2012年8月アーカイブ

連日、習志野市でも最高気温が30度を超える残暑が続いています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

28日(火)ハトちゃんは八王子の実家に、前日、義兄が実家から収穫した野菜15㎏を、リュックに積めて日帰り。八王子は盆地なので、さらに暑く感じました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

翌29日(水)は、腱鞘炎が治ったので、朝食後、フェンス外の崖の小道の篠切りと草取り。1時間ほど作業をしていると、フェンス越しに声がかかりました。

本来は、9月1日以降に電話でお願いすることにしていた、知り合いの植木屋さんが突然来宅したのでビックリ。仕事が空いた関係で、「今日から始めても良いですか」と言われたので、急遽、お願いしました。

3年ごとに、過去2回ほど剪定してもらっていたので、樹木の切り具合、枝ぶり・形などわかっていて、安心して任せられます。

独りで仕事をしているので、ハトちゃんはいつも一緒に手伝っています。剪定した枝などを、車に積んだり芝刈りも小生が担当。炎天下の中、水分補給、一緒に休憩するも、汗ビッショリ。

重い枝を運ぶと、腕の筋肉がパンパン。筋トレを自然の中でやっている感じ。腰を曲げるのも頻繁なので、疲れます。16時過ぎに作業が終わるので、シャワーを頻繁に浴びます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

30日(木)は、早朝、6時半から作業。10時過ぎには、お腹が減ってグーグー鳴ります。16時前に掃除をして終了。ちょうど半分くらいの剪定が終わり、庭は随分明るくなって、風が通るようになり別世界のよう。

DSC01981.JPG疲れた身体にむち打って、夜は千葉ロッテファンの Ⅰさんと野球観戦360度ピュアスタジアム(指定席以外はどこも座れる)でビール半額(300円)デー。5回裏終了後、花火が打ちあがり、試合も終盤加点し、快勝。野球終了後、今夜のヒーローインタビューまで残って、祝杯を挙げました。

途中のスタンドでは、風がほとんど無く、昼間の疲れと空腹でビールを飲み過ぎ、気持ち悪くなる。帰宅後、涼風にあたり、やっと気分も晴れて来ました。

やはり、昼間の労働が効いたんですね! 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  

本日(31日)は、庭仕事はお休み。午後は、8月4~6日の広島での報告会。模造紙に写真等を貼り、コメントを書いて発表。持ち時間8分でしたが、ぶっつけ本番だったため、5分ほどオーバー

やっぱり、話すべき内容を箇条書きにして、一度、予行演習をすれば良かったと反省。また、9月4日(火)が別の場所で報告本番なので、その際にはもうちょっと言いたいことをまとめて、報告したいと思います。

8月26日(日)、前日の静岡・御殿場往復ドライブで、少々疲れ気味。早お昼を食べて、JR千葉駅東口下車徒歩10分の千葉市文化センター・アートホールへと。

というのも、千葉健生病院友の会で2ヵ月前に購入したチケットを持って、

「いま、力をひとつに ピース・フェスティバルCHIBA2012 命の大切さを伝えたい 」の鑑賞。

千葉市街を歩いて行くと、中央公園からパルコ付近まで、フリーマーケットDSC01944.JPG開かれ、かなりの人 DSC01945.JPG出。また、中央公園内では、若者グループによるロックコンサートで、演奏・歌声がまわりに響いていた。

「ピース・フェスティバル」(午後1時半~4時)「主催:核兵器廃絶をめざす千葉県平和事業実行委員会」の会場内に入ると、知り合いの千葉健生病院友の会のメンバーも、10数人来ていました。

受付横では原爆展も開かれていて、パネルに見入る人たちも...。

DSC01967.JPGまず、主催者側を代表して、青木 茂 氏 (実行委員長・原爆被爆者友愛会会 DSC01963.JPG長)のご挨拶。「被爆国として、核兵器の恐ろしさを知ってもらい、核兵器廃絶を一日でも早く実現しよう」理解と支援をと。開演後は撮影禁止のため写真無し。

 

その後、司会進行のもと、まず四街道少年少女合唱団による美しい歌声
       指 揮:沖 雅子 さん ピアノ:神力 祐一郎 さん
       曲 目 「見上げてごらん夜の星を」にはじまり、「草津節」「地雷ではなく花をください」    最後に会場のみんなと「故郷(ふるさと)」を合唱して、盛り上がりました。

その後は、中村 紘さん(広島被爆者)、大野 禮子さん(長崎被爆者)の被爆の実相話と男女高校生との対話・訴えがありました。

休憩時には、千葉県原水協 紙谷 敏宏事務局長から署名と募金のお願い

再開後は、公  演:ひとり芝居 「朝ちゃん」
             堀 絢子 氏(俳優・忍者ハットリくんの声でおなじみ)

            ―少女秋子が原爆投下の翌日、街をさまよっていた時、被爆で全身に大やけど

            を負った友人朝子を見つけて、朝子の母と兄を連れて来るが、母の腕の中

            で死んで行く姿を描いた―「死にとうない」という言葉が涙を誘う。

堀さんの気迫溢れる演技とせりふにノーモア原爆の悲劇命の尊さ平和とは何かを感じずにはいられませんでした。

「バーン」「ヒュー」という発射音だけでなく、「ズドーン」と身体全体にひびく衝撃、8月25日(土)陸上自衛隊による「富士総合火力演習」静岡県御殿場市東富士演習場)に行って来ました。

知人の紹介で、どんなものか、わからずに早朝5時30分に習志野市を出発。知人の車に乗せていただき、高速道路を利用して、現地に向かいました。早い時間だったので、難所の首都高速も無事通過、途中、1箇所休憩して、東名高速(御殿場)で下りました。

会場へは直接入れず、自衛隊の若い隊員が交通整理をする一木塚駐車場へ。そこから、送迎バスに乗り会場前へ到着。すでに会場内は、見物客や自衛隊員で大混雑。

DSC01798.JPG DSC01803.JPG今回の見物席はブルーシートで、来た順番に並んで、一列ずつ着席。正面に雪がほんのちょこっと残る日本一の高さを誇る富士山が目の前に...。もちろん、遮るものが無いので、炎天下で見物。熱中症にならないように帽子、飲料は欠かせない。

始まる時間までしばらくあったので、 DSC01805.JPGハトちゃんは、席をはずし、場内を一覧。トイレや仮設のスタンドにも大勢の人が...。

DSC01815.JPG開始前に音楽隊の演奏があり、10時ピッタリに一般公開がスタート。本番前日ということで、本日は防衛副大臣が列席。司会進行のアナウンスが自衛隊の主要装備品の紹介、前段と後段に分かれて、前段が始まり、順番に富士の裾野に設置された標的地点に向かって、戦車やヘリコプター、高射機関砲車が出て来て、三段山上空などへ演習部隊の攻撃、砲弾が始まります。距離や爆発威力によって遠・中・短距離火力もさまざま。目を離 DSC01818.JPGすとあっという間に爆発。

