2013年12月アーカイブ

ハトちゃんは、好天の師走28日(土)に、新小岩から小松川・江戸8代将軍徳川吉宗鷹狩りの道を歩いて船堀タワーへ(歩行距離約7km)。

「ゆうほ(友歩・遊歩)21」〔習志野ウォーキングサークル〕が11月12日(火)に実施したコースで、当日は体調不良のため不参加だったので、会員にマップをコピーさせてもらって、同コースをウォーク。

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幕張本郷」駅からスタートの「新小岩」駅までは、中央・総武線で約23分。「新小岩」駅南口ロー DSC02527.JPGタリーを左に出て、平和橋通りを横断して、一つ目の信号脇の中華料理「香港坊」を斜め右折して、住宅街へ。DSC02530.JPG

途中、右側に小松南小学校を見て、直進。

 

「新小岩憩い交流館・新小岩児童館」 の先に、江戸将軍吉宗の鷹狩り場だった「小松川境川親水公園」〔全長3,93 DSC02532.JPG DSC02540.JPGDSC02538.JPG0mの親水公園が散策道「健康の道」になっていて、滝、せせら ぎ、飛び石、吊り橋に冒険船などの5つのゾーンに分かれている。昔は船が行き来する水路として利用されていた〕に出ます。

 

 

散策道の木々は冬枯れの様子。多少、紅葉が残っていました。一人で歩くと DSC02547.JPG DSC02546.JPG DSC02544.JPG、ペースが速くなります。両脇は、住宅街になっていて、細い舗装道路が続いています。

 

 

約1kmほど歩いて、江戸川区総合文化センターを過ぎて、すぐその先の橋を渡って、右手に曲がると、旧西小松川香取神社〔下総国千葉家より康正二丙年(1456年、室町時代)に神職が当所に DSC02555.JPG DSC02553.JPG引き移り創建したと伝えられ、旧西小松川村の鎮守社で、明治5年には村社に列格していた〕へ。境内に「小松菜ゆかりの里や、芭蕉の句碑があります。

 

 

神社に参拝後、社務所で「小松菜屋敷」の場所を聞くと、すぐ先にある DSC02559.JPG DSC02558.JPG黒い門の家と教えてくれました。

小松菜屋敷〔亀井家(昔より土地の人々に「いづみ様」とよばれて来た)に伝わる話として、1719(享保4)年に吉宗公が来られた際、西小松川村の間々井の森の香取社で、ときの神主・亀井和泉守が、餅の清まし汁に冬菜を添えて差し上げたところ、その香味を大変喜ばれた。未だ名前が無かったので、小松川の里の名ゆえに「小松菜」と命名されたと伝えられている〕

は、冠木門(かぶきもん)になっていて、前の柵の通行棒をはずして庭を見学。「亀井家屋敷跡碑」がありました。門の横に、亀井家に伝わる「小松菜屋敷」の言われを読んで、早々に退散。

 

 

屋敷前の道を真っ直ぐ進むと、平和橋通りへ。通りを横断して、江戸川高校の校庭横の細い道を入り DSC02567.JPG DSC02568.JPG DSC02571.JPGます。すると、また親水公園に戻ります。

鴨が5羽泳いでいるのをベンチで眺めている老人たち。「グリーンパレス」横にリニューアルオープンした「江戸川郷土資料室」があります。

 

 

今回は、先を急いでいたので寄らずに公園沿いを進むと、今度は DSC02572.JPG右に左に親水公園が曲がりくねっています。国道14号線の下(頭上が低い)をくぐり抜けます。 

その後も、親水公園内は、歩行者のみなので、車の心配はまったく心配ありません。道は安全ですが、飛び石や橋、工夫されたゾーンはあるものの、その他の風景は単調で少々だれて来ました。花見や紅葉の時期は、良かったと思いますが、いささか、食傷気味!

 

続いて、京葉道路の東小松川出入口付近へ。「京葉道」と「首都高速7号線」の下をくぐり抜けます。 DSC02580.JPG DSC02533.JPG DSC02578.JPG自転車が歩行者とともに通過できるため、ちょうど自転車が来たので避けて通りました。

仲台院〔浄土宗の寺院で、1959(天文8)年、応誉良道上人が建立。吉宗が鷹狩りの際の御膳所で、頻繁に訪れた〕に寄るのをつい忘れてしまいました。

 

親水公園は中川につながっていますが、その手前で、鴨にエサ DSC02577.JPGをあげ DSC02595.JPGている女性に遭遇。橋を渡って、善照寺へ。地元の人に道を聞くと、この近辺には立派なお寺が多いとのこと。

 

寺の山門前に、鉄の扉があって、扉を開けて境内へ。善照寺〔真言宗豊山派で隆範上人の創建といわれ、江戸幕府より寺領6石の DSC02600.JPG DSC02602.JPG御朱印状を拝領。横綱明石志賀之助の引退相撲を境内で行い、以来、草相撲が行われて相撲寺とも呼ばれている〕は参道の先に本堂、両脇に鐘楼、不動堂、大師堂などがあります。境内は広く、風格があります。

 

 

寺を参拝後、真っ直ぐ進むと、ちょっと広くなった通りの左手に、「DSC02608.JPG DSC02607.JPG」の表札。「市川家(臼の宮)」で、1717(享保2)年、吉宗が鷹狩りの際に立寄って臼に腰をかけ、その臼を、裏庭に祀ったとチラシに書いてあったので、門の中に入ろうとしましたが、防犯カメラが設置してあったのと、年末だったので、中には入らず、裏にまわり、高い鉄柵越しに小祠の前を上からパチリ。

 

その後は、マップどおりに左折。東小松川小学校横を通り、東小松川南公園を通って進むと、前方に DSC02613.JPG白鷺特別支援学校の建物。左折すると、交通量の多い、平和 DSC02619.JPG橋通りへと。遠方に高層の「船堀タワー」が徐々に見えて来ます。

左折して「船堀」駅方面へ。左前方にタワーが聳え立っています。駅前まで「船堀グリーンロード」が続いていて、その道を歩いて行きます。

 

新大橋通りを横断し、「タワーホール船堀」の入口へ。「タワー展望室DSC02618.JPG高さ115m:無料)」行きのエレベーターに乗ろうとすると、警備員の方から 『本日から元DSC02617.JPG日を除く3が日まで展望室の利用ができない』 と言われ、ガックリ。前日は利用でき たと聞き、1日延期した運の悪さを実感。手ぶらで帰るのも癪なので、チラシのみもらい DSC02621.JPGました。

以前にも、サークルで来たときも、ハトちゃんはパス。これで2回とも観れずじまい。

 

あきらめて、都営新宿線「船堀」駅へ出て、急行で「本八幡」駅へ。

 

娘の高校通学の駅で、父母会で何度も行ったので、馴染みがあり、駅前の安いスーパー「ok」でおいしい食パンを買ってから、自宅へと帰りました。

 

マップはあったものの、一人で歩くと、何度か道に迷いそうになり、道をたずねたり、ポイントを忘れたりのウォーク。ポイントが少なく、単調なコースでちょっと物足りなさが残りました。

 

12/31は、ハトちゃんの母3が日を初めて小生の自宅で過ごすため、妻と一緒に迎えに。筋トレも28日(金)まで、今月もノルマの10回を数えました。ブログも月15回は何とか達成できました。今年1年ご愛読ありがとうございました。

 

来年も、今年以上に充実した年になるように、頑張りたいと思います。ブログの方も、引き続き、ご愛読よろしくお願い申し上げます。

 

皆さん、良い年をお迎えください。                     12/31  ハトちゃん

 

【付記】愛読者の皆さんは、お気づきになったでしょうが、本日(12/28)、夜にヤフーで「ハトちゃん」を検索したところ、ブログ名の後に総合トップという表記が復活。今月も2日に1回のペースを守り続けたのと、多くの皆さんが検索、読んだり見たりしてくれた御陰だと大変感謝しております。

  

27日(金)は、11月12日実施した 「ゆうほ(友歩・遊歩)21」の新小岩ハトちゃんは当日体調不良で不参加)を歩く予定でしたが、小雨模様で寒いので、明日に予定を変更。

 

年末恒例の麻雀大会は今回欠席。というのも、29日(日)に妻の実家へ、車で義兄を送って行くのと、31日(火)は妻と一緒に八王子へ実母を迎えに行く予定が入っているため。

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ところで、年末にともない昨26日から、今年お世話になったところを挨拶まわり。

 

正午に、前日装着して心臓の動きを24時間計測したホルターをはずしに、まくはり診療所へ。待合室で、現在の習志野の前に、10年ほど住んでいた千葉市花見川区幕張町で、保育園の送り迎えをしてくれた方の息子さんに声をかけられました。ここ1年、会わなかったので、様子がわからなかったのですが、面倒を見て頂いたお母さんは、認知症が進み、2ヵ月前から施設に入所されたそうです。正直、過ぎ行く時の早さと、老いを感じた次第です。

 

帰りに、千葉健生病院健康友の会に立ち寄り、年末の挨拶と実家でとれた「ゆず」を持参。

「健康友の会ふれあい緑綬褒章受章」編集作業を担当した労を、会長や事務局の方々から、ねぎらわれました。

 

挨拶後の帰りに、花クラブの一員である小生は、年末・年始休暇があるので、病院と診療所の花壇、植え込みを見てまわりました。花クラブの会員を中心に、月1回、草取りや花壇の手入 DSC02517.JPG DSC02519.JPG DSC02520.JPGれをしていますが、手が足りません。暮れに男性ボランティアのYさん(84歳)が植え込みの剪定をしてくれたので、大変きれいな景観になりました。植木屋さんはだしです。

 

チャリンコをまわして、自宅に戻ろうとすると、診療所裏手で、落葉を集めてゴミ袋に詰め、掃除をしている男性の後ろ姿が...。

 

広報紙 『友の会だより』の編集長で、84歳のKさん。 一人黙々と作業を続けておられました。お陰で、ゴミ一つ、草もほとんど無く、本当に気持ちが良い場所に...。 DSC02522.JPG DSC02509.JPG

 

今回の特別編集でアドバイスをいただいたこともあって、清掃作業、編集時の御礼と年末の挨拶をして別れました。

お二人とも「有言実行」で、80歳を超える高齢でありながらお元気で、率先して仕事をされる方々。若輩の小生は本当に頭が下がります。

 

「友の会ふれあい」では、他にも地域のいろいろな分野で地道な活動を通じ、住民の健康と生活を支えている 400人のボランティアの皆さん。いつも集まる友の会事務所は、事務局と共に明るい雰囲気で笑顔が絶えません。 来年も「安心できるまちづくり」をめざして、ご一緒に頑張りましょう!!

