2010年10月アーカイブ

待ちに待っていた、30日(土)「第30回新京成沿線 健康ハイキング」は、台風14号の悪天候のため、11月21日(土)に延期されました。チラシの通りであれば、荒天は中止なのですが、順延になったので、楽しみを先にとって置こうと思います。

朝、起きてみると、雨。雨自体は、さほどでもありませんでしたが、ときおり強風を伴うときもありました。

先週の土曜、23日の「京成電鉄のウォーキング」で、退院後初めて10km以上を歩けたことと、8月末にこのコース(松戸駅近辺の散策)の一部を歩いていて、風情のある場所も知っていたので、本日は期待をしていました。

昨日、新京成電鉄のホームページ http://www.shinkeisei.co.jp/ を見れば、延期のお知らせが載っていたのですが、夜、妻と「韓流ドラマ」にはまってしまい、うっかり、忘れてしまいました。本日の開催について、携帯電話での問い合わせもありましたが、つながらないと思い、とりあえず、スタート地点の新京成「松戸」駅まで行って見ようと思いました。

ちょうど、今日は、妻が土曜ですが仕事だったので、車に便乗し、勤務地の最寄駅「二和向台」駅まで送ってもらいました。

駅に着くと、松戸行きの電車がホームに入ってきたので、あわてて飛び乗ったせいで、駅手前の「お知らせ」にも気づかず、8時46分に「松戸」駅に到着。駅構内の集合場所に行くと、リュックを背負った人が見当たりません。

その時、「今日のハイキングに参加する方ですか?」と、中年の男性から声をかけられました。「本日は、台風の影響で、11月21日(土)に延期になりました」と言われ、ひょっと、目が合った瞬間、見覚えのあるお顔が。

7月16日(金)に、新京成「くぬぎ山」駅前にある、電鉄本社広報課でお会いして、「健康ハイキング」の旧資料(コースマップのコピー)や、広報用の新京成電鉄のグッズをいただいて、その時、お話させていただいた、小川さんだったので、ビックリしました。

他にも、「船橋歩こう会」の役員の方が、対応されていて、いつも、コースの案内や、参加者の安全に配慮いただいていて、本当に感謝しています。

本日も雨の中、連絡係のお仕事、お疲れ様です。

なお、小川さんから、第17回のハイキング参加記念のバッジをいただきました。毎回、とてもデザインが良くて、色がきれいなので、小生は大変気に入って集めています。これで、5個となりました。

次回の参加をお約束して、別れて、JR「松戸」駅から、「新松戸」駅→「西船橋」駅(武蔵野線)経由で、JR総武線「本八幡」駅へと向かいました。

「本八幡」は、娘の高校の最寄り駅で、父母会等で乗り降りして、比較的馴染みの多い場所です。

都営新宿線駅前の「ok」というスーパーは、全体に他店と比べて、大変安いので、通勤時には途中下車して、頼まれて買っていたものです。また、本日、立ち寄った、「和ふ庵」 http://www.wagashi-factory.co.jp/ の蒸したて饅頭は、10月30日(土)のみ、全品10円というサービスのハガキがしばらく前にポストに入っていました。

そのハガキを持って、「和ふ庵」へ。以前、娘の高校時のバイト先でもありました。

ここの一口饅頭は、あんが甘すぎずに、ちょうど良い感じで、また、安価の割に、いろいろな種類もあります。本日は、定番の「黒糖饅頭」、そして「ゴマ饅頭」「栗饅頭」の3種類を買いました。

24日~30日まで大感謝セールだったので、入店した際に、前に二人のお客さんがいて、大量に買い込んでいたため、受け取るまで10分以上もかかりました。

雨の中を帰宅したので、少し濡れてしまいましたが、3時のおやつに、学校が土曜休みの娘と息子と一緒に食べると、すぐ次のが食べたくなるほどのおいしさで、妻の分が残るのか、今から心配です。

「ハイキング延期」のお知らせを見ていれば外出しなかったのでしょうが、逆に出かけたおかげで、「記念バッジ」をいただけたし、おいしい饅頭も食べられたので、良しとしましょうか!

 

10月28日(木)は、天気予報の予想どおり、一日中、冷たい雨が降り続け、気温が真冬並みの10℃を下回るほどの寒い一日でした。

午前中は、「韓流TVドラマ」を観て、午後からは買物の帰りに、いつもの「勤労会館」で筋トレで汗を流しました。

帰宅後、机の引き出しを整理していたところ、以前に登山をやっていた頃の、原稿が出て来たので、読み返して見ました。

1988(昭和63)年に登山が趣味の女性と結婚し、その影響で、主に1989年~2003年頃までは、休みになると、千葉県内にある妻の病院関係のサークルの活動に、たびたび参加して、北岳(日本で2番目に高い山)をはじめ、屋久島での縄文杉観光など、2ヵ月に一度のペースくらいで、山の仲間と一緒に、いろいろな山を登っていました。

2004(平成16)年に、心臓の弁膜症手術をして以来、登山はやめてしまい、現在は今年の5月から、ウォーキングを始めています。

映画館で上映され、日本アカデミー賞にも輝いた作品で、「劍岳・点の記」という映画があり、先日もテレビで放映されて、「劍(つるぎ)」の険しさを思い出し、また、自分たちが苦労して登った、その時の感動が甦って来たので、ここに、当時の「サークル会報」への投稿記録がありましたので、再掲いたします(当時の文章を忠実に表記―「である調」)。

劍岳を初登頂したのが1992(平成4)年、ハトちゃんが、ちょうど40歳のときのチャレンジです。

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                     中年登山隊の劍岳奮戦記

北アルプスへ来るのが、昨夏の白馬以来。3,000m級の登山は2回目である。"登山"といえば、一昔前は別世界の人の話であったが、今は楽しい仲間と年中、山登りをしている。変われば変わるものである。

さて、民医連の立山集会が8月23、24日に開催されることから、われわれ"千葉中年登山隊"も何と北アルプスの重鎮で天を衝く「劍岳」へ無謀なチャレンジを計画したのであった。

22日に、立山・黒部アルペンルートで、バスやケーブル、そしてロープウェイ、バスと乗り継ぎ、室堂へは1時間遅れて到着。さすがに、2,400mを超えているので、肌寒い。集会会場の「雷鳥荘」の前を通り、上り下りを経て、雷鳥沢のキャンプ地を横目に見て、別山乗越の劍御前小屋へと向かう。日頃歩いていないせいで、足取りが重く、ペースが上がらない。しかし、みんなに引っ張られて何とか予定通りに到着して、ほっと一安心。

