2014年3月アーカイブ

3月27日(木)、駅ハイ 石戸蒲ザクラハイキング(15km)」に大学の先輩3人と参加。毎年3月下旬~4月上旬に開催されているコースは、案内標識がきちんとされています。

 

ハトちゃんは、当初、自宅の外装工事でキャンセルの予定でしたが、27日の一日だけ屋根洗浄後の乾燥日となり、急遽、参加することに。先輩たちも喜んでいました。

北本駅は、高崎線または湘南新宿ラインで、大宮の先。小生は、先輩たちより1本早い電車で駅へ到着。@品川の兼子局長@藤沢の山根副長@我 CIMG1406.JPG孫子の遠藤副長をお出迎え。天候は小雨。4人がそろって再会。全員が北本駅での下車は初。「今月も生きていた?」という冗談からスタート。

 

駅西口から直線400m(彫刻通り)先に、北本市観光協会。ここで、協会の駅ハイ担当のおじさんか DSC04516.JPGら、桜開花情報とマップ、チラシなど入った袋をいただきました。話では、『市役所で何かの手違えがあり、15kmコースと言っていますが、実際は9km』 という話。天候が悪いので、メンバーは『良かった』 と。それにしても、6kmの違いは、あまりにも差があり過ぎて、いい加減さに笑っちゃいました。

兼子局長を先頭に、間もなく北本中学校手前を横断して左折。面白談義に花を咲かせながら、マップに沿って歩いて行きます。

最初のポイント、真福寺(ご利益がありそうな名前)境内の山門にある仁王像と、本殿を参 DSC04521.JPG拝。大楠や大銀杏の木が聳え立っていました。

 

続いて、車の往来が激しい県道下石戸上・菖蒲線へ出て横断し、右折。 DSC04527.JPG間もなく、左手斜めに入る道に...。

校庭が広い石戸小学校の先に西部学習センターの建物が。 DSC04531.JPG畑の脇の道の角に阿観堂

 

 

北本自然公園内の道もありましたが、協会で勧められた舗装道に出てしまったの DSC04532.JPG DSC04533.JPGで、こちらの方が足元も歩きやすいので、舗装道を傘をさしながら、ゆっくり進みます。途中、梅は満開、桜も数本咲いていましたが、ちょっと北本(来た元? 来たのが)早かった感じ。また、自転車に乗って追い越したおじさんを見て、前回の大磯旧東海道で、わがもの顔の自転車のおじさん事件を思い出し一同爆笑。

 

四方山話に熱中しすぎて、チェックポイントの埼玉県自然学習DSC04537.JPGセンターに寄るとこ DSC04536.JPGろを、うっかり通り過ぎて、北里研究所メディカルセンター病院の先まで行って、気 がつきあわてて引き返すことに...。

 

この間、往復で1kmはロス。せっかく途中で抜いたご夫妻ウォーカーにも抜かれてしまうことに。

DSC04539.JPG DSC04542.JPG DSC04543.JPG自然学習センターでは、トイレ休憩と、館内の見学。女性学芸員から、世界的にも珍しいピンク色のヘビ(モモちゃん)を紹介・観賞。2匹のタヌキの剥製の話も聞きました。

 

 

その後、2回目となるエドヒガンザクラが咲き誇るメディカルセンター病院前の道を通って、石戸神社 DSC04547.JPG DSC04551.JPGの先を右折すると、石戸蒲ザクラの案内板が出て来ました。

東光寺の先、一段高くなったところに、樹齢800年といわれる石戸蒲ザクラ。国指定天然記念物で、1922(大正11)年、指定を受けた当時、日本五大桜の一つに数えられていました。

樹種は「カバザクラ」という世界でただ一つの品種で、源範頼にまつわる伝説が残されているそうです。現在では、1本の幹と、孫生えが残るだけで、残念ながら枝に数輪咲いていた程度。ベテランのよく会うウォーカーが、見頃は4月4日頃で、もし、満開のサクラの写真が必要ならば、駅構内のポスターがあると教えてくれました。バスで来た観光客も、花がほとんど咲いていなかったのでガッカリ。

4月駅ハイにも同コースがありますが、オジン隊は、次回来るだけの気力はありません。

 

しばらく北本自然公園内の湿地や雑木林、草原、その先は木道になっていて、足元のぬかるみに注 DSC04554.JPG DSC04555.JPG DSC04558.JPG意しながら散策道を歩いて行きます。自然が残っていて、野鳥の声も聞こえて来ます。途中、史跡一夜堤の掲示板がありました。

 

続いて、前方に城ヶ谷堤(荒川)の土手へと上がります。山根副長だけが、川に沿って歩いて河川敷の風景を。意 DSC04567.JPG DSC04561.JPG外と川幅が狭く、流れの激しDSC04574.JPGいところがありました。そのまま、のどかな一本道を直進。約1km先、右手前方にサクラが咲いている高尾さくら公園にさしかかります。

 

DSC04568.JPG DSC04571.JPG約30種類200本のサクラが...。オオカンザクラは満開。淡い ピンクの花が1本の枝にぶら下がるように咲いていて、カバザクラを補って余りあるほど見事。

サクラを眺めながら、小高くなった園内を進みます。『なぜ、高尾という名前かな?高尾は多いね』 という声もありました。

 

阿弥陀堂エドヒガンザクラは、墓地の中にあって、花も八分先。一般道に出ると、菜の花や DSC04580.JPGサクラの小枝が100円と書かれて、売人がいなくてお金を投函して買うところ―DSC04586.JPG DSC04587.JPG端や観賞用の枝を切ったみたいで何となく買いづらい―や、隣りにおもしろい人形のかかし?が数体置かれていたり...。サクラのトン DSC04590.JPGネルをくぐって感激。

 

 

道中、いろいろな種類のサクラこぶしの花を観賞。高尾宮岡ののどかな雰囲気を味わいながら、須賀神社と傍にあった高尾氷川神社を回りこむと、大きいツバキの木が。落花した花の大きいこと。 DSC04596.JPG DSC04597.JPG菜の花まつり」の黄色い幟が...。サクラの桃色と、一面の黄色い菜の花畑のコ DSC04600.JPGントラストがまぶしく、陽気 DSC04604.JPGにさせてくれます。これに、快晴で空の青さが入れば最高だったのですが、残念。

 

県道さいたま・鴻巣線を横切って、道標「石と舟の道」(近世、石戸河岸、高尾河岸の銘を刻む道標で、1727(享保12)年に鴻巣市馬室から北本市石戸宿に通 DSC04606.JPGじる「鎌倉街道」と伝えられる道沿いに建立された)を通ります。関東に「鎌倉街道」という道が多いという話題に...。

 

一路、ゴールの北本駅方面への桜並木道路へと。サクラは若 DSC04607.JPGい樹が並び、将来、立派な桜並木に生長するように植樹されています。

ここは最後の直線で、ゴールの観光協会まで1km強。結構、長く感じます。途中、最初に左折した北本中学校前を通過。あらためて見ると、広い校舎が目につきます。

スタートした観光協会ゴール。特産品のトマトをいただきましたが、スタート時の男性職員は昼休みでいませんでした。『9kmは少な過ぎで、万歩計は2万歩を超えて、歩行時間も小休止があったとはいえ、3時間半ぐらい。余分に歩いた1kmを除いても、12kmぐらいはありました。きっと雨でウォーカーがショートカットをせずに、最後まで完歩できるように、親切心から言ったのでは?』 と、4人は勝手に解釈しました。

 

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駅前のラーメン店「日高屋」で昼食&反省会。来月のスタート時の小金井駅を、大学のあった東小金井駅と間違えないようにとの注意。小生は、早めの電車(13:11発、湘南新宿ライン特別快速)に乗車。先輩たちは、駅から徒歩15分の天然温泉「湯花楽」でさらに乾杯し、ゆっくり湯に浸かってからの帰宅となりました。

ハトちゃんは、3月28・29の両日塗装屋さん(一人)による屋根断熱塗料(下地調整剤、主剤)塗装作業が行われ、速水もこみち似の好青年が 16ℓ一斗缶を片手に、足場を上って屋根を丁寧に塗ってくれました。小生も缶を持ってみましたが、かなりの重さで一つが精一杯。マッチョな青年は軽々と持ち上げます。

 

DSC04616.JPG塗料を塗ると、見る見るうちに、黒色のコロニアル(ただし、洗浄後で白茶けた感じ) DSC04642.JPG白~い屋根に。先月の積雪時の光景が懐かしい、白色にへんし~ん(変身)!

