2014年12月アーカイブ

2014平成26も残すところ、あと2日。

 

28日~29日はハトちゃんの実家へ、の3人で年末の訪問。昨年正月は、習志野の家に引っ 越して以来初めて母が来ましたが、今年は実家の雨漏りが広がって、屋根の交換工事が正月明け早々にあることなどから、近くの弟の家でお正月を過ごすことに...。

満90歳になった母は、ほとんどボケることもなく、みんなで楽しい会話や飲食をして、ゆっくり年末の2日間を過ごして来ました。帰宅後は、29の日)ということで、焼肉が半額なので先月に続いて、たらふく食べてスタミナをつけて、大満足。

 

ところで、この1年を振り返って、政治、経済、社会面では大きなニュース(衆議院議員総選挙、消費税導入、円安、雇用不安、広島の土砂災害・白馬地震、御嶽山の噴火などの大悲惨事故)がありましたが、小生の「5大ニュース」をまとめてみると、

 

第5位

が新春に、小生の自宅へ、車イスを利用して送迎し、26年ぶりに来宅したこと。その後、自信をつDSC02635.JPGけて、11月には週2回行っているデイサービスの秋の旅行に、介護者付きで鬼怒川温泉へ1泊2日のバス旅行に行って、宿泊できたこと(参加者で最高齢)。観光地で紅葉を観たり娯楽施設で楽しんだこと。

 

 

第4位

息子が大学を卒業し薬剤師として就職。社会人としてのスタートを切ったこと。

また、2年前に栄養士として就職したが、ブラック企業と思われる会社(契約社員で、低賃金・長時間労働、上司の時間外カットや厳しい人間関係など)を辞めて、ハローワークの紹介から、市内の小学校の給食サービスの会社に正職員として採用され転職。元気に働いていること。

 

第3位

8月4日~6日まで、千葉健生病院健康友の会代表で、原水禁世界大会広島)へ。全体集会・分 DSC08558.JPG科会・学習を通じて、あらためて原爆、核問題を再考して、その恐ろしさ、悲惨さ、連帯の必要性、平和運動の広がりを痛感したこと。

並行して、平和学習会原爆展署名活動の継続、その他友の会活動への自分のできる範囲で積極的にボランティア活動を続けていること。

 

第2位DSC05313.JPG

3月~4月末にかけて、23年ぶりに、家の外装(石壁の補修、屋根のペンキ塗替えなど)を大規模に修復工事したこと。

 

第1位

健康面で、今年も大病はせずに、健康のために、ウォーキング駅ハイ(平均週2、3回)を中心に、オジン隊(毎月1回)、サークル(月1回)など)をそれぞれ7~10km歩いたこと(写真は年末の 141221 (57).JPG小田DSC02669.JPG原城)。また筋トレ1時間も月10~15回を継続したこと。

 

 

 

補足

手前味噌になりますが、「ハトちゃんのブラ~りカレンダー」を2日に1回のペースで、月15本クリアーできたこと(ネタが無いときは、一苦労?)。愛読者の皆様のお蔭で、ヤフー&グーグルで「ハトちゃん」検索でトップになっていること。

 

ハトちゃんのブラ〜リカレンダー - U-boat

uboatdata.sakura.ne.jp/hatochan/ - キャッシュ

ハトちゃんは、12月26日(金)夜は、肌寒い中、18時から千葉健生病院健康友の会大 会議室で、平和学習会に出席。今年最後の集まり。前年の原水禁世界大会以降、原則 として2ヵ月に1回、学習会を開催しています。 今回は、「原発」と「原爆」について、今夏、  ...

Amazon.co.jp ひねもすハトちゃん (ウィングス・コミックス・デラックス ...

 

プレッシャーも少しありますが、これからもピッタリはまった写真、楽しい雰囲気が伝わる文章を書くように努力いたします。

来年もご愛読やご批判を、どうぞよろしくお願いいたします。

 

今年最後のブログは、(うま)くなかったですが、来年はひつじ(必死)に書きますので、また読んでくださいネ!

 

 

ハトちゃんは、12月26日(金)夜は、肌寒い中、18時から千葉健生病院健康友の会大会議室で、平和学習会に出席。今年最後の集まり。前年の原水禁世界大会以降、原則として2ヵ月に1回、学習会を開催しています。

今回は、「原発」と「原爆」について、今夏、世界大会広島に一緒 141226 (43).JPGに代表で参加した新人職員女性二人によるレポート発表会。病院以外に、民医連事務局(2013長崎での事務局代表)からプライベートで1名出席いただきました。それぞれ20分の持ち時間で、パワーポイントによる発表。

ちょっと残念だったのは、スクリーンの画像がいささか機械の調子が悪くて不鮮明でした。 

 

〔発表の要旨〕

1.原発再稼動問題

2011.3.11 東日本大震災による福島原発事故は、安全神話が崩れて、多大な被害をもたらした。放射能汚染によって、自宅に戻れない避難民が未だに多数いるにもかかわらず、川内原発をはじめとする原発再稼動が推進されようとしている。被災者への補償も十分でない状態。

原発賛成派は、①代替エネルギー(たとえば石油)のコスト高や経済の停滞を少なくできる②原子力規制委員会による厳しい安全基準をクリアーすれば、安全である

反対派は、①現在、原発が一つも稼動しなくても電力は供給できている ②福島の事故で証明されたが、いったん事故が起これば放射能汚染で予測できない費用がかかり、かえってコストがかかる ③地球環境に優しく、人体にも安全な自然エネルギーの割合を高めるべき。

141226 (44).JPGそこで、太陽光発電を例にとると

設置費用 1件あたり約260万円、800万件の家がソーラーを取り付ければ年間総電力量をまかなえる。

最近、原発に代わるエネルギーの割合が増えて来ている。大型風力計の設置なども自治体では進んでいる。

結論としては、

①原発稼働時の高レベル放射性最終廃棄物処理が不明のまま ②次の世代や未来にわたり、安全に生活できるものを残す使命がある ③万が一、事故があっても、危険な放射能汚染、長い年数や人体への影響が続く事故にはならない

以上のことから再稼動は不要である。

 

2.原爆

原子爆弾の理論と構造(核分裂反応と爆弾の巨大なエネルギーを放出する)

原子核を構成する核子は核力によって互いに強く引力を受ける一方、原子核 141226 (45).JPG中の陽子は電磁力により極めて強い斥力を受ける。原子番号の大きな原子核では、電磁気力が打ち勝ち、ひとたび分裂すれば核力による引力はほとんど受けず、電磁気による斥力で極めて高いエネルギーを発する。

具体的な現象としては中性子を吸収させて核子の数のバランスを崩すと原子核が液滴のように二つに分裂する。これを原子核分裂と呼び、この核分裂によって、分裂前後の核子の結合エネルギーの差分が外部に放出される。これらは、人工的に作成できるのが問題。

核分裂の際には通常数個の中性子が外部に放出される。そのため、核分裂を起こす物質が隣接して大量に存在する場合には、核分裂で放出された中性子を別の原子核が吸収してさらに分裂する、という反応が連鎖的に起こる。核分裂反応を起こす物質(核種)はいくつか存在するが、原子爆弾にはウラン235またはプルトニウム239が用いられる。巨大なエネルギーと強烈な放射線を放出。

続いて、原爆の被害として①熱線 ②衝撃波 ③放射線など

広島の原子爆弾 (リトルボーイ)と長崎の原子爆弾 (ファットマン)の説明・分析


 

第二次世界大戦の連合国と同盟国の構図、

「太平洋戦争末期になぜアメリカが日本に原爆を投下したのか」を考察

 

141226 (47).JPG①戦争終結を早めるため ②アメリカがソ連より優位にたつためにするため ③原爆が投下されなければ北海道がソ連に占領されていたため

戦後は、米ソの冷戦状態が続き、核保有による「核抑止力」論が出て、現在では核保有国が9カ国で、核保有数も約17,000発、そのうちアメリカとロシアで90%を保有している。


その後、出席者から質問があり、『よく調べてまとめた』という評価の下、5人の理解だけではなく、別の機会を設けるなり、レジメを配布するなどの要望が出されました。また、原水禁世界大会以降の平和活動の重要性と、継続を他の職場にも広げるように、民医連関係者にお願いをしました。

20時から場所を変えて、中華料理店で忘年会。学習会に仕事で出られなかった二人が後から合流。飲食をしながら、ここでも報告者から『資料作りの苦労話と調べることで理解が深まった』と。各人の平和への思いや四方山話で、あっという間に2時間が過ぎました。

リーダーのⅠさんは、退職後も参加し、今後の平和活動と、自分の未来世代への責任を決意表明。

今後も平和学習会をはじめとする活動を続けていくことを確認して、22時過ぎに終了。

酒を飲まなかった小生は、寒い中をチャリンコで帰路に着きました。途 141226 (48).JPG中の住宅街で、イルミネーションのきれいなお宅があり、持っていたデジカメでパチリ。

 

これで、健生病院友の会活動も明日から1月7日まで、年末・年始休暇になりますので、ハトちゃんも病院に病気以外は、行かないと思います。

 

 

 

今年、最後の「ゆうほ(友歩・遊歩)21」 のウォーキングは、習志野市内で12月26日(金)に行われました。9時30分に「京成津田沼」駅前広場に集まったのは神田先生を含めた15名。年末ということで、久しぶりの顔の方々にも対面できました。

天気は晴れですが、風が強くもあり、場所によって微風で、まぁウォーク日和。先生が『晴れているので富士山を観に行こう』と話されたので、大半のメンバーは、茜浜へ出て、東京湾からの眺望を思い浮かべました。

先生が今年1年の総括を話された後に、会長の小生から次回のウォーク後の新年会(昼食会)の確認をしてスタート

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〔コース〕

スタート 京成津田沼駅→鷺沼城址公園→慈眼寺→八劒神社→習志野鷺沼生産緑地→ゴール 京成津田沼駅前JAバンク

 

 

市役所脇の「菊田遊歩道(ハミングロード)」に入り、先生の先導で、 141226 (0).JPG 遊歩道を進みます。枯葉がずいぶん足元に落ちていて、冬模様。

 

最初のポイント「鷺沼城址公園」の入口へ。

141226 (2).JPG 141226 (3).JPG階段を登って、公園内へ。4、5人がウォークと散歩を楽しんでいました。平らな高台は閑静な雰囲気。トイレ休憩後、先生の説明を聞きながら、「鷺沼古墳」などを見学。園内には、埴輪や2基の前方後円墳があり、縄文時代の文化に触れ合うことができます。

 

また、戦国期には国府台で北条氏康と里見氏が合戦を行った際に「鷺沼源太満義」が参戦した「鷺沼源太満義諸武士之碑 」と刻まれた大きな石碑があります。

古墳跡には、発掘された石棺の上に建築された覆い屋がありますが、外装 141226 (10).JPGは新しそうに見えます。

公園内は、舗装されている周回道路ができていて、1周290mの看141226 (8).JPG板。 歴史公園と遊戯施設が混在しています。

 

さらに先生の案内で、落ち葉の絨毯を敷き詰めた感じの雑木林 141226 (5).JPGの中に、大人はかがまないと通れない木製鳥居 141226 (6).JPGの奥には小さな祠がありました。通称「源太塚」と呼ばれています。

レプリカの埴輪が立っていますが、後ろから見ると「小便小僧」のように見えたので、一同苦笑。歴史を笑いに伏すとは、大変、失礼をしました。

ひととおり散策して園外へ~。

 

陸橋を渡ったところに「ナンキンハゼ」の白い実がなっているのを女 141226 (15).JPG 141226 (14).JPG性メンバーが発見。その場で名前を言える人は、残念ながらいませんでした。

 

茜浜への道に出たので、メンバーは『やっぱり、これから茜浜だ』と思っていましたが、細い道に入って「鷺沼こどもセンター(2013年10月閉鎖)」横を通って、さらに民家の間の細い路地を歩いて行くと、お寺やお墓が通りに隣接している場所へ出ます。  『ちょっと、目的地が違うかな?』と。

 

慈眼寺」(習志野七福神の大黒天が祀られている)の境内へ。「大イチョウ」は枯れて撤去されてい 141226 (19).JPG 141226 (17).JPGました。その後、さらに細い道を奥に歩いて行くと、急坂の登りになっています。

 

 

その坂を登りきったところの「八劒(やつるぎ)神社」に到着。本殿扉は赤色で閉められたまま。141226 (22).JPG 141226 (21).JPG

習志野名木百選の「スタジイ(ぶな科)」の大木と、神社の裏手 からまわって、神社の本殿に彫られた彫刻(昇り竜と降り竜)―貴重な文化財を拝観。 見逃してしまうほどの小さな神社ですが、趣きがあります。

 

神社を出て、今度は、右手眼下に車の往来が激しい国道14号線(千葉街道)を見ながら、細い道路を進むと、進行方向左手の周りは広く続く畑地帯習志野鷺沼生産緑地〕。

ちょうど、前方から別のウォーキンググループが。神田先生とわれわれメンバーを見て、『毎月火、金に活動している「ゆうほ21」ですよね。ブログを見ています』 と、男性の一人が。

メンバーもサークル名を言われてビックリしましたが、「ハトちゃんのぶら~りカレンダー」の読者に会えた小生は感激。励ましの言葉になりました。

 

その途中の畑の真ん中に、「山縣飛行士殉空の碑(飛行機が落ちた場所)がありますが今回はパス。

 

141226 (32).JPG 141226 (30).JPG代わりに、高台から青い空にくっきりと観える富士山(白い頭だけ)と、東京スカイツリーが観れました。

その後は、幕張インターチェンジが眼下に見えて、4年前に相撲賭博事件で話題になった「阿武松(おうのまつ)部屋」手前を左折し 141226 (29).JPGて、畑地帯の農 141226 (34).JPG道を延々と進みます。

にんじんやキャベツ、白菜といった野菜が広範に作られていました。高台の上は、障害物がないため、かなりの風が吹いていて、体感温度も低く、頬に伝わる冷たさが寒く感じられます。

 

『この先、帰りの最寄り駅はどこになるのだろう?』と、みんなであれこれ予想しながら、先生につい 141226 (37).JPG 141226 (38).JPGて行きました。結局、「習志野市内ウォーキングコース」の田園風景コースに沿って、畑の真ん中を通って、市役所通りに出て、坂を上って鷺沼小学校~市役所庁舎などを経て、京成津田沼駅に向かいました。

