「JR ウォーク」で 渋沢栄一翁ゆかりの史跡めぐり(in 深谷)(2回目)

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ハトちゃんは、12月5日(金)、「東京駅開業100周年記念 ~日本煉瓦と渋沢栄一翁ゆかりの史跡めぐり(約15km)」駅ハイに参加。

10~12月号のパンフレットには掲載されていない、後から追加されたコース。

当日は、前日の雨もあがって、朝から晴れてウォーク日和と思い、急遽、出かけることに。

高崎線深谷駅は、上野駅から高崎線で、熊谷の二つ先。普通電車で約1時間20分かかります。

駅のホームから、近代経済の父といわれる「渋沢栄一生誕の地」の横断幕が掲げられていて、駅舎は、日本煉瓦の代表地にふさわしく東京駅丸の内駅舎の赤レンガと同じ造りが目を惹きます。

 

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〔コース〕

スタート 深谷駅→旧深谷宿常夜燈→福川鉄橋→ホフマン輪窯6号窯→煉瓦資料館→尾高惇忠生家→旧渋沢邸「中の家」→渋沢栄一記念館→誠之堂・清風亭→ゴール 深谷駅

 

141205 (2).JPG駅構内の市民サービスセンターで受付と思いきや、誰も係員がいなくて、構内巡回中の掲示。5分も待ちぼうけ。快速アーバンの到着時刻(9:50)にいないとは駅ハイ初。改札口に聞きに行こうとすると男性係員とバッタリ。やっと、スタート受付(10:02)。

 

駅北口からまずは線路に沿って続く遊歩道へ。深谷駅から小山川のほとりにかけて、かつて煉瓦工 141205 (5).JPG場への引き込み線が敷かれていました。1975(昭和50)年に廃線。この専用線の距離は約4km程となっていて、現在は遊歩道として整備されています。

この深谷煉瓦工場は全国的にも有名であの東京駅にも使われているそうです。

この遊歩道は、あとでわかりましたが、煉瓦資料館まで4.2kmと、いや~長くて単調! 植え込みがあって、周囲は畑が多く、歩行者と自転車と区分されている専用道路。ウォーク・散歩などにはもって来いですが?

 

最初のポイントは、旧深谷宿常夜燈〔江戸時代中山道深谷宿の東と西の 141205 (6).JPG入り口に、常夜燈が建てられ、旅人の便がはかられた。東端の本常夜燈は明治初頭に建立。高さ約4mで中山道中最大の常夜燈。深谷宿の発展を祈願して、天下泰平・国土安民・五穀成就という銘文が刻まれている〕へ(10:21)。

 

続いて、2kmほど先の福川を渡って、間もなく右手にブリッジパークと呼ばれる公園 141205 (11).JPG 141205 (14).JPGがあって、ゲートボールが行われていましたが、手前に福川鉄橋日本煉瓦専用鉄道が走っていた頃に架けられた鉄橋で鋼板桁橋〕へ(10:38)。

鉄道の線路があり、ブリッジパーク側に下りると、全貌が見えますが、今回は遊歩道から線路の部分を見学。

 

また、黙々と歩いて行きます。途中、隣接するトイレを借りま 141205 (19).JPG 141205 (16).JPGす。また、少し風が強くなって来たので、1枚ジャンバーの下に着込みました。たまに前方から歩いて来る地元の方と軽い会釈。800m先に備前渠鉄橋がありました(10:59)。小川にかかる小さな煉瓦橋。左側は草で覆われていたので、川の右側に下りて、撮影。

 

遊歩道の終点にあたる県道由良深谷線にぶつかり、すぐ右手に、渋沢栄一他2人の顔写真がある幟が建っている、日本煉瓦資料館(旧事務所)〔富国強兵 141205 (21).JPGのスローガンを掲げる明治政府のもと、1888(明治21)年に操業を開始。製造された煉瓦は、東京駅や東宮御所(現赤坂迎賓館)などに使用されており、日本の近代化に大きく寄与。しかし、時代とともに煉瓦需要が減少し、安価な外国産煉瓦の市場拡大を原因として、2006(平成18)年約120年の歴史に幕を下ろした。現在は、写真や文書などの貴重な資料を展示〕へ(11:05)。

 

開館は土・日曜なので、本日は門が閉まっていました。隣りのホフマン輪窯〔ドイツ人ホフマンが考案した連続焼成の可能な窯で、6号窯は長さ56.5m、幅20m、高さ3.5mの規模を有する〕も予約制なので、今回は見学せずに確認のみ。

 

由良深谷道を来た道を戻って、小山橋手前で左折して、小山川沿いの 141205 (23).JPG 141205 (22).JPG土手を歩きます。遥か前方には、赤城山も見えました。

しかし、ここの歩きは大変。向かい風を歩くことになり、風速は3~5mが常時吹いて来ます。あとで、渋沢栄一記念館の職員に聞いた話では、赤城山からの空っ風で「赤城おろし」と地元では言っていて、この地は風が強く、熊谷に劣らず、寒暖の差が多いそうです。

 

いったん、唐沢川の土手に入って、再び小山川へ。川に生えている葦が、だいぶ横になびいていました。 1枚着込んで正解!それでも手はかなり冷たくなりました。

 