標的地点が離れているので、発射されて数秒経ってから音と、命中した煙と土ぼこりが上がります。その後、最新鋭の戦車も登場。発射音とともに赤い火柱が立ち、一瞬、「ビクッ」と身体が震えます。また、イメージしていた戦車より、スピードがかなり速い。

DSC01847.JPG空挺団の降下(本日は1800m上空から)が始まり、パラシュートでの目標地点 DSC01879.JPGへの正確な降下、大型スクリーンに後の迅速な行動などが映し出されます。

やっと、休憩になり、しばし席を離れて、トイレへ。「満員御礼」といって良いほど、大縦列。座席の位置に戻るのも一苦労。「涼感マフラー」を水に浸して首に巻き、後段に備えます。

DSC01904.JPG DSC01919.JPG後段は、統合による偵察攻撃部隊を編成してのヘリコプターオートバイ(突然、偵察警戒車から次々と飛び出して来てビックリ)、戦車などで一気に攻撃前進する様子のど迫力と戦術突破の紹介。また、海自のP3C哨戒機空自のF2戦闘機も披露。最後に、多数の戦闘ヘリコプター戦車戦闘部隊など空地一体による戦果拡張の攻撃が一斉に砲撃されて幕を閉じました。

DSC01931.JPG使用された弾薬は、26日の本番前日のため、少なかったそうですが、それでもかなりの弾薬量で、2本番で砲弾にかかった費用は、約4億円にもなるそうです。

日本の防衛問題を考える上で、自衛隊がかなりの戦闘力を備えて、訓練に励んでいることがわかりました。

しかし、公開場所が日本の象徴である富士山をバックに、爆音および砲弾が打ち込まれる姿に、自衛隊のあり方、国防に対する認識が深まるというよりは、疑問を持ったのは小生だけだったでしょうか?

遠くから、アナウンスを聞いて、目標地点を見て命中する様子は、ショーであり、「すごい」という印象はあるものの、実戦を想像すると非常に残酷な戦況が見えます。「兵器を持ち、戦う」ことが愛国心や正義と言えるか。現在、わが国でも起こっている隣国との領有権問題など考えさせられるが、「戦うことを美化」することだけは、間違いであると考えます。

「こちらは、習志野市役所です。県内高温注意報が発表されました。水分をこまめに摂り、熱中症を予防しましょう!」というアナウンスが連日流れて来ます。

本日(24日)も、朝から照りあがり、セミが行く夏を惜しんでうるさく鳴いています。風が無く、日差しが強くて、できるだけ外出せずに家でじっとしていようと...。洗濯物もあっという間に乾いてしまいました。

こうなると、猛暑に対し「恨み節♪」

午後は、東部体育館冷房の中、筋トレを1時間。ここが一番涼しくて、節電できて、過ごしやすい場所です。雨が降らず、夕方の草木への水かけは必須。また朝夕1時間だけ、生垣や樹木剪定でテンションを上げています。甲子園も終わり、あと1週間で学校も夏休みが終わります。

8月23日(木)、夏の全国高校野球選手権大会(甲子園球場)も、大阪桐蔭高校史上7校目の春夏連続優勝で幕を閉じました。残念ながら、地元千葉代表の木更津総合高校は、優勝した大阪桐蔭に初戦負け。決勝戦は、史上初となる春決勝戦の相手、光星学院高校(青森)との対戦。相手エラー(守備の乱れ)もあり、完勝。全国の頂点に立った強さは本物で、戦前の予想で、ハトちゃんは、大学生の息子優勝すると言い、見事、当たりました。

決勝を観て感じたことは、戦力プラス相性を感じました。光星学院は決勝戦に過去2度進み、いずれも負けていて、県勢、悲願の初優勝もかかっていたので、余計、プレッシャーがあったのでは...。

準決勝では、自慢の打線が猛打を発揮し、打撃戦で圧勝。しかし、決勝戦では、打線が沈黙。桐蔭のピッチャーの出来が良かったとはいえ、作戦が徹底せず、大振りが目立っていました。

それに比べ、桐蔭は勝ったので言うわけですが、作戦が徹底していて、相手ピッチャーの焦りを誘い、1点を取る野球。監督の采配を、選手が理解し見事に生かして、ミスに乗じてすばやく加点したことが、勝ちにつながったと思います。

他にも名勝負が目白押し。炎天下で戦い抜いた球児たちに感謝とともに、「お疲れ様」と心から言いたい。

ロンドン五輪高校野球と続いた熱い戦いに、大きな元気をもらいました。

御嶽駅から電車にゆられて、20分ほどで青梅駅に到着。駅前に出ると灼熱の太陽が DSC09145.JPG降り注ぎ、汗が吹き出ます。まず、駅隣接の観光案内所に寄って、観光チラシ&マップをもらう。ちょうど、その横に「オリジン弁当」があり、390円の期間限定「のりサンマ竜田弁当」を注文。購入後、バスロータリー反対側のビルの陰になったベンチで昼食。これが、三陸産のサンマで結構、おいしい。その後、暑かったので、駅左側にある「モスバーガー」へ。日曜とあって、かなり混んでいました。店内でコーヒーを飲みながら冷房でしばし涼む。

14時までに「かんぽの宿 青梅」に集合だったので、駅前から近道で、DSC09112.JPG釜の淵公園(川の淵が釜の形をしているところから由来)へ。多摩川にかかる鮎美橋へと向かう。ちょうど前を歩く同年齢の男性も同じ方向に...。 結局、男性に道案内されるように、同じ宿に着くことに。

橋上から観る多摩川は蛇行していて、DSC09122.JPG中州ではテントが立ち並び、夏休みを利用した大勢のファミリーたちの水遊びやバーベキューに興じる姿が観え、歓声がこだましていました。

橋を渡り、郷土博物館宮崎家住宅脇の急坂を上ると、ひと際高い建物「かんぽの宿」。駅からは徒歩約15分。至便で眺望がすばらしい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

受付で、当グループの所在を聞くと、案の定、ゲームセンター内の麻雀ルームとのこと。

登山の帰りで、急いで来たので、1階ロビーのソファーで休憩。隣りに座っていた、リュックを持った女性ハイカーと気があって、15分ほどおしゃべり。何でも、週末は自由気ままに「奥多摩」の山々を歩き、日帰り風呂にゆっくり浸かって帰宅するとのこと。

その後、麻雀ルームに顔を出すと、4人のメンバーが既にそろっていて、始まっていました。邪魔してはいけないので、もう一度、ロビーに戻る。先ほどのオバちゃんと子どもの話や定年後の生活の話題でしばし談笑。彼女が風呂に行く時間になり、挨拶して別れました。

麻雀ルームに戻ると、われわれのグループの他に、中年のオバちゃんグループが2組いて、かなり、盛り上がって楽しそうに遊んでいました。

やっと、1局が終わり、2抜け(成績の2位がお休み)ということで、ハトちゃんが入り、メンバーと2年ぶりの打局。雀力の弱い小生は、いつもカモにされていたのですが、最初の1局でトップになったのが幸運。結果的に、その後も大きく負けることがなく、何年かぶりにプラスで終わることができました。