 

 

ゴールは、駅手前のJAバンクの前で、全員が年末の挨拶をして解散。 141226 (42).JPG 141226 (41).JPG

本日は、通常コースでは7kmでしたが、思った以上に距離が短い感じでゴールが11時15分と、いつもより10分以上早め。

 

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2015年1月13日(火)は、「柴又七福神めぐり」が最初のウォークとなります。それまで、風邪など引かないように健康管理をして、また楽しい発見のウォークができればと考えています。

 

 

 

爆弾低気圧の影響で雨や強風が続いた3日間が明けた、12/19(金)、快晴で穏やかな日和。オジン隊駅ハイで富岡製糸場見学&城山散策

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〔コース〕

上州富岡駅→スタート お富ちゃん家→富岡製糸場→富岡街なか→城山→ゴール お富ちゃん家→上州富岡駅

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今回の駅ハイは、現在でも、ほぼ創業(操業)当初の頃のままの状態で保存されて、明治政府の官営工場でほぼ完全な形で残っている日本で最初の本格的製糸工場 "富岡"

「富岡製糸場」というと、 日本初の本格的な器械製糸工場で、日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献し、敷地全体が国指定の史跡、初期の建造物群が国宝に指定されている。1872(明治5)年の開業当時の繰糸所、繭倉庫などが現存して 141219 (68).JPGいる。また、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として、今年6月21日に世界文化遺産に登録された。

創業以降、官営三井家原合名会社、最終的には、片倉工業によって経営された。しかし、社会情勢の変化などで、生産量は減少し、1987(昭和62)年に操業を停止。

片倉工業は、操業停止後も建物の維持と管理に専念し、固定資産税だけで、年間2千万円、その他維持管理費用と含めると、年間1億円以上かかったこともあるそうです。こうした取り組みがあったからこそ、創業当時の建物が良好に保存され、世界遺産として認められるまでになった。


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小生は最寄りのJR「幕張本郷」駅から上信電鉄の「上州富岡」駅まで、各駅停車に揺られて片道3時間半、往復7時間の長旅。昨年の12月に世界遺産登録前に行って以来、2度目。

上野(7:23発)から普通電車を利用して、高崎へ。大学の先輩たちは、新幹線を利用。駅では、 いっ 141219 (74).JPGたん改札口を出て、0番線を上野方面に少し戻ると、上信電鉄の改札口。先輩たちが、富岡製糸場の入場券と往復切符の割安セットを買って、待っていてくれました。無人駅がかなりあります。2両編成のワンマン電車に乗ると、無人駅では先頭車両の横のドアだけが開閉し、運転手が切符を回収して、乗降の確認。

 

35分ほど乗ると、駐車場が見えて、多くの車が駐車しています。「上州富岡」駅へ(9:58)。駅ハイウォーカーや観光客が20数人降りました。

141219 (57).JPG 141219 (56).JPG新装された駅構内を抜けて、富岡の街へ。年末の衆議院議員選挙や前職場での最近亡くなられた故人のお葬式や昔話に花が咲きます。

 

早速、駅前に乾繭倉庫跡。1号~3号倉庫があり、乾燥場まで残されています。
1号倉庫はレンガ造りで明治時代に結成された組合製糸「甘楽社」の倉庫として建てられた赤レンガでイギリス積みが特徴。石積みの2号倉庫は大正時代に造られたもので、大谷石を使用。3号倉庫は土蔵。倉庫跡は、現在「おかって市場」として使われています。



駅前通りを直進し国道256号線に出ます。右折して、手前に、商工会館の建物。

横断歩道を渡って宮本町通りを直進し、徒歩5分ぐらいの左手に 、「 141219 (1).JPGまちなか観光物産館お富ちゃん家)」―「お富ちゃん」は富岡市のイメージキャラクターで、館内はインフォメーションセンターになっていて、地元の物産やシルク製品、お土産品を販売―ちなみに、故 春日八郎の「♪お富さん」とは関係ありません。古~い(笑)。

受付でマップと資料等をもらってスタート。 

 

141219 (70).JPG前方に「仲町まちなか交流館」があり、城町通りを右に曲がります。舗装道路に製糸場 までの矢印と距離が250mと表記されていて、徒歩5分の至近距離。間もなく、ハトちゃんは手袋が無いのに気づいて、一人「お富ちゃん家」へ戻ることに。係員に聞くも見当たらず。あわてて、3人を追いかけて、製糸場入口で合流。

 

 

141219 (29).JPG CIMG0053.JPG通りの突き当たりに、赤レンガの東繭倉庫の建物が見えて来ます。

 

 

往時の検査人館が事務所で、入場受付。出入口には団体が入場待ちしていました。案内チラシをも 141219 (22).JPGらい、早速、入場。出入口右手に、行啓記念碑な 141219 (14).JPGどが建っています。

 

30分間隔で、観光ガイドさんが、ガイドツアーをやっています。

順路に沿って、

 

東繭倉庫1階が見学できるようになっていて、向かって右手にガイダンス展示売店富岡製糸場 141219 (4).JPG 141219 (5).JPGの歴史―1872(明治5)年、明治政府により官営工場として近代国家への礎石として建設され、当時世界最大規模を誇っていた―を写真・パネルで紹介。フランス式繰糸器(復元機)の展示、座繰り実演・体験も休日に行われています。

館内は少し照明がほの暗い感じだったのが、かえって雰囲気がありました。

 

東繭倉庫の外観は長さ100mを越える赤レンガが見事 な「木骨煉瓦造」で、木材の骨組みの間に 141219 (20).JPG 141219 (19).JPG煉瓦を積み上げています。

倉庫の2階に乾燥させたを貯蔵していたそうです。

通風の用途から窓が多くなっています。ときおり、団体客の後に付いて、ガイドさんの説明を聞きながらゆっくり見学。 

 

途中、原発再稼動が話題になって、現在、各地で太陽光パネルがだいぶ増えて来ていて、遠藤副長宅で採用しているとのこと。会計上、太陽光ソーラーでの発電はすべて東電に売却して、電力使用はすべて東電から配電されたもの。昼間に停電した場合、ソーラーが発電していれば1時間のみ使用可能とのこと。なお、20年で償還できるそうです。

  

その後、順路に沿って、「検査人館」(フランス人検査官の住居で、2階には、貴 賓室があります)が、現在は立入禁止中。 

操糸場」(入口から、ビデオ上映のある地点まで見学できて、両脇に自動繰糸機(昭和40年代以降に設置された)がずらりと並んでいて圧巻。大部分 141219 (8).JPG CIMG0045.JPGはカバーがかけられていますが、一部カバーが外されていて機械を直に観れます。足を止めて見学。場内にガイドさんがいて、説明を聞くことができます。

小屋組は「トラス構造」という建築工法で、内部は柱がない広いスペースと採光用の多くの窓、蒸気を抜く越屋根など。

 

操業時の「繰糸場」は、300釜の繰糸機が稼動したともいわれ、操業停止まで115年間もの間、休むことなく活躍し続けたそうです。

当時の繰糸場の様子や、女性の顔写真が。「横田(和田)という人で、身分も高く、後に故郷で指導者となり、また富岡に戻り、『富岡日記』で当時の工女の日常を描いた」 そうです。

 

恥ずかしい話ですが、昨年製糸場に来るまでは、『女工哀史』のイメージとダブっていて、初来場して、富岡の工女の活躍が、絹産業ひいては日本の近代化に大きく貢献したということを理解できました。

 

女工館」(日本人工女に技術を教えるためのフランス人女性教師の住居)外観のみ。  

「女工館」の脇には「診療所」の建物。

 

続いて、「ブリュナ館」―床下に煉瓦造りの地下室が現在でも残っていて、高床式で回廊風のベラン 141219 (13).JPGダが付いています。フランス人指導者ポール・ブリュナ
の住居〔桟瓦葺きの寄棟屋根をもつ建坪320坪の大豪邸。給料は現在の価値に換算して年収5千万円以上(大臣と同程度)の高給〕でしたが、後に、寄宿舎や工女の夜学校として利用されました。

 

 

「ブリュナ館」の奥に、寄宿舎が3棟観えました。また左手の 141219 (17).JPG 141219 (15).JPG鉄網の下を眺めると、(かぶら)のゆったりした流れも。

 

 

 最後に、「西繭倉庫」(外観のみ)は、「東繭倉庫」の構造・ 141219 (28).JPG大きさと同じ。東西の倉庫の間に、高い煙突のある「乾燥場、蒸気釜所」がありました 141219 (25).JPGが、現在修復のため解体中でシートが張られていて、立入禁止。

その前が広い庭になっていました。手前右手 141219 (65).JPGのトイレ、自販機横にガイドツアー(40分)の集合 141219 (67).JPG場所があります。

 

帰りは、街なかを見学することに。すると、製糸場近くに、何と、峠の釜飯で有名な「おぎのや」支店や絹にちなんだ菓子 141219 (31).JPG 141219 (63).JPGの老舗、地酒の銘酒販売店などが並んでいて、飲食店、土産店があちこちにあります。街なかは狭いので、すぐひとまわりできます。

 

通りには「世界遺産」の幟があちこちに掲げられ、観光物産館・交流館も宮本町や 銀座通りにもあって、観光に力を入れています。

その後、「お富ちゃん家」まで戻って、ゴール受付を済ませました。

兼子隊長から 『製糸場だけだと、ウォークではなくて観光になってしまう。天気も良いのと、コース設定があるので城山へ向かう』提案に全員賛成。

  

コースマップを見ながら、城山へ。 

 

宮本町を駅方面に戻ると、国道との交差点、商工会館隣りに諏訪神社の赤 141219 (33).JPG鳥居。公園小沢通りを進むと富岡市役所。「祝 世界文化遺産」の幕が垂れ下がっていました。踏切を渡って、マップどおりにに進みます。

マップの裏面に城山への写真と道順が書かれているだけなので、距離感がつかめません。 国道254号線富岡バイパス小沢交差点を横断して、高田川(141219 (36).JPGが堰き止められていて、川面が高くなっている場所も)に架かる橋を渡って右側の道に入ります。

 

 

しばらく歩き葬儀場を過ぎて、公園駐車場内の山道を上ります。 141219 (39).JPG 141219 (38).JPG

やっと、駅ハイらしくなって来ました。急な角度の傾 141219 (37).JPG斜を、くねくねと折り返しながら、上って行きます。

まむし注意!」の看板あり。

 

 


141219 (40).JPG間もなく、眼下に富岡のまちが観えて来ました。もうひと踏ん張り歩くと、平らな展望台へ。

 

案内板があって、その向こう側に富岡の街なみと、 市の南側に位置する山々や CIMG0057.JPG妙義山などを眺望 できます。反対側にも至 141219 (50).JPG 141219 (44).JPG仏山の雪化粧が観えました。市街地の中にある富岡製糸場上州富岡駅を発見。ここで、しばしの展望と休憩。青空に映える見晴らしは、360度ほぼ展望がきいて、気分爽快。上って来た甲斐がありました。


 

山麓からの標高差は約100m弱もないかもしれません...。一応、車が通れる道もありますが、軽トラ専用...とまでは言いませんが、かなり狭い急坂道。

141219 (55).JPG山?(低過ぎる)を下りて、行きに見つけた、とんかつ「かつ庄」へ。昼食のため入店。中は混んでいました。

やっと一息して生ビールで乾杯。今年1年も無事に終わって感想を。ランチのかつはおいしくて、ご飯とキャベツもお代わり自由。値段もリーズナブルでgood。

新春の吉祥寺駅ハイ(1/9)と、川越駅ハイ(1/30)を決めました。

 

ゆっくり談笑してしまい、急いで駅へと向かいました。

 

上州富岡駅で、兼子隊長山根副長が、お土産に富岡のカイコ(虫)の形をしたチョコレートを探しに行っている間、遠藤副長と待っていたハトちゃんは、

『もしや、行きの車内で手袋を忘れたかも?』 と思い、駅員さんに尋ねると、下り終点の「下仁田」駅へ電話をかけて聞いてくれました。

すると、『手袋があった』ことがわかりました。一瞬、「下仁田駅まで取りに行かねばならない」と思っ 141219.JPGたのですが、何と、次の出発する電車で、「上州富岡」駅へ届けてくれるとのこと。

富岡の銘菓「かいこの王国」を買って戻って来た先輩2人は、出発2分前。事情説明を遠藤副長にお任せして、3人を見送ることに...。

 

次の上り電車到着まで40分あったので、駅前の「あい愛プラザ」へ。 141219 (58).JPG

湯茶(無料)の自動サー ビス機があったので、早速、温かいお茶を飲みました。

141219 (61).JPGその後、街なかを歩いて、本日2回目の富岡製糸場へ。

141219 (64).JPG出入口前は、日差しが逆光になって、建物が暗く写りました。「おぎのや」で釜めしを 買って、ちょっと重かったのですが、夕食用に。

 

10分前に駅に戻って、ホームでワンマンカーの運転手から当駅の駅員さんに手渡し、確認後、その電車で高崎へ向かうことに...幕張本郷駅へは17時45分着。「ローカル」電車ゆえの親切に、感謝!感謝!

