沼久伊豆神社右駒崎久伊豆神社(ひまわり畑)右閏戸久伊豆神社右清龍酒造右西城沼公園右元荒川河川敷右川島久伊豆神社右蓮田駅  ゴール

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10月18日(日)は、秋晴れ。

ハトちゃんは、前日に続き宇都宮線の、蓮田駅ハイ 秋の蓮田、久伊豆神社めぐり(約15km)」に参加。

スタート受付(8:48)後、駅前西ロータリーを左へ。一つ目を右折して直進。途中、左手に蓮田郵便局が。そのまま真っ直ぐ進むと、県道3号線さいたま栗橋線に突き当たります。

横断して右折すると、蓮田市消防本部。その先の信号を左折して進み、右へ曲 151018 (1).JPGがる角に岩崎食品うどんの試食)があり、女性ウォーカーが1人、建物内に座って試食中。

声をかけられましたが、コースが長いので、立ち寄らずに先へ。

 

リュックは背負わずに荷物を手に持った男性ウォーカーが、速いペースで抜いて行きました。

突き当たって国道122号線の広い道路へ。 151018 (4).JPG

151018 (2).JPG左折して、今度は車がビュンビュン走っている国道に沿って、広くなっている歩道を500mほど進みます。

 

 

今宮橋の交差点を右折するコースでしたが、コスモス畑観賞を第一目的にしていた小生は、小指の豆の潰れの痛さもあり、コースとは反対に左折。

 

チェックポイントの清龍酒造の場所だけ確認(帰りに寄ることに)。信号を渡って道なりに進むと、前方に広大な田園地帯が目に飛び込んで来ます。手前の見沼代用水に沿って、道幅が広くない緑のヘルシーロードが手前に、反対側に車道用の舗装道が続いています。

両脇に桜並木の見沼代用水の左手には田園風景が広がって 151018 (8).JPGいます。そこから右手に曲がって、あ 151018 (12).JPGとは一直線にひたすら歩きます。東北新幹線高架下をくぐる際、新幹 151018 (9).JPG線を見ることができました。

 

 

途中に特別養護老人ホームから職員の掛け声が聞こえたり、ひょうたん池公園では釣りを楽しむ人たちが。小生の前をウォ 151018 (14).JPGークを楽しむ夫妻がいて、そのあとを付いて行きます。

堤外公園では、地元町内会の昼食会で、家族連れで集まっていました。

 

小さな橋を幾つも越えて、3kmほど歩くと、右側に色とりどりのコスモス畑が一面に見られて、足を止めてカメラ撮影。背丈が低くて、色も赤、桃、オレンジ、黄、ピンクとカラフルに 151018 (20).JPG 151018 (17).JPG 151018 (23).JPGランダムにくっついて咲いていて、まさしく見頃で、コスモスを観れただけでも大満足。

 

十数人の観光客が畑の中に入って、観賞中。「24日からコスモス祭り 開催」の看板あり。

 

 

やっと遊歩道が県道87号線上尾久喜線に突きあたって、そこを左折。それにしても、ヘルシーロードの直線が長くて大変でしたが、景色が良かったので何とか救われ 151018 (22).JPGました。

間もなく左手の井沼久伊豆神社へ。拝殿の中で、神道行事が行われていた最中。外にいた二人に挨拶して、神社をあとにしました。

 

帰りは、元来たヘルシーロードの景色を逆コースで観ながら、同じく2.5kmほ 151018 (24).JPG 151018 (25).JPGど歩いて、堤外公園の先の矢印で草むらを踏みしめて平らな狭い敷地へ。そこに、閏戸久伊豆神社があり、案内ガイドさんと立ち話。『蓮田は都心に近い割に、静かな田舎の雰囲気が残っていて、古墳や貝塚が多数出土している』 とのこと。お土産に、「観光マップ」をいただきました。

 

行きと同じように、新幹線の高架下をくぐって、八幡橋横を通って国道122号線に戻る途中の、清龍酒造チェックポイントの押印。 151018 (28).JPG 151018 (27).JPG

店員さんから、まだ寄ったウォーカーが少なくて、本日の参加状況を尋ねられたので、受付名簿に8時16分から参加しているグループ他、4、50名の参加があることを話しました(ゴールした際、名簿が何枚も書かれていて、少なくても100人以上は参加した模様)。

 

151018 (6).JPG 151018 (34).JPG国道を横断して、今宮橋を渡ってすぐに元荒川沿いを歩きます。ときどき、川面が見えます。ビックリしたのは川と道路との空いた緑地に、多くの車が止めてあり、釣りかな?と思いましたが、釣り人はいません。どうも、あまり取り締りが無いようで、勝手に車を駐車しているようでした。

 

いったん、川沿いの道を離れて、県道3号線を渡って、西城沼公園に立 151018 (35).JPGち寄ります。池では、多くの太公望が釣りを楽しんでいました。

 

公園を出てコース前方に、朝、抜かれた手荷物のウォーカーの姿が...。コースどおりに歩いて来たのでしょうか、小生よりも5kmぐらい多いはずなのに、やはりかなりのスピードの持ち主。

ほとんど後ろに付くように歩いて行くと、元荒川河川敷では、川沿いの道にコスモスが咲いて、花壇 151018 (36).JPGやベンチもあり、河川敷公園になっていて憩いの場所に。河川敷から川の傍に下りられるようになっていました。

 

最後のポイントは元荒川の宮前橋を渡って橋のたもとに近 151018 (39).JPG川島久伊豆神社へ参拝。

151018 (40).JPG参拝後、駅方面に真っ直ぐ向かうと10分ほどで蓮田駅東口へ。

ゴールは反対側だったので、西口階下の受付へ。手荷物男性ウォーカーよりわずか前に到着。

マップの駒崎神社(コスモス畑)は、神社の傍にあるように書かれていますが、畑の場所は見沼代用水に沿って群生していることを、報告しました。

 

今回の蓮田は、結局、マップ②をショートカット。コスモス畑の往復と元荒川沿いのコースを合わせた約10kmを歩いたんですが、それでも直線が長くて、結構、疲れました。

 

 

 

コースは;栗橋駅  スタート吉田家水塚・総合文化会館右栗橋総合支所右赤花そば畑右会津見送り稲荷右利根川堤防右深廣寺(六角名号塔)右お休み処 宝来屋右栗橋関所跡右八坂神社右宝治戸池右鎌倉古道のなごり右静御前墓所右栗橋駅  ゴール

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10月17日(土)は、雨の予報。

ハトちゃんは宇都宮線の栗橋駅開業130周年記念 栗橋関所・静御前を偲ぶ、利根川散歩(約8km)」に出かけました。

上野駅で快速ラビットに1分前に間に合い、スイスイと。久喜駅で普通電車に乗り換え。約10分あったので、ホームの階段を上がってトイレへ。

トイレ前で、千葉市の中村さんとバッタリ。一緒に歩くことにしました。

11日(日)の桶川駅ハイで、小生が疲れから桶川西高校から駅へ戻ったことをお詫びして。

 

栗橋はどんより曇っていましたが、途中から薄日が差すことも。歩いていると汗ばむ陽気に。雨予報だったせいで、参加者はやはり少ない感じ。

二人で和気藹々と話しながら、栗橋駅前をスタートして、宇都宮線の線路沿いを南下し、踏切を渡ります。渡って左手にB&G海洋センターの建物。ガードレールに、スポー 151017 (1).JPG ツ競技の絵が描かれてい151017 (2).JPGて、海洋センターが体育館などでスポーツ振興をしている話題に。『海洋センターというと、水族館みたいなイメージだよね』 と二人で苦笑い。

その先に、久喜市栗橋文化会 151017 (3).JPGがあって、会館敷地内に大谷石を積んだ白い蔵が見えて来ます。吉田家水塚で、利根川の洪水に備えて屋敷内に盛り土をした高台の建物で、市内に残る商家の水塚としては唯一のもの。

手前の大蔵は、江戸時代末期に造られ、土蔵造り2階建て、切妻屋根(54.4㎡,16.5坪)と、奥の向う蔵は1904(明治37)年で同様の造りで(93.6㎡,28.5坪)で、久喜市指定有形文化財になっています。

案内ガイドさんが資料を配布。蔵内を見学し、説明を受けました。

 

続いて、国道125号線を渡って、栗橋総合支所前で、麦茶のサービス。熱いのと冷たいのと2種 151017 (4).JPG類。

立ち寄った後、2番目の四つ角を左折。

赤い花をつけたそば畑がありましたが、一面にはなっていませんでした。それでも、中村さんからそばの薀 151017 (8).JPG 151017 (9).JPG蓄を聞いて、彼の博学に改めて感心しました。

 

JAの建物を左折し、踏切を渡って、広大な田園風景の中を約1km直進し、突き当たって左に入る道を進むと国道4号線の幅広い道路に出ます。

 

会津見送り稲荷〔民家の敷地内にある〕に参拝後、横断して、スーパーとガソリンスタンドの間の道 151017 (11).JPGを入って、前のウォーカーに付いて行くと、一段高いところに利根川の堤防がありました。ほとんどのウォーカーが前方まで行かずに、目の前の草原の踏みしめた道を上って、土手の上に上がりました。 151017 (14).JPG 151017 (13).JPG

