2013年10月アーカイブ

以下は、「友の会だより」の原稿(300字程度)です。

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                       幕張の自然と近代化を訪ねて


千葉健生病院健康友の会主催の第10回健康ファミリーウォークが快晴下、開催され14名が参加。健生病院駐車場をスタート。

 

ゆったりしたペースで国道14号線に出て、「イトーヨーカドー」を左折。その後、緑地へ。間もなく神田外語大の正門。正門前を左折すると、大学らしい木々に囲まれた道。ベンチ も。スロープを上って行き、高速道の高架下を通過。陸橋を進むと、幕張メッセの歩行者デッキ (スカイウェイ)になります。幕張の高層ビル群を縫うように通ります。まさに幕張新都心を空中散歩している気分。視界が開け、周囲の高層ビル群が、目に飛び込んで来ます。

 


131022.JPGそのまま直進。途中、幕張メッセモール街では水盤から水が流れる造園や、緑があふれ閑静で階下の車の往来も忘れてしまいます。歩行者専用道路は歩きやすく、別世界。周囲の風景が窓ガラスに映って、噴水広場は、360度見渡せる格好の場所に。終点は、メッセイベントホール前までつながっています。

 


ホール前から見浜園へ。入園して、池泉回遊式の庭園を散策。景観美や池、逆さに映るホテルな DSC00483.JPG 1320221.JPGを堪能。次に幕張海浜公園へ。樹木を抜けると、わんぱく広場、大芝生広場が あり、花時計前へ。広い芝生に開放感。


 

天候に恵まれケガもせずに、地元幕張を違った視点で歩いたコースとなりました(9.5km)。

 

10月18日(金)、JR駅ハイ期間設定コース(in 軽井沢)の「中山道追分宿探訪ぶらり旅(約7km)」に、恒例のオジン隊3人で行って来ました。

 

今回、ハトちゃんは、9時軽井沢駅集合ということで、駅ハイでは初の新幹線。もちろん、大学の先輩たちは新幹線利用。二人は東京駅(7:52発)からあさま507号に乗り込み、小生は上野から。

 

3人がけの座席をとっておいてくれました。8月はお休みだったので2ヵ月ぶPICT0587.JPGり。元気で再会して、この間の報告やら四方山話に花が咲きます。「日本で一番の長寿が長野 県だとか...」。さすがに、新幹線は速くて乗り心地が抜群。高崎を通過し2駅で軽井沢駅着(9:12)。車外に出ると、曇っていましたが、うっすらと陽射しがあって思ったより寒くない。

 

早速、駅前の観光案内所に立ち寄り、スタートの手続き。もらったコースマッ DSC00604.JPGプが手書きだったのも駅ハイ初。

しなの鉄道(9:30発)に乗り換えるも、車内はガラガラ。「高原列車は行く♪」の歌を小生が口ずさむと、二人は「古っ!」と知らんぷり。3つ目の「御代田」駅で下車(9:46)。当然、無人駅で切符を回収箱に投函。

 

品川の@風来坊こと兼子隊長の先導のもと、駅前からコースに沿っての予定でしたが、地方なのに矢印が無く、手書きのマップを見ながらとりあえず歩き出します。コースはPICT0596.JPG、中山道に沿っての1駅区間戻る形。栄町の交差点で左折の指示がありますが、行き過ぎて地理 に強い遠藤副長が助け舟。戻って、中年の男性ウォーカーの後を追う形で、やっと狭い地下道を下りて上って反対側へ。最初からつまづく―。どうやら、同じ電車の駅ハイ参加者は4人だけみたい。

 

手間どったので、線路跡(D51)スイッチバックは省略。旧中山道の山道を上って行きます。昔のPICT0597.JPG PICT0602.JPG街道歩きの大変さに思いを寄せながら進んで行きます。道の脇の用水路を清い水が勢いよく流れています。どんぐりや秋の味覚、栗も弾けて落ちています。周りの木立を観ながら、ところどころに、秋の 花、コスモスが咲いています。途中、暑くなって来たので、首からかけていたタオルを取ると、ぶら下げていたデジカメが道にポトリ。うっかりミス。当日は写りましたが、後日、故障でレンズが開かず痛い出費。

道は一本道で間違うことはないのですが、なかなか右折する分岐点が出て来ません。

前を歩いていたウォーカーは何度か立ち止まったり、こちらに確認したり。

 

その頼りなさに、先日、ハトちゃんが参加した南浦和駅近くで、前のウォーカーに付いて行ったら、コースを間違えて遠回りになった話も出ました。前のおじさんは、あてにならないので、自分たちで判断しようということに。

 

左手に、大きく浅間山が観えて来ました。浅間山の噴火の話で持ちきり。 PICT0604.JPG遠くの山々や浅間山麓の景色を眺望。周囲は秋の装いにはまだ早い感じで、長袖1枚で歩けてウォーキングにはもってこい。 

 

「まだか」と疲れ始めたとき、やっと分岐点にある記念碑が見つかりました。PICT0612.JPG PICT0616.JPG PICT0619.JPGヶ滝(御影)湯川用水温水路の表示があり、右折すると用水の入口で、幅広ながら水かさの少ない用水路の脇に、散策道が続きます。広く浅く水が流れることにより、水が効率良く暖まり、稲を育てるには、水温が重要とのこと。

赤とんぼがすいすい飛んでいたり、カモが3羽悠々泳いでいたり。両脇には別荘、保養所の洋風建築が並んで観られます。

用水路を隔てて、ゆっくりと自然美を堪能。風邪をひいていた小生は、軽井沢の高原ので吹っ飛びました。

 

やっと、三つ目の橋にたどり着くと、前のウォーカーが止まっていて、コースを一緒に確認後、左折して歩き出します。

 

舗装された林道の両脇は、シラカバやナラなどの森林と別荘群が続き、前の職場H大学の北軽井沢村の話に飛び火。

 

途中の「カフェ」「レストラン・ケーキ」店を副長が確認してくれて、笑坂を右折して上り、前方に広い国道18号線が見えて来ます。旧中山道の長い坂道(笑坂という)を上り詰め PICT0621.JPGます。浅間サンライン入口の交差点を横断して直進。「なぜ軽井沢に、シャーロックホームズの像?」と話しながら、右折する道を探すも、マップの位置関係が間違っていて、4人とも疑心暗鬼。ホームズへの道が謎?になっていました。

 

結局、最初行こうとした道と合流し、庚申 PICT0624.JPG塚や馬頭観音が奉られた緑地があり、その中に「シャーロックホームズの銅像」がありました。銅像の脇の説明書きによると「翻訳家の延原謙が追分でシャーロック・ホームズの物語を全訳したのにちなんでこの地を選び、ホームズ登場100周年を記念して有志一同が建てた」とのこと。それにしても、目立つようにもっと道の側に建てればと思った次第。

 

北国街道とぶつかる所が追分で、宿場町の雰囲気がよく残っています。二つの街道の分岐点が現在の国道18号線沿いにあたり、 PICT0630.JPGそこには「分去れ」と呼ばれる史跡があります 〔中山道PICT0629.JPG分岐入 口の道標〕。その先のラーメン店横からきれいな石畳が続いて、歩きやすい旧中山 PICT0632.JPG へと...。高札場跡も...。

PICT0634.JPG両脇には、土産店や飲食店、公民館などがあり、店を覗きながらゆっくりしたペースで3人組は進みます。

 

途中の左側に、文化磁場「油や」に立ち寄ります。油屋」は中山道・追分宿 で脇本陣をつとめた由 緒ある旅籠であり、昭和になってからは堀辰雄・立原道造・加藤周一に代表される文士たちが執筆に利用した宿として、多くの作品の舞台となりました。今でも2階の5室は宿泊できるとのこと。

 

PICT0640.JPGPICT0639.JPG「油や」では、文化的活動(本・アート・クCIMG1260.JPGラフトなど)の拠点として、 イベント・本やアート・クラフトなど良 質の地元作家による作品、展示会を開催。本館の玄関には、ネコの置物やネコ関連グッズが置いてありました。江戸時代は、通りの反対側で本陣を営んでいたそうです。ここで、しなの鉄道の帰り電車の時刻を確認。

 PICT0644.JPG

油やを出て、間もなく右手に山門の先に、「堀辰雄文学記念館」へ。

 

チェックポイントの判を押し、入館。敷地内には、辰雄終焉の家、書庫、辰雄没後に夫人が建てた家(常設展示棟)、管理棟、文学碑などがあります。辰雄が PICT0648.JPG PICT0649.JPG PICT0647.JPG古い宿場の面影を残す「追分」に惹かれて、度々訪れて『風立ちぬ』などの作品を執筆しました。ゆっくり鑑賞して小休止。

アニメで世界的に有名な宮崎 駿 最終作品「風立ちぬ」(7.20全国ロードショー)で、主人公のモデル像の一翼を担った堀辰雄を紹介したポスターやチラシもありましたが、上映も少なくなり、当然、文学館ということで宣伝は少なめでした。

 

街道の石畳を歩いて行くと、まばらな観光客に出会い、浅間神社を過ぎて、 PICT0652.JPG追分宿郷土館は寄らずに先に行くことに...。

 

石畳の道とサヨナラして、国道に出て直進。歩道橋前にある、小学校舎では珍しい洋風のモダ PICT0654.JPG PICT0655.JPGンな軽井沢西部小学校に3人とも見惚れました。歩道橋を渡って、反対側に下りて、そばや前で右に入ります。

 

コースに矢印が無いのでPICT0658.JPG、3人 PICT0657.JPG があれこれ問答しているところに、前方から、地元農家の車が。すると、親切に、「この道が駅への近道で10分ほど」と教えてくれました。

 

御礼を言って、信濃追分への近道をしばらくしゃべりながら歩いていたとき、後ろから先ほど道を教えてくれた車が戻って来て助手席に乗っていた
おばさんが、「1個しかないけれど、食べてちょうだい。また来てね」と。真っ赤なりんごをいただき、感激。りんごは長野県特産で、軽井沢の暖かい人情を感じました。

 

信濃追分駅へは次の電車まで約40分の待ち合わせで、トイレや着替えたりして休憩。しばらくし PICT0659.JPGて、ホームに出ると電車の来る方向がどちらか話していると、カラフルなコスモスが咲く横のベンチに座っていた女性がにこやかに微笑んで教えてくれたのが印象的。かえって、こちらが田舎者に見えたかも?

 

電車は、意外にも4両編成。軽井沢まで2駅だったので、間もなく到着。早速、観光案内所でゴールの手続き。軽井沢の写真(浅間山など3種類)付きのプッチンクリップを記念にいただきました。

 

昼食がまだだったので、観光案内所で教えてもらった駅前の軽井沢プリンスショッピングプラザ PICT0663.JPG PICT0666.JPG PICT0670.JPG(通称;アウトレット)へ。案内役の隊長が左折と右折を間違えたお陰で、ショッピングプラザのブランド店などをウィンドーショッピング。芝生広場や池、隣接するスキー場、山々を眺めるビューポイントを1周。駅近くのスキー場や大型商業施設を持っているプリンスホテルの大きさに感心しきり。食堂街を聞いて駅デッキ下まで戻り、真っ直ぐに進むと左手にやっと「味の街」

 

だいぶ昼どきを過ぎているにもかかわらず、人の波。店外で待ち人が列をなしています。空いていた中華料理「翠天楼」へ入店。3人で瓶ビールで乾杯。翠天PICT0673.JPG楼セッ PICT0671.JPGトは辛くなくて美味。先輩たちは、さらに紹興酒を注文。しばし反省会と、来月の西日暮里 での再会を約し、1時間ほどで切り上げました。外へ出ると、だいぶ寒くなって来て、1枚上着を羽織る副長

 

食事後、軽井沢駅(15:00発)あさま530号に乗って、帰ることに...。新幹線は、平日というのに多く乗車していましたが、バラバラに着席。途中、高崎駅で小生のみ在来線に乗り換えるので、挨拶に行くと副長は飲んだこともあって、ぐっすりご就寝。起こさずに隊長にお願いして乗り換えました。そこから、2時間40分の長丁場で、最寄りの幕張本郷駅へ18時10分過ぎ...。鈍行はつらいが安上がり

 

軽井沢は、避暑別荘地で有名ですが、低経済成長下で別荘の売地も目立ちました。自然の中で浅間山を望み、中山道追分宿をはじめ文士家たちの散歩道を歩けてまた地元の人情にも触れられて、遠くまで来た甲斐があったというもの。もう少し遅いと、すばらしい紅葉が観られたのかと思い、ちょっぴり残念】

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翌々日、隊長と副長は、副長の地元、我孫子駅ハイに参加。小生は自治会の防災訓練(実際は雨天中止)で不参加。お二人は、雨でも決行(結構)、熱心なウォーカーが集まり、濡れながらもよく CIMG1274.JPG歩いていたそうです。
 
隊長いわく、「かえって、体と心が洗われていいのかもしれない」と。副長は「2時間程度で、コースどおり全部歩き、夕方に犬の散歩に行きましたが、強い雨に打たれてゴンちゃん(我が家のワンちゃん)はヘロヘロでした」とのメールがありました。

 

                  また来月、西日暮里でご一緒しましょう!

