12月9日(火)、「ゆうほ(友歩・遊歩)21」の市外ウォークは、中野の「新井薬師から哲学堂公園を歩く(約6km)」。
「船橋西武」前に9時30分に集まったメンバーは、神田先生を含む13名。JR総武・中央線緩行線で御茶ノ水で快速に乗り換えて「中野」駅へ。
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〔コース〕
スタート JR・東京メトロ 中野駅→犬屋敷の碑→新井薬師→新井薬師公園→北野神社→氷川神社→蓮華寺→野方配水塔→哲学堂公園(昼食)→ゴール 西武新宿線・新井薬師駅
駅前北口スタートは10時31分。新装された陸橋を渡って、サンプラザ広場前へ。
まずは、結婚式場や各種イベントなども開かれるサンプラザの高層ビルを見上げます。隣りの中野区役所に入って、トイレを借用。今月14日(日)の「衆議院議員総選挙」の文字が目立ちます。
6月に報じられたニュースで、「2020年の東京五輪開催を起爆剤に、サブカルチャーの街、中野がさらに変貌を遂げる――」
警察大学校の移転跡地の再開発で2013~14年に早稲田大学、明治大学、帝京平成大学やキリンホールディングスなどを誘致したのに続き、中野区はコンサート会場と して長年、親しまれてきた「中野サンプラザ」を解体・再整備し、JR東日本と組んで初の駅ビルを建設する構想を明らかにした。
ランドマークとして、多くの人から愛されている「中野サンプラザ」の解体は衝撃的で、メンバーもこの話にビックリしていました。
最初のポイントは、区役所前にある犬屋敷(囲い)跡を伝える、7匹(抱えている子犬も含む)の犬の像 があります。
これは、徳川五代将軍徳川綱吉が統治する1695年から1709年の間、綱吉が出した「生類憐れみの令」によって野犬のための犬小屋を作り、その面積は最盛期で約30万坪(東京ドーム約20個分)といわれています。なんと約8万頭の犬が住んでいたそうです。住居には、五つの大きな犬囲いがあり、囲いの中は「犬小屋」「餌場」「日除け場」「子犬養育場」などが完備され、他にも、専門の医者や役人などが配備されていたというのは、驚きです。
中野サンモール商店街から中野ブロードウェイと続く賑やか な商店街をウインドーショッピングしながら、早稲田通りへと...。
右折して間もなく、薬師あいロード商店街(古くから薬師様の門前町と して栄えた)へと進みます。
メンバーから、「あい」の意味は「遭い」「愛」など、いろいろな意見が...。
薬師門前交差点から参道へと。門をくぐると、大きな桜の木が本堂前にあって、新井薬師 梅照院 〔新井薬師 として親しまれ、1586(天正14)年、行 春(元北条家の家臣梅原將監)の 開基と伝え られる。薬師如来と如意輪観音の二仏一体を本尊としている。本尊の薬師如来は、子育薬師、治眼薬師(眼の薬師)として信仰されている。毎月8のつく日の縁日には露店が並び、大勢の人で賑わいをみせ、縁日の風情を味わうことができる〕へ。
ねがい地蔵(水をかけたり、拭くスポンジあり)前には、ミニチュアの地蔵も並んでいます。
裏が新井薬師公園〔かつては、新井薬師の境内だったところ〕。ひょうたん池のまわりにベンチが置 かれて、休憩している人もいました。
続いて、中野通りの陸橋を渡って、四つ角手前の北野神社〔新井一円の総鎮守で、新井薬師と同じく僧行春が創建したと伝えられる 。新井天神と称し、文武両道の神とされる菅原道真公、また食物を司る保食神の二柱を祀っている〕境内には撫で牛が祀られていました。
また、梅の紋章が新井薬師と同様に、建物等で見かけました。
それから、北へ直進し、西武新宿線の線路を横断。左側に「沼袋」駅が見えます。いったん、線路に 沿って、駅手前で右折すると前方に氷川神社〔沼袋一体の鎮守〕参道の階段を上ると、茅の輪くぐりのための柱が立っていて、鳥居横に、太田道灌の戦勝を記念した「道灌杉」と呼ばれる杉の大木(現在は、枯れ根が残っているだけ)跡がありました。昔、娯楽としての力比べの力石も置かれていました。
氷川神社を参拝後は、松が谷から妙正寺川の沿道を進みます。川の水量は少なくて、川と沿道との高さが3m以上あって、洪 水の心配はまずありません。
新青梅街道に出るものと思っていましたが、さらに妙正寺川に沿って、先生の案内で、紅葉がまだ観られて落葉で歩きやすい、山道を進んで、江古田公園を抜けて、中野通りの下田橋へ出ます。