土手のサイクリングロードからは、広くゆったりと流れる利根川流域や河川敷が一望できて、ジョギングしている人の姿も見られます。

 

1kmほど歩いて左前方を見ると、前のウォーカーが階段を下りて、手前まで戻って歩いている光景が...。

 

一人では絶対にできないのですが、ハトちゃんがけしかけて、土手の急斜面を一気に駆け下りて近道。後続を見ると、さすがに付いては来ませんでしたが、恥ずかしながらもちょっと得した気分に。

 

深廣寺で参拝後、「栗原宿」〔170年前には家が404軒、本陣・脇本陣各1軒、旅籠25軒の宿場町〕 151017 (15).JPG 151017 (16).JPGと書かれた水色の幟が下がった、旧日光街道を進みます。途中に、寺社がいくつもありましたが、今では宿場の面影はありません。人や車の往来もわずか。

 

 

お休み処 宝来屋は、 151017 (18).JPG観のみ。というのも湯茶の接待が無く、土産151017 (19).JPG品等の販売のみだったため。

お休み処を過ぎて間もなく、現存する商家〔壁が大谷石〕を地元の観光協会の人?が案内し、ケーブルテレビの撮影が行われていました。

しかし、周囲を見ると、宅地の分譲が行われていて、高崎川越の商家の重要有形保存地区と比べて、行政の取り組みがあいまいに見えます。

 

利根川橋のたもとに立ち寄って、栗橋関所跡〔日光道中7番目の宿場栗橋宿に入る関所があった場 151017 (21).JPG所で、日光道中唯一の関所があったところ。東海道の箱根、中山道の碓氷と並ぶ関東三大関所の一つ〕へ。石碑が残るのみ。

 

旧日光街道の途中に八坂神社があって、 151017 (22).JPG全国的によく聞く名前だということで、大宮神社諏訪神社の話題に...。来年が諏訪湖を挟んでの諏訪大社(4社)の御柱祭で、11月に駅ハイがあることを教えてもらいました。

 

コースに沿って歩いて行くと、宝治戸池〔利根川橋の右岸橋詰から、400m西の 151017 (23).JPG住宅地内に位置 する 。外周約350mの池だが、自然の湖沼ではなく、 1742(寛保2)年の利根川の洪水によって堤防が破堤した際に 形成された落ち堀(切れ所跡)〕があり、池のほとりを通ります。

 

ほとんどの四つ角に矢印があったのに、池の先に 151017 (24).JPG無くて、そのまま進むと、住宅街に。道を確認しながら比較的細い鎌倉古道のなごりらしい舗装道を通ります。

 

正面に線路が見えて駅前の道へ。

 

最後の静御前墓所前に着くと、「静御前祭り」で、多くの屋台が出ていて、福引抽選 151017 (27).JPG 151017 (28).JPG 151017 (31).JPGも行われていました。二人とも、赤玉が出て、予想通りにポケットティッシュをいただきました、残念。

 

なぜか、ビールは売られていましたが、コーヒーは無し。墓所を出るとすぐ栗橋駅前。イベントの準備中で、観客が座っていました。また、商店街の出店も 151017 (32).JPG出ていて、賑やかな雰囲気。

 

今回は二人でゆっくり話しながらのウォークでしたが、距離が8kmと短かった(歩行時間は2時間弱)ことと、最後のお祭りがメインで、途中の名所・旧跡には見るものが少なくて盛り上がりに欠けました。サービスも少なく、田園風景と利根川土手をひたすら歩いた印象だけ。

 

帰りは、栗橋駅から宇都宮線(11:07発熱海行)で上野駅まで。これまで行った駅ハイの状況や今後のお奨めコースなどを話しながら。

 

昼食を駅構内の常磐線、9・10番線の立ち食いそばと、昼食後のコーヒーを、中村さんが駅ハイ時 151017 (33).JPGに良く利用している11・12番線1号車先のベックスコーヒーで飲みました。ホームの雑踏は聞こえず、店内は静かで落ち着ける穴場です。来週の吹上での再会もあるかも知れないと話しました。

休日切符でのんびりと同ホームの成田線で帰るというので、再会を約して別れました。

 

 

 

 

コースは;両国駅 右観光案内所  スタート江島杉山神社右両国公園右緑町公園(すみだ北斎美術館建設地)右江戸東京博物館右旧安田庭園右隅田川遊歩道右隅田公園右桜橋右三囲神社右産業観光プラザすみだまち処右大横川親水公園右錦糸公園右錦糸町駅ビルテルミナ ゴール右錦糸町駅

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10月15日(水)は、すがすがしい秋晴れでしたが、午後から雲が多くなりました。午後、千葉健生病院健康友の会の「友の会だより」の作業のため、近距離で駅ハイ端末受付コース、総武・中央線の「葛飾北斎ゆかりの地 すみだを巡る(両国→錦糸町)(約10km)」に参加。

 

両国駅までは、中央・総武線で40分弱。駅西口側の観光案内所からスタート。土俵入りと手形の 彫像が通りにあり、両国が国技館のある相撲のまちだということを現わしています。

スタートして、国道14号線(千葉街道)を渡った正面の特徴的な山151015 (1).JPG門の回向院〔1781(天明元)年以降には、境内で勧進相撲が興行された。これが今日の大相撲の起源 。国技館建設までの時代の相撲を指して「回向院相撲」と呼ぶこともある〕へ。
境内左手に「力塚」〔1936(昭和11)年には大日本相撲協会が物故力士や年寄の霊を祀る〕があり、太字と大きい石碑が目を惹きます。

 

続いて、堅川の一之橋を渡って、江島杉山神社へ。左折して塩原橋を渡って戻り、右に曲がると間も 151015 (3).JPG 151015 (5).JPGなく「忠臣蔵」で有名になった赤穂四十七士が討ち入った 吉良邸跡・本所松坂町公園へ。白壁の前に記念碑と園内に吉良上野介の像松坂稲荷が奉納されています。

 

その後、両国小学校前の芥川 151015 (7).JPG龍之介文学碑を通って間もなく、両国公園内の片隅に勝 海舟生誕の地の由来が 書かれた石碑があります。公園奥にあり、わかりづらい。

 

公園を出て、そのまま直進すると、清澄通りへ。清澄通りを左折して直進。総武 151015 (9).JPG線の高架下をくぐると左手に、間もなく上部が大きくそり立つ江戸東京博物館が見えて来ます。

約300m先に緑町公園があり、その一角に151015 (11).JPG飾北斎が本所割下水で誕生し、浮世絵で有名になり、「すみだ北斎美 術館」が現在、建設中。

 

151015 (12).JPG緑町公園の前から、北斎通りを通って、江戸東京博物館へと戻ります。この通りは、葛飾北斎にちなんで北斎通りと呼ばれていて、 曲がり角などに、有名な「富嶽三十六景」などの浮世絵パネルが貼られています。151015 (15).JPG

その後、博物館を左側に見ながら遊歩道内を進むと、徳川家康の鷹狩りの像が立っています。日大一中・高校前を通って、両国国 技館・相撲博物館へ。本日は全国民謡大会が開催され、関係者や参加・観客が続々と入って行きます。国技館の後方に、東京スカ イツリーも観えます。

 

 

151015 (17).JPG 151015 (18).JPG国技館を過ぎて、右手に入ると、旧安田庭園〔汐入回遊式庭園で名園の一つ〕 。入園すると、池越しにスカイツリーが...。団体客が観光に来ていました。

信号を渡ると、目の前に首都高速6号向島線が上を走っていて、高架下を抜けると、前はゆったりした流れの隅田川

浅草方面へと向かいます。隅田川沿いの遊歩道からは、進行する次の橋や釣り船や運搬船、周囲の景色が一望できて 151015 (21).JPG、気持ちが良いウォーク。

 

河岸の壁には、両国中学校の生徒たちの壁画や、水深 何mの表示。さらに、遊歩道では、場所によって花壇やレンガなどの整備中。

151015 (23).JPG 151015 (24).JPG蔵前橋厩橋駒形橋吾妻橋(赤色)へと1kmほど、ひたすら歩きます。

吾妻橋(対岸の先に浅草の市街)で、スロープを上がって、いったん横断歩道を渡ります。

 

151015 (25).JPG

右手上方に、見たことのあるアサヒビール吾妻橋ビルの独特 の外観〔ジョッキに入ったビールがモチーフの金色の泡 の帯〕。スカイツリーが窓面に映るビュースポットがあります。一角に勝 安芳(海舟)像も見えました。

 

 

その後、X の形をした桜橋(早慶レガッタなどを観賞するスポットで有名)まで足を 151015 (26).JPG 151015 (29).JPG延ばして、橋を確認して、細い見番通り〔置屋の見番所があることから名前がついた〕に入って、運動会の予行演習中の小梅小学校前の三囲神社へ。

境内は広くはありませんが、きつね稲 151015 (32).JPG荷の前に狛犬、左手に三越から購入したらしいライオン像が設置されていました。

 

