オジン隊「JR ウォーク」で 中野の隠れた名所と元気な街めぐり

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中野」は、歴史と新しさ、豊かな自然と高層ビルが交錯する街をにぎやかな商店街がつないでいます。上から見ると、蝶が羽根を広げたように見える「中野区」へ。晩秋の紅葉も観ながらの駅からハイキング。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

4ヵ月ぶりにオジン隊4人が勢ぞろい。先月の勝沼ぶどう郷が遠出だったので、今月は近場の都内に決定。

 「駅ハイ(中野駅開業125周年記念)中野の隠れた名所と元気な街めぐり約11.4kmにチャレンジ。見所ポイントの盛りだくさんのウォーク。

 

コース

スタート 中野駅→鍋横大通商店会→宝仙寺→桃園川緑道→楽曲「神田川」歌碑→哲学堂公園→野方配水塔→平和の森公園→新井薬師 梅照院→薬師あいロード商店街→中野ブロードウェイ商店街→中野サンモール商店街→ゴール 中野駅

 

11月20日(木)北風が吹く中、駅集合(9:30)後、南口で、コースマップをもらいスタート受付

 

南口を出て、線路に沿ってもみじ山通りを進んで行きます。道沿いに彫刻が並んでいます。正面に、 141120 (1).JPG 141120 (4).JPG私立堀越高校が見えて来ました。 

 

早速、エンタメで話題になった「TVドラマで、堀越高校の生徒を馬鹿呼ばわりしたセリフが放映」されて、校長が抗議したという話で、盛り上がりました。確かに、芸能コースがあり、、通学回数が比較的少ない生徒もいますが、 優秀な生徒もいるので【十把一絡げ】の言い方は、良くありませんネ。 141120 (5).JPG

もみじ山通りを南下。紅葉山公園の紅葉が通りすがりに観えました。

 

坂を上って直進すると、車の行き交いが多い青梅街道へ。右折して、最初のポ 141120 (8).JPGイント鍋横大通商店会へ。ウィンドーショッピングをしながら、先に進みます。「駅ハイ歓迎」の横断幕がぶら下がっていて、うれしい気持ちになりました。

 

 

中野警察署を過ぎて、左手に宝仙寺〔真言宗;1087~1094(寛治年間)、源 義家が創建。1636(寛永13)年、三重塔を建立。徳川将軍のお鷹狩りの休 141120 (14).JPG 141120 (13).JPG憩所としても利用された〕へ。

参道から境内へ入ると、都心とは思えないほど境内も広くて静寂。、本堂(前に空海上人の像あり)、三重塔など、荘厳なたたず 141120 (16).JPGまいに感動。

ちょうど、駅ハイをしていたご夫婦のウォーカーと立ち話。戦前は、このあたりが中野で一番中心の賑わったところで、「中野町役場跡石碑を教えてくれました。

 

 

参拝後、また参道を戻り、青梅街道に出て、左折して進みます。中野坂上の交差点を左折。山手通りの車道と歩行車道は、かなり広くて歩きやすい。「お助け本舗」の便利屋の大看板が眼 141120 (18).JPGに入ります。

宮下の交差点で横断して、塔山小学校の横の細い道へ。桃園川緑道〔中野村を東西 141120 (19).JPG に横断し、神田川に流れていた桃園川(農業用水路)を、1966(昭和41)年に整備、その後遊歩道)は、住宅街の間にあって、植え込みなどがありますが、「緑道」というには、あまりにも草木や樹木が少ない。まあ、都心なので、仕方ないかなぁ?