いつもは自分の手を作ることだけで、振り込んで大きく負けるのですが、今回は当たらないように、相手がリーチをかけて来れば、ベタオリ(相手の捨牌と筋を確認し安全牌を捨てる)で欲をかかない作戦。ただし、これでは、ジリ貧になり勝てないので、配牌の良い、数少ないチャンスをできるだけ確実に上がるように...。3人の相手には、堅実過ぎて面白みが無く映ったことでしょう。

宿の規則で、麻雀は当日23時までで終了。守衛さんが回って来て、頼んで最後の場だけ延長。翌日も10時ということで、結局、トータルで半荘5回しかできませんでした。昔は、徹夜で打ったこともありましたが、高年齢化とともに、23時がちょうど良い時間になりました。終了後は、ゆったり温泉へ。

夕食は豪華な会席料理、朝食はバイキングの2食付で1万円。麻雀は無料となっていて、駅から徒歩で来られてリーズナブルな料金は宿泊客の人気が高い。子どもの夏休み期間は、空室がないとのことでした。深夜は久しぶりの再会で、最近の政治・経済情勢や大学論などに花を咲かせました。

2日目は、11時30分に終局。3人が帰り、小生と幹事の さんとが残りました。T さんは、妻との出会い(尾瀬)に一緒に行って、その後、結婚の仲人までしていただいた大先輩。

奥さんが今宵泊まりに来る間、ちょっと青梅市街を散歩することに...。 DSC09100.JPG青梅には昭和時代DSC09128.JPG物語るレトロな映画看板博物館・美術館がかなりあります。しかし、20日は月曜ですべて休館。残念でしたが、たっての希望により青梅鉄道公園のある小高い丘陵の永山公園と、鉄道公園の周囲から屋外展示の新幹線(東海道新幹線開通時の車 両)や蒸気機関車などを眺めました。

DSC09139.JPG鉄道公園の先を下って行くと、青梅線の東青梅駅青梅駅の中間地点。マップを見たり、地元の方に道を聞き約5kmほど汗をふきふきのウォーク。宿では座りっぱなしが多かったので、少しは運動できました(12:50青梅駅着)。駅前の「モスバーガー」で冷たい飲物と軽食を食べながら、小生が帰る13時25分発の電車を待っていました。

すると、T さんの携帯に電話が入り、奥さんが予定より早く、に着いたとのこと。T さんが改札まで迎えに行き、一緒に「モスバーガー」へ。18年8ヵ月ぶりに奥さんとお会いし、大変御無沙汰していたことを詫びました。ちょっとでもズレていれば、お会いできなかったので本当に幸運でした。

15分ほど、妻や子どもの話をして、近いうちに妻とともにお伺いさせていただくことを誓って、お別れしました。青梅始発の特別快速だったので、接続も良くて、15時半には自宅に到着。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

たまっていた韓流時代劇を1.5倍速で観たあと、暑さでしおれそうな朝顔やゴーヤ、庭の芝生などに水まきをして、夕食の準備と大わらわ。

夜は、妻の実家で採れた野菜の水洗い選別で2時間半。就寝は1時過ぎに...。

翌午前中、病院の「友の会だより」発送手伝い時に、ダンボール箱いっぱい野菜を詰めて、チャリンコで届けた次第です。

JR駅ハイは、7月8日(日)高崎市新町以来で、19日(日)早朝に自宅を出て、奥多摩の御岳山(10km)へ行って来ました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

最寄り駅の幕張本郷駅(6:44発)の中央・総武線に乗り、御茶ノ水駅で快速に乗換え、新宿で一旦、ホームに降り、隣りホームに来る「7:44発ホリデー快速おくたま1号」を待ちました。日曜のため、山に行く格好のグループや家族連れなどが、すでに並んでいて、電車の扉のドアが開くやいなや、席はすぐに埋まりました。後ろの方にいたハトちゃんでしたが、一人だったので、グループの間の席が一つ空いていて、ラッキーにも座れました。

電車が走り出すと、たまたま隣りの山行グループが話していた行き先が、先月22日(日)に小生が行った、沢づたいに登る川乗山。その情景が目に映りました。

新宿から青梅線の御嶽駅間まで、1時間17分。9時1分に降りました。駅で降りた人たちは、車両にいた半数を超え、大部分が降りて、階段、改札はハイカーや家族連れで溢れました。

駅前のインフォメーションセンターが、駅ハイのスタート受付(チラシでは9:30)のため、立ち寄りました。ありがたいことに予定より早く、機械は9時過ぎに動いたので、2番目で手続き。

急いで、バス停に向かいました。ところが、西東京バス御岳駅の停留所まで、横断歩道の角100mぐらいから数珠繋ぎ。2台のバスが行った後は、バスがなかなか来ません。車掌に聞いたところ、4台でピストン輸送とのことでしたが、バスに乗れるまで30分待ち。炎天下のもと、皆さんイライラが募ります。前の中年女性ハイカーは、こんな行列生まれて初めてだと。

やっと、5台目まで待って乗車でき、ギュウギュウ詰めの中、10分ほどゆるい上りの道をバスが進みます。

バスから降りたとき出口近くにいたので一番早く降りて、滝本ケーブルカーの発着駅)にいた人たちの列の後ろに急いで並びました。すると、マイクを持った案内係の男性が、「SuicaPASMOは片道使用できますが、団体や障害者や割引で切符購入の方は、先に切符を購入してください」とのこと。あわてて、窓口に行き、購入したのですが、先ほど乗車を待つ列のかなり後ろの方に並ぶことになり、ガックリ。

アナウンスの男性は、一人しかおらず、同じように購入した人は行列の後ろに。お客さんに解るように窓口と案内の人数を増やすなりして、聞こえるようなアナウンスをしてほしかった。

ケーブルも、臨時増発でピストン輸送。20分待ちして、ケーブルカーに...。最大傾斜25度の地点を過ぎ、眼下に市街地と杉林、登山道が望めます。7分ほどで御岳山駅に到着。降りると、標高が高いため、麓の気温より低いのでひんやり涼しい。周辺に土産物屋が立ち並び、店の前では、呼び込みも...。一緒に降りたハイカーとともに、案内標識のとおり、右手に進んで、レンゲショウマの群生地をめざす。山の斜面にそって、紫と白の可憐な花が咲いています。ケーブルカーのアナウンスでは、5分咲きと言っていましたが、それよりは少ない感じ。

 残念なことに、新盆の際、カメラを喪服に入れっぱなしで忘れたため、写真が撮れず、目に焼き付けるしかありません。左は、「レンゲショウマ(御岳)四季旅遊」から転載。

レンゲショウマの群生地を堪能した後は、ぐるっと回って武蔵御嶽神社へ。

舗装された道路を、暑い日差しが時おり照り付けて、汗が吹き出る中を先を急ぎます。途中、曇っていてスカイツリーは見えませんでしたが、都内が観える眺望のきく場所も...。

