コース;東川口駅 西光院戸塚中台公園戸塚立山公園西福寺(三重塔)花と緑の振興センター興禅院小林もみじ園金剛寺赤山城跡源長寺埼玉高速鉄道新井宿駅
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川口というと、京浜東北線で赤羽駅の一つ先、荒川を隔てて橋一本で東京都。東川口は武蔵野線で下車。東京とさいたまの間にあり、東京志向が非常に高い?でも埼玉県。江戸時代に日光御成街道の宿場がおかれていて古くから鋳物で栄えたまちで、現在でも工業地帯があり、工場や中小の会社が多い。歴史があり、住宅街も近郊にあり、アクセスに便利なことから住民は約60万人(2017年12月1日現在)で県内2位。
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去る11月24日(金)、オジン隊でハトちゃんは東川口駅ハイ「豊かな安行の自然と歴史遺産をめぐる紅葉散策(約9km)」に参加。東川口駅は初めて降りました。
スタート受付は駅前。
兼子隊長は集合時刻の30分前に到着。小生も15分前に。隊長から「遠藤さんが、電車の網棚にリュックを忘れてしまって、遅れる」とのこと。10時過ぎて、遠藤副長が空身で到着。 幸い、財布や携帯など大事な物はポーチに入れていてセーフ。駅に忘れ物の手続きをして、見つかれば携帯に連絡がある」とのことでした。
当初のハプニングがありながら3人でスタート。山根副長は検査でお休み。
リュックのいきさつや他人事ではない老いによる人物の顔覚えや物忘れの話に。
また、病気や健康管理の話題にも触れて、和気藹々と話ながら最初のポイント西光院へ。途中、自 転車が右側通行して来て、未だに道路交通法が守られていない現状を嘆きました。西光院近くの矢印がわからず、道に迷って石段を下ってしまい、近所の方に聞いて、やっとコースに戻ってたどり着きました。前のウォーカーを信じたのがアダになってしまった!
また、隊長が中国から帰国したお土産話がたくさん。8日間の旅で残念だったのは、貴州省ミャオ族(苗族)の芦笙祭〈期待していた民族衣装を着た人たちの踊りが観られず仕舞いだった〉とのこと。中国の板を渡しただけのトイレやそのまま飲めない水から、日本の衛生処理のすばらしさの話題に。
川口といって思い浮かぶのは、キュ・ポラ〔コークスの燃焼熱を利用して鉄を溶かす炉〕の町。
吉永小百合主演で、1962(昭和37)年に公開された浦山桐郎監督『キューポラのある街』(早船ちよの小説)を思い出し、皆でうなづきました。
戸塚支所を左折した場所に西光院。真言宗豊山派。叡牙が1573-1592年(天正年間)に開山、1593(文禄2)年に青龍山傳福寺西光院と号したといわれ武州川口七福神の弁財天となっています。
続いて支所まで戻って直進して先の信号を左折。本行寺〔日蓮宗〕前を通って歯科医院を左折。このあたりは、横浜の 戸塚区で有名な戸塚と同地名。
戸塚小学校の校庭を見ながら、ジグザグにマップを見ながら進みます。東川口駅前から延びる県道さいたま鳩ヶ谷線に出て左折すると、戸塚南小学校と戸塚下台公園。時計塔横にカタツムリのモニュメント。学校と公園が結構多い。途中から左に入ると駐車場があり、傍に戸塚スポーツセンター。
センター前を通って細い道に入り間もなく山道に入って、雑木林が残る戸塚立山公園へ。安行(近くに埼玉高速鉄道の埼玉安行駅)には自然が残っていて、近所の方々がうらやましいと思いました。公園を抜けると、左側に水路が続く道を進みます。
その後は、マップと矢印に沿って歩いて行きましたが、百観音公園でトイレ休憩。
その後は西福寺〔曹洞宗;松崎山と号し染谷常泉寺4世禅恕宗明1543(天文12)年寂が創建〕に立ち寄りました。古刹で境内が広々としていて、特に三重塔が目を見張りました。参拝後、真っ直ぐ約1.5km直進して、安行氷川神社前を通って左折。
このあたり近辺では、植木・造園業の大手会社や個人造園が多く見られて、大小大量の植木が道端から観られました。
花と緑の振興センター〔136種類246本の紅白梅木あり〕は、時季でないのでパス。
バス通りに出て右折して間もなく、興禅院〔法性寺三世で初代大和尚(天正19年寂)が開山となり 1546(天文15)年に創建〕へ。ちょっと行き過ぎて、逆戻り。二度目の迷い。花と紅葉が有名で、山門から続く参道・境内には三色モミジをはじめ紅葉がきれいで、ちょうど良い紅葉が観れてラッキー。参道を歩いて行くと、兼子隊長が「参道を歩くのは賛同できない」とのダジャレ(笑)。
本堂を参拝後、境内を散策。墓地の奥に樹木葬墓地の場所があり、初めて樹木葬なるものを知りました。
紅葉を観ながら山門を出ると、道路の反対側には小林もみじ園があって、道路際から紅葉が観れて、受付では種々の苗木などを販売していました。盆栽といえば、世界盆栽展が開かれた大宮が有名ですが川口も負けず劣らず。盆栽を見て「盆栽づくりで資産活用を図ろうか」という提案もありましたが、百年以上もかかるので、我々には無理かも?
