爆弾低気圧の影響で雨や強風が続いた3日間が明けた、12/19(金)、快晴で穏やかな日和。オジン隊は駅ハイで富岡製糸場見学&城山散策。
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〔コース〕
上州富岡駅→スタート お富ちゃん家→富岡製糸場→富岡街なか→城山→ゴール お富ちゃん家→上州富岡駅
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今回の駅ハイは、現在でも、ほぼ創業(操業)当初の頃のままの状態で保存されて、明治政府の官営工場でほぼ完全な形で残っている日本で最初の本格的製糸工場 "富岡"。
「富岡製糸場」というと、 日本初の本格的な器械製糸工場で、日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献し、敷地全体が国指定の史跡、初期の建造物群が国宝に指定されている。1872(明治5)年の開業当時の繰糸所、繭倉庫などが現存して いる。また、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として、今年6月21日に世界文化遺産に登録された。
創業以降、官営、三井家、原合名会社、最終的には、片倉工業によって経営された。しかし、社会情勢の変化などで、生産量は減少し、1987(昭和62)年に操業を停止。
片倉工業は、操業停止後も建物の維持と管理に専念し、固定資産税だけで、年間2千万円、その他維持管理費用と含めると、年間1億円以上かかったこともあるそうです。こうした取り組みがあったからこそ、創業当時の建物が良好に保存され、世界遺産として認められるまでになった。
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小生は最寄りのJR「幕張本郷」駅から上信電鉄の「上州富岡」駅まで、各駅停車に揺られて片道3時間半、往復7時間の長旅。昨年の12月に世界遺産登録前に行って以来、2度目。
上野(7:23発)から普通電車を利用して、高崎へ。大学の先輩たちは、新幹線を利用。駅では、 いっ たん改札口を出て、0番線を上野方面に少し戻ると、上信電鉄の改札口。先輩たちが、富岡製糸場の入場券と往復切符の割安セットを買って、待っていてくれました。無人駅がかなりあります。2両編成のワンマン電車に乗ると、無人駅では先頭車両の横のドアだけが開閉し、運転手が切符を回収して、乗降の確認。
35分ほど乗ると、駐車場が見えて、多くの車が駐車しています。「上州富岡」駅へ(9:58)。駅ハイウォーカーや観光客が20数人降りました。
新装された駅構内を抜けて、富岡の街へ。年末の衆議院議員選挙や前職場での最近亡くなられた故人のお葬式や昔話に花が咲きます。
早速、駅前に乾繭倉庫跡。1号~3号倉庫があり、乾燥場まで残されています。
1号倉庫はレンガ造りで明治時代に結成された組合製糸「甘楽社」の倉庫として建てられた赤レンガでイギリス積みが特徴。石積みの2号倉庫は大正時代に造られたもので、大谷石を使用。3号倉庫は土蔵。倉庫跡は、現在「おかって市場」として使われています。
駅前通りを直進し国道256号線に出ます。右折して、手前に、商工会館の建物。
横断歩道を渡って宮本町通りを直進し、徒歩5分ぐらいの左手に 、「 まちなか観光物産館(お富ちゃん家)」―「お富ちゃん」は富岡市のイメージキャラクターで、館内はインフォメーションセンターになっていて、地元の物産やシルク製品、お土産品を販売―ちなみに、故 春日八郎の「♪お富さん」とは関係ありません。古~い(笑)。
受付でマップと資料等をもらってスタート。
前方に「仲町まちなか交流館」があり、城町通りを右に曲がります。舗装道路に製糸場 までの矢印と距離が250mと表記されていて、徒歩5分の至近距離。間もなく、ハトちゃんは手袋が無いのに気づいて、一人「お富ちゃん家」へ戻ることに。係員に聞くも見当たらず。あわてて、3人を追いかけて、製糸場入口で合流。