 

 

神田川が交わる手前に、オジン隊世代のフォークの名曲「神田川」歌碑が立っていま141120 (20).JPGした。みんなで立ち止まり、歌詞を読みながら、古き良き昭和を懐かしみました。

 

コースは、大久保通りを横断歩道まで戻るようになっていましたが、オジン隊は、兼子局長のもと、車に注意しながら、強行して横断。

神田川の沿道は、桜並木が続いていて、シーズンには 141120 (23).JPGお花見が楽しめるスポット。

 

141120 (28).JPG橋を数ヵ所越えてJR中央・総武線の高架下を通って大東橋手前を左折して、JR東中野駅北口へ。途中、局長に教えてもらって、レトロな映画館がありました。

 

駅前を通って、再び山手通りに出ます。右折して、幅広で街路樹の 141120 (30).JPGある道を悠然と歩きます。気温が低くて、肌にあたる風が冷たく感じます。

地下鉄東西線「落合」駅の地上口を発見。その先の早稲田通りを横断して、直進。

 

141120 (32).JPGポイントにはなっていない最勝寺が道路の反対側に見えて、その手前の細い道に入って間もなく、寺斉橋を渡って左折し山手通りの高架下をくぐると、西武新宿線の「中井」駅前。

 

今度は妙正寺川に沿った遊歩道を歩きます。こちらも桜の木が、川の両側にありますが、神田川より若くて細い。

 

体が冷えて来て、トイレ休憩のため落合公園に立ち寄ることに...。黄葉したイチョ 141120 (37).JPG 141120 (35).JPGウの大木と、遊戯施設で園児が遊んでいました。また、川沿いに都内では珍しい「ドッグラン」があり、飼主と共に7、8匹のいろいろな種類の犬が元気に走り回っていました。

川に面して細い石柱だけで支えて、家屋が上部に付いてい 141120 (40).JPGて、窓の手すりも無く人が落ちたらやばそうな、老朽化したアパートを発見。『どうして、あんなアパートが建つのか不思議? 住みたくないね』と、一同、共感。

 

 

 

その後も、川沿いの道を、中小の橋を越えて進むと、前方に哲学堂公園〔この地は、源頼朝の重臣である和田義盛の城址。明治37年に哲学者で哲学 141120 (42).JPG館大学(現・東洋大学)創立者、故・井上円了博士によって精神修養の場として創設された。哲学世界を視覚的に表現し、哲学や社会教育の場として整備された全国に例を見ない個性的な公園。 1975(昭和50)年に中野区立公園となってからも、古建築物の修復、整備を重ね、また区内でも有数の花、樹木の名所として親しまれている。広大な敷地内には野球場・テニス場・弓道場もある〕。

コースは、野方配水塔へ哲学堂通りを直進となっていましたが、ハトちゃんの推薦で『まず、公園内を散策しましょう』と。

園内に入ると、雑木林の階段を上ると、台地になっていて、園内には「七十七場」の各名称案内板と 141120 (44).JPG建造物が立っていて、ところどころに紅葉・黄葉の木々と一体になって、「哲学」の真理の雰囲気が感じられる趣きのある場所です。

【主な建物】

四聖堂」は、孔子・釈迦・カント・ソクラテスを祀り、「哲学堂」とも称 141120 (41).JPGしました。これが哲学堂の名前の起こりです。

 

141120 (43).JPG六賢台 」は、日本の聖徳太子、菅原道真、中国の荘子、朱子、インドの龍樹、迦毘羅]の東洋の六人の哲人が祀られている。

 

哲理門 」は、 哲学堂の正門にあたる。天狗と幽霊が傍らにあり、天狗は物質界、幽霊は精神界の象徴であるという。

 

三学亭 」は、日本の古来からの神学、儒学、仏教学の各碵学、平田篤胤、林羅山、釈凝然を奉崇している。 

しばらく散策して、公園で清掃していた作業員に、『野方配水塔への道』を尋ねると、親切に教えてくれました。

 

隣接するスポーツ施設でテニスを練習している光景を見て、『中高年の女性だけが大勢でテニスをやっている風景は、国の重要文化的景観に指定されている』 と口走り、他の3人は納得。しかし、局長の口から、あとから「ホラ話」だと聞かされ、大笑い。

 

新青梅街道を横断して、配水塔〔高さ33.6mの塔で、現在は地下に埋設された給水塔に譲ってはいるが、国の登録文化財に指定されている〕へ、近道してアパート内の敷 141120 (48).JPG 141120 (46).JPG地を抜けようとするも行き止まり。

