「JR ウォーク」で 小田原まち歩き

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12/21(日)は遠出をして、期間限定コース「新しくなった小田原の街を歩く(約11km)」に参加。 

ハトちゃんは、総武・横須賀線で戸塚で乗り換えの予定でしたが、最寄りの幕張本郷駅で横須賀線の新橋駅での人身事故により、東京駅止まりに変更とのこと。結局、東京駅から東海道本線各駅停車で、小田原駅へ(9:23着)。東京駅から約1時間半。

 

小田原というと、東海道屈指の宿場町で、箱根関所を控え関東の出入口として栄えました。大きな規模を誇り、本陣をはじめ、旅籠や土産物店、食事処が軒を連ねていました。また、戦国時代から五代にわたって関東を治めた北条氏が小田原城を築城し、城下町の礎を築いて発展したまちです。

〔コース〕

スタート 小田原観光案内所→街かど博物館「砂張ギャラリー鳴物館」→御幸の浜→小田原宿なりわい交流館→外郎博物館→小田原文学館→小田原漁港→街かど博物館「寄木ギャラリー」→松永記念館 老欅荘→清閑亭→報徳二宮神社・小田原城址公園→街かど博物館「のれんと味の博物館」→小田原地下街「ハルネ小田原」→ゴール 小田原観光案内所

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駅改札口前には大きな小田原提灯がぶら下がっています。駅前の観光 141221 (1).JPG 案内所で手続きをしてスタート。天候は晴れですが雲が多い。

 

コースマップを見な がら、東口前から進みます。錦通りを通って、出口を左折し、新玉 141221 (8).JPG 141221 (2).JPGの信号を渡って、山田灸針院の横を入って200mほど行って左側に、 街かど博物館「砂張ギャラリー鳴物館」

本日は日曜日で休館のため、外観だけ。

 

 

元来た道を戻って、広い通りを左折して海岸(相模湾)方面へ。「新宿」で 141221 (5).JPG 141221 (3).JPG国道1号線東海道にぶつかります。横断して、唐人町を過ぎて行きます。市街のあちこちに、町の成り立ちを紹介する東海道の石柱が立っています。また、電話ボックスやバス停留所に城風な屋根が。

 

青物町商店街を抜けて、本町の3番目のポイント小田原宿なりわい交 141221 (7).JPG 141221 (11).JPG流館に先に立ち寄って、トイレ休憩。

中にいたおばさんと立ち話。出るときに『頑張ってください』と言われて、横の道を入り直進して海岸へと向かいます。

141221 (10).JPG

相模湾の御幸の浜海岸〔1873(明治6)年、明治天皇と皇后がお出でになって以来、御幸の浜と呼ばれている〕へ。

おばさんが犬を連れて海岸を散歩中。波が大きく打ちつけていました。眺望が良く、伊豆半島や三浦・房総半島まで見渡せますが、本日はいまいち。しばし、たたずんで潮の香を...。雲行きが怪しくなって来て、折り畳み傘を持って来なかったのを後悔。しかし、松永記念館を過ぎたあたりから、雲が切れて、青空が戻って来る変化の激しい天候に...。結局、雨は降らずに助かりました。

 

元来た道を引き返して、国道1号線に出て左折し、間もなく城をミニチュア化した建物が見えて来まし 141221 (12).JPGた。近くに行くと、ういろうを販売している、外郎博物館〔1885(明治18)年の蔵明治十八年築のお蔵を利用した小さな博物館を2005(平成17)年夏に開設。 24代にわたり代々伝統を守り続ける外郎家は、五代目 定治が 当地に移住してから500年。 独特の店構えの理由、「ういろう」の名の由来、お菓子と薬の起源、歌舞伎十八番「外郎売」との 関係などを、小田原で最も古い商家ゆかりの品々を紹介〕へ。

店員に話せば、入館無料で見学できますが、販売しているので、見学だけはちょっと勇気(言う気)が無くて店頭のみ。写真撮影も断られました。

 

続いて、箱根口を左折して道標「小田原文学館」の角を右折すると、桜並 141221 (16).JPG 141221 (18).JPG木が続きます。途中に、141221 (19).JPG田原文学館〔建物は、幕末の志士で、元宮内大臣でもある田中光顕伯爵が別邸。