10/25(金)は、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」の習志野市内ウォー ク。「谷津ヘルスステーション~奏の杜~丹生(にう)神社を歩くコース(約5km)台風27号の影響で雨が心配されましたが、台風のスピードが遅く小雨の中、京成線「谷津」駅に集まった参加者は神田先生を含む8名。午後から雨のため、先生から1時間半のウォークで、早めに切り上げるとのこと。先生の案内でスタート(9:33)。改札口を出て、早くも傘の列...。

 

まず、駅前から谷津ヘルスステーショに向かいます。途中、まだ青いむべの実がなっていまし DSC00548.JPGた。

 

谷津コミニュティーセンター・ヘルスステーション敷地内には、あけびの実DSC00553.JPGなっていて、女性陣は比較。建物内に入り、トイレ休憩(9:40)。というのも、今後、コースにはトイレが少ないので。

 

 

その後、J R津田沼駅南口から徒歩8分の立地条件の良い35ha開発地域の「奏の杜(かなでのも DSC00554.JPG DSC00560.JPGり)」へ。全部完成した暁には、7千人ほど人口増が見込まれています。前回の4月下旬のウォークから半年。三井、三菱地所レジデンスマンションなどが完成し、住人も少しずつ住み始めているそうです。

 

 

半年前とは見違えるほど、舗装道路も整備されて、一大ベッドタウンになりつDSC00562.JPGつあります。周辺では、重機による開発が進行中。昨秋、地名が「谷津5丁目」から「奏の杜(かなでの もり)」へ変更。習志野市議会や市長も、「谷津」というと、谷間というイメージがあり、むしろ、市の「音楽を奏でる街」の方がイメージアップになるということで賛成した経緯が。着々と開発が進む新興住宅地を眺めて、雑談しながら歩きます。

 

今回は、第一中学校前を通って、奏の杜の中心部へ進むコース。第一中学校は、30年前ぐらいはJ DSC00564.JPG DSC00566.JPGR津田沼駅付近にあったのが、駅前商業施設「高島屋」などを誘致するために、この地に移転。5階建。

校舎横の看板には「庄司ヶ池と弁財天」。「このあたりに大正初期まで「庄司ヶ池」と呼ばれた池があり、船橋市前原にあった庄司上東野和泉守の邸があったため、ちなんでつけられたといわれている。池の広さは約9haで、その後、長雨の被害で畑が水びたしなどの被害をなくすため、田久保津田沼町長(後に県会議員)は県の補助を受け排水工事を完成させた。1914(大正3)年9月完成。豊作を祈願して「上の弁天」「中の弁天」「下の弁天」の弁財天が祀られていたと。工事の経過については、本日の最終ポイントの谷津丹生神社境内にある「排水記念碑」に記されていました。

 

forte(フォルテ)」複合商業施設の建物の横に出ます。ベルク(大型スDSC00570.JPGーパー 4.17オープン) DSC00573.JPGに続き、他の施設も買い物客で賑わっています。 新しい街ともお別れして 、今度 DSC00571.JPG DSC00575.JPGは古い歴史の町へと......。

京成線の踏切近くの習志野七福神毘沙門天を祀る西光寺は寄らずに、踏切を横断して左側にあ DSC00581.JPG DSC00584.JPG東福寺〔習志野七福神恵比寿天〕へ。

DSC00583.JPG境内入口に六地蔵があり、その裏手に4体の地蔵。江戸時代に寄進されたもので施主に女性名が刻まれていて、当時は女性の経済力が強かったのでは? 日本版考える人に見える地蔵が2体、立像2体。本殿も参拝。

 

続いて、京成線に沿った細い舗装道を進むと、右手に名前の石碑と鳥居。階段を登ると、本殿へ。

境内から、行きかう電車が木陰から良く見えます。

丹生神社〔この辺りでは珍しい 、丹生都比売神を祀る神社。和歌山県伊都郡かつらぎ町の DSC00587.JPG DSC00588.JPG DSC00590.JPG 丹生都比売神社の第一殿を、1654(承應4)年に勧請したのが創建。本社は空海が高野山を開くに当たり、地主神として遷したともいわれる〕何と手書きの由緒書でした。

また丹生は「水銀」と言う意味で、あたりに銀山があったのでは?と。 立ち寄ってDSC00593.JPG、境内の 御神木の大木は、瘤や穴が空いていても、未だ枝葉は隆盛。 本殿にみんなで 参拝後、裏手に「漁業組合解散之碑」がありました。また、碑を寄進した名前に屋号が刻まれ DSC00597.JPG ていて、昔の本家・分家との関係や、屋号で家・家族を判断する方法も知ることに。本日、参加したメンバーは、歴女が多く、先生に多数の質問を浴びせていました。

境内に、白くなった貝がらを発見。先生から、千葉県が日本で一番貝塚が多く、気候が温暖で住みやすく人が集まっていたこと、境内の松の傾きや漁業権放棄などから、京成線あたりの低い土地が、昔、東京湾だったことや習志野市が3期に分けた昭和30年代後半からの埋立事業により、袖ヶ浦秋津などの団地群ができていったことを教えていただきました。

 

本殿裏手から、谷津小学校前の交差点へと向かいます。横断して、右手は左側に小学校を見ながら 進みます。

 

住宅街を抜けるとき、小生が外壁いっぱいにペットボトルを寝かせている家を発見。「よほど野良猫が 嫌いなんだなぁー」とつぶやくと、猫好きのメンバーがいたことを忘れていました。先生から「防災の DSC00600.JPG DSC00601.JPG意味で、各家、2ℓボトルを、2、3本置いておくと、災害時に役立つと...」。ハトちゃんは、なるほどと感心して、今度、外壁に数本置 DSC00602.JPG くようにしたいと思います。駅近くの家の庭にたわわになった柿。その後は、京成谷津駅へと細い道路をたどって、駅でゴール(11:12)。

 

雨中のウォーキングでしたが、風が無く、雨も小雨で途中止んだりしたりで、もっとひどいと思っていた人には肩透かし。お陰で、苦労せずに歩けました。

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最後に、毎日、4万歩を歩く神田先生が「本日は、ゆっくりしたペースでした。というのも、歩き過ぎでかかとが痛くなった」との報告があり、女性メンバーは心配しきり。先生も人間なんだと思った一面でした。

谷津バラ園のバラも観たかったのと、距離がちょっと短いウォークでしたが、足が痛いのに、先生に案内していただき、大変ありがとうございました。

ハトちゃんは、10月28日(月)に開催される、千葉健生病院健康友の会主催秋のファミリーウォークin  幕張)の下見に、21日(月)と22日(火)の両日、行って来ました。

 

21日(月)は、コースを欲張って、長く歩いて(約11km)下見。その足で、今村事務局長に報告し、予定参加者数とコースの短縮を検討。翌日、自転車で、もう一度、再確認しながらコースめぐり。

 

決定したコースは、約8kmになり、自然と近代化の両面を探索できるようにしました。

 

主な順路は、健生病院駐車場をスタート→国道14号(千葉街道)イトーヨーカドー(幕張店)→幕張緑地遊歩道→神田外語大幕張メッセモール見浜園海浜幕張公園健生病院駐車場でゴール

 

今回は、一人での下見。

まず、国道14号線に出て、「すき家」前を通って、東京方面に向かいます。二つ目の信号角に「イトーヨーカドー」があり、横断。さらに、おもちゃの「トイザラス」前へと渡って、海浜幕張駅方面へ左折。

 

少し歩いて、右手に浜田川横水路に沿った緑地の出入口があって、秋色の木々の中を進みます。すぐ左 DSC00459.JPGの舗装道を進むと、昭和学院秀英中・高校の先に、赤色系の神田外語大正門が見えて来ます。

 

正門前を左折すると、いかにも大学の構内風の木々に囲まれた道。ベンチもあります。緩やかな DSC00461.JPGスロープを上って行くと、間もなく東関東自動車道の高架下を通過。意外と頭上の高さが低いので、圧迫感を感じます。

 

幅広の陸橋を進むと、幕張メッセの歩行者デッキ(スカイウェイ)になります。幕張の高層ビル DSC00464.JPG群を縫うように通っていて、空中の楼閣を観る感じで、まさに幕張新都心を空中散歩している気分。両日とも曇っていましたが、雨が降らなかったので良しとしましょう。目の前に視界が開け、周囲の一流企業の高層ビル群が、次々と目に飛び込んで来ます。

 

そのまま直進すると、途中、幕張メッセモール街〔地上部に駐車場を設けて、2階の歩行者デッキレベルを公園的な緑の空間として、メッセにつなげる緑の軸線 DSC00466.JPGとして計画された〕近くでは、高架道にもかかわらず、水盤から水が流れる造園や緑あふれる散歩道が続き、ベンチで小休止するビジネスマンの姿も...。緑が多く閑静で、階下の車の往来も忘れてしまう空間が広がっています。

 

DSC00468.JPGふだん海浜幕張地区は、人や車と一緒の地面を歩いているので、自転車や車が走らない歩行者専用道路は広くて歩きやすく、目線の違いで景 DSC00471.JPG DSC00472.JPG色がまるで別物。晴れていれば高層ビルのガラス窓に空や建物・風景が反射して映り、ついつい見とれてしまいます。噴水広場には、モニュメントもあり、足が止まり小休止。360度高層ビルを見渡せる格好の場所になっています。

専用道路の終点は、メッセイベントホール前までつながっていて、ホール手前を左折して降りて行くと、研修のためか、フレッシュマンが続々と歩いています。

 

〔1日目〕は、直進せずに、「ホテルニューオオタニ」前の専用道路(枠が薄紫色)を通って、隣の「東京ベイ幕張」のホテル内に入り、宿泊客に混じって、一瞬、リッチな気分で...。受付で見浜園までの道順を聞き、海浜大通りの陸橋の上から、千葉ロッテQVCマリンスタジアム幕張海浜公園(幕張の浜側)の展望を観賞。

 

大通りの裏から見浜園〔面積約1.6haで池泉回遊式日本庭園。「松籟亭」は幕張新都心の新たな DSC00474.JPG DSC00483.JPG伝統文化の創造をめざした本格的茶室〕へ入園。庭園の中では、すばらしいロケーションをバックに、結婚式の前記念写真の撮影が行われていて、二日と DSC00488.JPGも2組のカップルがポーズをとっていました。

ハトちゃんは、昔を思い出しながら、お二人に「お幸せに!」と言葉をかけ、こちらもテンションが上がりました 〔右の写真は、二日目のカップル〕。

園内の池には鯉、鯉...。周りには島、橋が配され、周囲の東屋、築山や見事な樹木など、ゆったりと楽しむことができました。

 

28日(月)の本番来訪を受付に話して、「ホテル・ザ・マンハッタン」を左折し、国際大通りに出てから右 DSC00489.JPG折して、JR京葉線「海浜幕張」駅前へ。

そのまま幕張方面に向かって、「イオン(幕張店)」前を右折して、幕張公園前を通って、長い直線を進んで、右手には、京葉線が走っているのが見えて、開発中の広い分譲地が広がります。左には、幕張総合高校の特徴ある校舎が見えます。

 

花見川にぶつかると、舗装道路を進まずに横断して、木陰が続く花見川サイクリングロードに出て、幅広の花見川を右手に観ながら、八千代方面へと...。ジョギングやサイクリングを楽しむ人たちに出会えます。トイレが少なくて、ちょっと汚い。

歩きやすいのですが、景色が単調なことと、距離が長く、ゴール前の国道14号線の横断信号がヨーカドーの方に戻るようになるので、このコースは、中高年には面白くないということで、不採用。

 

 

〔2日目〕は、メッセイベントホール前を左折するまでは一緒。交差点を「マンハッタン」まで直進して DSC00479.JPG、近道で見浜園へ。

 

 

見浜園を出てから、「マンハッタン」の右側から幕張海浜公園へ。樹木を抜けると、わんぱく広場、 DSC00490.JPG DSC00491.JPG DSC00493.JPG大芝生広場があり、花時計前へ。子供たちが楽しく遊んでいます。小生の子どもが小さい頃、良く遊びに連れて来たことを思い出しました。

 

水の広場側では、赤いサルビアがきれいに咲いていて、ふれあいプロムナードではダンスを練習している子どもたち。

 

公園を出てから、前日の打ち合わせで、事務局長から推された「イオン」DSC00499.JPGの前から、前日の逆で、国際大通りを右折して、幕張方面へ。「イトーヨーカドー」駐車場前を右折し て裏道の並木道へ。木の葉が色づき始めています。

次の四つ角を左折し、「幕張」駅へ向かうと、歩道橋のある国道14号線へ出ます。右折して、14号沿いから健生病院駐車場までは500mほど。

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地元を歩いていても、違った視点・コースから歩くと、新たな発見が見つかることを実感したウォークになりました。本番で、みんなが「良かった」という実感が持てるように頑張りたいと思います。

 

10月23日(水)、「JR 駅からハイキング」で 皇居外苑・江戸城史跡・北の丸公園散策コース(約8.4km)」に行きました。

 