 

本日の歩行距離は約8km。ということでしたが、城山散策を入れてもせいぜい7kmぐらいの感じで楽勝ムードでした。

晴天下で ~世界遺産登録の富岡製糸場、街なかと城山を散策~ できて、遠出をした甲斐がありました。

 

12月24日(水)は、駅ハイ「いつでもコース」の各最終日。

今年は、小田原(前ブログ)で歩き納めのつもりが、天気予報が晴れと聞いて心が動いて、何度か行った高崎ぐらいならと、22日(月)に急遽予定しました。

 

しかし、前日、妻の実家(千葉県・小見川)へ行ったのが、悪影響。

車で、義兄、甥、妻とハトちゃんの4人で出発。冬場の農作業は、草取りぐらいしかないと思っていたのが大間違い。

妻の実家の裏山には、以前から竹や杉林があって誰も手を付けなかったので鬱蒼としていました。とくに昨年後半あたりから、義兄が暇を見つけては、十数メートルある竹を切っていました。春には、タケノコを掘って、近所などにも分けましたが、食べ飽きるほど収穫できるほど。

本日は、切ってあった竹を、1回に3、4本ロープに巻きつけて、山の斜面を引きずって下ろし、畑で燃やし炭にして、畑に撒くようにすること。

 

山道の斜面は狭く、人一人が通れるほどで、最後の平地との階段状のところは、下手をすると、竹の後ろの部分が落ちてしまい、竹が転がってしまいます。要領が悪くて、慣れていないので、竹を抱えてしまい、重さが全部上腕にかかってしまいました。

甥っ子は、要領も良くて、まず枯れた竹をそろえて、『てこの原理で、バランスをとって運んでいたので、それほど力が入らなかった』 と言っていました。

 

前置きが長くなってしまいましたが、上腕、足、腰が筋肉痛になってしまい、休養を第一にして、駅ハイは、取り止めました。

 

仕方なく、小田原のブログと、千葉健生病院健康友の会にバザーの品物を届けたついでに、事務局や副会長、「友の会だより」編集部、ボランティアで来ていた方々に、年末の御挨拶を。

 

その後は、妻の親友(女子)に、とれた野菜を届けに行こうとすると、最寄りの「京成大久保」駅前にパトカー、ホームに警察官や鑑識人などがいて、電車を待つ乗客の長蛇の列。アナウンスがあまり無いので、近くの人に聞くと、『すでに1時間も待っている』とのこと。

当駅での人身事故は滅多に無いので、対応が遅く、また時間帯で学生さんが多いためか、あまり急がないようで混乱が生じなかったようです。JRだったら、大変なことになっていて、すぐ振替輸送の手配をするのにと思いました。15時30分過ぎのホームから電車への飛び込みで、ラッシュ時でなかったのが幸い。

ハトちゃんは、幸運にも不通になって初めて動き出した電車に5分ほどの待ちで済んで、「京成船橋」駅構内で、待ち人と会って、引き返しの下り電車も、18分遅れの電車に待たずにポンと乗れて、約30分で戻ることができました。

 

夜は、クリスマスイブでしたが、勤務を早く帰って来たと夕食を。 5ca7b6ee6b5e46813efdf22c2b948741[1].jpg

21時過ぎの息子、はたまた22時半過ぎのと、年末はせわしない仕事で追いまくられているようです。

残念ながら、今年も子どもたちは「ボッチのクリスマス」で、が揚げてくれたチキン、カキフライ、コロッケそれぞれが違う時間に食べて、イブを過ごしました。

 

仕事が忙しくて、なかなか恋愛も間々ならないようですが、若い頃の小生に似て、受身で考えているうちはダメヨ、ダメ、ダメ。そういう自分は、36歳で結婚したので、二人とも、まだ10年くらいは余裕があると考えているのかも...。まだ「おじいちゃん」と呼ばれるのには、抵抗があるので、ちょうど良いのかも。そんなことを言っていると、時が経つ(年を重ねる)のは、思っている以上に早いので、子どもたちにも頑張ってほしいと、内心思っています。

 

 

 

12/21(日)は遠出をして、期間限定コース「新しくなった小田原の街を歩く(約11km)」に参加。 

ハトちゃんは、総武・横須賀線で戸塚で乗り換えの予定でしたが、最寄りの幕張本郷駅で横須賀線の新橋駅での人身事故により、東京駅止まりに変更とのこと。結局、東京駅から東海道本線各駅停車で、小田原駅へ(9:23着)。東京駅から約1時間半。

 

小田原というと、東海道屈指の宿場町で、箱根関所を控え関東の出入口として栄えました。大きな規模を誇り、本陣をはじめ、旅籠や土産物店、食事処が軒を連ねていました。また、戦国時代から五代にわたって関東を治めた北条氏が小田原城を築城し、城下町の礎を築いて発展したまちです。

〔コース〕

スタート 小田原観光案内所→街かど博物館「砂張ギャラリー鳴物館」→御幸の浜→小田原宿なりわい交流館→外郎博物館→小田原文学館→小田原漁港→街かど博物館「寄木ギャラリー」→松永記念館 老欅荘→清閑亭→報徳二宮神社・小田原城址公園→街かど博物館「のれんと味の博物館」→小田原地下街「ハルネ小田原」→ゴール 小田原観光案内所

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駅改札口前には大きな小田原提灯がぶら下がっています。駅前の観光 141221 (1).JPG 案内所で手続きをしてスタート。天候は晴れですが雲が多い。

 

コースマップを見な がら、東口前から進みます。錦通りを通って、出口を左折し、新玉 141221 (8).JPG 141221 (2).JPGの信号を渡って、山田灸針院の横を入って200mほど行って左側に、 街かど博物館「砂張ギャラリー鳴物館」

本日は日曜日で休館のため、外観だけ。

 

 

元来た道を戻って、広い通りを左折して海岸(相模湾)方面へ。「新宿」で 141221 (5).JPG 141221 (3).JPG国道1号線東海道にぶつかります。横断して、唐人町を過ぎて行きます。市街のあちこちに、町の成り立ちを紹介する東海道の石柱が立っています。また、電話ボックスやバス停留所に城風な屋根が。

 

青物町商店街を抜けて、本町の3番目のポイント小田原宿なりわい交 141221 (7).JPG 141221 (11).JPG流館に先に立ち寄って、トイレ休憩。

中にいたおばさんと立ち話。出るときに『頑張ってください』と言われて、横の道を入り直進して海岸へと向かいます。

141221 (10).JPG

相模湾の御幸の浜海岸〔1873(明治6)年、明治天皇と皇后がお出でになって以来、御幸の浜と呼ばれている〕へ。

おばさんが犬を連れて海岸を散歩中。波が大きく打ちつけていました。眺望が良く、伊豆半島や三浦・房総半島まで見渡せますが、本日はいまいち。しばし、たたずんで潮の香を...。雲行きが怪しくなって来て、折り畳み傘を持って来なかったのを後悔。しかし、松永記念館を過ぎたあたりから、雲が切れて、青空が戻って来る変化の激しい天候に...。結局、雨は降らずに助かりました。

 

元来た道を引き返して、国道1号線に出て左折し、間もなく城をミニチュア化した建物が見えて来まし 141221 (12).JPGた。近くに行くと、ういろうを販売している、外郎博物館〔1885(明治18)年の蔵明治十八年築のお蔵を利用した小さな博物館を2005(平成17)年夏に開設。 24代にわたり代々伝統を守り続ける外郎家は、五代目 定治が 当地に移住してから500年。 独特の店構えの理由、「ういろう」の名の由来、お菓子と薬の起源、歌舞伎十八番「外郎売」との 関係などを、小田原で最も古い商家ゆかりの品々を紹介〕へ。

店員に話せば、入館無料で見学できますが、販売しているので、見学だけはちょっと勇気(言う気)が無くて店頭のみ。写真撮影も断られました。

 

続いて、箱根口を左折して道標「小田原文学館」の角を右折すると、桜並 141221 (16).JPG 141221 (18).JPG木が続きます。途中に、141221 (19).JPG田原文学館〔建物は、幕末の志士で、元宮内大臣でもある田中光顕伯爵が別邸。


1937(昭和12)年建築の洋館は、当時の上流階級の間で流行した南欧風の造りで、屋根瓦はスペインから輸入したもの。庭は、洋風庭園で、要所要所には松を、周囲には桜や楓を植えるなど和洋折衷の様相を呈し、四季折々の美しさを堪能できる。1994(平成6)年に改装されて、小田原出身やゆかりの文学者の作品を展示〕へ。

敷地内に、白秋童謡館という建物がありました。北原白秋が小田原に在住していたころに元宮内大臣・田中光顕伯爵が建てた別邸。大正13年に建てられた楼閣風の軽快な衣装が印象的な和風建築です。

 

西湘バイパスを先の早川橋を渡ると、店頭で昼食を勧める、威勢の良いか 141221 (23).JPG 141221 (22).JPGけ声が聞こえて来ます。新鮮な水産物を取り扱う小田原さかなセンターや水産会館。多くの車が、埠頭に駐車しています。高級外車も10数台止まっていて、目を惹きます。

 

魚市場内は、すでに人はまばらで、付近の飲食店には観光客がたくさん。

小田原漁港〔別名「早川港」と呼ばれ、相模湾の沿岸漁業 141221 (25).JPGの中心地で、毎日、水揚げされている〕には、漁船が停泊中。

魚市場前の通りから、川づたいに二級河川の早川を右側に見ながら、新早川橋へと。東海道本線が走る橋の下をくぐります。

左手に、大きな「ひもの体験館(水産物販売店)」の看板が見え 141221 (27).JPGて、その手前に「寄木ギャラリー」の建物が〔露木木工所は、国指定伝統的工芸品の寄木細工を製造販売。ギャラリーで作品を展示〕。本日は休館日で、出入口のシャッターが降りたまま。外観のみ。

 

新早川橋を小田原駅方面に戻って、コースマップに沿って松永記念館へと向かいます。この間、約1.8kmでポイント間の最長距離。

 

途中、とうふ工房(下田豆腐店―出桁造り)の風情ある老舗の建物を確認。その後、小田原用水の先にある松永記念館へ。

案内板を見間違えて、手前の坂を上ってしまい、坂の途中の家で道を教えていただきました。下っ 141221 (30).JPG 141221 (32).JPGて、正面に寺が見えて、ここだと思い境内へ。ここも松永記念館ではなく、結局、境内を出たところで、ガイドのおばさんに案内されて、館内へ(入館無料)。

 

本館は修復工事中。庭園の池の周辺は、灯篭などがあります141221 (35).JPGが、それほどパッ 141221 (33).JPGとしません 。裏手の山への階段を進むと、老欅荘昭和の電力王、松永安左ヱ門が晩年を過ごした居宅があり、大欅(ケヤキ)と、紅葉がマッチしていて、奈良・平安時代の石造物が置かれた庭園は「日本の歴史公園100選」に選出されている〕へ。一見、簡素ながら近代数寄屋造りで趣きがあります。

 

141221 (36).JPG

続いて、細い道と竹林のトンネルを上って行くと、古稀庵〔明治40年、明治の元勲山141221 (37).JPG縣有朋(1838-1922)が作った庭園で、山縣と益田孝は夫人同士が姉妹で、益田が古稀庵の敷地を斡旋。山縣が古稀(70歳)の寿賀を迎え、「古稀庵」と名付け、終の住処とされた〕へ。

 


現在はあいおいニッセイ同和損保保険の所有で、入館できるのが日曜日だけというのを知らずに。本日は開館日でラッキー。

入園料:100円。受付は誰もいません。箱があったので、そこに料金を入れて、パンフレットをいただき、庭へ。
 
庭は、高低差が14.9mあって、滝などを巧み 141221 (44).JPG 141221 (43).JPG 141221 (40).JPGに利用した山水回遊式の庭園となっています。せせらぎが流れていて、見事な紅葉で、園内で撮影した人と一緒に驚嘆の嵐。紅・黄・緑〔苔〕のコントラストを描いていて、飛び石には葉が水に濡れてくっきりと鮮やか。

ここだけ、紅葉が遅れていて別世界。ちょうど見頃で、本当に来て良かったと思いました。

 

今度は、小田原用水〔戦国時代に北条氏が城下町を潤すために施設した日本最古の上水道といわ 141221 (46).JPG 141221 (47).JPGれる。板橋の取水口から早川の水を引いたもので小田原城下を通っ 141221 (48).JPGている。江戸時代も利用され続け、東海道の中央を流れ、家々に生活用水として分水されていた。取水した水は小田原城のお堀に流れ込んでいる〕沿いを歩きます。用水の横には、人家と道路があって、一輪挿しに水仙などが生けてあって、今でも地元住民が力を入れていることを指し示しています。

 

新幹線の高架下を通って、東海道線の高架下をくぐって、早川口へ。

国道に沿って歩いて行くと、コースは左折。正面に赤い鳥居の山角天神社が見えて来ます。神社の左手から瓜生坂(上り)になっていて、小田原城がときおり遠 141221 (52).JPG 141221 (51).JPG方に観えます。旧小田原城内高校前を通って、道なりに曲がったところに、清閑亭〔政治家・黒田長成公爵の別荘として、明治末期から大正初期に建てられた。敷地は、小田原城 三の丸土塁の一角を占め、数寄屋造りの建物と庭園からは相模湾を一望できる〕。

平屋建てと二階建ての屋根がほぼ同じ高さに見えました。

 

その先が、報徳二宮神社小田原城の駐車場になっていて、横から神社の鳥居を二つくぐって本殿 141221 (54).JPG 141221 (55).JPGへ。本殿前にも鳥居があります。二宮尊徳を祀る神社です。先日のテレビで、神社オタク娘が言っていましたが、鳥居や本殿などの建物が多ければ多いほど、神社の格式が高いということを思い出しました。また、鳥居の通り方も教わったとおりに。賽銭は投げずに、静かに賽銭箱へ。

 

厳かに参拝後は、神社横の道より、城本丸(天守閣)へ坂を少し 141221 (59).JPG 141221 (58).JPGだけ上ります。上は、復興された天守閣を含め公園になっていて、天守閣へ上がったり広場で観光したり、くつろいだり、遊園地で遊ぶ人々も...。桜の名所にもなっています。

 

一息入れた後に、常盤木門をくぐって、城跡のイヌマキ、ビャクシン 141221 (61).JPG 141221 (62).JPG 141221 (65).JPGの古木、馬出門土橋を通って赤い学橋のたもとへ。

途中、甲冑を来た大学生にも会いました。高い石垣 141221 (68).JPG 141221 (67).JPGや鉄門の頑強さ、お堀の広さにあらためて小田原城が難攻不落といわれた所以を感じ取りました。

 

続いて、市民会館前に出て左折。街かど博物館「のれんと 141221 (70).JPG味の博物館」といわれている、だるま料理店〔1893(明治26)年創業の料理店の建物は、唐破風入母屋造りで国登録有形文化財に指定されていて、母屋の昔の写真や当時のぶり漁の写真を展示〕へ。

 

街かど博物館云々は、古くからのなりわい(生業)・文化を、今に伝える展示等や体験ができて、小田原の魅力を高めようとすることから、名づけられています。

 

最後に、11月1日にグランドオープンした駅地下街「ハルネ小田原」へ。新しくできた地下街は明るく、各種店舗を見て歩いて行くと、うめまる広場で今年流行った「 141221 (74).JPG 141221 (71).JPG妖怪ウォッチ」体操と歌で盛り上がっていました。その後、ゴール手続きが無いので小田原駅へ。