2日目は、天候晴れ。待望の「劍岳」挑戦となった。眼前に「前劍」の威圧的な岩峰を見て、登れるのか不安がよぎったが、さささっと I 隊長以下7人は急傾斜を這い上がる。途中、ルートを間違えたが親切な他の登山グループの指導員に大声で注意される。間違えた道の帰りがまた怖い。足下には急な岩場が見え、谷が広がる。

初の鎖場で落石に注意して上り下りするが、汗が冷や汗と混じって緊張する。前劍頂上からいよいよ「劍岳」頂上へ急峻な岩場を進む。残念ながら、ここで一人リタイア。"平蔵のコル" で声をかけてくれたカッコ良い指導員に再会し、登り方を教えてもらう。説明を受けて "カニの縦ばい"とわかり、足場を確認しながら慎重に這い上った。「劍」頂上はガスが多く、遠く日本海は見えなかったが、爽快感と、登った満足感でいっぱいになった。感激のあまり、泣き出す仲間もいた。頂上は、思ったより広くて、風もあまり無かった。

しばらく感激に浸った後、下りの "カニの横ばい"へ。最初の一歩は、緊張で足が思うように動かず、同行の仲間に迷惑をかけてしまった。

山行の帰宅後、新聞に大学生の単独山行で、この場所で滑落したことを知り、自分たちは無事で良かったと。険しい道を下りて行って、「剣山荘」が視界に見えた時はどんなに嬉しかったことか、山荘の水の冷たくて美味しかったことか。こうして、「劍岳」登頂は、一生の思い出になった。

翌日は低気圧の影響で雨。予定を変更して、雷鳥沢経由で「雷鳥荘」へ。激しい雨に、上から下着までずぶ濡れ。「民医連」の集会では、各地から来た代表の方々と交流ができ、有意義であった。

今回は、岩壁を這う箇所もあったが、「劍岳」登頂という目的が達成され、山歩きを満喫できた。

さまざまな表情をした、自然の息吹きを感じて、印象的な「立山の夏」が過ぎて行った。

本日(10/27)は、千葉県も10月としては記録的寒気の襲来となりました。起きると、飾り窓の内側には、結露が付いていて、早速、乾いた雑巾で拭く作業となり、最低気温も11度となり、昨日よりも 7度くらい低めの寒い朝でした。一気に冬が来たみたいの体感でした。

洋服をいつもより 1枚羽織って、朝食後、陽射しが出て来たので、溜まっていた洗濯物を洗濯した後、2階のベランダに干して、とりあえず、昨日、予定していたことを終えました。明日も天気が悪くて、午後から雨が降るとの予想でしたので、本日を逃すわけには行かなかったのです。

その後、外に出るのも寒いので、何をやろうかと思案した末、久しぶりに、「家計簿」をつけることにしました。結婚して、何年たってから、自分の担当になったかは忘れましたが、在勤中から「家計簿」をつけることは、小生の家での仕事になっていました。

毎回、スーパーをはじめ、各種の領収書は、必ずきちんともらって、家計簿に費用項目ごとに記帳して、毎月の家計の費用の推移を見ることにしています。

一応、先週までは、項目ごとに、「領収書」の店名と品物、値段をつけていましたが、今年の5月からの毎月の集計をサボっていたので、本日、やっと手をつけようという気になったのです。

最近は、パソコンでもソフトなどで、入力すれば、自動計算してくれる便利なものもありますが、小生は、「アナログ」スタイルの「家計簿」が慣れていて、面倒くさいのですが、ずーと続けています。

「家計簿」が紙の場合は、一目で毎日、毎週の欄が見れること。鉛筆で書けば、すぐ消しゴムで消せて、訂正しやすいこと。パソコンでの分類(例えば、野菜、魚など)が、細かいのに比べ、店名の領収書の合計で書けるので、店ごとにいくら払ったかが分かる利点があります。

さらに、紙では、その日の特記事項(旅行先やその日の出来事など)を一行でも記載しておくと、「日記」にもなり、そのときの記憶が甦って来ます。

小生は、こういった利点を生かして、「家計簿」をつけているので、余り苦になりません。縦横の合計が合わないときは、イライラしますが、それも最後は必ず合うと思って、納得してしまいます。

文系出身の小生ですが、数字を使うのは意外と好きで、大学の事務で「会計」の仕事を数年、やった経験もあります。

「家計簿」は、貯金をするのにも役立ち、出費の多い月の原因や、買物の節約にもつながるので、面倒くさがらずに、地道につけて、賢い主婦(主夫)を目指しましょう!

ここのところ、秋も深まってきて、土曜を除いて、秋雨がぐずつく曇り空の日が続きますが、自宅の庭も真夏には、ほとんど伸びていなかった草や樹木が、だいぶ長く伸びてしまって、草がぼうぼうの場所もあり、かなり目立っていました。

というのも、入院以前には、小生が2、3日おきに、芝生やその他の草とりや、木の剪定をしていたのできれいになっていましたが、入院している間に、あの記録的猛暑も去って、台風や雨が降ったせいで、植物も元気を取り戻した反面、雑草や枝が伸びてしまったのと、落葉がたまってしまい、庭が汚く見えます。草があまりに伸び過ぎると、あまり、手をつけたくなくなります。

体調も戻ってきたので、テンションを上げて、22日(金)の市内ウォーキングの後、さすがに小生の意外?ときれい好きの性格上、これ以上ほっとくわけには行かなくなったので、思い切って、庭の草とりを始めました。

湿った場所には、緑色のコケも生えていたので、丁寧に「草削り」の鎌を使って削り取って行き、大きく伸びた草は、両手にはめた手袋で、できるだけ根元から抜く作業を続けました。その日は、疲れてしまっては元も子もないので、場所を特定し、1時間半で4.5ℓ のゴミ袋 2個に集めました。

きれいになった所と、まだやっていない草がぼうぼうの所と比べると段違い。早くきれいにしたくなりましたが、結構、庭が広いので、腰が痛くならない程度で止めました。

土曜の23日は、前回、書いた「京成のさわやかウォーク」で電車に乗って、出かけたこともあり、さらに午後に映画に行ってしまったので、お休み。

しかし、日曜の24日は、前週の日曜に「船橋健康センター ゆとろぎの湯」でつめ放題で大量にゲットした「さつまいも」を持って、西八王子の実家に帰宅。

そこでも、実母が高齢でできない、庭の高木の剪定と、みょうがの葉っぱを切って、周囲のごみをまとめて同じ大きさの袋に2個のゴミをまとめて、玄関横に置いて来ました。また、ちょっと早かったですが、食べられる柿をもしり、10個ほど、帰りにお土産としていただきました。