東京メトロで西船橋から銀座駅へ。日本橋から銀座線に乗る予定でしたが、車内アナウンスで信号機故障で不通とのこと。あわてて、茅場町で日比谷線に乗ろうとしたら復旧とのこと。それでも、戻らずに茅場町でギリギリ電車に間に合い、乗ろうと。すると、中年女性から「ここは婦人専用車よ」と。謝って、次の電車に乗りました。銀座駅から数分でJR有楽町駅銀座口のビュープラザへ。

開始時間前にスタート(8:55)。このコースは、昨年と同じコース。スタートが京橋口から銀座口に変更。

この近辺は、ハトちゃんがH大学勤務時に映画・宝塚をよく観に来てPICT1515.JPGいた場所。

 

スタート後、間もなくビルの陰に、小さな有楽稲荷神社。周囲がビルばかりで見落としがち。

 

続いて右折して、晴海通りを進み、200mほど左に、日比谷公園〔幕末までは松平肥前守などの屋敷地。明治36年に近代的な洋風公園として開園。ビジネス街のオアシスとしても有名〕を横断して、 DSC00505.JPG入口脇に心字池、園内の木々は秋の装い。日比谷門脇を通って、大噴水。植木市のイベント準備が...。日比谷公会堂松本楼の建物を眺めながら、テニスコートを左手に見ながら、晴海通りを渡ります。

 

右折して内堀通りを...。祝田橋を渡ると、右側は皇居外苑〔1949(昭和24)年、旧皇室苑地の一部を開放したもの〕の手入れの行き届い た松林が立ち並び、それと広い芝生。二重橋前の信号では、バスツアー外国人(主にアジア系)客とガイドさんの列。また、修学旅行と思われる生徒や、観光客も歩いており、広大に敷き詰められた砂利の道を歩いています。皇居前広場はかなりの広さで、都会の喧騒が嘘のようです。

DSC00509.JPG 遠方から、絶景ポイントとなる「二重橋」を眺望しました。観光客や記念写真を撮る人たちで賑わって いました。

 

 

 

大手門」から、皇居東御苑〔1968(昭和43)年10月から一般公開され、月・金曜以外は入園可 DSC00514.JPG能〕 http://www.kunaicho.go.jp/event/higashigyoen/higashigyoen.html に入りました。入口で「入園札」をもらって、入園。大きな石垣は、何度か補修されたそうですが、それにしても江戸時代には今のように機械が無かったのに、当時の城郭建 築の技術力は相当なもの。城の広さや各門の大きさ、鉄扉の厚さ、頑丈さなど、江戸幕府の権力の象徴がうかがい知れました。濠から、三つのも観ることができました。

 

皇居東御苑内では、まず、入場無料の宮内庁「三の丸尚蔵館」で「美を伝えゆく―名品にみる20 DSC00516.JPG年の歩み」で20周年記念展覧会を開催中。有名書家や画家の屏風や絵など15点が展示されていて、ひととおり鑑賞。

 

今回は、昭和天皇の武蔵野の樹林の面影を残した二の丸雑木林や、平成の小道二の丸庭園へは行かずコースどおりに...。

 

御苑内は、江戸城を偲ばせる史跡が残っていたのと、天守閣に行くまで PICT1536.JPG 坂が多く、同心番所DSC00524.JPG人番所大番所と、建物も身分の違いから、立派になることを気づきました。坂を上ると、広大な「本丸跡」があります。天守台に向かう手前は、大芝生が続き、きれいに管理されています。皇居内の中央部に、こんなに広々とした芝生があるんですネ。 一番高い所より、一段低い所からの眺めがすばらしい。ちょうど、本日の奉仕団の人たちが、係員から説明を受けていました。

 

大芝生からは、「大奥」跡や「赤穂浪士で浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけた松ノ廊下跡」を、 DSC00520.JPG DSC00521.JPG DSC00522.JPG小高くなった「天守閣跡(天主台)」から、当時では一望できた「東京湾」を想像して、遠景を眺めました。香淳皇后の還暦を記念した、音楽堂「桃華楽堂」も向かって左手に観え、色鮮やかな特徴のある建物でした。PICT1549.JPG

 

その後、天主台の裏に回り、「北桔梗門」で入園札を返して東御苑にお別れ。

 

 

歩道橋を渡って、北の丸公園へ。北の丸公園〔旧近衛師団の駐屯地を1969(昭和44)年に森林公園として公開〕内を散策。吉田茂の立像 、右手に「科学技術館」、左手に「東京国立近代美術館工芸館」〔建物は明治洋風レンガ造りで、旧 近衛師団司令部庁舎で国の重要文化財〕もありましたが、今回はパス

 

DSC00526.JPG公園内の紅葉は時期が早くいまいち。散策道脇に、名前の付いた樹木が多数並ん DSC00527.JPGでいて、目を楽しませてくれます。池のまわりの芝生には、中年のサークルと思われる方々が敷物を敷いて交流会。

 

 

公園を九段下方向に進むと、右手に日本武道館。キッス〔ロックバンド〕のポスター DSC00529.JPG DSC00530.JPG 来日講演の横断幕。

田安門は修復中で、すっぽりシートをかぶっていました。門をくぐり、靖国通りに出て、東京メトロ「九段下 DSC00531.JPG」駅前の「昭和館」へ。名前のとおり、昭和の国民生活の歴史的資料、情報・映像、生活用品、また戦争を挟んでの暮らしが展示されています。昭和世代のハトちゃんには懐かしさが込み上げて来ます。

 

目白通りの交差点に交番があり、右折すると、九段会館〔現在、閉館中〕、千代田区役所などDSC00534.JPG千代田区観光協会に立ち寄りチラシをいただく)。清水濠前を通って、DSC00532.JPGに。平川門を過ぎ、気象庁前の大 きな像「和気清麻呂像」が...。そこから内堀通りを進み、三井物産ビルを左折し、大手町方向へ。

 

平将門塚〔平安時代中期、天慶の乱で敗れた将門の首級が京都からこの地に落 DSC00536.JPGちたといわれ、 怨霊の祟りがあったため、鎮魂で石塔婆を建立〕に参拝。

 

右折して永代通りを左折し進み、途中、三菱東京UFJ銀行前を横断して直進すると、丸の内仲通り〔通りの両側に街路樹があり、この時期イルミネーションも夜観られる〕へ。

 

行幸通りの左手前に、改装なった赤レンガの2階建てで屋根がドームになっている、東京駅丸の内駅舎が...。さすがに一時の多くの観光客の賑わいは無いものの、携帯やデジカメで写真を撮ってい DSC00543.JPG DSC00545.JPGる人も数人。昨年は邪魔だった、正面の東京オリンピック・パラリンピック招致のポスターも2020年開催決定になり、今回はなぜか納得したりして...。 

ゴール有楽町駅でしたが、八王子の実家に野菜を届ける関係で、東京駅始発の中央線に乗ることに。というのも、スタートだけのチェックだけだったので、コースの大半を歩いたのと、その先は昨年歩いたのでショートカット(10:46)。ちょうど着いた特別快速高尾行(10:50発)に乗れて、実家へは12時前に到着。

 

週末の連続台風の心配もあって、本日決行して正解でした。自宅への帰りも、雨には降られずに帰宅。

今回は、昨年に続き、千代田区を中心に、深まり行く秋を感じながら、モダンな東京駅復原駅舎皇居外苑、江戸城史跡北の丸公園と欲張りなウォークとなりました。この地区は、美術館・博物館も多くて、美術館めぐりでも十分に楽しめるコース。また、以前の勤務先が近くて、ハトちゃんには馴染み深いウォークとなりました。

 

 

10月19日(土)は、駅ハイ「安房天津~小湊ハイク(12km)」に参加。天気予報では、午後6時頃から雨。内房線は、台風26号で一部不通区間がありましたが、外房線PICT0680.JPG平常。千葉駅から外房線に乗って勝浦で乗り継ぎ。

接続の特急(勝浦からは普通)が車両故障で20分遅れ。途中、御宿手前あたりで、車窓から外房の海が遠くに観えて来ました。

 

安房天津駅に降りると、駅ハイのウォーカーは思ったより少ない。駅員さんや馴染みの駅ハイ担当 PICT0683.JPG者や係員がお出迎え。受付を終えると、駅ハイ常連の中村さんとバッタリ。担当男性係員と中村さん2人並んだところをパチリ。

中村さんとは、6月の駅ハイ以来で、8月3日の日光駅ハイ終了後、上野の美術館に行く約束をしていたのに、小生が7月中旬に足をケガしてリハビリに...。連絡先がわからなかったので、連絡行けなかったことを謝罪しました。ずっと、気にかけていたのでやっとスッキリ。曇り空の中を、初参加の女性と3人組で歩くことになりました。

 

ハトちゃんと中村さんは、前にも来たのでコースを熟知。そういえば、昨年は10月3日、参加者が船橋の中川さんと2人だけだった雨中のウォークを思い出しました。

案内と解説を中村さんにお願いして、小生はカメラを重点にした観光ウォーク。3人で和気藹々と話しながらコースに沿って歩いて行きました。

 

まず、ふれあい橋から左折して、海岸を観ながらのウォークに。

海岸 に出ると、目の前に、ウエットスーツでサーフィンに興じる若者たち。「さすが、若さ!」。波は結 PICT0686.JPG PICT0689.JPG 構高いが、まだ台風の影響は出ていません。海岸道路から房総の大海原・地平線が展望できて、初心者の女性は感激。視界は良好で、ゴール先の妙の浦まで見渡せて、これから歩く距離が長く感じられます。

 

最初のポイントである、天津須賀神社へは、いったん国道128号線を車に注 PICT0692.JPG 意しながら横断。目の前の鳥居は木造。階段を上がって参拝。元来た道を戻って、再び防波堤の続く遊歩道へ。

 

PICT0698.JPG PICT0697.JPG PICT0695.JPGゆっくりしたペースで周りを眺めながら進みます。天津漁港では、漁船が迎えてくれました。「潮風のメロディー♪」? に浮かれながら、その脇を通り過ぎました。南国の象徴、フェニックスの主幹に雑草のコブ(珍百景?)。赤いボンボンのようなストロベリーフィールド(千日紅)も可憐に咲いていました。

 

 

約2kmほど歩いて、国道を横断し天津バイパスの横を通って、外房線高架下をくぐると、一本道の奥に天津神明宮〔源頼朝が伊勢の大神様を勧請したといわれ、 800年余立っている房州伊勢の宮〕。ちょ PICT0701.JPG PICT0703.JPGうど結婚したカップルの記念撮影中。微笑ましく見ながら、参拝。昨年、話をうかがった神主さんに会い挨拶。麦茶のサービス。確かに、鳥居や本殿は、中規模ながらも風格がありました。

 

 

その後、来た道を戻り、国道128号線沿いの舗装道路を進みます。その先の信号で国道に出て、車に注意しながら進みます。2.5kmほどで実入トンネル前方 に見えて来ました。ここが意外と長い。その横の歩行者用トンネル内にトンネル水族館PICT0704.JPGあり、壁画は長さ233.5メーPICT0706.JPGトルの歩道トンネルの壁面に海の楽しい光景が描かれています。トンネルを利用する方が安心し、楽しく通行できるように、行政並びに市民の支援により有志のボランティアで2年間かけて平成17年11月に完成したそうです。

 

PICT0711.JPG珍しいトンネルを出ると国道と合流。安房小湊駅へ向かっ て、右手に内浦や鯛の浦の海岸線や「ホ テル三日月」を眺めながら...。

 

 

駅近くの、国道沿いの観光案内所でトイレ休憩と観光パンフをいた PICT0714.JPG PICT0713.JPGだきました。案内所を出ると雨がポツポツと...。宇宙飛行士来町記念碑が海岸側に...。

 

 

帰りの電車時間を確認して、もう一踏ん張りして、国道沿いを歩いて、とりあえず誕生寺は観ることに。

新関戸橋を渡って、目の前に「鴨川スパホテル三日月」が見えて来て、外観を 見ながら脇を通って PICT0765.JPG先へと...。多くの漁船が停留する漁港を過ぎて日蓮交差点を右手にまわるように進むと、鯛が屋根に踊るウオ・ポート〔小湊漁協直営の魚マーケット〕が目に入ります。

 

道が細くなって来て、右手下に鯛の浦遊覧 PICT0762.JPG船乗 PICT0760.JPGり場が。鯛の浦タイ生息地の看板。土曜というのに観光客はほとんどいない。

 

すぐ左手には、大きな石灯籠と、両脇に白い石灯籠が並ぶ誕生寺〔1278(建治2)年、直弟子日家上人が日蓮上人生家跡 PICT0763.JPG PICT0761.JPGに一宇を建立し日蓮誕生寺としたのがはじまり。県内最大級の仁王門、日蓮上人像を安置する祖師堂などがある〕へ。奥に、本師殿宝塔(写経、散華などを収納)があります PICT0726.JPG来る途中に観えた裏山の白い仏舎利塔も誕生寺の所有。

 

 

小湊港が観える駐車場まで戻って、先の舗装された鯛の浦遊歩道を進みま PICT0740.JPG PICT0742.JPGす。鯛の浦と祓山を結ぶ循環舗装道には、「アワビ・サザエ・海藻類の密漁禁止」の看板や、波で打ち上げられたひじきや枯れ枝など...。

 

