コースは;高麗川駅 野々宮神社駅舎風物置「こおばんち」巾着田高麗郷古民家小さな美術館聖天院高麗神社高麗家住宅高麗川駅
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【秋のウォークシーズンに入って、忙しくなってしまい、1ヵ月前の駅ハイの様子です】
シルバーウィーク明けの9月24日(木)、オジン隊は 駅ハイで「500万本の曼珠沙華が彩る!秋の巾着田と高麗郡の歴史を訪ねる(約10km)」に参加。
小生は、高麗川駅までは、前日、八王子の実家に泊まって、当日は西八王子駅から中央線で八王子、反対側ホームの八高線に乗り換え。川越行で高麗川駅まで1時間弱。
10時の集合でしたが、兼子隊長が少々遅れて到着。メンバーは2ヵ月ぶりで したが、猛暑を乗り切り元気な顔で集合。当日の天候は曇り。
今回の一番の目的は、日本一といわれる500万本の曼珠沙華(彼岸花)の観賞。
小生を除き、初めて高麗川駅に降りたメンバー。高麗川は日高市になり、日高というと北海道を思い出します。
駅横でスタート受付。再会を喜び、和気藹々としゃべりながらのウォー ク。駅前ロータリーから県道182号線を直進。 「スーパー・オザム」を右折し、県道30号線へ。畑が続 いて、早くも田舎の雰囲気が漂います。道端に多く実った栗の木や曼珠沙華も咲いていましたが、峠を過ぎて、少し枯れ始めていて、巾着田の見頃に一抹の不安も?
山口百恵の歌に「曼珠沙華」がありますが、マンジュシャカと言っているのは、間違い?
途中の信号を左折。車に注意しながら細い道を進みます。突き当りを左に道なりに進みます。マップでは、最初のポイント野々宮神社の鳥居があるはずですが 、すぐに出て来ません。
やっと鳥居を見つけ、奥の本殿へと向かい、参拝。境内に土俵がありました。その後、運搬ケース箱が高く積まれているメイトーの工場があって、周囲の鄙びた風景を見ながら歩いて行きます。
もくせい通りを直進すると、県道15号線に出ます。県道は、巾着田方面に向かう車で込んでいて、ところどころ渋滞。
車を見ながら、歩道を約600m歩くと、鉄道 ファンが昂じて駅舎風の物置「こおばんち」(平屋造)がありました。高麗川と 高麗の間の駅 で川越線へ乗り換えができる駅という設定となっています。 先を急いで外観のみ。
さらに、約1kmほど直進します。駅前から発着する巾着田行きのバスも渋滞に巻き込まれていて、歩いて正解。
パン屋の横を斜め左に横道に入って間もなく、高麗小学校 。続いて、巾着田の出入口にあたる手前に高麗郷民俗資料館があり、入館が無料ということもあり、見学。巾着田出入口の出店では、お茶の販売も。早くも観 光客がいて、賑わっていました。観光案内の方に聞くと、『ちょうど満開で、見頃』とのことで、安心しました。本日でラッキー!