言問通りを進んで、源森橋上で東京スカイツリーと東武電車が観える絶景スポットへ。

東京スカイツリー駅前を通って、北十間川の脇を進み、目の前に迫って来るほどの東京スカイツ 151015 (35).JPG 151015 (37).JPGリー。見上げるスカイツリーの下を通って、東京そらまちまで。産業観光プラザすみだまち処へ。

 

続いて浅草通り へ。

残念ながら、スカイツリー開業以来、人の波が東京ソラマチに流れて、浅草通りの賑わいは消えています。

 

船の前方を形取った遊び場へ、階段を下って大横川親水公園へと降りま 151015 (40).JPG 151015 (39).JPGす。平川橋から横川橋まで、滝やせせらぎがあり、子供たちが水と親しめるようになっています。

151015 (41).JPG 151015 (42).JPG横川橋から紅葉橋までは流れの脇に滝があったり、ゲートボールのできる広場があります。紅葉橋から法恩寺橋までは、都会とは思えない、石を組み合わせて渓谷の雰囲気。きれいな花壇があり、カモが泳いでいたり、遊具で遊ぶ親子や散歩や釣り堀などで、思い思いに楽しんでいました。

 

親水公園の景色を観ながら歩いて行き、見事な湿地帯を 作り上げて いた清平橋を過ぎて、電車の高架が見えて、駅前の道路を左折。

津軽稲荷神社前を通って、錦糸公園へ。桜151015 (44).JPGの名所で有名で墨151015 (45).JPG田区民の憩いのオアシスになっています。奥に区立体育館の建物が見えます。

 

公園に寄った後、 錦糸町駅ビル「テルミナ」のインフォメーションセンターへ。 ゴールし受付嬢に聞くと、本日は一番早いゴール者とのこと。

先着20名の特典で、マドレーヌと人形焼1個ずついただきました。

今回で5回目となる墨田区内の街歩きになりますが、コースが少しずつ変わっていて、晴れてスカイツリーや隅田川沿いの展望は、四季折々、気持ち良くて飽きが来ないのは不思議です。本日で3連荘ウォークでしたが、全部のポイントをまわり完歩できたのが一番の収穫でした。

 

 

コースは;蒲田駅  スタート右バーボンロード右女塚神社右矢口の渡商店街右延命寺右十寄神社右武蔵新田商店会右新田神社右頓兵衛地蔵右下丸子商店会右蓮光院右新田神社右五十嵐健治める記念選択資料館右多摩川マラソンコース右武蔵小杉駅 ゴール

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前日の相模湖に続き、10月14日(水)駅からハイク「歴史スポットと活気ある商店街を巡る 蒲田~武蔵小杉)約10.3km」に参加。 

 

ハトちゃんは、前日、八王子の実家に泊まって、実家から。受付が始まったところに到着。数人のウォーカーが準備中で、結局、最初ににスタート。先頭なのでちょっと不安に。

 

マップから、最初のポイントである西口商店街は、バーボンロード(東急線線路寄りの高架下)の他、駅正面のサンロードアーケード、その左のサンライズアーケード151014 (1).JPGあって、間違えやすい。

宅配便のお兄ちゃんに聞いて、バーボンロードの奥へと進みます。バーボンという名のとおり、飲み屋が多い。まだシャッターを閉めている店がほとんど。

途中で右折し、その他の二つの商店街を横断。大城通り 151014 (2).JPG商店街の門が見えて左折。

女塚(おなづか)神社へ。境内の隅に女塚霊神の塚が残っていました。

 

参拝後、東急多摩川線蓮沼駅前へ。左側に駅のホームを見て、手前の交番横を曲がって踏切へ。

踏切を渡って直進して300m先の矢口東小前信号を左折し、学校前を通って直進すると、またも東急線の踏切を渡ります。新蒲田二丁目児童遊園前を右折し、信号三つ目まで真っ直ぐ。

右手に矢口の渡商店街〔東急多摩川線矢口渡駅前から続く〕は、街灯に吊るされた幟には、渡し船 151014 (5).JPGの絵が描かれています。

 

駅前手前を左折し、矢口小前を過ぎると、幅広い国道1号線の第2京浜にぶつかります。交通量が多く、信号が変わって横断。ここで、後から来た男性ウォーカーに抜かれました。

 

細い道を進むと、左手に延命寺〔1278~1288(弘安年間)に蓮花寺とし 151014 (7).JPGて創建されたが、1558~1570(永緑年間)に中興2世芳誉が当地に再興、延命寺と改称。多摩川七福神の寿老人〕へ。

延命」という名前なので、1年でも延命できるように、十分に願いを込めました。

信用して、前のウォーカーに付いて行く形をとって、次の十寄(とよせ)神社151014 (8).JPG田義興とともに戦死した家来らを崇めて創建された。古くは十時明神とか十騎社といわれたが、いつからか現在の名前になった。多摩川七福神の毘沙門天〕へ。奥の狐の守り神と、手前の小型のずんぐりした狛犬の一対が特徴的。

 

続いて東急線の武蔵新田駅方面へ。武蔵新田商店会の出入口の門には「希望門」「未来門」「ふれ愛門」「発展門」と未来産業振興の名前が付けられていました。希望門から入って、途中に新田神社〔昨年1月、東京で一番新しい多摩川七 151014 (11).JPG151014 (13).JPG神の起点になっていて、恵比寿天新田義興を祀っていることから名前も由来している〕へ。

 

駅まで向かうと、コースがわからなくなり、行き止まり。引き返して 151014 (15).JPG確実な駅横の踏切を渡って、線路沿いの道へ。途中に、頓兵衛地蔵〔新田義興の謀殺に加担した船頭が、罪を悔いて建てたといわれる〕へ。

迷っていた分、後ろから来た駅ハイ参加の小柄な老人にも抜かれてしまう。下丸子駅の踏切で、上下線の電車が通過し、しばし待たされます。

 

下丸子商店会は道が狭い分、活気があって、人通りも多い。ジグザグに曲 151014 (17).JPGがって行くと、先頭のウォーカーが違う道を直進。二人の男性ウォーカーと一緒になって、保母さんに道を尋ねるも、なかなか要領を得ず、迷い道。

ハトちゃんが、寺らしき建物を見つけ、先頭で回り込むと、蓮光院〔真言宗智山派〕本 151014 (19).JPG 151014 (18).JPG堂前の鉄扉は閉まったまま。鍵がかかっていなかったので、開けて境内へ。残念ながら、武家屋敷門〔東京都有形文化財〕は見つからずカット。

 

通りかかった若者に聞いて、1人はマップに忠実に、下丸子公園まで戻り、もう1人は小生と一緒に(株)キャノンの大きな建物前を通過。

クリーニングの白洋舎は、キャノンに比べると小さい建物で、もう1人は五十 151014 (20).JPG嵐健治記念洗濯記念館〔白洋舎の創業者で、ドライクリーニングの創始者の記念品や資料を展示〕に寄りたいということで、別れました。

 

 

ハトちゃんは、高い建物と広い敷地のキャノン横を通って、真っ直ぐガス橋へ。

ガス橋を渡る際、眼下に河川敷での野球やゴルフ場、ガス橋緑地が続き、対岸の右手奥に、発展している川崎や武蔵小杉のビル群が観えます。

コースは橋の左側を歩いて、橋を渡ると、河川敷下側の土の道を歩くことになっていました。2mぐら 151014 (22).JPG 151014 (23).JPGいの高い葦の群生を見て、小生は橋の右側を歩いて、高い土手沿いのサイクリングロードの舗装道を進んで、多摩川の河川敷を上から一望できるコースを歩きます。道幅は3mぐらいで自転車がときどき通過するのを避けながら...。

土手を吹く爽風と抜けるよ うな青空に、幅広の多摩川、河川敷、そして遠方に川 151014 (24).JPG崎の高層ビル群、川では釣り、緑地ではマラソン、散歩、運動施設が続いています。1km強を歩いて、眼下のゴルフ場を左折する本来のコースとぶつかり、その後、マップどおりに直進。

JR南武線の向河原駅横の踏切を渡る際、正面にグランドツリーの高層ビルが 151014 (25).JPG聳えていて、目を惹きます。直進してJR横須賀線の高架下を過ぎて右側に武蔵小杉駅横須賀線口。

 

ゴールは北改札南武線口でしたが、端末受付コースでゴー 151014 (26).JPGルチェックが無いため、千葉へ帰るのに便利な横須賀改札口から構内へ。

 

トイレに行くと、出入口で前を歩いていた先頭のウォーカーとバッタリ。結局、一緒になりました。帰りの君津行の車内で、再び会いました。自分は座れて、うとうとしてしまったのでどこで下車されたのかは解らずじまい。

横須賀線直通でそのまま津田沼駅へ。津田沼で総武・中央線に乗り換えて幕張本郷駅へと帰りました。

 

今回は、歌舞伎で有名な「神霊矢口渡」や南北朝時代の武将、新田義興公ゆかりの土地と、多摩川土手から発展著しい武蔵小杉へと向かい、約10kmを2時間かけて歩きました。秋晴れで、気持ちの良いウォーキングを楽しめました。

 

 

 

 