先端の蓮華ヶ淵小弁天大弁天(引き潮だと渡れるそうです)などの絶景を観覧。昭和天皇皇后両陛下の記念碑は、 PICT0754.JPG PICT0743.JPG何が原因かわかりませんが、壊れて横に置かれていました。小休止後、岸近くの海面を覗いたりし PICT0748.JPG PICT0752.JPGて引き返すことに。天候が悪いと、遊歩道を歩くのは無理という実感。

 

 

帰る途中、誕生寺前に、足湯ができるところがあり。ウオ・ポ ートに寄って店内を見物。   海岸線と道路そばの店屋を眺めていると、城をかたどった磯料理屋「網元」さんがありました。駅手前の「セブンイレブン」で昼食用のおにぎりを購入。

ゴール安房小湊駅へは帰りの電車時刻に余裕の到着。駅ハイ関係者に聞くと、これまでのゴール者は約50人という寂しい状態。1,000人の参加予定の割に、予報の影響で PICT0769.JPG激減。

帰りの外房線は、ボックスシートに座って、中村さんの駅ハイやディズニー、スキー、鉄道マニアの情報など話題満載の話をうかがいました。千葉駅ホームで再会を約してお別れ。

 

     ―全コースを歩いて、昨年、雨で断念した蓮華ヶ淵を観れてリベンジできたウォークに

まず、台風で亡くなられた方、行方不明の方、被害にあわれた方々に、謹んで御見舞い申し上げます。

 

深夜から、本日(10/16)早朝9時過ぎまで、千葉・習志野も台風26号(10年に一度といわれた大型)の接近で、大量の雨と強い風が吹き、高台の拙宅は、影響を受けてドキドキ。

 

強風と強い雨で、2階はがたがたと雨戸を揺らし、壊れていた雨トヨからも雨がドーと落ちる音が聞こえていました。

 

今回は北西の方向から、風雨がたたきつけたので、台所のシステムキッチンの棚角から雨漏りが...。鍋やフライパンを下に置いて対応しました。早めに修理しないといけない状態に。

 

午後から、晴れて来たので、ハトちゃんは近くの勤労会館へ筋トレ。1時間のトレーニング後、チャリPICT0577.JPGPICT0573.JPGンコに乗って帰ろうとして、前の中央パークゴルフ場を見ると、水曜日なのに「本日は終了しました」の看板。定休日は、月曜なのにと不思議に思った次第。

ゴルフ場から大久保中央公園側を見ると、何と一面、池の状態。グラウンド半分とパークゴルフ場の7~8番ホールは完全に冠水していました。

 

急遽、家に戻ってデジカメを持って戻り、初めて見た光景をパチリ。子供たちも、池の傍で水遊び。ゴ ルフ場の係員でスポーツ振興協会職員の鈴木さんら、「朝方は入口まで冠水し、深いところではPICT0568.JPGPICT0574.JPGPICT0582.JPG m20cmぐらいまで水がありました。7番ホールに排水溝があるのに、機能せずこんな状態。15時30分現在、半分くらい水が引いたが、おそらく、明日は晴れても整備しなければならず、臨時休業になりそうです」と。池みたいになった、珍光 PICT0570.JPG景にあきれるばかり。

 

公園内に池ができたかのような錯覚にとらわれるほどの、ビックリした降水量でした。

10月13日(日)、JR駅ハイ「泉福寺 国指定重要文化財特別公開と六阿弥陀めぐり(in 桶川)」15kmに行って来ました。

 

千葉・習志野から、埼玉の桶川まで、普通列車で1時間35分ほど。上野から高崎線に乗り桶川着が8時42分。市長が挨拶後、桶川駅からスタート(8:50)。当日は、秋晴れで、絶好の ウォーキング日和。

コースは、昨秋の逆。駅西口前の道路を直進。ハトちゃんは先頭グループ。マップ下欄に、六阿弥陀スタンプめぐりがあり、順番にスタンプを押していく楽しみが...。歩道の途中PICT0551.JPGに、べに花の郷を描いたマンホールが...。

 

いよいよ寺社めぐりがスタート。本日のゴール 「さいたま文学館」前を右折。ゴール受付は準備中。女性係員から「頑張ってください」と声をかけられました。

 

それにしても、最初のポイントまでの4.5kmはしんどい。出だしは早いペースでPICT0451.JPGいつの間にか先頭に。なぜか、高齢の男性が、走って抜いて行くのを見て、以前見た人で「ウォークイベントなのに?」と首をかしげます。

PICT0444.JPG途中、交差点 JA農産物直営所があり、べに花のかわいい看板が目につく...。自分より、歩幅が広い長身者に途中で抜かれて、その後は付いて行くことに。 

 
途中、コースの左側に「炭の会」の看板と出店が農産物などを販売。
 
 
最初のポイントは、田園風景(田んぼはまだ稲穂がぶら下がり、ところどころ倒れていたり...)の中を PICT0452.JPG PICT0455.JPG進んで、前領家 観音堂(9:33)。 PICT0459.JPG
 
PICT0458.JPGここは、六地蔵の第四番の地蔵がありました。なお、入口にはポイント名の看板と、曲がり角には、カラフルな衣装を着た案山子が立っているのもユニークで楽しみに。また、ポイントには、必ず押印や説明担当ボランティア、曲がり角には交通整理員と矢印があるのでコースを間違えることはほとんどありません。とても気配りされたコース。
 
 
 
間もなく、川田谷生涯学習センター内桶川市歴史民俗資料館へ(9:39)。この時点で、係員 PICT0465.JPGから、先頭から5番目と言われ、女性ウォーカーの後に入館して、「しおり」を1部いただき、トイレ休憩。
 
ちょうど、川田谷公民館のサークル発表会が開催されていて、絵画や写真、編物、作陶や焼物などが展示されていて、イベントや各種販売も行われていました。

 

その後、矢印のとおりに裏手に回ります。国道17号の広い道路に出たまでは良かったのですが、城山公園が前方に見えたので、一時方向音痴に。左折したのに、後続が来ない。横断してから左折が正解。こちらに向かってくる後続者の姿を確認してから、小生も動きだしました。信号待ちの間に、二人が前へ。

 

歩道橋を渡り終えて右折。JA川田谷支店が傍にあり給水所。歩道橋のすぐ横なので、見落とす人 PICT0471.JPG PICT0473.JPGたちもいます。小生は、昨年、JAを通り過ぎて失敗したので今回は立ち寄り、ぬるい麦茶のサービス。

 

すぐ先を左手に入ると、狐塚堂 PICT0470.JPG PICT0469.JPG坂 地蔵堂へ。道の裏手が本堂の正面になり、回りこむように して覗き、六地蔵の第二番を確認。

 

道路の反対側に当たる右側を進見ます。樹木や広場、色とりどり PICT0474.JPG PICT0477.JPGの花が咲いている花壇が観える城山公園を横目に、県道川越栗橋線をひたすら進みます。途中で、町内会でしょうか? お祭りの行列に出会います。荒川にかかる橋の手前まで、 PICT0481.JPG直進。

 

 

ガード下に桶川飛行学校の看板。右手に入り、細い道を進みます 。速いウォーカPICT0483.JPGーとすれ違い。

 

前方に旧陸軍桶川飛行学校〔現在の航空自衛隊熊谷基地の分教場として、1937(昭和12)年に桶川市 の太郎右衛門橋のたもとの川田谷に開校。特攻隊の訓練基地としても使用されました。初めて飛行機に乗る人向けの教育を行った〕がだんだん近づいて来ます。

現在も営庭、宿舎本部兵舎車庫守衛所、守衛所前の弾薬庫などが残っていて、当時の雰囲 PICT0484.JPG PICT0489.JPG気を今に伝えています(10:07)。

当日は、薄暗い建物内部を公開していて、写真や資料を展示。DVD放映などがありました。「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」の会員さんが丁寧に PICT0494.JPG解説をしてくれました。また、特攻隊で戦死された方の次女で、語り継ぐ会の会長さんと、歴史や保存の苦労など、貴重な話をうかがうことができました。
 
会長や会員の皆さんに挨拶して、敷地内を戻る途中で、偶然に、船橋の中川さんと出会いました。もう一度、学校敷地内で一緒に説明を受けて、久しぶりの再会を祝して一緒に歩くことに...。
 
 
"旅は道連れ" となって、お互いの夏休みの様子や今後の駅ハイへのイベント参加、それに小生から「障がい者手帳」の割引など、四方山話に花が咲きました。
 
ちなみに、中川さんは桶川は初めてということで、若輩ながら小生が簡単な案内と解説役を買って出ました(あまり、あてにはなりませんが...)。
 
 
荒川手前の狭い舗装道路の右側に、喜倉堂。荒川の渡し傍にあったので大きな PICT0498.JPG馬頭観音がありました。続いて、大鳥居の前に御祭禮の白い幟が立っている三田原氷川神社では、 PICT0502.JPG出店やお祭りで賑やかな雰囲気。前の喜倉堂に続き、スタンプがありません。
 

昨年は、土手によじ上がり、荒川の広い河川敷周辺の眺望 を観ましたが、今回は省略。

 

土手づたいに真っ直ぐに歩いて行くと、正面にこんもりとした森がだんだん大きくなって来ます。

泉福寺と書かれた出入口を入って、山門の前に、ボランティアの方々がいて押印。今回のメイン泉福寺〔東叡山勅願院円頓房泉福寺と号し、比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の別格寺院。東叡山とは「関東の比叡山」という意味で、天皇の勅願所であると共に、学僧の養成道場としての学山。829(天長6)年、慈覚大師円仁が開山したとされ、広大な寺城であったと言わ PICT0506.JPGれるが源平の乱において戦火を被り全てを焼失。その後、鎌倉時代に復興〕へ(10:35)。

 

PICT0509.JPG PICT0503.JPG緑に囲まれた広い境内には、山門や本堂をはじめとした江戸時代以来の建物があり、阿弥陀如来坐像は、 高さ89.3cm、鎌倉時代の1262(弘長2)年に製作されて、安置されています。国指定文化財の金色の坐像が特別公開されていて、PICT0507.JPG、他にも仁王門に珍しい石の仁王像、雨乞いの龍など重要な文化 財、第五番の六地蔵を観ることができました。

 

 

立派なお寺を観た後、何やら飛行機のエンジン音が...。秋晴れだったので、荒川沿いの広大な敷地で、セスナ機フライト 〔ホンダエアポートの滑走路〕を観られ、後方に富士山、 PICT0512.JPG PICT0515.JPG右手に秩父連峰の両神山などが良く観えました。

 

間もなく、一段高い荒川の土手に上がって、眺望を楽しみながら、涼風の中、二人のピッチが上がります。 

 

次の松原八幡神社へは、600mほど。ここで、冷たいお茶のサービ があり、 PICT0518.JPGホッと一息して、休憩。赤飯や饅頭の販売もあり。小生のみ、会館のトイレを借用。中川さんから饅頭をいただきました。

 

PICT0520.JPGさらに、松原双龍堂へ。六地蔵の第六番あり。前のウォーカーが見えるので、迷 うことはありません。

 

 

約1km歩いて、薬師堂東光寺へ。六地蔵の第一番ありPICT0532.JPG。高 PICT0524.JPG 校への途中の道端に、色とりどりのコスモス畑を発見。

 

次に回ったのが桶川西高校(11:25)。桶川ウォークの異色 PICT0533.JPGポイント。学校の外壁に大きな横断幕〔文部科学大臣賞受賞など〕が掲げられ、全国 PICT0534.JPG高等学校 PICT0540.JPGの中で2校しかない、貴重な水族館のあるハートフル桶西水族館へ。構内に入って、水族館のある校舎2階へと...。

 

入口には、先生や制服で出迎えてくれる科学部の生徒たち。教室には、たくさんの水槽が並び、アマゾン川生息のピラニアやアロワナをはじめ、世界の淡水魚、熱帯魚の飼育展示、写真や文集発行などを公開。順路にしたがって進み、高校生が解説してくれます。年間約3500人の来館者があり、今回も魚の折り紙をいただいて、かわいいお土産になりました。

 

高校水族館を見終わった後、700mほど歩くと、砂ヶ谷戸(いさげーと) PICT0545.JPG音堂で、最後の六地蔵第三番を確認して六つ全部のお姿を拝見。ずーっと、地元のガイド観光ボランティアの方が、暖かく出迎えてくれて、観音堂の沿革等について聞けたのは良かったと思います。

 

県道川越栗橋線手前の滝の宮交差点を右に入ります。ゆるい上り坂を過ぎると藤波交差点へ。そこからは、ほぼ一直線道路。ゴール前さいたま文学館まで約3.6km。先は見 PICT0549.JPG PICT0550.JPGえていても、なかなか近づけず遠く感じます。

 

 
 
最後のポイント、さいたま文学館 http://www.saitama-bungakukan.org/ では「近代俳句の革命児 水原秋桜子」〔埼玉とのかかわりを紹介〕、さらに文PICT0564.JPG体発表会、文学ホ PICT0556.JPGールでは、「埼玉文芸 秋の集い」が開催されていました。最後のスタンプを押印
 
 
 
