オジン隊 「JR ウォーク」で 信濃境へ(小生2回目)

| コメント(0) | トラックバック(0)

 

コースは;信濃境駅 スタート 藤内遺跡右唐渡宮遺跡右居平遺跡右井戸尻考古館・史跡公園右池生神社右信濃境駅 ゴール 

============================================

2ヵ月前の7月26日(木)、ハトちゃんは前日八王子の実家に泊まり「青春18きっぷ」で西八王子駅(8:00発)から普通電車乗換無しで2時間半かけて信濃境へ。途中、車窓から山並みが続き、勝沼ぶどう郷では、ブドウ畑の袋が見えました。甲府から日差しも出て来ましたが、小淵沢を過ぎると雲が多くなりました。最近は見られなくなった、車内でのきっぷの検札がまわって来たのも、沿線に無人駅が多いためでしょう。オジン隊の先輩たちは、もちろん特急を利用。信濃境駅で一緒になりました(10:35着)。鄙びた無人駅。

今回は「縄文の井戸尻遺跡めぐり(約7km)」。

 

駅で降りた乗客は、われわれの他に3人。改札口へ。信濃境駅構内160901 (1).JPGには、縄文時代の土器、土偶の一部と写真が飾られていました。駅員の姿は見えず、駅前の 180726 (1).JPG道を下って間もな 180726 (2).JPGくスタート受付の珈琲店夢屋」へ。

渡されたマップは手書きで文字と道が小さ過ぎて、見にくくわかりづらい。猛暑が続いた天候は、雲が多く気温も下がって、まずまずのウォーク日和。4人は元気にスタートしました。

 

話をしていると「本日が兼子隊長の誕生日」だとわかりました。オジン隊の駅ハイは、月末の木曜日が多いのですが、 4月26日、遠藤副長の誕生日に寒川駅ハイ、今回も隊長の誕生日に実施ということに。聞けば山根副長の誕生日が10月26日だと言うことで4人中3人が同じ26日というのは奇跡。そこで10月は26日に実施を決定。

 

最初のポイント藤内遺跡をめざします。マップを見ながら、駅前に戻って線路沿いの道を進みます。ついしゃべっていて最初の橋を右折。後ろから男性ウォーカーが付いて来 180726 (3).JPGて、途中で抜かれました。ゆるやかな上り坂をどんどん進みます。マップでは前方に高いスピ180726 (4).JPGーカー付き電信柱があるはずです。似たような火のみ矢倉があったので、近辺を探しまし たが、遺跡は見当たりません。

すると先に行ったウォーカーが迷って戻って来ました。一緒に探すことに。近くにいた地元の作業員に聞くと「ここは高森。1本手前の橋を来た」そうです。そういえば左側に高森観音堂がありました。全然違う場所に来ていました。ハトちゃんは、一昨年にも来ていましたが、あまり覚えていなくて「ごめんなさい」。

 

オジン隊も高森橋の先まで戻って、右折して歩行者用スロープをやっと見つけました。これを覚えて 180726 (16).JPGいたので、ホッと一息。県道に戻ってから資材置場の横を入って一人が通れるほどの線路際の道を進んで、 やっとコース上の橋を渡って上り道へ。

こんもりした森があって、あたりは別荘地。こんな場所に別荘があることに驚き。 180726 (13).JPG 180726 (15).JPG最近は空き別荘が多いことや、昔の職場の先輩の別荘が売れたかどうかの話題にも言及。別荘の横を抜けて行くと、目印の電信柱がありました。

180726 (11).JPG 180726 (12).JPG少し上った地点は畑が続くのみ。高原キャベツが見事。「重要文化財 藤内遺跡」は標柱のみ。このあたりで、縄文時代の土器や石器が200点余り出土されて、国の重要文化財に指定されたいるそうですが、保存されている建物はありません。

 

コースは次に唐渡宮遺跡からまわるようになっていましたが、マップがわかり 180726 (19).JPGにくく案内矢印も少ないので、今回の目玉である井戸尻考古館から先をまわろうと隊長から提案があり同意。

 

来た道を戻ると、右正面に甲斐駒ケ岳をはじめとする鳳凰三山などの山並みが観えました。

 

県道を進み、駅前まで行くと「井戸尻考古館」の案内矢印が出て来て、コース 160901 (12).JPGを歩いて行くと、ちょっぴり急な下り坂。今年の暑さは半端じゃないということで、「熱中症には塩飴を」から、隊長が、上杉謙信の「敵に塩をまく」という関連のうんちくを。