コースは;相模湖駅右観光案内所  スタート右県立相模湖公園右相模湖大橋右嵐山右石老山入口右巨木・奇岩の道右顕鏡寺右石老山入口右相模湖プレジャーフォレスト ゴール右相模湖駅

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ハトちゃんは、2012年4月5日以来〔前回はカタクリの郷が中心〕となる、相模湖周辺散策に、10月13日(火)出かけました。

駅ハイ相模湖畔の秋と奇岩・巨木の散策~歌人 柳原白蓮をしのぶ(約8km)」に行って来ました。

中央線終点高尾駅で、甲府行の普通列車に乗り換えて、トンネル 151013 (2).JPGを抜けると、相模湖駅。天候は秋晴れで爽やかなウォーク日和。駅前に観光案内所があり、スタート受付。ゴールが異なるため、係員から説明とマップを受け取り、真っ直ぐ行くと、相模湖畔へ。途中、国道20号線(甲州街道)を横断。

 

緑色の湖面が観えて来て、付近一帯が県立相模湖公園になっています。

151013 (6).JPG階段と芝生を下りて行き、チェックポイント管理事務所を探すも見当たらず。困っていると、駅ハイ参加の若い女性ウォーカー二人組が通りがかり、親切に場所を教えてくれました。

事務所の場所はわかりづらく、押印後、小生も後から場所を探しているウォーカーに教えてあげました。

ボートやスワンの船着場や、ベンチがあり、相模湖〔1947(昭和22)年に相模ダムによって、相模川が堰き止められてできた人造湖〕を一望できます。

 

その後、交通量の多い国道412号線の湖畔周回 151013 (8).JPG 151013 (9).JPG 151013 (10).JPG道路を進みます。歩道はあるものの、大型ダンプや観光バスが横をスピードを上げながら飛ばして行きます。湖畔に水質浄化のために円状に噴き出ている地点あり。前方の相模湖大橋を渡って、長いトンネル(嵐山洞門)を通ります。

 

先ほどの二人組が前方を歩いていて、一定の距離を置いて、付いて行きます。

 

間もなくトンネルの先左手に紅葉で有名な嵐山。このあたり 151013 (14).JPG 151013 (11).JPGで、前のウォーカーを抜きました。湖に面した遊歩道は、関所跡を過ぎて、歩道橋を渡って、進行方向右側の歩道から左側の歩道へ。木立の合間に相模湖が観えます。

途中に、見晴らしのきく展望場所も。湖面に釣りを楽しむ船が。対岸に相模湖公園周辺と市街地、山々が展望できて、湖面と空のコントラストが美しい。

長い周辺道路を行くと、交差点が見えて来て、相模湖プレジャーフォレスト(2008年7月相模湖ピクニックランド から名称変更)の看板と駐車場出入口が。

先を急いで、続けて周回道路をゆっくりと下って行くと、約10分ぐらいで、石老山入口の看板。

 

151013 (17).JPG 151013 (18).JPG 151013 (20).JPG右折して、石老山に向かいます。左手に川が流れていて、車も少なくなって、コスモスが咲くのどかで静かな風景が続きます。ゆるい上り坂を直進し10分ほど歩くと、手前に石老山表参道の看板。

 

 

マップどおりに進むと、ちょうど前に顕鏡寺から戻って来た女性ウォーカーに会いました。

道を尋ねると、『右手の相模湖病院駐車場先に道があって、巨木・奇岩の 151013 (24).JPGはかなり手足も使う険しい道。しかし、ゆっくり行けば大丈夫』 と。 151013 (25).JPG 151013 (23).JPG

それでも、ハトちゃんは意を決して、山道を入って行くと、途中に第三紀地層の礫岩が分布していて、苔がむして、ところどころ道がぬかるんでいる場所があります。

上って間もなく、石畳岩石を利用した岩の間に、不動明王が安置されている滝不動があり、覗いて見ました。急登もあって、途中に屏風岩仁王岩駒立岩など、10m級の岩が次々と現われる、とても変化に富んだ道で「石老山」の名にふさわしい。

コースマップでは、顕鏡寺まで約10分とありましたが、もう少しかかりました。

 

やっと、中腹より低いところ(頂上は694m―小生は一度だけ登頂)にある顕鏡寺〔平安時代(貞観18)年に建立〕へ。境内では、先に着いていたウォーカーが10人ぐらいいて、休憩中。

151013 (26).JPG 151013 (29).JPG 151013 (27).JPG山門左側に道志法師と源海法師が住居した岩窟があり、幹回り6.3m樹齢400年の蛇木杉が横たわっています。また大イチョウから落ちたギンナンの異臭が漂っていました。

 

水分補給と上着一枚を脱いで、ゆるやかな女坂のコンクリート舗装道を下ります。行きの急な登りと道の悪さを考えると随分と楽。片側は、民家が点在していますが、このあたりは車が必須ですね。

 

汗もひいて、下り終えてから、広小路の出入口の民家に、N 151013 (30).JPGHK連続テレビ小説「花子とアン」に登場する蓮子のモデルとなった歌人・柳原白蓮(大正3美人の1人といわれた)の写真と説明文が掲示されていて、顕鏡寺にお墓があるそうですが、見落としました。

遠くに、プレジャーフォレストの大観覧車が観えます。

  151013 (31).JPG

石老山入口に出ると、バス停があり、その先はゆっくりの上り。秋とはいえ、日差しで汗が出て来ます。

 

10分で、相模湖プレジャーフォレストへ。駐車場の右手に歩行者用通路があり、広い駐車場、芝生広場を抜けて階段を上がると 151013 (32).JPG、右手に天然温泉「ゆるり」

温泉受付でゴールし、名簿に記入。温泉には入らず、次のバス(1時間に1本)を待つ間、水分補給とトイレ、軽食休憩。

 

国道にあるバス停で約20分の待ち。そこによく見かける横浜の快速ウォーカーが、サラリーマン服装に着がえて一緒に待っていたので挨拶。行きと帰りに、そのままの服装では帰らないのがモットーみたいです。

 

バスは、朝歩いて来た嵐山や相模湖大橋を通って、駅前へ。次の電車まで時間があったので観光 151013 (34).JPG案内所裏にあるふれあいパークで休憩。

相模湖駅(12:36発)で電車に乗って、西八王子駅に着く車内で、朝、相模湖駅コインロッカーの鍵を左の上着ポケットに入れたままだったことに気づいて、降りてから、再度あわてて二つ先の相模湖駅まで戻りました。

複線なので、相模湖駅で下りて6分後に上りが来て(13:40発)、事なきを得ました。野菜が入っていたので心配しましたが、近かったのとあまり時間のロスがなかったので、助かりました。

 

実家に帰ると、はデイサービスに外出中で、庭の落葉と草取りで4.5ℓゴミ袋2個にまとめ。

 

相模湖周辺には、いくつものスポット、ハイキングコースがあり、深まる秋には紅葉の名所もあって、都心から近いので気軽に出かけられる観光地です。

 

 

 

コースは;桶川駅  スタート右砂ヶ谷戸観音堂右桶川西高校水族館右薬師堂東光寺右松原双龍堂右松原八幡神社右泉福寺右三田原氷川神社右喜倉堂右旧陸軍飛行学校右狐塚堂坂地蔵堂右JAあだち野川田谷支店右歴史民俗資料館右王子会館右前領家観音堂右駅西口公園 ゴール右桶川駅

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10月11日(日)、毎年同時期の桶川駅ハイ発見!秋の荒川 歴史と文化(約15km)」に行って来ました。

これまでは「泉福寺 国指定重要文化財特別公開と六阿弥陀めぐり」というタイトルでしたが、今年は改名。

千葉・幕張本郷から、埼玉の桶川まで、普通列車で1時間35分ほど。上野から高崎線に乗り桶川着が8時59分。 151011 (1).JPG

桶川駅前からスタート(9:03)。地元ゆるキャラの「おけちゃん」他がお出迎え。当日は、あいにく小雨が降る天気。

 

傘をさしながら、駅西口前の道路をひたすら直進。前を歩くウォーカーに付いて 151011 (2).JPG行けば大丈夫ですが、幾分少ないようです。今回も、スタンプラリーがあり、順番にスタンプを押していく楽しみが...。歩道の途中に、べに花の郷を描いたマンホールが...。

 

西口公園と反対側の歩道を歩きます。「さいたま文学館151011 (4).JPGは、改装工事中で、足場と網がかかっていました。文学館前のゴール受付は準備中。女性係員から「頑張ってください」と声をかけられました。

それにしても、最初から3.7キロの直進はしんどい。藤波交差点を過ぎるとゆ 151011 (5).JPGるい下り坂に...。滝の宮交差点を左折します。

 

いよいよ寺社めぐりがスタート。周囲の田畑では、既に 151011 (11).JPG 151011 (7).JPG稲刈りした後や垂れて収穫目前の稲穂が。最初の砂ヶ谷戸(いさげーと) 観音堂で、最初のスタンプを押します(9:51)。

出入口には柿がたくさんなっている柿の木が。第三番の六地蔵もあり。地元のガイド観光ボランティ 151011 (9).JPG 151011 (10).JPGアの方が、暖かく出迎えてくれ、観音堂の沿革等について聞くことができます。出入口にはポイント名の看板がありましたが、今回は名物のユニークな案山子が立っていません。