1937(昭和12)年建築の洋館は、当時の上流階級の間で流行した南欧風の造りで、屋根瓦はスペインから輸入したもの。庭は、洋風庭園で、要所要所には松を、周囲には桜や楓を植えるなど和洋折衷の様相を呈し、四季折々の美しさを堪能できる。1994(平成6)年に改装されて、小田原出身やゆかりの文学者の作品を展示〕へ。

敷地内に、白秋童謡館という建物がありました。北原白秋が小田原に在住していたころに元宮内大臣・田中光顕伯爵が建てた別邸。大正13年に建てられた楼閣風の軽快な衣装が印象的な和風建築です。

 

西湘バイパスを先の早川橋を渡ると、店頭で昼食を勧める、威勢の良いか 141221 (23).JPG 141221 (22).JPGけ声が聞こえて来ます。新鮮な水産物を取り扱う小田原さかなセンターや水産会館。多くの車が、埠頭に駐車しています。高級外車も10数台止まっていて、目を惹きます。

 

魚市場内は、すでに人はまばらで、付近の飲食店には観光客がたくさん。

小田原漁港〔別名「早川港」と呼ばれ、相模湾の沿岸漁業 141221 (25).JPGの中心地で、毎日、水揚げされている〕には、漁船が停泊中。

魚市場前の通りから、川づたいに二級河川の早川を右側に見ながら、新早川橋へと。東海道本線が走る橋の下をくぐります。

左手に、大きな「ひもの体験館(水産物販売店)」の看板が見え 141221 (27).JPGて、その手前に「寄木ギャラリー」の建物が〔露木木工所は、国指定伝統的工芸品の寄木細工を製造販売。ギャラリーで作品を展示〕。本日は休館日で、出入口のシャッターが降りたまま。外観のみ。

 

新早川橋を小田原駅方面に戻って、コースマップに沿って松永記念館へと向かいます。この間、約1.8kmでポイント間の最長距離。

 

途中、とうふ工房(下田豆腐店―出桁造り)の風情ある老舗の建物を確認。その後、小田原用水の先にある松永記念館へ。

案内板を見間違えて、手前の坂を上ってしまい、坂の途中の家で道を教えていただきました。下っ 141221 (30).JPG 141221 (32).JPGて、正面に寺が見えて、ここだと思い境内へ。ここも松永記念館ではなく、結局、境内を出たところで、ガイドのおばさんに案内されて、館内へ(入館無料)。

 

本館は修復工事中。庭園の池の周辺は、灯篭などがあります141221 (35).JPGが、それほどパッ 141221 (33).JPGとしません 。裏手の山への階段を進むと、老欅荘昭和の電力王、松永安左ヱ門が晩年を過ごした居宅があり、大欅(ケヤキ)と、紅葉がマッチしていて、奈良・平安時代の石造物が置かれた庭園は「日本の歴史公園100選」に選出されている〕へ。一見、簡素ながら近代数寄屋造りで趣きがあります。

 

141221 (36).JPG

続いて、細い道と竹林のトンネルを上って行くと、古稀庵〔明治40年、明治の元勲山141221 (37).JPG縣有朋(1838-1922)が作った庭園で、山縣と益田孝は夫人同士が姉妹で、益田が古稀庵の敷地を斡旋。山縣が古稀(70歳)の寿賀を迎え、「古稀庵」と名付け、終の住処とされた〕へ。

 


現在はあいおいニッセイ同和損保保険の所有で、入館できるのが日曜日だけというのを知らずに。本日は開館日でラッキー。

入園料:100円。受付は誰もいません。箱があったので、そこに料金を入れて、パンフレットをいただき、庭へ。
 
庭は、高低差が14.9mあって、滝などを巧み 141221 (44).JPG 141221 (43).JPG 141221 (40).JPGに利用した山水回遊式の庭園となっています。せせらぎが流れていて、見事な紅葉で、園内で撮影した人と一緒に驚嘆の嵐。紅・黄・緑〔苔〕のコントラストを描いていて、飛び石には葉が水に濡れてくっきりと鮮やか。

