コースは;中野駅 かこい中野四季の森公園刑務所作業製品展示・販売ルーム平和の森公園中野区立歴史民俗資料館野方配水塔哲学堂公園新井薬師 梅松院中野ブロードウェイ中野駅
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10月28日(水)、ハトちゃんは実家のある中央線西八王子駅への途中下車で、中野駅へ。中野は昨年末にサークルとオジン隊の駅ハイで行って以来。
雲一つない、秋晴れのウォーク日和。駅ハイ「中野の魅力発見!(約11.2km)」に参加。
駅前北口横でスタート(9:40)。今回は新装された陸橋を通らずに、中野サン プラザ広場前へ。
結婚式場や各種イベントなども開かれるサンプラザの高層ビルを見上げます。「2020年の東京五輪開催を起爆剤に、サブカルチャーの街、中野がさらに変貌を遂げる――」とのこと。
コンサート会場と して長年、親しまれてきた「中野サンプラザ」を解体・再整備し、JR東日本と組んで初の駅ビルを建設する構想。
最初のポイントは、隣りの中野区役所前にある犬屋敷(囲い)跡。7匹(抱えている子犬も含む)の犬の像があります。
この屋敷跡は、5代将軍徳川綱吉が統治する元禄年間、「生類憐れみの令」によって野犬のための犬小屋を作り、その面積は最盛期で約30万坪(東京ドーム約20個分)といわれ、約8万頭の犬が住んでいたそうです。住居には、五つの大きな犬囲いがあり、囲いの中は「犬小屋」「餌場」「日除け場」「子犬養育場」などが完備され、他にも、専門の医者や役人などが配備されていたというのですから、犬愛護にも度を過ぎると困ったものですね!
続いて、すぐ近くの中野四季の森公園〔元は陸軍、戦後は警察学校、警察大学校があり、移転跡地を昨年4月に公園としてオープン。現在「中野四季の都市」として、中野セントラルパークエリアの中心にある〕へ。
サラリーマンや学生(帝京平成大学など)たちの憩いの場所になっていました。オフィスビルの横に広場と休むベンチがあります。
続いては刑務所作業製品展示・作業ルームをショートカットして進むと、真正面に平和の森公園〔1985(昭和60)年、中野刑務所跡地に部分的に開園。現在も公園を拡張、整備中〕へ。刑務所跡だけに「平和の森」と名づけたという話もあります。
公園の管理事務所内1階に平和に関する平和資料展示室があり、 戦時中の「中野の戦災・学童疎開」資料・写真パネルなどや東京大空襲時の焼夷弾などが展示されてあり、しばし、戦争の悲惨さと平和の尊さを実感。
園内には、弥生時代の復原住居があります。
それから、北へ直進し、西武新宿線の線路を横断。右側に「沼袋」駅が見えます。
その後、新青梅街道まで直進し、江古田の森公園には向かわずに右折。間もなく中野区の歴史民俗資料館が左手に見えます。資料館は外観のみでさらに約1km直進。
細い路地を入って行くと、水の塔公園へ。園内に野方配水塔〔高さ33.6mの塔で、現在は地下に埋設された給水塔に譲ってはいるが、国の登録文化財に指定されている〕へ
。離れたところ からは、頭のドームが観えますが、近くからは配水塔の高さと太いコンクリートを見上げるのみ。戦時中の弾丸跡も確認できました。園内地下に災害時の巨大な給水タンクが埋設されていました。
新青梅街道から野球場横を通って、哲学堂公園〔この地は、源頼朝の重臣である和田義盛の城址。明治37年に哲学者で哲学館大学(現・東洋大学)創立者、故・井上円了博士によって精神修養の場として創設された。哲学世界を視覚的に表現し、哲学や社会教育の場として整備された全国に例を見ない個性的な公園〕内に入り、階段を上ると、台地になっていました。
園内には「七十七場」の各名称案内板と 建造物が立っていて、「哲学」の真理の雰囲気が感じられます。
【主な建造物】
「四聖堂」は、孔子・釈迦・カント・ソクラテスを祀り、「哲学堂」とも称 しました。これが哲学堂の名前 の起こりです。屋根の上に、烏帽子の形をした物が付いています。
「六賢台 」は、日本の聖徳太子、菅原道真、中国の荘子、朱子、インドの龍 樹、迦毘羅]の東洋の六人の哲人が祀られています。
「哲理門 」は、 哲学堂の正門にあたる。天狗と幽霊が傍らにあり、天狗は物質界、幽霊は精神界の 象徴であるといえます。右手の天狗は、目測でも確認できますが、左手の幽霊は暗くてよく見えません。写真に撮ることはやめました。
「三学亭 」は、日本の古来からの神学、儒学、仏教学の各碵学、 平田篤胤、林羅山、釈凝然を奉崇しています。三角地点の中に入って、パワースポットの力を身体に受けるために、両手を手招きポーズ。
ツツジ園や菖蒲池 の橋を渡って、バスが運行している中野通りへ。途中、樹齢年数が古い桜並木が道の両脇に...。
南下して、西武新宿線の踏切を渡り中野駅方面へと...。
新井薬師公園、北野神社を過ぎて、間もなく左折すると、大きな桜の木が本堂前にあって、新井薬師 梅照院 〔新井薬師 として親しまれ、1586(天正14)年、行 春(元北条家の家臣梅原將監)の 開基と伝え られる。薬師如来と如意輪観音の二仏一体を本尊としている。
本尊の薬師如来は、子育薬師、治眼薬師(眼の薬師)として信仰されている。毎月8のつく日の縁日には露店が並び、大勢の人で賑わいをみせ、縁日の風情を味わうことができる〕へ。
境内には、本堂前に枝が長く伸びた桜の大木が、で~んと根を張っていて、ねがい地蔵(水をかけたり、拭くスポンジあり)前には、ミニチュアの地蔵も並んでいます。
山門を通って、石碑の前からの眺めは風情があります。参道から薬師門前交差点へと。
新井薬師門前から信号を右折すると、薬師あいロード商店街〔古 くから新井薬師の門前町として賑わっていた地域に、1964(昭和39)年に組織化された商店街〕へ。
早稲田通りに出て右折。次の信号を左折すると、正面に中野ブロードウェ イ商店街〔1966(昭和41)年にオープンした地下1階~地上4階まで約300店舗がある〕へ。天井が低い場所を通過します。出口で中野サンモール商店街と接しています。商店街の照明も明るく、飲食店、生活用品を販売している店などが多数あり、バラエティー豊かな店舗が集まっています。
続きの中野サンモール商店街〔中野駅北口広場へ続く、アーケー ド商店街〕は、さらに人通りも多く、アーケードの中は、音楽がかかっていて、ちょうど昼時で、飲食店では待っているサラリーマンの姿もあちらこちらに...。
今回の駅ハイは、「多彩な魅力あふれるにぎわいの都市(まち)」の交流を目指しての 「なかのまちめぐり博覧会2015」(10.31~11.29)の一環で、秋の中野を歩きながら再発見できました。