時間があったので観光案内所で、資料のチラシ類をもらい帰路に着きました(12:55発)。駅出発時に「♪お猿のかごや♪」で~小田原提灯ぶら下げて~のメロディーが流れて来ました。

 

城下町・宿場町として栄えた小田原の歴史散策と自然・文化に触れた盛り沢山のウォークとなりました。

 

 

 

本日は午後から雨の予報。

 

今年の駅ハイも残りわずか。12月20日(土)は、冷え込みは少し緩みましたが、朝方はまだ曇り空で意を決して家を出ました。年末恒例の 「東村山街めぐりと武蔵野緑地7km)」を歩いて来ました。

 

行きは、西船橋から乗換回数が1回のJR武蔵野線を利用。

 

〔コース〕

スタート 秋津神社→豊島屋酒造→徳蔵寺→久米川古戦場跡→八国山緑地→西武園線 西武園駅→ゴール 西武園ゆうえんち→西武多摩湖線 西武遊園地駅

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新秋津 駅に降りて、スタート地点の秋津神社(徒歩約2分) 141220 (3).JPG 141220 (1).JPGへと向かいます。本殿横の境内には、すでにウォーカーの長蛇の列。また、横では高齢者が朝の意体操をやっていました。都内のウォークは参加者が多くて込んでいます。開催者が、9時半のスタートよりも17分ほど繰り上げてくれました。ハトちゃんは9時20分にスタート。コースマップを見ないでも大丈夫なほどの大人数。

 

まず、多くのウォーカーの後に続いて、武蔵野線線路を左眼下に見ながら歩道を連な って歩いて行 141220 (4).JPG 141220 (6).JPGきます。歩道と車道は分かれていますが、車道は車が多くて、バスも通っています。数人のグループが横に並んで話をしながら歩くと、抜くのも一苦労。

 

途中、15分ほど歩くと、2年前のスタート地点だったJR東日本八王子支社総合訓練センターが見えました(9:34)。

 

 

 

志木街道は車の往来が結構多い。志木街道の左側歩道を直進。

141220 (8).JPG前に、秋津町3丁目の歩道橋が見えて来て、ほとんどのウォーカーは歩道橋を上りましたが、小生は昨年も歩いて知っていたので、歩道橋下の信号がちょうど青になり、そのまま横断。 

しばらくして、「世界のヤマザキパン」の大きな看板の141220 (6).JPGマザキパン東村山工があります(9:42)。

工場にさしかかった頃、ポツポツと雨が落ちて来て、小生は運搬車が停まっていた駐車場で、リュックカバーと傘を出してさすことに...。

信号を二つほど越してから、右側の道に入り、東村山第二中の校舎が。

このあたり久米川町の道は道が狭い上、車の往来が多くて、車を避けて立ち止まる場面もありました。無理をせずに、前後左右を確認しながらのウォーク。

突き当りのT字路を右折し、信号を渡ります。

 

 

前方左手に、白壁の蔵と高い煙突が見えて来て、最初のポイント豊島屋酒造〔酒造りで東京 の酒 141220 (12).JPG「金婚」で有名〕へ。敷地内に入ると、昨年までは甘酒の無料サービスが100円の有料に。清酒の試飲や、酒粕を買う列ができていました(9:55)。

ハトちゃんは、酒造の雰囲気と外観を観るだけで先を急ぎました。

 

その後、久米川辻で係員が立っていて、「国宝正福寺地蔵堂への見学コース(約50分遠回り)」と「徳蔵寺へのコース」(コースマップどおり)を案内していました。雨が降っていたのと、ほとんどのウォーカーが後者を選択したので、小生も付いて行きました。

 

昨年と同様に久米川辻を直進すると、西武新宿線の踏切でちょうど上下線 141220 (13).JPGの通過。他のウォーカーと電車が通過するのを待ちました。

 

遮断機が上がって、前方の次のポイント徳蔵寺〔臨済宗大徳寺派の寺で1616年に 壁英禅師が創建。多数の板碑や考古・民俗資料を収集していたことから 141220 (14).JPG 141220 (16).JPGちらかし寺」と呼ばれる〕へ(10:03)。門前で、「たいけんの里案内下宅部遺跡の出土品」ポストカードなどをいただきました。

右手横に、近代的な建物が見えるのは「板碑保存館(国の重要文化財も所蔵)」で本日は無料の案内をしていましたが、寄らずに、境内を進んで本堂を参拝。他にも多宝塔が建っています。

  141220 (18).JPG

コースは寺の裏手を通って、八国山方面へ。寺の周囲には、小さな堀がめぐらされています。

 

寺を半周して、諏訪町で前川、北川を渡り、前方に小高い丘が観えて来ます。 141220 (19).JPG紅葉がまだほんの少し残っていて、山肌は赤く、晩秋から初冬という感じ。

 

八国山のふもと右手住宅地前に、久米川古戦場碑新田 141220 (22).JPG義貞が鎌倉攻 めの際に、小手指原に続いてここ久米川で戦ったという古戦場跡〕の石碑と案内板がありました(10:05)。

落葉が道路端にかなり積もっていました。

 

東京・東村山市と埼玉・所沢市をまたぐ狭山丘陵の東端にある八国山緑地〔標高は 141220 (24).JPG 141220 (25).JPGわずか89.4m。頂きから八国が見渡せ ることから名が付いたといわれる〕の山道に入ります(10:07)。

最初、階段に落葉がいっぱいの道を上って行きます。

落葉の絨毯を踏みしめて歩いて行くので、足元はやわらかく足への負担が少ないのは良いのですが、小雨が落ちて来たりで、傘を差しながらの歩行。

 

雨で落葉が湿っていて地面が濡れて、ところどころ滑りやすい山道も...。

5分ほどの上りで、すぐ平らになり、そのままずーと武蔵野台地の雑木林の中を進みます。傾斜もなだらかで歩きやすい道なので、ピッチを上げて、だいぶ前のウォーカーを抜きました。

 

頂上には、こんもりした新田義貞の将軍塚や碑が残されています(10:10)。 141220 (29).JPG 141220 (27).JPGしばし、鎌倉時代に戦場になっ た場所に思いを馳せながら、今度はゆるやかな下りを進みます。

途中、おおぞら広場ほっこり広場などの案内板がありましたが、横目でチラッと見るのみ。ほとんど林の中は同じような風景。ときどき、残った紅葉を観ることができましたが、気温が低く寒い中、小雨の森林浴を楽しみました。

 

141220 (30).JPG 141220 (32).JPG西武園」駅方面の案内板があり、人家や車の音が聞こえて来て、最後は林から開けた場所に出ます。芝生広場を下ると、八国山の出入口 に(10:32)。

 

そこから、舗装道路へと。横断して道の左側を進んで、「西武園コーンコース横を通り、DSC02476.JPG道路をくぐって、なだらかな坂を上って行くと、右手の大駐車場前方に、西武遊園地の大観覧車が観える地点へ。雨も上がって晴れ間が見えます。

 

141220 (34).JPG大観覧車をときおり観ながら約20分ほどで西武遊園地前の階段を下るとゴール(10:45)。JR駅ハイの缶バッチをもらい、共催の多摩モノレールの押印と西武鉄道のウォークポイント加算をしてもらいました。

 

本日のみ、駅ハイ参加者の特典で、遊園地の入場が無料だったので、入園。

土曜日というのに、悪天候を考慮したのを差し引いても、遊園地 141220 (36).JPG 141220 (35).JPG内の入園者は極端に少なく閑古鳥。ジャイロタワーや観覧車などの一部が稼動しているだけで、ほとんどのアトラクションは休止状態。

トイレで汗をかいた下着を着替え、園内をざっと12分ほど散策。

 

 

園内を観てから、出口を直進。長い階段を下りると「西武遊園 141220 (37).JPG」駅(11:05発;偶然にも昨年と同じ時刻)から西武多摩湖線・新宿線、東京メトロ東西線経由、中央・総武線、京成線で自宅まで約2時間。

 

何とか本降りの雨にはならずに、今年も東村山街めぐりと武蔵野緑地を歩いて、WEBの4ポイントを稼げたのは、遠出をした甲斐があったというもの。

 

駅ハイは、明日か明後日のどちらか天候の良い日に、小田原で今年の締めくくりになります。12月まで(4月~)、結局、152ポイント(昨年比126)で終了。『オジン隊の毎月駅ハイを含め、まずまず、健康で歩けたなぁー』と、ひとり納得しています。

12月16日(火)の習志野市は、17時を過ぎて、冷たい雨だけでなく強風も吹き始めました。

 

衆議院議員選挙も終わってしまい、投票率が52%台と史上最低。与党自公の定数の3分の2以上の圧勝に比べ、野党側は民主党代表の落選ショック、第3極の伸び悩み、日本共産党の躍進といった結果になり、選挙前と与野党の数はほとんど変わらず。年の瀬に、選挙に金をかけた意味があったのか。一番喜んでいる安倍総理の記者会見では、与党だけで決めた集団的自衛権は、さも国民が希望して承認したかのような発言には、開いた口がふさがりませんでした。

 

さて今朝方は、雲が多かったのですが、少し晴れ間が出ていたので、千葉健生病院健康友の会の「友の会だより(月刊広報紙)」のチラシの組み込み作業に出かけました。先週の木曜と昨日に続いて、今月は3度目。ハトちゃんは、最低月3回をお手伝いに当てています。

 

作業の進行状況によって違いますが、毎日、6、7人が余暇を利用して、時間も自由に来て、ボランティアで、仕事はきちんとこなしますが、和気藹々の雰囲気。

 

友の会事務所は、事務局長をはじめ職員の方々が優しくて、アットホームな雰囲気です。小生も、毎月の健診の帰りには、必ず立ち寄って声をかけています。

 

定年後、毎月の中旬の「友の会だより」の作業をはじめ、年3回開催のファミリーウォークの場所選定と当日のガイド、また毎月1回の「花クラブ」の病院及び診療所周辺の除草、剪定、花壇作りなどに参加しています。

その他、囲碁や折り紙などのサークル活動の他、清拭布づくり他、いろいろな活動をたくさんのボランティアが支えて活動を続けています。

助け愛」活動も患者さんや会員さんのニーズに応えて、できる限り、メンバーも少ないのですが、頑張っています。

高齢者や身体が不自由な方々から依頼されて、現在、小生は除草作業を夏場に3、4人でやらせていただいています。

 

先週8日(月)花クラブ活動後に、「助け愛」のメンバー9人が参加して、久しぶりの昼食会を開いて、日頃の状況や苦労話、問題点などについて、話し合いました。

どのサークルや団体も、やる人たちが高齢化とともに固定化されてしまい、負担が大変になって来たことと、後継者の育成と活動できる人の拡大が急務だという認識で一致しました。

 

「いつでも、誰でも」余暇の時間があれば、少しでもできることがありますので、事務局やメンバーに声をかけてください! 交流や活動を通して、社会参加ができて、達成感が生まれますヨ。

 

ハトちゃんは、7日(日)駅ハイ 歴史探訪旅人気分で歩く東海道戸塚宿(約9km)」へ参加。

 

戸塚は、江戸時代、東海道の日本橋から6番目の宿場町 初めてこの地を訪れました。

当日は、9時半のスタートでしたが、いつもの習慣で、9時だと思い込む勘違い。9時にスタート受付に並びました。早くも20人くらいが来ていて、少々待っていると後ろに続々と並んでロータリーの奥まで5列の縦長の列。

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コース

スタート 戸塚駅→妙秀寺→江戸見附→吉田大橋→清源院→高松寺→海蔵院→八坂神社→富塚八幡宮→上方見附→親縁寺→南谷戸の大わらじ→柏尾川→ゴール とつおか結び広場戸塚区総合庁舎

 

今回は、係員が駅前の長蛇の列と寒さを気にしてくれて、15分早くスタート。グループなどで来ているウォーカーはゆっくりなので、早くも女性ウォーカーの後で、7番目くらいに...。

まず、駅の反対側東口へと進んで、前のウォーカーに続いて、柏 141207 (1).JPG尾川に架かる青い鉄製の元吉倉橋を渡ります。川沿いの道(桜並木がある)を進み、日立製作所を右手に見ながら歩くと、正面に妙秀寺〔日蓮宗;桓武平氏の血をひく豊島修理太夫の母の創 141207 (4).JPG建。境内に歌川広重の浮世絵『大橋』にも描かれた道標がある。戸塚宿七福神の弁財天〕へ。法事があり、外観のみ。

 

旧東海道の元町の交差点を右折して間もなく、反対側の松ノ木の前にある江戸方見附の石碑〔東海道 141207 (7).JPG戸塚宿の江戸側の入口にあったもの〕へ。

 

コースは遠回りになるので、道を引き返して、吉田大橋〔歌川広重の東海道五 141207 (9).JPG十三次之内戸塚」に描かれた橋があった場所〕へ。橋の欄干の下に、数枚の該当する浮世絵が描かれていました。

ショートカットしたので先頭へ。後続が見えません。先頭を自分141207 (5).JPGのペースで、一人気持ちよく歩きながら、そこからは、国道1号線旧東海道をひ たすら南下。道路のマンホールは、正月恒例の東京―箱根間大学駅伝のデザイン。

 

 

その後、戸塚駅傍の戸塚大踏切デッキ(道幅が広くて、途中で信号が変わらないか 141207 (11).JPGが心配で、急いで渡りました)を通って、清源院〔浄土宗;徳川家康の側室お万の方が尼となり創建。七福神毘沙門 141207 (13).JPG天〕へ。本堂窓ガラスに大きな葵の紋が描かれていました。

 

 

続いて、バスセンター前を右折し、300m左手に高松寺(臨済宗;開山は1354 141207 (14).JPG 141207 (15).JPG(文和3)年龍甫公禅師による。寺の山頂にある高松塚に開祖の墓がある。七福神大黒天〕へ。境内に撫でて供養する「撫で仏」がありました。参拝後、元来た道を引き返すと、後続のウォーカーとやっと出会いました。

 