 

 

 

次に回ったのが桶川西高校(9:53)。校舎前がバイパスの工事中で様変わり。校舎の玄関で、いつものウォーク仲間の中村さんと対面。 151011 (12).JPG

全国高等学校の中で2校しかない、貴重な水族館のあるハートフル桶西水族館。構内に入って、水族館のある教室へと...。

入口には、先生や制服を着た生徒たち。部屋には、たくさんの水槽が並び、アマゾン川生息のピラニアやアロワナはじめ、世界の淡水魚の飼育展示、写真や文集発行など...。

151011 (13).JPG 151011 (15).JPG順路にしたがって進み、高校生が解説してくれます。年間約3500人の来館者があり、今回も魚の折り紙をいただいて、かわいいお土産にしました。

 

ところで、昨日(10/9)は、小見川で義兄と妻と3人で畑の収穫作業と、耕作。というのも、12日(月・祝)に近くのバザーで野菜の販売をするために、いろいろな野菜や果物を収穫し、帰宅後、深夜まで野菜の選別・洗い・販売用の準備でかかってくたびれ果てていました。

そういうわけで、小雨の中これから10キロ以上歩くのを断念(10:05)。

コースとは反対に左折して、高校前のバス停を見ましたが、1時間に1本で。40分以上も待たなければならず、歩いて戻ることにしました。

県道川越栗橋線に出て、滝の宮交差点を右に入ります。ほぼ一直線で藤波交差点へ。そこからは、ゴールまで。先は見えていても、なかなか近づけず遠く感じます。

 
駅西口公園前ゴールがありました(11:00)。その横を通リ過ぎると、受付の女性から声をかけられ、もう一人の女性ウォーカーと一緒に。スタンプラリーが未完成なのに 151011 (3).JPG、『雨の中を来ていただいた』 というご厚意で記念品の 切り絵のハガキとポケットウェットティッシュ)をいただきました。
 
そこから、けやき通り沿いに桶川駅までは5分程度。帰りは、湘南新宿ライン特別快速)(11:15発)で赤羽経由→秋葉原→幕張本郷とJR線を乗り継いで帰りました。
 
今回のウォークの歩行距離は約9キロでしたが、腰痛だったせいか、歩き方・スピードもゆっくりでした。記念品をいただけたのはありがったかったのですが、完歩ウォーカーには気が引けますした!
 
 
 
 
 

 

コースは;岩宿駅  スタート右岡登緑道右岩宿遺跡右岩宿人の広場右岩宿博物館右ひまわりの花畑右大間々まちなか散策右大間々博物館右はねたき道了尊・はねたき橋右高津戸峡遊歩道右ながめ公園・ながめ余興場右わたらせ渓谷鉄道 大間々駅右赤城駅(東部鉄道・上毛電鉄)ゴール

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10月9日(金)、ハトちゃん駅ハイ 岩宿初秋のひまわりとわたらせ渓谷ハイキング(約11km)」に参加。

上野から宇都宮線に乗って、小山で乗り継ぎ、両毛線で約1時間。桐生の一つ先の岩宿駅に到着。

駅ハイ参加者は遠方の割には、結構来ていました。

 

スタート岩宿駅で受付。

 

駅前から県道344号線に出て、一つ目角を左折。以後、前のウォーカーに付いて、直進。

笠懸北小学校脇の先を進んで、幅広の道路に出ます。

左折すると、間もなく岡登緑道。確かに、車道と区別されている遊歩道ですが、途中、休憩用ベンチDSC00046.JPGはあるものの、木々はまばらで緑道はあまり整備されていません。それでも、歩行者専用道なので、歩きやすい。

 

緑道の途中で左折して、稲荷山麓の道をマップに沿って歩いて行きます。

笠懸町第5区公民館が見えて、その先に史跡案内ボランティアさんが立っていました。

 

道路を渡った向い側に岩宿遺跡〔1946(昭和21) 年、相沢忠洋によって 151009 (2).JPG、日本古代史上の大発見となった遺跡〕の発掘現場跡に石碑が立っています。相沢忠洋の胸像と、岩宿ドーム内では、簡単に岩宿遺跡の紹介やビデオ上映も行われていました。

 

岩宿の里に入ると、左手に鹿ノ川沼が広がっていて、釣り人の姿が...。

広々としていて、公園全体が見渡せます。途中、岩宿人の広場には、世界と日本の旧石器時代の住居3棟の復原と、マンモスの骨で作られたイエなど。屋根がありません。屋根には、動物の皮でも置いたのでしょうか?また、古代料理どんぐりのつめりっこ汁)をごちそうにな 151009 (3).JPGり、体が温まりました。カタクリの群生地としても有名だそうです。

 

その先の岩宿博物館〔古代史の岩宿時代の資料に限って展示。人類の時代と環境→岩宿の発掘→岩宿時代の暮 151009 (6).JPG 151009 (5).JPGらし、岩宿時代文化の発見の4コ ーナーあり〕は外観のみ。銀色の流線型の屋根が目を惹きます。

また、ふれあい学習館では古代米・作物作りの栽培を復原。各種資料などを置いてあり、約2千年前の古代ハスの花が咲くハス池があり、いずれも古代の発掘・文化・生活を体験学習できます。

芝生の中を通って、古代の里公園の湿地もありました。遠方に、赤城山が見えます。

  

続いて、広い道路の脇道に入って行きます。みどり市吹上地区のひまわりの花畑へ向かいます。「ひまわり花畑」の幟が道の両側に立っていて、遠くから賑やかな音楽が聞こえて来ます。観光客の姿はまばら。

151009 (9).JPG 151009 (11).JPG歩いて行くと、左側にイベントコーナーがあって、地元物産などを販売。左手の鹿田山を望む畑全体に、黄色い絨毯を敷き詰めたひまわりが...。太陽に向かって、一斉に花が向いているひまわり12万本が所狭しと咲いていて、壮観なはずでしたが、本日の花畑は、昨年と比べると、花の数が少なく、期待はずれ。

通路内に入って、観賞したり、撮影したりの観光客や駅ハイウォーカー。

 

その後は、マップに沿って、東武鉄道・上毛電鉄の赤城駅前まで1km。直線で長く感じます。ゴールの赤城駅前踏切を横断して、右側が駅前。この時点で、前にいたウォーカーを抜いてしまったので、ゴールの女性に手を振ると、応えてくれました。小生は、県道122号線をひたすら直進。

道の両側には、大間々まちなか散策〔足尾銅山の銅を運ぶ宿 151009 (13).JPG町として栄えた街並み〕が見えて来て、酒や醤油の醸造元があり、蔵やレンガの煙突、古商店・民家が点在〕を観ながら進みます。

 

途中、コノドント館〔大正10年に建築された「旧大間々銀行」(群馬で最初の私 立銀行)本館および土蔵を活用。大正期の洋風建築として貴重 な建物〕に入 151009 (14).JPGDSC00098.JPG館。

みどり市で、赤城山東南麓の自然・歴史・民俗を総合的に展示している博物館で、館の由来は、この地で発掘された1ミリほどの魚の化石が「コノドント化石」と呼ばれたことによります。

 

大間々3丁目の交差点を右折して、わたらせ渓谷鉄道の線路を渡ると、 右側のはねたき道了尊へ。まちの人たちが出迎えてくれて、お茶のサービス。 151009 (15).JPG

『どこから来たの?』 『千葉からです』。『何時に出て来たの?』『5時起きです』と言うと、『遠くからよく来てくれた。頑張ってね』と、言葉を交わして、峡谷遊歩道へと向かいました。

 

白い三角形のはねたき橋から見下ろす 高津戸峡〔関東の耶馬渓と称される景勝地。紅葉の名所〕の眺望がすばらしい。

151009 (18).JPG 151009 (19).JPG 151009 (21).JPG渡良瀬川・高津戸峡脇の遊歩道は、暗くて細く、足元が滑りやすく注意して、下ります。川岸から、渓谷美と急流の波しぶきを満喫。途中、ゴリラ の顔に似ているゴリラ岩も見ることができました。残念ながら、紅葉にはまだ早く、地元の方の話では、今年は例年より早く11月初旬が見頃だそうです。

 

前後に 歩いているウォーカーは誰もいなかったのですが、散策や休憩している人に数人会いました。昨年歩いていた道で覚えていたので、間違わずに散策できました。

 

151009 (22).JPG一つ先の赤い高津戸橋が右上方に見えて、遊歩道を上って、橋を渡ります。

 

橋の先に昨年と同じ女性の案内人が立っていて、道案内。ながめ公園内を抜けて、幟の立っていたながめ余興場〔1937(昭和12)年に竣工。市指定重要文化財。廻り舞台や桟敷や、楽屋、座長室なども残っていて、見学できる〕へ DSC00124.JPG。太平洋戦争後、劇場建築が姿を消す中、県内では唯一、全国的にも数えるほどしか残っていないとのこと。

赤城駅までの戻りは、県道122号線の1本手前の道路を左折して直進。わたら 151009 (23).JPGせ渓谷鉄道大間々駅へ。構内に入ると、ゴールまで行かずに帰る、駅ハイらしきウォーカーが3人いました。これから、足利まで行くというウォーカーも。

