コースは;取手駅 とりで本陣通り(取手ひなまつり)旧取手宿本陣埋蔵文化財センター旧水戸街道道標金門酒蔵本願寺本多作左衛門重次墳墓取手駅
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行って来ました、取手へ。 オジン隊は「取手ひなまつりと旧水戸街道歴史散歩 (約8.5km)」、2月18日(月)快晴で風は強めでしたが、メンバーは元気。
ハトちゃんにとって「取手」は自宅から近距離なのと、出身が茨城県で、高校野球「取手二高」で木内監督を擁して、茨城県勢として初の全国優勝したところ。愛着があり毎年「ひなまつり」などを観に来ていて今年で7回目。
常磐線各駅停車で我孫子・天王台付近は新興住宅街が続き、利根川(日本一の流域面積)の長い鉄橋を渡ると、取手駅へ。
スタートの東口はホーム下にあってりホーム一番後ろから降りて行きます。兼子隊長と山根副長は初めてだったので、ちょっと迷ったようです。東口を出たところに受付があり、10時5分にスタート。今回は遅刻なし。
まず駅前から、大師通りの 突き当たり左側、急階段上 の長禅寺 〔臨済宗;取手七福 神大黒天〕を案内。
石段を上り、白色と模様が際立 つ山門をくぐると、右手に三世堂、左に霊山堂があり、霊山堂前に大黒天が祀られていて、紅梅が見事。境内には池もあって、風情のある寺。また、小学校低学年の生徒たちが元気に駆けずり回っていました。以前は、階段にひな飾りした年もありましたが、今はなし。
大師通りと本陣通り角の新六本店〔奈良漬店〕へ。奈良漬の老舗で、駅 ハイ特典割引があり、帰りは寄らないこともあり、土産品を購入。店内のひな壇を観賞。店員さんの案内で 蔵(百年以上前の大きい蔵)では、珍しいつるし雛と、お店代々のひな壇が蔵の雰囲気、照明とあいまって幻想的な光景。一層あでやかでした。
その後、とりで本陣通 りを中心に行われている「取手ひなまつり」(2/20~3/3開催でしたが駅ハイの15~24日は前倒しで飾りつけ)を ゆっくり観賞することにしました。桃色の幟も風でなびいていました。
人形店はもちろん、着 物・帯店や喫茶店、その他、町の多くの店舗でポスターと、大小、き れいなひな人形やつるし飾りなどを展示。ウィンドー越しに観てまわりまし た。色とりどりのひな飾りで、華やいだ気分に浸れました。
本陣通りを進むと、 300m右に 「旧取手宿本陣 染野家住宅」。建物の藁葺屋根は圧巻。1795(寛政 7)年に建築され、江戸時代、参勤交代による大名などの宿泊や休息に利用されて、染野家の当主はは代々取手宿の名主を務めたそうです。1987(昭和62)年に史跡認定。千住と水戸を結んだ水戸街道の20宿場町(18宿説あり)の一つ。数人の駅ハイ参加者や観光客がいて、 屋敷内では観光ボランティアさんから説明を受けていました。開館(無料)してい たので、 見学。屋敷前で記念撮影。白梅が咲き始めて、満開の頃はビュースポットになるところです。
市民会館入口を過ぎて、本陣通りを直進。すると、歩道を歩いてい脇を1台の自転車が追い抜いて行きました。最近は、歩道を走ったり、右側走行のマナーの悪い自転車の話になり、遠藤副長から「歩道を走ると補導しちゃうぞ!」というジョークが飛び出し、大うけ。
また、最近の「あおり運転」や「スマホを見ながらの運転・歩行」など危険な運転が話題に上がりました。
いったん、左側の道に入って、本陣通りを横切って直進。整備中の道 路を進んで吉田バス停へ。ここで、ハトちゃんが「せっかくだから利根川を見ませんか」と提案。その先の土手を上がり、広い河川敷が取手緑地公園になっている利根川を眺めました。眼下には野球グラウンドやゴルフ場などがあり、一段高いところから気持ちの良い風景。
サイクリングロードを歩いて来た保育園児たちと挨拶。とくに山根副長は園児たちに握手を求め、優しい性格がにじみ出ていました。
土手を下りて、コースに戻り、 ビラージュ取手(マンション)の前を左折。間もなく 左手の埋蔵文化センター〔取手市内の遺跡 からの出土品や宿場町の歴史資料 を展示〕。 センター出入口まで、小さい豚のミ二チュアの列が印象的。取手市出身で東京芸大卒業の取手市長賞になった本山ひろ子さんの作品。入館してトイレと展示品などを観賞。
しばらく歩くと、民家の紅梅や白梅が咲き始めていました。ゆずや夏み かんが収穫せずに木にぶら下がったままの状態が多く見られ、空き家が増えている実態を憂いました。
通りに戻って、 ずーと一直線に進みます。吉田消防署に行く手前の右側に、小さな旧水戸街道の標柱がありました。これは、現代のもの。傍らには保存樹木の標柱もあり ました。樹高17m、幹回り2.3m、推定樹齢202年(昭和63年当時)のサイカチ(まめ科)の大木です。サイカチのさやは30cmくらいになり、若いさやはつぶして洗剤に、トゲは利尿薬や解毒剤として利用された、と書いてありました。