東海道に出ると、左折してさらに南下。

途中、戸塚消防署前の右側に、海蔵院〔臨済宗;創建は1363(貞治2)年黄梅院2世による。澤辺本陣初代当主の澤辺信友により中興される。鎌倉円覚寺の末寺。七福神布袋尊〕へ。山門 140105_123142[1].jpg左甚五郎作といわれる見事な竜の彫刻がありました。梵鐘も江戸時代から時の鐘として人々に親しまれたが、昭和40年代から撞かれることはなくなったそうです。

 

 

その後、東海道と鎌倉道の辻に鎮座する八坂神社で、落葉の清掃をしていたおばさ totsuka_yasaka1[1].jpgんに『今日は、何かのイベント?』と聞かれたので、『JRの駅からハイキングで歩いています』と答えると、『頑張ってね』と励まされました。

 

 

戸塚町の信号を過ぎて、大坂下の信号手前右側の富塚八141207 (17).JPG幡宮〔八幡宮のある丘は古墳になっていて、これを富塚といったことから名づけられた。また、戸塚の地名はこの富塚にちなんだものといわれて いる〕に立ち寄った後、信号を渡って、上方見附〔戸塚宿の京側の入口にあっ141207 (18).JPGたもの〕へ。見附の切石に、当時の大名行列の絵が刻まれています。

 

 

またも、元来た道を戻って、戸塚町の信号を今度は右に入ります。入って200m先の右側に、親縁寺〔時宗;1320(元応2)年、呑海が布教の折、戸塚を訪れ、その際真言宗から時宗に改宗された。七福神 141207 (20).JPG福禄寿〕があります。山門下の庚申塔や境内には、哲善地蔵や熊野権現社、地蔵堂、鐘楼 141207 (22).JPG堂などがありました。

このあたりまで、ずっとトップで歩いていましたが、白っぽい服の男性(ハトちゃんよりも高齢な感じ)に、追いつかれて一気に抜かれることに...。歩くペースが違い過ぎるので、追わずに小生は自分のペースで歩きました。それでも、見える距離ぐらいの間隔で付いて行きました。

 

柏尾川に出て川沿いの道を左に進むと、豊田堰橋の前で交通案内の係員が立っていて、道を教えてくれました。橋を渡って、市立栄第二水再生センター脇の細い道を直進。東海道線の下にある、高さが低くて狭いトンネルをくぐって、豊田小学校脇を通って、県道203号線に出て下倉田交番前を渡ると、左前方に南谷戸の象徴、大わらじ・道祖神がぶら下がっていました。

 

141207 (26).JPG 141207 (27).JPG先頭のウォーカーは、ちょっと見ただけで足を止めずに、すぐ柏尾川方面へ引き返しました。何ともったいないことです。ハトちゃんが近くに行くと、係員がちょうどチラシを配るところだったので、その大きさを目測し、チラシを読んで、「わらじ」を飾った意味を理解しました。

道祖神は、道路の辻に石碑を建てて人々が信仰し、何時しか、誰するとなく、わらじを小枝に奉納するようになりました。また、縁結びの神ともいわれ、昔は良縁、愛縁の願いを信仰したとも伝えられています。

 

現在の大わらじは、道中祈願のため、大正初期から作られはじめ、戦後は3年ごとに作り替えているそうです。大きさは、全長3.5m、幅1.5m、重さ200㎏。

本日のポイントの目玉であるだけに、深く参詣して、引き返すことに...。

 

柏尾川に出ると、前方が見通せる川沿いの道です 141207 (32).JPG 141207 (31).JPGが、前のウォーカーは確認できず。川は、横浜市内では、鶴見川に次いで、2番目に流域面積が大きく、全長約11kmの二級河川。昔は、暴れ川でしたが、現在は治水整備がされて、川沿いは桜の名所となっています。

2kmを越える川沿いの道(歩行者専用道路)を直進。旗を持ったガイドに連れられたグループやジョギング、散歩する人たちを多く見かけました。

 

また、川の一定の箇所に川原の道に降りられるところがあり、川の流れを近くで見ることもできます。

  

桜橋を過ぎて間もなく、高いビルが。 ゴールの「とつかお結び広場」が開催されている戸塚区総合 141207 (36).JPG 141207 (37).JPG 141207 (38).JPG庁舎(3階)へ。歩行距離9kmを早いペースで、2時間弱でゴール(11:04)。

会場では、企業、NPO法人、ボランティア活動、JR戸塚駅、各種団体・学校などによる「戸塚を知り共感し活動を広げたり、仲間づくりを勧めよう」ということで、各ブースでいろいろな活動を紹介。ギャラリーや体験コーナー、ミニステージでのイベント(歌や演奏、踊り、マジックなど)もあって、多くの人たちで賑わっていました。ひととおり、会場を見て、戸塚駅へと向かいました。

  141207 (39).JPG

また駅へつながっている駅西口広場では、けん玉の指導も行われていて、家族連れがチャレンジしていました。

 

構内では、新たな新幹線のモデル前で、「子どもさんが駅長さんの服を着て写真を撮 141207 (41).JPG 141207 (40).JPGろう!」というコーナーもあり、かわいい駅長さんの誕生が見られ、微笑ましい光景。

改札口を入り、ホームから西口を見141207 (42).JPGると、右側に 「トツカーナ」、左側に戸塚区総合庁舎のビルが並んで見えました。

 

戸塚駅からは、総武快速・横須 賀線に乗って、一つ手前の津田沼駅で乗り換えて、幕張本郷駅へと。

乗換えが少なくて、本数も多いので、幕張本郷から戸塚駅まで74kmの割に、時間も片道1時間20分で、近場に感じたウォークでした。

 

   

12月9日(火)、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」の市外ウォークは、中野の「新井薬師から哲学堂公園を歩く(約6km)」。

 

「船橋西武」前に9時30分に集まったメンバーは、神田先生を含む13名。JR総武・中央線緩行線で御茶ノ水で快速に乗り換えて「中野」駅へ。

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コース

スタート JR・東京メトロ 中野駅→犬屋敷の碑→新井薬師→新井薬師公園→北野神社→氷川神社→蓮華寺→野方配水塔→哲学堂公園(昼食)→ゴール 西武新宿線・新井薬師駅

 

駅前北口スタートは10時31分。新装された陸橋を渡って、サンプラザ広場前へ。

まずは、結婚式場や各種イベントなども開かれるサンプラザの高層ビルを見上げます。隣りの中野区役所に入って、トイレを借用。今月14日(日)の「衆議院議員総選挙」の文字が目立ちます。

6月に報じられたニュースで、「2020年の東京五輪開催を起爆剤に、サブカルチャーの街、中野がさらに変貌を遂げる――」

警察大学校の移転跡地の再開発で2013~14年に早稲田大学、明治大学、帝京平成大学やキリンホールディングスなどを誘致したのに続き、中野区はコンサート会場と 141209 (2).JPG 141209 (1).JPGして長年、親しまれてきた「中野サンプラザ」を解体・再整備し、JR東日本と組んで初の駅ビルを建設する構想を明らかにした。

 

ランドマークとして、多くの人から愛されている「中野サンプラザの解体は衝撃的で、メンバーもこの話にビックリしていました。

 

最初のポイントは、区役所前にある犬屋敷(囲い)跡を伝える、7匹(抱えている子犬も含む)の犬の像 141209 (3).JPG 141209 (5).JPGがあります。

これは、徳川五代将軍徳川綱吉が統治する1695年から1709年の間、綱吉が出した「生類憐れみの令」によって野犬のための犬小屋を作り、その面積は最盛期で約30万坪(東京ドーム約20個分)といわれています。なんと約8万頭の犬が住んでいたそうです。住居には、五つの大きな犬囲いがあり、囲いの中は「犬小屋」「餌場」「日除け場」「子犬養育場」などが完備され、他にも、専門の医者や役人などが配備されていたというのは、驚きです。

 

中野サンモール商店街から中野ブロードウェイと続く賑やか 141209 (7).JPG 141209 (6).JPGな商店街をウインドーショッピングしながら、早稲田通りへと...。

 

右折して間もなく、薬師あいロード商店街(古くから薬師様の門前町と 141209 (9).JPGして栄えた)へと進みます。

メンバーから、「あい」の意味は「遭い」「愛」など、いろいろな意見が...。

 

 

薬師門前交差点から参道へと。門をくぐると、大きな桜の木が本堂前にあって、新井薬師 梅照院 141209 (10).JPG〔新井薬師 として親しまれ、1586(天正14)年、行 141209 (16).JPG 141209 (12).JPG春(元北条家の家臣梅原將監)の 141209 (14).JPG 141209 (13).JPG開基と伝え られる。薬師如来と如意輪観音の二仏一体を本尊としている。本尊の薬師如来は、子育薬師、治眼薬師(眼の薬師)として信仰されている。毎月8のつく日の縁日には露店が並び、大勢の人で賑わいをみせ、縁日の風情を味わうことができる〕へ。

ねがい地蔵(水をかけたり、拭くスポンジあり)前には、ミニチュアの地蔵も並んでいます。

 


裏が新井薬師公園〔かつては、新井薬師の境内だったところ〕。ひょうたん池のまわりにベンチが置 141209 (18).JPGかれて、休憩している人もいました。

続いて、中野通りの陸橋を渡って、四つ角手前の北野神社〔新井一円の総鎮守で、新井薬師と同じく僧行春が創建したと伝えられる 141209 (23).JPG 141209 (22).JPG 141209 (20).JPG新井天神と称し、文武両道の神とされる菅原道真公、また食物を司る保食神の二柱を祀っている〕境内には撫で牛が祀られていました。

また、梅の紋章が新井薬師と同様に、建物等で見かけました。

 

 

それから、北へ直進し、西武新宿線の線路を横断。左側に「沼袋」駅が見えます。いったん、線路に 141209 (26).JPG 141209 (27).JPG 141209 (29).JPG沿って、駅手前で右折すると前方に氷川神社〔沼袋一体の鎮守〕参道の階段を上ると、茅の輪くぐりのための柱が立っていて、鳥居横に、太田道灌の戦勝を記念した「道灌杉」と呼ばれる杉の大木(現在は、枯れ根が残っているだけ)跡がありました。昔、娯楽としての力比べの力石も置かれていました。

 

氷川神社を参拝後は、松が谷から妙正寺川の沿道を進みます。川の水量は少なくて、川と沿道との高さが3m以上あって、洪 141209 (33).JPG 141209 (31).JPG水の心配はまずありません。

 

新青梅街道に出るものと思っていましたが、さらに妙正寺川に沿って、先生の案内で、紅葉がまだ観られて落葉で歩きやすい、山道を進んで、江古田公園を抜けて、中野通りの下田橋へ出ます。

下田橋交差点を左折すると間もなく、新青梅街道へ。

蓮華寺下のT字路を横断して、黒い門の蓮華寺〔1741(元文6)年創建;日蓮宗〕へ。これから行く哲学堂、哲学館大学(東洋大学)の 141209 (37).JPG 141209 (38).JPG 141209 (39).JPG創始者 井上円了の墓を墓参。円了は、1858(安政5)年に新潟県三島郡越路町に生まれた哲学者、教育者で多彩な活動を実践した人だそうです。円了の墓は井桁の上に円形の石をおいて井上円了の名を表現したデザインとなっていて、このデザインは円了の生前の発意だそうです。

メンバーの一人が、円了の洒落っ気に感心。


円了の墓の参道を挟んで反対側の松の根元には、百度石が設けられていました。

 

本堂を参拝後、水の塔公園へ向かいます。途中、左手に寺 141209 (42).JPG 141209 (40).JPGの動物霊園がありました。野方配水塔〔高さ33.6mの塔で、現在は地下に埋設された給水塔に譲ってはいるが、国の登録文化財に指定されている〕へ(12:00)。離れたところ 141209 (44).JPGからは、頭のドームが観えますが、近くからは配水塔の高さと太いコンクリートを見上げるのみ。戦時中の弾丸跡は、確認できず。園内地下に災害時の巨大な給水タンクが埋設されていました。

メンバーの中には、塔の中に水が入っているのかどうかという議論があり、後でネットで調べようということに。

 

 

哲学堂公園へは、新青梅街道をまわり込んで進み、正午をまわって到着。

 

哲学堂公園〔この地は、源頼朝の重臣である和田義盛の城址。明治37年に哲学者で哲学 141120 (42).JPG館大学(現・東洋大学)創立者、故・井上円了博士によって精神修養の場として創設された。哲学世界を視覚的に表現し、哲学や社会教育の場として整備された全国に例を見ない個性的な公園〕内に入り、階段を上ると、台地になっていました。

141209 (52).JPG見学は、後回しで、早速、「時空岡」の周囲にあるベンチに分かれて昼食。

日なたのベンチはふさがっていて、日陰のベンチでしたが、風が無く、前月の世田谷区立羽根木公園の強風に比べてベターでした。園内には「七十七場」の各名称案内板と 建造物が立っていて、ところどころ紅葉・黄葉の木々と一体になって、「哲学」の真理の雰囲気が感じられました。

【主な建造物】

四聖堂」は、孔子・釈迦・カント・ソクラテスを祀り、「哲学堂」とも称 しました。これが哲学堂の名前 141209 (56).JPGの起こりです。屋根の上に、烏帽子の形をした物が付いています。

 

六賢台 」は、日本の聖徳太子、菅原道真、中国の荘子、朱子、インドの龍 141209 (49).JPG樹、迦毘羅]の東洋の六人の哲人が祀られています。

 

哲理門 」は、 哲学堂の正門にあたる。天狗と幽霊が傍らにあり、天狗は物質界、幽霊は精神界の 141209 (47).JPG象徴であるといえます。右手の天狗は、目測でも確認できますが、左手の幽霊は暗くてよく見えません。写真に撮ることはやめました。TVアニメで「妖怪ウォッチ」が大ブームですが、ここへ来る人は増えたのでしょうか?