遠方から見ると、周囲が黒、こげ茶色の屋根の多い中、メッシュ(網)が無ければ、ひときわ目立ちます。この後、トップコートは白濁と茶色のかけ合わせの色で、来週以降塗ると、また雰囲気がぐっと変わるそうです。

DSC04624.JPG

 

29日(土)隣地では、上棟のため、7時半から重機や大工がたくさん入って、 かなりの騒音。

 

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職人さんが作業をしている間、小生は、6年間大学に通い、やっと卒業して薬剤師になる息子の大学時代のノート、国家試験合格のために集めた問題集や資料などの整理とゴミ出しの分類。

DSC04613.JPG息子の部屋は、6年間、足の踏み場もないほど、置きっぱなしで、その量は、45ℓのゴミ袋20個でもおさまらないほどありました。

結局、息子一人では大変なのと、職人さんの休憩時以外は、室内に待機している時間が使えたので、4月から社会人になるのに親バカと思うものの、手伝うことに...。

ヒモで縛った参考書や問題集だけでも15束。結構、くたびれました。

 

 

一方、山ガール?(おばさん)の妻は、健康増進ストレス発散で、早朝から西丹沢ハイキングへ。ふだん、仕事で帰りが遅く寝起きが悪い妻ですが、山に行く日は、なぜか元気に早起きです。

職人さんが入っている関係で、外出できないハトちゃんは、うらやましい限り。明日は日曜、職人さんが休みで、自由に使えるはずですが、あいにくの雨予報。 結局、家で、27日(木)おじん隊で歩いた駅ハイ(in 北本)のブログでも書きますか?

 

26日(水)は、塗装屋さんが来て、拙宅の屋根・外壁洗浄が行われました。また、営業担当者も2度来宅し作業の進行、確認。朝方には、左官屋さんも外壁の確認に...。

予報では、午後から雨予報。しかし、結果的に作業中は一雨も降らず、風も途中、少し吹きましたが、それ以上強くならずに、洗浄する日としては、最適な天候になりました。

先週、22日(土)に近隣の方々に、御挨拶と粗品を届けていただき、本日が洗浄日だとお知らせしていたのと、天気が悪いこともあり、洗濯物は外には出せないので、汚れ DSC04495.JPG水飛散の心配も少なくなりました。

そういった天候にも恵まれ、前日上げていたメッシュ(網)をかけてからのスタート。雨具レインコートに身を包み、高圧洗浄のホースを2階の大屋根まで引っ張って、機械で高圧の水を出して洗浄して行きます。

 

DSC04504.JPGDSC04513.JPG23年間、屋根塗装・清掃をやっていなかったので、真っ黒に汚れた水が、壊れ た雨樋下のたらいにいっぱい。メッシュにカバーされているものの、窓サッシにも汚れた飛散水滴が付きます。雨樋の中まで丁寧にやっていただき、大屋根だけで小1時間かかりました。

結局、面積が広い分、洗浄再塗装時の縁切り部材タスペーサー)の挿入、その後、周囲の清掃もあり、17時までかかりました。

 

無事、屋根・外壁まわりの洗浄を終えて一段落です。窓サッシもきれいになりました。

心配された外壁・屋根の雨漏りも今のところ無く、とりあえずホッとしました。

 
余談ですが、洗浄担当の職人さんに出身地を聞いたところ、週末、農作業で行っている妻の実家(香取市小見川町)の同郷ということがわかり、妻の旧姓名を聞いたことがあるとのこと。ハトちゃんも、相手もビックリ。


妻の帰宅後、この件について話すと、相手の方の姓が、村に多いとのことでした。偶然でしょうが、世間は意外なところで狭いものですね!

25日(火)、早朝から自宅の外装および修繕工事がスタート。本日は、足場組み。若い職人さんが二人で、8時半以降、見る見るうちに、家の周りに足場用のパイプを運び、組み立てていきます。2階部分は、一人が1階の屋根に上がって、下の職人さんがパイプを放り投げて組んでいく、流れ作業。

営業担当者も早朝から来て、職人さんに指示。部屋で、今後の日程・作業を確認。たまたま、妻が有休で家にいたため、一緒に対応。職人さんが作業をする間、家の中で、ご近所に配るための野菜の仕分けを一緒にやりました。

 

無事に足場も14時半に組み終わりました。高台に位置する拙宅は、風がDSC04494.JPG強いので、ネットは張らずに上げたままに。ただいま、3m前後の風が吹いて来たので、正解でした。


DSC04490.JPGハトちゃんは、屋根洗浄や、塗装に邪魔になる、まだ散り終えてない、しだれ梅の枝に残った花びらを、ハシゴから慎重に足場に上って落としました。

明日(26日)雨が降る予想ですが、風が強くなければ、予定では屋根と外壁洗浄の予定。去年、見積もり時にお会いした二枚目の職人さんに1年ぶりに会えるのも楽しみです。

23日の日曜は、16時過ぎに戻ると、留守電が一件。19日(水)に案内した幕張ウォーク千葉健生病院友の会「友の会だより」の原稿で、事務局長から。

電話して、原稿がオーバーしたことと、縦組みで見にくかったので、あらためてメールで原稿を送りました。今回は、編集部から400字以内という依頼でしたが、削りに削っても、約470字。おもしろいエピソードも無く、事務的な文章に。

2回前のハトちゃんのブログで、写真入りで詳しく紹介していますので、ご覧ください。

夕食を作る間、鋏で小さいほうれん草の悪い部分を取って、整理する作業。これが細かくて、大変。妻と二人で、12時過ぎまで。二人だったので、何とかダンボール2箱をやり終えました。

 

24日(月)、八王子の実家野菜を届けに行って、最寄りの幕張本郷駅からの帰り道。生協の毎週配達分の冷凍・冷蔵・常温品をチャリンコにいっぱい詰め込み、帰宅。

20時半過ぎに仕事を終えて帰って来た妻は、体調を崩して早めに就寝。小生のみ、残りのほうれん草の水洗いと、気分転換のクロスワードを解いて、またも12時過ぎになってしまいました。

 

25日(火)からは、家の点検から3ヵ月待った外装工事(3/25~4/12完了予定)がいよいよ始まります。職人さんに任せるわけですが、一応、自宅にいて待機しようと考えています。その間、駅ハイをはじめ、電車でのお出かけは、控えようと思います。

3週間近く、ほとんど自宅にいるのは、珍しいことです。ストレスにならないようにしなければ...

 

 

妻の実家(小見川)での畑仕事は、3ヵ月ぶり。今年初となってしまいました。

駅ハイや、体調の不調や自治会および隣地問題などで、なかなか行けなかったんですが、義兄から先週の日曜に、『じゃがいもを植えるので、手伝ってほしい』 という依頼があり、今回は万難を排して、手伝いに行くことに...。

3/22)土曜7時、自宅を義兄の運転で出発。1時間ほどで、実家へ到着。部屋の雨戸やサッシをあけた後、早速、畑で義兄が用意した、じゃがいもを等間隔で植えて行きました。昨日に続き、微風快晴。すぐに体が熱くなって、上着を脱ぎ捨てて黙々と作業。午前中は、比較的、楽な作業でしたが、午後になると、新たに借りた畑へ移動。

ここは一段高い丘上で、風も強い。約300坪の畑といっても、耕していなかったので、鍬や長い鎌で畝造りから...。

一畝(ひとうね)の距離が長いので、思っていた以上に結構、足腰に来ます。

4畝を耕して、義兄が後から、じゃがいもを置き、肥料の鶏糞を置くのはハトちゃん。義兄がその後を鎌で土をかけて行く分担作業。汗ビッショリで少し休みたいところは、行け行けどんどんタイプの義兄のペースに合わせるしかありません。

16時15分に作業は終わり、義兄は予定どおりで大満足。実家に戻ってからは、庭の雑草とり。陽が落ちて、少し肌寒くなって来たので、18時過ぎに終了。

夜、仕事帰りの妻も実家で合流。義兄の作った特製カレーに舌鼓を打ちました。

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翌日は、朝食後、お彼岸ということで、妻の父母義兄の妻、および先祖の墓参へ。

墓参後、3週間ぶりの野菜の収穫。この間、毎週来ていた義兄は、電車を利用。したがって、野菜も畑に放置したまま。妻と二人で収穫。

きれいに収穫した後の畑を、なぜか義兄は、ハトちゃんに耕うん機を任せることに。これまで1回しかやっていなかったので悪戦苦闘。途中に、畝の山や谷で動かなくなったり...。

足腰だけでなく、二の腕も痛くなってしまいました。

それでも帰りには、ダンボール箱をいっぱい野菜を車に詰め込んで帰宅。

帰ってからは、妻と二人で野菜ほうれん草小松菜大根春菊菜の花など)を洗って、食べられる部分の選別作業。毎回収穫した後が大変なんです。

結局、12時になってしまいました。早速、茹でられるものは茹でて置きました。

 

本日(24日)は往復4時間かけて、11㎏以上の野菜をリュックで担いで八王子の実家へ。新鮮な野菜を持って行くと、今年、90歳になるは大変喜んでいました。

3月19日(水)、ハトちゃん千葉健生病院健康友の会「さわやか健康ウォーク」の案内役で、健生病院駐車場に集まった11名プラス今村事務局長の計13名で、地元「幕張(約7km)」ウォークに出かけました。