15分ほど歩くと、右手前方に推定樹齢千年といわれる神代ケヤキが現われ、それを見上げると、良く高い地点で生育しているのが不思議なくらい、立派な巨木。          

そこから道なりに右手に進むと、両脇が商店街。「いかにも観光地」といった気分で、賑やかさだけが目立つ。

商店街を抜けると、武蔵御嶽神社の石の大鳥居。本殿へは急な階段がありますが、右側の自動車が通る車道を上りました。だいぶ楽でした。

チェックポイントの機械を探したところ、本殿の脇にあり、カードをチェック。

参拝後、10分ほど休憩して、表参道を戻ると、途中で滝本に下る舗装道へ。一本道なので間違えることはない。帰りは、ケーブルカーを使わず、舗装道路でしたが、表参道をひたすら下って行きました。

 

本日は、午後、青梅で前職場の先輩たちと麻雀大会だったので、ロックガーデンまで足を延ばさず、Uターン。急な上りを多くのハイカーたちが登って来て、「こんにちわ」と挨拶。あまりのケーブルカーの混雑で、急遽、歩いて登って来た人たちも...。

小生は、スキップする感じで快調に下って、40分足らずで滝本駅へ抜けました。すると、後から来たハイカーがバス停まで数々つなぎ。バス停では、5分後の出発になり順調に...。行きのバスとは好対照でゆったり座れました。

インフォメーションセンターで、ゴールが早帰りだったので、受付をする際、花の開花度を尋ねられ、本日が今年最高の人手だと聞きました。

久しぶりに御岳の森林浴を短時間、楽しむことができましたが、こんなに人が多いハイキングにぶつかったのは覚えがありません。休日を避け、平日に来るのが正解です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

青梅線御嶽駅(11:50発)の各駅に乗り、青梅駅へと向かう......。

8月16・17の両日は、半日、千葉健生病院友の会会報配布手伝い。妻の実家でできた夏野菜を届けて大好評。昨夜は娘がいとこと北八ヶ岳、本日は早朝から妻が浅間山へ、それぞれ一泊でハイキングに出かけています。また、息子は、11時過ぎに友達の家へ向かい、おそらく麻雀かと思われます。したがって、帰りは24時前後と...。ハトちゃんは、一人のんびりと好きなことを。

昨夜も寝たのは明け方1時過ぎ。今朝は妻と同じ時刻6時に起床。天気予報で、洗濯物は家の中へと言っていました。燃えるゴミを捨てに行き、朝食後、早めに今月6回目となる筋トレへ(習志野市東部体育館)。ちょうど、ジュニアの体操大会があり、選手たちが練習中。鉄棒の大車輪を見ていると、ロンドン五輪の日本体操陣の活躍を思い出しました。

筋トレで、いつものメニューをこなし、30分ほどして窓を眺めると、空が見る見るうちに暗転。黒い雲で覆われて来たので、洗濯物をベランダに干して来たことを思い出し、中止し、あわててチャリンコを飛ばして戻りました。途中から、が鳴り大粒の雨に打たれて、ビショビショ。ひと足間に合わずに案の定、洗濯物も...。

息子は、雷や雨も知らずに寝ていました。大学生は夏休みでのんきなものです。

洗濯物回収後、小雨になったところで、屋根に上り、カラスの白いフン跡をたわしで落としました。

正午を過ぎてからは、日差しと暑さが戻り、洗濯物をまた干しましたが、大気の具合が不安定で、晴れているのに空はゴロゴロ。セミも残り少ない夏に負けじと、うるさく鳴きまくっています。

そういうわけで、小生一人で、パソコンに向かって、被爆者の体験話まとめと、このブログを打っている次第です。

なお、明日は奥多摩の御岳山登頂(JR駅ハイ)後、「青梅 かんぽの宿」で一泊で前職場の先輩たちと麻雀。1年ぶりなのでカモにされるのは、間違いないんですが、久しぶりに昔話に花が咲きそうです。ただし、うっかり新盆で妻の実家にデジカメを忘れて来たので、次のブログは写真無しになります。 ごめんなさい。 

15時過ぎ、家にいるのに外の雨を気づかず、なぜか洗濯物がまたもや濡れてしまう大失態。  

ハトちゃんの自宅は、習志野の高台にあり、庭の前は法面で、ブロックの上がフェンスになっています。子どもが小さくて、この中古住宅を買う際、ちょっと迷ったものでしたが、幕張メッセなど、眺望が良かったので思い切って購入。今では、ロッテの本拠地QVCスタジアム打ち上げ花火が良く観えます。

先週、手首の腱鞘炎も癒えたので、フェンス外側にはしごを架けて、降りました。敷地の周囲を巡って、幅30cm、場所によっては半分ぐらいの平らな部分(道)があります。とくに梅雨以降、伸びた草や、篠を切ってきれいにしました。北西部分は、市が造ったモルタルのコンクリートがあり、上が平らになっていて、西日が良く当たる場所です。

法面の下は、急峻な崖になっていて、転がり落ちたら大ケガ、もしくは命がなくなるかも知れません。下の住宅の地面から14~15mほど高くなっています。

今夕(8/16)、何気なく道を見たところ、野良猫の親子3匹が寝転んで涼んでいました。暑い日差しの中、その場所は風通しが良いのと、周囲から隔絶しているので、安全なせいです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ブログを始める前の話で恐縮ですが、

 

今から5年ほど前の2007年7月18日(水)の夕方に、長男が何気なく同じ場所を覗いたところ、タヌキ一匹を目撃。小生もそおっ~と覗いて確認。本当にビックリ。周囲が宅地化されている中で、良く生き延びていたと...。  自然界の動物の生命力に感心しきり!

タヌキは夜行性雑食なので、夏、どのようにして来るのかわかりませんが、フェンスの内側(庭)を親子のタヌキが最高計5匹出没したこともありました。死にかけたセミを獲りに、桜の樹の下へ。子ダヌキは犬と同じような鳴き声で...。警戒心が強いのか、人間の姿を見ると、さっと草薮や物陰に隠れてしまいます。

それにしても、急斜面の崖の上によく住んでいたものです。餌をやらずに自然のままにして見守っていました。本来は、市役所に通報するのでしょうが、いじらしく感じ、放置していました。

以後2010年4月13日(火)に庭で一匹確認したのを最後に、いなくなってしまいました。

昨春の大地震以降、余震も続いているので、果たして場所を変えて生きているのでしょうか?

