コースは;佐野駅ぱるぱーと観光案内所 朝日森天満宮星宮神社日光例幣使街道涅槃寺・日限地蔵尊佐野厄除け大師佐野市観光物産会館観音寺宝龍寺大聖院さのまるの家人間国宝田村耕一陶芸館ぱるぽーと 佐野駅
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桜(ソメイヨシノ)も散ってしまいましたが、4月21日(木)、オジン隊は 駅ハイで「春風薫る小京都 佐野めぐり(約6.5km)」に参加。
小生は、小山駅で途中下車。駅までは、宇都宮線快速ラビット(上野7:57発)に乗って、ちょうど9時に到着。駅西口の駅前通りを進んで、最初の信号交差点を左折して徒歩2分。間もなくスタート&ゴールの「まちの駅思季彩館」へ。本日がコースの最終日で、待ち合わせの電車時間があったので手続き。
思川桜めぐりの駅ハイは、来年にとっておいて、あわてて駅まで戻って、両毛線のホームへ。
さて、本日のメインの佐野へと両毛線で向かいます(9:24発)。両毛線に乗ると、厄除け大師に向かうせいかも知れませんが、晴れ間が出て来ました。
両毛線は、関東では他で見られない全駅、ドアは手で開けます。小山駅から約30分で佐野駅へ。
佐野といえば、江戸時代、日光例幣使街道の宿場町で佐野厄除け大師、佐野ラーメンと、最近ではゆるキャラの「さのまる」が有名。
10時の集合でしたが、駅構内のエスカレーターで、3人と出会い ました。小生を除き、初めて佐野駅に降りたメンバー。
駅隣接のぱるぽーと観光案内所で受付スタート(9:58)。
コースマップどおりに、まず朝日森天満宮をめざします。
両毛線踏切を渡って、北へ歩くと正面に佐野高校。その横を通ると間もなくこんもりした鎮守の森が ある朝日森天満宮〔学問の神様 菅原道真が祀られている〕へ。朱塗りの灯篭(夜は明かりが点る)と梅の木が参道の両脇に並んでいます。佐野の天神様といわれ親しまれています。また例幣使が参拝した神社でもあります。
※例幣使...毎年、朝廷から祭使を派遣して幣帛を奉納したこと。江戸時代朝廷は、徳川家康の法要のため日光東照宮にも同じように勅使を派遣 した。
境内には、狛犬もありましたが、石製の片方の牛は、顔が削られていて凹凸がわかりづらい。社殿前の緑色の横たわったなで牛(中は空洞)は、触った場所が治癒するといわれています。各人悪いところを触って参拝後、1本西よりの道を進みます。
天満宮を出ると、道の片側に松の木が並んで立っていて、石の鳥居が 踏切を渡ったところにあります。この鳥居には朝日天満宮の表示があり、かつて長い参道があり、あとから参道を横切って鉄道を通したんでしょうか?という疑問が生まれました。
鳥居をくぐっ て、コースマップを見ながら回りこむように進むと、星宮神社へ。
境内の明神鳥居は、天明鋳物師により製造され、天明宿の総氏子により奉納されたもので、落ち着いた雰囲気が感じられます。なお、境内を入ったところで、一段高いところにある社殿はカット。
続いて、直進すると、県道67号線日光例幣使街道〔徳川家康の没後、東照宮に幣帛を奉献するための日光例幣使が通った道。中山道の倉賀野宿を起点として、楡木宿にて壬生通り(日光西街道)と合流して日光坊中へと至る〕へ出ます。
右折して、街道沿いを歩いて行きます。道幅は広くて、ところどころに旧商家の見世蔵造りが残って いますが、重要文化財指定地区にしては新しい建物もあって、川越や高崎の新町と比べると、行政の取り組みのあいまいさを痛感してしまいます。その象徴が、商家の屋根にぺんぺん草が生えていて、地震があったら倒壊しそうな状態の家屋を発見しました。
風情が残っている関東の小京都といわれる名前が泣いていました。
街道の300m先の交差点を左折。途中、喫茶「どんぐり」まちの駅がありました。
2本目の交差点右側に涅槃寺・日限地蔵尊(ひぎりじぞう)へ。「ひ ぎり」とはなかなか読めません。日本各地に存在する「日を限って祈願すると願いが叶えられる」といわれる地蔵菩薩で、当地の地蔵尊は、鎌倉時代に造られた寄木造り。山根副長のみが地蔵菩薩像を覗き見。
交差点を左折して進むと、佐野厄除け大師の看板。広い駐車場は閉鎖中。金井通りを進み、右手に間もなく出入口があり、大師の境内へ...。惣宗寺(そうしゅうじ)〔944(天慶7)年創建で開基は藤原秀郷〕 は、一般には佐野厄除け大師として有名。関東三大師の一つ。他に、青柳大師、川越大師を指すそうです。