外に出て、駅西口公園内ゴールがあり、受付で記念品 PICT0561.JPG PICT0565.JPG切り絵のハガキ)をいただきました(12:20)。
 
そこから、けやき通り沿いに桶川駅までは5分程度。帰りは、二人で高崎線上野経由→秋葉原幕張本郷とJR線を乗り継いで帰りました。船橋で中川さんと、次回の再会を約してお別れ。
 
 
 
桶川(15km)コースは、進路や曲がる道には、必ず駅ハイの矢印、それにいろいろな案山子、表示板があったので、間違えることはありませんでした。最初と最後の直進は長くて本当にくたびれました。たまにはロングも歩いておくべきだと感じた次第です。
 
地元観光協会をはじめ、地域の方々も親切で、久々に心温まる田園風景+寺社めぐりとなり、思いがけない出会いもあって、有意義な時間を過ごすことができました。

3連休の初日、10月12日(土)は秋晴れの下、駅ハイ「旧東海道川崎宿めぐり(約6km)」に...。

 

ハトちゃんは、10時30分からのスタートということで、幕張本郷駅から総武線と総武・横須賀線、そして京浜東北線で川崎駅へと。

地下街のアゼリア・インフォメーションセンター(観光案内所)で時間前に受付開始(10:20)。

 

地上に出る出入口がいくつもあり、22番から上へ。コースマップだけでなく、「さいか屋」の男性店員に聞き、確認して通りを京浜急行線に沿って直進。時々、赤い電車が行き交う。

 

市電通りとの交差点(日進町)を横断して左折すると、旧東海道に出ます。右折して京急の線路際 PICT0372.JPG PICT0376.JPGまで進むと、角に松尾芭蕉の「麦の別れ」と呼ばれる「麦の穂を  たよりにつかむ 別れかな」という句碑が建っています。

 

句碑を見た後は、川崎警察署前を PICT0378.JPG通って、元来た道を引き返す。署前で立番の警察官に会釈。途中、「ビバース日進町2005(高齢者向け優良賃貸住宅)玄関前に、芭蕉ポートパークがあり、句と作者と旅姿のシルエットに目が止まりました。

 

 

市電通り(日進町)を横断して、旧東海道の川崎宿があった道を進みます。

「旧東海道」と刻まれた石の道標を見ると、電車が無かった頃の江戸時代以前の飛脚や旅人の姿が目に浮かびます。その時代に思いを馳せて、ゆっくりしたスピードで...。 道幅は意外と狭く、車の往来も少なくて歩きやすい。

 

新川通り(県道101号)に出ます。小土呂橋前の交差点を、いったん左折して、パチンコ「すずらん」を通り過ぎてしまう。「おかしいな、この辺なのに?」と思いキョロキョロ。 PICT0381.JPG小土呂橋跡〔1931~33(昭和6~8)年に埋め立てられた)は、交差点脇に橋の欄干の親柱だけだったので、見落としがちです。

 

横断して、さらに旧東海道を散策。 「いさご通り」の幟。間もなく左側に「砂子 PICT0383.JPG PICT0387.JPG PICT0389.JPG(いさご)の里資料館」へ。かつて、川崎宿として賑わった地に建てられ、川崎宿の模型や浮世絵、資料等を展示。外装はなまこ壁風で江戸町屋の雰囲気を醸し出しています。入館無料なので、入館。中は薄暗く狭いが、観覧するウォーカーの姿が目につきます。先月、3人組で行って来た富士山の登録記念「浮世絵に見る富士」展が開催されていて、いろいろな富士山を観ることができました。

 

次に、すぐ先の右側に、今月1日にオープンしたばかりの「東海道かわさき宿交流館」へ。江戸時 PICT0391.JPG PICT0395.JPG PICT0399.JPG代の川崎宿を伝える歴史文化資料館(入館無料)で、開館記念特別企画展 「広重 東海道五拾三次」展を開催中〔10月1日(火)~10月27日(日)(休館日を除く)〕。余談ですが、1階から3階の展示室までの階段の一段一段に、広重の「五拾三次」の絵が日本橋から京都三条大橋までがプリントされていて、知っている絵と宿が順番に覚えることができるナイスアイデア。ちなみに「川崎宿」は2番目。

 

途中左側に、目立ちませんが、田中本陣(宿)跡PICT0406.JPG案内板を確認。直進 PICT0403.JPGして、本町交差点を渡り、左手の小道の左側の柵越しに、一対の狐が鎮座する崎稲荷社は覗くだけ。

 

 

PICT0408.JPG PICT0411.JPG多摩川(下流域を 六郷川と呼んでいた)の土手に、六郷の船渡し跡があります(11:28)。

 

そこから、橋を渡らずに、手前の舗装道を進みます。左手に幅広い多摩川の流れと河川敷、釣りやボートで楽しんでいる姿を眺めながら、間もなく右折。

 

橋を渡り、京急線路に沿って歩くと、京急港町駅へ。駅は改装工事中。 PICT0415.JPG駅改札口前に、美空ひばりの写真とレコードが描かれている「港町十三番地」歌碑があり、小休止。

 

駅入口前の道路に出ると、前に女性ウォーカー。コースに迷っている様子。久根崎の Y字路から一緒に右折。「昨年と違うコースになりましたね」と、ベテランの様子。

 

一緒に歩いても良かったのですが、相手から「先に行ってください」と言われたのと、明日も駅ハイ〔さいたま・桶川15km〕を考え、別れてペースを上げました。

 

PICT0417.JPG PICT0418.JPG昨年は、途中でコースを間違えて川崎競馬場横を通らず残念でしたが、今回は横を通ると、かなりの広さを感じ、また本日はJRAの場外馬券発売があり、駐車場への往来でガードマンが出入口で誘導に忙しい。

 

 

直進してローソンの先の市役所通り(国道132号)に出て、渡らずに右折すると、右手に富士見公 PICT0427.JPG PICT0421.JPG PICT0428.JPGがあり、左手には川崎競輪場の大きな建物(11:44)。歩行者と自転車専用道路が色分けされています。ところどころ銀杏(ぎんなん)が落ちて踏み潰した異臭が漂う。

公園側を歩いて行くと、緑が多く、弓道場や体育館があり、テニスコートでは少年の大会を開催中。公園の脇 PICT0422.JPGでは、ベンチで軽食やくつろぐ 人たち...。PICT0431.JPG

通りは、まだ黄葉にはちょっと早い、きれいなイチョウ並木の両側がシンメトリーになって続きます...。

 

この直進が約1km。 裁判所や税務署、教育文化会館などの官庁街にもなっています。

 

正面に第一京浜(国道15号)が見えて、長い歩道橋を渡り、右側に下ります。歩道橋の下に稲毛公園のトイレがあり、臭いがプゥーンと。その先に鳥居の観える川崎稲毛神社〔江戸時代川崎宿の鎮 PICT0435.JPG守で、通称"山王様"といわれる古社〕境内へ(11:56)。

大きな鳥居をくぐると、小さな赤い PICT0436.JPG PICT0433.JPG鳥居も...。横にある御神木の大銀杏は樹齢約千年ともいわれている古木で、江戸時代には東海道を旅するものに「山王様の大銀杏」として知られていたとか。また、周囲を回りながら願い事をすると、願いが叶うとも言われています。

 

神社を出て、公園のトイレを過ぎて、右手方向へ。市役所通り川崎駅まで続きます。現在、整備中のモデル看板がかかっています。道路の色分けはあるが、あまり守ら PICT0437.JPGれていない。歩行者用道路に自転車が走っていたり―。

 

だんだん駅に近づくや、商店街や大きなビルも...。

JR川崎」駅から帰るため、地下街を通っていったん地上へ。通行人に聞いて、デパート「アトレ川崎」中へ。エスカレーターに乗って、階下を見ると、「秋の収穫祭(ハロウィン)」 PICT0440.JPGでフロアでミニSLを走らせていたり、催し物で多数の買い物客が集まっていました。3 PICT0441.JPG階からJR川崎駅に直通。

改札口前は、多くの乗降客が行き交っていました。

 

 

本日は、歩行距離が短かったので、駅へは12時12分に到着。昼食をとらずに電車(京浜東北線)に乗り込み、品川で総武・横須賀線に乗り換え津田沼、中央・総武線で幕張本郷へ。

 

〔川崎の近代的な街づくりの陰に、多摩川や旧東海道の川崎宿の歴史と文化に触れたウォークができた半日に...〕

 

 

大変ブログを書くのが遅くなりましたが、今年世界文化遺産に登録された富士山へ行って来ました。富士山といえば、日本最高峰(3,776m)の独立峰で、古くから信仰や芸術の対象になって来ました。ところで、最近は10月中旬だというのに、なぜか習志野でも30℃近くの気温で、夏が戻って来た感じ。

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9月20日(金)快晴の下、湿度も低くすがすがしい秋晴れに恵まれて、いつもの大学勤務時の先輩二人と待ち合わせて、ハトちゃんは「駅ハイ お気軽ハイキングin 富士山五合目)」約4.3kmにチャレンジ。

 

髭の兼子隊長と、いつも笑顔で最近山登りにも積極的な遠藤副長と、2ヵ月半ぶりの再会。小生は強行軍のウォークがたたり、この間、足を痛めて駅ハイは先輩たちと同じくポイント付加無し

小生のみ、前日、八王子の実家に泊まって、中央線の「大月」駅で集合。富士急行線に直通だったため、特急「あずさ3号」で後から着いた先輩たちの座席を確保。車窓からコスモス、山々がくっきりと...。

ちなみに、狩人「あずさ2号♪」は上りの一番列車でした。世界遺産の影響か? 河口湖行はリュックを背負うハイカーたちが多く乗車。再会と快復を祝して話が弾みます。約1時間で最寄りの「富士山」駅(2011年7月に「富士吉田」駅から改称)へ(9:19)。 PICT9947.JPG PICT9880.JPG

 

駅ホームから、前方に富士山の雄大な姿が見えます。反対側に、富士急ハイランドも...。

 

到着後、観光案内所へ行って、コースマップをもらいスタート受付。絵はがきやペットボトルのサービスもありました。受付のおばさんの話では、とくに外国人の来訪が増えたそうです。

路線バスは満員御礼!ギュウギュウ詰め(10:20発)。 途中のバス停では、運転手が乗ろうとした客に「いっぱいなので、次のバスにしてください」という非情な言葉。1時間に1本のバスなので、かわいそうになりました。世界遺産になって観光客が増えたのに、会社で増便するなりの対応が必要だと3人の意見が一致。 われわれは、とりあえず「座れて正解」。

 

富士山駅からバスは、木立ちを抜けて、高速道路(富士スバルライン)に入り、徐々に上って行きます。駅ハイでは、スタートが駅になることがほとんどで、バス利用は、前回の那須黒羽に続いて2回目。

 

結構、お尻が痛くなるほどの長い時間乗りました。やっと、左手に富士山4合目にあたる「御庭」バス停に着い PICT9881.JPGて、十数人が降りました。気温は意外と高めの感じ。少しヒンヤリした程度で、半袖でのウォークが可能。

ウォークの途中に、あまりトイレが無いと聞いていたので、バス停前のトイレで用を足します。

 

 

早速、隊長の誘導で奥庭展望台へと向かいます。傾斜の ある急坂を下りPICT9885.JPGます。途中に、カラマツが生えていて、その間を縫うように道が続いています。副長は今夏、日本で2番目の高さを誇る北岳登頂を果たしただけに、足取りも軽やかに、隊長の後に続きます。小生がしんがり。

 

奥庭山荘の前に、カメラ・三脚を持ったカメラマンの人だかり。とりあえず3人は、小さな神社の鳥居 PICT9889.JPG PICT9894.JPG PICT9892.JPGと下駄が置いてあるのを見て、左手の奥庭遊歩道へ。火山土の上に飛び石の道を進み、左手には富士山の赤茶けた山肌全体が、目前に迫って大迫力。展望台では、さらに展望が開けて360度見渡せます。

 

ハトちゃんは、遠くから眺める美しい形の白富士のイメージが強く、身近で眺めると、赤富士 PICT9898.JPGの絵画の方がリアルで合っています(季節にはよるでしょうが?)。近くから圧倒されました。副長も堂々とした富士を観て「来た甲斐があった」と...。

 

展望台を回って山荘に戻ると、カメラマンたちに「何のバードウォッチング?」と PICT9900.JPG聞くと、「嘘?」と言う返事。しばらくして「鷽(うそ)」という鳥だとわかり、苦笑い。何でも人が脅かさないので、慣れて近くで観れるとのこと。毎週、わざわざ、沼津から車で来ている人も。

 PICT9903.JPG

バス停まで戻り、少し富士スバルラインを進むと、右手にートがあり、通行止めかと一瞬、思いましたが、隊長の機転で「五合目方面の道標」を見つけ、横から入ります。 

 

 

御中道自然探勝路に入って、林の中を歩き、石畳、次に石段と急な登りが続きます。約300mの一気の登りで汗 PICT9906.JPG PICT9908.JPG PICT9913.JPGビッショリ。右手上空の先、ヘリが荷物をぶら下げて何度も輸送するのを目撃。だんだん、しんどくなって言葉が少なくなって来て息が上がります。展望の開けたところで小休止。前に富士山の斜面が...。

 

やっと木造でぼろぼろの廃屋(御庭山荘)へと辿り着きました。今回は、昼食のおにぎりを用意して PICT9918.JPG来たので、小屋前で昼食に...(12:15)。同じバスで降りたウォーカーが通過して会釈。傍の松には、松ぼっくりがぎっしり。

 

冷たい飲料水で喉を潤し、腹ごしらえもできたところで、また登ろうという気に...。しかし、道標の先からは平坦な道になってしまい、良い意味での思惑ハズレ。

 

噴火口跡は確認できましたが、さっと通って眺めるだけ。斜面には、富士山がかつて爆発した火山 PICT9919.JPGだったことを物語る赤茶けた溶岩石がゴロゴロ。上部に火山礫帯(砕け散った溶岩がいっぱい)が続いて、7合目から頂きまでの富士吉田ルート(通称;砂ばしり)が良く観えます。7~8月の夏開山の期間は、大変だろうと想像したり、いつか頂上まで登ろうと言う威勢の良い発言も飛び出しました。

 

5合目から逆に降りて来たハイカーと出会い、挨拶。溶岩の平坦な道は降り積った砂と砂利道部分もあり、歩きづらい箇所も。右手は山肌のみなので、今度はゆっくりと左手眼下と前方を観ながら歩くことに...。バスの出発まで余裕があったので、のんびりしたペースに。

 

お中道(おちゅうどう)といわれる場所は、富士山の中腹部を歩く道という意味で、晴れていたので森林帯の先に、富士五湖本栖湖は大きく浮き上がっているようにも観える)や、うっすらとがかかり、南アルプスの山々八ヶ岳はわかりやすい)などの絶景が観れてラッキー。しばし、足を止めて写真撮影も。日本一の高さを誇る富士山ならではの光景。きっと頂上から下界を観ると、"天上の楽園" という感じでしょう。 ご来光も拝みたいものです!