 

 

左に曲がって少し歩くと駐車場前に考古館の建 180726 (20).JPG 180726 (21).JPG 。館内には先ほど行った藤内遺跡や各種遺跡の土偶や土器、石器などが多数並んでいますが、今回は外観のみ。ハトちゃんは初回入館して、土器の中でも水鉢など複雑な文様などを付けた当時としては最高の作品などを見学しました。

 

隣接の歴史民俗資料館にも当地の民家の復 元、農具展示、また昭和時代の 180726 (22).JPG世相や風俗をあらわす生活用具の展示をあわせて観ることができます。受付に聞いて、近くにあったトイレを利用。

 

180726 (24).JPG 180726 (28).JPG 180726(38).jpgその後、道を下って、史跡公園にある縄文時代中期の復元された竪穴式住居内を見学。傍に水車小屋大賀ハススイレン池がありました。

 

 

芝生の中を近道して、住宅の間を抜けると、池生神社。山の手前に草原 180726 (31).JPG 180726 (30).JPGがあって、一の鳥居をくぐって、二の鳥居は工事中。右奥に神社の本殿が見えます。二の鳥居手前まで行ってあとは外観を眺めただけ。

その後、中央本線の線路際の田園風景が続く道を、駅まで約15分進んでゴール。沿道には夏の代名詞 ひまわりそば畑が...。信濃境駅前に「新駅記念碑」が建っているのは珍しい。

180726 (14).JPG 180726 (34).JPG

  180726 (35).JPG

本日は180726 (37).JPG5km程度をウォーク。食事処がほとんどないので、昼食はスタート受付の「夢屋」でランチ。店内は味わいある雰囲気。駅ハイ8月は中止。9月は数少ない中で、27日四谷で決定。1時間ほどいろいろな話に花が咲いた後、駅へ。12分遅れて14時8分発 小淵沢行きの普通電車に全員乗り込みました。小淵沢先輩たちは恒例の天然温泉へと。

 

この電車の遅れが響いて、ハトちゃんは小淵沢で接続が悪くなり中央線の高尾駅まで、特急4本に抜かれて、1時間近く遅れて、最寄り駅の幕張本郷駅は19時を過ぎました。結局、帰りは5時間かかり、腰や尻が痛くなり、本当に疲れました。

信濃境は、道に迷ったりで完歩できませんでしたが、都会の猛暑を逃れ、富士見高原の涼しさと縄文時代の遺跡にふれた遠出の駅ハイとなりました。

 

【追記】

メールのご紹介

兼子隊長より

「信濃境駅ハイも無事に終り、9時前には帰宅しました。歩き疲れたというよりも、電車疲れといった感じです。

猛暑、酷暑、炎暑、熱暑とはならず、風もあってよかったです。

お土産は道の駅で、生産者名のついた地元の野菜を沢山買い出ししました。温泉は道の駅の隣にあるスパテイオ小淵沢。タクシーで5分、バスで10分。今日は、16,500歩でした」

 

「遠藤さん、縄文時代の竪穴式住居、茅葺屋根の中で料理したんでしょうね。ともかく

早寝早起きは健康の元で、暗くなったら寝る生活。江戸時代も鶏の声で起床。


山根さん、無事帰宅しましたか。2万歩は越えましたでしょうか?」 180726 (27).JPG

 

「遠藤さん、この住居の形、UFOに似ていませんか。

縄文時代に飛来した宇宙人が、この形にして地球にメッセージを残したと考えると楽しいですね」

 

遠藤副長より

 

「天候に恵まれたせいでしょうか、体調を崩すこともなく、楽しく歩くことができました。
さて、写真にある古代の家ですが、明り取りもなく暗くて暮らすのは難儀だなあと思いました。炊事は、家の中で行ったのでしょうか、文明の世に生まれてよかったです」

 

「よく見ると茅葺農家の屋根のような形をしていますね。台風に耐えることができたのでしょうか。

 カプセルホテルに宿泊したことがありますが、快適でした。ありがたい世の中だと思います」

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://uboatdata.sakura.ne.jp/movable_type/mt-tb.cgi/2007

コメントする

このブログ記事について

このページは、hatochanが2018年9月12日 07:29に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「「JR ウォーク」で 大井町&上諏訪〔受付のみ〕」です。

次のブログ記事は「2年3ヵ月ぶりに病院と合同草取り」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ

月別 アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.25