冬晴れの1月26日(木)、オジン隊は駅ハイいつでもコース「川越(小江戸)七福神めぐり(約10km)」に行って来ました。
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コースは;JR川越駅 妙善寺天然寺喜多院成田山川越別院川越市立美術館・博物館氷川神社蔵造りの町並み蓮馨寺菓子屋横丁見立寺妙昌寺小江戸蔵里JR川越駅
川越の街は、50数棟の
土蔵造りの旧商家が軒を連ねる風景は
小江戸の名にふさわしく、「
時の鐘」を含めて、貴重な文化財が多数保存されています。都心から複数の路線で行ける便利さから年間600万人の観光客が来訪、平日でも観光客が多く、名産の「芋せんべい」は特産品。
オジン隊としては2年ぶり2回目(前回2015年1月30日:積雪)。小生はキャンセルしましたが、先輩たちは雪にもめげず、頑張って歩きました。早くも隊長から「ハトは勇気(雪)がなかったから不参加」というダジャレが。
JR「川越」駅集合は9時半。全員揃って新年の挨拶後、和気藹々と話しながらスタート。
まずは、七福神めぐり最初のポイント妙善寺をめざします。駅2階のペデストリアンデッキを下りて右折。
旧川越街道沿いを歩いて行き、駐車場脇を左に入ると妙善寺(毘沙門天)〔天台宗;開山尊能が1624(寛永元)年創建、1978(昭和53)年再建〕へ。本堂は一段高く
なった場所にあって、七福神めぐりのグループが写真撮影。
次いで、オジン隊はコースどおりに進んで県道川越・坂戸・下呂山線を横断。仙波小学校前を通り、4つ目の角を右折します。先ほどのグループはショートカットした模様。道路前方に墓地と寺らしき建物が見えて来ます。入口はぐるっと回り道して、大型トラックが通行する国道16号線に出て寺の前へ。
天然寺(寿老人)〔1554(天文23)年、栄海上人によって創建〕。境内には、
願掛観音
様、六地蔵尊があります。武蔵国十三仏霊場にもなっています。
その後、いったん国道16号線から矢印にしたがい左に入り、細い道路に入って、何度もジグザクになっている道を進みます。矢印が無いところもあり、初めてだと間違えやすいのですが、幸い、4人いたのでコースどおりにクリア。
「喜多院入口」の案内表示がある十字路に出てホッと一安心。
横断して、喜多院へは一直線。左手に、都内と比較すると倍ぐらい広い校庭の川越第一中学校(県下はサッカーが盛ん。大宮、浦和など)を過ぎて、小生の案内で中院、仙波東照宮〔日本三大東照宮の一つ〕に立ち寄りました。
中院〔正式には天台宗
別格本山中院といい、古くは星野山無量寿寺仏地院と呼ばれ、鎌倉時代の終わり頃、無量寿寺から分かれたとされる天台宗の寺で、喜多院に天海僧正が来往するまではこの地の中心的な寺院であったといわれている。島崎藤村ゆかりの寺院として知られている〕へ。
円仁が京都より茶を伝え境内で茶の栽培を始めた。その後、川越藩領の狭山丘陵で茶の栽培が広まった。狭山茶は元は「河越茶」といった。30年ほど前までは境内に茶畑が残っていた。
- 日蓮聖人伝法灌頂之寺の碑
本殿、鐘楼、庭園など閑静な境内の佇まいが趣きのある寺院で、小生は川越へ来ると立ち寄るところ。
続いて仙波東照宮〔日本三大東照宮の一つ。1616(元和2)年、駿府で徳川家康公が没し、その遺骸を静岡から日光山へ移葬する途中、天海僧正によって喜多院で4日間の法要
が営まれたことから、1633(寛永10)年建立された。「寛永の大火」と呼ばれる大火
事でよって、喜多院山門を残し、焼け落ちたが、徳川家光より喜多院復興の命令が下って、まず東照宮の再建が行われ1640(寛永17)年完成〕へ。門に葵の金色紋。
境内奥から、喜多院に通じているのを今回発見。
喜多院(大黒天)の広い境内に入ります。平日にもかかわらず、観光・参拝客の姿を多く見かけました。境内には江戸城ゆかりの建造物に加え、山門・鐘楼門・慈眼堂などが重要文化財に指定された建造物が目白押し。鮮やかな色の多宝塔もあり。川越を代表する寺院として一番有名。
本院は、慈覚大師が830(天長7)年に創建した天台宗の名刹。江戸時代初期、名僧天海大僧正が
住職をつとめた寺として、また
江戸城から移築された3代将軍徳川家光・春日局ゆかりの建物があります。「客殿」と呼ばれる家光誕生の間や、春日局が使用していた「書院」と呼ばれる化粧の間などを移築。また、日本三大羅漢の一つに数えられる五百羅漢〔人間の喜怒哀楽をよくとらえた様々な表情の538体石仏群〕がありましたが、有料だったのでパス。
メンバーがあいまいな知識だったので、境内を案内する女性ボランティアさんに確認。その際、我々を「四人の侍」と呼び、江戸城からの移築と春日局(福)の生い立ちなどを教えてもらい、間違った歴史認識を再確認できました。