ここだけ、紅葉が遅れていて別世界。ちょうど見頃で、本当に来て良かったと思いました。

 

今度は、小田原用水〔戦国時代に北条氏が城下町を潤すために施設した日本最古の上水道といわ 141221 (46).JPG 141221 (47).JPGれる。板橋の取水口から早川の水を引いたもので小田原城下を通っ 141221 (48).JPGている。江戸時代も利用され続け、東海道の中央を流れ、家々に生活用水として分水されていた。取水した水は小田原城のお堀に流れ込んでいる〕沿いを歩きます。用水の横には、人家と道路があって、一輪挿しに水仙などが生けてあって、今でも地元住民が力を入れていることを指し示しています。

 

新幹線の高架下を通って、東海道線の高架下をくぐって、早川口へ。

国道に沿って歩いて行くと、コースは左折。正面に赤い鳥居の山角天神社が見えて来ます。神社の左手から瓜生坂(上り)になっていて、小田原城がときおり遠 141221 (52).JPG 141221 (51).JPG方に観えます。旧小田原城内高校前を通って、道なりに曲がったところに、清閑亭〔政治家・黒田長成公爵の別荘として、明治末期から大正初期に建てられた。敷地は、小田原城 三の丸土塁の一角を占め、数寄屋造りの建物と庭園からは相模湾を一望できる〕。

平屋建てと二階建ての屋根がほぼ同じ高さに見えました。

 

その先が、報徳二宮神社小田原城の駐車場になっていて、横から神社の鳥居を二つくぐって本殿 141221 (54).JPG 141221 (55).JPGへ。本殿前にも鳥居があります。二宮尊徳を祀る神社です。先日のテレビで、神社オタク娘が言っていましたが、鳥居や本殿などの建物が多ければ多いほど、神社の格式が高いということを思い出しました。また、鳥居の通り方も教わったとおりに。賽銭は投げずに、静かに賽銭箱へ。

 

厳かに参拝後は、神社横の道より、城本丸(天守閣)へ坂を少し 141221 (59).JPG 141221 (58).JPGだけ上ります。上は、復興された天守閣を含め公園になっていて、天守閣へ上がったり広場で観光したり、くつろいだり、遊園地で遊ぶ人々も...。桜の名所にもなっています。

 

一息入れた後に、常盤木門をくぐって、城跡のイヌマキ、ビャクシン 141221 (61).JPG 141221 (62).JPG 141221 (65).JPGの古木、馬出門土橋を通って赤い学橋のたもとへ。

途中、甲冑を来た大学生にも会いました。高い石垣 141221 (68).JPG 141221 (67).JPGや鉄門の頑強さ、お堀の広さにあらためて小田原城が難攻不落といわれた所以を感じ取りました。

 

続いて、市民会館前に出て左折。街かど博物館「のれんと 141221 (70).JPG味の博物館」といわれている、だるま料理店〔1893(明治26)年創業の料理店の建物は、唐破風入母屋造りで国登録有形文化財に指定されていて、母屋の昔の写真や当時のぶり漁の写真を展示〕へ。

 

街かど博物館云々は、古くからのなりわい(生業)・文化を、今に伝える展示等や体験ができて、小田原の魅力を高めようとすることから、名づけられています。

 

最後に、11月1日にグランドオープンした駅地下街「ハルネ小田原」へ。新しくできた地下街は明るく、各種店舗を見て歩いて行くと、うめまる広場で今年流行った「 141221 (74).JPG 141221 (71).JPG妖怪ウォッチ」体操と歌で盛り上がっていました。その後、ゴール手続きが無いので小田原駅へ。

時間があったので観光案内所で、資料のチラシ類をもらい帰路に着きました(12:55発)。駅出発時に「♪お猿のかごや♪」で~小田原提灯ぶら下げて~のメロディーが流れて来ました。

 

城下町・宿場町として栄えた小田原の歴史散策と自然・文化に触れた盛り沢山のウォークとなりました。

 

 

 

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このページは、hatochanが2014年12月23日 21:48に書いたブログ記事です。

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