25日(月)の午後は、頑張って、残りの草とりを2時間半ほど行い、ゴミ袋がさらに2個できて、本日のゴミ回収(燃えるゴミは、毎週火、木、土)に出しました。

まだまだ、芝生の中の雑草は、手がついていないので、天候を見ながら、地道にやって行こうと考えています。

できれば、草とりの後は、晴れてくれると地面が乾いてくれると、コケや小さい草が生えるのが遅くなって、ありがたいのですが。

まぁ、少しずつきれいになっていく庭を見ると、気持ちが良いのですが、もう少し年をとってきたら、自分だけではできなくなって来るでしょう。  できるだけ、この作業をやれることを、楽しみだと思って、行わないと、やっていけませんね。

爽やかな秋空の下、京成電鉄の「第59回さわやかウォーク」に参加しました。前日に、習志野市内で約8kmウォーキングしましたが、とくに退院後の痛みなどが出なかったので、何とか大丈夫だろうと思い、自宅の最寄駅の「京成大久保」駅から約25分ほどの「京成酒々井」駅に向かいました。

電車に乗ると、ウォーキングの格好をした人たちが同乗していて、「京成酒々井」駅では、一度にどっと降りて、駅前の集合地点では、かなりの混雑。いつもなら、9時からの出発まで待たせられるのですが、本日はすでに順次出発していました。小生も、手続きを済ませて、8時55分に出発。

本日は、病み上がりでのウォーキングということもあり、20kmのロングコースではなく、12kmのショートコースを選び、最初はゆっくりとしたペースで歩き始めました。約10分は、のどかな田園風景と里山散策を楽しみながら、のんびりと人の後について行きました。分岐点の酒々井小学校下までは、両コースの共通コースになっていたので、団体の参加者も多く、結構、連なって歩いていました。

分岐点の酒々井小学校下では、船橋歩こう会の方が旗を持って声をかけて、それぞれのコースへ道案内をしていました。一瞬、左のロングコースへ向かう人をうらやましく思いましたが、健康のことを考えて、当初の予定通り、ショートコースの方へ右折しました。

開腹手術した関係で、腹圧がかかると思い、自重しようと思いましたが、担当医のウォーキングの許可も出ていたので、そこから少しずつスピードアップしました。

「佐倉」市内には、「佐倉藩」に関する建物や城跡もあり、今回は歴史も訪ねられ、とても変化があり興味のそそられるコースでした。分岐点後、しばらくすると、トイレ休憩のできる「本佐倉城跡」に到着。そして、後は「根古谷の館」横を通り、ほぼまっすぐに南下して行きました。

体調の方も良かったので、どんどんスピードアップして、コースの半分ほど約 6km行ったところにある、両コースの合流点の「白銀バス」停で、交通整理をしていた係のおじさんに聞いたところ、前に100人ほど歩いて行ったとのこと。すぐ前にいる人を目指して歩いて行きました。思っていたより、足が軽くて膝や腰も痛くなかったので、快調なリズムで、腕も振って、再びウォーキングのできる喜びを噛みしめていました。そのうち、一人、二人と抜いて行けました。

ウォーキング中、気づいたことですが、今回の参加者も、中高年の方がほとんどですが、中に家族連れの子どもや、障害を持っていた方が付き添いの方と頑張って歩いていました。

「白銀公園」を過ぎて、ココからが、道が細くなって、前の人の姿が見えなくなると、「歩こう会の標識」を見ないと、違う道に行ってしまうほど細い道になって来て、左右を間違えやすい感じで、ちょっと歩きにくい道でした。黄色の紙に赤の矢印の方向に、神経をとがらせて歩行しましたが、イベントではなく、一人では地図を見て歩いても、一度では歩けないほど難しい感じがしました。

コースを進んで、佐倉市内に入ると、コースの様子が一変。

立派な門構えと庭の見える、当時の建物「旧堀田邸」[国の重要文化財に指定]http://www.city.sakura.lg.jp/shisetu_guide/hottatei/hottatei.htmや、「武家屋敷(旧但馬家住宅)[市指定文化財]」http://www.city.sakura.lg.jp/shisetu_guide/bukeyasi/bukeyashiki.htm をはじめ、往時の城下町の武家屋敷を今に残す建物が、道の両側に見られ、貴重な文化遺産に触れることができました。

くねくねと曲がった道を進むと、目の前に見慣れた風景が現れてきました。それもそのはず、前に妻と来た「国立歴史民俗博物館」 http://www.rekihaku.ac.jp/ のある「佐倉城跡公園」(佐倉城跡を残す緑多き公園)内に入りました。ここは、かなりの広さで、植物園などもあり、県下の桜の名所にもなっています。

木立の中を歩いて、坂を下って行くと、やっと、目の前に佐倉市街が見えました。ゴールの「内郷公園」に着いたときには、下着まで汗びっしょりで、10時45分を時計の針が指していました。公園内を見回してみると、先着の10人ほどが水分補給などで、休憩していました。

12kmを、2時間弱で歩き切ったことは、ほとんど以前と変わらない体力が戻りつつあることが証明できて、自信がつきました。最後は、ちょっと無理した感がありましたが......。

ゴール受付の11時30分まで待つ間、ベンチの隣席の船橋歩こう会の会員の方と、ウォーキングの話で盛り上がりました。来週の新京成電鉄のウォーキングにも参加することを確認。

本日は、タイトルにもある「さわやかウォーク」ができて、本当に参加して良かったと思います。

「スタンプカード」のスタンプも 3個になり、記念品のプレゼントまで 2個となり、次回(来年4月予定)も、今からどこを歩くのか、楽しみになってきました。

12時ちょっと過ぎに、家に戻って昼食後、妻と一緒に、京成「千葉中央」駅前の「京成ローザ」で、トム・クルーズとキャメロン・ディアス共演の「ナイト&デイ」のアクション映画を、充分に堪能しました。

今日は、「人格形成(京成?)」づいた一日となりました。

雨が心配されましたが、くもり空の下、1ヵ月半ぶりに、習志野市のウォーキングサークル「ゆうほ(友歩・遊歩)21」の皆さんと一緒にウォーキングしました。

当日(10/22)、京成「実籾駅」に9時30分に集合。小生は、駅から5分ほど歩く「東習志野ヘルス・ステーション」のある「ブレーメン習志野」の建物前に、チャリンコを止めました。退院後、久しぶりに距離のある、ウォーキングだったので、テンションが上がり、30分も早く駅を横切って見た時には、誰も集合していませんでした。したがって、「ブレーメン習志野」建物内で、時間をつぶして、それから駅に向いました。