その後、あいあい橋〔日本最大級の長さ全長91. 2mの木製トラス橋〕から、巾着田公園の赤 い絨毯を見下ろせる唯一のスポットを渡りました。公園全体と、園内の花の群生とそれを観賞する観光客の姿が良く見渡せます。
橋の先の巾着田〔高麗川の蛇行が、日和田山から見ると 巾着の形に似ていることから由来〕へ。
公園内は入園料300円(この時期のみ)の臨時出入口ができて、柵がありましたが低い。横の 川沿 いの遊歩道と、公園は隣りあわせで、歩いているだけで満開の曼珠沙華の群生を観賞できて、メンバーは『入園せずに十分』 ということになり、写真撮影。
観賞後は、巾着田の川沿いではなく、中央 部を歩いて行きます。 駐車場は 大混雑。出入口の誘導員は汗だく。
水車小屋、広大な畑や湿地、小川(ホタルが生息)などを観て、里山風景の息吹きを吸いながら、 管理事務所に立ち寄って、スタンプ押印。
その後、観光バスの行き来を見ながら
、県道15号線へ。本来は、天神橋を渡って、右手に高麗郷古民家〔国登録有形文化財;江 戸末期~明治にかけての名主の住居〕がありましたが、横断歩道まで遠かったのと、橋の下を通らなければならないので県道越しに外観のみ。
後でわかったのですが、チェックポイントのスタンプはこの場所。ゴール受付では、管理事務所のスタンプで通ってしまいました。
左折して、高麗本郷の交差点を渡って、日和田山方面へ。少し上り坂の舗装道を進みます。
日和田山に登る二人連れのハイカーがいました。メンバーは廃墟化したレストラン前を通って、突き当りを道なりに右に曲がると、小さなモダンな小さな美術館。残念ながら休館日だったので、外観のみ。そこから幾分下って行き、商店脇から広い道へと出ました。
右に曲がって約1km強歩くと、やっと左 手 に寺院の建物と参道手前の広場へ。途中、道端にコスモスが咲き、民家の入口にハローウィンのかぼちゃは良かったんですが、骨だけのブルドッグはグロテスク。
一段高いところに本殿がそびえる聖天院へ。寺の正面には、「天下大将軍」「地下女将軍」と書かれたチャンスンが建っています。厳 かな雷門があり、 雷門の先にある石段を登ると、新築の中門で受付があります。今回は石段を上って、中門前まで。
拝観料を払うと、本殿から高麗郷の街並みが展望できたり、見事な庭園や、阿弥陀堂、銅鐘などを観ることができます。また、若光の像や、高麗の偉人たちの石像などがあります。
寺院の参拝を終えて、 次に、高麗神社を目指します。細い道を進むと、一の鳥居の横の自動車お祓い所に出ます。二の鳥居をくぐって高麗神社の境内へと。
境内入口に、「高麗建郡1300年」の幟が見えます。2016(平成2
8)年には、この高麗郡が設置されてちょうど1300年を迎え、先人への感謝を表し、高麗神社主催による「高麗郡建郡1300年記念事業」を計画、実施するそうです。高麗郡の歴史;高麗郡(こまぐん、こまのこおり)は、かつて武蔵国、埼玉県に存在した郡〔716年、大和朝廷が駿河など7ヵ国に居住していた旧高句麗の遺民1799人を武蔵国に移したことにより高麗郡として設置されたのが最初〕。
なお、高麗神社は、紀元前1世紀~7世紀後半まで朝鮮半島の北部を中心に栄えた高句麗国の王族・高麗王若光を祀る神社。初代の郡長として若光が赴任した。出世開運の神として知られるほか、梅や桜の名所としても有名。神社の鳥居奥には、「天下大将軍」「地下女将軍」と書かれたチャンスンが建っています。
境内では、高句麗文化展が開催されていて、華麗な民族衣装や装束品を展示。
境内でトイレ休憩後、裏手にある高麗家住宅(国指定重要文化財)は、3月に屋 根の茅の葺き替えが完成し、みんなで家の中の様子を見学。
メンバーからは、高句麗王の墓や王族が国外に逃げて、高麗(当時、舟で来て、こんな山奥)まで来た交通手段の難しさと苦労。この地まではさすがに追って来なかっただろうという話題になりました。
古代ロマンに思いを巡らせながら、神社を後にしま した。高麗川にかかる出世橋では、横にかかるアーチ型の鉄橋の階段の意味と、出入口が簡単に入れる危険さにビックリ。
道なりに進むと、上り坂では左手眼下に牧場と遠方に秩父の山並みが見える 里山風景が続き、見晴らしが抜群。
県道30号線に出て、行きで曲がったスーパーを今度は高麗川駅方面へ左折。
途中で、昼食を食べようということになり、スーパーに入って、とんかつ屋の看板を見つけて、中に入るも見当たらず。店ではなく、商品販売でした。紛らわしい!
その後、高麗川駅でゴール。受付のブースはなくなっていて、駅員さんが確認するも、名簿で名前を探すのに苦労していました。受付は再考の余地あり。
今回は、田 舎の空気を存分に吸えて、無料で満開の曼珠沙華の花群を観れたのが一番の収穫でした。
帰り、先輩たちは恒例の天然温泉へ。小生のみ八高線(高麗川駅14:26発)で川越駅経由、川越線・埼京線で武蔵浦和で武蔵野線に乗り換えて西船橋へと出ました。乗り換え回数は多いものの、接続はほとんど待たずスムーズに17時前に帰宅できました。駅に着くと、パラパラと雨が...。
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