下田橋交差点を左折すると間もなく、新青梅街道へ。
蓮華寺下のT字路を横断して、黒い門の蓮華寺〔1741(元文6)年創建;日蓮宗〕へ。これから行く哲学堂、哲学館大学(東洋大学)の 創始者 井上円了の墓を墓参。円了は、1858(安政5)年に新潟県三島郡越路町に生まれた哲学者、教育者で多彩な活動を実践した人だそうです。円了の墓は井桁の上に円形の石をおいて井上円了の名を表現したデザインとなっていて、このデザインは円了の生前の発意だそうです。
メンバーの一人が、円了の洒落っ気に感心。
円了の墓の参道を挟んで反対側の松の根元には、百度石が設けられていました。
本堂を参拝後、水の塔公園へ向かいます。途中、左手に寺 の動物霊園がありました。野方配水塔〔高さ33.6mの塔で、現在は地下に埋設された給水塔に譲ってはいるが、国の登録文化財に指定されている〕へ(12:00)。離れたところ からは、頭のドームが観えますが、近くからは配水塔の高さと太いコンクリートを見上げるのみ。戦時中の弾丸跡は、確認できず。園内地下に災害時の巨大な給水タンクが埋設されていました。
メンバーの中には、塔の中に水が入っているのかどうかという議論があり、後でネットで調べようということに。
哲学堂公園へは、新青梅街道をまわり込んで進み、正午をまわって到着。
哲学堂公園〔この地は、源頼朝の重臣である和田義盛の城址。明治37年に哲学者で哲学 館大学(現・東洋大学)創立者、故・井上円了博士によって精神修養の場として創設された。哲学世界を視覚的に表現し、哲学や社会教育の場として整備された全国に例を見ない個性的な公園〕内に入り、階段を上ると、台地になっていました。
見学は、後回しで、早速、「時空岡」の周囲にあるベンチに分かれて昼食。
日なたのベンチはふさがっていて、日陰のベンチでしたが、風が無く、前月の世田谷区立羽根木公園の強風に比べてベターでした。園内には「七十七場」の各名称案内板と 建造物が立っていて、ところどころ紅葉・黄葉の木々と一体になって、「哲学」の真理の雰囲気が感じられました。
【主な建造物】
「四聖堂」は、孔子・釈迦・カント・ソクラテスを祀り、「哲学堂」とも称 しました。これが哲学堂の名前 の起こりです。屋根の上に、烏帽子の形をした物が付いています。
「六賢台 」は、日本の聖徳太子、菅原道真、中国の荘子、朱子、インドの龍 樹、迦毘羅]の東洋の六人の哲人が祀られています。
「哲理門 」は、 哲学堂の正門にあたる。天狗と幽霊が傍らにあり、天狗は物質界、幽霊は精神界の 象徴であるといえます。右手の天狗は、目測でも確認できますが、左手の幽霊は暗くてよく見えません。写真に撮ることはやめました。TVアニメで「妖怪ウォッチ」が大ブームですが、ここへ来る人は増えたのでしょうか?
「三学亭 」は、日本の古来からの神学、儒学、仏教学の各碵学、 平田篤胤、林羅山、釈凝然を奉崇しています。三角地点の中に入って、パワースポットの力を身体に受けるために、両手を手招きポーズ。
昼食後、園内を先生の解説でしばらく散策。ツツジ園や菖蒲池 の橋を渡って、中野駅方面へと...。
ここが最後のポイントだったので、その後、哲学堂通りを南下して、薬師北口商 店街を抜けて西武新宿線「新井薬師」駅までは約1km。13時1 8分発に乗りました。
帰りは、「高田馬場 」駅で、東京メトロ東西線に乗り換えました。
小生とNさんは、快速を待って乗りましたが、他のメンバーは前の普通電車でゆっくりと帰りました。市外ウォークでは珍しい15時前に最寄りの「京成大久保」駅に到着。まだ早いので、Nさんと一緒に勤労会館のトレーニングで汗を流しました。
今回のコースは、オジン隊(大学の先輩たち3人と小生)で、行ったポイントがダブルところもありましたが、神田先生の博学で、前回見落とした場所も再発見できました。
今年もいよいよ26日(金)の習志野市内ウォークを残すのみとなりました。
「ゆうほ21」では、来年1月13日(火)の葛飾柴又七福神めぐりの際、新年会&昼食会を開くことを決定。
年末の挨拶は次回ブログにて―「ゆうほ21」会長のハトちゃんより
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