集合場所には、5分前に着きましたが、すでに神田先生をはじめ、中村代表(手術後、装具を装着中)を含めた12名で、「平成22年度版 習志野市健康なまちマップ」の今日歩く予定の「買物コース」へと、出発。このコースは、「イオン」や「セブン&イレブン イトーヨーカドー」の大型ショッピングセンターがある、どちらかといえば、広い道路を歩いていく、道がわかりやすいコース。

先生とは、9/7の千葉国体の市民協力員で「国際水泳競技場」で一緒に仕事をして以来で、「病気で入院していたこと」を、代表からお聞きになって、退院後の状況等を報告させていただきました。

他の皆さんからも、久しぶりに顔をみせたこともあって、病気の原因や、手術、入院生活の話等を、ウォーキングの最中に、聞かれたので、「結構、大変だった」ことを話しながらも、すぐにうちとけて、楽しく歩くことができました。

まず、「東習志野ヘルス・ステーション」に向かい、スタンプを押してから、すぐそばの公園で、先生の指導の下、準備体操で身体をほぐし、秋になった季節での服装などのお話が。

その後、「ハミングロード」に出て、「有森裕子記念碑」のできた理由と、横にあった「この道路が陸軍の鉄道跡だった」との貴重な歴史的経緯の話を、先生から聞いて、一同、感心しきり。

さらに、途中、「買物コース」から、先生の提案で、寄り道を。

習志野の「自衛隊演習場」のある「習武台」を見に行きました。2階建ての屋根ぐらいの高さの丘の上に、ポールが立っていて、旗が立っているときは、落下傘部隊などの演習がある日だそうです。残念ながら、今日は立っていませんでした。

その先の、「市立習志野高等学校」の第二グラウンド、野球部の合宿場がある専用グラウンドにも案内していただき、ここは無料で入れることになっていて、入口に甲子園に出場した『記念顕彰碑』があり、昭和37年度夏の初出場から、昭和42年度夏と、50年度夏の全国優勝の字は、赤字で刻まれていて、最近の平成21年度春の横には空白がありましたが、早く、この碑の文字がいっぱいになって、石の追加が、市民の一人としては見たいものです。

昨夏、今夏とも、県代表に今一歩の準決勝敗退と、残念な結果でしたが、最近は戦力がアップしているので、近く優勝して、県代表で出場してほしいと願っています。

中年になって、小生が運動を始めた際、親切に教えていただいた、習志野市のスポーツ振興協会の職員である、石神さんが、習高野球部のコーチをやっているので、応援に力が入っています。

続いて「実花緑地公園」は、公園としては狭いのですが、小生が、夏に一人で歩いたときは、中は緑が多いので涼しくて、休憩するにはもってこいの場所。道路を隔てて、前には約2万坪の「日立製作所工場」が見えました。習志野市の東習志野地区には、昔の農地から工場ができて、その周りに工業団地ができて町が発展していったそうです。

少し歩いて行くと、誰かが「スカイツリーが見える?」と。しかし、結局、「東京スカイツリー」ではなく、「隣の船橋市の三山のテレビタワー」だということが判って、一同、爆笑。

最後に、京成線の踏切(工事中)まで一直線に進み、そこで、先生からの説明があり、水道管の工事で、地中に埋設されている水道管の太さを見てビックリ。武石インターチェンジからの道路がここまで延びて、踏切ではなく、踏み切りの下をアンダーパス(地下道路)する道路を作るための、架設の試験的工事で、これからガスなどの工事も引き続き行われるということです。

最後に、この踏切手前を右折して、京成線に沿った、一直線の道路を200m行ったところで、12時ちょっと前になり解散となりました。寄り道をしたので、約 8kmのウォーキングでしたが、久しぶりに皆さんと雑談をしながら、復活の一日となりました。

その後、時間に余裕のある人だけ、昼食に行こうということになり、神田先生と中村代表を含めた6人(もちろん、小生も一緒)で、駅前の「サイゼリア」で昼食をとりました。先生と代表は、生ビールを注文。今後の話や色々な話題に花が咲き、結局、13時までおしゃべりしてしまいました。

 

10月21日(木)、本日の天気予報では、千葉県習志野市は「曇り」のはずでしたが、起床すると、すでに道路の路面は濡れていて、小雨模様。

しかし、前夜、妻と娘に頼まれた特売商品を求めて、「イトーヨーカドー 津田沼店」に行くことを約束してしまいました。起床は、最近は夏ほど早くなく、7時ぐらいになりました。ここ2日間、天気が悪かったせいもあるのですが、何とか乾いた二日前の洗濯物だけ、ハンガーから取りはずし、きちんとたたんで、各人の部屋に置きながら、一方で、その後、溜まった洋服を全自動洗濯機で洗濯し、家の中に干していると、いつのまにか店の開店時間9時が刻々と迫って、あせって来ました。

干すのを途中にして、9時10分前にチャリンコで自宅を出発。電車にすると、一駅ですが、結構、チャリンコでは信号等で時間がかかり、店に着いたのが9時10分過ぎでした。

食料品売場は買物のカートがぶつかるほどの盛況ぶり。いち早く、1200限定パックの「赤たまご」(10個入り)95円を、まずゲット。次いで、野菜コーナーに行列ができていたので、何かと思って並んでいる人に聞いてみたら、やはり、300個限定の レタス1コ 98円へ集まっていたのです。

20番目ぐらいで、順番に店員から、渡されたレタスはちょっと小ぶりで、葉がしおれていましたが、まぁ安いので仕方がないと思って、とりあえず一安心。

その後、チラシにマジックで印の付いた商品をさがして、カゴに入れていきました。

娘に頼まれた、「諸国うまいもの」コーナーが見つからず、三万石「ままどおる」(お菓子)のある場所を、ちょうど レタスの追加の箱をチェックしていた中年の女性店員に聞いていたとき、目の前にレタスの箱ケースが小生の目に入りました。

そこに入っていたレタスは、先ほど渡されたレタスよりも、ひとまわりも大きく、新鮮な品物でした。小生は、機転を利かせてというより、主婦感覚丸出しで、店員さんに「先ほどのレタスと交換して!」と懇願。見事、交換に成功して、今夜、帰ってきたら、妻と娘に自慢できると確信しました。