侍の話から、「BSフジ放映中「剣客商売」 ・・・前のシリーズで山形勲と加藤剛が親子役のもの。やはり藤田まことの方が役柄に合っている。東映時代劇の悪役だった山形勲の演技は見事だった」 と。
参拝後、表参道の石畳を過ぎて、すぐ隣りの成田山川越別院(恵比寿天)
〔真言宗密教・大本山成
田山新勝寺の別院〕へ。水琴窟は水を流すと良い音が♪
県道川越・日高線に出て斜め右に曲がりコースマップに沿って歩
いて行き、郭町浄水場先の三芳野神社へ。参道は長くて境内も広いが、だいぶ寂れた感じで、本宮は奥まったところに。「合格祈願」の赤い幟が目立ちます。
間もなく、川越城本丸御殿〔1848(嘉永元)年、藩主松
平斉典が造営した
もので、武家風の落ち着
いた造り〕へ。江戸時代17万石を誇った川越城唯一の遺構が印象的。
道路を挟んで向かいには、川越市立美術館と博物館の立派な建物。駅ハイ
参加者特典で入館割引がありましたが、入館せずに外観のみ。またすぐ横には道灌まんじゅうの店(大きなウサギが店頭に)。氷川神社のみショートカット。
川越市役所に向かって直進。途中、郭(くるわ)町に川越城中ノ門掘跡があり、立ち止まって確認。
市役所前には、弓を持つ太田道灌像が建っています。道灌は室町時代後期の武将。武蔵守護代・扇谷上杉家の家宰。川越城、江戸城を築城。ちなみに、この像が建てられている場所は、元々川越城の大手門があった場所。武将としても学者としても一流。
札の辻に出て、そのまま中央通りを仲町方面へ。間もなく蔵造りの町並みが通りの両側に。ここだけ、タイムスリップしたような感じ。車が渋滞し、観光バスが連なって、人通りも賑やか
になって来ました。蔵作りの町並み(平成11年「重要伝統的建造物保存地区」
、「美しい日本の歴史的風土百選」に選定される)を観ながら、のんびりと飲食をしたり、ウィンドーショッピングを楽しんでいる観光客で溢れていました。メンバーから「車の制限をすれば通りが安全なのに」という意見も。。「道灌(同感)」と。
言葉や容貌から東南アジア系(とくに中国)の人たちが多く来ていました。
川越まつり会館でスタンプラリーの押印。トイレ休憩。2大山車の展示ホールやまつりのスライド上映がありますが本日はパス。
この先の鐘つき通りを入って間もなく、時の鐘〔川越のシンボル・寛永の創建から
4代目で、90年以上も「時」を告げている。1日4回〕へ。残念ながら、来年の3月まで耐震化工事中で上ることはできません。
1本向うの横丁通りへ近道。長喜院横から歩きやすい石
畳の道へ。うなぎ店前の小さな堀には鯉も泳いでいます。
100m先の細い路地を左に入ると、菓子屋横丁があり、駄菓子や軽飲食品、川越名
物の芋煎餅や
羊羹、お土産品が店先に並んでいます。一昨年6月に5棟が火事になりましたが、復興して頑張っています。奥は工事中。
菓子屋横丁の裏手に、見立寺(布袋尊)〔蓮馨寺と同じ浄土宗。大道寺政繁が 1558(永禄元)
年、建立寺と名づけ、一族中の存貞和尚を
小田原伝肇寺より招請して開山し、のち見立寺と改めた〕があって、墓地が目立つ割に本堂は質素でした。口を開いて笑っている布袋尊の石像あり。
そこから、矢印を確認しながらしばらく歩くと、新河岸川近くの妙昌寺(弁財天)〔1375(永和元)年、
日山上人が開創。日蓮宗大
本山池上本門寺の末寺〕へ。ここは矢印があっても一番わかりづらい。先の妙養寺まで行って、道を聞きたどり着きました。結構、見立寺とは離れていて、一般の家の間にあって目だたない場所。赤い七福神の幟が無いと通り過ごしてしまいます。
動物の供養霊園が併設されています。昨年までは出入口が閉まっていましたが、今回は開いていてマップどおり。
つぎに、最後の七福神めぐりをめざします。県道川越・日高線と中央通りが交差する連馨町の蓮馨寺(福禄寿神)〔浄土宗;大道寺駿河守正繁候が母堂のために1
594(天文18)年建立〕へ。毎月8日は呑龍デーで縁日やフリーマーケットが開かれます。
本堂前の呑龍さま(病の箇所を触って、頭を撫でると治癒すると書かれている)に、メンバーそれぞれ気になる病気の治癒をお願いしました。
帰りは、ゴールが「川越」駅となっていてクレアモールを通って一直線。先輩たちは2年前に入った大衆演劇が観られる天然温泉へ寄ることに。
昼食がまだだったので、メンバーは小江戸蔵里(観光物産館、食事・休憩処など)敷地内にある八州亭で食事(来月の駅ハイ日時と雑談)。健康に関する話題で肺炎予防接種の必要性ほか。
その後、川越湯遊ランド前で解散。
一人、クレアモールをJR川越駅へと出ました。
埼京・川越線を利用し武蔵浦和駅で武蔵野線に乗り換え。西船橋から中央・総武線で「幕張本郷」駅へと。
今年最初の駅ハイは好天に恵まれ、歴史を再認識した七福神めぐりとなりました。