通りの突き当たりに、赤レンガの東繭倉庫の建物が見えて来ます。
往時の検査人館が事務所で、入場受付。出入口には団体が入場待ちしていました。案内チラシをも らい、早速、入場。出入口右手に、行啓記念碑な どが建っています。
30分間隔で、観光ガイドさんが、ガイドツアーをやっています。
順路に沿って、
東繭倉庫1階が見学できるようになっていて、向かって右手にガイダンス展示と売店。富岡製糸場 の歴史―1872(明治5)年、明治政府により官営工場として近代国家への礎石として建設され、当時世界最大規模を誇っていた―を写真・パネルで紹介。フランス式繰糸器(復元機)の展示、座繰り実演・体験も休日に行われています。
館内は少し照明がほの暗い感じだったのが、かえって雰囲気がありました。
東繭倉庫の外観は長さ100mを越える赤レンガが見事 な「木骨煉瓦造」で、木材の骨組みの間に 煉瓦を積み上げています。
倉庫の2階に乾燥させた繭を貯蔵していたそうです。
通風の用途から窓が多くなっています。ときおり、団体客の後に付いて、ガイドさんの説明を聞きながらゆっくり見学。
途中、原発再稼動が話題になって、現在、各地で太陽光パネルがだいぶ増えて来ていて、遠藤副長宅で採用しているとのこと。会計上、太陽光ソーラーでの発電はすべて東電に売却して、電力使用はすべて東電から配電されたもの。昼間に停電した場合、ソーラーが発電していれば1時間のみ使用可能とのこと。なお、20年で償還できるそうです。
その後、順路に沿って、「検査人館」(フランス人検査官の住居で、2階には、貴 賓室があります)が、現在は立入禁止中。
「操糸場」(入口から、ビデオ上映のある地点まで見学できて、両脇に自動繰糸機(昭和40年代以降に設置された)がずらりと並んでいて圧巻。大部分 はカバーがかけられていますが、一部カバーが外されていて機械を直に観れます。足を止めて見学。場内にガイドさんがいて、説明を聞くことができます。
小屋組は「トラス構造」という建築工法で、内部は柱がない広いスペースと採光用の多くの窓、蒸気を抜く越屋根など。
操業時の「繰糸場」は、300釜の繰糸機が稼動したともいわれ、操業停止まで115年間もの間、休むことなく活躍し続けたそうです。
当時の繰糸場の様子や、女性の顔写真が。「横田(和田)英という人で、身分も高く、後に故郷で指導者となり、また富岡に戻り、『富岡日記』で当時の工女の日常を描いた」 そうです。
恥ずかしい話ですが、昨年製糸場に来るまでは、『女工哀史』のイメージとダブっていて、初来場して、富岡の工女の活躍が、絹産業ひいては日本の近代化に大きく貢献したということを理解できました。
「女工館」(日本人工女に技術を教えるためのフランス人女性教師の住居)外観のみ。
続いて、「ブリュナ館」―床下に煉瓦造りの地下室が現在でも残っていて、高床式で回廊風のベラン
ダが付いています。フランス人指導者ポール・ブリュナ
の住居〔桟瓦葺きの寄棟屋根をもつ建坪320坪の大豪邸。給料は現在の価値に換算して年収5千万円以上(大臣と同程度)の高給〕でしたが、後に、寄宿舎や工女の夜学校として利用されました。
「ブリュナ館」の奥に、寄宿舎が3棟観えました。また左手の 鉄網の下を眺めると、鏑(かぶら)川のゆったりした流れも。
最後に、「西繭倉庫」(外観のみ)は、「東繭倉庫」の構造・ 大きさと同じ。東西の倉庫の間に、高い煙突のある「乾燥場、蒸気釜所」がありました が、現在修復のため解体中でシートが張られていて、立入禁止。
その前が広い庭になっていました。手前右手 のトイレ、自販機横にガイドツアー(40分)の集合 場所があります。