また、娘の好きな人気商品の「ままどおる」の場所も教えていただき、買うことができました、賞味期限が、10月26日と短かったのにちょっと不満が残りましたが。

店内は、雨で平日というのに、ごった返しの状況。レジのとき、目の前に並んでいたおじさんが「雨の日は安いから、客が多いんだよ」と話していましたが、「どういう意味かわかりません」でした。ふだん、小生は津田沼店には行かないのであまり関係ないと思っていました。あとで、3番目に起こった「値引きシール」をもらって、その意味が解りました。

チラシに印を付けた商品は、全部買えたので、1階に上がって帰ろうと、店内を歩いているとまたもや行列が。警備員の人から、本日は現金10,000円で、「セブン&アイ商品券」11,000円分を販売しているとのこと。またもラッキーにぶつかり、持ち合わせの現金が20,000円あったので、整理券を2枚買えて、多数の行列の後ろに並んで、運よく「商品券」をゲット。これも、本日の大収穫でした。

帰宅してチラシを見ると、一番先頭の紙面に「3日間限定で配布の広告」が出ていたのを、すっかり見落としていました。

さらに、良くは聞こえなかったのですが、「10時までで~配布が終了です」という店内アナウンスが聞こえたので、何気なく同階のその場所に行ったところ、雨の日に配布店舗で利用できる「雨の日得だ値!」 20円引シールが10枚(11月30日まで有効)あるシール用紙も、10時前のギリギリにもらえて、まさに三重の喜び。

うきうきして、駐輪場に戻って、駐車場の係員のおじさんと話していたところ、小生の住所の近くから「プレミアム付商品券」を買いに、急いでチャリンコで来たおばさんが、小生の話で「10時に終わってしまった」ことを聞いて、がっかりしていました。明日もやることを話したのですが、残念ながら仕事で来れないそうです。本当に悔しがっていました。

意気揚々と自宅に帰って来ましたが、午前中は、残っていた洗濯物を干して、その後、外壁のブロックと道路にはびこった、緑色のコケをモップで落として、きれいにしました。

昼食は、「餃子の王将」で、新聞の紙面広告の餃子無料券(今月の31日まで有効)を持って、近くの商店街の途中にある店内で、餃子とライス(中)を注文し、財布の中を見たところ、先ほど、ヨーカドーで2万円を使ってしまって、ライス代金の小銭が足りません。

おかみさんに事情を説明し、チャリンコですぐさま戻り、商店街の入口近くの取引銀行のキャッシュカードで現金をおろしてUターン。とんだ、恥じかきの一幕でした。

帰りに、「勤労会館」に寄って、「筋トレ」をして、心地よい汗をかきました。ついでに、受付の人に「ハトちゃん」のブログの検索を宣伝させていただきました。

小雨の中、外に出かけて、大収穫の一日となりました。

昨夜(19日)は、大変、うれしいことがありました。

今朝の新聞のスポーツ面にも、大きく報道されていましたが、プロ野球のパリーグのクライマックスシリーズ(CS)のファイナルステージで、リーグ3位の千葉ロッテが、ソフトバンク(同優勝)を、見事、7-0で破って、4勝3敗で、日本シリーズに進出したことです。リーグ3位のチームが、日本シリーズに出るのは、初めてとか。

1勝のアドバンテージが、ソフトバンクにあり、さらに相手のホーム球場での戦いと、ロッテには不利な状況下で行われたにも関わらず、1勝3敗の劣勢から、脅威の粘りで、一戦一戦、勝って行き、最終戦は、成瀬投手の完封で、チームも完勝したのには、応援し甲斐がありました。がけっぷちに追い込まれても決してあきらめないチームは、同じ千葉県に住む一ファンとして、とても誇りに思いました。

「良かった、良かった!」

ただし、パリーグのラストステージの最終決戦ぐらいは、テレビ(地上波)の実況中継が無かったのには、非常に残念な思いと、好意的なスポンサーがいないのか、がっかりしました。

これも野球中継での視聴率低下が原因なのかなと。ちなみに、セリーグは地上波で4試合放映。

仕方なく、パソコンのヤフー・スポーツの中継を観ていました。選手の姿が見えないので、迫力が伝わらないし、想像するしかありませんでした。

9月2日に、千葉マリン球場で、生で野球観戦をして、そのときは、楽天を相手に完勝しましたが、その後の試合は、取りこぼしもあり、一時は、3位になれるかどうか、日本ハムとのデッドヒートもあり、最後の3連勝で何とか「すべりこみセーフ」という、ファンにはヒヤヒヤものの結果でした。そのときも、脅威の粘り腰で勝ち残り、勢いをそのままに、シリーズに突入して、試合があったことが返って幸いだったかも知れません。

確かに、リーグ3位のチームが短期決戦で日本シリーズに進出できる、現在のプレーオフ制度の問題がまた浮上すると思いますが、ファンから見ると、この制度があるために、優勝の後に、もう一度、チャンスができて、3位以内であれば、また試合を楽しめるので、小生はこの制度の継続を希望します。

これで、ロッテの西村監督が、リーグ最終戦に言った、「日本シリーズで、本拠地(千葉マリン球場)に戻って来る」という約束が実現。

11月2~4日には、地元マリンスタジアムは、大変な盛り上がりになるでしょうが、小生も、今回、ロッテが非常に頑張ってくれたので、最低、1日は、球場へ足を運ぼうと考えています。チケットをゲットしなければと、今から興奮気味です。

そして、できれば、日本シリーズにセリーグから巨人が進出して戦えば、きっと盛り上がり、さらにロッテが "日本一" になってくれれば最高だと思います。

 

9月3日以来となる、筋トレも14日(木)~16日(土)と、本日19日(火)と、退院後、やっと4日間、運動できるようになりました。

14日は、退院後、初の運動をしたせいもあり、ストレッチから恐る恐る身体を動かして、ウォーキングを15分ほどで切り上げ、全体として約30分ほどで終わりました。

習志野市「勤労会館」受付の顔見知りの職員の方から、しばらく顔を見せていなかったことを聞かれ、事情を説明して、無理しない程度に運動するようにとのことでした。

このトレーニングルームでは、トレーナーがいないため、自分自身の判断で、自分のトレーニングメニューをこなしていくようになっています。これは、やりやすいようで、結構、難しいのです。身体を鍛える機械をどうしても、自分の好きな(やりやすい)ところに偏りがちで、自由さが返って、あまり運動効果に結びつかないという欠点にも、なりがちです。

自分のメニューがしっかりしていれば、自分のペースで、好きな時間できるという利点もあります。

筋トレ2日目以降は、少しずつ、他の機械も使い始めて、感触をたしかめていました。ただし、腹筋の機械で手術前は、大体、30回ほどは軽くできたものが、やはり、開腹したために、かばったせいもあったでしょうが、1回もできなくなっていたのには、参りました。