 

さらに進むと、白っぽい樹木が林立していて、隊長PICT9925.JPGダケカンバ」は高い所に生育し、樹皮を見ると「シラカンバ(白樺)」に似ていて、同じカバノキ科の落葉樹で森林限界近辺で観られると教えてくれました。 山男の隊長ならでは!紅葉の時期も訪れたいと...。台風か? 山崩れか?わかりませんが倒木の枯れ木の山。また、山崩れ防止用の分厚いコンクリートの壁が数ヵ所、コース傍にも築造されています。

 

 

ゴール近くになって来ると、五合目バス停からの高速バス組と散策 PICT9928.JPG PICT9936.JPG道で多数出会います。五合目近くの道端に、黄緑色の短いコケがびっしり生えていて、美しい。

 

 

PICT9935.JPG山道の前に急に明るく開けた五合目付近が目に飛び込んで来ます。遊歩道出入口横には、昭和天皇・皇后 両陛下の「 五合目御登山記念碑もありました。

 

 

 

五合目前では、高速、観光バスやタクシーと観光客が賑やかに行き交って、山小屋、土産店が連な PICT9938.JPG PICT9941.JPG PICT9940.JPGり、小御嶽神社、郵便局(赤いポストと二人の登山の銅像)などがあり、また総合管理センターでチラシをもらい、しばらく休憩。館内には、富士山の「世界遺産富士山パネル展」やビデオPICT9942.JPG上映が行われていました。

 

先輩たちは、土産店で「富士山ラスク」というお菓子を。なぜかって、それは「富士山らしく?」 だからですって〔笑〕。

 

ゴールは富士山五合目のバスきっぷ売場で、チェックポ イントのスタンプを押して、早めにバス停 PICT9944.JPGに並び、座席を確保。チェックポイントとゴールが一緒なので、スタート地点に戻らなくても良いみたい。われわれは真面目なので、路線バスで戻ることに。一番後部座席に陣取り、隊長がバス内部も見晴らす位置を確保。

 

「富士山」駅までは、車窓から景色を観ながら、前職場の富士セミナーハウスの話題や紅葉時の観光地の話題に終始しました。

 

「富士山」駅からの富士急行線では、アニメで有名な機関車トーマスの PICT9951.JPG「トーマスランド」号に乗り込むと、車内の天井までカラフルに描かれていて、ファンタジーの世界。駅で買った缶ビールで乾杯し、次回の軽井沢(10/18)での再会を約束。

 

「大月」駅で、先輩たちは特急に乗り換え、小生はのんびりと鈍行で幕張本郷 PICT9958.JPG PICT9957.JPG駅までの帰宅。

 

シャクナゲなど、高山植物は観れなかったものの、天気が良かったので、富士五湖や南アルプスを眼下に望むことができ、標高2,300m付近あたりの森林限界を散策できました。

歩行距離は5km弱と短いものの、富士山を歩いたよい記念ができました。

 

話題満載の珍道中はいつも楽しいひとときに――

 

                 軽井沢ウォークで また珍道中を続けましょう!

 

10月8日(火)は、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」で京王線・柴崎駅から深大寺・神代植物公園(約7km)を歩きました。

 

9時30分に京成船橋駅構内に集まった面々は、先生を含め14人だったそうです。というのも、ハトちゃんは、前日、実家に泊まってスタート柴崎駅(京王線)で合流することに。めじろ台駅から当駅までは約30分。インターネットで調べて、11時前に駅に到着。予想した電 車ピッタリで、神田先生率いるサークルのみんながやって来ました。PICT0259.JPG

南口からすぐに出発。和気藹々という感じで、国領方面へ向かって進みます。ちなみに、調布市の花百日紅

 

車橋児童遊園の突き当たりに野川〔水源は、以前ウォークした PICT0227.JPGはけの小路の先、国分寺あたり、 PICT0231.JPG武蔵野台地の湧水〕の遊歩道へ。今回は、川を眼下に観る遊歩道〔武蔵の路〕を、周囲を観ながら深大寺へと向かって歩きます。

川の脇の道には、保育園の園児が。手を振って挨拶。水がきれいで、川には鯉や錦鯉の姿が見えて、群生している場所も。亀の姿もところどころに...。

もなく踏切を渡って、北口方面へ。直進すると、両脇に大ケヤキが並ぶ甲州街道へと出ます(この先には、以前ウォークした大國魂神社のある府中へと繋がっている)。

再び遊歩道に入ると、両脇は桜並木の大木で、幹周りは二人でやっとの太い古木も。お花見の頃は、さぞかし賑わうことでしょう。

すぐ傍の住人が恵まれていると、うらやむメンバー。

 

PICT0236.JPG PICT0237.JPG遊歩道にサヨナラして 、祇園寺通りに入り、最初のポイントとなる寺社、祇園寺〔深大寺を開いた満功上人が開祖の天台宗の寺〕へ。入口付近に一対の珍しい石像が。

 

祇園寺を参拝して左折PICT0245.JPGし直進。両脇に PICT0241.JPGキャベツ、ブロッコリー畑がある場所を過ぎて行く。 脇を流れる用水も湧水できれいで、よく見ると底から小さな流れができています。稲を刈って、棚に干している懐かしい風景も観えました。

 

先生の案内で、雑木林の中へと...。深大寺自然広場に入り、季節の花コスモスが咲いています。 PICT0247.JPG PICT0249.JPG右手の野草園(入園無料)へ入園。園内には、武蔵野の雑木林に、棚にアケビがぶら下がっていたり、散歩道の両脇や池の周りに、野草が約300種類ほどあり、ひと回りしました。

 

中央高速道の高架下を通って、後方に高速道 PICT0257.JPGが見える場所で小休止。ここで先生が、深大寺そばの店へ予約。

 

完了後、雑木林のみちを上って間もなく、ハトちゃんは見覚えのある道に出ました。深大寺の東参道に出て、戻る形で三鷹街道へと。左手に大きな石垣で囲まれた深大寺小学校が見えて来ます。青渭(あおい)神社前の交差点へ。

 

PICT0263.JPG左手に、大きなケヤキの幹に穴が空いている御神木がある青渭(あおい)神社を参拝。メンバー一同、大木を見上げてため息。

 

 

道端には清水の流れる水路もあります。

小学校脇の石垣を左に眺めながら、PICT0270.JPG代植物公 PICT0268.JPG園分園 水生植物園〔1996(平成8)年に開園。湧水や湿地帯の場所に木 道をつけて整備〕へと...。

 

トイレ休憩後、一段高い所から全体を眺めます。その後、木道に降りて、菖蒲田や、水生池や葦の原などを見学。途中 PICT0273.JPG PICT0276.JPGに、こんもりした丘に深大寺城跡を先生に案内されて寄ることに。

そばを生育しているそば畑がありました。白い花が一面に...。

 

続いて、園外に出てからは、東参道通りを歩き、門前そばの店先前を右折。深大寺〔天台宗別格本山の仏教寺。「深大寺」の名は、仏法を求めて天竺(インド)を旅した中国僧玄奘三蔵を守護したとさ PICT0281.JPG PICT0282.JPGれる神「深沙大王」(じんじゃだいおう)に因んで付けられる。 733(天平5)年満功上人が法相宗の寺院として開創、後に天台宗に改組。日本三大だるま市(静岡富士市妙法寺、高崎と当地)の一つ。釈迦如来倚像(重要文化財)は関東で最古の白鳳時代の仏像を安置〕へ。

 

山門は、藁葺屋根造り。1695(元禄8)年に建てられたもので、深大寺で最も古い建造物で、門をく PICT0290.JPG PICT0286.JPGぐると広い境内に、重厚な本堂。賽銭箱の横に「木」という文字が両脇に。また梵鐘も重要文化財になっていて1376(永和2)年、山城守宗光が鋳造したもので、都内では3番目に古いとのこと。梁の龍の彫刻に風格が。

平日というのに、結構、参拝客が多い。左手にキンモクセイの大木があり、芳香を漂わしています。それにしても、こんなに大きなキンモクセイを見たのは初めて。前回訪れたのは冬で、本堂の屋根に雪が残っていた方に注意が集中して気がつかず。

 

裏手から階段を上がって抜けると、待ちに待った昼食「深 PICT0294.JPG大寺そば」 PICT0291.JPG玉乃屋)で、それぞれのお好みの手打ちそばを。こしがあって、少し固めですが、美味。お土産で買う女性メンバーも。暑い日だったので、ビールで喉を潤す先生たち。

食事後のトイレは、行列待ち。

 

続いて、深大寺門から都立神代植物公園〔1961(昭和36)年に開園。都立としては唯一の植物公園である。園内には約4,500種類、10万株の植物が植えられている。梅や桜の名所としても知られるが、都内最大で274品種5,100株を誇るバラ園では春と秋にバラフェスタが開催される〕内へ。クリスマスローズで足を止め、はなみずき園、さくら園を通って、芝生広場へ。

芝がきれいに刈ってあって足に心地良い。中央に何やら背の高いススキらしきものの固まり。近くに PICT0309.JPG PICT0311.JPG行って、観ると2~3mぐらいの西洋ススキ(パンパスグラス)。穂が密集していて車の掃除用のブラシに似ていて、風にそよぐさまは迫力はあるものの、日本のススキの方が風情があります。その先にあったヘビ瓜の気持ち悪さに、顔を背ける女性も。

 

 

PICT0321.JPG PICT0317.JPG園内は広くて、樹木・花などを観ながら名前を確認。散策しながらバラ PICT0313.JPG園をめざす。バラフェスタは今月12日から開催されますが、一面までは行かないが色とりどりのバラが咲いていて、顔を花に近づけるとかぐわしい香りが漂う。バラ園は中央に噴水、脇に藤棚。女性像の彫刻があり、習志野市地元の谷津バラ園に似た雰囲気。

 

 

時間を決めて、メンバーは各種好きなバラを観賞。観賞後、銀の花をあしらったモニュメント〔カリヨ PICT0326.JPG PICT0328.JPG 〕前に集合。続いて、亜熱帯・熱帯の植物が栽培されている大温室へ。右手前に大きなエンゼルトランペットの花がぶら下がっています。

 

 

順路に沿って、ジャングルを歩いている感じで、バナナやカカオが成っていたり、大小の珍しい草木・樹木が次々と現れPICT0329.JPGて、感動しまくり。食PICT0331.JPG虫植物もありました。

いくつかに温室が分かれていて、涼しくなったところに、さまざまなランの展示・販売PICT0334.JPGがあり、花の美しさや色 PICT0332.JPGの鮮やかさに目を奪われます。

出口の前の室には、池に浮かぶPICT0337.JPG PICT0338.JPG子供が乗れるオオオニバスや蓮の花が咲いていました。また、目を惹いたのはビッグなショクダイオオコンニャク(スマトラ産)は、ガイドの 話では「スーッと立っているのは茎ではなく、です。7、8年に一度花が咲く貴重なもの」とのこと。

 

 

名残り惜しかったのですが、集合時間なので外で後続を待って いると、ちょうど14時。すると時報PICT0345.JPG合わせ、カリヨンの上部が開閉し、童謡が流れて、それも3曲PICT0343.JPGのサービス。下に時期に合わせた案内の曲名が明記。「大きな栗の木の下 ♪」では、手振りをつけるメンバーも二人。

 

先生が知っていてのタイミングか? みんなにとってラッキーな時間・場所になりました。

 

 