 

                                    ―本日は、昔を思い出した一節でした。

8月13日(月)~14日(火)は、新盆迎え盆)のため、家族全員で妻の実家に行って来ました。

 

昨年の11月14日に義父が、今年の4月28日に義母が、共に脳梗塞で倒れて、他界しました。

そういうことで、今年は二人の新盆。一部屋に祭壇。両脇に生花を飾って、村の人たちの焼香を受けました。総勢、80人を超える方たちが、訪れていただき、生前の義父母を偲びました。

義父は、80歳を超えても新聞配達を続けていたので、新聞を届けてくれてお世話になったという話があり、また、義母は村の中でも義理堅く、おばあちゃんとの付き合い仲間も多数見えて、故人へ感謝の念を...。いずれにしても、都会とは違って、村の絆は、固いという事実が...。

今回、二人一緒で、遺影の写真が並んでいて、亡くなる時がほぼ一緒というのは、仲が良くて幸せだなぁ~と。まぁ、村でも二人一緒の新盆は大変珍しいそうです。

そういうわけで、13日(月)は、お坊さんの読経、村の人たちへの応対・挨拶などで追われました。上はワイシャツでネクタイでしたが、下は黒の礼服。窓や扉は全開でしたが、暑さのため汗ビッショリ。

午後6時を過ぎるまで、正装でいたので、人が来なくなってから、シャワーを浴びてやっと開放されました。

義兄が16日(木)最後の送り盆に立ち会うということになり、ハトちゃんの家族は、二日前に帰宅。義兄が、習志野の自宅まで車で送ってくれて、トンボ帰りで実家に戻りました。

-------------------------------------------------------------------------------------

夏野菜(ミニトマト、きゅうり、ピーマン、ナス、モロヘイヤ、ししとうなど)を段ボール箱にいっぱい詰めて、昨夜は水洗いと、近所、友人、職場、友の会の人たちへ配る分を、袋に詰めて分類。結局、明け方1時を過ぎてしまいました。また、前職場の先輩(仲人)の家にも郵送。

本日は、それぞれのところに、妻と手分けして届けることに...。

というのも、あまりにもあり過ぎて、小生の家では、毎日、生野菜野菜料理のオンパレード。1週間ごとに義兄が実家に帰って、畑をやっているので、この時期は一週間たつと、きゅうりやトマトなど、成り物は生育が早く、すぐに大きくなってしまいます。

昨夜、妻と相談し、腐って捨ててしまうのはもったいないので、早い時間、自宅前の日影に置いて、ほしい人に自由に持っていってもらおうかという話も...。

 

明日、義兄が妻の車を置きに、拙宅に来ます。おそらく、また、野菜が届きます。

とにかく、毎週、日曜の夜と月曜は、妻と、野菜の水洗いや分類、配布先を考えるのに一苦労。

あと1日で、熱き戦いで世界中を熱狂させた、ロンドン五輪も終わってしまう。

実力どおり、あるいはそれ以上に成績を残せた選手、残念ながらプレッシャーに負けて力及ばず成績が上がらなかった選手も...。結果が物語ってしまうのが勝負の世界。

日本選手団は、メダルの数は史上最高になりました。報道も、毎日ほとんど、オリンピック一色と言っていいほど、他の番組が霞んでしまうほどの過熱ぶり。

新聞の紙面も、写真はカラーで大きく取り扱っていました。ハトちゃんもスポーツが好きなので、毎夜、遅くまでテレビを観賞し、熱い応援。個人競技の大変さは、個人の向上心と闘志が溢れていて、特に五輪での連覇は難しいのに、達成できた選手は大したものだと思う。4年に一度を考えると、トップレベルを維持し、賞賛に値する。

小生は、陸上、水泳といったメジャーな競技よりも、団体競技が好きです。頑張ってメダルを獲得した選手たち、指導陣に敬意を表します。各人の特性を把握し、全体として強くし、技術とまとまりが無ければ、決して良い結果が得られないから。トーナメントや強豪相手との対戦か否かでも変わるし、一人でも調子が悪くなったりすると、みんなに迷惑をかけてしまうなど、それこそ、「和」「絆」が大事。

体操男子、卓球女子、フェンシングフルーレ団体、女子バレーなど、選手たちの頑張りは、観る者に多くの感動を与えてくれた。  ありがとう!

まもなく閉会式。また4年後の祭典(ブラジル・リオデジャネイロ)に向けて、すでにトップアスリートたちの戦いは始まっている。

とにかく、眠い目をこすりながら、応援し続けた2週間。これで、静かな日々に戻れるかも?

立秋が過ぎ、やっと朝夕涼しくなって来た8月9日(木)、久しぶりに親友のDSC01735.JPGさんI さんの3人で、上野の森に出かけました。13時にJR「上野駅」公園口で待ち合わせ。す ると、「ゆうほ21」ウォーキングサークルを指導・案内していただいている神田先生に偶然お会いしました。本日は、NHK通信講座の皆さんとのウォークとのことでした。

早速、一番の目玉である東京都美術館へ。その前に、同美術館に併設されているカフェで昼食を。時間帯もちょうどお昼時とあって、多数の人が。10分ほど待って、席に案内されカレー飲物を注文。

お二人とは、約2年ぶりの再会(前回は、東京リサイクル運動市民の会主催の「フリーマーケット」)で、話も弾みました。

DSC01738.JPG1時間ほどして、美術館 http://www.tobikan.jp/ へ。「マウリッツハイス美術館展」が開催されていて、平日だというのに長蛇の列。ハトちゃんが障害者手帳を持っていたので、整列せずに案内され、待たずに入館できました。Y さんに「VIP待遇?」と冷やかされる始末。

館内は混んでいましたが、マウリッツハイス美術館の歴史紹介に始まり、17世紀オランダ・フランドル絵画を特徴づける「歴史画」「肖像画・トロニー」「風景画」「静物画」「風俗画」の五つのジャンルでの構成。高い評価を受けている「黄金時代」絵画の魅力でいっぱい。巨匠たちの代表作が良くもこんなに揃ったものだと思えるほどの豪華な内容。

今春から休館し増改築のために日本でも展示できたそうです。

 

全作品とも「すごい」という印象。「歴史画」では、聖書や神話、古典文学、史実 DSC01744.JPGを題材にした構図は作品に高い評価が与えられて、最初期のフェルメール「ディアナとニンフたち」を描いています。

とくに、ルーベンス「聖母被昇天」は大聖堂の祭壇画としても聖母と天使、そして人々の様子など、構図のすばらしさと色使いなどに、さすがと思わせて、引きつけるものがあります。「風景画」の作品を観終わると、エスカレーターで1Fへ。

「肖像画・トロニー」では、写実的で手首の血管が浮き出ていたり、生きていて今にも話しかけて来るような印象をもつほど、繊細で、色の濃淡を使って、立体感が生み出ています。

トロニー(新しい人物画で、画家が人物の表情や性格を探るために自由に創作)」では、有名なフェルメール「真珠の耳飾りの女」があります。作品のコーナーは、一点だけの展示で、順番に並んで観るようにはなっています。横からも観れたので並ばず鑑賞。絵自体の大きさは小さくて、ターバンの青が印象的。また、耳飾りの真珠は肌の上に見事な白いハイライトで、光っているように観えます。

また、少し半開きの唇が背後の暗色で一層、赤色を際立たせていて、横を向いた瞳に写る光は、「光の画家」といわれる所以です。ハトちゃんは、この作品だけでも、来た甲斐があったというもの。