 

 

141209 (51).JPG三学亭 」は、日本の古来からの神学、儒学、仏教学の各碵学、 平田篤胤、林羅山、釈凝然を奉崇しています。三角地点の中に入って、パワースポットの力を身体に受けるために、両手を手招きポーズ。

昼食後、園内を先生の解説でしばらく散策。ツツジ園菖蒲池 141209 (58).JPGの橋を渡って、中野駅方面へと...。

 

ここが最後のポイントだったので、その後、哲学堂通りを南下して、薬師北口商 141209 (61).JPG店街を抜けて西武新宿線「新井薬師」駅までは約1km。13時1 141209 (62).JPG8分発に乗りました。

 

帰りは、「高田馬場  」駅で、東京メトロ東西線に乗り換えました。

小生Nさんは、快速を待って乗りましたが、他のメンバーは前の普通電車でゆっくりと帰りました。市外ウォークでは珍しい15時前に最寄りの「京成大久保」駅に到着。まだ早いので、Nさんと一緒に勤労会館のトレーニングで汗を流しました。

今回のコースは、オジン隊(大学の先輩たち3人と小生)で、行ったポイントがダブルところもありましたが、神田先生の博学で、前回見落とした場所も再発見できました。

今年もいよいよ26日(金)の習志野市内ウォークを残すのみとなりました。

ゆうほ21」では、来年1月13日(火)の葛飾柴又七福神めぐりの際、新年会&昼食会を開くことを決定。

年末の挨拶は次回ブログにて―「ゆうほ21会長ハトちゃんより

 

ハトちゃんは、12月5日(金)、「東京駅開業100周年記念 ~日本煉瓦と渋沢栄一翁ゆかりの史跡めぐり(約15km)」駅ハイに参加。

10~12月号のパンフレットには掲載されていない、後から追加されたコース。

当日は、前日の雨もあがって、朝から晴れてウォーク日和と思い、急遽、出かけることに。

高崎線深谷駅は、上野駅から高崎線で、熊谷の二つ先。普通電車で約1時間20分かかります。

駅のホームから、近代経済の父といわれる「渋沢栄一生誕の地」の横断幕が掲げられていて、駅舎は、日本煉瓦の代表地にふさわしく東京駅丸の内駅舎の赤レンガと同じ造りが目を惹きます。

 

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〔コース〕

スタート 深谷駅→旧深谷宿常夜燈→福川鉄橋→ホフマン輪窯6号窯→煉瓦資料館→尾高惇忠生家→旧渋沢邸「中の家」→渋沢栄一記念館→誠之堂・清風亭→ゴール 深谷駅

 

141205 (2).JPG駅構内の市民サービスセンターで受付と思いきや、誰も係員がいなくて、構内巡回中の掲示。5分も待ちぼうけ。快速アーバンの到着時刻(9:50)にいないとは駅ハイ初。改札口に聞きに行こうとすると男性係員とバッタリ。やっと、スタート受付(10:02)。

 

駅北口からまずは線路に沿って続く遊歩道へ。深谷駅から小山川のほとりにかけて、かつて煉瓦工 141205 (5).JPG場への引き込み線が敷かれていました。1975(昭和50)年に廃線。この専用線の距離は約4km程となっていて、現在は遊歩道として整備されています。

この深谷煉瓦工場は全国的にも有名であの東京駅にも使われているそうです。

この遊歩道は、あとでわかりましたが、煉瓦資料館まで4.2kmと、いや~長くて単調! 植え込みがあって、周囲は畑が多く、歩行者と自転車と区分されている専用道路。ウォーク・散歩などにはもって来いですが?

 

最初のポイントは、旧深谷宿常夜燈〔江戸時代中山道深谷宿の東と西の 141205 (6).JPG入り口に、常夜燈が建てられ、旅人の便がはかられた。東端の本常夜燈は明治初頭に建立。高さ約4mで中山道中最大の常夜燈。深谷宿の発展を祈願して、天下泰平・国土安民・五穀成就という銘文が刻まれている〕へ(10:21)。

 

続いて、2kmほど先の福川を渡って、間もなく右手にブリッジパークと呼ばれる公園 141205 (11).JPG 141205 (14).JPGがあって、ゲートボールが行われていましたが、手前に福川鉄橋日本煉瓦専用鉄道が走っていた頃に架けられた鉄橋で鋼板桁橋〕へ(10:38)。

鉄道の線路があり、ブリッジパーク側に下りると、全貌が見えますが、今回は遊歩道から線路の部分を見学。

 

また、黙々と歩いて行きます。途中、隣接するトイレを借りま 141205 (19).JPG 141205 (16).JPGす。また、少し風が強くなって来たので、1枚ジャンバーの下に着込みました。たまに前方から歩いて来る地元の方と軽い会釈。800m先に備前渠鉄橋がありました(10:59)。小川にかかる小さな煉瓦橋。左側は草で覆われていたので、川の右側に下りて、撮影。

 

遊歩道の終点にあたる県道由良深谷線にぶつかり、すぐ右手に、渋沢栄一他2人の顔写真がある幟が建っている、日本煉瓦資料館(旧事務所)〔富国強兵 141205 (21).JPGのスローガンを掲げる明治政府のもと、1888(明治21)年に操業を開始。製造された煉瓦は、東京駅や東宮御所(現赤坂迎賓館)などに使用されており、日本の近代化に大きく寄与。しかし、時代とともに煉瓦需要が減少し、安価な外国産煉瓦の市場拡大を原因として、2006(平成18)年約120年の歴史に幕を下ろした。現在は、写真や文書などの貴重な資料を展示〕へ(11:05)。

 

開館は土・日曜なので、本日は門が閉まっていました。隣りのホフマン輪窯〔ドイツ人ホフマンが考案した連続焼成の可能な窯で、6号窯は長さ56.5m、幅20m、高さ3.5mの規模を有する〕も予約制なので、今回は見学せずに確認のみ。

 

由良深谷道を来た道を戻って、小山橋手前で左折して、小山川沿いの 141205 (23).JPG 141205 (22).JPG土手を歩きます。遥か前方には、赤城山も見えました。

しかし、ここの歩きは大変。向かい風を歩くことになり、風速は3~5mが常時吹いて来ます。あとで、渋沢栄一記念館の職員に聞いた話では、赤城山からの空っ風で「赤城おろし」と地元では言っていて、この地は風が強く、熊谷に劣らず、寒暖の差が多いそうです。

 

いったん、唐沢川の土手に入って、再び小山川へ。川に生えている葦が、だいぶ横になびいていました。 1枚着込んで正解!それでも手はかなり冷たくなりました。

 

八郷橋を渡って、県道14号・伊勢崎深谷線の大塚から下手計の交差点を左折すると、間もなく尾高 141205 (29).JPG惇忠〔世界文化遺産富岡製糸場初代場長・栄一翁の従兄で、学問の師でもあり、富岡製糸場の設立に当初から尽力〕の生家へ(11:52)。中は自由見学ができて、係員が説明してくれます。

 

鹿島神社の先に、右手奥に屋根が丸くて、横長のちょっとプラネタリウム似の渋沢栄一記念館が、やっと見えて来ました。

 

駐車場前を横切り、館内に入館(12:04)。右手が八基公 141205 (34).JPG 141205 (33).JPG 141205 (31).JPG民館で左側と2階にかけて、栄一翁の写真や資料がたくさん展示されています。また、イメージキャラクター「ふっかちゃん」の人形がお出迎え。館内は無料で、説明・紹介も聞けます。

 

12時をまわっていて、食事中の公民館職員の方に、歩き疲れたので、帰りの近くのバスを聞くと、『市内循環バスが1日5本で、次が14時15分と約2時間後。深谷駅までは約6kmで、1時間半ぐらい徒歩でかかります。岡部駅の方が少し近い』 とのこと。

赤城おろし」の風と、単調な道で、だいぶ心身とも疲れて、正直、帰りは歩きたくないと思っていましたが、それも無理。ゴール手続きの関係で、スタートの深谷駅へ戻らなければなりません。

水を飲んで、軽食の菓子を頬張って、休憩後、意を決して、後のポイントも全部まわって、深谷駅まで歩くことにしました。

 

このあたりが「論語の里」と呼ばれていて、渋沢栄一の生家中の家)へ(12:32)。栄一翁は、養蚕 141205 (36).JPG 141205 (38).JPGや藍玉作りと販売、雑貨屋・質屋も兼ねて裕福な家庭で育てられました。

 

門構えが立派で、広い敷地に、塀で囲まれています。現存する主屋は妹夫妻が明治28年に建てたものだそうです。主屋内も見学、 141205 (41).JPG 141205 (40).JPG敷地内に写真と案内板がありました。

 

帰りは、元来た道を戻って、尾高惇忠生家前を通って、コースマップとは違って、わかりやすい広い通りを通って帰ることに...。

 

下手計交差点を右折して、伊勢崎深谷線を道なりに進みます。広い共栄橋を渡って、間もなく北部運動公園が左手に見えて、公園事務所に立ち寄りました(13:05)。

 

事務所で、誠之堂・清風亭の見学手続きを台帳に記入し、芝生広 141205 (47).JPG場を通って、両建物前へ。

 

誠之堂―1916(大正5)年、栄一翁の喜寿(77歳)を祝って第一銀行の行員たちの出資により建築されました。 名前の由来は、渋沢栄一自身により命名さ 141205 (46).JPGれ、儒教の代表的な経典のひとつ「中庸」の一節「誠者天之道也、誠之者人之道也(誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり)」にちなんだもの。煉瓦造平屋建、建築面積112㎡。外観は英国農家に範をとりながらも、室内外の装飾に、中国、朝鮮、日本など東洋的な意匠を取り入れました。

 

 

清風亭― 1926(大正15)年、当時第一銀行頭取であった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念し 141205 (45).JPGて、清和園内に誠之堂と並べて建てられました。建築資金は、同じく第一銀行行員たちの出資によるもの。建物は、建築面積168㎡で、鉄筋コンクリート造平屋建。外壁は、人造石掻落し仕上げの白壁で、対称的に黒いスクラッチタイルと鼻黒煉瓦がアクセントをつけています。

 

その後は、同じ県道を南下。深谷バイパスを横断。そ 141205 (48).JPGの先に名前が目立った雷電神社・雷電寺を過ぎて、深谷警察署、福川の二枚橋を渡って直進。

 

141205 (50).JPG道路の上に標識があり、「国道17号線に900m」という掲示。

二股に分かれて、本来は右側でしたが、広い道路に出たのを17号と間違えて、住宅街を抜けて、間違った道を進んでしまいました。ちょっとした、不注意。

 

通りがかった女性に道を尋ねると、『これから、PTAで深谷小学校に行くので、構内を通ると近道で 141205 (51).JPGすよ』 と。『駅からハイキングで千葉から来ました』と立ち話。一緒に構内を通って、正門のところで『あとは、直進して駅です』と親切に道案内してくれました(13:45)。

 

案内のとおり、深谷駅まではまっすぐで、途中、駅前のマックに寄って、ハンバーガーを2個持ち帰り。駅前広場公園には、渋沢栄一翁の座像が下から見 141205 (54).JPG 141205 (53).JPG上げるようにありました(13:59)。

 

駅に着いて、次の電車の発車時刻を確認 141205 (56).JPG後、ゴールの市民サービスセンターへ。今度は、ちゃんといて、ゴールの受付がすぐにできました(14:02)。時間の関係もあり、本日のコースの感想と要望(①コースの歩行距離をもう少し短くすること②ゴールを最寄り駅の岡部駅にしてほしいの2点をお願いして御礼を言って別れました。

 

帰りは、深谷駅(14:29発)の高崎線で、行きと同じく上野駅経由で帰路に着きました。

歩行距離は15kmということでしたが、風をまともに受けたことと、休憩も少ないのに約4時間もかかってしまい、もう少しあった感じ。今年、1番のロングで難コースでした。

中野」は、歴史と新しさ、豊かな自然と高層ビルが交錯する街をにぎやかな商店街がつないでいます。上から見ると、蝶が羽根を広げたように見える「中野区」へ。晩秋の紅葉も観ながらの駅からハイキング。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

4ヵ月ぶりにオジン隊4人が勢ぞろい。先月の勝沼ぶどう郷が遠出だったので、今月は近場の都内に決定。

 「駅ハイ(中野駅開業125周年記念)中野の隠れた名所と元気な街めぐり約11.4kmにチャレンジ。見所ポイントの盛りだくさんのウォーク。

 

コース

スタート 中野駅→鍋横大通商店会→宝仙寺→桃園川緑道→楽曲「神田川」歌碑→哲学堂公園→野方配水塔→平和の森公園→新井薬師 梅照院→薬師あいロード商店街→中野ブロードウェイ商店街→中野サンモール商店街→ゴール 中野駅

 

11月20日(木)北風が吹く中、駅集合(9:30)後、南口で、コースマップをもらいスタート受付

 

南口を出て、線路に沿ってもみじ山通りを進んで行きます。道沿いに彫刻が並んでいます。正面に、 141120 (1).JPG 141120 (4).JPG私立堀越高校が見えて来ました。 

 

早速、エンタメで話題になった「TVドラマで、堀越高校の生徒を馬鹿呼ばわりしたセリフが放映」されて、校長が抗議したという話で、盛り上がりました。確かに、芸能コースがあり、、通学回数が比較的少ない生徒もいますが、 優秀な生徒もいるので【十把一絡げ】の言い方は、良くありませんネ。 141120 (5).JPG

もみじ山通りを南下。紅葉山公園の紅葉が通りすがりに観えました。

 

坂を上って直進すると、車の行き交いが多い青梅街道へ。右折して、最初のポ 141120 (8).JPGイント鍋横大通商店会へ。ウィンドーショッピングをしながら、先に進みます。「駅ハイ歓迎」の横断幕がぶら下がっていて、うれしい気持ちになりました。

 

 

中野警察署を過ぎて、左手に宝仙寺〔真言宗;1087~1094(寛治年間)、源 義家が創建。1636(寛永13)年、三重塔を建立。徳川将軍のお鷹狩りの休 141120 (14).JPG 141120 (13).JPG憩所としても利用された〕へ。

参道から境内へ入ると、都心とは思えないほど境内も広くて静寂。、本堂(前に空海上人の像あり)、三重塔など、荘厳なたたず 141120 (16).JPGまいに感動。

ちょうど、駅ハイをしていたご夫婦のウォーカーと立ち話。戦前は、このあたりが中野で一番中心の賑わったところで、「中野町役場跡石碑を教えてくれました。

 

 

参拝後、また参道を戻り、青梅街道に出て、左折して進みます。中野坂上の交差点を左折。山手通りの車道と歩行車道は、かなり広くて歩きやすい。「お助け本舗」の便利屋の大看板が眼 141120 (18).JPGに入ります。

宮下の交差点で横断して、塔山小学校の横の細い道へ。桃園川緑道〔中野村を東西 141120 (19).JPG に横断し、神田川に流れていた桃園川(農業用水路)を、1966(昭和41)年に整備、その後遊歩道)は、住宅街の間にあって、植え込みなどがありますが、「緑道」というには、あまりにも草木や樹木が少ない。まあ、都心なので、仕方ないかなぁ?