八郷橋を渡って、県道14号・伊勢崎深谷線の大塚から下手計の交差点を左折すると、間もなく尾高 141205 (29).JPG惇忠〔世界文化遺産富岡製糸場初代場長・栄一翁の従兄で、学問の師でもあり、富岡製糸場の設立に当初から尽力〕の生家へ(11:52)。中は自由見学ができて、係員が説明してくれます。

 

鹿島神社の先に、右手奥に屋根が丸くて、横長のちょっとプラネタリウム似の渋沢栄一記念館が、やっと見えて来ました。

 

駐車場前を横切り、館内に入館(12:04)。右手が八基公 141205 (34).JPG 141205 (33).JPG 141205 (31).JPG民館で左側と2階にかけて、栄一翁の写真や資料がたくさん展示されています。また、イメージキャラクター「ふっかちゃん」の人形がお出迎え。館内は無料で、説明・紹介も聞けます。

 

12時をまわっていて、食事中の公民館職員の方に、歩き疲れたので、帰りの近くのバスを聞くと、『市内循環バスが1日5本で、次が14時15分と約2時間後。深谷駅までは約6kmで、1時間半ぐらい徒歩でかかります。岡部駅の方が少し近い』 とのこと。

赤城おろし」の風と、単調な道で、だいぶ心身とも疲れて、正直、帰りは歩きたくないと思っていましたが、それも無理。ゴール手続きの関係で、スタートの深谷駅へ戻らなければなりません。

水を飲んで、軽食の菓子を頬張って、休憩後、意を決して、後のポイントも全部まわって、深谷駅まで歩くことにしました。

 

このあたりが「論語の里」と呼ばれていて、渋沢栄一の生家中の家)へ(12:32)。栄一翁は、養蚕 141205 (36).JPG 141205 (38).JPGや藍玉作りと販売、雑貨屋・質屋も兼ねて裕福な家庭で育てられました。

 

門構えが立派で、広い敷地に、塀で囲まれています。現存する主屋は妹夫妻が明治28年に建てたものだそうです。主屋内も見学、 141205 (41).JPG 141205 (40).JPG敷地内に写真と案内板がありました。

 

帰りは、元来た道を戻って、尾高惇忠生家前を通って、コースマップとは違って、わかりやすい広い通りを通って帰ることに...。

 

下手計交差点を右折して、伊勢崎深谷線を道なりに進みます。広い共栄橋を渡って、間もなく北部運動公園が左手に見えて、公園事務所に立ち寄りました(13:05)。

 

事務所で、誠之堂・清風亭の見学手続きを台帳に記入し、芝生広 141205 (47).JPG場を通って、両建物前へ。

 

誠之堂―1916(大正5)年、栄一翁の喜寿(77歳)を祝って第一銀行の行員たちの出資により建築されました。 名前の由来は、渋沢栄一自身により命名さ 141205 (46).JPGれ、儒教の代表的な経典のひとつ「中庸」の一節「誠者天之道也、誠之者人之道也(誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり)」にちなんだもの。煉瓦造平屋建、建築面積112㎡。外観は英国農家に範をとりながらも、室内外の装飾に、中国、朝鮮、日本など東洋的な意匠を取り入れました。

 

 

清風亭― 1926(大正15)年、当時第一銀行頭取であった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念し 141205 (45).JPGて、清和園内に誠之堂と並べて建てられました。建築資金は、同じく第一銀行行員たちの出資によるもの。建物は、建築面積168㎡で、鉄筋コンクリート造平屋建。外壁は、人造石掻落し仕上げの白壁で、対称的に黒いスクラッチタイルと鼻黒煉瓦がアクセントをつけています。

 

その後は、同じ県道を南下。深谷バイパスを横断。そ 141205 (48).JPGの先に名前が目立った雷電神社・雷電寺を過ぎて、深谷警察署、福川の二枚橋を渡って直進。

 

141205 (50).JPG道路の上に標識があり、「国道17号線に900m」という掲示。

二股に分かれて、本来は右側でしたが、広い道路に出たのを17号と間違えて、住宅街を抜けて、間違った道を進んでしまいました。ちょっとした、不注意。

 

通りがかった女性に道を尋ねると、『これから、PTAで深谷小学校に行くので、構内を通ると近道で 141205 (51).JPGすよ』 と。『駅からハイキングで千葉から来ました』と立ち話。一緒に構内を通って、正門のところで『あとは、直進して駅です』と親切に道案内してくれました(13:45)。

 

案内のとおり、深谷駅まではまっすぐで、途中、駅前のマックに寄って、ハンバーガーを2個持ち帰り。駅前広場公園には、渋沢栄一翁の座像が下から見 141205 (54).JPG 141205 (53).JPG上げるようにありました(13:59)。

 

駅に着いて、次の電車の発車時刻を確認 141205 (56).JPG後、ゴールの市民サービスセンターへ。今度は、ちゃんといて、ゴールの受付がすぐにできました(14:02)。時間の関係もあり、本日のコースの感想と要望(①コースの歩行距離をもう少し短くすること②ゴールを最寄り駅の岡部駅にしてほしいの2点をお願いして御礼を言って別れました。

 

帰りは、深谷駅(14:29発)の高崎線で、行きと同じく上野駅経由で帰路に着きました。

歩行距離は15kmということでしたが、風をまともに受けたことと、休憩も少ないのに約4時間もかかってしまい、もう少しあった感じ。今年、1番のロングで難コースでした。

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このページは、hatochanが2014年12月 8日 20:42に書いたブログ記事です。

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