コースは;深谷駅市民サービスセンター 旧深谷宿常夜燈福川鉄橋ホフマン輪窯6号窯日本煉瓦資料館尾高惇忠生家旧渋沢邸「中の家」渋沢栄一記念館誠之堂・清風亭市民サービスセンター 深谷駅
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ハトちゃんは、6月25日(木)、駅ハイ「日本煉瓦と渋沢栄一翁ゆかりの史跡めぐり(約15km)」に参加。このコースは昨年12月5日に次いで2回目。
4~6月号の「駅ハイパンフレット」には掲載されていない、後から追加されたコース。
当日は、梅雨の合い間で、曇りながら気温が25度以上。風もなく蒸し暑い。
高崎線深谷駅は、上野から高崎線で、籠原駅の次駅。上野から普通電車で約1時間20分かかります。
駅のホームから、近代経済の父といわれる「渋沢栄一生誕の地」の横断幕が掲げられていて、駅舎
は、日本煉瓦の代表地にふさわしく東京駅丸の内駅舎の赤レンガと同じ造りが目を惹きます。
年配の駅員にスタート地点を聞くと、どういうわけか知りません。一瞬、本日は休みかと不安になりました。若い駅員さんが知っていて、駅構内の市民サービスセンターでスタート受付
(9:40)。
駅北口の駅前広場公園には、渋沢栄一翁の座像が下から見上げるようにあり
ます。また、ご当地キャラの「ふっかちゃん(耳が深谷ネギに)」も回転して飾られています。
まずは線路に沿って続く遊歩道へ。深谷駅から小山川のほとりにかけて、かつて煉瓦工場への引き込み線が敷かれていました。19
75(昭和50)年に廃線。この専用線の距離は約4km程となっていて、現在は遊歩道として整備されています。深谷煉瓦工場は全国的にも有名で、東京駅丸ノ内駅舎にも使われているそうです。
遊歩道は、煉瓦資料館まで4.2kmと、いや~長い! 途中、植え込みやベンチがあって、周囲は畑が多く、歩行者と自転車とに区分されている専用道路。
最初のポイントは、旧深谷宿常夜燈〔江戸時代中山道深谷宿の東と西の
入口に、常夜燈が建てら れ、旅人の便がはかられた。東端の本常夜燈は明治初頭に建立。高さ約4mで中山道中最大の常夜燈。深谷宿の発展を祈願して、天下泰平・国土安民・五穀成就という銘文が刻まれている〕へ。
続いて、2kmほど先の福川を渡って、間もなく右手にブリッジパークと呼ばれる公園があって、ゲートボールが行われていましたが、道路脇に福川鉄
橋〔日本煉瓦専用鉄道が走っていた頃に架けられた鉄橋で鋼板桁橋〕があります。線路があり、ブリッジパーク側に下りると、全貌が見えますが、今回は遊歩道から線路の部分を見学。
また、黙々と歩いて行きます。途中、歩行者と出会ったのは3人。
自転車とは数台出くわしました。800m先に備前渠鉄橋がありました。小川にかかる小さな煉瓦橋。左側は草で覆われていたので、川の右側に下りて、撮影。
遊歩道の終点にあたる県道由良深谷線にぶつかり、すぐ右手に日本煉瓦資料館(旧事務所)〔富国強兵
のスローガンを掲げる明治政府のもと、1888(明治 21)年に操業を開始。製造された煉瓦は、東京駅や東宮御所(現赤坂迎賓館)などに使用されており、日本の近代化に大きく寄与。しかし、時代とともに煉瓦需要が減少し、安価な外国産煉瓦の市場拡大を原因として、2006(平成18)年約120年の歴史に幕を下ろした。現在は、写真や文書などの貴重な資料を展示〕へ。開館は土・日曜だけなので、本日は鍵がかかり門が閉まっていました。隣りのホフマン輪窯〔ドイツ人ホフマンが考案した連続焼成の可能な窯で、6号窯は長さ56.5m、幅20m、高さ3.5mの規模を有する〕も予約制なので、今回は外観のみ。
由良深谷道を来た道を戻って、小山橋手前で左折して、小山川沿いの土手を歩きます。
遥か前方には、赤城山も見えました。しかし、この土手歩きは大変。日陰が全然無く、風が無かったので汗が噴き出て来ます。それでも冬場の「赤城おろし」よりはまし。いつも風速3~5m吹いていて、前回は寒くなって風邪を引きそうでした。熊谷に劣らず、寒暖の差が激しいそうです。
いったん、唐沢川の土手に入って、再び小山川へ。
先に、共栄橋手前の北部運動公園が左手に見えて、公園事務所に立ち寄りました。
事務所で、誠之堂・清風亭の見学手続きを台帳に記入し、芝生広場を通って、両建物前へ。