M美術大卒のYさんは、次のコーナーにあったレンブラント「自画像」に大感激。小生もためいきが出ました。

ハルス「笑う少年」は表情が豊かで、髪が長く少女と思えるほど。人なつっこい表情が印象的。その後、さらにエスカレーターで2Fへ。

「静物画」「風俗画」では、最初に目に入って来た ブリューゲル(父)「万暦染付の過敏に生けた花」の花瓶の表面と、花の写実性が親しみやすいモチーフながら、色鮮やか。

また、クラースゾーン「バニタスの静物」の人間の頭骸骨などを描いていて、謎めいたモチーフで虚栄やはかなさを表現している作品もありました。

ゆっくり時間をかけて鑑賞。それぞれに満足感に溢れる美術作品群でした。

次に向かったのが、旧東京音楽学校奏楽堂の先にある、「東京藝大アートプラザ」へ。同行のⅠさんは、ここを卒業されたとのこと。ちょうど、同校現職教員による油画展をやっていたので、館内を閲覧。外のテラスで休憩。

次に観る美術館を相談。上野の森美術館「ツタンカーメン展」が候補でしたが、高料金と混雑中ということで、結局、国立博物館に決定。

戻って、広い敷地から常設展だけ鑑賞。時間の関係で、本館のみゆっくり回ることに。

DSC01753.JPG東京国立博物館 http://www.tnm.jp/ は、1872(明治5)年、湯島聖堂で開催された博覧会から。 DSC01770.JPG日本で最も長い歴史のある博物館で、日本と東洋美術と考古の文化財があり、収蔵品は約11万3千件(国宝87件、重要文化財631件)で、質、量とも日本一のコレクション。建物は高い天井に分厚いコンクリート。6日に広島の日本銀行を見学したのに似ています。

まず入口正面の「中国山水画の20世紀 特別展」で山水画50点に魅了されてその後、彫刻陶磁器刀剣甲冑仏像染織などのブースを回ります。2階には「日本美術の流れ」と題しての絵画など、縄文時代から江戸時代までの時代考証の生活品資料などの展示が並びます。

DSC01764.JPG国宝の作品もあって、写真撮影が禁止のものも。仏像を横の垂れ幕に写ったシル DSC01758.JPGエットが幻想的。撮影できる作品もあり。

閉館の時間は17時。最後は、慌てて観覧し、「蛍の光♪」とともに名残り惜しくも外に出ました。

最後に、公園内の「スターパックス珈琲」テラスで、噴水広場を行き交う人たちを眺めながら、本日の成果と、次回の美術館・博物館めぐりを約束して帰路に着きました。

8月7日(火)、「ゆうほ21」では日光杉並木~東照宮五重塔ウォーク(距離約9km)を実施し、神田先生を含む13名が参加。早朝6時の京成電車を乗り継いで、朝食や雑談に DSC01623.JPG花咲かせて、東武線で   下今市駅に到着(9:04)。なぜか、電車の切り離しを見ようと。時間がかかり過ぎ見れずに改札を出ます。

当日も猛暑日でしたが、さすがに、日光は山が近くにあり、気温も27度ぐらいで湿DSC01631.JPG度は低く、肌に暑さは感じず、比較的歩きやすい感じ。

まず、鳥居前の丸い茅輪くぐりをして、報徳二宮神社を参拝(9:20)。二宮尊徳翁の像墓所も見学。おいしい水飲み場も。DSC01634.JPG

途中で酒造の看板が見えて地酒の話になり、急遽、神田先生が渡邊佐平商店(清開・日光誉醸造元)へと案内(9:34~53)。店に入って、ご主人に「現在、造り酒屋は今市に2件しかない」などの説 DSC01653.JPG明を受けて酒好きのメンバーは宅急便で地酒を注文。その後、酒蔵に案内され5種類の利き酒を出してくれました。ウォークの開始早々のうれしいハプニング。それぞれの特徴を味わいました。味わいすぎた人もいたのでは? 

今市観光案内所でチラシ・マップを...。市縁広場DSC01662.JPG(今市宿場町 を再現したイベント広場)では、年金受給者の蕎麦打ちの実演も見られました。

 

東武線上今市駅近くから杉並木街道に入ります(10:13)。

DSC01673.JPGこの杉並木は、徳川家康公・秀忠公・家光公の3代にわたって将軍家に仕えた松平正綱が、20年の歳月をかけて植樹したもので、慶安元(1648)年、主君家康公の三十三回忌に、東照宮-への参道並木として寄進。当時植えられたスギが約1万3000本余り残っており、名物スギもあります。完成までに二十余年かかり、現在では、唯一「特別史跡」「特別記念物」の二重指定を受けています。また、樹齢360年を超える杉並木(3街道)の総長37kmは世界一。日光街道(舗装道路)に沿った旧日光街道(杉並木)散策へと。さすがに並木の中に入ると涼しくなり、時折、木洩れ日がこぼれます。また、道の両側に、水路があり、触るとかなり冷たく、タオルを濡らすなどして汗を癒してくれます。

杉並木公園内で小休止。名主屋敷(江戸時代の旧家を移築)や報徳仕法農家 DSC01685.JPGが建てられていて、またギャラリーもあります。また、水量の豊富さを利用した水車が14基設置されていて、直径10mの大水車を観て感激(10:45)。

今市用の水円筒分水井(水を自動で分けている分水嶺)もありました。

DSC01668.JPG DSC01690.JPGその後は、まだ咲き残っていたアジサイや野草、名の付いた杉並木など(砲弾打込杉など)を眺めながら、森林浴を満喫。途中、石畳の上を歩き、ちょうど開催中のロンドン五輪のマラソンコースの石畳が話題に...。それにしても、江戸時代に敷いたことは、大変な労力だったと想像できました。

小さな地蔵尊、神社もありましたが、今回は寄らずに杉並木をひたすら前進。左手に、日光街道を走る車がちらちら見えましたが、杉並 DSC01666.JPG DSC01689.JPG木の中は閑静で別世界。平日でほとんど人を見かけません。ウォークの仲間は道の真ん中を堂々と大名気分で歩きます。窓辺ににきれいに咲いた朝顔のカーテン。

やっと、前方が開けて、道でパトカーが駐車。スピード違反の取締り中。現実に引き戻され、日光駅までの距離を聞くと、「あと2kmほど」だと。

 

そこから、舗装道路に出て、歩いて行きますが、歩道のないところもあり、車に気をつけながら進みます。まわりの景色を楽しむ余裕がなくなり、日が差し込んできたこともあり、汗ビッショリ。

だいぶ縦長になって、後ろはペースが落ちて姿が見えません。しかし、一本道で迷わないので、昼食にありつきたい一心で前方へ。電車がときどき木々の間を通り過ぎて行きます。

やっと、宝殿という交差点に出て、線路を越えて、右手にモダンな洋風のJR日光駅 DSC01702.JPGが(12:10)。すぐ近くに東武日光駅があり、その手前で全員が合流(12:25)。

