コースは;品川駅 しながわ中央公園目黒川沿いの遊歩道品川神社東海道品川宿本陣跡品川宿交流館 本宿お休み処品川寺勝島運河(しながわ花街道)浜川橋(なみだ橋)坂本龍馬像磐井神社大森駅
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6月15日(木)、オジン隊は駅ハイ 「紫陽花を愛で、東海七福神をめぐる(約9km)」に参加。
大井町駅10時に4人全員が集まりました。スタート受付後、駅長さんが丁重な見送り。
天候は晴れ。今回は品川に住む地元の兼子隊長の案内で、歩きました。
今月は15日と、いつもより一週間早い日程。最初のポイント、しながわ中央公園に向かう道はやめ て線路沿いの飲食店が立ち並ぶ道を雑談しながらウォーク。BSテレビ吉田 類の「酒場放浪記」で紹介された酒場の店も教えてもらいました。
途中、日本民謡会館に立ち寄りました。外観のみ。
民謡がうまい細川たかしの話になって、「頭髪は自毛? 顔もでかいが、態度もでかい!」(笑い)。
その後、右折して住宅街を抜けて直進。高層マンション近くの公園の一角にある、高村光太郎作の 詩集「智恵子抄」の中にある「レモン哀歌」の碑へ。晩年に統合失調症を患い、肺結核で亡くなった智恵子の最期の時が、うたわれています。東京で暮らしながらも、故郷の美しい自然を希求して止まなかった思いが伝わります。
思わず「♪ 東京の空、灰色の空。本当の空が見たいという...」(コロンビア・ローズ歌)を口ずさみました。
第一京浜に出ると交通量が増加。左折して品川駅方面へ。騒音と排気ガスが気になります。
お花見で有名な目黒川に架かる東海橋。桜の枝が川面に伸びていて、桜の季節は華やかでしょう。右側には京浜急行の「新馬場駅」(しんばんば)の長い駅舎が見えます。ホーム有効長が長い(約200m)のは、「北馬場」と「南馬場」駅の統合に際して旧駅の利便を保つため、両駅のあった場所に改札口を設置したため。
山手通りを越すと、このあたりが北品川。品川銀座という提燈はあるものの、店舗が少なくて、「銀座」というには寂しい通りに苦笑い。「どこでも銀座を付けちゃうんだろうネ」と。隊長の通う健康センターもあり、このあたりは「お庭」という感じ。
通りを1本入ったところに、兼子家の菩提寺、清光院があり、家光の姉が尽力したと言われていますが、譜代大名の奥平家の菩提寺で、品川百景になっているそうです。
江戸時代、東海道の品川宿だった関係で、寺社の多い地域。
間もなく左手一段高いところにに品川神社が見えて来ます。双龍鳥居をくぐって、急な石段を上ります。石段を上ると小生は汗が噴き出て来て、上着を1枚脱ぎました。左手に富士塚もあって、富士山信仰も。
ここで、兼子隊長がメンバーで唯一の都民「シティーボーイ」を強調。そういえば駅ハイを始めた頃、小生のことをよく「カントリーボーイ」と笑われたことを思い出しました。
品川神社〔東海七福神の大黒天;1187(文治3)年源頼朝が海上交通安全と祈願成就の守護神として、品川大名神と称したのが起源〕の拝殿へ。
拝殿前で写真撮影することに。隊長がカメラを娘さんに貸したため、別のカメラのタイマーで撮影。残念ながらトラブって映らず。今回は山根副長が撮影。境内奥の板垣退助の墓を墓参。
急階段を下りて、第一京浜の信号、京浜急行の高架下をくぐって、賑やかな北馬場参道通り商店街へ。参道両脇に店が続いています。
その後、間もなく養願寺〔天台宗:七福神布袋尊;1299(正安元)年、創建。什慶が寛文年中(1661-1672)に中興開山したという〕へ。「品川の虚空蔵さま」と呼ばれています。
参拝後、左折し直進した突き当りが旧東海道。現在、車は一方通行になっています。一心寺〔真言宗:七福神寿老人;江戸時代末期1855(安政2)年に町内発展と守護のため創建。本尊は不動明王。成田山別院〕へ。
旧東海道を大森方面へと南下。間もなく、聖蹟公園内に品川 宿本陣跡。起点である日本橋を出て初めての宿で、東海道の親宿として栄えていました。
「北品川宿及び南品川宿」にそれぞれの本陣があったが、中期以降は「北新宿」のみとなった。現在の本陣跡は1771年に定着し、「歩行新宿」(かちしんしゅく)を含む三宿のほぼ中央に位置しています。
・1868(明治元)年、明治天皇行幸の行在所となり、聖蹟の名が付いた。
・1938(昭和13)年に公園として整備。入口には、土山宿から贈られた街道松がある。
続いて、旧東海道品川橋近くの品川宿交流館へ。建物の前に、人力車が1台置かれていて、観光情報などの発信基地となっています。入館しチラシや街道宿場町の様子などのパネルや土産品を見ました。東海道の宿場数が59とか57とか書いてありました。
それにしても、昔はこの道を京都まで歩いていたことに驚きです。
橋の袂に荏原神社〔七福神恵比寿;709(和銅2)年創建の古刹 。龍神を祀る元品川の総鎮守〕
拝殿屋根の両脇に龍神の彫刻が目を見張りました。
兼子隊長から、「地元の有名人は誰?」という問いに、他のメンバーは思い当たらず。答えは、歌手で亡くなった島倉千代子さん。お墓は、東海寺の新幹線沿いにありますが、傍に沢庵和尚の墓もあります。東海寺は三代将軍家光の時代、沢庵和尚が開いたお寺。
旧東海道(品川宿場通り)をさらに進むと、青物横丁駅に近い品川寺へ。「ほんせんじ」とは読めないと、納得。ちょうど、コースの中間地点で約4.5km。
品川寺〔毘沙門天;大同年間(806-810)に創建されたといわれる。1457(長禄元)年、江戸城を築い た太田道灌により伽藍が建立された。1652(承応元)年、弘尊上人により中興。本尊は道灌公の念持仏と伝わる〕へ。境内入口左側に江戸六地蔵の銅造地蔵菩薩座像〔1708(宝永5)年造立。高さ2.75m〕があり、洋行帰りの大梵鐘もありました。参拝後、境内で来月の日時と場所の打ち合わせ。
というのも、小生が腰痛のため、ここでリタイアするため。
決めた後、旧東海道を一緒に...。鮫洲運動公園の信号で小生は右折。先輩たちはさらに旧東海道を進み、坂本竜馬像と砲台跡、鈴ヶ森刑場跡を抜け、残りの二福神(天祖・諏訪神社-福禄寿、磐井神社-弁財天〕をまわって、大森駅まで1時間ほどの道を歩きました。
小生は、旧仙台坂を上り大井銀座を通って、スタート時の大井町駅まで約10分。途中、坂 を上リ切った角に、石壁で老舗の味噌やがありました。駅ホームの看板に、天然温泉「おふろの王様」。そこで先輩たちは入浴後、お食事処で昼食とビールをいただきました。3時間ほど滞在。
紫陽花は、品川寺の境内で観た程度。隊長の隠れスポットありで、短時間ではありましたが、旧東海道品川宿の概要と東海七福神に触れることができました。
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