原水禁世界大会(広島)に参加して

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8月4日(土)~6日(月)、千葉健生病院友の会代表として、「2012原水爆禁止世界大会(広島)」に25年ぶりに参加。前回はH大学教職員組合から参加し長崎でした。

 

3日間の日程は、千葉県代表で計136名。千葉県民医連の一員としてとして団体行動。参加者は全国で7200名を超えました。7月26日(木)に代表団結団式を行い、4日は団体専用列車の2車両で、都・他県の人たちとともに乗車。

 

JR東海道・山陽新幹線で、東京駅から広島駅へ。駅は、新幹線出口が駅北口で、地下通路をくぐって、やっと反対側の市電の停留所へ。多数だったので、市電を待つこと10分あまり。暑さがハンパじゃないので、最初から疲れ気味。3両がつながっている大型クーラー付きの電車で会場へ向かう。

 

DSC01348.JPG15分ぐらいで、「紙屋町西」で降り、そこから徒歩で5分ほどで、県立総合体 DSC01333.JPG育館・グリーンアリーナへ。プラカードや各県のゼッケンや幟を持って歩く人たちでいっぱい。同じ場所に行くので、みんなぞろぞろ付いて行く。

会場内は冷房が効いていて涼しいが、出入口は、本や資料、Tシャツなどの販売で、ごった返す。

会場内は熱気に包まれ、各地域ごとに決められた席に着く。定刻前は、オーDSC01357.JPGプニングで歌を歌う!やがて開会宣言。主催者報告後、来賓挨拶と続き、数ヵ国政府代表の挨拶。司会者が立って、議事にそって世界大会・全体総会が進む。

「2015年核兵器全面禁止のうねりを」ということで、国内外各地で進められている草の根運動成果・活動報告が、映像や各代表団が壇上にあがって、発言。

映像を使って、平和大行進署名活動原爆展などの結果報告も...。

さらに被爆67年を迎え、被爆者からの発言。6日に記念式典で披露される、松井広島市長からも、高齢化による被爆の実相を若い世代に伝承していく必要性などが表明された。また、高齢の被爆者からの現状なども合わせて話があり、昨年の東日本大震災に関連して「核兵器全面禁止、原発エネルギーの撤退」を確認。

約2時間半の全体会議が終了。その後、宿舎に戻り、19時からの交流会へと足を運びました。

21時過ぎに終了し、ホテルに帰着後は、シングルの部屋なので、テレビでロンドン五輪を観て、時間を費やしました。

 

2日目の分科会では、19分科会・シンポジウムに分かれてテーマ別に参加。ハトちゃん「碑・遺跡めぐりと被爆の実相体験」に参加。

DSC01379.JPG被爆者から、原爆投下の当時の「地獄絵」のような生々しい実情話を聞いただけでも身震いがするほど衝撃を受けました。被爆者の生の声の重要性を痛感。午後からの「遺跡めぐり」では、暑い中を歩いて、現在の復興した市街からは想像もできない、被爆の恐ろしくも悲惨な爪痕を確認。

参加人数が多くて、コースの斑編成に時間がかかったもの DSC01400.JPGの、ハトちゃんは、健脚コースで、平和公園以外の施設見学を選択

まず、ガイドに付いて、14名で一班。広島城に行き、爆心地から700mに、大きなユーカリの木が。 DSC01391.JPG DSC01403.JPG爆心地に向いた面は、黒く焼け爛れていて痕跡を残す。立派な天守閣と城壁に見とれていましたが、場内の一角、残った地下壕に旧中国軍管区司令部防空作戦室内を見学。黒くなった壁や、当時の原爆投下時に空襲警報が間に合わなかった様子の説明を受ける、被爆の跡もありました。また、大本営跡もあり、爆心 DSC01412.JPG地上空の相生橋 DSC01417.JPG方向から爆風を受けた跡も...。護国神社の前で小休止。

次に、ひろしま美術館脇を右手に見て、県庁前、バスセンターを通って、知らなかった地下街へ。外の暑さが尋常でないので、涼しく感じられるのと、地下街が賑わっていたのには、ちょっと東京駅の地下街と錯覚するほど。途中、右折して相生通りに。

 

地上に上がり、本通商店街にある被爆した帝国銀行の2階を残して1階部分を DSC01424.JPGヨーロッパ風に、パン屋が開業している珍しい建物の前で、立ち止まり説明を...。

DSC01429.JPGその後、被爆校舎の一部が保存・公開されている袋町小学校平和資料館へ。ビデオ鑑賞後、救護所だったことを物語る校舎内部の壁や黒板に、死没者、行方不明者の消息が記されていて、当時の状況が想像できました。

 

次に、旧日本銀行広島支店へ。厚いコンクリートと大金 DSC01437.JPG庫の造りの頑丈さで、被爆の翌々日から支払い業務を行ったというから、さすが日本銀行だとビックリ。生まれて初めて銀行の金庫を観ました。金庫は独立。外側にもう一つの建物が二重構造になっているなど、堅牢性で保存状態が良い。多少の爆風の跡あり。

DSC01453.JPG平和大橋手前の白神社前の木や、社内の大きい石が黒くなっていて、表面が割れた痕跡なども確認。

ここでガイドの先生は、解散の予定でしたが、平和大 DSC01466.JPG橋を渡って西側に「広島市立高女の慰霊碑」を案内してくれました。職員・生徒76人全員が死亡。碑の前面に3人のモンペ姿の少女が彫られていて、真ん中の少女には背に天使の翼が。また、E=MC2 と原子力エネルギーの記号が使われているのを知りました。

被爆の爪跡を、初めて見て知った貴重な体験でした。時間の関係で数箇所に限られてしまったのが残念。ハトちゃんは終了後、平和公園内の原爆の子の像佐々木禎子さんDSC01501.JPG DSC01480.JPG DSC01527.JPGが12歳で原爆症の白血病で死亡後、恒久平和のために建立)、原爆ドーム平和資料記念館内見 学、原爆供養塔、慰霊碑慈仙寺跡の墓石などを見て回りました。広島に残る遺跡・資料館をめぐり、1時間半ほど写真撮影と、科学を悪用した原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さを物語る「人類への警鐘」を感じずにはいられませんでした。

 

DSC01559.JPG最終日は、平和記念式典を傍観。早朝から多くの人たちが訪れ、カラフルな千羽鶴や花束で埋め尽くされました。8時15分に黙祷し、犠牲者の冥福を祈り DSC01568.JPGました。また、松井広島市長の平和宣言で、被爆者3人の体験を引用した核兵器がもたらす悲惨さの訴えは、核兵器廃絶への思いを共有できました。

 

閉会総会(開会会場と同じ)でも、原発事故による避DSC01604.JPG難生活の困難さを訴える、福島県浪江町長避難女子高校生の話「 DSC01620.JPG未来に核兵 器や原発はいらない」は、胸を打ちました。歌手のクミコさんとともに合唱した青年たちにも、パワーをもらい、あらためて「核兵器廃絶と平和への運動」へ積極的に連帯して支援していくことの必要性を痛感。最後に、広島決議を採択して閉会。小生にも 自分にできることを何かやろう」と決意させた貴重な3日間でした。 

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