昨日春一番が吹いて、風は少々冷たいが、晴れて陽気も暖かく春が近づきつつあることを実感。

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コースは

スタート: 健生病院→昆陽・秋葉神社→三代王神社→幕張PA(上り線)パサール〔休憩〕→跨線橋→宝幢寺→浅間大社→道祖神社→大須賀山→子守神社→ゴール: 健生病院 (約7km)

今回のコースモデルは、JR駅からマップ「幕張駅~幕張本郷駅の昔の農家の人々の暮らしに思いを馳せて」

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9時30分までに集合。ちょうど鈴木友の会会長が駆けつけ、挨拶。準備ストレッチとウォーク時の諸注意を確認して、ゆっくりとスタート(9:38)。

 

IMG_2185.jpg病院前から前健生クリニック前を通って、「京成幕張」駅まで徒歩15分。最初のポイント昆陽神社(線路側)―青木昆陽の甘藷(さつまいも)試作地によって、この地の他、大飢饉を救われたことを顕 彰することで建てられた。昆陽は、「芋神様」として今も土地の人々から尊敬を集めています。隣接する秋葉神社(鳥居に近い方)は、火防(ひよけ)・火伏せの神として秋葉大権現を起源とする。

 

DSC04248.JPGDSC04249.JPG以前の(通称;開かずの踏切)から、南北に通じるアンダーパスができる前は、小高い丘の上にあって、神社の風格があったが、現在の境内は、整備されて趣きが無くなってしまいました。それでも、境内からJRと京成線が走るのを眺められます。

 

 

京成幕張駅前から階段を下って、地下通路へ。南北を横断できるアンダーパス DSC04251.JPGの歩道を進みます。歩道横を車がスピードを上げて、走り去って行きます。 

暗い通路を抜けて直進すると、地上に出て明るくなります。幕張中のグラウンドでは、サッカーの練習中。真っ直ぐ進んで、武石町の交差点前で左側に横断。右手には、瑞穂の杜や花見川区役所、花見川などに通じる幅広い舗装道路が走っています。 

 

メンバーは、京葉道路の武石インター方向へと。右手に千葉西税務署の建物が見えます。なだらかな坂を上がってまわりこむと、幕張メッセの高層群まで見渡せます。新しい石の鳥居が正面に。

DSC04253.JPG IMG_5860.jpg三代王神社〔創建年代は不詳であるが、千葉氏の一族で現在の武石町周辺を治めた武石胤盛が帰依したといわれる〕境内へ。

うっそうとした木立の中に神社の社殿。周囲が大きな木で囲まれていて、あたりは薄暗い。境内はきれいですが、我々以外は見当たらず閑散としています。参拝後、急階段と先の舗装道路から階段を下りる2組に分かれて、幕張東小学校裏の道路へ。 

 

小生の子どもたちも通っていた、幕張東小学校グラウンドを左に見ながら、京葉道路PA方面へ。次の十字路右手高台に「幕張」の地名の由来にもあたる馬加(まくわり)氏の馬加城址。ただし、DSC04256.JPG現在はマンション幕張ハウス」が建っています。

その先をすぐ左折。道なりに進むと、住宅街の先に浜田川にぶつかります。途中、林田の表札で黒光りした大きな屋敷があり、初代幕張村の村長の家だとわかり、一同感心。川の先を右折してヘアピンカーブを進むと、幕張PA(上り線) の高速道路外の出入口。

 

IMG_7069.jpg中に入ると、飲食物の名店街があり、真ん中に太陽光を採り入れた食事や喫茶ができる丸くて広い休憩フロアが。トイレもPAなので、大きくてきれいで使いやすくなっています。

ここで15分休憩(10:40~55)。

 

その後、いったん一部分だけ黄色の菜の花が咲く公園前を右折。川 DSC04259.JPGに沿って、手前の緑地を直進。その先の上り坂を行くと、幕張本郷電車車庫横の道路へ。

 

 

跨線橋を渡って、 DSC04263.JPG DSC04262.JPG幕張本郷車庫を上から眺めます。いろいろな電車が止まっています。この橋は、あまり利用者が少なくて、参加者からは南北の景色が眺められる珍しいスポットという声も上がりました。

 

南側上から、宝幢寺〔ほうどうじ。真言宗豊山派。806(大同元)年に創建。近隣に末寺を擁する本寺格の寺院でした。明治5年馬加村内にあった末寺5ヶ寺を合併した寺院〕の広い境内と本殿、墓地が望めます。

 

DSC04267.JPG橋を渡って浜田川暗渠地に沿って直進し、大須賀山を目指します。左手の小高い丘へ。ここは大須賀山ではなく、小さな鳥居がある浅間大神。階段には、木々が落ちていて、歩きにくいので今回はパス。上ると、住宅街が眼下に広がります。

DSC04268.JPGすぐ左手から、右側に西の谷小学校(小学DSC04270.JPG校にしては、敷地が広く、終業式と思われる生徒たちの下校にぶつかる)が見える上り坂を。坂を上りきった所に雑木林。立ち寄って、中に入って見ると木の鳥居や石祠がありますが、寂れています。ここも大須賀山ではありません、道祖神社

 

 

住宅横の道を入って行くと、大須賀山(堂の山とも呼ばれている。丘の中腹に大日堂があったため)DSC04274.JPGDSC04281.JPGへ。ロープが張られて、大木の伐採中。枝を落としてから、工事の方が許可して、ロープを越えて山道へ。先の一段高い丘の上に首塚五輪塔がありました〔高さ3~4m、方形の大きな塚で、口伝によれば、馬加康胤(まくわりやすたね)の首塚で、1456( 享徳5/康正2)年11月、馬加康胤は攻撃されて(八幡合戦)、村田川のほとりの林の中で自刃した。享年59歳〕。階段には落葉がたまり、足元が滑りやすくなっていたので慎重に上り下り。
 

墓地を抜けて、県道57号線(旧千葉街道)の広い道路に出ます。出た所が、「幕張1丁目バス停。横に「大須賀山と文化財」という看板。読んでみると、意外と知られていない地名の由来がわかりました。

幕張町は、古くは千葉郡大須賀荘須賀原と呼ばれ、江戸時代は馬加(まくわり)村と呼ばれ、そこからまくはりの地DSC04276.JPG名になった〕

 

 

 

DSC04278.JPG続いて、バス通りを左折して、セブンイレブンを過ぎて、下八坂橋へ。T字路に大きく赤で子守神社の看板。その先は、道幅が狭くなりますが、直進すると子守神社〔正式には、こまもり神社。縮めてこもり神社と呼ぶことが多いが、間違い。1194年、大須賀胤信によって創建された。例大祭は9月15~17日で幕張担ぎは勇壮である〕へ。鳥居手前の家では、大量にハトを飼っていて、鳴き声が聞こえます。

 神社は正月3が日の参拝行列がうそのように、一人もいません。

 

神社に参拝後、左折してほぼ直進。途中、地元が長い、男性ウォーカーから、幕張3丁目公園〔江戸時代、大須賀氏の代官屋敷があった。当時の建物は昭和の時代まで保存されていたが、昭和43年に千葉市に寄贈され、現在は加曾利貝塚公園に「代官屋敷」として保存されている〕に石碑があることを聞き、立寄ることに。幕張には、大須賀中須賀小須賀の氏がいたことも教えていただきました。朝、通った前健生クリニック前を通過し、健生病院へはゆっくり歩いて20分ほど。

ゴールは、12時18分。少々アップダウンがあるコースで、歩行時間は2時間半、距離は約7kmでした。

 

ウォーク日和で、新旧の幕張町の歴史を知る、良い機会となりました。天候に恵まれ、ケガも無く無事に全員完歩できて、事務局長から「完歩証」の授与。次回のウォークでの再会を期して解散。

ハトちゃんは、今週も駅ハイをお休み。

17日(月)朝から、洗濯機を3回まわして干した後、丸3年放置していた、東日本大震災で落ちてしまったカーテンレールの修理。 DSC04478.JPGやっと修復できて、ホッとしました。

しかし、木製で輪状のカーテンランナーは、すでに二十数年前の代物で、前日、「ユザワヤ(津田沼店)」で聞くと、カタログにも無く、製造元もわからず、余分に補充できません。とリあえず、木が割れないことを祈るばかり。

 

その後、同じく地震の影響で、室内に二十数か所クロスが剥がれていたり、ヒビ割れの箇所を、 DSC04480.JPGホームセンターで買って来た、コーキングセットで修復。本来ならば、クロスの張替えですが、拙宅は50坪あるので、面積も値段もかなりかかります。

脚立に上って、丁寧に塗り込みました。少し、クロスの色より白くなりましたが、ヒビが見えなくなったので良しとしましょう。

 

その後、勤労会館で、ランニングマシーンを使って、30分のウォーキングトレーニングと、ストレッチ。気分がすっきりしました。

 