 

見違えるほどきれいになった病院の周囲、イメージアップして、これで良いお正月を迎えられそうです

先週の12/17(火)、ハトちゃん駅ハイで富岡製糸場を見学。最寄りのJR「幕張本郷」駅から上信電鉄の「上州富岡」駅までは、各駅停車に揺られて片道3時間半、往復7時間の長旅。駅ハイでは、最も遠いところへ行って来ました。

 

「富岡製糸場」というと、歴史の教科書で名前を見たり、聞いたことがあったのですが、場所はどこか、思い当たりません。今回、2014年、世界遺産候補になっているということと、12月にあまり期間設定コースが残っていないこともあり、意を決して、いざ出発。

 

高崎線の高崎までは、何回か足を運んでいましたが、『その先はこれまでは遠すぎる』 と自分の中で抑えていた感が...。

 

上野(8:35)から快速アーバンを利用して、高崎へ。少しでも途中駅と乗車時間を短くするために。駅では、 DSC02264.JPG DSC02265.JPG DSC02339.JPGいったん改札口を出て、0番線を上野方面に少し戻ると、上信電鉄の改札口無人駅がかなりあります(車両上の停車駅に赤い印)。2両編成のワンマン電車に乗ると、無人駅では先頭車両の横のドアだけが開閉し、運転手が切符を回収して、乗降の確認。

35分ほど乗ると、いきなり、広い駐車場が見えて、駅員のいる「上州富岡」駅へ(11:06)。駅ハイウォーカーや観光客が十数人降りました。

 

駅は、改修中で、仮の小さいプレハブ駅舎を抜けて、富岡の街へ。

 

右手に出て、前方の市役所手前を左折。国道256号線に出ます。左手前に、商工会館の建物。

横断歩道を渡って宮本町通りを直進し、徒歩5分ぐらいの右手に、「まちなか観光 DSC02274.JPG DSC02273.JPG 物産館お富ちゃん家)」―「お富ちゃん」は富岡市のイメージキャラクターで、館内はインフォメーションセンターになっていて、地元の物産やシルク製品、お土産品を販売―受付でマップと資料等をもらってスタート

 

 

前方には、「仲町まちなか交流館」があり、城町通りの「製糸場」への矢印と、舗装道路に製糸場 DSC02316.JPG DSC02321.JPG DSC02275.JPGまでの距離が250mと表記されていて、徒歩5分の至近距離。

通りの突き当たりに、赤レンガの東繭倉庫の建物が見えて来ます。

 

 

検査人館が現在の入館受付になっていて、早速、手続きをして館内の案内チラシをもらいます。

DSC02302.JPG 

30分間隔で、シルバー人材センターの観光ガイド DSC02312.JPGさんが、ガイドツアーをやっていて、小生も団体客の後に付いて、一緒にまわりながら見学。出入口右手に、行啓記念碑などが建っています。

 

東繭倉庫1階が見学できるようになっていて、向かって右手にガイダンス展示と売店。富岡製糸場 DSC02278.JPG DSC02287.JPG DSC02279.JPGの歴史―1872(明治5)年、明治政府により官営工場として近代国家への礎石として建設され、当時世界最大規模を誇っていた―や、フランス式繰糸器(復元機)の展示、写真やパネルで紹介。座繰り実演・体験も休日に行われています。この倉庫の2階に乾燥させたを貯蔵していたそうです。

 

館内は少し照明がほの暗い感じだったのが、かえって雰囲気がありました。外観は赤レンガが見事 DSC02290.JPGな「木骨煉瓦造」で、木材の骨組みの間に煉瓦を積み上げています。通風の用途から窓が多くなっています。

 

DSC02309.JPGその後、順路に沿って、「検査人館」(フランス人検査官の住居で、2階には、貴 賓室があります)が、現在は立入禁止中。

 

 

女工館」(日本人工女に技術を教えるためのフランス人女性教師の住居)外観のみ。 DSC02308.JPG

 

操糸場」(入口から、ビデオ上映のある地点まで見学できて、両脇に自動繰糸機(昭和40年代以降に設置された)がずらりと並んでいて、カバーはかけられて DSC02293.JPG DSC02297.JPGいるものの圧巻。

 

小屋組は「トラス構造」という建築工法で、内部は柱がない広いスペースと採光用の多くの窓、蒸気を抜く越屋根など。

操業時の「繰糸場」は、300釜の繰糸機が稼動したともいわれ、操業停止まで115年間もの間、休むことなく活躍し続けたそうです。

 

当時の繰糸場の様子や、女性の顔写真が。ガイドさんに聞くと、「横田(和田)DSC02298.JPGという人で、身分も高く、後に故郷で指導者となり、また富岡に戻り、『富岡日記』で当時の工女の日常を描いた」 とのこと。

恥ずかしい話ですが、小生は『女工哀史』のイメージとダブっていて、女工 の悲惨さをイメージしていたので、まるで違うことがわかり、工女の活躍が、絹産業ひいては日本の近代化に大きく貢献したということが理解できました。

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「女工館」の脇には「診療所」の建物がありました。

 

続いて、「ブリュナ館」―床下に煉瓦造りの地下室が現在でも残っていて、高床式で回廊風のベラン DSC02301.JPGダが付いています。当初は、フランス人指導者の住居でしたが、後に、寄宿舎や工女の夜学校として利用されました。

 

「ブリュナ館」の奥に、寄宿舎が3棟観えました。また左 DSC02303.JPG手の鉄網の下を眺めると、(かぶら)のゆったりした流れも。 DSC02307.JPG

 

 

 

最後に、「西繭倉庫」(外観のみ)は、「東繭倉庫」の構造・大きさと同じ。東西の倉庫の間に、高い DSC02280.JPG DSC02282.JPG DSC02283.JPG煙突のある「乾燥場、蒸気釜所」があり、その前が広い庭になっていました。

 

ひとまわりして、受付でスタンプを押印。受付嬢に「どこからですか?」と声をかけられ、「駅ハイで、富岡に来ています」と答えて、さらに「駅ハイの様子をブログに書き続けていて、今日は製糸場を見学できて、本当に良かったです」と。 「頑張ってください」と励ましの言葉をいただき、来年の再訪を約しました。

 

その後、「お富ちゃん家」まで戻って、ゴール受付を済ませました。コースは、駅を越えて城山公園も含まれていましたが、駅の反対側に出てさらに歩くのと、帰りの乗車時間がかかることを考えて来年に行こうと予定を変更。

 

本日は、街なかを見学することに。すると、製糸場近くに、何と、峠の釜飯で有名な「おぎのや」支 DSC02314.JPG DSC02315.JPG店や絹にちなんだ菓子の老舗、地酒の銘酒販DSC02325.JPG売店などが並んでいて、飲食店、土産店があちこちにあります。街なかは狭いので、すぐ一回りできます。農具を売っている「富岡おせっ会」というユーモアあるお店も...。

 

通りには「世界遺産」の幟があちこちに掲げられ、観光物産館・交流館も宮本町や DSC02324.JPG銀座通りにもあって、観光に力を入れている様子がひしひしと伝わって来ます。

 

宮本町を駅方面に戻ると、国道との交差点、商工会館隣りに諏訪神社の赤鳥 DSC02326.JPG DSC02333.JPG居。境内に入って参拝。その後、公園小沢通りを進むと左手に小さな「ひかり公園」。その先に「世界遺産へ推薦決定」という大きな垂れ幕がかかっている富岡市役所

 

右折して線路沿いを進むと、プレハブの駅舎。その先に新しい駅を建設中。ホー DSC02334.JPGムの骨格が見えます。

まだ、電車の到着まで時間があったので、駅前の「あい愛プラザ」の建物内を覗いて見ました。

1階に談話コーナーがあり、ここだけ飲食ができます。湯茶(無料)の自動サー DSC02335.JPG DSC02338.JPGビス機があったので、早速、温かいお茶を飲んで、小休止。この建物には、社会福祉協議会事務局、ボランティアサポートセンター、障がい者団体コーナー、市民生活窓口、消費生活センター、児童館、障がい者集団活動訓練室などが設けられています。

本日の歩行距離は約4km。12時53分発の高崎行に乗り込んで、幕張本郷駅へは16時33分着。駅からの帰り道、近所でクリスマスのイ DSC02525.JPGルミネーションを飾った家を発見。

 

今回の駅ハイは、現在でも、ほぼ創業(操業)当初の頃のままの状態で保存されて、明治政府の官営工場でほぼ完全な形で残っている日本で最初の本格的製糸工場 "富岡"。今年の富士山に続く快挙を、来年期待したいと思います。晴天下で ~世界遺産登録をめざす街、富岡の街なかを散策~ できて、遠出をした甲斐がありました。

 

 

前日、東京都心に初雪、場所によっては雹(ひょう)が降ったほどの寒さ、2日間でまとまった雨になりました。

 