〔道標〕には、水戸与利十八里十八丁(約73km)、反対側には江戸与利十里二十二丁(約42km)と記されていました。
その後、国道6号線を横断してさらに直進。吉田消防署では、隊員による 訓練の最中。左右に広がる田園風景を見ながら、ほぼ真っ直ぐに田んぼ道を藤代宿方面へと。
約700m先に、相野谷川に架かる"土橋"のたもとに旧水戸街道道標がありました。さすがに先ほどの標柱より大きくて歴史が感じられます。
〔道標〕には、来應寺七丁(約760m)、江戸十一里(約43km)、水戸十八里(約71km)と記されています。
道標を見て折り返して、生ゴミ堆肥化施設前の道を右折して直進。突き当りを左折して間もなく、金門酒蔵〔1834(天保5)年に酒造りをはじめたが、一時転業し1932(昭和7) 年に再開。家名の「金左衛門」の金と門をとり「金門」という銘柄に。すっきりと喉ごし良く、まろやかな風味が特徴〕へ。見学はできませんが、隣接したきれいなショップで、先輩たちは酒を購入していました。下戸のハトちゃんはパス。
酒蔵前の道を間違えないように進み、突き当たりの工事中を左折して、 フェンスを回るように進むと、本願寺〔光明山本願寺と号し、浄土宗:1396(応永3)年、了誉聖げい禅師の開創。徳川家康の家臣で鬼作左といわれた、本多作左衛門重次の菩提寺〕へ。
境内には重次が長篠の戦いで妻に宛てて書いた、日本一短い手紙として有名で武士の文章の手本とされた「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の石碑がありました。お仙とは嫡子仙千代のことで、長じて成重と称し、福井の丸岡城主となりました。
深い家族に対する「愛情」が現代まで届いて来ます。
参拝後、元の道を戻ると、フェンス前で作業員が昼食中。そういえば、すでに正午をまわっていました。施設は地域子育て支援センター。フェンスが途切れたところで、信号を渡って直進。
小生には見覚えのある団地や風景。一昨年、歩いた大きな井野団地。
中央通りを通って、途中、右手にあるショッピングセンター街のモールを入ると間もなく「いこいーの+Tapp・ino」があり、産直野菜や「アートのある団地」としてアートプロジェクトとボランティアが運営しているカフェ。 シャッターはカラフルな親子連れの模様。しかし、団地内は高齢化が進み、人通りが少なくなっていました。
その後、和菓子の笹屋を過ぎて少し歩いて右折。最後に急坂が待っていました。前月、逗子の桜山中央公園169段の急階段を思い出しました。
途中、確定申告や水泳の池江選手の白血病告知、テニスの大坂選手のコーチ解任が話題に...。
坂を登り切ると、本多作左衛門重次墳墓〔家康の三河三奉行の一人で、取手で3千石を拝領。1529(享禄2)~1596(文禄5)年、享年68歳で没し本願寺のお墓山と呼ばれる丘に埋葬された〕へ。取手市台宿にあり県指定文化財になっています。案内板と標柱が立っていて、一番奥にあり、鉄扉と墓柱に囲まれていて、五輪塔の形になっています。
小高い坂をゆっくりと下りて行くと取手一高。広いグラウンドに沿って道 を進むと蝋梅が咲いていて、駐車場前へ。道を尋ねていると、後ろから訳のわからないおじさんが...。
コースは駅西口でゴールでしたが、昼食場所が少ないので、左折して坂を下って東口へ。ゴールの取手駅東口には、13時に到着〔歩行距離8.5kmを3時間弱〕。
駅前の「目利きの銀次」に入って、ランチを注文。割り箸の袋が箸置きの折り方が印刷されていて記念品に。乾杯後、本日の反省会と来月の駅ハイ日時を決定。矢印がコース上全く見当たらず、いつでもコースなのに、都内を除き矢印が全然無かったのは、ちょっと不親切。40分ほど休憩し、取手駅前で別れました。先輩たちは、天然温泉「湯楽の里」へ。
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終了後、メンバーからのメール(抜粋)
兼子隊長 「取手駅ハイは天気に恵まれ、気持ちよく歩けた一日でした。コースで3時間、湯楽の里から取手駅まで30分歩き、2万2千歩でした」
山根副長 「天気も良かったし、温泉から取手駅まで歩いたこともあって、歩数は多かった(2万5千歩以上)ですが、結構、のんびり歩けた駅ハイだったと思います」
遠藤副長 「取手は、利根川をはさんで隣の町ですが、ポイントの場所は、初めての所ばかりでした。また、湯楽の里から取手駅までは、結構、距離がありました。当たり前ですが、車で通るのとは違いますね」
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