コース;河辺駅 南口 千ヶ瀬神社下奥多摩橋玉泉寺鹿島玉川神社天祖神社釜の淵公園旧宮崎家住宅青梅市郷土博物館青梅市立美術館津雲邸住吉神社宗徳寺乗願寺河辺駅 北口
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3ヵ月ぶりにオジン隊全員がそろい、駅ハイ 「新緑につつまれて多摩川の自然と青梅宿の文化にふれるハイキング(約8.5km)」に参加。
5月31日(木)10時集合。天候は曇りでまだ雨は落ちて来ません。小生は前日、八王子の実家に泊まったのでゆっくり出発。
河辺駅や青梅駅はコースは違いますが、オジン隊でも数回来ています。
河辺駅南口でスタート受付。本日もウォーキング中、政治問題や社会問題(日大アメフトの対応など)で盛り上がりました。なお、日大の危機管理学部名誉会長が、森友、加計問題で渦中の安倍晋三総理だと隊長から聞いて、みんな発端は同じだと一同納得。和気藹々と話しながらゆっくりしたペースで、兼子隊長を先頭に駅前から体育館通りを直進。左側に市立体育館の建物が見えます。
突き当たりにカーブミラーがあり、右折。今後、カーブミラーがどんどん出て来て、曲がり角の目安になります。舗装道を道なりに進みます。民家の庭に、白くて長い花房が特徴のカシワバアジサイが咲 いていました。アジサイは日本原産のガクアジサイなどが輸出され、逆輸入されて花が丸い形の西洋アジサイが主流。世界で約30種あるといわれ、日本では約20種。土壌の酸度により酸性だと青色、アルカリ性だと赤色に変化、その他は白色系です。今年は、例年に比べ、10日ほど早く咲き始めています。
その先の祠の手前の坂を下って行くと、多摩川傍へ。細い道をコースマップを確 認しながら進むと、またカーブミラーがあり、信号を渡って線路方面に戻ります。途中、駐車場を右折して、シルバー人材センター前を通過。浄水場を左側に見ながら突き当たりに、千ヶ瀬神社〔古くは大社権現、江戸時代には稲荷社と称した。千ヶ瀬村の鎮守で、出雲大社の上を勧請し、出雲神社と称したことに始まると伝えられる。1883(明治16)年千ヶ瀬神社と改称〕 。
社殿の屋根部の千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)は大社造に合わせています。参拝後、左折して第二中学校横を通ります。鳥居があり、以前はこの道が参道で土地が広かったことを物語っていました。
マップに沿って歩いて行くと、多摩川にかかる下奥多摩橋へ。上から川辺の渓谷と清流の多摩川を望みます。
長い橋を渡って、左に曲がる道が一瞬迷います。道案内に強い遠藤副長の助言により、その道を進むと、途中に公園や小さなグラウンドがあり、まずは安心。
森 泉の結婚相手が僧侶という話題になり、隊長が「森 泉は肉食系で、僧侶は草(僧)食系?」と言ったので大笑い。
道標を右に入って玉泉寺〔臨済宗建長寺派、青梅七福神弁財天:1317~1318(文保年間)年の創
建で、開基は鎌倉9代将軍守邦親王、開山は国一禅師大古世源和尚。当時は多摩川の南岸にあり、本堂東南の弁天池小島に弁財天を祀ったのが寺の始まり〕へ。
境内には数多くの草花があり、色とりどりのアジサイも咲いていて、閑静な雰囲気で落ち着きます。
間違えて元来た道を出たので、別の男性ウォーカーと一緒に山門側に回りこんでコースに合流。山門前から細い道を直進すると、交通量が多くなる国道411号(吉野街道)に出ます。吉野街道を渡って、突き当たりのカーブミラーを左折。
先日の90歳のおばあさんが、交通事故を引き起こしたニュース。人を殺してしまったので、今後は牢獄につながれるのは可哀相と。それから、高齢者の付ける四葉のマークは何と呼ぶのか? 調べてみると高齢者マークということに。隊長から、シルバーの意味が、JRのシルバーシートが最初 銀色だったことによるのを初めて知りました。
左側に続く小川に沿って歩いて行きます。前を行くウォーカーに付いて行くと、左手に鹿島玉川神社〔源経基が931~937(承平年間)年に常陸国鹿島神宮を勧請して創建。長淵村の鎮守社。鹿島 社と か、鹿島大明神と称した。玉川明神は、明暦のころ、玉川上水の清浄を祈願したのが始めといわれている〕へ。境内社殿前に巨大な神石がありました。参拝して一回り。