その後は、近くのダリア園へ。ここもカラフルで鮮やかな花が多数。写真を撮るメンバー。ダリアもバ PICT0353.JPG PICT0351.JPGラに劣らず、さまざまな品種改良が進ん PICT0356.JPGでいることを実感。

時間の関係で、神代植物公園通りの向かい側、無料地域の西門方面は省略。

 

正門前から出て、京王線「つつじヶ丘」行のバスに乗り込むと、間もなく、深大寺山門前の「深大寺前」で数分停車。

乗車客を待って、途中通って来た、「青渭神社前」の交差点へ。

三鷹通りを北上し、東電変電所前を右折して、「つつじヶ丘」駅方面へ。道路が狭く大型車どうしはギリギリ。15分ほどの乗車で駅北口へ到着。

ここから全員で、京王線→都営新宿線で「本八幡」駅まで、座って帰りました。疲れてうとうと眠っていたメンバーも? 本八幡駅に到着後、京成線組とJR組とに別れて解散。

 

いつもより、ポイントめぐりは少なかったのですが、少々暑くても風がさわやかで、武蔵野の自然古刹「深大寺」「深大寺そば」を味わい、神代植物公園で華麗な花々を堪能できて、メンバーには大満足なウォークとなりました。

 

 

10/9(水)、台風24号の影響で10月というのに北陸地方を中心に30度を超える暑さ。千葉健生病院健康友の会お助けクラブの依頼で、午前中の2時間を草とりのボランティア

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千葉市花見川区の瑞穂の杜(20年前に分譲)へ。現在は、一大新興住宅地になっていて、区役所や学校、商業施設に立派な舗装道路。 

すぐ近くに花見川があって、その周囲はサイクリングロードがあり、検見川や稲毛の浜まで散歩ができます。15年前まで幕張に住んでいたハトちゃんは、釣りに夢中になった時期があります。

河口が東京湾につながっていて、潮の干満が一日2回あり、川面が数十センチ違って、景色が変貌。下流ではハゼが釣れ、中流ではヘラブナや鯉が釣れる変化に富んだ川。

 

今年、今回で3度目となるお宅は、前回の草取りが 8/2で約2ヵ月ぶり。「瑞穂橋西」バス停近くの広い庭のお宅。女主人が高齢で一人暮らし。膝の手術後、しゃがむことが難しく、前回が庭の半面だけで終わってしまったので、再度依頼が来ました。

 

ハトちゃんは、唯一3回連続でこのお宅にお邪魔するので、チャリンコで集合・開始時間の20分前に到着。庭を眺めると、門から見て前回行った右側はほとんど草が伸びておらず、真ん中に小さな畑を作られていました。今回は左側の草2~5cm程度ですが、べったりと生えていました。

小生を含めて4人で、左側から作業を開始。このあたりの土地は、分譲前が田 PICT0368.JPGんぼだったせいもあり、小石を後から入れたので、草と石が混じっていてやはり取りづらい。小鎌を深めに入れて、土と石を振るう作戦。前々回ビックリした、暗褐色のスライムみたいなもの〔ブニュブニュしたゼリー状〕は、猛暑の時期が長かったので、黒く干からびて落葉のように。

 

 

PICT0363.JPG PICT0364.JPG  4人で2時間。休憩無しでみっちり作業して、左半面はきれいに...。60ℓ のゴミ袋2.5個が成果。12時の時報がなったので終了と思いきや、庭全体を眺めると、前回の右側の短い草が目につきます。ご主人の了解を得て、30分延長。もう半袋増えて、結局3袋に。庭全体が見違えるほどにきれいになりました。 

 

 作業前      作業後

ご主人から、感謝と「またお願いします」という言葉をいただき、各自、挨拶してチャリンコで別れました。半袖でも良い気候でしたが、風が強い分、それほど暑さは感じず、とりあえず自己満足して帰宅の途に......。

家に到着すると、外に干してあった洗濯物を急いで仕舞いました。

          ―高台の自宅は、今、7~10mの風が吹き続けて窓からビュービューと音が聞こえます―

雨が降りしきる10月5日(土)、ハトちゃん駅ハイ今年度後半のスタートを切り、「緑と水辺のまち、さいたま市南区(約9.5km)」に。

 

今回は通常より、比較的に近距離の場所で、総武線、武蔵野線経由して、「武蔵浦和」駅に到着(9:16)。駅に着くと、強い雨が降っていました。コースは初の地域で、駅員さんや係員が多くいて、スタート受付。「雨で滑りやすいので足元に注意して、頑張ってください」と声をPICT0129.JPGかけられる。

 

西口前をスタートして、多くのウォーカーの後に続いて、まず最初のポイントへ向か う。

通りの下水溝の水があふれて、歩道から車道まで。ウォーカーも水溜りをよけて歩くが、車が傍を通行すると、水がバァーと飛び散って身体にかかってしまう人も...。

 

間もなく、廣田寺観音堂(沼影観音堂)〔1507(永正4)年の古文書に記載がある仏堂で、境内に PICT0133.JPGイヌマキの古木(天然記念物)がある〕へ。

境内には、案内ボランティアが観音堂の説明をしてくれる。また、厨子(市指定文化財)は入母屋造りの唐様形式で江戸時代初期の作とのこと。

 

今回は、初のイベントなので、地元が力を入れていて、コースの矢印や要所での交通案内人も配備 PICT0142.JPG している念の入れよう。右折して浦和大里小を過ぎて左折して、埼京線の高架下を通って、今度は花と緑の散歩道へと。ここで、前のウォーカーの団体さんは、雨のせいか、駅へと戻って行く。「とりあえず、ポイントだけ」という考えのようである。

ハトちゃんは、せっかく来たので先へ。埼京線に沿って散歩道を進んで、一番観たかった別所沼公園をめざす。途中、公園までの距離標識があり、目標に向かって歩ける。緑道の両脇には、桜や花ミズキ、アジサイなどが植わっていて、四季折々、散歩を楽しめる。

 

やっと前方に、樹木に囲まれた沼が観えて来る。歩道橋を昇降して、公園内へ。別所沼の起源は、PICT0153.JPG PICT0151.JPG約100万年といわれていて、大蛇の伝説もある。ヒアシンスハウスは、昭和初期の詩人である立原道造が週末住宅としてスケッチするが死去し、2004(平成16)年に市と協働で、市民や文人、建築家が竣工。

沼の水は、意外ときれいで樹木の並木が沼面に映って、幻想的な光景。紅葉にはちょっと早かったが、写真スポットはいくらでもある感じ。テントの前に人だかり。甘酒とゆで卵のサービス

 

続いて、公園を右手に回って、埼玉大附属中を右手に観て国道17号線に出る。

右折して、しばらく交通量が多い道の歩道を進む。

 

途中から左手に曲がり岸町小の前を右折して、白幡緑PICT0159.JPG道へ。少し歩 PICT0156.JPGいて行くと、葦(ヨシ)の生い茂る白幡沼〔水田灌漑用の溜池〕が現れる。葦の生い茂っ ていない方には、睡蓮の白い花が咲いていて、風情がある。ここでは、近くに工場のあるロッテから菓子のサービス

 

コースの案内人の指示にしたがい、醫王寺〔真言宗豊山派 PICT0162.JPG PICT0163.JPGの寺、境内に2mを超える板石塔婆(市指定文化財)がある〕へ。入口の山門の2階には、鐘楼があって、鐘楼門を兼ねる。これは全国でも5ヵ所しかないという珍しい造り。

 

 

その先角には、睦神社〔六辻地区にあった神社(八幡神 PICT0171.JPG社、阿夫利神社、諏訪神社、稲荷神社、三峰神社、八雲神社、富士神社)を合祀しているので、6つの社殿がある。入口で消防車が停まっていて消防士が休憩中。社殿前には、ロープが1本張られている。

 

その後、左折、右折を繰り返し、県道の角に鎮守の森の根岸神明社(本 PICT0172.JPG殿は1間社流造りで江戸時代後期の建物。隣にある稲荷神社は見世物造り)がある。

 

直進して、大きな建物(さいたま市文化センター)が見えて来て、回り込むように歩いて、正面横に出る。本来のコースは右折して、文化センターの館内へと進むのを、ハトちゃんは前の人たちに釣られて付いて行き左へ。

 

実は、駅ハイ参加者だと思っていたのは、ただのリュックを背負った住民たち。「南浦和」駅へと向かうグループ。後の祭り。途中までは、マップをマメに見ていたのにシマッタ! PICT0179.JPG

 

途中で気がついたが、雨が降っていたのと、元に戻るのも癪なので、そのまま駅西口へ(10:54)。

 

西口のバスロータリーで、道を聞いた方が地元の親切なおばちゃんで、ご主人が本日駅ハイに参加 中とのこと。道に迷ったことを話して、とりあえずコーヒー無料サービスの浦和弁天公園までの道を教えてもらい東口へ。

「公園に寄って、今日は帰ります」と話して、駅前で別れる。

 

駅のエスカレーターを上がって、駅改札口を横目に見ながら、公園のある東口へ。

 

弁天公園は、駅前ロータリーの先を右折すると、間もなく前方に。地元商店会などによる物産展が開かれPICT0180.JPGPICT0182.JPGていて、暖かいコーヒーのサービスも...。コースどおりにたどり着いたウォーカーが続々と...。

コーヒーを振舞ってくれた係員のおばちゃんと、本日の感想と雨で参加者が少ないことの嘆き節♪

 

当初は、公園から駅へと戻り、帰る予定でしたが、時間を見るとまだ11時過ぎ。今週末は、町内会役員会議のため、妻の実家の農作業は妻と交代。

 

文化センターの飲料水サービスと大道芸披露やコースで抜けたポイント2ヵ所を観ないで終わるのは残念と気が変わり、逆コースを歩くことに......。

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公園、駅へと向かう正規コースのウォーカーたちと鉢合わせ。行きの途中で抜いた特徴のある若い男性とも出会い、向こうがキョトンとした表情に。中には、自分が間違ったと勘違いして止まるウォーカーも。反対から観ると、皆さんの歩いている姿はさまざま。2人以上で話しながらのウォークも目立つ。

 

公園前からは、少し行くと公園内に日本サッカー発祥の地である(少年とマ PICT0186.JPGスコットキャラがサ PICT0221.JPGカーをしている)銅像が...。また路上で浦和レッズのサポ PICT0188.JPGーターから記念シールをいただく。当日は夜のスポーツニュースで、レッズがダービーマッチを制して4-0で完勝。団地の中を通り抜けて一直線。左折して欄干が薄紫色の長い陸橋を渡る。西口方面へ...。さらに、商店街の脇を直進すると、角に黄色いブレーカーの若い男性案内人。

 

右折して、しばらく真っ直ぐ。やっと左手に森が...。文蔵神明社〔本殿は江戸時代の神明造り。境内 PICT0192.JPGに稲荷神社、白山神社、御嶽神社、不動尊、大山阿夫理標石などがある。

境内に、幹まわり3.16mのカヤ(樹齢約400年)の大木は圧巻。他にも大小の樹木があって、四季折々の景観を楽しめる。

 

神明社の前には、用水路が続いていて、その脇が遊歩道になっている。六辻水辺公園〔全長240 PICT0195.JPG0mで面積17000㎡の細長い公園。もともと、用水路で利水していた箇所を整備。 「せせらぎゾーン」をはじめ四つのゾーンに分けられ、東屋やベンチも途中設置されPICT0199.JPGている〕

車道の脇に歩道、用水路、人家といった具合に分離されていて、風景を楽しみながら、ゆっくりと歩くことができる。途中、骨だけの恐竜の遊具がある根岸東児童PICT0201.JPG公園も発見。

 

公園の表示案内板のある場所から、右に曲がって、文化センターへは4分ほ ど。

 

やっと、文化センター前のテントで、冷たいスポーツドリンクを1杯ごちそうになり、入口前でのピエ PICT0205.JPG PICT0209.JPGロ姿の風船で動物を作る大道芸を観覧。その後、館内の受付嬢に資料をもらい、立ち話。よさこい踊りはちょうどお仕舞い(11:57)。

 

帰りは、だいぶ歩いた分、マップの道を理解できたので、最初に間違えたコースで西口への近道を...。2回も歩くと、余裕で周りの景色も確認できる。

 

駅手前に、こんもりした丘と森が...。何かと思って上ってみると、大谷場氷川神社で、神社境内は広 PICT0215.JPGくないが、赤鳥居の前の両脇に、右手に、立っているPICT0216.JPG PICT0217.JPGと左手に座っている雉子が鎮座しているのが目を惹く。

 

「南浦和駅」西口から改札口へ。武蔵野線は10分間隔で来るのと、座れるので帰りはずいぶん楽でした。

今回の反省点は、マップをよく見ること。スタート時点の雨のせいで早々に帰宅したウォーカーもいたが、とりあえずハトちゃんは、途中、間違えたものの完歩して、緑と水辺のまち、寺社・公園めぐりを満喫したウォークでした。間違えた分、約1.5km増えて、本日は11kmの歩行距離に。

 

駅員さんや関係者が、初めてのコースで力を入れていて、大変、サービスも暖かく、来年こそは、晴れになって、多くのウォーカーが良い印象を持ってほしいと...。

 