その後、コースマップに沿って歩いて行きました。
やっと金剛寺〔真言宗智山派;畠山重忠が1190年代(建久年中) に土中から観音像を得て創建したといわれる〕へ。首都高速川口線高架の手前にある古刹でした。境内の山門は藁葺屋根。
参拝後は、慈林稲荷神社前の道から、直進。我々よりだいぶ若いウォーカーが前を歩いて行きましたが、同じく道に迷ってしまい、近所の方に道を聞いてくれて、我々と一緒に戻りました。目標である商店が見当たらず「焦点がボケた」という嘆き節♪ 三度目の迷い道。
マップを見ると、神社先を左に曲がるところを直進してしまいました。途中、確かに商店がありました。
そこからは一直線の道なので大丈夫。埼玉高速鉄道を横断するようにマップでは書かれていましたが、線路は無し。あとで地下鉄とわかり、紛らわしい鉄道名。
金剛寺から約1.5kmで赤山城跡〔赤山陣屋とも表記される。埼玉県指定文化財(旧跡)。江戸時代初期の1629(寛永6)年に関東郡代伊奈忠治が赤山領の拠点として築城。現在は堀跡などが残り、一部が公園として整備されている。本丸と出丸の間には東京外環自動車道が建設されている〕へ。途中、空堀に沿って歩きます。
最後のポイントは、源長寺〔浄土宗;権勢を 誇った関東郡代・伊奈氏の菩提寺として、約360年ほど 前に建てられたもので 、伊奈忠治が日誉源貞上人(忠治の弟)に依頼し、古寺を再興した。本尊は 阿弥陀如来〕へ。赤山源長寺歩道橋を横断。
ここで副長宅の信教が、浄土宗ということで、他の寺院以上に丁寧に参拝。宗教の信者数では、新興宗教を除いて推計で多いのが浄土真宗、真宗、次に浄土宗という話にも及びました。
源長寺を出て間もなく、ゴールの埼玉高速鉄道の新井宿駅がありました。その先の「サイゼリヤ」で昼食して打ち上げ。駅から遠藤副長に、忘れ物の留守電が入っていて、ちょっと安心。隊長から二人に「日中友好協会2018カレンダー」をプレゼント。
3年連続でカレンダーの表紙(6月)に採用されたとのこと。大したものです。再来年分も期待しています。
解散後、二人は武蔵野線で吉川駅前の「天然温泉ゆあみ」で17時半までくつろぎ、その後、遠藤副長は無事にリュックサックが戻って本当に良かったです。
何度か迷ったり、ハプニングがあったりでしたが、絶好の行楽日和で紅葉とともに記憶に残る駅ハイとなりました。
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ハトちゃんは、帰りに高尾駅近くの介護センターゆうみんで開催されていた親友のマルヤマチヅコ「古着屋さんの作る 人形とカレンダー展」を鑑賞。学生・社会人時代に一緒にボランティア活動をしていた友人達と久しぶりに語り合いました。
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