コースは;JR川崎駅 小土呂橋旧東海道川崎宿佐藤本陣跡中の本陣・問屋場跡砂子の里資料館田中本陣跡万年屋跡六郷の渡し万年横丁馬頭観音仲見世通り川崎大師大師公園・瀋秀園京浜急行大師線・川崎大師駅
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2月9日(火)「ゆうほ(友歩・遊歩)21」ウォークは、「旧東海道川崎宿から川崎大師を歩く(約6km)」へ。
船橋西武前に9時30分に集まったのは、神田先生を含めて14名。
JR船橋駅から総武快速・横須賀線に乗って、品川駅へ。東海道線に乗り換えて一つ目の川崎駅へ。
構内のトイレを利用後、先生を先頭にスタート。
川崎というと、川崎競輪場、川崎競馬場などのギャンブル、昔のロッテ本拠地〔1978(昭和53)~1991(平成3)年まで〕「狭い、汚い」といわれた川崎球場のイメージを思い出しますが、駅ビルや地下街など、きれいに整備されて近代的な建物に大変貌。多くの乗降客が行き交って新しい街に。
おしゃれな地下街を抜け、地上に出て、活気ある駅前大通りには商店街が立ち並んでいます。
新川(江戸時代に川崎宿を川が横断)通りへ出て直進。 小土呂橋跡は通りの向こう側に確認。橋跡は、1931~33(昭和6~8)年に埋め立てられたため、現在は欄干の親柱だけで、見落としがちです。
砂子交差点に出て左折すると、間もなく、川崎宿があった旧東海道を進みます。
「いさご通り」の大きな看板が目に入ります。「砂子」と書いて、「いさご」とはなかなか読めません。
当時の川崎宿の案内板などを読みます。途中、佐藤本陣跡・佐藤惣之助の碑があり、歌碑を先生が口ずさみメンバーは知らんぷりで大笑い。中の本陣・問屋場跡の案内板でも立ち止まって案内板と説明を聞きました。
「旧東海道」と刻まれた石の道標を見ると、電車が無かった頃の 江戸時代以前の飛脚や旅人の姿が目に浮かびます。その時代に思いを馳せて、ゆっくりしたスピードで...。 道幅は意外と狭く、車の往来も少なくて歩きやすいのですが、往時の賑やかさは残っていません。
左側の外装はなまこ壁風で江戸町屋の雰囲気を醸し出している 「砂子の里資料館」に入館。
館内は狭いのですが、川崎宿の模型や歌川広重の東海道五十三次の浮世絵、資料等が並んでいました。
次に、すぐ先の右側に2013年10月1日にオープンした「東海道かわさき宿交流館」へ。江戸時 代の川崎宿を伝える歴史文化資料館(入館 無料)で、ビデオ紹 介、タッチパネル操作で学べる文化交流施設。名産品も販売。女性受付員からパンフをいただきました。1階から3階の展示室までの階段の一段一段に「東海道五十三次」の浮世絵が日本橋から京都三条大橋までがプリントされていて、絵と宿が順番に覚えることができるアイデアで、知っている絵も多数ありました。ちなみに「川崎宿」は3番目。
2階床には川崎宿の配置図、3階は特別展で、本日が初日の川崎在住の藤田正俊切り絵展(川崎のまちのみどころを紹介)。
その後、目だたないので見落としそうになった田中本陣(宿)跡を確認。
直進して、ガードをくぐって左側の坂を上ると多摩川(昔は下流域を 六郷川と呼 んでいた)の土手に、六郷の船渡し跡〔1600(慶長5)年に徳川家康が六郷大橋を架けたが、大洪水で流されて、明治に入るまで船渡しをしていた場所〕の案内板があり、小休止。
左側に新六郷橋を見て、右側の多摩川の広い川幅とゆったりした流れ、河川敷を眺めます。
川沿いの道は眺めがが良くて気持ちが良いのですが、今回は京浜急行の一つ南を通る舗装道の大師通を直進。風景は単調でただ歩くだけ。道なりに進みます。左手に川崎河港水門〔国の登録有形文化財指定。多摩川と運河を仕切る水門として造られたが、運河計画が中止されて、川手前に船溜りを残すのみ。水門は機能せず残存〕がありましたが、遠方から水門の上部だけ。
万年横丁を過ぎると、左側に味の素川崎工場があり、その敷地の広さにビックリ。創業者の鈴木氏の姓を採って、このあたりの地名が鈴木町に。
さらに、真っ直ぐ進むと、左手に真っ赤な柱が特徴の京急川崎大師駅。
右手に折れて川崎大師表参道商店街を進みます。「川崎大師入口」 の看板が眼に入ります。
途中、馬頭観音のお寺の高い塀づたいに歩いて、右手から店屋の店員の威勢の良い声と、咳止め飴を切る「トントン」という音が聞こえて来て、参道の仲見世通りは正月でもないのに賑わっていました。
川崎大師(高尾山薬王院、成田山新勝寺とともに関東三本山の一つ)では、大山門をくぐって、広い境内に不動門、薬師殿、大本殿、 中興塔などを見物。参賀人数では、ベストテンの常連ですが、この日は平日でちょっぴり少なめ。立っていたお坊さんに御利益を伺ってから参拝。
女性メンバーはお土産に奔走。20分ほど境内や土産店を見たあと、大師公園へ。
園内の東屋のベンチで、早速、正午から30分遅れの昼食にありつきました。傍のトイレの角度の急 な屋根にハトちゃんが羽根を休めていました。
園内は広く、野球場、テニスコート、プール、遊具のある広場や、芝生広場などがあります。
昼食後は、奥にある瀋秀園〔1987(昭和62)年に中国瀋陽市と姉妹都市友好5周年を記念して贈られた中国庭園〕へ。建物は京劇のメイクや衣装に使われる赤・黄・緑・青などの外装と反り返る屋根、中国式自然山水庭園には趣きのある滝や池の周りを歩くことができ て、しばし中国にいる気分。
公園の周りを歩いて、川崎大師の裏手に、なぜか?川中島合戦名と同じ川中島という地を通 って、川崎大師駅へ。
ここがゴールで解散でしたが、メンバー全員が京急川崎→京急品川に出て、JR品川駅へと。その後はJR総武快速線で東京駅までは一緒。二人が京葉線へ別れて、残りは船橋駅まで一緒に...。
小生は4回目になりますが、昨年11月13日のオジン隊での川崎駅ハイは腰痛で、川崎大師の手前京急「港町駅」 からショートカットしたので、久しぶりのコース完歩でした。
なお、5月以降のサークル運営については、3月14日のウォーク後に打ち合わせることにしました。
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