ハトちゃんは、10月4日(金)昼間は、肌寒い中、自宅で昨日に続き、庭木の剪定と草取り。その結果、45ℓ のゴミ袋が6個になり、明日の燃えるゴミに出すことに。

それでも、草を取り切れず、来週月曜に急ぎ終えて、芝刈りをしないと...。芝がだいぶ伸びてしまっているので。

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さて、18時から、千葉健生病院健康友の会大会議室で、8/7~9の原水禁世界大会に行ったメンバーを中心に、事務局長の呼びかけにより、第1回の集まり。

PICT0122.JPG 今回は、世界大会の「映像のひろば分科会」で上映された「おりづる」(被爆者認定集団訴訟の全記録)のDVDを購入して、みんなで鑑賞。

 

 

                             〔作品紹介〕

「おりづる」のチラシ6月15[1].jpg  2003年の春に、日本の被爆者が被爆してから60余年後に「私の病気を原爆症と認めてほしい」と、日本政府相手に全国の地方裁判所17箇所で訴訟を起しました。世にいう原爆症認定集団訴訟です。

  国は裁判で負け続け、高等裁判所まで含めると原告被爆者たちは29勝裁判史上過去に例のないことです。日本の裁判官たちは原告被爆者たちの主張を認めて、政府厚労省に対し、被爆者援護法にもとづいて幅広く原爆症と認めて必要な援護策を講ずるようにとの判決を下したのです。追いつめられた国は、原爆症認定基準の見直しを迫られ、一定の改善をしました。ですが、いまだ司法が下した判断には従わず、「原爆症と認めてほしい」との被爆者たちの声を無視し続けています。
 
   作品は、集団訴訟にいたる経過からその終結までを追いながら、原告被爆者たち、弁護士、証人となった医師や科学者、そして判決を書いたもと裁判官たちへのインタビューを丹念に重ね、ときに図入りの動画で次のようなテーマを平明に紹介して行きます。

 ★原告被爆者たちが集団訴訟に立ち上がらざるを得なかった背景。
 ★放射線の人体への影響。
 ★裁判所で、原告、弁護士、証人となった医師や科学者たちがとった方法。
 ★裁判官はなぜ、原告被爆者の主張を認めたのか。
 ★集団訴訟解決のために日本政府と日本被団協が結んだ「確認書」とは。
 ★政府は被爆者の救済になぜ消極的なのか。
 ★集団訴訟は、福島原発後に生きねばならぬ人々にとって、どんな意義があったのか。
 
  製作は、集団訴訟を支えた弁護士有志が中心となった原爆症認定集団訴訟の記録製作委員会。脚本と監督を、2011年の「原爆症認定集団訴訟の記録 にんげんをかえせ」の有原誠治。作品に挿入された曲は、集団訴訟の集会などでよく歌われた「折り鶴」(作詞作曲:梅原司平)。映像の中の合唱は、三多摩青年合唱団。
 2013年4月完成、7月に試写会で公開され、同時にDVDが販売。

                                   

 

いつも忙しい事務局長がレジメを作ってくれて、解説付き。

PICT0124 - コピー.JPG政府の原爆症認定が当初爆心地円内2km以内という基準と、放射線被害に限定されていて、黒い雨という内部被爆や、後に爆心地に入った人などの後遺症は認定されていなかった。放射線が体内に残って、細胞に傷がついて、後にがんが発病するケースを証明していく。

厚労省の基準はさらに厳しくなり、個人訴訟で勝ってもそれで終わってしまう。団体訴訟で国と闘って行くことを被団協が提案するが、訴訟は大変で、申請が却下されたことが、逆にバネになって、団結して勝利していく。

   訴訟は、実際の被爆体験や生活・身体状態を全面に出して勝訴

映像の中で、弁護士が集団訴訟の目的を

 1.国に認定基準を変えさせる

 2.訴訟を起こした全員の認定を勝ち取る

  3.被爆者の援護

 4.核兵器廃絶の根拠を明らかにする

2007年8月に安倍首相が基準の見直しを表明。翌年に福田首相が引継ぎ、基準を改定。2009年8月6日に麻生首相と被団協との間に、集団訴訟終結に関する確認書が交わされる。国は、1審勝訴への控訴を取り下げることになる。両者の検討委員会は継続して協議中。

しかし、国は、未だに内部被爆については認定しておらず、問題を残している。

 

今日、福島原発事故問題で、貯水タンクの海への流出が連日報道されていて、不安・心配な状況が続いているが、安倍首相の2020東京オリンピック招致でのスピーチを聞く限り、「~ブロックされている。政府が全面的に、責任を持って解決するので安心だ」 とは全く認識が PICT0128.JPGかけ離れている。

 

映画鑑賞後、各自、感想や意見を述べ合い、次回(11月8日)に、「はだしのゲン」を観る企画を承認して解散。

 

 

9/28(土)は、駅ハイで高崎線「高崎」駅へ...。   早めの電車に乗り込み、 PICT0115.JPG駅到着は8時50分。今回のスタート受付「イオンモール」へは、西口バスターミナル7番乗場から、ちょうど9時発の路線バスを利用し22分。 今回のコースは、「古代の東国文化に触れる(約10km)」

 

大型スーパー店 「イオンモール高崎」スタート受付。トイレ等を済ませて、9時30分から歩き出す。

 

ほとんど同じ電車組なので、多くのウォーカーの後に付いて、駅前から、辻久保の交差点を過ぎて、 PICT0037.JPG PICT0042.JPG国道127号線に沿って歩行者道路を一直線に。左側には、まだ刈り入れ前の黄金の稲穂が、実って垂れ下がってている。ところどころ、台風で倒れたままの田んぼも...。 週末行く、小見川ではすでに稲刈りは終了しているので群馬は寒いせいかとも思ったりして?

 

久しぶりに、イベントコースに参加したせいか、思っていた以上にペースが上がらず。左側の田園風景と遠い山並みを目で追う。

塚田まで進んで、いったん戻る形で引間の交差点へ。 PICT0047.JPG

そこから右に折れて、妙見茶屋脇を過ぎると、前方に第1のポイント、妙見寺へ。

本堂と左手前の鐘楼を眺めて、先を急ぐ。ウォーカーの多くも、右手の細い道へと...。

 

 

その先を回り込むと、史跡上野国分寺跡〔奈良時代の741(天平13)年、聖武天皇の命により、僧 PICT0049.JPG PICT0053.JPG寺と尼寺が作られ、僧寺を国分寺と称した。群馬県は"上野国"といわれ、国分寺は政治の中心地となり、東西約220m、南北約235mの広さがあり、周囲を築垣で囲まれ、金堂と高さ60.5mの七重塔の他、伽藍形式で配置〕へ。

手前の資料館(ガイダンス施設)には上野国分寺跡の発掘資料、史跡整備の歴史などとともに、七重塔のミニチュアも展示されている。

 

復元された金堂や七重塔の基壇築垣を観て、PICT0060.JPG藍の配置や建 PICT0058.JPG物の概要を想像し、まだ発掘調査中の青いビニールシートがかかっている場所も確認。 文化財保護の観点から復元整備・調査を進めている。

 

古代の雰囲気を少し味わった後、コースに沿って歩いて行く PICT0063.JPGと、Y字路左手奥に、国府野菜本舗〔地場野菜の直営所〕があり、コースを右手に進むと、「天国と地獄と歓声が聞こえて来る。

国府小学校で秋の運動会が開かれていて、ちょっと校庭を覗く。小生の子供たちを応援しに行った頃が懐かしい。

 

 

小学校の校庭を回る込むように進むと、そこからはくねくねしているものの一本道 PICT0065.JPGに。渋川・高崎バイパスの冷水交差点を横断してさらに直進。前のウォーカーを追いかけるように、リズムよく進まないと、かなりしんどい。

 

やっと左に曲がって、高崎市群馬支所の大きな建物が見えて来る。支所の反 PICT0070.JPG対側に 「市民活動センター(ソシアス)」があり、中に入ると、冷たい麦茶のサービス。気温は23度ぐらいにもかかわらず、歩き続けていたので喉が渇き、冷水に一息つける。ついでにトイレ休憩も済ませる。

 

 

渋川・高崎線に出て、足門交差点を左折し、棟高で右折して、またも田園風景が続く道へと。三ツ寺公園〔噴水広場は、夏季になると平日でも子供たちの水遊びする声が PICT0078.JPG聞こえる。約1.8haの PICT0113.JPG大きな三ツ寺堤の周囲約1kmは、四季の風を感じながらの散歩道。公園北側に新たにソフトボール場や遊具広場など、4.8haの施設が平成22年に開園。西側には桜並木やあじさい群、東側には小さな池の集まる水辺の生き物生息ゾーンなどがあり、親水公園としても充実。遊戯広場には人気のふわふわドームや、カラフルな複合遊具がある〕 をめざす。

 

PICT0085.JPG公園の遊具で遊ぶ家族連れや散歩に来ている人たちを横目PICT0082.JPGに見ながら、スワンが浮かぶ広い池の先を矢印にしたがい右折すると、石碑前に真っ赤なサルビアが...、田園地帯 を進むと、前方に上越 新幹線の高架が見えて来て、上り新幹線が猛スピードで通り過ぎて行く。道の脇の用水路は音をたてて豊富な水が流れている。

 

 

 

小さな川の橋を渡って、直進すると、大通りに出る。横断すると、上毛野はにわの里公園になっていて、まず。土屋文明記念文学館〔群馬県名誉県民で歌人 PICT0088.JPGの土屋文明(1890-1990)を記念し、1996(平成8)年に開館。群馬ゆかりの文学を中心 PICT0092.JPGに扱う〕へ。

館内に入館し、常設展を鑑賞。来週からは、「芥川龍之介の生涯―あまりにも人間的な」の企画展も開催される。珍しいことに、今回のコースは、館内ロビーを抜けて、別の出口から外へ。

 

館外に出ると、広い芝生と、右手に大きくて小高い古墳が目に飛び込んで来る。保渡田八幡塚古 PICT0095.JPG〔5世紀後半から6世紀にかけて造られた前方後円墳で当時の状態を復元し、豪族たちの墓所として、国指定史跡に PICT0096.JPG PICT0100.JPG指定されている〕が前方に。

整備された大きな古墳で、一番高いところに数人立っていて、眺めを楽しんでいる。また、堀の周りには人物・動物の埴輪が並べられている。

 

 

古墳を半周して、道を横切ると、前方に建物が見えて来る。かみつけの里博物館 〔榛名山麓で出 PICT0102.JPG 土された5世紀後半(古墳時代)の人物・動物・埴輪や当時を再現した模型などを展示し、古代の東国文化を紹介する考古博物館〕 に入館。ひととおり順路に沿って鑑賞。

 

その後、コースは真っ直ぐ三ツ寺公園へ向かうようになっていたが、ハトちゃんPICT0109.JPG PICT0107.JPG PICT0111.JPGはせっかく来たので寄り道して井出二子山古墳も見学。ちょうどコスモス群が咲いていPICT0110.JPGて、とても良い気分に...。階段を上って古墳の頂上をめざす人たち コスモスと、後方の山並み青い空。 言うことありません、感激。

 

 

戻ると、前に30代と思われる長身の男性ウォーカー。かなりスピードが速く、その後に付いて、新幹線の高 PICT0112.JPG架下をくぐる。あぜ道には、赤い彼岸花が連なって咲いていて、のどかな雰囲気。PICT0114.JPG

 

三ツ寺公園の先ほど観た池の脇に出て、公園に沿って歩く。左に公園の景色を眺めながら、渋川・高崎線へと。信号を横断 して、ジグザグに曲がって行くと、前方左手にひときわ目立つ「イオン」の建物群。大きな看板文字が見えて来る。

 

手前の道までは矢印があったのに、「イオン」に着くと、ゴール受付が見当たら PICT0116.JPGない(12:05)。仕方なく、サービスセンターの受付嬢に聞くがわからず。他のウォーカーも右往左往。結局は、流れ解散だったそうです。通常は駅がゴールなので、ほとんどと言ってよいほどゴール受付があるんですが、今回は後片付けされていて何も無し。次回からはスタート時点で連絡を徹底するように依頼を。路線バスの運行表もコースマップに記載してほしい。

 

結局は1時間に2本のため、約30分の待ち合わせ。仕方なく、「イオン」のロビーで、軽食をして次のバスに乗り込むことに。

 

本日は土曜で、これから千葉県の小見川に行く手はずになっていて、13時14分高崎発の湘南新宿ライナー(特別快速)が接続が一番良かったので、イオンの公衆電話から義兄に連絡。

ところが、12時45分発のバスが、渋滞等で少し所要時間がかかり、駅に着くやいなや、ハトちゃんはダッシュ。

ホームに降りて電車に飛び乗ると、発車のアナウンス。再び、汗をかいてしまう余裕のなさ。

高崎→赤羽→秋葉原→錦糸町→成田→小見川まで何と所要時間は4時間20分小見川駅で義兄が車で出迎え。

翌日の日曜も晴れて、畑仕事に精を出した週末となりました。

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10月1日(火)に駅ハイの申し込みをして、秋は、ウォーキングが毎週2~4日で忙しくなりそうです。

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