その後、直進すると車の整備工場がありました。天祖神社への道を尋ね、さらに道なりに直進。タオル専門メーカーのホットマン本社が右手にあり、間もなく都道31号線に出ます。都道を渡って右に進んで、左側の看板を発見。
長淵天祖神社〔創建年代等は不詳ながら、神明大神宮と称して鎮守社 で、1661~72(寛文年間)年、社殿を造営。1876(明治9)年天祖神社と改称〕へ。長く急な石段(228段)で、汗が噴き出て来ましたが上り、社殿に参拝してすぐに下りました。
続いて、武蔵野の雑木林がある道路沿いを進むと、カタクリ群生地へ。4月が見頃なので終わっていたはずですが、数輪、紫の花が見えました。
道傍には稲荷神社が2ヵ所ありました。人通りが少なく、涼しくて森林浴ができました。コース手前の道を曲がってしまいましたが、「手打ちうどん草庵」を見つけ無事にコースへ。コース上に標識が無いので一人では間違えやすく、グループで良かったです。
天祖神社からは1.5kmぐらいかかって、左側に地蔵菩薩がありました。再び、バス停がある吉野街道に出て、次の信号「かんぽの宿」の看板があって、斜めに入ります。
7階が展望風呂になっている「かんぽの宿 青梅」玄関前へ。 駅からは徒歩約15分の至便さ。帰り客に教えてあげました。入館して玄関フロアと土産コーナーを見学。ハトちゃんは、夏・冬利用しているので、この辺はお庭。駐車場横の急な階段を下ると、青梅市立郷土博物館へ。醤油の大樽あり。
その後、古民家の旧宮崎家住宅は外観のみ。みんなで記念撮影。
※旧宮崎家住宅 〔19世紀初頭、江戸末期のものと推定される農家で、市内北部の山あいに残った住宅を移築したもので、囲炉裏と広間が一体になった広間形と呼ばれる造りが特徴〕、郷土博物館〔市民から寄贈された機織り機などの民具を中心に、地元で出土した縄文土器・土師土器も数多く展示。貴重な古文書・考古学資料も充実〕 。
多摩川にかかる鮎美橋へ。橋の左後方に「かんぽの宿」7階建の建物が望めます。釜の淵公園(川の淵が釜の形をし ているところから由来)は、夏の川遊びの賑わいが嘘のように閑散。明日から鮎釣りが解禁。 橋を渡り、駅近道を通って、青梅街道へ。青梅市立美術館はカット。潰れた喜楽屋旅館(名前が災いしたのでしょうか?)前で雨宿りしながら、来月の駅ハイ日時と場所を決定。
先輩たちは、青梅駅を過ぎて、河辺駅のゴールまで完歩しましたが、小生は歯痛のため、青梅駅から帰ることに。駅前でお別れ。
青梅は駅構内とロータリーに、映画全盛期の看板。市内には赤塚不二夫シネマチックロードや古き良き昭和の時代を意識した街づくり がレトロな雰囲気を醸し出 しています。マンホールのデザインは梅とウグイス。
駅に着いて、構内ではサユリストのハトちゃんが好きな「寒い朝♪」が流れていました。
新緑に映える多摩川、数多くの寺社を巡り、楽しいウォークでした。距離は青梅(大目?)に見て10km以上あったように感じました。
〔青梅駅から河辺駅までのコースは、兼子隊長の文を掲載させていただきました〕
ハトちゃんと青梅駅で別れ、3人で都道28号線を河辺駅北口へ。通りには赤塚不二夫会館や昭和レトロ商品博物館などが並び、七人の侍などの名画の看板も。中にはパロディーな看板もあるので、昭和の雰囲気を楽しみながら、しばらく真っ直ぐ歩く。
その後、28号線東青梅5丁目北の交差点を右折し、西多摩保健所の先の青梅街道を渡って、線路沿いを河辺駅へ。
青梅駅からは約40分。
今日の温泉はちょうど北口駅前にあり、ランチはそこで摂ることで、早速、青梅中央図書館上階にある天空の温泉「梅の湯」へ。駅ハイ割引で、750円也。
歩数は約22,000歩、行動時間は約3時間15分でした。お土産なし。3人とも西国分寺駅までは一緒でした。お疲れ様でした。
〔本日の俳句〕
バカボンが 青梅の街行く 初夏なのだ (ばかぼんが おうめのまちゆく しょかなのだ)
多摩川や 解禁前の 鮎楽し (たまがわや かいきんまえの あゆたのし)