早速、昼食ということで、9人が洋食、4人が和食、13時10分にバス停集合ということで分散。

小生は、和食(蕎麦)組で、名産の「湯葉そば」を頼むメンバーも。食後、停留所で待つも洋食メンバーはあらわれず、結局、一本あとのバスで、東照宮へ向かう。帰りの電車の関係で、駅前での日帰り入浴は取り止めに。残念がるメンバーも...。

 

DSC01705.JPGバスに乗ること10分あまり。世界遺産めぐりのバス停「表参道」で下車。東照宮全体を観る時間は無く、また観覧料が1300円と高い。広い参道の砂利道を進みながら、左手に聳える五重塔へ(13:45)。

東京スカイツリーの開業に合わせて5月22日から一般公 DSC01718.JPG DSC01712.JPG開されていて、300円の観覧料を払うと、絵入りの説明付きの団扇をもらい見学。1818(文政12)年に再建され、高さ36mで極彩色の日本一華麗な塔。

公開は一層目に当たる初重内部で外観から覗いて一回りするのみ。直径約60cmの心柱に金箔が施され、周囲の梁や柱に描かれた極彩色の模様や竜などが間近で見られます。

塔を貫く心柱は、懸垂式と呼ばれ、四重から吊り下げられている。塔全体が重みで縮んだ場合に屋根を突き抜けないよう、礎石からは数センチ浮いた状態に。柱同士が揺れを相殺。心柱は、今回、東京スカイツリーの免震機能に応用DSC01730.JPG駅までの帰りは、下りなので、東武日光駅まで30分ほど歩きます。神橋脇の渓流で絶景を望みました(14:10)。

駅に着くと、快速電車(15時01分発)に乗り込み、席を確保。ビールを飲んでぐっすり眠る組と、冗談やおしゃべりに夢中になる組など。和気藹々のうちに帰京しました。

東武浅草駅に着いて、暑気払いに参加するメンバー10人と帰宅組3人とに別れました。小生は明日、定期健診があり、真っ直ぐ帰宅。それでも18時40分になりました。

DSC01704.JPG日光で避暑を兼ねた、楽しい森林浴&涼感ウォ DSC01722.JPGーキングができて、有意義な一日でした。 

参加された皆さん、お疲れ様でした。都合で参加できなかった皆さん、撮ってきた写真を載せましたので雰囲気だけでも味わってください。写真の上でクリックすれば、拡大できます。

次回は、8月31日(金)9時30分、京成実籾駅前集合です。それまで、熱中症などで体調を崩さないように。 そう言うハトちゃんが、一番危ないかも?

8月4日(土)~6日(月)、千葉健生病院友の会代表として、「2012原水爆禁止世界大会(広島)」に25年ぶりに参加。前回はH大学教職員組合から参加し長崎でした。

 

3日間の日程は、千葉県代表で計136名。千葉県民医連の一員としてとして団体行動。参加者は全国で7200名を超えました。7月26日(木)に代表団結団式を行い、4日は団体専用列車の2車両で、都・他県の人たちとともに乗車。

 

JR東海道・山陽新幹線で、東京駅から広島駅へ。駅は、新幹線出口が駅北口で、地下通路をくぐって、やっと反対側の市電の停留所へ。多数だったので、市電を待つこと10分あまり。暑さがハンパじゃないので、最初から疲れ気味。3両がつながっている大型クーラー付きの電車で会場へ向かう。

 

DSC01348.JPG15分ぐらいで、「紙屋町西」で降り、そこから徒歩で5分ほどで、県立総合体 DSC01333.JPG育館・グリーンアリーナへ。プラカードや各県のゼッケンや幟を持って歩く人たちでいっぱい。同じ場所に行くので、みんなぞろぞろ付いて行く。

会場内は冷房が効いていて涼しいが、出入口は、本や資料、Tシャツなどの販売で、ごった返す。

会場内は熱気に包まれ、各地域ごとに決められた席に着く。定刻前は、オーDSC01357.JPGプニングで歌を歌う!やがて開会宣言。主催者報告後、来賓挨拶と続き、数ヵ国政府代表の挨拶。司会者が立って、議事にそって世界大会・全体総会が進む。

「2015年核兵器全面禁止のうねりを」ということで、国内外各地で進められている草の根運動成果・活動報告が、映像や各代表団が壇上にあがって、発言。

映像を使って、平和大行進署名活動原爆展などの結果報告も...。

さらに被爆67年を迎え、被爆者からの発言。6日に記念式典で披露される、松井広島市長からも、高齢化による被爆の実相を若い世代に伝承していく必要性などが表明された。また、高齢の被爆者からの現状なども合わせて話があり、昨年の東日本大震災に関連して「核兵器全面禁止、原発エネルギーの撤退」を確認。

約2時間半の全体会議が終了。その後、宿舎に戻り、19時からの交流会へと足を運びました。

21時過ぎに終了し、ホテルに帰着後は、シングルの部屋なので、テレビでロンドン五輪を観て、時間を費やしました。

 

2日目の分科会では、19分科会・シンポジウムに分かれてテーマ別に参加。ハトちゃん「碑・遺跡めぐりと被爆の実相体験」に参加。

DSC01379.JPG被爆者から、原爆投下の当時の「地獄絵」のような生々しい実情話を聞いただけでも身震いがするほど衝撃を受けました。被爆者の生の声の重要性を痛感。午後からの「遺跡めぐり」では、暑い中を歩いて、現在の復興した市街からは想像もできない、被爆の恐ろしくも悲惨な爪痕を確認。

参加人数が多くて、コースの斑編成に時間がかかったもの DSC01400.JPGの、ハトちゃんは、健脚コースで、平和公園以外の施設見学を選択

まず、ガイドに付いて、14名で一班。広島城に行き、爆心地から700mに、大きなユーカリの木が。 DSC01391.JPG DSC01403.JPG爆心地に向いた面は、黒く焼け爛れていて痕跡を残す。立派な天守閣と城壁に見とれていましたが、場内の一角、残った地下壕に旧中国軍管区司令部防空作戦室内を見学。黒くなった壁や、当時の原爆投下時に空襲警報が間に合わなかった様子の説明を受ける、被爆の跡もありました。また、大本営跡もあり、爆心 DSC01412.JPG地上空の相生橋 DSC01417.JPG方向から爆風を受けた跡も...。護国神社の前で小休止。

次に、ひろしま美術館脇を右手に見て、県庁前、バスセンターを通って、知らなかった地下街へ。外の暑さが尋常でないので、涼しく感じられるのと、地下街が賑わっていたのには、ちょっと東京駅の地下街と錯覚するほど。途中、右折して相生通りに。

 

地上に上がり、本通商店街にある被爆した帝国銀行の2階を残して1階部分を DSC01424.JPGヨーロッパ風に、パン屋が開業している珍しい建物の前で、立ち止まり説明を...。

DSC01429.JPGその後、被爆校舎の一部が保存・公開されている袋町小学校平和資料館へ。ビデオ鑑賞後、救護所だったことを物語る校舎内部の壁や黒板に、死没者、行方不明者の消息が記されていて、当時の状況が想像できました。