夜は、家族そろって久しぶりの外食。「かつ波奈(花見川店)」で、息子の薬剤師(国家試験合格)と、栄養士の娘の、市内小学校給食への転職祝い

320x320_rect_23699214[1].jpgとんかつを腹いっぱいに食べて、会話もはずんで、あっという間に、1時間半の楽しい時間は過ぎました。帰宅後、子どもたちは自分の部屋へ。小生は、連続韓国ドラマ瑠璃の仮面」を観賞。

明日も仕事の妻は、早く寝て、ハトちゃんだけ、3年ぶりの「パズル誌」を解いていたら、1時を過ぎてしまいました。

 

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18日(火)も、6時には起床。遅く寝ても、早く目が覚めるのは、年をとった証拠。

DSC04481.JPG朝食後、妻を送り出し、ハトちゃんクロスのヒビ補修の続き。

9時過ぎに、先週2日間手伝った、千葉健生病院の『友の会だより』 発送作業へ。13時半まで手伝って、帰りに明日の「健康ファミリーウォーク」案内役のため、自転車でコースの最終確認

春一番が吹いて、日中の最高気温は20℃を超える暖かさ。花粉が飛んでいて目がショボショボ。

前回の下見から約2週間が過ぎていたので、1ヵ所右折する場所を左折と思い込んでいたので、確認して良かったです。

前日に続いて、帰りに勤労会館筋トレ。常連さん二人に会って挨拶。暖かかったので、運動するとすぐに汗が噴き出して来ます。

夕食は、小学校の3学期終業式のため、仕事が休みだったが、残っていた野菜や肉を、レシピを見て作ってくれて、妻とは違った料理に舌鼓を打ちました。

このところ、陽気も暖かくなって来て、本来ならばハトちゃんは、ウォーキングに邁進しているはずですが、いろいろと家の修繕関係や隣地の新築工事の関係で、業者との話しあいなどで少々、くたびれモード。

来週こそはと思っていると、義兄から電話があり、連休にじゃがいもを植えるので、手伝ってほしいとの依頼。19日の水曜日に、千葉健生病院健康友の会の健康ウォーク案内があるくらい。

したがって、駅ハイも3月末までに、あと行っても3回ぐらい行ければというペース。今年度は、現在、162ポイント。Suica ポイントが無くなったとはいえ、昨年度の213ポイントには遠く及びません。

それでも、後半は常連の中川さん、中村さん、江田ご夫妻にもイベントコースでお会いして、一緒に楽しく歩いたことが、記憶に残っています。また、大学の先輩たちとの、毎月の期間設定コースで、各地を歩いて珍道中を続けられていることに感謝しています。

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前置きが長くなりましたが、病院友の会の毎月平和学習会が、3月14日(金)18時から友の会大会議室で行われ、メンバーでもある小生も参加。

前月の14日が大雪で中止になり、1月も都合で開催できなかったので、12月6日以来。

今回は、民医連医学生担当秋元 司さんのお話で、「千葉民医連被ばく対策委員会 福島被災地視察報告」で、1時間半を超える熱弁とディスカッション。

3年を迎えた3.11東日本大震災の報道の後だけに、特に内容の重要性を確認できました。

福島原発事故の半年後に行った現地入りは、避難後の現地の被ばく 1.pngの怖さもありながらの視察。地形概要の説明から始まり、放射線量の多少の差、3区域(帰還困難・居住制限・非難指示解除準備)の自治体の事情や、第一原発を中心の避難状況・指示の不徹底。

元の地域ではゴーストタウンと化し、荒れた土地や、泥棒の多発、除染ゴミのゴミ袋の放置、警察官や一部の許可者以外には出入りができないなど。

仮設住宅生活の苦しさ、先が見えなくて自殺をした人など、町・村民のいのちと健康・暮らしが厳しい状態にさらされている状況などが、パワーポイントを使って、写真入りで説明されました。

3年経っても、被災後のままという地域もあるそうです。

浪江町馬場町長の現状、町民の長期的健康管理(健康管理手帳を持つ)、避難区域見直し、復興ビジョンとまちづくり、コミュニティーづくりを通しての基本的人権を守る重要性を書いた資料も添付されました。

IMG_7924.jpg IMG_1267.jpg民医連の被ばく対策委員会の取り組みも、同じような考え方に立って、人権から見た福島の問題を捉えていました。

 

最近のエネルギー政策問題では、福島原発事故がいまだ見通しが混迷していて、終息していない段階で、政府自民党と原子力規制委員会の検討で、川内(せんだい)原発の再稼動有力の報道にあきれるばかりです。

除染ゴミの最終処理、核燃料の最終廃棄処理問題が解決していない中で、またも後の世代にツケをまわし、原発事故の反省と、原発の恐ろしさを実感した日本が、また世界の有識者から笑われるのを、今の専横政権は、わかっていません。

本日は、夜ということもあって、6名の参加者になってしまいましたが、今村事務局長も別の機会を設けて、講師にもう一度お願いすることになりました。

話を聞いて、学んだことを忘れないで、一人でも多くの人に伝えていくこと。よそのことだとは思わずに、自分たちが避難者だったかも知れないという気持ちになって、福島被災地の問題を考えていく必要があると思いました。

明日(3.11)で大震災から3年。昨日も被災地の現在の様子と、震災時の映像を見て、大津波で一瞬のうちに人も建物もその他 飲み込まれていって、本当に地獄絵のような状態になってしまいました。場所によっては火災が起こって、途方も無い瓦礫の山、山、山。

震災以降、現場では、復興のための環境整備が進められていますが、いまだに多くの場所で更地のまま状態。被災者で生き残った人たちは、逃げて助かるのに精一杯。家族を失い、生活がずたずたにされて、気持ちに整理をつけて、立ち上がり始めている頃といえます。

 

最近の安倍首相は、福島原発事故が収束していないにも関わらず、「安全」と認めた原発を再稼動させる、エネルギー案を提案しようと躍起です。日本の未来を考えているのでしょうか? 考えていません。

いまだに福島では、13万5千人の避難民がいて自分の住んでいた場所に戻ることもできず、また東京電力による賠償が遅れる中、被災者の気持ちがまったく解っていません。

使用済み核燃料の最終処分方法、場所が決まらないのに、また再稼動して事故が起きたら、自分の責任と言えるのでしょうか? まさに、政府といった一部の人間で決めるのではなく、国民投票で決めるべき事項と考えます。

 「安全神話」が崩壊した今、コスト面での議論は無意味で、もし事故が起きたら大変だ、事故をなくす方法に進むのが、3年前の大震災に対する反省です。「原発に頼らないエネルギー」にすべきです。諸外国から見て、「日本は何をやっているのだろう」 と、あきれられます。

また、被災3県に対して、巨大防潮堤を築く計画があります。

危険性を回避するという目的はわかりますが、今回規模の大津波が来る確率は極めて少ないと思うことと、海岸の美観や住民が合意できる高さでの合意が必要です。

それよりも、津波情報の正確性を追求し、避難体制をしっかり取ることが先決では。

逆に高い防潮堤に安心して、被災が起こる可能性も少なくありません。

 

実際に生活している人たちの意見が、最も尊重されるべきではないでしょうか?

 

3.11のテレビ、新聞報道で、大きな爪あとが残る中、被災者たちが復興のために一生懸命頑張っている姿を見て、自分は恵まれていることを実感し、自分なりにもっと頑張ろう  という気持ちになりました。

 

鋸南では、石橋山の戦いに敗れ逃れた源頼朝が、安房の竜島海岸に上陸し、再起を図ったという史実にちなみ、「河津桜」『頼朝桜』の愛称をつけ、日本一の桜の名所とすべく、植栽に取り組んでいます。町内各所に14,000本を植栽。その中で、保田川沿いに600本。「桜まつり」は本日まで。

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昨年2/24(日)に新規に実施された駅ハイ 鋸南・頼朝桜ハイキング(約7.8km)」は、桜(河津桜)がほとんど咲かなかったので、今年は約3週間遅らせて3/9(日)に実施されました。ハトちゃんは、千葉駅7時45分発館山行の内房線に乗り、今年も参加。所要時間は約1時間半。

 

「保田」駅には、今年「江月水仙ロード」に続き2回目。駅の傍にも車窓から満開の桜が見えて、今年 DSC04401.JPGは期待できそうです。

天気予報では晴れですが、朝方は少々曇っていて、房総にしては気温が低く感じます。それでも雨の心配が無くウォー ク日和。 今回は、保田川沿いの3.5kmに植えられた『頼朝桜』を観ながらのウォーク。

 

駅前受付で、いすみ市役所からJRに出向している川崎さんが笑顔で挨拶。この3月で、役所に戻るそうです。 『2年間、楽しい駅ハイを裏方から支えていただき、ありがとうございました』 。

まず、先月の水仙ロードで終点近くにあった、保田神社へ。境内が公園広場 DSC04377.JPG風で鳥居と本殿だけで、神社としての風格はありません。その先を右折し、保田川へと向かいます。

 