12月21日(土)は、今年一番の冷え込み。日陰では大霜になりましたが、 DSC02410.JPG風も弱く青空。「JR 駅ハイ」で 武蔵野緑地7km)を歩いて来ました。

 

ちょっと寝坊したので、行きは、西船橋から乗換回数が1回のJR武蔵野線を利用。

 

新秋津DSC02401.JPG DSC02405.JPG駅に降りるや、スタート地点の秋津神社(徒歩約2分)へ。本殿横の境内には、すでにウォーカーの長い列。ハトちゃんが到着したときには、既にスタート受付が始まっていました(9:17)。

 

スタートは、昨年までは徒歩15分ほどかかったJR東日本八王子支社総合訓練センターでしたが、場所が駅から遠かったのと狭かったので今回変更になったのでしょう。

 

多くのウォーカーの後に続いて、武蔵野線線路を眼下に見ながら歩道を連な DSC02408.JPGって歩いて行きます。

 

コースマップを見ないでも大丈夫なほどの大人数。

志木街道は車の往来が結構多い。

前に、秋津町3丁目の歩道橋が見えて、小生は真 DSC02412.JPG面目に歩道橋を横断。歩道橋下の自転車専用を後続のウォーカーたちは横断。20人ぐらいに抜かれてしまいました。

 

志木街道を直進。角に、ヤマザキパンの東村山工DSC02415.JPGがあり、「世界のヤマザキパン」の大きな看板が。信号を二つほど越してから、右側の道に入り、東村山第二中の校舎が。校庭では、生徒が軟式テニスの練習 DSC02416.JPG DSC02421.JPG中。このあたり久米川町の道は細くなっていて、車の往来が多くて、立ち止まる場面がしばしば。ウォークコースにはあまり適していません。突き当りのT字路を右折し、信号を渡ります。

 

 

DSC02429.JPG前方左手に、白壁の蔵が見えて来て、最初のポイント豊島屋酒造〔酒造りで東京 DSC02428.JPGの酒「金婚」で有名〕へ。屋敷内に入ると、甘酒の無料サービス、試飲や、清酒や酒粕を買う列ができていました(9:50)。大勢の列ができていたので、ハトちゃんは、外観を観るだけで先を急ぎました。

 

久米川辻を直進すると、西武新宿線の踏切でちょうどDSC02430.JPG上下線の通過矢印。電車が通り去るのを待ちました。

 

遮断機が上がって、次のポイント徳蔵寺〔臨済宗大徳寺派の寺で1616年に DSC02432.JPG DSC02433.JPG壁英禅師が創建。多数の板碑や考古・民俗資料を収集していたことから「ちらかし寺」と呼ばれる〕へ(9:58)。門前で、「たいけんの里案内下宅部遺跡の出土品」ポストカードをいただきました。「境内に、近代的な建物 DSC02436.JPGが見えるのは「板碑保存館(国の重要文化財も所蔵)」(有料)。

          寺の周囲には、小さな堀があります。

 

DSC02437.JPG DSC02439.JPG寺を半周して、諏訪町で前川、北川を渡り、前方に小高い丘が観えて来ます。紅葉はほとんど散ってしまい、晩秋から初冬という感じ。緑のコミュニティーバスを見かけます。

 

八国山のふもと右手住宅地前に、緑のユニホーム姿の観光ボランティアの方が立っていて、久米川古戦場碑新田義貞が鎌倉攻 DSC02443.JPGめの際に、小手指原に続いてここ久米川で戦ったという古戦場跡〕の石碑と案内板(10:04)。落葉が道路にかなり散乱していました。

 

東京・東村山市と埼玉・所沢市をまたぐ狭山丘陵の東端にある八国山緑地〔標高8 DSC02445.JPG DSC02446.JPG9.4m。頂から八国が見渡せ ることから名が付いたといわれる〕の山道に入ります(10:06)。最初は上って行きます。落葉舞い散る道を踏DSC02450.JPGみしめて歩いて行くので足への負担が少ないのは良いのですが、2日間の雨で落葉が湿っていたり、うっすらと水たまりができていて滑りやすい山道...。

ずーと、武蔵野の雑木林の中を進みます。傾斜もなだらかで歩きやすい道なので、ピッチは上がります。

 

DSC02457.JPGDSC02452.JPG頂上には、こんもりした新田義貞の将軍塚や碑が残されています。しばし、鎌倉時代に戦場になっ た場所に思いを馳せながら、ゆるやかな下りを進みます。

途中、おおぞら広場ほっこり広場など陽射しが DSC02460.JPG DSC02458.JPGそそぐ場所もありますが、ほとんど林の中を歩いていて、同じような風景。雨上がりの森林浴を楽しみます。

 

DSC02462.JPG西武園」駅が近づいて、最後の開けた広い DSC02468.JPG場所を下ると、八国山の出入口 に(10:31)。

 

そこから、舗装道路へと。横断して道の左側を DSC02476.JPG進んで、「西武園コーンコース横(10:33)を通り、道路をくぐって、なだらかな坂を上って行くと、右手の大駐車場前方に、西武遊園地の大観覧車が観える地点へ。

DSC02480.JPG大観覧車をときおり観ながら約20分ほどで西武遊園地前の階段を下るとゴール(10:41)。缶バッチをもらい、多摩モノレールの押印と西武鉄道のウォークポイント加算を。

 

本日のみ、駅ハイ参加者の特典で、遊園地の入場が無料だったので、入園。

3連休というのに、遊園地内の入園者・ DSC02487.JPG DSC02483.JPG DSC02481.JPG家族連れは極端に少なく閑古鳥。アトラクションも空席が目立ちます。「東京ディズニーランド・ディズニーシー」の影響大と言われています。トイレで汗をかいた下着を着替え、小休止後、園内を部分的に散歩。

 

DSC02490.JPG園内を観てから、出口を直進。長い階段を下りると「西武遊園地」駅(11:05発)から西武新宿線、東京メトロ東西線経由、総武線で自宅まで約1時間40分。

今年で、3年連続の年末最後の駅ハイとなりましたが、多少、コースは違っていても見所はほとんど同じ。快晴で晩秋の山道を歩けたのは、大変、収穫だったと思います。

 

駅ハイは、12月まで(4月~)、結局、126ポイントで終了。『今年度から Suica ポイントが無いので、まずまずかなぁ~』 とひとりで納得。

 

本日(12/20)は、第3金曜で「ゆうほ(友歩・遊歩)21」の定例ウォーク。10名が、京成「大久保」駅南口ロータリー前に集まりました。

いつも早く来られる先生が見えないので、会員は不安げ。前会長のNさんが電話をかけると、先生が一週間先と勘違い。結局、Nさんの先導でスタート(9:33)、ロータリーを左 DSC02340.JPG折。まず屋敷ヘルスステーションへ向かうことに...。ハトちゃんがいつも駅まで利用している近所の道を直進。小雨が降ったり止んだりのウォークとなりました。

 

五差路の信号で、先頭が止まりましたが、信号待ちが長い。ここの信号は、知っ DSC02344.JPGている人は良いのですが、車で通るとき迷ってしまうわかりづらい信号。

やっと青になり、直進。

500m先に、新しくオープンした「ヤオハン習志野」(パDSC02348.JPGチンコ店)の広い駐車場(駐車台数が777)と建物の外観が。出入口にガード マンが立っていて朝の挨拶。10時開店前なのに、駐車場の広さだけが目立ちます。

 

パチンコ店を過ぎて右折した突き当たりに、東部保健福祉センター屋敷ヘル DSC02352.JPG DSC02356.JPGスステーション、シルバー人材センターなど) があり、ロビーで休憩(9:55)。ソファーに腰かけ、リラックス。館内はクリスマスの飾り付け。15分ほどトイレ、休憩、談笑など。

 

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まだ歩き足りないので、隣接する屋敷近隣公園内を通って、実籾本郷公園へ向かうことに決定。公園内の広場でのグランドゴルフも本日はお休みで人影無し。

 

DSC02365.JPG DSC02364.JPG公園の遊戯施設の先の階段を下ります。右手に「フレンド パークゴルフ」場が見えて来ましたが、さすがに人影もまばら(10:14)。頑張ってプレーしているパーティーも...。

 

 

県立実籾高校のグラウンド脇を通って、ほたる野(習志野市では貴重な田んぼがあって、ホタルの DSC02366.JPG生息地)を過ぎると、間もなく実籾本郷公園(10:19)。公園内は、菖蒲田や桜、楓など、四季を通じての花や樹木を楽しめます。

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公園内は、紅葉も終わってしまい、晩秋のよそおい。

 

DSC02368.JPG DSC02373.JPG公園内の池では、カモが20羽以上舞い降りて来て、水浴びや羽ばたきの光景が観れました。以前、カワセミが飛来して、その写真を見せてもらったことを思い出しました。

 

誰かが『その後、鴇田家はどうなっているの?』という問いに、『では、行って見ましょう』 ということになり、住宅前へ。出入口の門は開いていて、見学OK(10:23)。

 

旧鴇田家住宅(平成17年(2005)年、千葉県指定有形文化財に DSC02379.JPG DSC02378.JPG指定される。鴇田(ときた)家は江戸時代、東金(御成(おなり))街道沿いにあった実籾村の旧家―DSC02385.JPG屋(まがりや)で平面形がL字形の民家形式)は、2011年東日本大震災の被害で、柱や壁などが崩れ、現在、整備中で、家の中へは入れず、シルバー人材センターの案内人による説明のみ聞きました。

 

DSC02382.JPG庭のすっかり葉が落ちたモミジの枝に雨露がぶら下がって、こんな風情は雨天ならばこそ。

 

建物の周りを一周すると、牡丹の樹を覆う藁ボ DSC02391.JPG DSC02389.JPG DSC02386.JPGッチが並んでいたり、珍しいシロマツ(木の皮が緑白色)2本とタギョウショウ(アカマツの園芸品種で、習志野名木百選の一つ)があります。