 

次に、旧日本銀行広島支店へ。厚いコンクリートと大金 DSC01437.JPG庫の造りの頑丈さで、被爆の翌々日から支払い業務を行ったというから、さすが日本銀行だとビックリ。生まれて初めて銀行の金庫を観ました。金庫は独立。外側にもう一つの建物が二重構造になっているなど、堅牢性で保存状態が良い。多少の爆風の跡あり。

DSC01453.JPG平和大橋手前の白神社前の木や、社内の大きい石が黒くなっていて、表面が割れた痕跡なども確認。

ここでガイドの先生は、解散の予定でしたが、平和大 DSC01466.JPG橋を渡って西側に「広島市立高女の慰霊碑」を案内してくれました。職員・生徒76人全員が死亡。碑の前面に3人のモンペ姿の少女が彫られていて、真ん中の少女には背に天使の翼が。また、E=MC2 と原子力エネルギーの記号が使われているのを知りました。

被爆の爪跡を、初めて見て知った貴重な体験でした。時間の関係で数箇所に限られてしまったのが残念。ハトちゃんは終了後、平和公園内の原爆の子の像佐々木禎子さんDSC01501.JPG DSC01480.JPG DSC01527.JPGが12歳で原爆症の白血病で死亡後、恒久平和のために建立)、原爆ドーム平和資料記念館内見 学、原爆供養塔、慰霊碑慈仙寺跡の墓石などを見て回りました。広島に残る遺跡・資料館をめぐり、1時間半ほど写真撮影と、科学を悪用した原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さを物語る「人類への警鐘」を感じずにはいられませんでした。

 

DSC01559.JPG最終日は、平和記念式典を傍観。早朝から多くの人たちが訪れ、カラフルな千羽鶴や花束で埋め尽くされました。8時15分に黙祷し、犠牲者の冥福を祈り DSC01568.JPGました。また、松井広島市長の平和宣言で、被爆者3人の体験を引用した核兵器がもたらす悲惨さの訴えは、核兵器廃絶への思いを共有できました。

 

閉会総会(開会会場と同じ)でも、原発事故による避DSC01604.JPG難生活の困難さを訴える、福島県浪江町長避難女子高校生の話「 DSC01620.JPG未来に核兵 器や原発はいらない」は、胸を打ちました。歌手のクミコさんとともに合唱した青年たちにも、パワーをもらい、あらためて「核兵器廃絶と平和への運動」へ積極的に連帯して支援していくことの必要性を痛感。最後に、広島決議を採択して閉会。小生にも 自分にできることを何かやろう」と決意させた貴重な3日間でした。 

連日、ロンドン五輪で世界中が熱戦に沸いている中で、スポーツマンとして、あるまじき行為がバドミントン女子ダブルスで行われた。

その模様は、テレビネットで流されて、ハトちゃんも観ていてガッカリ。審判が注意をしても、わざとサーブをネットするなど、ひどいプレー。今後の対戦のためとはいえ、フェアプレーをしてこそ国の代表であり、スポーツ選手の使命だと思うのだが...。観るに堪えないプレーで、失格は当然。

韓国は中国に巻き込まれたというが、なぜ、自分たちも合わせてしまったのか? 相手に合わせたという事実は、言い逃れできない。自分たちは、真剣にプレーするなり、相手に抗議するなどできるはずである。ドーピングでは、厳しい処分が当たり前なので、1年以上の出場停止くらいの処分を課して当然だと考える。

また、柔道男子66キロ級海老沼匡-チョ・ジュンホ(韓国)の準々決勝で起きた「覆った判定」もテレビでライブを観ていて後味の悪い結果に。判定で最初「青3本」で韓国選手の旗が挙がったときは、正直「ウソだろう」と思ったが、観客の騒ぎで協議して、いったん勝利を取り消し、二度目の判定は「白3本」と正反対の結果に。当然の結果でしたが、審判の権威が失墜したと、日本の柔道関係者も嘆いていた。結果的に、海老沼とチョが銅メダルだったので、良かったが。もし、メダルも逃していたらと考えると、審判団の覆した判定は、国レベルの問題にもなりかねない。韓国では、他競技でも被害をこうむり、「ゴシン(誤審)ピック」とまで言っている。

選手は、4年に一度の戦いに、人生をかけているといっても過言ではない。人間がジャッジする場合は、絶対、疑惑の判定が無いとは言えない。しかし、スポーツマンシップに劣るアンフェアなプレーは最高のプレーを期待している人々に、失望だけを与えるものである。

ともすれば、日本のマスコミは、メダリストにばかり、報道が集中しがちであるが、オリンピックに出場して、世界中のトップアスリートの中で戦えるのは、大変名誉であるし、すばらしいと小生は思う。

オリンピックも中盤にさしかかり、これからも眠い目をこすりながら、応援したい。明日からの三日間は広島に行って、スケジュールが夜までビッシリ。疲れて寝てしまうかも知れないが、幸い、宿泊先は個室なので、ダイジェストだけでも観たいと思います。

-------------------------------------------------------------------------------------

次のブログは8日(水)の夕方の予定でしたが、都合により10日(金)に変更させてください

8月に入り、依然として毎日暑い日が続いています。読者の皆さんは夏バテしていませんか?

8月1日は実母の88歳(米寿)誕生日ハトちゃんは前日、八王子の実家へ、妻の実家で獲れた野菜(11.1kg)をリュックに背負って届けに行きました。夏野菜(きゅうり、とうもろこし、ナス、トマトなど)なので、1週間ごとに実家帰りで獲って来ますが、すぐに大きくなってしまうのと、この暑さのせいで、痛みやすいので、宅急便を兼ねて母の様子を見に...。

ところで、今年は、わが家の大きな桜の樹などに、まだが鳴きに来ないので、また転変地異でも起こるのではと心配しましたが、やっと昨2日の夜に、網戸に蝉がぶつかる音が...。

そして、今朝からは、急に蝉が降って沸いたように、「ジー、ジー」「ミーン、ミーン」とけたたましく鳴き始めてうるさいほどに。

腱鞘炎が癒えたので、1日から三日間、朝夕を中心に、久しぶりに庭(土部分)の草取り落葉拾いを行い、45ℓ袋3個と60ℓ袋1個集め、明日のゴミ収集日に出すことに...。まぁ、1ヵ月お休みしたので仕方ありません。また、樹木に大量のくもの巣が張っていたので、蝉さんがかかるとかわいそうなので、取って置きました。

日中は、できるだけ冷房の効いている東部体育館に行って筋トレで暑さをしのぐ。行くまでのチャリンコは大変ですが...。

そうそう、明日からは広島原水禁世界大会へ。3日間、原爆、核エネルギー、戦争、平和などの問題を自分なりに真剣に考えるべく、体験学習に行って来ます。

このアーカイブについて

このページには、2012年8月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2012年7月です。

次のアーカイブは2012年9月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ

月別 アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.25