保田川にかかる権現橋を渡ります。川岸の両側に『頼朝桜まつり』の幟が立って DSC04382.JPG DSC04386.JPGいます。

川辺には、菜の花の黄色とピンクに彩られたDSC04389.JPG(河津桜)が空の青さとの見事なコントラストで観えて、春の息吹きに浸れます。途中に、駅のホームから見える、山の中腹に建っている「足立区自然の家」 がありました。

ハトちゃんは、立ち止まっては、写真を撮りながらのウォーク。  昨夜は、権現橋周辺で手作りの竹灯篭で桜を照らすイベントが行われて、竹や灯篭を片付けていました。 DSC04390.JPG DSC04392.JPGまた、竹細工で作った剣玉などを見せていただきました。

 

 

 

天王橋まで進んで、橋を渡って、鋸南町保健福祉センター前を右折し、田 DSC04397.JPG DSC04395.JPG園風景を見ながら、富津館山道路(高速道)の鋸南保田IC 手前を右折し 、高速道路に平行して歩き、いったん高架下をくぐります。

今度は、高速道路の手前を左に沿いながら進みます。

 

すると、右手眼下にビニールハウスが立ち並び、カーネーションを栽培しているカーネ ーション団地 DSC04408.JPG DSC04416.JPGを見ながら、長狭街道に出ます。右折して、団地の間を抜ける道を...。ビニールハウスは、くもっていて、中が見えづらいんですが、カーネーションでいっぱい。ハウスの手前に、菜の花が黄色い絨毯になっているところも...。

 

八幡橋手前の鶴ヶ浜八幡神社を過ぎて、再び保田川沿いの散策道を歩きます。このあたりの桜の DSC04410.JPG DSC04413.JPG DSC04414.JPG木は、まだ植えて間もないのか、高さが低く、小ぶりですがきれいに咲いています。木と木との間隔が少し開いていますが、2、30年後ぐらいには、立派な桜並木になり、花見の名所になるでしょう。

 

 

中橋を渡り、コースは先までありますが、同じような景色が続くの DSC04418.JPGで、ここで観桜コースを折り返すことに。だいぶ早いペース。というのも、11時33分発の千葉行にできれば乗りたいと思っていたので。

帰りは中橋付近で、長狭街道をひたすら直進。道路の反対側を折り返しに向かうウォーカーの姿をだいぶ見かけました。

DSC04421.JPGカーネーション団地付近で、往路と合流。後続のウォーカーから『早いですね』と声をかけられます。高速道を横切り、「旅の駅直売所 ファミリーファーム」店前に、観光客が並んでいたので、聞いてみると 「苺狩り」希望だそうです。

 

 

保田小学校横を右折し、狭い道を進むと 「チースの里(花摘み園)」前にも桜が咲いていました。 DSC04424.JPGウスを覗くと、金魚草やストックを栽培していて、今が最盛期。

ここで、ハプニング。突然、道路の前に、「ゆうほ21」ウォーキングサークルの中村さんと 遭遇。女性メンバー3人と車で急遽、駅ハイ DSC04429.JPG に参加したそうです。まったく来ることを聞いていなかったことと、むこうも小生が来ていることを知らせないのに遇うとは...。世間は狭いものです。

ということで、ここからは道中5人連れ。晴れて来て、少し暑くなって来ました。

のどかな丘陵地帯に桜や菜の花、水仙(終わりに近い)が咲く、元名花街道 DSC04430.JPG。小さな水車があります。いかにも温暖な南房総という感じ。

街道の看板を左折し、川に沿って歩き、土木遺産となっている 汐止橋〔近くを流れる「元名川」に架かる石積み 上路アーチ橋〕を見学。昨 DSC04438.JPG年は無かった橋手前は、階段や手すりを付けて、観賞できる場所を整備。

橋を観て、内房線の錆が目立つガード下をくぐります。

DSC04439.JPG

ガード手前の道は、前方に見える鋸山の登山道に通ずる道になっています。遠方、青い空にくっきりと、鋸山ロープウェーの山頂駅舎が観えます。

 

帰りの電車には、十分に間に合うタイムでゴール(11:00)。 

駅ハイ特典(ビオラ一鉢と、暖かい「かじめ汁(地元金谷の海でとれるねばりの強 DSC04441.JPGい海藻)を一杯ごちそうになり、地方ならではのサービス。地元千葉のウォークは、コレだからまた出かけてしまうんです。

 

中村さんの愛車が止めてある市民体育館まで歩いて、車に一緒に乗せて もらい、昼食は駅近くの磯料理「山田屋」へ。体育館前でカラフルな市の観光マイクロバDSC04442.JPGが停まっていました。

車で、一緒に帰ろうとも思いましたが、4人組はこの後、東京大観音などにも寄るということなので、夕食の準備がある小生は断念。

駅まで、中村さんが送ってくれました。12時29分発に5分前で間に合い、満腹だったことと電車の心地よい揺れで、乗車すると間もなく途中までぐっすり。14時半には自宅に到着。 

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   今年は、観桜ができて、またウォークの仲間とも途中で出会えて、楽しいウォークになり南房総の早い春の訪れを感じた一日でした。

 

3月8日(土)ハトちゃんは駅ハイで、山武 いちごの里(成東)約10km(昨年と同コース)を歩きました。

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千葉駅を7時35分発の外房線成東行き(大網回り)で8時22分着。PICT5061.JPG

30分からの受付でしたが、受付は始まっていました。天候は晴れ。 先週、お会いした 江田ご夫妻と四街道の中村さんと一緒の道中。まず、安井理民作の魁の碑前を通過。直進後、間もなく左折して、総武本線の成東踏切を渡ります。

国道126号線に沿った道を進んで、境川にかかる往環橋を渡って、旧街道をひたすら直進。ウォーカーは結構多くて縦一列に歩く光景...。前に付いて行きます。 

 

最初のポイント、光明寺〔徳川将軍家の菩提寺である上野寛永寺の DSC04291.JPG DSC04289.JPG隠居寺として、835(承和2)年建立、寿老人を祀る〕へ。昨年は、手前の山門が古刹と勘違いして境内に入りましたが今年は間違えません。境内に入ると本堂があり、菩薩像などが建っています。本堂前にマラソンの碑〔小出監督と高橋尚子選手の足型〕と説明文があります。

DSC04294.JPG次に、通り沿いにある大高醤油〔1804(文化元)年より、 醤油などの製造・販売〕 へ。本日は土曜で休業。外観と倉庫の内部を覗いただけ。

 

すぐ右折して、国道126号線沿いの通 DSC04300.JPG DSC04296.JPGストロベリーロードへと。「いちご園・いちご狩り」の幟や看板・店が続きます 。一坪ほどの販売所や、大きいビニールハウスがある苺園など。その数は、ざっと見ても、10軒を超えます。いちご狩り料金の割引マークの店も。ちょうど、中村さんと、近場・遠場でも良く見かける黒スパッツの男性ウォーカー(横浜市在住)の噂をしていると、道の反対側をスイスイと速いペースで本日も登場。

 

 

小手苺園駐車場を過ぎて、十字路手前の信号を道案内にしたがい右折。 間もなく、広口苺園直売 DSC04305.JPG DSC04303.JPG所前で観光協会の方々が準備してくれた「いわしの特製つみれ汁」のサービス。やはり、名物ウォーカーの姿は無く、いつもの健脚ぶりを発揮。こちらは列に並んで順番待ち。味もおいしくて、もう一杯おかわりしたいほど。身体が温まりました。

ご当地初参加の女性に、いちご狩りの割引店の店について聞かれ、教えてあげました。

 

右に曲がって、前方に総武本線の線路が見えて来ます。線路を越えてすぐ右折。

 

DSC04308.JPG線路に沿って、ひたすら長い直線道路を進みます。あたりは、遠くまで一望できて、のどかな田園風景が続きます。 PICT5015.JPG一度、横を電車が通り、感激。単線なので、1時間に1本しか走っていないのでラッキー。

しばらく歩いて、道なりに左手の方に進みます。右手は草っ原の道が線路づたいに延びています。

 

 

さらに、真っ直ぐ田園風景を歩いて行くと、やっと境川の耕基橋のたもとに出ました DSC04322.JPG DSC04320.JPG。橋を渡り、川沿いの道に黄色い菜の花がわずかに咲いています。もう少し秋に種でも蒔いて、整備すれば良いのにと思います。南流山の荒川土手沿いの黄色く埋まった菜の花を観ているので、何とも寂しい限り。

 

 

右折してマルキ苺園の角を右に曲がって、少し進むと、山武市歴史民俗資料 前に。係員の方々 DSC04325.JPG DSC04326.JPG DSC04330.JPGが歓迎してくれました。資料館に入館して見学。手前に、伊藤左千夫の歌碑と、来館記念『野菊の墓』の政夫と民子の顔はめ看板があります。左千夫記念館も兼ねていて、左千夫の遺品・書籍・文房具なども展示されています。DSC04331.JPG

裏庭に、座敷、奥ノ間、囲炉裏、土間などのある伊藤の生家茶室 真閣』を見学。

 

 