厄除け大師とも呼ばれる元三大師(良源)を祀る寺院(天台宗)で、弘法大師(空海)を祀る関東厄除け三大師とは全く別物だそうです。境内は、名前から予想していたより狭い印象を受けます。高さのある建物がありません。出入口門の紋は、金色の葵御紋。その他、本殿の垂れ幕などにも葵紋。
本堂、山門、金銅大梵鐘、子育地蔵尊、水子地蔵尊、春日稲荷大明神、東照宮などが、それほど広くない境内に、効率よく整理されて収まっている感じがしました。 境内にキリシマツツジが赤く咲き誇っていました。1984(昭和59)年作製の黄金の銅鐘が目に止ま りました。「ホテル三日月」の黄金風呂盗難事件が話題に。
年末年始には、テレビなどで宣伝されて、お正月の大祭には100万人が訪れるというのですから、そのときの盛況と混雑ぶりが目に浮かびます。
本堂で厄除けの祈願をして、道路反対側の観光物産会館でお土産を購入( 駅ハイ特典で5%引)。
続いて、厄除け大師のすぐ先にある、観音寺〔真言宗豊山派・佐野七福神大黒天〕の境内へ。
「観音寺」という寺号なので「観世音菩薩」が本尊だと思いましたが、「不動明王」が本尊になっています。以前は、観世音菩薩が祀られていたのかも知れません。
隣りの佐野厄除け大師には参拝客が多かったのですが、こちらの参拝者はほとんどいません。
境内の左側には、露座の「銅造阿弥陀如来座像」(1669(寛文9)年、佐野家の子孫たちが佐野家復興を祈願して建立)がありました。阿弥陀如来像は、鼻筋の通ったやわらかい表情をたたえていました。
続いて、厄除け大師の駐車場のある交差点を右折して、ひたすら直進。 途中に、宝龍寺〔浄土宗の僧侶、呑龍上人ゆかりの寺で、9年間活躍していた〕に 立ち寄りました。こちらにも銅造阿弥陀如来座像がありました(1694(元禄7)年、藤原信次が鋳造)が、鼻筋の通ったお顔でしたが、なぜか小首をかしげているのです。実は関東大震災のときに、首の一部が破損してしまい、そのせいで傾いてしまったんだそうです。
さらに進むと 東武鉄道の佐野市駅前へ。電車の間隔が開いているせいか、電車が見られません。
それを幸いに、駅を通り過ぎて、線路沿いを進み、本来ならば歩道橋を渡るところを、線路脇から線路内を渡って左に曲がり直進。
途中、大聖院〔山門前に高地蔵、法華経69,384文字が刻印されて いる銅鐘がある〕へ。脇にはボタ ンがきれいに咲いていました。また横から境内を覗くと、大木をクレーンを使って伐採中。その後、薄紅色のハナミズキが咲く道を直進。
コンビニの角を左折し、東武鉄道の単線の踏切を渡って佐野駅方面に向かうと、金下通り(厄除け大師の出入口がある道)に出ます。右手に吉井酒造のまちの駅があります。
また、交差点前のピンク色の洋館は、影沢医院の建物で風情があって 立派でした。現在は日本クリケット協会が使用中。
県道67号線日光例幣使街道の交差点右に、まちなか活性化ビル「佐野未来館」1階が「佐野市人間国宝 田村耕一 陶芸館」(入館無料)になっています。佐野市出身の氏の偉 大な功績を讃え、生涯作品を展示・公開して、街なかにぎわい創出事業により創出されたものです。鉄絵と呼ばれる模様・色彩に数々の技法を加えて、高い芸術性を持つ陶芸を制作。
入館して、人間国宝の至高の作品を鑑賞。受付の女性に、佐野ラーメンのお店を教えてもらいました。
その後、横断歩道を渡って、人気キャラで2013年にグランプリを獲得した「さのまる」の家へ。
本日は、残念ながら「さのまる」は不在でしたが、休日を含んで週3回は顔を見せるそうです。
展示・販売品をひととおり見て、佐野駅方面へ。左側の吹き抜けになっている立派な建物は、佐野市役所。駅から近距離で便利。
駅前商店街のラーメン店は、木曜定休が多く残念。直進して間もなく、広くて立派な佐野駅前ロータリーへ。大噴水の上には、2羽のおしどりのモニュメント。
先輩たちは恒例の天然温泉「やすらぎの湯」へ行くことに。
セブンイレブン近くの和食「はしもと」に入店して昼食。全員で縮れた麺と、佐野市のおいしい水で作るあっさり醤油味ラーメンを満喫しました。来月の場所(鴻巣)と日時決定後、食事をしながら、元職場の物故者や本年度退職者に話が及びました。
先輩たちは初めての佐野でしたが、歩行距離も短く、小じんまりした街並み散策ができたと思います。駅ハイでもなければ、両毛線に乗るローカル線の旅もできなかったかも知れません。
天候が心配されましたが、晴れ男?のおかげで、ウォーク中、一度も雨に降られませんでした。ラッキー!来月は花めぐりで、癒しましょうね!
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