 

入館受付の基礎部分は液状化で空洞がポッカ DSC02393.JPG DSC02394.JPGリ。あらためて、大震災の恐ろしさを感じずにはいられません。

 

 

公園名の石を過ぎて、実籾駅方向と大久保駅方向への分岐点に差しかかり、みんなの意見を聞く DSC02396.JPGと、本日は実籾からの参加者はゼロで、全員一致で大久保へと...。

 

東金街道に出る手前を左折し、短い上り坂。突き当たりに農産物を定期的に販売する農家があり、右手を道なりに進みます。前方は生産緑地で広い畑が続き、前方に生協パルシステムの工場と、「ミレナ」 DSC02397.JPGの高層マンションが見えて来ます(10:40)。

このあたりで、前方の5人組と後方の5人組との距離が開いて来ました。

 

ハトちゃんは、前方組。案内役のNさんに進行方向をジェスチャーで知らせました。駅方面に向かう合図だったので、そのまま進むと、後続から1人追いついて、「ヤオハン」の喫茶に行ったとのこと。

結局、10時50分に流れ解散となりました。

 

十字路を直進すると、間もなく左手に自転車やさん。小生の自宅は、次の角を左折すると間もなくなので、年末の挨拶をその場にいたメンバーに言って、別れました。

今年最後の市内ウォークは、メンバーだけになり、歩行距離も約3.5kmと、いつもの半分になりましたが、雨中でも参加したメンバーの熱意が目立ちました。

 

 『 サークルの皆さん、来年もいろいろな場所を歩いて、健康で頑張りましょう! よろしくお願いいたします

 

 

 

毎月恒例、大学先輩たちとの駅ハイ。今回は、遠出をして、期間限定コース「熱海(約8km)」に参加。12月13日(金)午後から雨も心配されましたが、スタート時はまずまずの天気。

ハトちゃんは、東海道本線各駅停車で、9時集合の熱海駅へと向かい ます。最寄りの幕張本郷駅(6:13発)から、熱海駅へ(9:02着)。東京駅から2時間余り。先輩2人はもちろん新幹線利用で、既に観光案内所に到着してオープンを待って、改札口でハトちゃんを出迎えてくれました。 

 

観光案内所では、駅ハイ参加者は前に1人。案内所をスタートして、兼子隊長を先頭にコースマップを見ながら、舗装された道路を進みます。 DSC02054.JPG

熱海というと、3人には懐かしい思い出が甦って来ます。仕事をしている頃に、熱海で眺望が良いものの缶詰になった研修会場ホテル「シャトーテル赤根崎」を思い出し、その話題で持ちきりに。

 

四方山話に夢中になり過ぎて、最初のポイント 「池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家」を通り過ぎてしまいました。すぐ先で気がついたものの、戻らずにパス。

 

その後、伊豆山神社へと向かいます。道路の左側を歩きます、市内バスや車が、結構、横を通り過 DSC02059.JPGぎて行きます。だらだらと1kmほど坂道を上って行きます。

途中、『これまでの駅ハイで、景勝地は富士山の川沿いの遊歩道?」と言うと、2人に話が通じません。しばらくして、記憶力の良い遠藤副長が 『あそこは軽井沢だったよネ』と。

「そうでした」。小生は毎週駅ハイに行っているのと、記憶の混在で場所を間違えていました(大笑)。

 

やっと、「伊豆山神社」の看板が見え、仲道バス停の先に、鳥居が見えて来ました。

DSC02063.JPG鳥居の前に立つと、急な上り階段が参道から伊豆山神社〔源頼朝・政子ゆかりの DSC02066.JPG神社で、頼朝が源氏の再興を期し、また二人が結ばれ縁結びのご利益があることで有名〕社殿まで。小生はズルして、参道横の舗装された坂道を選択。隊長と副長は、コースマップに忠実に階段を上って行きました。隊長は、『あのなぁ~』という言葉を、小生に残して、苦笑い。

 

途中の参道で合流。本殿に参拝後、振り返ると神社右手前方に、熱海の海岸と市 DSC02068.JPG街地が見渡せる場所が。

その後、2人は階段を、小生は舗装道路を下って、鳥居前まで。バス停まで戻り、細くて急な下り坂を下りて行きます。

ここで、方向感覚と地図に明るい、遠藤副長が本領発揮。道を間違わずに進んで、東海道線・新幹線の高架下をくぐって、国道135号線の広い道路へ。

次のポイント、「お宮の松」までは、約1.5km。

一段高くなった歩道を進むにつれ、だんだん海岸に近づいて行きます。途中、歩道が狭くなってい DSC02077.JPG DSC02081.JPGて、一人ずつ歩きます。「ホテル水葉亭」前で、隊長がカメラで建物の外観をパチリ。以前に宿泊したことがあると言う。遠方に、海、初島、大島が観えて来ます。

国際医療福祉大学熱海病院 DSC02084.JPGを過ぎる頃には、熱海の海岸、ホテル群なども大きく視野に入って来て、いかにも "東洋の〇〇"と呼ばれた風景。

 

「KKRホテル熱海」の外観は、立派。全室オーシャンビューという造り。3人とも大学の通信教育部で仕事をしたことがあったので共通話題に、副長から 『地方スクーリング出張先でチェーン店であるKKRを利用して、意外と安価だったこと』 を聞きました。

 

ガソリンスタンドを過ぎて、「ローソン」前の公園の一角に「お宮の松」(尾崎紅葉の小説 『金色夜 DSC02091.JPG DSC02094.JPG叉』の主人公、寛一がお宮を足蹴にする銅像が横にある)。松は手入れが行き届いていました。ただし、銅像を観て、『現代では、男が弱くなって、逆かも?』という話で、大笑い。

 

その後、親水公園前の人口浜のサンビーチを歩きました。誰もいなかっ DSC02102.JPG DSC02101.JPGたので、我々だけの足跡が DSC02106.JPG点々と続くのみ。その先のムーンテラスは恋人たちの聖地だそうです。

 

 

波は穏やかで、スパ・マリーナ熱海では停泊中のヨットを観て、資産家をうらやんだり。スカイデッ DSC02109.JPG〔コートダジュールをイメージ〕からの眺めを楽しんだ後、あやうくチェックポイント「ワカガエルステーション(熱海市観光協会)」を忘れそうになる場面も。

ステーションで押印をもらい、歩道橋を渡って、市街地方面へ。ちょっと、進行方向の空模様が怪しくなって来ました。

 

途中、「業務スーパー」を通過。地元にも業務スーパーがあって、結構安価で利用している話も出ました。

その先、左手にある大正時代熱海の三大別荘と賞された「起雲閣」に入館。駅ハイの特典で入館料は100円引き。入館して建物内部と、紅葉している庭園と建物の外観を見学。

 

館内は、大正から昭和にかけて、海運業で財を蓄えた内田信也と東武鉄道の社長・ DSC02114.JPG会長を務めた根 DSC02112.JPG DSC02116.JPG津嘉一郎の別荘。現在は熱海市に文化財登録されて一般公開されています。

代表的な部屋として「麒麟」和室で大正時代の透き通しで表面がゆがんでいるガラス使用、床柱の下半分無し、欄間の高さと青壁使用、廊下の畳敷きなど。「玉渓」中世英国風の洋館 DSC02121.JPGで、暖炉の飾りや豪華な家具、タイル床や天井や窓にステンドグラスなど。「玉姫」DSC02123.JPG洋折衷で、中国的装飾、アールデコが彩っています。「金剛」は、格調高い雰囲気でタイル貼りの「ロー DSC02125.JPG DSC02130.JPGマ風 浴室」があります。

1947(昭和22)年旅館として生まれ変わり、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治などの文豪たちも宿泊利用しています。また、展示室、貸出施設としても多彩な文芸活動のスポットになっています。

 

DSC02131.JPG DSC02118.JPG 十分に歴史的・文化的遺産を堪能した後、館外に出ると、梅園方面に黒い雨雲が垂れ込めています。

 

「かめや洋服店」先を曲がって、だらだらと上り坂。熱海は坂が急で多い。

 

福道町の信号前で、傘を持って来なかった隊長を心配し、小生がショートカットを提案。しかし隊長 DSC02138.JPGいわく『オフ・コース』(もちろんマップどおり)とのこと。結局、左折して「来宮」駅を越えて、梅園前まで行くことに。

 

熱海梅園〔日本一の早咲きの梅で有名〕前の信号を横断すると、左前方に DSC02142.JPGの正門入口。道路の反対側から、出入口と後方の紅葉を眺めただけ。

その後、川づたいに道路を進み、丹名神社(前を歩く女性が参拝)を覗くも小さくてわからず。

 

 

線路を下に見ながら、コースどおりに進むと、「来宮」駅の反対側(北口)から線路に沿って歩いて行くと、来宮神社の幟と鳥居。

DSC02145.JPG境内に入ると、右手に大きい楠の木。こちらは御神木ではありません。境内左手DSC02149.JPGに、御神木までの舗装道路を建設中。

 

本殿は高い木立に囲まれていて、奥に、パワース DSC02155.JPGポットといわれる楠の御神木 CIMG1307.JPG 〔樹齢2千年以上、高さ26m、幹周24mで、幹周は日本で2番目〕が、聳え立っています。幹の太さや瘤、向かって左は火災か戦災かで焼失か腐ったかで枝葉はほとんど無いが、全体に枝葉が隆盛に茂っていました。

 

3人は、知らずに御神木を1周。1周すると1年寿命が延びるといわれていたので、もう少し周れば良かったと思ったのは後のまつり。

 

パワーをもらって境内を出ると、雨がポツリポツリと降って来ました。鳥居の目の前を在来線や新幹線がビューと通過。

 

眼鏡橋になっているトンネルをくぐって、熱海市街から「熱海」駅方面へとゆるやかに下って行きま DSC02143.JPG DSC02159.JPGす。途中、右手に入る道を見逃して、真っ直ぐ進んだおかげで、源泉が湧き出している「野中の湯」前へ。熱い温泉と湯煙が噴出していて、隊長がなぜjか近づいて体感?したのはご愛嬌。したがって、最後のポイント、湯前神社は通らずに。

 

ラーメン店でコースに戻って、熱海の平和通り名店街へと。ちょうど名店街へ右折する手前に、茶舗「茶千」があって、隊長が覗き込んだところ、店主に捕まり、5分ほど副長と小 DSC02161.JPGは待ちぼうけ。DSC02163.JPGの人の良さに付け込み、別の商品も買わされてしまいました。

ところが、複数個買った隊長から我々にお茶のビッグなプレゼント。お心遣いに感謝!感謝!