「頑張ってください」と言葉をかけられ、東金線の踏切を渡って行くと、白梅が満開の家も。伊藤左千夫記念公園を右手に見て、山武市役所前へ。

 

「いちごの里 さんむS1グランプリいちごスイーツ対決の会場へ。開会式は11時 で少し早すぎ DSC04339.JPG DSC04343.JPGた到着で係員が準備中。先着した中 DSC04348.JPG DSC04344.JPG村さんと小生は、後続の江田夫妻を待つこと20分。何でも、伊藤左千夫の資料館・生家でゆっくり見学していたそうです。広場の中央で、席を確保していましたが、北風が寒くて、11時販売開始の5分前でしたが、先を急ぎました。ぐるっと会場を見て回りました。ゆるキャラチーバくんSUNムシくんに出会えました。

 

山武市役所の裏手の川沿いの道を進むと、老人が転んで顔面を打って血を流していて、救急車を DSC04351.JPG呼んでいるところ。心配になり、『お大事に』 という言葉をかけて、コースに戻りました。

 

 

国道126号線を渡って、作田川の大橋を渡って右折すると、前方の石塚山中腹にそ びえ立つ浪切 DSC04352.JPG DSC04354.JPG DSC04358.JPG不動院長勝寺は、天平年間(729~749年)に行基が難破船の海難除けとして不動尊像を彫ったものを弘法大師が石塚山に移して開眼し、お堂を建立したのが始まりとされています。

 

朱塗りの本堂は、入母屋造りの瓦葺き、間口三間、奥行四間、欄干・回廊をめぐらした懸崖造りとなっています。創建年代は不明ですが、改修をした際に発見された棟札に1618(元和4)年と記されていたと伝わる。 新上総国三十三観音・第三十二番 DSC04361.JPG DSC04362.JPG札所〕へ(10:24)。右手に狭く囲まれた、四国八十八ヵ所巡りを順番PICT5070.JPGに小さな仏像と寺名が書かれた場所があって、中村さんと二人で回りました。

堂へ向かう途中の観音堂には、ぼけ封じ縁むすびの石があり、江田ご夫妻は、急階段を登り、朱塗りというよりはに近い本殿から、成東の町を一望できてバンザイ!

 

  DSC04364.JPG境内には、昔ここが海だったことを示す奇巌・怪石もあります。寺には、しだれ桃梅、白梅が咲いていました。

 

長勝寺の裏手の道を進むと、左手の小高い成東城跡公園(桜の名所)は、結構、広い。堀には水がわずか。右折して駅方面へ。城址公園大橋を渡って、JAの敷地内へ。

DSC04375.JPG熱い豚汁サービスお花プレゼント〔サンダーソニア〕。千葉の駅ハイサービスに感激。

 

最後に、成東駅前でゴール(11:55)。再会を約して、江田ご夫妻と別れて、中村さんと二人で千葉駅へと向かう総武本線(12時9分発)ボックスシートの車両に乗って四方山話に花が咲きました。

四街道駅で中村さんは下車。ハトちゃんは、千葉駅で中央・総武線に乗り換えて、最寄りの幕張本郷駅まで。

乗車時間は1時間余り。13時30分過ぎには自宅に戻れました。

 

 

3月5日(木)、前日の雨とは打って変わり、晴れているのに北風は強風。駅ハイ端末受付コース(in 大宮)は、残り6日となるのでビンゴスタンプラリーでになり、ビンゴの中央欄ということもあって、思い切って出かけました。総武・中央線 幕張本郷→西船橋 武蔵野線→南浦和 京浜東北線で大宮駅へ(約1時間半)。

 

大宮は、中山道の宿場町として発展し、駅周辺には明治の頃から車両工場が置かれて、「鉄道のまち」として知られています。また、東北新幹線の停車駅で、「鉄道博物館」があり、近隣には、大正時代より続く盆栽村もあり、埼玉県下有数の商業と文化の中心都市になっています。

 

大宮駅は、昨年の3月以来。ちょうど10時に大宮駅に降り立ったハトちゃん

 駅前のインフォメーションセンタースタート。今回は、昨年と同コース。駅東口から、大 PICT5310.JPGPICT5315.JPG中央通りを真っ直ぐ進みます。3つ目の信号右側に交番があり、左折し北進。氷川参道へ。氷川神社の参道が真ん中にあり、両側を舗装道路に挟まれてます。参道の幅は広く、大きな木々が聳えています。

 

 

 

一つ目の信号右手に、さいたま市立図書館が手前にあって、右手奥に博物館。博物館 PICT5319.JPGが無料だったので入館し、さいたま市に関する歴史・考古・民俗等の資料の収集・展示を見学。郷土学習や体験学習コーナーもありました。

 

PICT5321.JPG PICT5327.JPG PICT5330.JPG次に、参道に戻り直進すると、右手に氷川の社文化園の竹林、前方に立派な鳥居と社殿がある、武蔵一宮氷川神社〔二千年以上の歴史をもつといわれ、大いなる宮居として地名の由来にもなった日本でも指折りの古社。武蔵一宮として関東一円の信仰を集め、東京都・埼玉県近辺に約200社ある氷川神社の総本社で、他の氷川神社と区別する際は大宮氷川神社とも呼ばれる〕へ。手前に天津神社、宗像神社が位置しています。

参道の長さは中山道の「一の鳥居」から約2km、また県道2号ぞいの「二の鳥居」は高さ13mで、明治神宮より寄贈移築され、現存する木造の鳥居では関東で一番大きいと言われています。境内には楼門、本殿、神楽殿、舞殿、神橋、神池もあり、広い境内は約3万坪もあり、古杉や老松は悠久の歴史をしのばせます。

 

 

本殿の横から、境内を抜けて、大宮公園〔1885(明治18)年、駅開業と共に県初の県営公園として開園。自然豊 PICT5333.JPG PICT5335.JPG かな公園で、桜の名所でもある〕へ入園できます。

ジョギングのランナーが横を走り抜けて行き、日本庭園を過ぎて、公園手前のNACK5スタジアムは外観だけ。

園内には、野球場をはじめ、競輪場、体育館などの運動施設の他、ボ PICT5344.JPGート池や小動物園、それに広い芝生と、散歩やウォークには持って来いの憩いの場所。

 

 

園内の案内に沿って、「歴史と民俗の博物館」へ。正面は先でしたが、裏から PICT5346.JPG PICT5349.JPG入り、喫茶店内を抜けて、階下に入口があるという珍しい設計。駅ハイの割引料金で入館。入口で縄文時代と弥生時代の土器の違いを、手で触って体験、見学。

 

とくに印象深かったのは、地階の板碑(板石塔婆―鎌倉時代中期から戦国末期にかけて造立された供養塔婆で5mを超えるものがある)が、吹き抜けのフロアから堂々と立っていた光景に目を奪われました。

 

博物館を出て、右折。弓道場では、遠くの的が並んでいるのが見えます。国体 PICT5354.JPG記念会館前を通って、東武野田線「大宮公園」駅手前を左折し、踏切を渡って直進し、間もなく風情のある四季の道へ。

 

 

途中の「さいたま市立漫画会館(入館無料)」に入館。日本近代漫画の先駆者北沢楽PICT5360.JPG天住居跡に建設された PICT5357.JPG日本初の漫画美術館 で、当時の世相を風刺すPICT5365.JPGる姿勢や、独特の筆致による『時事漫画』の真髄に感じ入った次第です。

 

 

その後、盆栽村〔現在は5軒で、うち蔓清園〕を見学。また、 PICT5367.JPGくつろぎの場所として盆栽四季の家PICT5369.JPG(休憩室)は外観のみ。

 

 

 

四季の道を抜けて、やっと大宮市盆栽美術館http://www.bonsai-art-museum.jp/  に到着。本日は休館。

開館時の館 PICT5371.JPG内には、盆栽の作り方や手入れ方法なども紹介されていて、奥のフロアでは、「春の花もの盆栽展」などを開催中。盆栽の名品や盆器、水石、絵画資料などが展示されていて、盆栽の美しさが楽しめます。

屋外でも、鉢植えの古木の盆栽も40鉢程度展示さPICT5381.JPGれていて、いろいろな角度から眺められます。また、2階デッキから全体を一望できます。

 

PICT5384.JPGその後は、JR宇都宮線の土呂駅横の中島踏切を渡って、コースマップに沿って、ほぼ一直線で1.5kmほど、黙々と右側通行で進み、JRの高架下を左折して、高架に沿って直進。鉄道博物館の駐車場が続き、出入口ではガードマンが...。

 

 

ニューシャトルの「鉄道博物館(大成)」駅前に鉄道博物館 http://www.railway-museum.jp/top.html 〔JR東日本の創立20周年記念事業のメインプロジェクトとして2006年5月に閉館した交通博物館に替わる施設として、2007年10月14日の鉄PICT5387.JPG道の日に開館〕。 博物館前にも、車両や車輪があり、路面には時刻表が書かれています。1回目に、博物館内を十分に見学したのでパス。