 

 

神田川が交わる手前に、オジン隊世代のフォークの名曲「神田川」歌碑が立っていま141120 (20).JPGした。みんなで立ち止まり、歌詞を読みながら、古き良き昭和を懐かしみました。

 

コースは、大久保通りを横断歩道まで戻るようになっていましたが、オジン隊は、兼子局長のもと、車に注意しながら、強行して横断。

神田川の沿道は、桜並木が続いていて、シーズンには 141120 (23).JPGお花見が楽しめるスポット。

 

141120 (28).JPG橋を数ヵ所越えてJR中央・総武線の高架下を通って大東橋手前を左折して、JR東中野駅北口へ。途中、局長に教えてもらって、レトロな映画館がありました。

 

駅前を通って、再び山手通りに出ます。右折して、幅広で街路樹の 141120 (30).JPGある道を悠然と歩きます。気温が低くて、肌にあたる風が冷たく感じます。

地下鉄東西線「落合」駅の地上口を発見。その先の早稲田通りを横断して、直進。

 

141120 (32).JPGポイントにはなっていない最勝寺が道路の反対側に見えて、その手前の細い道に入って間もなく、寺斉橋を渡って左折し山手通りの高架下をくぐると、西武新宿線の「中井」駅前。

 

今度は妙正寺川に沿った遊歩道を歩きます。こちらも桜の木が、川の両側にありますが、神田川より若くて細い。

 

体が冷えて来て、トイレ休憩のため落合公園に立ち寄ることに...。黄葉したイチョ 141120 (37).JPG 141120 (35).JPGウの大木と、遊戯施設で園児が遊んでいました。また、川沿いに都内では珍しい「ドッグラン」があり、飼主と共に7、8匹のいろいろな種類の犬が元気に走り回っていました。

川に面して細い石柱だけで支えて、家屋が上部に付いてい 141120 (40).JPGて、窓の手すりも無く人が落ちたらやばそうな、老朽化したアパートを発見。『どうして、あんなアパートが建つのか不思議? 住みたくないね』と、一同、共感。

 

 

 

その後も、川沿いの道を、中小の橋を越えて進むと、前方に哲学堂公園〔この地は、源頼朝の重臣である和田義盛の城址。明治37年に哲学者で哲学 141120 (42).JPG館大学(現・東洋大学)創立者、故・井上円了博士によって精神修養の場として創設された。哲学世界を視覚的に表現し、哲学や社会教育の場として整備された全国に例を見ない個性的な公園。 1975(昭和50)年に中野区立公園となってからも、古建築物の修復、整備を重ね、また区内でも有数の花、樹木の名所として親しまれている。広大な敷地内には野球場・テニス場・弓道場もある〕。

コースは、野方配水塔へ哲学堂通りを直進となっていましたが、ハトちゃんの推薦で『まず、公園内を散策しましょう』と。

園内に入ると、雑木林の階段を上ると、台地になっていて、園内には「七十七場」の各名称案内板と 141120 (44).JPG建造物が立っていて、ところどころに紅葉・黄葉の木々と一体になって、「哲学」の真理の雰囲気が感じられる趣きのある場所です。

【主な建物】

四聖堂」は、孔子・釈迦・カント・ソクラテスを祀り、「哲学堂」とも称 141120 (41).JPGしました。これが哲学堂の名前の起こりです。

 

141120 (43).JPG六賢台 」は、日本の聖徳太子、菅原道真、中国の荘子、朱子、インドの龍樹、迦毘羅]の東洋の六人の哲人が祀られている。

 

哲理門 」は、 哲学堂の正門にあたる。天狗と幽霊が傍らにあり、天狗は物質界、幽霊は精神界の象徴であるという。

 

三学亭 」は、日本の古来からの神学、儒学、仏教学の各碵学、平田篤胤、林羅山、釈凝然を奉崇している。 

しばらく散策して、公園で清掃していた作業員に、『野方配水塔への道』を尋ねると、親切に教えてくれました。

 

隣接するスポーツ施設でテニスを練習している光景を見て、『中高年の女性だけが大勢でテニスをやっている風景は、国の重要文化的景観に指定されている』 と口走り、他の3人は納得。しかし、局長の口から、あとから「ホラ話」だと聞かされ、大笑い。

 

新青梅街道を横断して、配水塔〔高さ33.6mの塔で、現在は地下に埋設された給水塔に譲ってはいるが、国の登録文化財に指定されている〕へ、近道してアパート内の敷 141120 (48).JPG 141120 (46).JPG地を抜けようとするも行き止まり。

蓮華寺横の細い道に変更して、まわり込んで水の塔公園内にありました。離れたところからは、頭のドームが観えますが、近くからは配水塔の高さと太いコンクリートを見上げて確認するのみ。

 

蓮華寺下から、バスが運行している中野通りへ。途中、樹齢年数が古 141120 (49).JPGい桜並木が道の両脇に...。

南下して、西武新宿線の踏切では、通過電車待ち。 141120 (53).JPG

 

新井小学校を越えて右折 141120 (56).JPGして上り坂を進むと、真正面に平和の森公園〔1985(昭和60)年、中野刑務所跡地に部分的に開園。現在も公園を拡張、整備中〕へ。刑務所跡だけに「平和の森」と名づけたという話もあります。

公園管理事務所内1階に平和資料展示室があり、 戦時中の「中野の戦災・学童疎開」資料・写真パネルなどや東京大空襲時の焼夷弾などが展示されてあり、しばし、戦争の悲141120 (57).JPG惨さと平和の尊さを実感。

園内は、弥生時代の復原住居だけを観ました。

 

 

続いて、新井天神通りを抜けて、中野通りの新井五差路を横断すると、新井薬師 梅照院〔新井薬師 141120 (58).JPGとして親しまれ、1586(天正14)年、行春(元北条家の家臣梅原將監)の開基と伝え 141120 (61).JPGられる。本尊の薬師如来は、子育薬師、治眼薬師(眼の薬師)として信仰されている。毎月8のつく日の縁日には露店が並び、大勢の人で賑わいをみせ、縁日の風情を味わうことができる〕の横の門へ。

境内には、本堂前に枝が長く伸びた桜の大木が、で~んと根を張っていて、ねがい地蔵(水をかけたり、拭くスポンジあり)前には、ミニチュアの地蔵も並んでいます。

山門を通って、石碑の前からの眺めは風情があります。

 141120 (62).JPG

新井薬師門前から信号を左折すると、薬師あいロード商店街〔古 くから新井薬師の門前町として賑わっていた地域に、1964(昭和39)年に組織化された商店街〕へ。「あいロード広場」は休憩ができますが、今回はまわりを見ながら、先を急ぎます。

 

早稲田通りの薬師参道入口を右折して、次の信号を渡ると、正面に中野ブロードウェ 141120 (64).JPGイ商店街〔1966(昭和41)年にオープンした地下1階~地上4階まで約300店舗がある〕。天井が低い場所を通過します。出口で中野サンモール商店街と接しています。商店街の照明も明るく、飲食店、生活用品を販売している店などが多数あり、バラエティー豊かな店舗が集まっています。

 

 

続きの中野サンモール商店街〔中野駅北口広場から続く、アーケード商店 141120 (65).JPG街〕で、人通りも多い。音楽がかかっていて、アーケード上部には雪の結晶の飾りつけ。クリスマス商戦もスタート。

 

途中、ゴール受付がないことから、商店街横に入った「味わい屋」でランチとビールで乾杯。小生は、途中の寒さからか、腹を下していたので、酒は飲まずにランチのみ。

炭焼き、海鮮料理の店で、夜がメインでしょうが、店内は照明を少し落として、きれいで空間も広く、食事もおいしくて値段の割に高級感を味わいました。

 

12月の駅ハイを、世界文化遺産になった富岡製糸場に決め、また再会を約して別れました。中野といえば、都心で北口前の中野サンプラザが地域のランドマークになっていますが、2020年までの中野駅前再開発で、サンプラザも壊すニュースが波紋を呼んでいます。実弟の結婚式場と、実父の最後の勤務先であった警視庁警察学校〔すでに2001(平成13)年に府中に移転〕など、思い出多い地ですが、北口の陸橋完成など、変貌しつつあります。仕方ないとはいえ、ちょっと、寂しい感がします。

 

12月9日(火)にハトちゃんの所属するウォーキングサークルも、中野に来て、新井薬師哲学堂公園他をまわります。今回が、ちょうど良い下見になりました。公園や歴史ある寺社をめぐり、新発見に出遭えたウォークになりました。

 

12月4日(木)は、8月下旬に印象派の「オルセー美術館展」を六本木の新美術館で鑑賞した親友のYさんと、上野の美術館・博物館めぐりへ。

10時にJR「上野駅公園口で待ち合わせ。時間前に会って、お互いに元気な姿で久しぶりの再会を喜び合いました。

 

早速、公園内の大噴水広場を抜けて、

東京国立博物館  http://www.tnm.jp/ 〔1872(明治5)年、湯島聖堂で開催された博覧会から。 日本で最も長い歴史のある博物館で、日本と東洋美術と考古などの文化財があり、収蔵品は約11万3千件(国宝87件、重要文化財631件)で、質、量とも日本一のコレクション。高い天井に分厚いコ ad90beeb16bc25f074db4331f45ed079[1].jpgンクリートで囲まれている頑丈な建造物〕の平成館「日本国宝展http://kokuhou2014.jp/ へ。

開館時間は過ぎていましたが、平日だというのに5列に並んで 141204 (3).JPG長蛇の列。「国宝展」の人気ぶりがわかります。11月28日に入場者数が30万人を超えました。「日本国宝展」は好評につき、11月28日(金)~12月7日(日)の間、20時まで時間延長。

列の後ろに並んで、入館を待ちます。それでも早く並んだので15分待ちで入館できました。

ハトちゃんが障がい者手帳を持っていたので、入場券は買わずに...。Yさんに「障がい者らしく?」と冷やかされながら入館。

 

館内は混んでいましたが、係員の案内もあって、割とゆっくり鑑賞できました。

会場は2ヵ所に分かれていて、第1章 仏を信じる①飛鳥・奈良時代②平安時代 第2章 神を信じる 第3章 文学、記録にみる信仰 第4章 多様化する信仰と美①鎌倉-江戸時代 ②キリスト教の信仰、琉球の信仰 ③禅と茶の湯 第5章 仏のすがた  の構成

日本には、美術的、歴史的に貴重な意義を有する文化財が数多くあり、中でも世界文化の見地から、高い価値をもつものを、類い稀な国の宝として、「国宝」に指定しています。

今回は国宝の中で、人々の篤い信仰心が結実した文化的遺産を集め、日本文化形成の精神を見つめ直すことを試みた壮大な展覧会になっていて、祈りをテーマに、仏や神と、人の心をつなぐ役割を担ってきた絵画・彫刻・工芸・典籍・考古資料などを展示。

 

全作品とも「すごい」という印象。教科書で見たことのある作品も...。

まず、第1章の中央にあった、玉虫厨子。現存最古の厨子は、意外と大きくて黒光りする厨子に、細緻な金具の装飾や形状に、眼を奪われました。

初めて、国宝の5体の大きさや形状の特徴ある土偶(逆三角形の仮面を付けたものなど)は、縄文時代に女神などを信じている縄文人の信仰の具体的塑形が。

絵巻物書物のひらがなや漢字で書かれた字の洗練さと、長大な巻物の現物と、展覧会用に写真を撮って拡大して、観やすいようにされていて、後ろからでも内容、作品を理解できます。

元興寺極楽坊五重小塔(奈良時代・8世紀)高さ5m50cmで、唯一の建造物で精緻な工法と、塔のバランスが絶妙でカッコいい。

支倉常長像の絵は、「ユネスコ記憶遺産」に認定されています。志野茶碗など技術の粋を集めた作品や、逆に鏡、絵箱などに金粉がふんだんに使われて豪華な作品もあります。

本展覧会には、正倉院宝物 も特別出品されていました。

 

長い歴史の中で大切に継承され、価値ある国の宝として大切に保存されている品々を一同に観ることができて、日本文化の粋の結集を感じました。

 

Y さんは、国宝展、どれも素晴らしかったですが、特に鎌倉時代の快慶彫刻に感動したそうです。 141204 (5).JPG西洋のものばかりでなく、日本にもこんなにすごい彫刻があるってことを、もっと広くみんなに知ってほしいと思ったそうです。

常設展は、以前観たことと、時間の関係から省略。

 

 

公園内で、アナウンスが聞こえ、テント内で佐賀県や九州の食料品を販 141204 (9).JPG 141204 (7).JPG売していたので、ちょっと覗いてみると、日本のブランド米で3年連続1位に輝いた「佐賀県産 さがびより」を販売していたので、二人とも試しに米を購入。

 

時間の関係で、もう1館。国立西洋美術館 http://www.nmwa.go.jp/jp/index.htmlの特別展「フェルディナント・ホドラー展http://hodler.jp/のみ鑑賞。

 

フェルナンド・ホドラー〔1853~1918〕スイスを代表する画家―パラレリズム(平 ホドラー[1].jpg 行主義)と呼ばれる、眼に映る世界よりも、内面の構造や原理に着目して描いた作品・個展を鑑賞。

構成は、パート1 光のほうへ―初期の風景画、パート2 暗鬱な世紀末?象徴主義者の自覚、パート3 リズムの絵画へ―壁画装飾プロジェクト、パート4 変幻するアルプス―風景の抽象化、パート5 リズムの空間化―壁画装飾プロジェクト、パート6 無限へのまなざし―終わらないリズムの夢、パート7 終わりのとき―晩年の作品群 となっています。

スイスの異彩画家の作品、デッサン画も合わせて出展されていました。

初めて観ましたが良かったです。

 

最後に、JR上野駅構内の「洋食や 三代目 たいめいけん」で、老舗洋食屋さんのカレーと飲物のランチセットを食べながら、本日の成果と、四方山話に花が咲きました。

次回の美術館・博物館めぐりと、小生宅訪問を約束して、帰路に着きました(12:45)。

帰りの電車は、山手線で秋葉原まで一緒でしたが、話し込んでしまい、持参した「安納芋」をあやうく渡し損ねるところでした。

 