 

 

懐かしい駅前に出て、早速、スタート時の同観光案内所ゴール手続き(12:40)。約8km3時間40分で完歩

 

正午をだいぶ過ぎていたので、駅前通りのそば屋に入って、昼食を注文。別々の品なのに、なぜか1,500円と同額。気が合います。地元の「熱海ビール」で乾杯。来月の駅ハイ「鋸南の水仙ロード」に決定。

歓談後、1時間ほどで解散。先輩たちは、日帰り温泉「大江戸温泉あたみ」でゆっくりウォークの疲れを癒し、新幹線で帰路へ着いたそうです。

ハトちゃんは、14時02分発の快速アクティーに乗ったまでは良かったのですが、途中の区間で、ビニールが架線にひっかかった関係で、電車がストップ。たまたま、「大船」駅で停車。横須賀線に乗り換えて、結局、最寄りの総武線「幕張本郷」駅へは10分遅れで済みました(16:33着)。乗り換えた横須賀線の隣席にいた女性の夕刊1面に北朝鮮の張成沢氏処刑の記事と写真に釘付け。独裁国家の恐怖と時代錯誤の非常識に衝撃が走りました。

 

あとで、マップやチラシを整理していると、今回の駅ハイタイトル「熱海梅園の"芸術的紅葉"とパワースポットを巡るハイキング」となっており、梅園内の遅い紅葉を観れなかったのは、ちょっぴり残念。雨を心配し過ぎた小生のせいかも? 

 

久しぶりの熱海。海も、緑も、神社もどこか懐かしい雰囲気に満ちたウォークとなりました。

 

 

ハトちゃんは、12/15(日)「JR 駅からハイキング清瀬~新座)」(約8.5km)へ行って来ました。今年は、清瀬駅から新座駅への逆コース

 

受付の30分前には、西武池袋線 清瀬駅に着いて、スタートの新堀小学校までは徒歩15分余り。駅前からアンダーパス横を通り、途中の生産緑地では、日陰は霜がびっしり。朝方は気温も低い。小 DSC02170.JPG 学校の校庭に設けられた駅ハイ受付に並びます。スタート時 DSC02171.JPG には長蛇の 列。12ヵ所ある受付も満杯状態。受付開始を待ちました。

9時半3分前にスタート開始。DSC02174.JPG

12月は近郊のウォークが少なく、参加者が多い。まず、小学校を出てマップを見なくても、前のウォーカーに続いて歩けます。交通整理員が朝の挨拶&案内してくれます。神山公園先に、児童センターころぽっくるの目立つ外観が聳え立っていました。

 

JAの信号手前の「西堀・新堀コミュニティセンター」へ。市観光ボランティアPICT3012.JPG(オレンジのユニフォーPICT3018.JPGム)の皆さんによる野火止用水のポイントガイド・写真展を見学。ひととおり、説明を聞き、野火止用水一帯の市民の自然保護への熱意と協力を感じました。

 

 

水道道路に出て信号を渡り、新座市に向かいます。進行方向右側は、用水になっていて、その脇が DSC02175.JPG DSC02179.JPG散歩道になっています。新堀から西堀公園まで、野火止用水〔途中から、水量が多くなり、流れがゆったりとする場所も〕が水道道路に沿って、続いています。ところどころ紅葉が残っているものの、見頃を過ぎて落葉になっているところが多い。

 

 

すぐ、グリー ンの高いネ トが見えて新座ゴルフクラブ、西堀小学校、御成橋の DSC02178.JPG信号。途中、場所によっては狭くなっていて、2列縦隊に。グループでおしゃべりしているウォーカーはなかなか抜けません。いつもより、ゆっくりしたペース。ハトちゃんは、ビラカンサの紅い実と、用水の中で群れていたコイや錦ゴイを発見。

 

西屋敷通りを経て、本多緑道に入ると、桜並木がありましたが、残念 ながら、紅葉 DSC02187.JPGも終わり、史跡公園を過ぎて、葉っぱもまばらに。武蔵野の面影が残る雑木林の中を歩きます。紅葉も終わりに近づき、重なる落葉を DSC02189.JPG踏みしめながらのウォークは、まるで絨毯の上を歩いているよう。

 

雑木林を抜けて、マイク放送が聞こえる総合運動公園内へ。

 

本多の森のお花畑」の看板あり。陸上競技トラックでは、市内 DSC02195.JPG DSC02192.JPG  の中学陸上競技大会開催中。前の広場公園ではおもてなしコー ナーで、甘酒を1杯ごちそうになって身体が温まりました。甘酒は甘過ぎず、ちょうど良い甘さ。特産品や飲食物が販売されていて、立ち寄るウォーカーも。昨年は、ここがイベント会場でしたが、今年はゴー DSC02196.JPGル前の「ふるさと新座館」。ご当地ゆるキャラの「ゾウキリン」の姿は見えず。

 

販売所などを見物した後、マレットゴルフ場を過ぎて、新座市 DSC02201.JPG総合体育館が左手に見えて来ます。体育館前の紅葉が目に付いたので立ち寄りました。

 

途中、体育館通りと産業道路の信号には、2名の女性が交通整理が立っていました。いったん、舗装道路に出ます。寒さの中、「頑張ってください」という激励を受けました。関越自動車道が金網越しに眼下に見えます。静かな散策から、近代の車社会に戻された感じ。

 

いったん、陣屋通りに出て、野火止緑道へと...。前方に紅葉している樹木のかたまりを発見。伊豆殿 DSC02207.JPG DSC02209.JPG橋の石碑が...。角に写真入りの案内板と、平林寺近郊緑地の看板。

 

 

野火止用水〔江戸時代初期、玉川上水から分水して開削された全長24kmの用水路。昭和20年頃まで DSC02214.JPG DSC02213.JPGは、飲料水や生活用水で使用。一時、中止されたが、現在、復原されていて、文化的景観になっている〕に沿って、野火止緑道を歩きます。右側に、平林寺の広大な雑木林が続きます。 

しばらく歩くと、新座みかん園前で、みかん一つのプレゼン DSC02216.JPGト。スタンプラリーの3つ目のスタンプを押印してもらい、完成。 DSC02232.JPG

 

こもれび通りを横切っても、右側に用水が少し水の勢いと木々にDSC02222.JPG隠れて少し見えづらいが流れています。

途中の DSC02226.JPG歩道中央に鉄腕アトムのデザインが。

何でも、「新座市が元気が出るまちづくりの一環として、鉄腕アトムを平成15年4月に特別住民に登録して10万馬力で後押ししている」とのこと。道のところどころにありました。

 

 

最後は、野火止用水緑道橋・歩道橋を渡ると、眼下にゴール。何と、新しく作った駅ハイ DSC02236.JPG DSC02239.JPGの赤白のアーチをくぐってゴール。JR・西武鉄道・ 多摩モノレールの共同企画だったので、駅ハイの缶バッチをもらい、多摩モノのスタンプももらい、西武沿線ウォークポイントを...。さらに、スタンプラリーの抽選に並びましたが、ハズレ「ゾウキリン」の飴2つをもらっただけ。

 

その後、今度は黄色い「フェスティバル」のアーチをくぐって、ふるさと新座館【昨年11月に新装オー DSC02241.JPG DSC02243.JPGプン】前 へ。

館内には、新鮮な地元野菜の「とれたて畑」のお店があり、広場では、市のキャラクターの「ゾウキリン〔ゾウにキリンの柄で、新座に雑木林(ゾウキリン)が多いこととシャレて名前 をつけた〕」など、近隣のゆるキャラ大集合と、ジャズ演奏やご当地グルメや販売で賑わう「野火止用水フェスティバDSC02246.JPG DSC02250.JPG」を楽しみました。

 

しばらく休憩した後DSC02263.JPG、ふるさと館横を通 DSC02258.JPGって、ふるさと小道のせせらぎが流れる親水 公園沿いに進み、新座駅南口へ。

 

帰りは、JR武蔵野線に乗っ「西船橋」駅へ。座れたのは良かったのですが、途中、すやすやと眠ってしまい、あわてて起きました。

 

天気が良くて、日中は気温も上がって、絶好のウォークに。歩行距離は8.5kmで、時間には余裕があり、「観て、食べて、ふれあう」お土産付きのんびりウォークでした。

このところの寒さと、疲れとが重なり、先週は3日ほど風邪で寝込んでしまいましたが、体調も戻って、ウォークやぎんなん拾いに出かけて、安心していました。ただし、血圧が少々高め。

今朝(12日)は、冷たい北風が吹いてウォークに行く予定を断念。

その代わり、千葉健生病院健康友の会機関紙 『友の会だより』 宛名シール貼りのボランティア。チャリンコ利用のため、朝方の寒さを避けて、10時過ぎに到着。

単純労働作業なので、手先を使うだけで、ある意味、先週の編集・校正作業より数倍楽チン。

正午まで、心地よいペースで作業を進めていました。

 

