「JR ウォーク」で 湖北から我孫子へ

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コース約12.5km湖北駅  スタート 手賀沼フィッシングセンター右将門神社右龍光院右満天の湯右道の駅しょうなん右手賀大橋右子之神大黒天延寿院右旧村川別荘右志賀直哉邸跡右白樺文学館右生涯学習センター「アビスタ」右手賀沼公園右嘉納治五郎別荘跡地右我孫子駅 ゴール

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10月9日快晴で爽やかな行楽日和。駅ハイ「都心から1時間 秋を先取り手賀沼めぐり!」に行って来ました。

行きは幕張本郷駅から中央・総武線で船橋駅。東武アーバンパークラインに乗り換えて常磐線柏駅。柏から常磐線快速で我孫子駅へ。我孫子駅から成田線で2駅の湖北駅で下車。帰りは、我孫子駅から新松戸(武蔵野線)→西船橋で中央・総武線の乗り換えで幕張本郷駅まで。

 

湖北駅自由通路スタート受付。良い天候なのでウォーカーが多い。

 

191009 (1).JPGまずロータリーをまわって、右側の商店街(フラワーポット)を進み四季の道を渡って 191009 (3).JPG右側に交番のある斜めの道を進んで行きます。右側にこんもりとした森と芝生広場が見える湖北台中央公園。園内ではパークゴルフの最中。奥に団地の建物が見えます。続いて、湖北台中学校のグラウンドと正門。前を通ってゆるやかなケヤキ通りの坂を下ると、手賀沼ふれあいラインの湖北台中学校入口交差点。

 

ちょっと幅広の舗装道に出ます。右折してふれあいラインを前の女性ウォーカーに付いてウォーク。左側に田園風景が続きます。交通量はさほど多くありません。二つ 191009 (6).JPG 191009 (4).JPG目の信号交差点に、手賀沼フィッシングセンターの看板あり。

女性ウォーカーはそのまま直進。次の斜め左に入るところがコースになっていて、→があります。ハトちゃんは、午後に健診受診があり、手賀沼は何度も来ていたので、フィッシングセンターに向かわずに、そのまま我孫子駅に向かって直進。

 

191009 (7).JPG 191009 (8).JPGこの道は、上り下りが2回あって、両脇が雑木林の山間を通って行くのでだいぶ涼しい。右側に岡発戸市民の森があり、自然が残った散策道を進んで行きます。しいのみやどんぐりが落ちています。

スタートから約5km地点へ。右側に曲が 191009 (10).JPGると、常磐線天王台駅と成田線東我孫子駅へと通じます。ちょうど自販機で飲み物を買っていた地元の方に聞くと、「天王台まで徒歩30分かかる」ということなので、そのままアクセスの良い我孫子駅へと向かうことにしました。

 

191009 (11).JPG 191009 (13).JPG途中、以前、手賀沼の展望が見づらかった、高野山・桃山公園のログ調の階段を見つけました。

間もなく左側には水生植物園の看板と藤棚が続いていました。また、手賀沼周囲遊歩道につながる道もありましたが、沼へは行かずに、さらにふれあいラインを直進。191009 (14).JPG

手賀沼は周囲38kmの東西に細長い沼で、マコモやヨシなどが沼の畔からだ ぶ広く繁茂しています。一時、日本で一番水質の汚い烙印を押されましたが、現在では努力の甲斐があり、だいぶ浄化されて来ています。

 

しばらく歩くと、右手に鳥の博物館がありましたが、外観のみ 。館内は3階の 191009 (15).JPG 191009 (16).JPG見晴らしデッキから、手賀沼が 眺望できます。また手賀沼の四季の鳥や自然、鳥の剥製など貴重な資料を展示しています。

入館せずに、反対側の親水広場公園「水の館」へ。ちょうど我孫子の物産展を開催中。多くの 191009 (17).JPG幟が立っていました。公園内を観ながら、畑越しに県道8号線に架かる手賀大橋が見えました。

 

このあたりから、道幅が広くなり交通量も多くなって来ます。若松交差点前を横 191009 (18).JPG断。手前に元五輪大臣の失言で更迭された桜田議員のポスターを写すと、どういうわけか暗く撮れてしまいました?

 

細い舗装道の文学の道へと入って行きました。閑静な道沿いに、文人の史跡や別荘などの有形文化財が点在しています。ところどころ、石畳がある道ですが、たま150609 (42).JPG車も通ります。 191009 (19).JPG

階段があって、子之神大黒天延寿院のすぐ隣りにある、旧村川別荘へ。

竹林の間の石段を上って行くと、敷地内は庭園風で、西洋古代史の大家、村川堅固・堅太郎親子の母屋と朝鮮風な屋根の新館が建っています。以前はガラス窓から、手賀沼や富士山も良く観えたとのこと。

 

191009 (20).JPG 191009 (21).JPGさらに文学の道に戻って先に進むと、道端に湧き水の出たはけの道。前に行った、東京の国分寺を思い出しました。また、白樺派の重鎮、志賀直哉邸跡と、小説『暗夜 行路』などを書いた書斎が、一段高くなった平らな場所にあって見学。

 

近くの向かい側には、白樺文学館がありましたが、外観のみ。白樺派(大正191009 (22).JPGデモクラシー時代の新文芸活動)が、 手賀沼のほとりで育まれ、発展したことを紹介。雑誌『白樺』原本、復刻本や白樺文人の貴重な原稿、書簡、書、色紙などが展示されています。

  

その後は、杉村楚人〔明治末期から昭和前期まで東京朝日新聞で活躍した 先進的ジャーナリスト〕冠記念館嘉納治五郎〔文部省参事官、教育者・柔道家〕別荘跡は、何度か入園していたので、カット。 

ラストは木々や竹林で覆われている天神坂階段を上がると、公園風にな 150609 (62).JPGっている天神坂上。右手の緑地内は広くて向かいにあるのが嘉150928 (30).JPG納の甥っ子である柳宗悦〔民藝運動を起こした思想家。哲学者〕が住んでいた三樹荘跡。案内板があります。  

天神坂は狭く短い石段の坂道で 、大正時代に我孫子が「北の鎌倉」といわれた雰囲気を醸し出しています。

駅への戻りは、ひかり幼稚園の脇を通り、大光院前を左折。 

191009 (2).JPG 191009 (24).JPG間もなく我孫子駅南口へ。駅周辺の地図と、手賀沼ゆかりの文人たちの記念碑が...。  『我孫子ゆかりの文人たちが、嘉納先生とのつながりでこの地に集まって来た』 ことを知りました。

 

コーステーマはほとんどカットして、手賀沼ふれあいライン&文学の道を歩いて、約10kmを4年半ぶりに歩きました。

 

帰宅して昼食後、自宅から自転車で7分ほどの、Hクリニックで国民健康保険の特定健診191009(25).JPG項目が少なくて、身長・体重・腹囲・血圧・採血・検尿と診察で約20分ほどで終了。もっと時間がかかると思っていたので、肩透かし。その先の東部体育館に3日連続で筋トレへ、明日から、台風19号の影響で行けなくなるので...。

 

 

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このページは、hatochanが2019年10月11日 13:38に書いたブログ記事です。

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