ハトちゃんは、群馬まち歩きスタンプラリーのシールを、大間々観光案内所でもらった後、ゴールの赤城駅まで。ゴールでは、10人ぐらいのウォーカーがいtました。大半はショートカット組。赤城駅ゴール受付で記念品の濡れティシュをもらって、下り電車で西桐生駅へ(11:27発)。  151009 (26).JPG 151009 (25).JPG

 

10分ほどで、上毛電気鉄道の終点「西桐生」駅。 小生は9月29日(火)に桐生駅ハイに来て歩いたので、道も知っていました。

 

駅と反対の地蔵通りの突き当たりにある桐生織物記念館へ。2階の資料展示室には、先日、織物体験を紹介していた女性学芸員がいて、1階の店内で受付していると教えてもらい、洋装店でシールをもらいました。

 

その後、桐生駅では、両毛線下り小山行(12:22発)で小山へ。3分の待ち合わせで、あわててホームまで走って何とか湘南新宿ライン逗子行に間に合いました。赤羽で乗り換えて、秋葉原へ京浜東北線快速で。中央・総武線を乗り継いで幕張本郷まで(15:27着)。 

ひまわりの花や高津戸峡の渓谷美、そして古代「岩宿」時代の 遺跡・生活・文化、大間々の宿場町の様子など、約11キロのウォークは、盛りだくさんで、また紅葉の頃、訪れてみたいです。

 

 

 

コースは;京成稲毛駅  スタート右稲毛浅間神社右愛新覚羅溥傑ゆかりの家右旧神谷伝兵衛別荘右民間航空発祥の地碑右稲毛海浜公園右民間航空記念館右三陽メディアフラワーミュージアム右JR京葉線・稲毛海岸駅 ゴール

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習志野「ゆうほ(友歩・遊歩)21」のウォークは、10月6日(火)、暖かい陽射しに恵まれ、秋を楽しむには持って来いのウォーキング日和。京成津田沼駅構内に9時30分に集まったメンバーは、神田先生をはじめ14人。前回の8人からは、だいぶ増えました。稲毛へは、ハトちゃん、千葉健生病院のウォーク以来、2度目。

本日は、「稲毛浅間神社から民間航空発祥の地を歩く(約9km)」へ。

約15分で、「京成稲毛」駅に到着(9:44)。和気藹々でスタート

駅を降りると正面に森が見えて来て、稲毛浅間神社〔安産と子育ての神といわれる〕の裏手の上り 151006 (6).JPG 151006 (1).JPG口。先生の説明後、水で清めて坂と階段を上がって、拝殿の前 へ。

鮮やかな朱塗りで、新装されてそれほど経っていない様子。 

 

平日なので、参拝客はまばら。参賀や七五三の頃には、駐車場も停められないほど参拝客で溢れます。そういえば、妻が身重のときと、子どもが七五三で来た思い出が甦りました。

 

浅間神社から歩いて間もなく、「千葉市ゆかりの家・いなげ―愛新覚羅 溥傑仮偶 」が途中にあり、見学。

車の多い国道14号線千葉街道)を一つ道を隔てたところで、嘘み 151006 (8).JPG 151006 (5).JPGたいに静かな環境。

1937(昭和12)年、この地に半年ほど住んでいました。木造平屋建ての質素な建物で、邸内にゆかりの写真や資料が置かれています。本も置かれていて、当時の状況が読み取れます。このあたりは、海を埋め立てる前は、別荘が多かったそうです。

入館と邸内の庭まわりの2グループに分かれて、中国清朝のラストエンペラー 溥儀の実弟である溥傑夫妻の半年ほど住んでいた、風情ある建物や当時の資料・写真、庭などを堪能。女性ガイドさんの説明付き。庭周辺の清掃など、管理する大変さを感じました。

 

14号線に出て、神社の参道前の大鳥居があり、道路の反対側に 151006 (9).JPGも小ぶりの鳥居が観えます。埋立て前は、宮島の厳島神社のように海水に浸かっていたそうです。

 

釣りの上州屋を過ぎて間もなく、左手の横から「旧神谷伝兵衛 稲毛別荘・千葉市民ギャラリー」へ。

この別荘は、千葉市で最古の鉄筋コンクリート建造物で、現在、国登録有形文 151006 (13).JPG 151006 (12).JPG化財になっており、広い芝生と庭園があり、池には錦鯉の泳ぐ姿も。別荘の中は入場無料で、「日本のワイン王」の異名を持つだけに洋館の贅沢な建造物やインテリア。2階の和室も古風の中に、欄間の木彫などかなり凝っています。東京・不忍池にある「岩崎邸」には及ばないものの、明治期の実業家の成功を裏付けるに充分なものでした。

 

また、隣の千葉市民ギャラリーでは、水彩・油彩展が開かれていて、ハトちゃんのみ鑑賞。展示室に力作が飾られていました。

前には国道が走っているのに、木々に囲まれているのと、洋風な建物のせいで、閑静な雰囲気に浸れました。

  151006 (15).JPG 151006 (17).JPG

今度は、大型や車の交通量が多い14号を横断。マンション裏の松林が立ち並ぶ遊歩道を、浅間神社前まで戻ります。途中に、松ぼっくいや、椎やどんぐりの実がたくさん落ちていました。

向かい側の広い芝生の中へ。爽やかな秋晴れと芝生の感触が気持ちよい。

 

細長い稲毛公園の中央に、川崎製鉄が以前作っていた蒸気機関車があり、また、お寺のような和風 151006 (18).JPG建築で白壁の目立つ建物は、1989年、日本勧業銀行本店として作られた旧千葉市役所庁舎。現在は東京トヨペット本社〔国の登録有形文化財〕が見えました。

 

公園の南に尾翼をシンポライズしたモニュメント「民間航空発祥の地碑」が立っています。1912(明治45)年、遠浅の海岸を利用 151006 (22).JPG 151006 (19).JPGしてこの地に滑走路他を作って、民間航空が飛び始めたそうです。

先生の話では、『稲毛で民間航空が発祥して、その後、台風で壊れて、一時、元の谷津遊園に移転。また幕張本郷の14号線にも滑走路や格納庫を移して飛んでいた』 とのこと。

その後は、稲毛海岸に向かって、高洲、磯部団地の間の浜田 151006 (24).JPG川沿いの並木道を、ひたすら2.5km直進。いろいろな住宅と、さるすべりヒバなどを観賞しながら、だいぶ疲れました。途中、京葉線の高架下を通過。

歩くうちに気温が上がってきて、上着を脱ぐ女性メンバーも。たまに、足を止め、通りすがりに赤い実が成っているビラカンバや、ビンクと白い芙蓉などが咲いていました。

 

高磯一の橋から三の橋まで進むと、やっと湾岸の道路へ。ちょうど右正面がヨットハーバーのある地点。公園入口では、ソテツの並木があって、面積が広い、稲毛海浜公園〔日本初の人工海浜公園〕へ。

左折して間もなく、公園内に入ると、木々が多くあり、だいぶ涼しく感じました。

 

正面右に、民間航空記念館〔稲毛の干潟を利用して、わが国初めての民間飛行場が開設され多くの民間飛行家たちが活躍。当時活躍した複葉機(鳳号)が復元 151006 (27).JPG 151006 (29).JPGされたのを機に記念館を建設し、現在では飛行機の歴史や大空への夢を育むため、展示施設の管理や紙飛行機工作教室などのイベントを行っている〕へ。

ここで15分の館内見学。入口にはガイドさんがいて、手作りの紙飛行機(自由に持ち帰りができる)や、当時の様子をあらわした写真・資料などが展示されていました。

 

見学後は、稲毛記念館前を通って、芝生広場で昼食。校外学習で来ていた小学生が、芝生で鬼ごっこなどで元気に走りまくっていました。こんもりとした穂を付けていたパンパスグラス(西洋ススキ)の 151006 (30).JPG 151006 (33).JPG 151006 (34).JPG前では、「だるまさんが転んだ」を。保育所にいた頃の息子と娘を海浜公園に連れて来て遊んだ日々を思い出しました。

 

 

メンバーの昼食は早めに終了。広場を横切り、親水公園の敷石を渡って、旧花の美術館(現在は三 151006 (36).JPG陽メディアフラ ワーミュージアム)横のハーブガーデン他、秋の花が咲いている花壇へ。花壇で飾られた花時計あり。

 

花が特徴的な白いネコノヒゲや背の低いダリアなど。先生から、美術館入館の希望を聞かれましたが、今回は無し。千葉・稲毛は近いので、 151006 (39).JPG 151006 (37).JPG 151006 (38).JPG何度か来ている人も多かったせいでしょう。

フラワーミュージアム前の花壇では、ピンクを中心に、コスモス群が、奥に新しくできたガラス張りの三角形のマンショ 151006 (40).JPGンに映えて、なかなかのビュースポット。

