「ゆうほ21」で 奏の杜(新しい街)~丹生神社など(古い町)の散策(2回目)

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10/25(金)は、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」の習志野市内ウォー ク。「谷津ヘルスステーション~奏の杜~丹生(にう)神社を歩くコース(約5km)台風27号の影響で雨が心配されましたが、台風のスピードが遅く小雨の中、京成線「谷津」駅に集まった参加者は神田先生を含む8名。午後から雨のため、先生から1時間半のウォークで、早めに切り上げるとのこと。先生の案内でスタート(9:33)。改札口を出て、早くも傘の列...。

 

まず、駅前から谷津ヘルスステーショに向かいます。途中、まだ青いむべの実がなっていまし DSC00548.JPGた。

 

谷津コミニュティーセンター・ヘルスステーション敷地内には、あけびの実DSC00553.JPGなっていて、女性陣は比較。建物内に入り、トイレ休憩(9:40)。というのも、今後、コースにはトイレが少ないので。

 

 

その後、J R津田沼駅南口から徒歩8分の立地条件の良い35ha開発地域の「奏の杜(かなでのも DSC00554.JPG DSC00560.JPGり)」へ。全部完成した暁には、7千人ほど人口増が見込まれています。前回の4月下旬のウォークから半年。三井、三菱地所レジデンスマンションなどが完成し、住人も少しずつ住み始めているそうです。

 

 

半年前とは見違えるほど、舗装道路も整備されて、一大ベッドタウンになりつDSC00562.JPGつあります。周辺では、重機による開発が進行中。昨秋、地名が「谷津5丁目」から「奏の杜(かなでの もり)」へ変更。習志野市議会や市長も、「谷津」というと、谷間というイメージがあり、むしろ、市の「音楽を奏でる街」の方がイメージアップになるということで賛成した経緯が。着々と開発が進む新興住宅地を眺めて、雑談しながら歩きます。

 

今回は、第一中学校前を通って、奏の杜の中心部へ進むコース。第一中学校は、30年前ぐらいはJ DSC00564.JPG DSC00566.JPGR津田沼駅付近にあったのが、駅前商業施設「高島屋」などを誘致するために、この地に移転。5階建。

校舎横の看板には「庄司ヶ池と弁財天」。「このあたりに大正初期まで「庄司ヶ池」と呼ばれた池があり、船橋市前原にあった庄司上東野和泉守の邸があったため、ちなんでつけられたといわれている。池の広さは約9haで、その後、長雨の被害で畑が水びたしなどの被害をなくすため、田久保津田沼町長(後に県会議員)は県の補助を受け排水工事を完成させた。1914(大正3)年9月完成。豊作を祈願して「上の弁天」「中の弁天」「下の弁天」の弁財天が祀られていたと。工事の経過については、本日の最終ポイントの谷津丹生神社境内にある「排水記念碑」に記されていました。

 

forte(フォルテ)」複合商業施設の建物の横に出ます。ベルク(大型スDSC00570.JPGーパー 4.17オープン) DSC00573.JPGに続き、他の施設も買い物客で賑わっています。 新しい街ともお別れして 、今度 DSC00571.JPG DSC00575.JPGは古い歴史の町へと......。

京成線の踏切近くの習志野七福神毘沙門天を祀る西光寺は寄らずに、踏切を横断して左側にあ DSC00581.JPG DSC00584.JPG東福寺〔習志野七福神恵比寿天〕へ。

DSC00583.JPG境内入口に六地蔵があり、その裏手に4体の地蔵。江戸時代に寄進されたもので施主に女性名が刻まれていて、当時は女性の経済力が強かったのでは? 日本版考える人に見える地蔵が2体、立像2体。本殿も参拝。

 

続いて、京成線に沿った細い舗装道を進むと、右手に名前の石碑と鳥居。階段を登ると、本殿へ。

境内から、行きかう電車が木陰から良く見えます。

丹生神社〔この辺りでは珍しい 、丹生都比売神を祀る神社。和歌山県伊都郡かつらぎ町の DSC00587.JPG DSC00588.JPG DSC00590.JPG 丹生都比売神社の第一殿を、1654(承應4)年に勧請したのが創建。本社は空海が高野山を開くに当たり、地主神として遷したともいわれる〕何と手書きの由緒書でした。

また丹生は「水銀」と言う意味で、あたりに銀山があったのでは?と。 立ち寄ってDSC00593.JPG、境内の 御神木の大木は、瘤や穴が空いていても、未だ枝葉は隆盛。 本殿にみんなで 参拝後、裏手に「漁業組合解散之碑」がありました。また、碑を寄進した名前に屋号が刻まれ DSC00597.JPG ていて、昔の本家・分家との関係や、屋号で家・家族を判断する方法も知ることに。本日、参加したメンバーは、歴女が多く、先生に多数の質問を浴びせていました。

境内に、白くなった貝がらを発見。先生から、千葉県が日本で一番貝塚が多く、気候が温暖で住みやすく人が集まっていたこと、境内の松の傾きや漁業権放棄などから、京成線あたりの低い土地が、昔、東京湾だったことや習志野市が3期に分けた昭和30年代後半からの埋立事業により、袖ヶ浦秋津などの団地群ができていったことを教えていただきました。

 

本殿裏手から、谷津小学校前の交差点へと向かいます。横断して、右手は左側に小学校を見ながら 進みます。

 

住宅街を抜けるとき、小生が外壁いっぱいにペットボトルを寝かせている家を発見。「よほど野良猫が 嫌いなんだなぁー」とつぶやくと、猫好きのメンバーがいたことを忘れていました。先生から「防災の DSC00600.JPG DSC00601.JPG意味で、各家、2ℓボトルを、2、3本置いておくと、災害時に役立つと...」。ハトちゃんは、なるほどと感心して、今度、外壁に数本置 DSC00602.JPG くようにしたいと思います。駅近くの家の庭にたわわになった柿。その後は、京成谷津駅へと細い道路をたどって、駅でゴール(11:12)。

 

雨中のウォーキングでしたが、風が無く、雨も小雨で途中止んだりしたりで、もっとひどいと思っていた人には肩透かし。お陰で、苦労せずに歩けました。

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最後に、毎日、4万歩を歩く神田先生が「本日は、ゆっくりしたペースでした。というのも、歩き過ぎでかかとが痛くなった」との報告があり、女性メンバーは心配しきり。先生も人間なんだと思った一面でした。

谷津バラ園のバラも観たかったのと、距離がちょっと短いウォークでしたが、足が痛いのに、先生に案内していただき、大変ありがとうございました。

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このページは、hatochanが2013年10月25日 14:48に書いたブログ記事です。

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