トレーニングを始めて30分ほどして、珍しく、大学生の息子が(今回で2回目)声をかけてきたので、ビックリしました。今日は、学校がチャリンコで行ける所で、当日は学校が早く終わったので、急に思い立って来たそうです。

機械の利用方法を、息子に教えることに時間を取られました。息子は、軽い重さでも、参っていました。若いので、もう少し、筋力を鍛えなければ、これから、社会に出たとき、頑張れるか心配です。

中学、高校時代は陸上部で、体育系だったのですが、最近は、全然、運動をしなくなって、まぁ、痩せていて、上半身の筋肉はほとんど貧弱な状態です。

これから、頑張って「三日坊主」にならなければと願うばかりです。

3日目には、ウォーキングの時速も 5.4kmで、30分間もできるようになりました。少し、自信が持てるようになりました。

本日19日(火)には、ウォーキングで、さらに時速も 5.9kmで、30分間、多少、息切れしましたが、以前のペースで歩けるようになったことと、運動した後の、汗をかいた爽快感がとても気持ちが良かったです。

まぁ、あまりペースを上げずに、無理をしないようにして、健康のために筋トレも続けて行きたいと思います。

 

昨10月18日(月)に、手術の担当医に術後の傷の具合を診るためということで、入院した病院の診療所に向かいました。外科の診察は、内科に比べて早いので、30分ほどで呼ばれて、その後の経過の話と、術後の傷跡について見せて、先生は「傷の具合も良好で、運動もどんどんやって構わない。ウォーキングもOK」とのことでした。

小生の方から、一つだけ、「腹部の上部にしこりみたいのがあるのですが?」と聞いたところ、何でも「それは縫った糸で、しばらくすると身体の中に溶けてしまう糸です」とのこと。触ると違和感があるので、早く溶けて欲しいなぁ と思いました。帰りに、入院していた病室の方に会いに行って、ちょうどその話題が出たので聞いてみると、数年、残っているとのことで、ちょっと、不安になりました。

ちょうど、インフルエンザの接種が10月1日から始まっていたのですが、体調が戻ったので、外科の診察のついでに、予防接種をしてもらいました。

小生は、病院の友の会に入会しているので、一般より安い 3,000円の料金でした。

会計の番号を待っていたところ、会計の計算機に出て来た金額は、3,000円で、外科の分が入っていなかったので、間違いだと思い、受付にいた事務職員に聞いてみました。

1~2分後、調べて回答してくれたのですが、今月は再診なので、外科の分は 0円とのことでした。

医療費の診療報酬については、詳しくないので、納得はしなかったのですが、診療所側の話で、結局、予防注射代だけで良いとのことで、正直、得をした気分になりました。

医療費は、最近、請求時に点数表示がされた明細書をくれる医療機関が出てきましたが、やはり、素人にはよく解りません。

いつも、定期健診に行って、採血検査と、診察、そして1ヵ月分の薬をもらうと、軽く1万円に達してしまいます。医療費が高いために、医者にかかれない人もいるご時世です。

たまには、今日みたいな日もあって良いかな、と思った次第です。

やっと、開腹手術の傷も癒えて、17日の日曜に、8月29日(日)から1ヵ月半ぶりに、千葉県船橋にある「健康センター ゆとろぎの湯」 http://www.kenko-center.com/funabashi/index.html  に行って来ました。

当日は、16時から「詰め放題」があることは、ホームページを見て知っていましたが、妻は雨飾山に友達と前日からハイキングに行っていて、一人で暇を持て余していたので、思い切って「ゆとろぎの湯」(家から片道 自転車10分、電車で10分、送迎バスで約7分の便利なところにあります)に行こうと出発しました。

今年は、4月から隔週の日曜に、各種の詰め放題を実施していて、できるだけ実施日に合わせて、こちらの天然温泉に浸かることにしていました。

お湯の種類と、泉質も Good ですが、岩盤浴の多さ、休憩室や大宴会場での各種催事も多彩で、行くと半日はゆっくりできて、何よりも身体と精神がリラックスできます。

JR「船橋」駅前14時30分発のバスに乗り、本当に久しぶりに天然温泉に入浴することになりました。料金は、割引券を使って1,400円のところを1,000円支払い、浴衣やタオル、バスタオルの入った袋を片手に、脱衣場へ。行くといつも挨拶してくれる、80歳で働いている、元気な男性店員さんから、声をかけられ、この間の状況を説明。「久しぶりに来て、良かった」ことを伝えると、「詰め放題、頑張ってね」と言われました。

裸になって、あらためて腹部を見ると、へその上に約10センチの真新しい傷が見えました。

まぁ、気にしないというと、嘘になりますが、いつもどおり、ゆっくりとお湯に浸かって、気分もリラックスできました。病み上がりということもあって、少し早めにあがって、休憩室で寝転がっていました。

受付にいた、いつも「詰め放題」を仕切っている若い店員さんに聞くと、本日は「サツマイモ」だそうです。ちょうど、家に無かったので、ラッキーと思い、気合が入りました。30分前には、誰も並んでいなかった「大宴会場」でしたが、20分前に行くと、結構、おばちゃんや、おじさんが並んでいました。

何度か見た常連さんもいましたが、初めてのお客さんも1/3くらいいました。

16時になると、100円払って、小さめのビニール袋を一つ受け取り、いざ会場へ。「天国と地獄」(よく運動会で流れる曲)に合わせて、8人ずつが壇上に上がり、台の上にばら撒かれた「千葉産のサツマイモ」を一生懸命に詰めて、中には反則気味に、手で持っていく人も。制限時間があるため、真剣な姿や、中には詰め過ぎて袋が破れて笑いも起きて、和気あいあいと進行しました。

センター側のサービスの一環でやっているので、大目に見ていただけたので、トラブルはありません。ベテランの人は、やはり上手にかなりの量をゲットしていました。

小生も、久しぶりだったこともあり、2回目も並んで挑戦。1回目以上の収穫がありました。これで200円は、本当に得した感があり、大満足。大小合わせて、計31個の4.9kgという結果でした。

「ゆとろぎの湯」さんには、申し訳ないくらいですが、また、他の日にも足を運びますのでお許しを。

山から帰って来た妻に、袋に入っている「サツマイモ」を見せるとその多さにビックリ。これから、どんな料理にするか、悩み中です。

 

10月13日の深夜、妻が「あっ、失敗した」という声を上げました。

何のことかわからず、聞いてみると、「自分のパスポートの有効期限が本日までだった」そうで、うっかり継続の手続きを忘れていたそうです。普通は、1ヵ月前くらいに手続きをすれば問題なかったのですが、そういうことが結構、おっちょこちょいの妻には、あります。