その後、公園を出て、ゴールは京葉線の「稲毛海岸」駅でしたが、4人が美術館前からの10分おきの始発バスに乗って離脱。小生も付き合いでバス組。

ゴールへ向かうメンバーと同じ道路だったので、途中、窓から手を振って別れました。時間が早かったので、他のメンバーはあと1時間くらいかけて、「京成稲毛」駅まで歩いたものと思われます。

 

そういうわけで、今までの市外ウォークで最も帰宅時刻が早く、14時前に着きました。

 

今回、隣りの千葉市歴史と文化、風情のある公園などを再発見できました。

秋の半日を満喫した楽しいウォーキングになりました。

 

 

 

コースは;北千住駅右 ルミネ北千住 スタート右勝専寺(赤門寺)右安養院(かんかん地蔵)右虹の広場右千住大川町氷川神社(富士塚)右元宿堀記念碑右千住神社(富士塚)右矢立初の芭蕉像 右柳原千草園右柳原稲荷神社右甲良屋敷跡右お休み処千住街の駅 ゴール右北千住駅  

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10/4(日)北千住までは、武蔵野線から新松戸に出て、常磐線・東京メトロ千代田線で「北千住」駅へ。

受付時間の9時30分の3分前に到着。西口広場前に出れば、わかりやすかったのですが、出口を間違えて数分遅れ。毎年、北千住駅の出口ではトラブル。

 

スタート受付の「ルミネ インフォメーション」前は、多数のウォーカーが集まっていました。

マップを見ながら、「大千住の街歩き」ポイント全部にスタンプが設けられていてスタンプラリーも実施。最初のポイント勝専寺を目指します。数メートル先のウォーカーに付いていけば大丈夫。

151004 (1).JPG

まず、駅西口を出てきたろーど1010(本町センター商店街)を直進。りそな銀行を過ぎて左折して路地を入ると、勝専寺〔浄土宗;1260(文応元)年創建。「赤門寺」で知られる。現在の本堂は、1906(明治39)年に建立され 151004 (3).JPGたもので、住職は洪水の多い地域であることを考え、インドにある寺院を模して、コンクリート製〕。寺の横から境内へ。その後、正面にまわり赤門を確認。参拝。

荒川の水底から引き上げられ、千住の地名由来になったという木造千手観音立像が安置されているそうです。

すぐ先の潤徳女子中・高校の建物の間を抜けて、きたろーどに戻って右折。千住本町小学校前を通って500m直進。

住区センター前に、安養院〔真言宗豊山派;鎌倉時代に北条時頼が創建したと伝わる〕。境内には 151004 (6).JPGかんかん地蔵」(小石でかんかん打って祈願すると願い事がかなうといわれる)が並んでいます。

 

続いて、土手のスロープを上がって、荒川土手へ。正面に虹の広場。花壇がきれいな花が咲いています。広い河川 151004 (9).JPG 151004 (8).JPGには、休日とあって、少年野球やサッカーの試合、ジョギングやサイクリングを楽しむ人たちで賑わっていました。

 

151004 (11).JPG舗装された河川敷のサイクリングロードからの眺めは、鉄橋を渡る電車や公園、建物群など天気も良くて一望できました。

交通量の多い千住新橋の下をくぐって、500mほど進んで、階段を上がって押しボタン式の信号を渡って少し東寄りに進むと、左手に、長い参道のある「氷川神社(大川町五丁目)」〔布袋尊〕永仁年間(1293~1299)の創 151004 (13).JPG 151004 (14).JPG建といわれています(10:26)。

境内には、高さ3mの千住川田神社の富士塚(富士山信仰)や、旧千住新橋の橋脚、紙すき碑がありました。また、銀杏が早くも落ちていて、拾っている人もいました。

 

前の道を進むと見慣れた通りに。途中に千住公園。右側にレトロ 151004 (15).JPG 151004 (16).JPG 151004 (17).JPGな雰囲気のタカラ湯があり、その先まで直進。信号を渡って「元宿堰稲荷神社」前に、元宿堀記念碑がありました。このあたりに、荒川(のちの隅田川)につながる水路があり、千住宿に対して、鎌倉時代からの集落で「元宿」と呼ばれ、甲州から移り住んだ開拓者の経緯を記した「感旧碑」。

 

帝京科学大学千住キャンパス入口を過ぎて、墨提通りを1k 151004 (20).JPG 151004 (18).JPGmほど南下すると、左手に「千住神社」〔恵比寿神〔926(延長4)年に創建された千崎稲荷神社と、1279(弘安2)年に創建された氷川神社が明治6年に合祀された西森神社を起源とする〕へ。境内には、富士塚がありました。

 

その後、国道4号線に出て右折して南下。京成本線の「千住大橋」駅ガード下を通過して間もなく、中央卸売市場足立市場前を 151004 (22).JPG左にちょっと入ったところに、江戸時代の俳人 松尾芭蕉の「奥の細道」を歩き始めた地として、旅姿の石像が立っていました。

鉄柵越しに市場の様子を見ながら進むと、左手に入る、やっ 151004 (25).JPGちゃば緑道が。「やっちゃば」とは、競り市場のことで、足立市場の競りのかけ声が由来です。

京成本線を越えて、墨堤通りに出て、通りを右折して、1kmほど直進。

間もなく、東武鉄道「牛田」駅とすぐ真向かいの京成本線「京成関屋」駅の間を通過。「牛田」駅を過ぎて高架下を抜けて線路沿いに柳原千草園〔四季をテーマにした園内 151004 (27).JPG 151004 (28).JPGには、「春の広場」にはロウバイやさくら、「夏の庭」には シャクナゲやアジサイ、「秋・冬の山」の植栽区域があり、四季折々に花や木が楽しめる〕へ。

池の周囲には、東 151004 (32).JPG 151004 (31).JPG屋やベンチがあって、水生植物も。また子どもが楽しめる遊具もありました。

 

その後、ジグザグとマップにしたがって進んで行くと、300mほどで、柳原稲荷神社〔創建年代は諸説あり。1794(寛 151004 (33).JPG政6)年に再建。昭和初期に富士塚を築造〕へ。住宅街の間の神社。

真言宗豊山派の瑠璃山柳原寺理性院〔真言宗豊山派〕で、寺の角を曲がって前のウォーカーは、道を間違えて行ってしまい、小生は若いウォーカーの後ろで助かりました。

甲良(こうら)屋敷跡〔甲良家は、近江犬上群甲良荘法 151004 (34).JPG養寺村の出身で、初代甲良宗広から11代棟孝まで、江戸幕府に仕えた。江戸城や日光東照宮など大きな建築物の造営に関与し、建仁寺派とよばれるた工匠の家柄。その甲良家の別邸の跡地〕は、千寿常東小学校正門近くに、案内板がありました。

ファミリーマートを左折すると、東京電気大の横へ出ます。賑やかな学園通りを進むと、北千住駅東口前。学生たちが多く歩いています。

駅の東西通路の地下道を横断して、西口ロータリー前からきたろーどへ。

りそな銀行を、今度は右折して宿場町通り〔江戸時代の日光街道と奥州街道の宿場で千住宿151004 (35).JPGあった〕へ(10:12)。下町らしい商店街が続きます。活気ある商店街をゆっくり見な 151004 (36).JPGがら、途中にある「お休み処 千住街の駅」でゴール。10.5kmの行程は、千住の歴史や文化を発見できました。

店の前で、偶然、四街道の中村さんと会いました。

全部押印したスタンプラリーの用紙を渡して、ハンドタオル(他には絵はがきを選べます)をいただきました。1個でも足りないともらえなかったそうです。

 

久しぶりなので、駅前のかつやで二人で昼食。駅ハイの今後の予定や、夏の駅ハイ参加・ポイントなどについて話して盛り上がりました。

 

1時間過ぎて、次回の桶川での再会を約して別れました。 

小生の帰りは、先ほど歩いた「牛田」駅までを東武鉄道。乗り換えて「京成関谷」駅から京成本線で、最寄りの「京成大久保」駅まで、約1時間で帰ることができました。

 

 

 

コースは;桐生駅右 観光物産館「わたらせ」 スタート 絹撚記念館右新桐生駅右桐生明治館右大川美術館右桐生が岡動物園・遊園地右織物参考館"紫"右桐生織物記念館右西桐生駅右 観光物産館「わたらせ」 ゴール右桐生駅  

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桐生は4回目になりますが、テーマとコースは毎回違っていて、今回は4鉄道JR東武鉄道わたらせ渓谷鉄道上毛電鉄〕の合同開催。

 

上野から宇都宮線に乗って、小山で乗り継ぎ、両毛線で約1時間。桐生駅に到着(9:26)。

本日は7~9月パンフレットの最終日の前日9月29日(火)。 

スタートは駅構内の「桐生観光物産館わたらせ」で10時前でしたが受付けて 150929 (2).JPGくれました。 同電車の駅ハイ参加者はハトちゃんのみ。

天候は快晴で雲ひとつ無く爽やか。マップを受け取ると、スタンプラリーが付いていました。約15kmのロングコース

 

ベンチで朝食をとって、本日はレンタル自転車でまわることにして、構内にある 「桐生市民活動推進センターゆい」で自転車無料〕で手続き。あとで失敗したと思ったのは、電動自転車に乗ったことが無かったので、実用車を借用したこと。桐生は坂が結構多い。