蓮華寺横の細い道に変更して、まわり込んで水の塔公園内にありました。離れたところからは、頭のドームが観えますが、近くからは配水塔の高さと太いコンクリートを見上げて確認するのみ。

 

蓮華寺下から、バスが運行している中野通りへ。途中、樹齢年数が古 141120 (49).JPGい桜並木が道の両脇に...。

南下して、西武新宿線の踏切では、通過電車待ち。 141120 (53).JPG

 

新井小学校を越えて右折 141120 (56).JPGして上り坂を進むと、真正面に平和の森公園〔1985(昭和60)年、中野刑務所跡地に部分的に開園。現在も公園を拡張、整備中〕へ。刑務所跡だけに「平和の森」と名づけたという話もあります。

公園管理事務所内1階に平和資料展示室があり、 戦時中の「中野の戦災・学童疎開」資料・写真パネルなどや東京大空襲時の焼夷弾などが展示されてあり、しばし、戦争の悲141120 (57).JPG惨さと平和の尊さを実感。

園内は、弥生時代の復原住居だけを観ました。

 

 

続いて、新井天神通りを抜けて、中野通りの新井五差路を横断すると、新井薬師 梅照院〔新井薬師 141120 (58).JPGとして親しまれ、1586(天正14)年、行春(元北条家の家臣梅原將監)の開基と伝え 141120 (61).JPGられる。本尊の薬師如来は、子育薬師、治眼薬師(眼の薬師)として信仰されている。毎月8のつく日の縁日には露店が並び、大勢の人で賑わいをみせ、縁日の風情を味わうことができる〕の横の門へ。

境内には、本堂前に枝が長く伸びた桜の大木が、で~んと根を張っていて、ねがい地蔵(水をかけたり、拭くスポンジあり)前には、ミニチュアの地蔵も並んでいます。

山門を通って、石碑の前からの眺めは風情があります。

 141120 (62).JPG

新井薬師門前から信号を左折すると、薬師あいロード商店街〔古 くから新井薬師の門前町として賑わっていた地域に、1964(昭和39)年に組織化された商店街〕へ。「あいロード広場」は休憩ができますが、今回はまわりを見ながら、先を急ぎます。

 

早稲田通りの薬師参道入口を右折して、次の信号を渡ると、正面に中野ブロードウェ 141120 (64).JPGイ商店街〔1966(昭和41)年にオープンした地下1階~地上4階まで約300店舗がある〕。天井が低い場所を通過します。出口で中野サンモール商店街と接しています。商店街の照明も明るく、飲食店、生活用品を販売している店などが多数あり、バラエティー豊かな店舗が集まっています。

 

 

続きの中野サンモール商店街〔中野駅北口広場から続く、アーケード商店 141120 (65).JPG街〕で、人通りも多い。音楽がかかっていて、アーケード上部には雪の結晶の飾りつけ。クリスマス商戦もスタート。

 

途中、ゴール受付がないことから、商店街横に入った「味わい屋」でランチとビールで乾杯。小生は、途中の寒さからか、腹を下していたので、酒は飲まずにランチのみ。

炭焼き、海鮮料理の店で、夜がメインでしょうが、店内は照明を少し落として、きれいで空間も広く、食事もおいしくて値段の割に高級感を味わいました。

 

12月の駅ハイを、世界文化遺産になった富岡製糸場に決め、また再会を約して別れました。中野といえば、都心で北口前の中野サンプラザが地域のランドマークになっていますが、2020年までの中野駅前再開発で、サンプラザも壊すニュースが波紋を呼んでいます。実弟の結婚式場と、実父の最後の勤務先であった警視庁警察学校〔すでに2001(平成13)年に府中に移転〕など、思い出多い地ですが、北口の陸橋完成など、変貌しつつあります。仕方ないとはいえ、ちょっと、寂しい感がします。

 

12月9日(火)にハトちゃんの所属するウォーキングサークルも、中野に来て、新井薬師哲学堂公園他をまわります。今回が、ちょうど良い下見になりました。公園や歴史ある寺社をめぐり、新発見に出遭えたウォークになりました。

 

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このページは、hatochanが2014年12月 6日 13:24に書いたブログ記事です。

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