さぁ、それからが大変。

早速、パソコンのホームページで再手続きの方法を紙に打ち出して、「翌日以降に手続きをしなくては」と、本人はあせっていました。

妻は、小生と違って、一人でも海外旅行に行ってしまうほど、結構、海外旅行に行くのが好きで、『パスポート』は、必需品ともいえる物です。

継続ならば要りませんが、再手続きには、戸籍謄本または本人記載の戸籍抄本が必要とのことでした。

14日は用事があったので、翌々日の15日(金)に、習志野市の国勢調査の調査員資料や調査員任命証(入院のため、辞退)を返却しに行くついでに、市役所の窓口で、戸籍謄本を取りに窓口に行きました。

市役所内は、平日の午後ということもあり、比較的空いていましたが、案内係の女性の方に、書類を受け取り記入していたところ、あることに気がつきました。いつも「住民票」はここで取れていたので、戸籍謄本もココで取れると勘違いしていたのです。

戸籍関係の書類は、めったに取らないので、戸籍が「八王子の実家にあること」をすっかり忘れていたのです。提出する前に気がついたので、市役所の窓口にいた職員の方には、迷惑をかけませんでしたが、案内係の女性に話すと、苦笑い。

「あまり、使わないので間違える方が多いんです」とのこと。親切に、郵送用の書類をいただき、チャリンコで自宅へ帰りました。

妻が、仕事を終えて帰ってきたところ、妻も「八王子でなく地元で取れると思っていた」らしく、二人で勘違いという、お粗末な結果でした。

急いで、郵送するのかと思いきや、妻は「今度、海外へ行くときで間に合う」とのこと。それだったら、あわてて行かなくても良かったのにと思いました。まぁ、帰りに、急いで買った郵送用の「定額小為替」の有効期限(6ヵ月)までには、きっと、また海外旅行に行っていることでしょうから。

「市役所に行った、くたびれもうけの一日」でしたが、忘れていた戸籍の所在地がわかっただけ、良しとしましょう!

最近、そうですが、たまに顔はわかっているのに、その人の名前が出て来ないこともあります。記憶力は、年々、落ちて来ています。何かあったときに、メモしたり、覚えることをしないとダメだと痛感しています。

 

習志野市で5月1日~9月30日まで行われた 「すすんで歩くまち習志野キャンペーン2010」には、『スタンプ部門』と『歩数部門』がありましたが、小生も5月26日から遅ればせながら開始して、入院する前日までの9月8日(水)まで、5箇所のヘルスステーションに設置された「スタンプ」を押すのを楽しみに、ほとんど毎日歩いていました。

「習志野市内のコース」他、京成電鉄、新京成電鉄、JRのイベント、そして自分で「ウォーキングマップで見つけたコース」などを歩いて、計156個のスタンプを押しました。

残念ながら、9月9日以降については、スタンプ0個という結果で、目標の200個には到達できなかったのが、心残りではありましたが。

「歩数」の方も一緒にカードに付けていたのですが、平均すると、一日7千歩ぐらいでしょうか?総計するには、5ヶ月分もあり、計算するのが面倒なので、どちらかの部門の応募のみの受付でしたので、今回は『スタンプ部門』にしました。

10月15日までの応募でしたので、13日(水)に、自宅から一番近い「屋敷ヘルスステーション」にカードを提出しに行きました。

その際、ウォーキングのスタンプを受け付けていただいた、女性職員の方から「久しぶりですね」という言葉をかけていただいたので、入院してこの間、歩けず、ここに来れなかったことを話したところ、「あまり無理をしないように」との、優しい言葉をいただきました。

盛夏の猛暑の中、ウォーキングしてスタンプをもらったときにも「十分な水分補給をしてください」と言われていた時には、自信過剰気味で、「まさか、胆石で入院するとは」 頭の片隅にも、思ってもいませんでした。

参加賞に「各種健康に関するチラシ」と「谷津バラ園の招待券」のプレゼントをいただき、今度は妻と一緒に「秋バラ」を観に出かけたいと思います。

またウォーキングの方は、少しずつ距離を延ばして、続けたいと思います。

来週の22日(金)に、ウォーキングサークルの定例の「市内ウォーキング」があり、サークルの中村 代表に参加したい旨、電話で連絡しました。

代表も、上腕・肩の再手術日が、何と小生と同じ9月16日だったとのこと。偶然同じだったそうです。

22日が、今から楽しみです。サークルの皆さんと楽しいウォーキングが、また再開(再会)できて、健康づくりのために、充実した日々を送りたいですね!

10月6日(水)の退院後、しばらく静養していましたが、昨日から、シャワーからお風呂に入るようにしました。それまで、傷跡にガーゼを当てていましたが、それも大丈夫そうなので、何もつけないで、連休明けの12日(火)に、思い切って八王子の実家に帰ることにしました。

帰ると決めたその日に限って、当日の朝、娘の携帯から家に電話が鳴りました。以前にも一度、提出レポートを忘れたときに、途中で降りて、娘の専門学校の最寄り駅の「中野」駅へ届けたことがありました。

今回も、偶然に八王子に帰る時で、「メガネと傘を忘れた」とのこと。娘はひどい近眼なので、「メガネ」が無いと、黒板の字が見えないので、小生は朝食のパンを持ってあわてて、退院以来、乗っていなかった「チャリンコ」に乗って、駅へと急ぎました。少々、切腹していたので、「チャリンコ」は不安でしたが、早く忘れ物を届けたい一心で、普通のスピードでこいでいました。

電車に乗って、隣駅のJR「津田沼」駅で総武線が車両点検でストップ。あわてて、隣ホームに止まっていた始発の東京メトロ快速に乗り換えて、少しでも早く着こうと必死でした。しかし、小生は朝、東京メトロに乗ったことが無かったので、知りませんでしたが、浦安から先は、各駅停車で、一個一個止まっていったので、結構、時間がかかりました。約束の時間には、10分前に間に合いましたが、後で、調べて見ると、JR総武線で「御茶ノ水」で乗り換えて、JR中央線快速に乗り換えた方が、東京メトロの快速よりも約10分ほど速いことがわかり、ガックリ。 そのおかげで、一つ、勉強になりました。

忘れ物を改札口で渡した後、次の快速で、実家のあるJR「西八王子」駅へ。途中、降りたものの久しぶりの電車での実家帰りです。妻の実家でもらった「冬瓜」一つをリックに背負って、約10分ほど歩いて、(途中、上り坂もあります)実家に着きました。