お昼は、持参したパン食。休憩時に、念のため、前の「まくはり診療所」の自動血圧計へ。

 

前日まで4日間、筋トレを毎日1時間程度。血圧も下がっているはずと思っていましたが、何と「上が160、下が100前後」という高血圧。

確かに、寒さのせいかも知れませんが、手術した心臓の脇が痛むことも...。手足の循環が悪くて、いつも皮膚が冷たい状態。喉も痛くないのに、微熱があったり。

 

事務局長に、「検査結果ペーパー」を見せて、大事をとって早退することに。

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13日の金曜日は、大学の先輩たちと駅ハイ 「熱海」への遠出。忘年会を兼ねてですが、ハトちゃんはアルコールは飲まずに、無理をしないウォークにしよう~と。

昨10日(火)は、久々の雨。 天気予報どおり、習志野市も9時過ぎから、急に雲行きが怪しくなり、強風と強い雨が降って来ました。午前中でほぼ上がりましたが、当日はウォーキングサークルの定例日

 

前日、いつも朝、最寄り駅で待ち合わせる親友で前会長のNさんに、夜、電話したところ、電話の声は、完全に風邪声。明日の参加はダメだとのこと。申し訳けないなと思いながら、当日のことを聞く切ろうとすると、『当日は悪天候の予報で中止』 との話が...。案内役の先生から、会長へ『中止の連絡をまわしてください』と話していたそうです。

ハトちゃんは、初耳。もし、Nさんに電話していなかったら、完全に京成船橋駅まで行っていたでしょう。

サークル会員連絡網はあるのに、全く機能していません。小生は、当日集合場所に出かけた人がいたのではないか? 心配になりました。何のために、「連絡網」を作ったのかわかりません。

 

そして翌日、中止だったので、小生が不参加だった11月のウォークマップを借りに、近所のサークルの女性に会って、連絡の件を確認したところ、ご本人の携帯電話にだいぶ前に入ったそうです。小生は、携帯を持っていないので、忘れられたのかも? とも...。

些細なことかも知れませんが、それでも必ず次の人に連絡し、最後に戻して確認すべきです。

 

結果論としては、悪天候で中高年者が多いメンバーでは、良かったと思いますが、何か後味の悪い感じだけが残ってしまいました。

 

情報化社会になり、通信手段が多様になる中、やはり個人を大事にしていく姿勢を忘れてはならないと思います。

 

 

11月15日(金)、早朝は小雨がチラつきましたが、ウォーク時には曇天の中、いつもの大学勤務時の先輩二人とともに、オジン隊は「駅ハイ 歴史的建造物と文豪ゆかりの地in 西日暮里~谷根千~日暮里)」約6.7kmにチャレンジ。

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髭の兼子隊長、いつも笑顔の遠藤副長と先月の軽井沢駅ハイから1ヵ月ぶりの再会。今回は遠出の次ということもあり、身近な都内ウォーク。

西日暮里~谷根千~日暮里を散策することに...。スタート時刻9時30分前に集合。マップをもらって、ゆっくりスタート

駅前右手に、東大合格者トップの開成高校が見えます。オジン隊には全く関係ないので、素通り。道潅山下の交差点まで真っ直ぐ。早速、四方山話に花を咲かせながら、マップに沿って周囲を見渡して進みます。

不忍通りを横断して、城北信用金庫先を右折して、細い道に。またも直進して、ミラーのある場所を、遠藤副長が確認。先頭の隊長は、本日は黄緑色のシューズに、同色の上着でだいぶ活かしています。

ミラーのある場所を左折すると、住宅街が続きます。舗装道路の歩行者の区分が広く取られていて、 DSC01286.JPG DSC01287.JPG歩きやすい。途中、宮本百合子ゆかりの地で立ち止まり、旧安田楠雄邸庭園〔豊島園創設者の藤田好三郎が建てた邸宅で、後に安田財閥の所有になり、1995(平成7)年に安田楠雄氏が他界後に寄贈された。和洋折衷様式の建物〕が初のポイント。水曜と土曜の開館のみで、本日は外観のみ。

 

団子坂上までは、ゆるい上り。団子坂上を右折すると、歩道と車道が色分けされ DSC01289.JPGていて、真ん中に車道。右折して間もなく、森 鷗外記念館。ここも入館せずにパス。

 

さらに、真っ直ぐ進んで、駒込学園中・高校前で左折します。今回のコースは、 DSC01293.JPG DSC01295.JPGジグザグとコースが組まれています。続いて、処女作『吾が輩は猫である』の小説家 夏目漱石旧居跡(猫の家)へ。記念碑横の外壁に、歩いている可愛い猫の像が...。

 

日本医科大学附属病院前は工事中。病院玄関前で、本日は血糖値や血圧測 DSC01299.JPG定などの無料健診を実施中。無料という掲示に、『ただ(無料)で歩いているだけ?』という隊長の言葉。3人とも60歳を超えているので、健康には敏感! これ幸いと、寄り道して検査を受けました。3人とも血圧、血糖値ともまずまずで一安心。ウォークを続けている成果とポジティブ思考。

 

だいぶゆっくりしてしまったので、少しペースを上げることに...。

 

日本医科大学を左折して歩いて行くと、間もなく根津神社〔1706〔宝永3)年造営。6代将軍徳川家 DSC01302.JPG DSC01305.JPG宣生誕の地。 本殿、幣 殿、唐門、西門、楼門、透塀が国の重要文化財〕。境内は広く、参拝客で賑わっていました。

 

ここで、思いがけずに、前を横切ったウォーカーを見かけました。富士山二合目で骨折した常連の黒スパッツの男性ウォーカー。本日も健脚振りを発揮。あっという間に見失いました。

境内には、紅葉や黄色く色づいたイチョウ、ぎんなんの実が落ちていて異臭をは DSC01306.JPGなっている場所も...。

社殿を参拝。ツツジの名所として知られていて、今春、ハトちゃんが感動したことを思い出し、二人にも、シーズン時の来訪を強く薦めました。

広い境内には、参拝客のほかに、七五三の家族連れも見られて、微笑ましい光景と、孫は可愛いという話が出て来ました。

 

DSC01309.JPG境内を抜けて、別の鳥居から神社を出て、細い道の途中にお化け階段〔上りと下りで段数が違っている〕がありましたが、きれいに整備されていて、名前の雰囲気に合っていない感じ。ここで、隊長の自宅が、品川のマンションなので、怪談(階段)は大変というダジャレに苦笑い。

 

異人坂を上って、やっと広い不忍通りに出ます。横断して言問通りとぶつかる根津1丁目の交差点を谷中方面へと進みます。

 

600mほど直進すると、角にある「カヤバ珈琲」は現在でも営業中とのこと。大正5年 DSC01315.JPG築、昭和13年創業の建物は、古い民家カフェで、いったん閉店しましたが、2009(平成21)年に復活したそうです。

 

通りを隔てて、すぐ前に旧吉田屋酒店「下町風俗資料館付設展示場」があり、内 DSC01316.JPG DSC01318.JPG部には吉田屋で使用されていた道具、酒樽なども展示。外国人観光客の姿も見かけ、チラシなどの情報発信施設としても利用されています。観光パンフレットがあったので、記念資料にいただきました。

 

コースどおりに谷中地区へと足を踏み入れると、まず目立つのが寺町ということで、江戸時代から続 DSC01325.JPGく寺社仏閣が両脇に次々と続きます。名前が覚えられないほど多数。江戸幕府の政策により、神田付近の寺社が移転し、寺町を形成した DSC01324.JPGとのこと。

途中、『じぇじぇじぇ』。  何と「美しい日本の歴史的風土100選」にも選ばれた、谷中のシンボルのヒマラヤ杉の巨木を見上げます。

 

その後、大名時計博物館前を通って、大正12年までは、藍染川が流れていて、 DSC01340.JPG現在は暗渠になっているヘビ道へ。確かに前のウォーカーの動きや DSC01327.JPG自分たちの歩行で、くねくねと曲がっている様子が良くわかります。

創立110周年の谷中小学校前には、「大名時計博物館」にある大名時計を 模した大きな和時計が立っています。

 

谷中の町を歩いていると、女性観光客から『このあたりに五重塔はありますか』と道をたずねられ、とっさに『上野公園の東叡山寛永寺の五重塔ですかね』と答えましたが。後で考えてみると、谷中霊園内にある無理心中で消失した五重塔跡碑だったのか、と確信。一度、小生は見学したのに、とっさに出て来ませんでした。

 

PICT2207.JPG 珍しい観音寺の築地塀(江戸時代に築かれた土塀)や大小数々の寺社があります。伝統工芸の店や博物館も集まっています。写真を撮っている人や、寺社めぐりの団体客がぞろぞろ歩いていました。通りに六地蔵を発見。

 

日暮里駅へ向かう道の途中右手に、朝倉彫塑館の建物 DSC01344.JPGが...。本日は金曜で休館日。西日暮里駅のゴールまで、残り1km。

 

 

DSC01345.JPG夕やけだんだん〔JR日暮里駅から谷中銀座商店街へ向かう途中にある〕の階段を下って、谷中銀座商店街へと向かいました。

 

コロッケ30円、バナナ8本で100円など、激 DSC01349.JPG DSC01348.JPG安の商店街でしばし買物を...。両脇が狭いので、自然と商品や値段表示が見え、庶民感覚の店が立ち並んでいます。昭和世代オジン隊は下町 DSC01351.JPG DSC01355.JPGの活気と人情が感じられて、店を覗いて、声をかけたり、気に入ってつい飲食したり、土産物を買ってしまいました。投句箱がありましたが、今回は優秀作が浮かばずじまい。

 

 

