コースは;我孫子駅 手賀沼公園手賀沼遊歩道親水広場公園水生植物園香取神社鳥の博物館志賀直哉邸跡杉村楚人冠記念公園天神坂小熊家我孫子駅
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10/21(水)千葉健生病院健康友の会のファミリーウォークは、習志野サークル「ゆうほ(友歩・遊歩)21」で歩いた手賀沼散策。JR幕張駅前へ8時30分に集まったのは、15人。先頭で案内役をハトちゃん、一番後ろを友の会元事務局長の今村さん。
本日のコースは、「北の鎌倉・手賀沼周辺を歩く」(約7km)。 写真は9/28下見時に撮影。
中央・総武線で西船橋→新松戸(武蔵野線)→我孫子(東京メトロ千代田線・常磐線各駅)へ。JR「我孫子」駅に9時20分に到着。駅の構内でトイレをすませましたが、清掃のため、15分ほどかかりました。
その後、南口駅前広場へ。駅周辺の地図と、手賀沼ゆかりの文人たちの記念碑が...。本日のコース説明と注意事項を話し、自己紹介後、ゆっくりスタート。
ロータリーを抜けてゆるやかな公園通りの下り坂を直進し、目の前の手賀沼公園へ。
園内に入り、150m先の「バーナード・リーチの碑」を見学。その後、公民館や 生涯学習センター、図書館がある「アビスタ」の建物内を通って、外に掲示されている、我孫子ゆかりの文人杉村楚人冠の紹介や古い手賀沼周辺の写真パネルなどを観ました。
園内の右側には、平和の記念碑も建っています。沼畔に出ると、遊覧船乗り場が見えて、多くの船が停泊しています。貸しボートやレンタサイクルでの散策も楽しめます。
左折して、遊歩道を手賀大橋方面に向かって、和気藹々と話をしながら、ゆっくりとしたペースで歩いて行きます。
手賀沼は周囲38kmの東西に細長い沼で、マコモやヨシなどが沼の畔からだいぶ広く繁茂しています。一時、日本で一番水質の汚い烙印を押されましたが、現在では努力の甲斐があり、だいぶ浄化されて来ています。
大橋までの遊歩道は整備が進んでいて、道路にウレタンが入っていて、弾力を楽しみます。ところど ころ、桜の根っこが盛り上がっている箇所や枯れている木もあります。ときおり遊覧船が通ります。畔の一部に、まだショベルカーや、クレーンが残っていて護岸工事中。いつまで、護岸工事が続くのやら。
文人の文学の碑がある広場の横がフェンスで覆われて、展望広場は展望がききません。
幅広で長い手賀大橋の手前にある我孫子高校の校庭横をくぐり抜けて、大橋手前の信号を横断。 橋を渡った先には 天然温泉「満天の湯」が見えます。反対側には道の駅があります。トンネルを抜けると、一気に眺望が開けて、沼が一面に観えます。
漁業組合の前の沼には、シラサギやカモが十数羽いて、人がいても逃げません。餌付けされているようです。営業されていない釣堀の向こうに、建物の上部がドーム型の「水の館」が見えて、だんだん大きく近づいて来ます。
沼のほぼ中央にある展望デッキから見る河童3体の像が浮いていて印象 的。残念ながら現在は噴水は出ていません。足元に注意して、像と沼を眺望しました。
沼はヨシや葦が背丈以上に 伸びた場所もあって、左奥にハスが一面に繁茂していました。
このあたりから、親水広場公園になっていて、ジャブジ ャブ池、水の広場、ふれあい広場があり、ちょうど芝刈りや落葉の清掃中。
右手に鳥の博物館がありましたが、外観のみ 。館内は3階 の見晴らしデッキから、手賀沼が 眺望できます。また手賀沼の四季の鳥や自然、鳥の剥製など貴重な資料を展示しています。
入館せずに、反対側の親水広場公園内「水の館」へ。本日は残念ながら休館日。
建物の前の沼周辺には、ベンチとトイレあり。
トイレに入ると、鍵がかかっていて利用できず。トイレが建物の外に付設されているので、いつでも利用できるように開放すべきとの一致した意見。
親水公園内を観ながら目の保養。
若松交差点前の駐車場のトイレが使用できて助かりました。
交差点を横断して細い舗装道の文学の道へと入って行きました。閑静な道沿いに、文人の史跡や別荘などの有形文化財が点在しています。
ところどころ、石畳がある道ですが、たまに車も通ります。二列縦隊で車に注意しながら進みます。
竹林の間の石段を上って行くと、敷地内は庭園風で、西洋古代史の大家、村川堅固・堅太郎親子の母屋と朝鮮風な屋根の新館が建っています。
団体の場合、予約が必要でしたが、お願いすると観光ボランティア市民ガイドさんが引き受けてくれて、説明をしてくれました。『ゆかりの文人たちが、嘉納先生とのつながりでこの地に集まって来た』 ことを知りました。ガラス窓からは、手賀沼や富士山も良く観えたとのこと。
御礼の挨拶後、文学の道に戻って先に進むと、道端に湧き水の出たはけの道。前に行った、東京の国分寺を思い出しました。また、白樺派の重鎮、志賀直哉邸跡と、小説『暗夜 行路』などを書いた書 斎が、一段高くなった平らな場所にあって見学。
すぐ近くの向かい側には、白樺文学館がありましたが、外観のみ。白樺派(大正デモクラシー時代の新文芸活動)が、 手賀沼のほとりで育まれ、発展したことを紹介。雑誌『白樺』原本、復刻本や白樺文人の貴重な原稿、書簡、書、色紙などが展示されています。
その先を右に折れて少し坂を上ると、閑静な場所に位置する杉村楚人冠記念公園。杉村〔本名 広 太郎〕氏は、明治末期から昭和前期まで東京朝日新聞で活躍した 幹部ジャーナリスト。「天声人語」の創始者。手賀沼湖畔に集まって来た白樺派文人などへも多大な影響を及ぼした先進的な新聞人。
ぼうぼうの芝生広場の脇に碑が建っています。
木々や竹林で覆われている天神坂の階段を上がると、公園風にな っている天神坂緑地の右手に嘉納治五郎〔文部省参事官、教育者・柔道家〕別荘跡。緑地内は広くて向かいにあるのが嘉納の甥っ子である柳宗悦〔民藝運動を起こした思想家。哲学者〕が住んでいた三樹荘跡。案内板があります。 椎の実が一面中に落ちていて、昔、食べていた話題に。また、天神坂は狭く短い石段の坂道で 、大正時代に我孫子が「北の鎌倉」といわれた雰囲気を醸し出しています。坂の途中に銘板あり。
また、我孫子宿の名主で脇本陣をつとめた小熊家〔1831(天保2)年築の茅葺屋根〕の母屋の外観と 、旧水戸街道の我孫子本陣跡は現在、ベネッセコーポレー ション前にありました。
突き当たりの常磐線の線路に沿って左折して間もなく、けやきプラザとインフォメーションセンター アビシルベ(観光案内所)前でゴール(12:45)。無事、けが人や脱落者も無く、全員に完歩証が渡されました。
紅葉にはちょっと早かったのですが、我孫子が手賀沼ほとりの自然とともに、文化人が集まった別荘地として賑わって(行きたい別荘地のNo.3になったこともある)風光明媚な場所だったことを認識できました。
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