10月28日(木)は、天気予報の予想どおり、一日中、冷たい雨が降り続け、気温が真冬並みの10℃を下回るほどの寒い一日でした。
午前中は、「韓流TVドラマ」を観て、午後からは買物の帰りに、いつもの「勤労会館」で筋トレで汗を流しました。
帰宅後、机の引き出しを整理していたところ、以前に登山をやっていた頃の、原稿が出て来たので、読み返して見ました。
1988(昭和63)年に登山が趣味の女性と結婚し、その影響で、主に1989年~2003年頃までは、休みになると、千葉県内にある妻の病院関係のサークルの活動に、たびたび参加して、北岳(日本で2番目に高い山)をはじめ、屋久島での縄文杉観光など、2ヵ月に一度のペースくらいで、山の仲間と一緒に、いろいろな山を登っていました。
2004(平成16)年に、心臓の弁膜症手術をして以来、登山はやめてしまい、現在は今年の5月から、ウォーキングを始めています。
映画館で上映され、日本アカデミー賞にも輝いた作品で、「劍岳・点の記」という映画があり、先日もテレビで放映されて、「劍(つるぎ)」の険しさを思い出し、また、自分たちが苦労して登った、その時の感動が甦って来たので、ここに、当時の「サークル会報」への投稿記録がありましたので、再掲いたします(当時の文章を忠実に表記―「である調」)。
劍岳を初登頂したのが1992(平成4)年、ハトちゃんが、ちょうど40歳のときのチャレンジです。
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中年登山隊の劍岳奮戦記
北アルプスへ来るのが、昨夏の白馬以来。3,000m級の登山は2回目である。"登山"といえば、一昔前は別世界の人の話であったが、今は楽しい仲間と年中、山登りをしている。変われば変わるものである。
さて、民医連の立山集会が8月23、24日に開催されることから、われわれ"千葉中年登山隊"も何と北アルプスの重鎮で天を衝く「劍岳」へ無謀なチャレンジを計画したのであった。
22日に、立山・黒部アルペンルートで、バスやケーブル、そしてロープウェイ、バスと乗り継ぎ、室堂へは1時間遅れて到着。さすがに、2,400mを超えているので、肌寒い。集会会場の「雷鳥荘」の前を通り、上り下りを経て、雷鳥沢のキャンプ地を横目に見て、別山乗越の劍御前小屋へと向かう。日頃歩いていないせいで、足取りが重く、ペースが上がらない。しかし、みんなに引っ張られて何とか予定通りに到着して、ほっと一安心。
2日目は、天候晴れ。待望の「劍岳」挑戦となった。眼前に「前劍」の威圧的な岩峰を見て、登れるのか不安がよぎったが、さささっと I 隊長以下7人は急傾斜を這い上がる。途中、ルートを間違えたが親切な他の登山グループの指導員に大声で注意される。間違えた道の帰りがまた怖い。足下には急な岩場が見え、谷が広がる。
初の鎖場で落石に注意して上り下りするが、汗が冷や汗と混じって緊張する。前劍頂上からいよいよ「劍岳」頂上へ急峻な岩場を進む。残念ながら、ここで一人リタイア。"平蔵のコル" で声をかけてくれたカッコ良い指導員に再会し、登り方を教えてもらう。説明を受けて "カニの縦ばい"とわかり、足場を確認しながら慎重に這い上った。「劍」頂上はガスが多く、遠く日本海は見えなかったが、爽快感と、登った満足感でいっぱいになった。感激のあまり、泣き出す仲間もいた。頂上は、思ったより広くて、風もあまり無かった。
しばらく感激に浸った後、下りの "カニの横ばい"へ。最初の一歩は、緊張で足が思うように動かず、同行の仲間に迷惑をかけてしまった。
山行の帰宅後、新聞に大学生の単独山行で、この場所で滑落したことを知り、自分たちは無事で良かったと。険しい道を下りて行って、「剣山荘」が視界に見えた時はどんなに嬉しかったことか、山荘の水の冷たくて美味しかったことか。こうして、「劍岳」登頂は、一生の思い出になった。
翌日は低気圧の影響で雨。予定を変更して、雷鳥沢経由で「雷鳥荘」へ。激しい雨に、上から下着までずぶ濡れ。「民医連」の集会では、各地から来た代表の方々と交流ができ、有意義であった。
今回は、岩壁を這う箇所もあったが、「劍岳」登頂という目的が達成され、山歩きを満喫できた。
さまざまな表情をした、自然の息吹きを感じて、印象的な「立山の夏」が過ぎて行った。
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