その先を右に曲がると、よみせ通り商店街。ここから、マップには、西日暮里駅へとなっていましたが、昼食のこともあり、今回は谷中銀座商店街→夕やけだんだんを引き返して間もなく日暮里駅ゴール。歩行距離が短くちょっと物足りない感じでした。昼食は、駅前にあったいつもの「ガスト」

 

食事をしながら、次回の熱海駅ハイの日時を決めました。1時間後、先輩たちと駅前で別れて、小生 DSC01356.JPG DSC01361.JPGは「亀戸行き」の都営バスに乗って、向島百 DSC01366.JPG花園まで足を運んで、「都立庭園スタンプラリー」の押印をゲット。園内を散策するも、狭くて、名物の萩のトンネルはすでに花が散って終了。多少の紅葉が観られた程度。

軽く散策して間もなく亀戸駅までバスで出て、中央・総武線千葉行きで最寄り駅の幕張本郷駅まで。

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今回は、日暮里・谷中をざっと観て回りましたが、もう少し歩く範囲を絞って、ゆっくりと「谷根千(谷中・根津・千駄木)」の街並みを歩きたいという想いに駆られ、日暮里をあとにしました。

先週の4日(水)、妻が久々に休みになったのと、2,3日前に強風が吹いてぎんなんが落ちていると思い、ぎんなん拾いに妻と一緒に出かけました。妻の前職場の近くなので、実家で収穫したサツマイモを届けた後に、例の秘密の場所へと...。

ハトちゃんは、今年すでに2回来ていて、それぞれ1時間でレジ袋一つ。一人ではすぐに飽きてしまってその程度。今回は妻の運転する車で現地へ――

前回と違い、色づいた黄葉があたりいっぱいに落ちていて、ぎんなんが隠れています。落葉を掻き分けると、大量に実が落ちていて、臭い匂いも落葉で吸収されていました。

DSC02050.JPG二人とも用意したゴム手袋で、せっせと拾い集めレジ袋にぎんなんを詰込み始めました。やはり、先週以降誰も採りに来なかったようで、踏み跡は無く、あたり一面がぎんなんだらけ。一人だと黙々と拾わねばならないのが、おしゃべりをしながらの共同作業。

拾い続けて1時間20分で、2袋にいっぱいになるほど大量ゲット

袋の口をしっかり結び、ゲットしたぎんなんを持ち帰りました。

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6日(土)は、二人で、臭いを気にせずに皮をむく作業。食べられる種子の部分のみ、水を張った大きいポリ容器に投げ入れます。少々付いた果肉やゴミも混じりますが、スピーディさを追求。面倒な作業も二人でやると能率アップ。前日、小生が一人で1時間ほどやったときは、1/3程度しか進まず、疲れて途中で断念。

ゴム手袋で、何度も揉み洗いして種子の部分は、表面をきれいに。ゲット数は、 DSC02043.JPG500個以上。最後の1個まで、やり遂げました。

洗ったぎんなんをテラスで新聞紙の上に干すと、思っていた以上に少なく感じられます。このところの晴天で数時間で真っ白に乾きました。果肉が少し付いているのは、ご愛嬌。

八王子の実母も、ぎんなんが大好きなので、また持参したいと思います。

当分、ぎんなんを食べる毎日になりそうです。

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日曜(8日)ハトちゃんは、午前中、自治会の定例会で午後筋トレブログ更新。妻は早朝から、丹沢へ山登り。妻の定年後に、『暇になったら、大好きな京都や日本各地を一緒に足を運びたいね』という言葉が返って来ました。

 

『そうなれば良いなぁ~』 と淡い期待を抱きながらも、当分は、自分一人ののウォーキングを楽しむことに...。

 

 

 

12月5日(木)体調も戻り、ハトちゃんは2週間ぶりのウォーク。絶好の小春日和で微風。

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まず、JR飯田橋駅西口駅ハイ臨時受付へ。10時スタート開始で15分前に到着。時刻ピッタリで2列目でスタート。待ちわびたウォーカーから  『JRは時刻どおり』という皮肉まで飛び出しました。

 

最初のポイントは、小石川後楽園飯田橋駅東口前の長い歩道橋を渡って、仕事でよく来ていた「ハ DSC01934.JPG DSC01941.JPGローワーク飯田橋」横を左折して小石川後楽園〔1629(寛永6)年、水戸徳川家の頼房の中屋敷として造ったもので、光圀の代に完成した。回遊式築山泉水庭園で、中国の風物も取り上げた中国趣味豊かで、「後楽園」は中国の范仲淹「岳陽楼記」から名づけられた。国の特別史跡・名勝の二重指定を受けている〕出入口へ。

 DSC01939.JPG

入園して、紅葉の樹木と、池の後方に東京ドームが観える場所へ。「庭園 スタンプラリー」の4つ目を押印。

その後、コースマップにしたがい、スタート地点の飯田橋駅西口横に戻ることに...。続いて、日本武道館のある九段下方面へ。

 

20年前からあった「あおもり北彩館」〔青森県物産振興協会が運営;物産・観光などのアンテナショ DSC01945.JPG DSC01950.JPGップ〕前を通って、東京大神宮東京における伊勢神宮の遥拝殿として明治13年創建。昭和に入り、現在地に。戦後、「東京大神宮」 に改名〕へ。社殿の造りが、伊勢神宮に似ています。

 

 

その後、富士見小、九段中等教育学校、日本医科大学などの学園街を抜けて、靖国通り前から靖國神社大鳥居へと。広い参道を歩いて行くと、見上げるほどの大村益次郎の高くそびえる銅像が...。左右の黄葉したイチョウ並木がだいぶ散ってはいたもの DSC01954.JPG の秋を感じさせてきれいです。H大学富士見校舎の裏手にあたる靖國神社は、昼食時の休憩などによく利用したハトちゃんにとって、懐かしさが込 み上げて来ました。

 

境内は広くて、砂利道部分もあって、両脇の大イチョウの対称系の見事な黄葉、ぎんなんの実を拾う人も...。遊就館へ入館。玄関ホールには DSC01963.JPG、ゼロ戦や機関車、大砲など、他のフロアには、戦争資料や英霊のまごころを伝える遺書や遺品、甲冑・武具類が多数展示されています。 

 

DSC01961.JPG DSC01964.JPG境内奥の拝殿には、来年の干支、の絵馬図が掲げられ、横から、母校のボアソナードタワーが観えました。

 

その後、定年前の勤務地、H大学九段校舎前を通過し、通い慣れた付近のビジネス・商店街を抜けて、最寄りの市ケ谷駅前へ。

 

外堀通り沿いに四ツ谷駅へと向かいます。左手下に野球グラウンドが見え、公園内の紅葉がまぶしく外濠に映えます。

 

四ツ谷駅前を過ぎて、直進すると、若葉東公園へ。前方に赤坂迎賓館(外国 DSC01967.JPGの国家元首や政府の長などの国賓を迎え入れたときに、宿泊等の接遇を行う施設)の門の前からバロック様式の西洋風宮殿(モスグリーン色)を外から見物。1周すると約3kmにもなり、本館・主庭噴水池等が2009(平成21)年12月国宝に指定されました。信号脇に学習院初等科の校舎が見えます。

 

迎賓館東宮御所の高い外壁に沿って、ゆるやかに下って上って安鎮坂を進みます。外壁だけで DSC01969.JPGも1キロもある広い敷地。とところどころに、皇宮警察の警察官が立っていて警備中。隣接した奥に東宮御所(皇太子・妃の住居)や秋篠宮邸などのある赤坂御用地(皇室の御用地)があります。赤坂御用地は江戸時代、紀州徳川家の上屋敷(紀州藩赤坂藩邸)があったところで、明治維新後、政府に接収されて帝室(現在の皇室)に献上されたもの。

 

やっと権田橋交差点。コースは左折して、青山通りから外苑のいちょう並木を観るようになっていましたが、角にあった交番で道を聞いて、信号を直進して、直接、神宮外苑〔広い敷地には各種スポーツ施設や文化施設が点在〕へと向かいます

左に弧を描くようにして、神宮外苑のいちょう並木の正面の横断歩道前へ。周囲には、多くの観光客が...。 このところの冷え込みで、すっかり黄色く色づき、落葉が降り注いで、今が最盛期。時間的に逆光が残念。

DSC01975.JPGいちょう並木」の下で、撮影したり、オシャレなカフェのテラスで食事をする人、家族連れや学生さん、観光を楽しむ人々で 溢れていました。突 DSC01979.JPG当たりの青山通 DSC01981.JPGまでゆっくり 黄色い絨毯の上を歩きながら、青山通りから樹高順に並んだ、左右対称の並木、遠近法の手法により、より雄大に観えました。異国の雰囲気が漂います。

 

噴水池周辺では、第17回いちょうまつりが開催されていて、各DSC01974.JPGDSC01986.JPG県の物産品、模擬 店が立ち並び、飲食をする客で賑わっていました。上空に飛行船が...。DSC01985.JPG

 

その後、絵画館前まで行って聖徳記念絵 画館〔明治天皇・昭憲皇太后の業績を後世 に残すため、1926(大正15)年に竣工。縦3m、横2mの壁画〔日本画・洋画各40点〕が年代順に展示。歴史的光景を当時の一流画家により描写・展示〕を眺めました。サークルのウォークで以前入館したことがあるので、今回はパス。 

 

続いて、国立競技場の外周を歩きます。2020年東京オリンピック、パラリンピックの大きな横断幕 DSC01989.JPGが掲げられていました。

外苑橋前の交差点。神宮アイススケート場があり、千駄ヶ谷 DSC01992.JPG駅前までここにも規模は小さいいちょう並木の黄葉が観られました。

 

コースマップどおりに、いったん、JR中央・総武線の駅横の高架下を通って、外苑西通りへと足を進めて、一つ目の信号で 『ちょっと待てよ。が以前、新宿御苑でデートして良かった』 と言われたことが脳裏をよぎりました。