誠之堂―1916(大正5)年、栄一翁の喜寿(77歳)を祝って第一銀行の行員たちの出資により建築されました。 名前の由来は、渋沢栄一自身により命名さ
れ、儒教の代表的な経典のひとつ「中庸」の一節「誠者天之道也、誠之者人之道也(誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり)」にちなんだもの。煉瓦造平屋建、建築面積112㎡。外観は英国農家に範をとりながらも、室内外の装飾に、中国、朝鮮、日本など東洋的な意匠を取り入れました。
清風亭― 1926(大正15)年、当時第一銀行頭取であった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念し
て、清和園内に 誠之堂と並べて建てられました。建築資金は、同じく第一銀行行員たちの出資によるもの。建物は、建築面積168㎡で、鉄筋コンクリート造平屋建。外壁は、人造石掻落し仕上げの白壁で、対称的に黒いスクラッチタイルと鼻黒煉瓦がアクセントをつけています。
その後、共栄橋を渡って、県道14号・伊勢崎深谷線の大塚から下手計の交差点を左折すると、間もなく尾高惇忠
〔世界文化遺産富岡製糸場初代場長・栄一翁の従兄で、学問の師でもあり、富岡製糸場の設立に当初から尽力〕の生家へ。中は自由見学ができて、係員が説明してくれます。
鹿島神社の先に、右手奥に屋根が丸くて、横長のちょっとプラネタリウム似の渋沢栄一記念館が、見えて来ます。
一番遠いポイントの渋沢栄一の生家(中の家)へ行ってから戻ることにしました。
このあたりが「論語の里」と呼ばれています。出入口に渋沢栄一他2人の顔写真がある幟が建っていて、栄一翁は、養蚕や藍玉作りと販売、雑貨屋・質屋も兼ねて裕福な家庭で育てられたとのこと。
立派な門構えで、広い敷地に、塀で囲まれています。現存する主屋は妹夫妻が明治28年に建てたものだそうです。主屋内も見学。
敷地内に栄一翁の写真と案内板がありました。手前に建ててある、商家風のトイレを使用。ふっかちゃんのデザインされた自販機あり。
その後、八基駐在所、八基小学校前を通って、記念館前の駐車場を横切り、渋沢栄一記念館に入館。館内は無料で、ガイドさんがいて、説明してくれます。右手が八基公民館で、その前でチェックポ
イントのスタンプを押印。1階と2階にかけて、栄一翁の写真や資料がたくさん展示されています。ちょうど、団体客が説明を聞いていました。イメージキャラクター「ふっかちゃん」の人形がお出迎え。ここから深谷駅までは約6kmで、徒歩で1時間半ぐらいかかります。ゴール手続きの関係で、スタートの深谷駅へ戻らなければなりません。距離にすると岡部駅の方が少し近いんです。端末受付コースか、ゴールが岡部駅だと少しは楽なのにと、ゴール時に要望しておきました。
意を決して、後のポイントも全部まわって、深谷駅まで。
休憩後、帰りは元来た道を戻って、尾高惇忠生家前を通って、コースマップとは違って、わかりやすい広い通りを通って帰ることに...。
下手計交差点を右折して、伊勢崎深谷線を道なりに進みます。広い共栄橋を渡って、その後は、同じ県道を南下。深谷バイパスを横断。その先に名前が目立った雷電神社・雷電寺を過ぎて、深谷警察署、福川の二枚橋を渡って直進。
標識があり、「国道17号線に900m」という掲示。17号線に突き当たって、左折して深谷市役所前へ。
せっかく深谷に来たので、信号を渡って、群馬銀行を左折すると、ハトちゃんが大好きな旧七ツ梅酒造跡〔江戸時代の中期に創業したという七ツ梅酒造。廃業後、当時
の貴重な遺産を壊さずに活用しようと、一般社団法人「まち遺し深谷」が、酒造跡地を商業施設として活用。豆腐屋・雑貨屋・飲食店・古書店など。また、巨大な蔵を改築した映画館「深谷シネマ」まであるレトロな雰囲気の施設〕に立ち寄りました。
しばらく、見学後、ゴールの市民サービスセンターへ。受付の女性に御礼を言って別れました。
帰りは、深谷駅(12:15発)の高崎線で、行きと同じく上野駅経由で帰路に着きました。
歩行距離は約15kmということでしたが、もう少しあった感じ。
5月の花フェスタ・オープンガーデニングめぐりは、きれいな花めぐりと旧中山道散策で参加。そのときは渋沢栄一記念館をカットしたので、今回、穴埋めができました。
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