帰りは、街なかを見学することに。すると、製糸場近くに、何と、峠の釜飯で有名な「おぎのや」支店や絹にちなんだ菓子 の老舗、地酒の銘酒販売店などが並んでいて、飲食店、土産店があちこちにあります。街なかは狭いので、すぐひとまわりできます。
通りには「世界遺産」の幟があちこちに掲げられ、観光物産館・交流館も宮本町や 銀座通りにもあって、観光に力を入れています。
その後、「お富ちゃん家」まで戻って、ゴール受付を済ませました。
兼子隊長から 『製糸場だけだと、ウォークではなくて観光になってしまう。天気も良いのと、コース設定があるので城山へ向かう』提案に全員賛成。
コースマップを見ながら、城山へ。
宮本町を駅方面に戻ると、国道との交差点、商工会館隣りに諏訪神社の赤 鳥居。公園小沢通りを進むと富岡市役所。「祝 世界文化遺産」の幕が垂れ下がっていました。踏切を渡って、マップどおりにに進みます。
マップの裏面に城山への写真と道順が書かれているだけなので、距離感がつかめません。 国道254号線富岡バイパス小沢交差点を横断して、高田川(水 が堰き止められていて、川面が高くなっている場所も)に架かる橋を渡って右側の道に入ります。
やっと、駅ハイらしくなって来ました。急な角度の傾 斜を、くねくねと折り返しながら、上って行きます。
「まむし注意!」の看板あり。
間もなく、眼下に富岡のまちが観えて来ました。もうひと踏ん張り歩くと、平らな展望台へ。
案内板があって、その向こう側に富岡の街なみと、 市の南側に位置する山々や 妙義山などを眺望 できます。反対側にも至 仏山の雪化粧が観えました。市街地の中にある富岡製糸場と上州富岡駅を発見。ここで、しばしの展望と休憩。青空に映える見晴らしは、360度ほぼ展望がきいて、気分爽快。上って来た甲斐がありました。
山麓からの標高差は約100m弱もないかもしれません...。一応、車が通れる道もありますが、軽トラ専用...とまでは言いませんが、かなり狭い急坂道。
山?(低過ぎる)を下りて、行きに見つけた、とんかつ「かつ庄」へ。昼食のため入店。中は混んでいました。
やっと一息して生ビールで乾杯。今年1年も無事に終わって感想を。ランチのかつはおいしくて、ご飯とキャベツもお代わり自由。値段もリーズナブルでgood。
新春の吉祥寺駅ハイ(1/9)と、川越駅ハイ(1/30)を決めました。
ゆっくり談笑してしまい、急いで駅へと向かいました。
上州富岡駅で、兼子隊長と山根副長が、お土産に富岡のカイコ(虫)の形をしたチョコレートを探しに行っている間、遠藤副長と待っていたハトちゃんは、
『もしや、行きの車内で手袋を忘れたかも?』 と思い、駅員さんに尋ねると、下り終点の「下仁田」駅へ電話をかけて聞いてくれました。
すると、『手袋があった』ことがわかりました。一瞬、「下仁田駅まで取りに行かねばならない」と思っ たのですが、何と、次の出発する電車で、「上州富岡」駅へ届けてくれるとのこと。
富岡の銘菓「かいこの王国」を買って戻って来た先輩2人は、出発2分前。事情説明を遠藤副長にお任せして、3人を見送ることに...。
次の上り電車到着まで40分あったので、駅前の「あい愛プラザ」へ。
湯茶(無料)の自動サー ビス機があったので、早速、温かいお茶を飲みました。
出入口前は、日差しが逆光になって、建物が暗く写りました。「おぎのや」で釜めしを 買って、ちょっと重かったのですが、夕食用に。
10分前に駅に戻って、ホームでワンマンカーの運転手から当駅の駅員さんに手渡し、確認後、その電車で高崎へ向かうことに...幕張本郷駅へは17時45分着。「ローカル」電車ゆえの親切に、感謝!感謝!
本日の歩行距離は約8km。ということでしたが、城山散策を入れてもせいぜい7kmぐらいの感じで楽勝ムードでした。
晴天下で ~世界遺産登録の富岡製糸場、街なかと城山を散策~ できて、遠出をした甲斐がありました。
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