マップを見ると、御苑の外壁に沿って回るコース。新宿門でぶつかるようになっています。せっかくなので、御苑内の観光コース短縮一石二鳥を選択。

 

近くの建物の事務所で新宿御苑の出入口が千駄ヶ谷駅近くに無いかを聞き、『駅まで戻った方が良いですよ』と。  駅前まで行って、交番で千駄ヶ谷門への道を教えてもらい、いざ、気持ちもあらたに御苑へと向かいました。

小生は、初めて千駄ヶ谷門を利用し、園内を散策。新宿御苑は、徳川家康の家臣・内藤氏の江戸屋 DSC01996.JPG DSC02006.JPG DSC02008.JPG敷の一部がルーツといわれ、1906(明治39)年、皇室の庭園になり、1949(昭和24)年国民公園として一般開放された明治を代表する近代西洋庭園。

園内には、フランス式整形庭園、イギリス風景式庭園、日本庭園がデザインされて池や広い芝生広場があり、広い芝生に、上・中・下の池や多 DSC02016.JPGくの樹木や花壇、そして何といっても、紅葉が見事で、多くの観光客やカメラを持った人たちがカエデハナノキ、メタセコイアなど観賞

 

 

小生も絶好のアングルと光を求めて、上級者の後ろからパチリ。その代表的作品は次のとおり。

DSC01998.JPG DSC02000.JPG DSC02018.JPG 

名残り惜しい気持ちでしたが、 DSC02019.JPG新宿門まで紅葉を楽しみながら、満足して御苑をあとにしました。

 

新宿高校横を通って、国道20号線甲州街道に出て、「ルミネ2」が見えるJR新宿駅の東南口でゴール(12:45)。晩秋の都内(飯田橋~新宿)約11kmの紅葉スポットめぐりを終えました。

 

本日は、欲張って山手線外回りで駒込駅へと向かい、元大名庭園の特別名勝「六義園」へと足を延ばしました。 というのも、「都立庭園スタンプラリー」の5個目の押印で、来年のカレンダーをもらうためと、六義園が駅から一番近く紅葉スポットとして有名だったので。

DSC02028.JPG DSC02034.JPG DSC02030.JPG DSC02025.JPG

スタンプラリーの実施(10/26~12/8)をもう少し前に知っていれば、「旧岩崎邸庭園」駅ハイ(10/30)で一足早く完成できたのに...。

 

逆に、六義園〔柳沢吉保が下屋敷に設計し、明治期に三菱財閥の創業者、岩崎 弥太郎氏の所有となり、その後、東京市に寄付されて一般公開。回遊式築山泉水庭園、国の特別名勝〕を訪れること DSC02037.JPGに。

園内の大山水や手入れされた築山、東屋、茶屋などをめぐり、紅葉したもみじやナナカマド、寒咲きツツジなどを観賞することができて、「瓢箪から駒」。水鳥や鯉たちもいて、都会とは思えないほどのオアシスです。

 

今回は、そろそろ紅・黄葉が終わりに近づきつつある街並みを散策し、都内で有名な紅葉・黄葉スポットを十分に堪能できて、自己満足の写真が撮れたウォークとなりました。

 

―愛読者の方々には、毎回、ブログをお読みいただき、大変ありがとうございます。この場を借りて厚く御礼申し上げます

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愛読者の方々はご存知の通り、ハトちゃんのブログは、毎月15回、2日に1回のペースでブログ更新を目標に書き続けています。

現在、ヤフー「ハトちゃん」で検索すると、おかげさまで12月1日現在、トップページの上から3番目に位置しています。正式名称は 「ハトちゃんのぶら~りカレンダー」

 

内容が駅ハイの記事が多いので、ヤフーさんの検索上部に、駅からハイキングハトちゃんという項目も、ある時期から作っていただきました。

さらに、2週間前までは、ブログ名の後に総合トップという表記が付いて、意味はわかりませんが、悪い気はせずに自己満足をしていました。

 

風邪のため、3日間ネタも無いので、書かなかったところ、先ほど自宅へ帰って「ハトちゃん」で検索したところ、何と総合トップが消えて、前のU-boatに戻っているではありませんか?

 

なぜ総合トップという表記が付いたのか知る由もありませんが、光秀の三日天下ならず 約2週間で元の木阿弥に

 

間隔を置いたのが原因でしょうか?  地道に書いて行くしかありませんが、もっと多くの方々に読んでもらえるように、一つでも記憶に残る、もっと面白い文面や気に入る写真作りに心がけて行きたいと思います。

 

ウォーク以外の記事も掲載して行きますので、一読して面白そうでしたら、皆さんのまわりの方々にもお声をかけていただき、ぜひ写真だけ(クリックで画面全体に拡大)でもチラ見してくださいね!

 

 

 

12月3日(火)は、前週の入稿したゲラ刷りが上がってきて、校正と割付の修正。

午前10時に出勤といってもボランティアですが、千葉健生病院健康友の会事務所へ。

今回の責任者であるS会長が、既に校正に着手。ハトちゃんもゲラをいただき、早速、赤ペンを持って校正。少々、自慢になってしまうかも知れませんが、「校正」は、前の職場で新入職員で配置になった広報課で必須だったので、退勤後、自費で職場の近くにあった「日本エディタースクール」で校正を勉強して、資格を取得。それ以来、大好きになってしまいました。

その後、仕事以外でも随分と役に立って、進んで校正の仕事を引き受けました。文章の統一や、誤字、脱字、送りがな表記などを見つけるのも早くなり、10年も同じ仕事をしているうちに、雑誌や新聞でもオーバーな言い方をすれば、「目が自然と間違い箇所に向いている」という風になって行きました。いつしか、100点を取る目標に向かって...。

 

休憩を挟んで、3時間ほど集中して作業をしていたところ、なぜか小用をもよおし、トイレに行く回数が増え、顔も火照って来て熱が出て来ました。風邪が完全に治っていなかったようです。

事務所の温度計は、19℃を指し、暖房をかけているのに、足元が冷えていて、体調が悪くなり、能率も悪くなったので、会長に断って、自宅に持ち帰ってやることに。

 

自宅までは、チャリンコで帰宅。体温計で熱を測ってみると37.4℃。それでも、明日が印刷所への初校渡しなので、風邪薬を飲み、我慢してコタツで足を温めて、何とか作業を進めて2時間かけて仕上げました。

 

何とか、紙面もおさまって、上出来とはいかないものの、及第点段階まで持って行けたかなと。

 

依頼の段階では、明日までが約束の条件ですが、予想より赤字が多かったので、6日(金)の再校も行かなくてはならないかと、思案中です。

いよいよ今年も、残り1ヵ月。何かとあわただしい年の瀬 「師走」

ハトちゃんは、出だし風邪をひいてダウン。駅ハイも休んで、やっと2日(月)午後から回復。本日は、先週の入稿後の初校日。これから10時までに出勤です。

 

さて、今年の流行語年間大賞に、異例の4つも選ばれました。

 

東進ハイスクールのCMから「今でしょ」、NHK連続ドラマ「あまちゃん」から「じぇじぇじぇ」、TBSドラマ「半沢直樹」から「倍返し」、東京オリンピック招致スピーチから「お・も・て・な・し」が選ばれ、大方の「予想通り」という感じ。

政治を現わす候補名もありましたが、今年は、一般大衆的な言葉(やはり、TVドラマが多く視聴されていることから)が選定されて、ある意味、平和な世相を反映したのかと。

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政治面を見ると、特定秘密保護法案をめぐり、自民党安倍政権をはじめ、公明、みんな、維新と、あいまいな適用範囲や基準、権限、第三者委員会の位置づけなど問題が多い中で、数の力で悪法を通そうと懸命です。国民の過半数以上が慎重審議を求める中での会期内成立を目指し、万が一、成立すると、自公など、支持率はぐっと下がって墓穴を掘ることが全くわかっていません。野党の連携・協力でさらに与党などを追いつめてほしい。

公聴会や、審議時間も少なく、衆議院の強行採決など、なぜ性急に法を制定する必要があるのか。戦前の治安維持法の反省も無く、言論統制や検挙、ひいては日本国憲法改悪を狙っているものと言えます。数日前からの、自民党石破幹事長の 「反対するデモをテロリスト」とブログに書くなど、トップにあたる人物の本音・イライラが出て、この言葉は言語道断と強く言えます。

 

経済状況・政策でアベノミクスを、マスコミは評価して、円安、株価上昇、設備投資、失業率改善など、一定の効果はあったものの、来年4月以降の消費税アップで日本経済、生活はどうなるか、全く不安な材料ばかりです。

 

中国からは防空識別圏の設定など、不当な主張が出て来る背景を見ると、外交の多難さを痛感します。いつの間にか、他国の領土になってしまうのでは、と危惧します。不当な領土侵犯は、はっきりした外交での主張が必要。アメリカだけでなく、国際的に理解し、不当な相手国を周囲からも包囲して粘り強く年月をかけてでも説得すべきでしょう。そうはいってもアジアの隣国なので、協力できるところは協力していくべきだとは思いますが。

 

現代は、内政、外交をとっても難問ばかり。日本独自の力だけではどうにもならない国際社会になっています。坂本竜馬のように、時代を見据えて、日本の国益のために、尽力する人物はいないのでしょうか。果たして来年は、希望の持てる年になるのでしょうか?

来年ウマ年で、景気も跳ね上がって行きたいところですが、"淡い夢"に終わってしまうのか?

小生は、マイペースを崩さずに、目標を持って、一日一日を過ごしていこうと考えています。「時は金なり」というように、時間を大切に使わないと、あっという間に過ぎて、何も前に進まなくなってしまうことが多いので。

 

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