 

 

鉄道博物館を出て、線路沿いを大宮駅に向かって真っ直ぐに30分ほど歩きます。博物館から少し歩 PICT5392.JPG PICT5397.JPGくと、車両の変遷パネル写真が通路の壁に飾られていて、歩きながら沿革を辿れます。覚えていたものもあり、懐かしい感じが...。車両センター付近に、蒸気機関車D51の先頭車両があり、車両センター付近までパネルが続きます。

最後は、左折して西口から東西横断道路で中央改札口のインフォメーションセンターでゴール

 

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帰宅後、今年初となる習志野市東部体育館に行って、筋トレ。最近、サボり気味で、血圧が高くなったり、喘息になったりと抵抗力が弱くなったので、思い切ってチャリンコを走らせて向かいました。途中、娘が働いている小学校の横を通ります。 DSC04285.JPG

1時間強の筋トレで、運動後の血圧は下がって正常に戻って、行った甲斐がありました。1階アリーナで、バウンドテニスの練習をしていた、ウォーキングサークルの中村さんに会って挨拶。

できる限り筋トレに行くことが健康のために必要ですネ!  「継続は力なり」

 

  

 

 

本日(3/5)は、一日中、雨が降り続く予報でしたが、11時頃からうっすらと明るくなりました。17日までの確定申告のため、雨が小雨になった合い間に、3km先の幕張メッセの会場まで、チャリンコで午後1時前に家をスタート

会場までのアクセスは、幕張本郷駅方面からは、車では簡単ですが、チャリンコで行く場合は、途中、歩道橋を3ヵ所越えなくてはならず、幕張駅方面から行った方が歩道橋も1ヵ所でわかりやすくなっています。今年は、幕張方面から向かいます。

ハトちゃんは、3年前の申告時、早起きして9時の開始時刻に行った際、朝は年配の方が早く来ていて、1時間以上立ったまま順番待ちした記憶があります。トイレに行きたくなっても我慢しました。半日ほどかかって、大変くたびれて2度と行くまいと思ったりして...。正直、今年も雨の日の午後を狙っていました。

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案の定、受付会場に着くと、列は並んでいても十人ほど。次に職員による書類・帳票の確認とチェック。今年、株式等の譲渡所得の繰越損失金額が無かったので、申告すべきかを聞きました。二人の職員に聞いて、答えは違っていましたが、選択なので、今年は申告しないことに。税法は難しくて、なぜ統一できないのかよくわかりません。これが良かったか悪かったかは、申告だけに深刻に悩みました。受付後の待合室は5番ごとに呼ばれて行きます。

20分ほどで呼ばれて、ノートパソコンで帳票の金額を見ながら入力。アルバイトの女性が優しく教えてくれました。キーボードの入力から苦労する人もいて、教えてくれる皆さんも仕事とはいえ、多人数を毎日、手助けするのは大変です。ちなみに、午前中に、混み具合を千葉西税務署に電話で聞いても連絡はつかず。もちろんメッセの会場には電話はありません。

小生の申告は、厚生老齢年金の他は、生命保険ぐらいしかなく複雑ではないので、入力作業も早く終わりました。パソコンで作成した書類を印刷・提出して、やっと終了。1時間ほどかかりました。

なお、提出時に、平成23年分から公的年金400万円以下で、一定の要件を満たしていると、事務の簡便化を図って、提出しなくても良くなったそうで、提出受付時に聞いて、来年は調べてから行くか行かないかを決めようと...。

年に一度の年中行事、確定申告になりました。帰りに年配の職員に聞けば『本日は、空いています。今年は、大雪の日も意外と混んでいて、来週はほとんど最後の週なので、例年、大混雑になる』 そうです。

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その後、帰り際に、久しぶりに千葉健生病院友の会事務局に寄って、今村事務局長にウォークの下見報告。また、友の会のボランティアの皆さんともお会いして、『久しぶりね』との話で、1時間ほど休憩。

小止みになってから、チャリンコで自宅に帰りました。

 

 

3月3日(月)、ハトちゃん千葉健生病院友の会「冬の健康ウォーク」の下見に。今回は「幕張(約7km)」を計画。

本番は19日(水)。病院前から「京成幕張」駅まで徒歩15分。駅前道路を隔てて、昆陽神社―甘藷試作 DSC04249.JPG DSC04248.JPG地。火の神の秋葉神社の地に隣接し、青木昆陽は、「芋神様」として今も土地の人々から尊敬を集めています。神社の先をJRが走っています。

コースのモデルは、JR駅からマップ「幕張駅~幕張本郷駅の昔の農家の人々の暮らしに思いを馳せて」

 

京成幕張駅前から階段を下って、地下通路へ。南北を横断できるアンダーパス DSC04251.JPGの歩道を進みます。ハトちゃんの家族が10年ほど住んでいた幕張では、この道路ができる前、「開かずの踏切」が有名で、時間帯によっては20分も待たされた記憶が甦ります。

 

暗い通路を抜けて直進すると、懐かしい幕張中のグラウンド。道が新しくなって、次のポイント真蔵院への道を探しましたが、よくわかりません。

 

仕方なく、三代王神社〔創建年代は不詳であるが、千葉氏の一族で現在の武石町周辺を治めた武 DSC04253.JPG石胤盛が帰依したといわれる〕へと向かいます。幕張東小学校裏の道路からの急階段を上るのは止めにして、武石インターに向かって、坂を上り、千葉西税務署手前を左折。うっそうとした木立の中に神社の社殿。周囲が大きな木で囲まれていて、あたりは薄暗い。

 

コースは急階段を下りるようになっていましたが、参加者の高年齢を考慮して、元に戻り、ゆるやかな坂を下って右折して階段下へ。

 

小生の子どもたちも通っていた、幕張東小学校グラウンドを左に見ながら、京葉道 DSC04256.JPG路PA方面へ。次の十字路右手に「幕張」の地名の由来にもあたる馬加氏の馬加城址。ただし、現在はマンション幕張ハウス」が建っています。

その先をすぐ左折。道なりに進むと、住宅街の先に浜田川にぶつかります。川 DSC04259.JPGに沿って、手前の緑地を直進。その先の上り坂を行くと、幕張本郷車庫横の道路へ。

 

小生が自宅から健生病院へ行く際に使う道に出ました。ちょっと意外な発見?

 

ふだんはその先の花立踏切を利用するのですが、本日は跨線橋を渡って、 DSC04263.JPG DSC04262.JPG幕張本郷車庫を上から眺めます。いろいろな電車が止まっています。

 

反対の南側上から、宝幢寺〔真言宗豊山派。806(大同元)年に創建。近隣に末寺を擁する本寺格の寺院でした。明治5年馬加村内にあった末寺5ヶ寺を合併した寺院〕の広い敷地と本殿が望めます。

 

DSC04267.JPG橋を渡って直進し、大須賀山を目指します。左手の小高い丘へ。ここは大須賀山ではなく、小さな鳥居がある浅間大神

DSC04268.JPGすぐ左手から、右側に西の谷小学校が見える上り坂を。坂を上りきった所に雑木林。中に入って見ると先日の大雪で折れた枝が散乱。木の鳥居や石祠がありますが、寂れています DSC04270.JPG。あとでわかりましたが、またも大須賀山ではありません、道祖神社

 

 

横の道に入って行くと、前から急いでいる女性が...。『大須賀山はここですか?』 と聞くと、『この先で DSC04274.JPGDSC04281.JPG道は無いんですが、前の山ですよ』 と。

意味がわからず、それでも山道(途中で大木が倒れていました)の先を行くと、山ふうの場所に墓地がありました。左手を見ると大日堂跡。つい最近までここに大日堂があったようです。

 

墓地を抜けて、県道57号線の広い道路に出 DSC04276.JPGます。出た所が、「幕張1丁目」のバス停で。横に「大須賀山と文化財」という看板。読んでみると、意外と知られていない地名の由来がわかりました。

歩いて来た途中、首塚の左折の表示が2ヵ所あったので、もう一度、大須賀山に戻り、階段と山道を上り確認。

〔高さ3~4m、方形の大きな塚である。口伝によれば、馬加康胤(まくわりやすたね)の首塚で、1456( 享徳5/康正2)年11月、馬加康胤は攻撃されて(八幡合戦)、村田川のほとりの林の中で自刃した。享年59歳〕

道がだいぶ悪いので、ウォークのポイントには向いていません。

 

DSC04278.JPG続いて、バス通りを左折して、セブンイレブンを過ぎて、下八坂橋へ。T字路に大きく子守神社の看板。その先は、道幅が狭くなりますが、直進すると子守神社へ。鳥居左横の家では、大量にハトを飼っていて、鳴き声が聞こえます。

 神社は正月3が日の参拝行列がうそのように、一人もいません。

 

神社に参拝後、左折してほぼ直進すると、健生病院へはゆっくり歩いて20分ほど。歩行距離は約6.5kmでした。

 