久しぶりに、特に歴史・時空を超えたすばらしい美術品を観て、感動した半日になりました。

 

12月3日(水)、千葉健生病院健康友の会の花クラブでは、11月例会で、近場の紅葉狩りを計画。松戸にある「長谷山 本土寺http://www.hondoji.com/ へ。JR幕張駅に9時30分、集まったのは3人。JR総武線、武蔵野線、常磐線を利用して、「北小金」駅へ......。

 

約45分で最寄り駅に到着。紅葉シーズン終盤ということもあり、平日にもかかわらず、同じ観光地へ向かう人たちが多数降り立ちました。小生本土寺紅葉観賞は、3年ぶり。

本土寺へは、北口からほぼ一直線でわかりやすい道。商店街を抜けて、水戸光圀公の寄進と伝えられる両脇が古松・老杉の大木の参道を進んで行きます。真ん中に車道があり、ところどころに駐車代500円の表示。

飲食店や土産店が立ち並び、観光客を呼び込み、試食もできて、無料の休憩所になめこ汁など、活気のある光景が...。

すでに観終えて、帰る人たちとすれ違いながら、ゆっくり歩いて141203 (1).JPG10分ほどで、仁王門前へ。

門をくぐり抜けると、紅葉したカラフルな色彩の木の下で、写真 撮影をする人 141203 (25).JPGたちでいっぱい。

 

この場所(無料)でも紅葉は楽しめましたが、今回は入場料を払い境内に入ると、鮮やかな赤・黄に染まった約1,500本ものモミジ・楓が境内を彩っています。さらに、寺の建造物とマッチして、その鮮やかさに一同感動。

 

141203 (3).JPGしだれ桜や楓の古木が「赤、黄、緑」の色の織りなすハーモニー(ステンドグラス似) 141203 (7).JPGで目の覚めるような風情に、思わず「きれい」という声があちらこちらで聞こえて来ます。

携帯電話やデジカメで記念写真をはじめ、、カメラ(三脚付き)を抱えて、本格的な撮影まで、多くの人たちが紅葉を楽しみ賑わっていました。

 

 

小生が案内役で、順路には従わず、紅葉の一番きれいなスポットの左手奥から散策。足元には落葉が道全体を覆って、踏みしめてまわりを観ながら進みます。

紅色で葉の大きい楓や、オレンジ色に染まった木々や、赤・黄・ 141203 (14).JPG 141203 (11).JPG 141203 (8).JPG緑と1本の木で三色が楽しめる楓の種類など、高低や、色の濃淡など、趣きの違う紅葉が楽しめます。

 

 

さらに境内の奥まで行くと、竹林とのアクセントや、池の周りの紅葉もすばらしく、何度も話をしながら、足を止めて、魅入ってしまいました。

境内が 141203 (12).JPG 141203 (4).JPG広いのにビックリしてしまい、紅葉狩りの見物者が多いのにもかかわらず、ピークを過ぎて平 141203 (15).JPG日だったので、ゆっくり紅葉を鑑賞できました。

 

 

 

本堂や五重塔の周囲も、遠景からは色鮮やかな絶景スポットでしたが、紅葉した葉の先がだいぶ枯れはじめていました。 141203 (18).JPG 141203 (23).JPG 141203 (24).JPG

本堂裏手には、徳川家康の側室・秋山夫人の墓近くに自生のシュウザンコウがあり、他にオオサカズキなどもありました。

 

近場で、こんなに見事な紅葉が観られる寺は、なかなか無いと思います。有料でも大満足でした。

 

40分ほど、3人で境内をめぐり、そこで、写真を撮ってもらったり、記念に楓の葉を集めたりして、ひととおり堪能して 「紅葉の名所 本土寺」 をあとにしました。

 

その後、帰り道は、参道の土産物店をウインドーショッピング。参道の途中にある「草木庵」で、手打ちそばを食べました。そば湯も出していただき、歓談しながらおいしい味で大満足。企画した花クラブ代表者(そば打ちの名手)にもぜひご賞味していただきたかったですネ、残念!

 

時間があったので、寺に向かう際、目的地まで800mの案内板があった大谷口歴史公園に立ち寄ることに...。

県道280号線を右折。何人かの人に尋ねても、知らない方がほとんど。

道路左側のマンションの先に、こんもりした雑木林を発見。

やっと、歴史公園下へ。

 

141203 (26).JPGあたりが雑木林の階段を上って行くと、堀跡や土塁があって、頂上には案内板に、大谷口城小金城の説明文がありました。残念ながら、木が邪魔して、眺望はきかず。

 

階段を下って、大谷口の出入口へ。トイレ休憩。トイレが男女兼用で、便器が二つで、後から来たウォーカーと鉢合わせ。

 

元来た県道の反対側を歩いて行き、小生が 『コンビニ「セブンイレブン」のコーヒーがおいしい』という話から、立ち寄って、ホット珈琲を注文。

カウンターもあって、美味な珈琲を味わいながら、ゆっくりと休憩。

最終ゴールは、「北小金」駅。車内でも話題が尽きず、和気藹々として談笑しながら帰りました。

絶好のシーズンより一週間ほど遅かったのですが、すばらしい紅葉が観られて感激! 本土寺は、千葉県下の「あじさい寺」としても有名なので、開花時期に合わせて、次回は多くの人数で来たい(期待?)気持ちになりました。

 

 

ぶどう」といえば、山梨県が生産日本一ですが、甲州市勝沼は一面に広がるぶどう畑に囲まれて、道路沿いには観光ぶどう園、ワイナリーが並んで、ワイン好きにはたまらない「ぶどう王国」。今回は、ぶどう狩りは終わってしまったものの、晩秋の紅葉に彩られた勝沼を歩いて、ぶどう、ワインに関する知識と寺町などを歩いて、歴史と文化にも触れて来ました。都内からも近郊で、比較的アクセスも良い観光地、勝沼ぶどう郷へ。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ハトちゃんは自宅庭の剪定作業の手伝いのため、10月に行けなかったオジン隊の「駅ハイ ぶどうの郷のワイナリー探訪と秋の寺町散策 in 勝沼)」約10kmコースを、11月27日(木)、1ヵ月遅れて行って来ました。気温は、10月中旬ぐらいで秋晴れの爽やかな半日となりました 

〔コース〕

勝沼ぶどう郷駅勝沼観光案内所→シャトー勝沼→祝橋→宮光園→麻屋葡萄酒→萬福寺→等々力寺町→シャトージュン→勝沼ぶどう郷駅勝沼観光案内所

 

到着(9:24)。駅が高いところにあって、前方に山並みとぶどうの丘の建物やぶどう畑がまず目 141127 (1).JPGに飛び込んで来ます。観光案内所へ行くと、まだ開いてなくてトイレに行って5分ほど待ち。30分になって受付、コースマップをもらいスタート

 

左手にゆっくり下る坂を、市の中心部へと下りて行きま 141127 (10).JPGす。 高所からぶどう棚が連なっている様子が、良く見えました。道沿いのぶどう棚は、枯れたり、紅葉している葉っぱがわずかに残っていて、栽培されている幾種類のぶどうの木だけが目立ちます。

 

約15分ほど下ると、左手に看板と大きな建物とワイナリー。「シャトー勝沼」で、 141127 (12).JPG 141127 (13).JPG 141127 (16).JPG建物内に入って、駅ハイ参加者へのぶどうゼリーを一ついただきました。また、いろいろな種類のワインが並べられ販売されていて、今秋できたばかりのワインの試飲もできました。

 

その後、また下り坂を進んで、旧甲州街道に出ます。右折して上町の交差点を左折して間もなく、左手に、一段高くなって案内板がある史跡公園(やまなし歴史文化公園)がありました。

勝沼氏館跡〔1973(昭和48)年に県立ワインセン 141127 (23).JPG 141127 (21).JPGター建設に伴って発見された中世史跡で、二重の堀で囲まれた主郭内部には建物跡、水路、水溜などが発見された。中世武士の館の構造を知る上で国内屈指の貴重な遺跡。武田信玄の父、信虎の弟、勝沼信友と子信元2代の武将として活躍した武田親族衆。戦国時代の武田武将の暮らしぶりが明らかになり国指定史跡として保存されている〕に立ち寄りました。

建物跡、土塁や堀跡が残っていました。

 

次のポイント祝橋〔1931(昭和6)年に建設され、コンクリートア 141127 (27).JPGーチで眼鏡橋の愛称で親しまれてい 141127 (28).JPGる〕へは手前の道路を行かねばならなかったのですが、寄り道したので、そのまま舗装道路を進んで、新祝橋を渡って、うっかり見落としてしまいました。

 

ガソリンスタンド横の細い道を入って坂を下ると、宮光園への矢印があります。

 

農道を入ると、両側にぶどう畑が一面にあって、くねくねと畑の間を縫って141127 (32).JPG行きます。ぶどう畑を過ぎ 141127 (37).JPGて、舗装道を上がって、民家の先にシャトーメルシャンワイン資料館がありました。

内部が薄暗い倉庫の中には、醸造製法の過程や醸造用の大きな酒樽も並んでいます。

 

 

その先、右手の宮光園〔宮崎光太郎が創業した宮崎葡萄酒醸造所と観光葡萄園の総称。1877(明治10)年、祝村下岩崎(現甲州市勝沼町下岩崎 141127 (42).JPG 141127 (39).JPG 141127 (38).JPG)に設立されたわが国初のワイン醸造会社である大日本山梨葡萄酒会社が1886(明治19)年に解散した後、醸造器具等一切を引き継いで、フランスでワイン造りをした土屋龍憲とともに操業を開始〕へ。

主屋は和風建築で、当時のワイン醸造や皇族の行啓、行幸の様子がわかる貴重な古写真や、観光葡萄園に関する数多くの資料などが展示されています。

 

ちょっと休憩をして、宮光園チェックポイントの押印をしてから、コース先の角を右折すると、下り坂に。ぶどうのデザインが橋の欄干に描かれている葡萄橋を渡ります。

 

すぐ左折して、日川沿いの道を直進。兼六園などで 冬見られる雪吊りに似た形のぶどう棚を吊って 141127 (46).JPG 141127 (48).JPGいる光景が続きます。なかなかマップにある道祖神への分かれ道が 141127 (49).JPG出て来ないので、ぶどう畑で音楽をかけて作業をしていた地元の人に道を尋ねて、教えてもらいました。

結局、曲がり角は道なりに進めば良かったことが、あとでわかりました。

 

道祖神を過ぎて、薪が積んである茶色の民家を見つけ、左折し141127 (52).JPGて細い 141127 (51).JPG農道を進んで行くと、旧甲州街道の等々力交差点にぶつかる右側手前に、麻屋葡萄酒が...。

ちょうど建物前で女性店員さんと会い、駅ハイのプレゼントがあることを尋ねると、「山梨ワイナリーマップ」は終わってしまい、代わりに会社の手ぬぐいとパンフレットをいただきました。

御礼を言って、お別れしました。

 

旧甲州街道から、等々力寺町に入り、突き当たって萬福寺〔往時天台宗の寺で、聖徳太子の関わっ 141127 (54).JPG 141127 (56).JPG 141127 (61).JPGた創設伝説があり、その後、親鸞上人の甲斐国布教ゆかりの地として、浄土真宗に改宗した〕へ。境内は、落葉で一面覆われていて、幻想的な風景。黄葉も遅ればせながら観ることができました。境 141127 (59).JPG内に推定樹齢500年の天然記念物ムクノキ〔樹高 26m、幹囲 5m〕が...。


 

境内の風景を撮影した後、山門を出てすぐ左折。細い農道を通って、石畳の道に入ると、道の両側 141127 (63).JPG 141127 (65).JPGに浄土真宗などの寺が次々と立ち並ぶ寺町へ。

 

 

旧甲州街道に出る手前に、諏訪神社 141127 (68).JPG。大ケヤキが鳥居横に立っています。

 

 

旧甲州街道に出ると、ここもぶどう観光園、ワイナリーが道の両側に続きます。途中、 141127 (73).JPG 141127 (76).JPG日本最古の甲州ぶどうの木を確認。

 

また、旧田中銀行〔明治30年代初め「勝沼郵便電信局舎」として建設された藤村式建築の流れをくむ建物。 141127 (78).JPG大正時代は「山梨田中銀行」社屋として改修され利用された。1階には銀行時代の貴重な品々、2階の和室には疎開当時の遺品がそのまま残されている〕博物館は、建物全体からノスタルジックな雰囲気が感じられました。

 

上町交差点前の小佐手小路に入ります。ぶどう園を探しているハイカーに道を 141127 (80).JPG 141127 (81).JPG教えてあげました。

 

突き当りにお寺、その後、「勝沼ぶどう郷駅」への案内矢印をたどって、県道214号線を渡っ て、坂を上って行きます。最後のポイント、「シャトージュン」は、手前の道を右折してしまい、寄らずじまい。141127 (82).JPG

民家の庭にも、ぶどう棚が見られるほど、「ぶどうの郷」一色。

141127 (86).JPG 141127 (87).JPG 

駅へ向かって、狭い橋を渡って、ゆるい上り坂。右側の民家にたくさんの柿がなっていて、青空に遠方の紅葉した山々が映し出されます。

 

駅近くの、小さい穴地蔵堂を見て進むと、鉄道建設のとき造られたレンガ構 141127 (93).JPG 141127 (91).JPG造の道路隧道がありました。

 

右手の坂を上ると、勝沼ぶどう郷駅前へ。お昼になって、日差し 141127 (97).JPG 141127 (99).JPGが高くなって、正面に360度ぶどう畑に囲まれたぶどうの丘がはっきりと観えました。観光協会は昼休み休憩中で、駅員さんにゴールの受付をしてもらいました。トイレにユニークな言葉アリ。

 

先輩たちは、3人でワインを試飲しても酔っ払わずに、帰りにぶどうの丘の「天空の湯」に浸かって、終了したそうです。 小生は、勝沼ぶどう郷駅(12:41発)から中央線に乗って、高尾と御茶ノ水で乗り換え、最寄りの幕張本郷駅(15:28着)へ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

10月の勝沼は、小生の都合で一緒に歩けなかったのですが、11月20日(木)はオジン4人組で駅ハイ 中野を楽しく歩きました〔次回のブログで、紹介いたします〕。

     

 

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