母は、まだ病院から帰って来ていませんでしたが、鍵を開けて寛いでいたところ、程なく、福祉タクシーで帰ってきました。膝と腰の手術で、杖を持っての歩行のため。

母は、小生が入院していた際も、だいぶ心配していたとのことで、小生の少し痩せた姿を見て、また、心配そうでしたが、すっかり良くはなっていませんでしたが、努めて元気な姿を見せて、庭の高くなった樹木を剪定したり、話をしたので、少し安心した様子でした。

帰りには、今年は暑さのせいで、病気にかかったものもあったそうですが、庭の葡萄棚から、良かった「葡萄(ぶどう)」を、3房取ってくれました。また、田舎からもらった柿や、その他お菓子類などのお土産をたくさんもらいました。

8月22日(土)から、久しぶりの実家でした。そのときは、猛暑の中、JR「八王子」駅から往復ウォーキング(片道50分)しても平気だったことを考えると、月日のたつのが早いことと、これから、体力を回復していかなければと、思った次第です。

最後に、母から「あまり無理をしないように」という言葉をかみ締めながら、実家を後にしました。

母も、満86歳で、父が亡くなってから8年が経ちますが、少しでも長生きしてもらえればと、切に願っています。

10月も半ばを過ぎましたが、小生のブログも約1ヵ月半ほど、お休みしてしまいましたことを、改めて深くお詫びいたします。

9月8日(水)台風8号と時を同じくして、病に倒れたのですが、突然、強い吐き気と悪寒、そして激痛が走りましたが、風邪で腸炎を起こしたぐらいに考えて、病院で夜通し、点滴を受ければ治る程度で、翌日には自宅に帰れるとばかり、思っていました。しかし、当夜の救急医は、「胆石だろう」との診断でした。

翌9日早朝、血液検査の結果、胆石から胆嚢炎を引き起こしたとのことで、急遽、入院と相成りました。胆石があったことは、健診で判っていましたが、まさかこんなときに!

そのために、千葉国体も一日だけのお手伝いに。また、ウォーキングもことごとくキャンセル。そして、10月の5年ぶりの国勢調査員も直前に辞退するはめになってしまいました。

最初の5日間は炎症を抑えるために、絶食で、点滴を抗生剤を含めて、2本を一日中、受けていたので、だんだん体重も落ちてきて、ウォーキングで鍛えたふくらはぎも、あっという間にやわらかくほそくなってしまい、ショックでした。体重は一時、入院前と比べ、6kgも減ってしまいました。心臓病があるために、血液をさらさらにする薬を服用していましたので、手術前は、その薬を止めました。

心臓病のために、病院側で、手術までに約1週間、病状と、手術時の安全さを診ていたので、時間がかかりました。

16日(木)に手術日が決まり、医師の手術方法等が妻とともに、説明を受け、覚悟を決めました。前日は、二人部屋から個室に移されたのですが、やはり、21時消灯でしたが、睡眠薬を飲んだのですが、緊張していたのか、なかなか眠れず、ナースセンターに2度も足を運んでしまいました。

声をかけてくれた看護師さんの「だれでもそうですよ」という言葉で、一抹の不安も解消され、その後は朝まで眠れました。

手術日は、内臓の手術のため、前日の昼(流動食)、夕(無し)で、当日の朝も浣腸されて、これは効き目が早く、すぐにトイレに駆け込む状態になりました。

午後2時の予定が、一人キャンセルが出て、1時間繰り上がりました。12時過ぎに妻が来て、少ししゃべっていたとき、看護師さんが呼びに来て、「いざ出陣。まな板の鯉の心境」となりました。

前回(3年前に同じ病院で別の病気で手術)した際は、手術台に乗せられて手術室に向かいましたが、今回は歩いて、妻と付き添いの看護師と一緒に、同階の手術室前へ。

中に入る前に、手術のスタッフは、妻(数年前まで、同病院で勤務)の知り合いの医師や看護師で、小生も顔見知りの方もいて、何か気まずいんですが、逆にホッとした感も......。

手を手術台に縛られるところまでは覚えていたのですが、今回は全身麻酔の手術で、麻酔薬のせいで、気がついたら、病室のベッドに横たわっていました。妻の話では、1時間半ほどの手術だったとのこと。

麻酔が切れてくると、傷口の痛みと熱が出て、2~3日はベッドに横たわって、安静の日々でした。しかし、昔と違い、翌日からリハビリのため、少しずつ歩行訓練もあり、小生は、医師がビックリするほど、院内を、点滴をやりながら、点滴棒[滑車(5個付き)]を滑らせて、リハビリに精を出しました。

不思議なもので、身体の具合の悪い時は、よく眠れていたのですが、身体が徐々に元気さを取り戻してくると、起きている時間が長くなり、夜も21時の消灯に寝つけなくなって来るのです。

そんなときは、看護師に断って、1階の救急外来の守衛さんのところに行って、仕事を邪魔しないように話をしたりもしました。

小生の病気は、胆石が落っこちて、胆嚢の摘出手術と、総胆管へのTチューブ取り付けということで、比較的軽い病気でしたが、このTチューブが抜けるまで、術後、約3週間かかったので、1ヵ月の入院生活となりました。異物が入っていると、結構、これが気になるんです。

入院中は、十数年前に住んでいたアパートの近所の方にも偶然、会えました。

小生は、閉所が苦手なので、窓側にしていただいたので、読書やテレビに飽きると、車や人の往来を見てリラックスしていました。

また、看護師の皆さんには、前回の入院で知り合いになった方もいましたが、今回、上戸 彩 似の新人看護師の I さんは、とても明るくて、早朝から出勤して、先生と一緒に回診につきあっていて、とても好感が持て、元気をもらっていました。これからが看護師生活が大変でしょうが、ぜひ頑張ってください。

病院内では、入院患者の模範になるようにできるだけ努力し、食事時の談話室でも、一緒に入院している人たちとも、人生や病気の悩みなど、短い時間でしたが、和気あいあいにおしゃべりしました。

食事もまあまあの量と味で、いつも完食して良かったのですが、困ったのは21時消灯で起床6時の生活が慣れて来て、退院後、22時を過ぎると、ひとりでに眠くなってしまうことです。

そんなこんなで、10月6日(水)に退院して、やっと10日ほどたちました。猛暑中に入院したので、シャバ?の空気は涼しくなっていてビックリ。

「闘病記」は、オーバーですが、今後は、あまり、病院とは仲良くなりたくはありませんよね。

「何よりも健康が第一」だと改めて痛感しました。

 

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