 

西口前からロータリーを抜けてすぐ左折。途中に「絹撚記念館」〔大正6年に建築された撚糸工場事 150929 (3).JPG務所棟で県内最古の洋風石造建造物。現在は市の郷土資料を展示〕があります(10:11)。月曜休館なのに、なぜか休館。スタンプを押せず。

 

桐生」といえば「織物」の町。桐生川と渡良瀬川の二つの150629 (7).JPG川が市内を流れるこの地は「西の西陣、 東の桐生」といわれたほど織物の町として有名。まちなかには絹遺産群とし ての繭と絹織物のスポットがいっぱい。

 

その後、新川公園前を通って、コロンバス通りから錦町1丁目から錦町通りに入っ 150929 (5).JPGて広い道の歩道を進みます。途中に雷電神社があり、大きい鳥居のえんじ色と境内のオオシマザクラを観賞(10:15)。

 

錦桜橋からは、渡良瀬川と山並みが観えて来ました。ちょっと車を停めて、橋の上から眺望を楽しみました。 150929 (7).JPG

広沢町方面へそのまま直進。まもなく、正面に小さな東武鉄道新桐生」駅(10:26)。狭い駅前のロータリーに自転車を停めて、スタンプを探しに。窓口で聞く 150929 (9).JPG 150929 (8).JPGと、窓口内にあって駅員さんが押してくれました。駅横に「ハイテクとファッションのまち桐生」の銀色に輝くモニュメントあり。

 

いったん、来た道を広沢町1丁目まで戻って左折。相生町2丁目までずっと真っ直ぐ。途中、わたらせ渓谷鉄道の踏切を横断。

なぜか、スタンプの設置場所が、電車の車中にあるという、経営重視の不可思議な設置。スタンプだけが目的ではないのでスルー。普通は、駅に置くべきだと考えますが?

 

突き当たった右側に、白い桐生明治館〔初代県令楫取素彦〔大河ドラマ「花燃ゆ」で登場〕により明治11年に群馬県衛生所として建てられた擬洋風建築〕へ(10:45)。 150929 (10).JPG

門が開いていたので、庭に入って、出入口の扉を開けると、男性職員が。スタンプ押印だけ。聞けば最初の絹撚記念館は、先日のシルバーウィークに開館していたので臨時休館だとか。出入口のどこにも表示が無かったことを伝えました。

明治記念館を出て桐生小学校の横を通り、上毛電鉄の高架下を通って桐生合同庁舎前から堤町3丁目までは、一度駅ハイコースで歩いた、山あいの 150929 (11).JPG道。わたらせ渓谷沿いの渓谷美と清流の流れが道路沿いと橋の上から眺めて爽やかな風を受けながら、気持ちの良いサイクリング(10:50)。

堤3丁目からは、線路を左側に見ながら、線路に沿って桐生市街中心部へと戻ります。桐生駅前交差点を左折して、織姫神社の上、水道山へ。

水道山公園の下に自転車を停 150929 (14).JPG 150929 (13).JPGめて、舗装した急坂を歩いて登ります。2段になった山の中腹に、水道山記念館があり、懐かしく感じました。少し下がったところに、大川美術館〔桐生市出身の大川栄二が蒐集した内外のコレクションを中心に、1989(平成元)年にオープン。日本近代洋画の松本俊介、野田英夫を中心にして現在、7,300点を収蔵〕へ(11:10)。桐生市街が一望できます。

館内の受付嬢が、次のポイントの動物園と遊園地のできるだけ坂の少ない近道を教えてくれました。

停めてあった自転車の地点まで戻って、小曾根町方面へと。途中に、桐生第一高校前を通過。この道は、桐生七福神めぐりで歩いたところ。

 

桐生が岡動物園遊園地は、宮元町の坂を登って行くことに。途中まで、自力で漕いでいましたが、汗が噴き出て来て、へとへと。電動機付き自転車を借りておけばと後悔。

 

150929 (15).JPG結局、遊園地内にスタンプがあるので、途中であきらめてパス。観覧車やジェットコースターを見上げただけ(11:35)。

 

坂を下りて、山手通りを急いで戻ると、なぜか桐生駅前の交差点まで戻ってしまい、あわてて本町通りを探します。本町通りと思って走っていたんですが、なぜか金善ビルが見つからないので、通行人のオバちゃんに聞くと、『ここは末広通りよ』 と。その先「本町5丁目を左折して左側に、足利銀行の次にあったのが、金善ビル〔織物工場 を操業していた金善株式会社のビルで、地上4階、地下1階建て。群馬県内の初期の鉄筋コンクリート造りの建物で、桐生新町のシンボルだった〕がありました。

本町4丁目で右折して地蔵通りへと。かなりの直進で、やっと「織物参考館 紫」、森秀織物〔森秀織 150929 (16).JPG物の旧釜場、旧整経場、旧鋸屋根工場を利用して、館内で染色や手織が体験できる体験型博物館〕の看板と建物が見えて来ました(11:51)。

帰りの予定した電車の時刻に余裕がなくなって来たので、スタンプを押してそのまま、本町通り、末広通りを戻って、上毛電鉄「西桐生」駅方面へ直進。 

途中の四つ角を左に入ったところに、桐生織物記念館〔1934(昭和9)年、桐生織物協同組合の事務所として建 150929 (17).JPG築され、「織都」の別称を持つ桐生の隆盛を今に伝え、国の登録有形文化財に指定されている〕(11:58)。1階 は、織物製品(和装織物・桐生帯や着物など、洋装繊維製品・生地)を産地価格で販売。2階に織物資料展示室〕があります。

 

館内は無料で、資料展示室内を見学できます。桐生織の歴史と伝統、七つの技法を用いて 織られ150629 (27).JPGた和装織物の豪華絢爛さ、織機の種類など、過去から現在までの移り変わりを紹介していて、ガイドさんが説明していただけます。

スタンプの他に、前回の「ウォーキングクイズラリー」解答用紙を提出。織姫がプリントされた特製クリアファイルをいただきました。

 

時間が無かったので、見学は今回無し。最後のポイント 「西桐生」駅へ(12:05)。 駅名の看板は、右からの文字で駅舎とともにレトロな雰囲気。車 150929 (18).JPG両の中に自転車を乗せられる「サイクルトレイン」も名物。

 

西桐生から直進3分で桐生駅東口のロータリー前へ。駅前広場には、織物の町、桐生を象徴するカラフルな糸をデザインした塔が立っています。

自転車を返して、観光物産館わたらせゴール受付(12:12)。受付簿を見ると、本日の参加者は5人。うち小生を除く3人には既にチェックがついていてショートカット。そういう自分も歩いていないので、ちょっと引け目を感じました。スタンプラリーの個数は7個。係員がスタンプの押したマップを応募箱に投函。そのため、後日、頼んでマップを郵送してもらいました。その後、すぐ前の「桐生へ。

 

帰りは、12時22分発の小山行に間に合って、16時前に自宅に到着。

 

今回はサイクリングで、スタンプを押して、全部のポイントを回ったものの、見学が不十分。距離も長く、一人で歩くのには不向きで、自転車でも優に2時間かかるきついコースという印象が残りました。

 

 

10月3日(土)27年ぶりに高校の同級生たちに会いました(うち一人は、卒業後初なので45年ぶり)。27年ぶりは、ハトちゃんの結婚式に出席してくれたので。

都立高校時代の親友4人組も63歳になって、一人を除いてすでに3人は定年退職組で無職。

JR立川駅に12時集合で、小生はピッタリ12時に到着。すでに改札口を出たところに3人は待っていて、久しぶりに対面し、手を上げて声をかけてくれました。

『久しぶり』のあとに、『変わっていないので、すぐわかった』 と。

3人とは、卒業後、年賀状のやりとりだけで、『今年は会おう!』 という言葉を書いていましたが、結局、誰かの都合で会わずじまいで、ここまで来ましたが、今回はやっと都合がついて、本当に久しぶりの再会となりました。

早々に駅ビルのイタリアレストランへ―

同様に年を重ねているので、変わっていないように見えましたが、髪や体型などを高校時代と比べるとだいぶ違って見えました。

ちょっと最初はぎこちない固い感じでしたが、ひとたび高校時代のクラスメート、先生や学校行事の話題になると、昼食もそこそこに、大いに話が盛り上がりました。青春時代を一緒に過ごした思い出が、昨日のような出来事のように思えるほど、結構、みんな古い記憶が甦って、確認しながらの楽しいひとときに。

特に、4人組で卒業記念旅行を行きは夜行急行に乗って、帰りは船で帰り、四国一周を車中2泊と船中1泊を入れて1週間で15,000円でまわったエピソードでは、次々に暴露話も...。

それぞれの人生を生きてきたわけですが、異口同音に「健康第一」 という結論は一緒でした。

あっという間に、2時間が過ぎて、今度はすぐに会う約束を12月初旬に決めて、帰宅することに。

 

年をとって来ると、昔の思い出が妙に懐かしくなって、一緒に過ごした仲間たちや先輩、先生と会いたくなると言いますが、やっぱり、自分も同様に感じて来ているのは、年をとった証拠でですね!

 

 

 

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