晴れていたのと、時間があったので急に思い立ち、コースの下見を一人で歩きましたが、トイレが少ないことと、コースの足元が非常に悪いので、前日、雨でも降ると厄介です。

スタート: 健生病院→京成幕張駅→昆陽・秋葉神社→三代王神社→幕張PA(上り線)パサール〔休憩〕→宝幢寺→子守神社→ゴール: 健生病院 (約6km)

というコースに変更した方が良さそうです。

 

 

今にも降り出しそうな天気で、昨日とは打って変わって寒い冬に逆戻り。3月朔日(土)、 一昨年の11月10日(土)と同コース。近場のJR 駅ハイ( in 都賀〔加曽利貝塚〕)に行って来ました。

JR総武本線「都賀」駅には、いつものようにスタートの9時前に着きました〔歩行距離約8km〕。長蛇の列に、江田夫妻中村さん、そして、並んでいると船橋の健脚ウォーカー中川さんともお会いしました。

江田夫妻や中村さんとは、今年初めて会いました。

本日は、一緒にゆっくりウォークすることに...。

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前方に千葉モノレールの高架線路が見えます。途中の交差点で、中川さんと挨拶。4人連れでペースがゆっくりなので、先に行ってもらうように話しました。モノレールに沿って「桜木」駅過ぎまで、前のウォーカーに付いて歩いて行きます。道は、中村さんと小生は知っていましたが、江田夫妻は初めて。久しぶりの再会に笑顔で雑談。

 

 

DSC04120.JPG途中、2回、モノレールを見たぐらいで、 高架レールが続く同じような風景で、左側に千葉市若葉区役所がありました。 DSC04126.JPG

途中の谷頭橋右手前の階段を降りると、全国的に少林寺拳法の強豪、桜林高校

 

 グラウンド横の坂月川沿いを歩いて行くと、案内ボランティア DSC04128.JPGが...。

 

まず、公園内を進むと、

右側の小高い丘の上の加曽利貝塚博物館へ。 DSC04138.JPG入口に、案内人が立っていて、貝塚公園内の地図と、博物館(駅ハイ参加者は当日無料)を教えてくれました。

江田夫妻が初めてということもあって、全員で入館。

 

加曽利貝塚は、敷地が約13万5千坪におよぶ広さで、国の史跡に指定されており、縄文時代(約3,500~4,500年前)の貝塚が二つ。公園内には、博物館、貝塚、縄文時代の住居や文化遺産の屋敷など〕

千葉県民として、日本最大級の縄文遺跡があることを、誇りに思います。DSC04130.JPG

 

博物館(展示室は1階)http://www.chiba-web.com/chibahaku/50/index.htmlで縄文時代の人々の生活や文化の様子。貝塚から発掘された土器、土偶、道具、当時の模型 などの展示物が多数見られ、当時の様子がうかがい知れます。

博物館の展示を江田夫妻がゆっくり観賞している間に、中村さんとハトちゃんは先へ...。

 

環状の北貝塚へ。その先に、貝層断面観覧施設に入ります。貝塚前面はガラス越しに見ることがで DSC04140.JPGて、ボランティアの男性が説明してくれました。貝層断面の様子が目の前に。前回は無かった観賞用ガラスが取り付けられていました。

 

次に貝塚公園正門前に...。ここで雨がポツポツと落DSC04149.JPGちて来ました。

縄文時代の植生を通って、南貝塚へ。馬蹄形をした南貝塚 貝層断面。こちらも全面ガラスに覆われています。貝が北に比べると大きいのと、 貝層が白くて厚く積み 重なっています。 

 

 

ジグザグ歩いて行くと、竪穴住居の復原集落に着きました。住居前で、観光ボ DSC04157.JPG DSC04162.JPG DSC04158.JPGランティアたちによる稲毛海岸で採った貝と木を使ったアクセサリーを作ったり、火起こしなどの体験、また住居の中を見学して、「縄文体験」。

 

 

その後、旧大須賀家住宅で、茹で栗と抽選があり、ハトちゃんは当たり。後に江田さんのご主人も当 DSC04164.JPG DSC04167.JPG DSC04170.JPGたって、食事券の割引券をいただきました。それ以外は、ビタミンドリンクの1本サービス。中村さんが2本もらったのでラッキーと言っていたら、後でハズレがもう1本サービスという配慮だったことを知り、みんなで大笑い。

 

栗も半分に切ってあり食べやすいように。甘い物は疲れがとれます。

 

家の中も 見学できて、カマドや庵もあり、往時の古い民家の内部を残しています。前回と変わったのは、屋根が藁葺きからトタン?の金属に変わっていました。仕方ないでしょうが、雰囲気が壊れました。奥では、焚き火をしている人から土器での茹で栗の甘さの説明などを聞きました。 

 

ひと通り見学して、坂月川沿いの坂月川フラワー散歩道を進むと、両脇は里山風DSC04174.JPG景でのどかな雰囲気。今回のテーマである菜の花は一つも咲いていなかったのは残念です。舗装されているものの、散歩道の両端も窪みが多くあり、注意して歩かないと、中高年のウォークでは転びそう。いくつかの橋を越えて、やっとちゃんとした舗装道路へ。

 

 

橋を渡って、間もなく、400年の歴史を持つ古刹、日蓮宗の真浄寺へ。 境内には苔が一年中生えて DSC04180.JPG DSC04181.JPG DSC04184.JPG いて、本殿に参拝。裏手に立派な墓前で説明を受けました。小雨もあがり、傘を差して乾かして、その後、傘を差さずに歩けました。

 

DSC04185.JPGその先には稲荷神社〔小倉郷の守護神として1659年 DSC04187.JPG江戸初期に創建〕(10:12)。急勾配の階段を登り、境内の林を抜けて社殿を参拝。ボランティアの青年と立ち話。 

 

竹林を過ぎて、畑の畦道を抜けると、千葉中央観光農園。葡萄棚の下 が休憩所になっていて、名物「いのはな団子」や「芋ようかん」などを販売。遅れている江田 DSC04191.JPG夫妻と落ち合う 「しょいかーご(千葉店)」は、客で落ち着かないので、二人はベンチで団子を食べながら、四方山話。ハトちゃんが、出入口を見ていたのですが、ついおしゃべりに夢中になってしまい...。

十分に休息できたので、先を急ぎました。『夫妻はまだ遅れているのかなぁー』 と。すぐに右折し畑の脇を抜けて大通りに。小倉いちょう大通りに出て、左折し、二つ目の信号を右折。

 

車が多く駐車している、 JA千葉みらいの農産物販売所 「しょいかーご(千葉店)」が見えて来ます。 DSC04194.JPG DSC04199.JPG「しょいかーご」といえば、ハトちゃんの地元、京葉道路武石インターチェンジそばにもあり、ときどき、買物に行くので、雰囲気を知っています。ちょうど、地元産の味噌を使った味噌汁の試飲。身体が冷えていたので、まさにグッドタイミング。

ここで、何と江田夫妻が先着していて、苦笑い。約束していたのに、とんだご愛嬌。4人でフーフー言いながら暖かい味噌汁に舌鼓を打ちました。

 

県内最大級ということで、売場面積も広く、地元の新鮮野菜や花、健康で安心な品を販売しています。店前の広い駐車場はいっぱい。多くの買物を詰め込む姿も。コースの最後のポイントで駅にも近いので、野菜や花などを買って、手にぶら下げて歩くウォーカーも...。ここで買い物をして、息子さんと待ち合わせの江田夫妻とお別れ。来週8日(土)成東駅ハイでの再会を約して...。

 

今回のコースポイントには、交通整理・観光ガイドボランティアさんが大勢いました。コースに沿って、矢印の表示もあり、迷う心配はありませんでした。

 

10分ほど駅へ向かって歩いて、ゴールの「千城台北」駅で「2014千葉 とっておきガイド」の入った DSC04207.JPGビニール袋と、千葉モノレールのウエットティッシュなどをもらいました(10:45)。一 DSC04208.JPG番は、4~6月の駅ハイパンフレットが入っていて、早速、中村さんと行く場所を点検。

千葉モノレールに一緒に乗って、「都賀」駅で下車。隣り駅の中村さんとは駅前で別れ、小生のみモノレールを待 DSC04212.JPGち、懸垂型モノレール新車両「アーバン・フライヤー」を狙って撮りました。 連写機能に慣れていなかったので、今年は失敗作に。

 

常連メンバーと会えて、一緒に歩けて、元気をもらったウォークとなりました。いつもより1時間遅いペースで終了。

 

最寄りの幕張本郷駅へ早く着いたので、近くの梅林に立ち寄り、紅・白・桃色の DSC04228.JPG満開に咲いた花を観 DSC04240.JPG DSC04237.JPG DSC04233.JPG賞。写真を撮る家族連れが...。一段高くなった場所からは、一面、色とりどりの梅林が見渡せました。

 

 

        また、拙宅のしだれ梅も満開。冷たい北風で、花びらがひらひらと舞い落ちていまし DSC04245.JPGた。

 

 

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