3月19日(水)、ハトちゃんは千葉健生病院健康友の会「さわやか健康ウォーク」の案内役で、健生病院駐車場に集まった11名プラス今村事務局長の計13名で、地元「幕張(約7km)」ウォークに出かけました。
昨日春一番が吹いて、風は少々冷たいが、晴れて陽気も暖かく春が近づきつつあることを実感。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
コースは
スタート: 健生病院→昆陽・秋葉神社→三代王神社→幕張PA(上り線)パサール〔休憩〕→跨線橋→宝幢寺→浅間大社→道祖神社→大須賀山→子守神社→ゴール: 健生病院 (約7km)
今回のコースモデルは、JR駅からマップ「幕張駅~幕張本郷駅の昔の農家の人々の暮らしに思いを馳せて」。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
9時30分までに集合。ちょうど鈴木友の会会長が駆けつけ、挨拶。準備ストレッチとウォーク時の諸注意を確認して、ゆっくりとスタート(9:38)。
病院前から前健生クリニック前を通って、「京成幕張」駅まで徒歩15分。最初のポイント昆陽神社(線路側)―青木昆陽の甘藷(さつまいも)試作地によって、この地の他、大飢饉を救われたことを顕 彰することで建てられた。昆陽は、「芋神様」として今も土地の人々から尊敬を集めています。隣接する秋葉神社(鳥居に近い方)は、火防(ひよけ)・火伏せの神として秋葉大権現を起源とする。
以前の(通称;開かずの踏切)から、南北に通じるアンダーパスができる前は、小高い丘の上にあって、神社の風格があったが、現在の境内は、整備されて趣きが無くなってしまいました。それでも、境内からJRと京成線が走るのを眺められます。
京成幕張駅前から階段を下って、地下通路へ。南北を横断できるアンダーパス の歩道を進みます。歩道横を車がスピードを上げて、走り去って行きます。
暗い通路を抜けて直進すると、地上に出て明るくなります。幕張中のグラウンドでは、サッカーの練習中。真っ直ぐ進んで、武石町の交差点前で左側に横断。右手には、瑞穂の杜や花見川区役所、花見川などに通じる幅広い舗装道路が走っています。
メンバーは、京葉道路の武石インター方向へと。右手に千葉西税務署の建物が見えます。なだらかな坂を上がってまわりこむと、幕張メッセの高層群まで見渡せます。新しい石の鳥居が正面に。
三代王神社〔創建年代は不詳であるが、千葉氏の一族で現在の武石町周辺を治めた武石胤盛が帰依したといわれる〕境内へ。
うっそうとした木立の中に神社の社殿。周囲が大きな木で囲まれていて、あたりは薄暗い。境内はきれいですが、我々以外は見当たらず閑散としています。参拝後、急階段と先の舗装道路から階段を下りる2組に分かれて、幕張東小学校裏の道路へ。
小生の子どもたちも通っていた、幕張東小学校グラウンドを左に見ながら、京葉道路PA方面へ。次の十字路右手高台に「幕張」の地名の由来にもあたる馬加(まくわり)氏の馬加城址。ただし、現在はマンション「幕張ハウス」が建っています。
その先をすぐ左折。道なりに進むと、住宅街の先に浜田川にぶつかります。途中、林田の表札で黒光りした大きな屋敷があり、初代幕張村の村長の家だとわかり、一同感心。川の先を右折してヘアピンカーブを進むと、幕張PA(上り線) の高速道路外の出入口。
中に入ると、飲食物の名店街があり、真ん中に太陽光を採り入れた食事や喫茶ができる丸くて広い休憩フロアが。トイレもPAなので、大きくてきれいで使いやすくなっています。
ここで15分休憩(10:40~55)。
その後、いったん一部分だけ黄色の菜の花が咲く公園前を右折。川 に沿って、手前の緑地を直進。その先の上り坂を行くと、幕張本郷電車車庫横の道路へ。
跨線橋を渡って、 幕張本郷車庫を上から眺めます。いろいろな電車が止まっています。この橋は、あまり利用者が少なくて、参加者からは南北の景色が眺められる珍しいスポットという声も上がりました。
南側上から、宝幢寺〔ほうどうじ。真言宗豊山派。806(大同元)年に創建。近隣に末寺を擁する本寺格の寺院でした。明治5年馬加村内にあった末寺5ヶ寺を合併した寺院〕の広い境内と本殿、墓地が望めます。
橋を渡って浜田川暗渠地に沿って直進し、大須賀山を目指します。左手の小高い丘へ。ここは大須賀山ではなく、小さな鳥居がある浅間大神。階段には、木々が落ちていて、歩きにくいので今回はパス。上ると、住宅街が眼下に広がります。
すぐ左手から、右側に西の谷小学校(小学校にしては、敷地が広く、終業式と思われる生徒たちの下校にぶつかる)が見える上り坂を。坂を上りきった所に雑木林。立ち寄って、中に入って見ると木の鳥居や石祠がありますが、寂れています。ここも大須賀山ではありません、道祖神社。
住宅横の道を入って行くと、大須賀山(堂の山とも呼ばれている。丘の中腹に大日堂があったため)へ。ロープが張られて、大木の伐採中。枝を落としてから、工事の方が許可して、ロープを越えて山道へ。先の一段高い丘の上に首塚と五輪塔がありました〔高さ3~4m、方形の大きな塚で、口伝によれば、馬加康胤(まくわりやすたね)の首塚で、1456( 享徳5/康正2)年11月、馬加康胤は攻撃されて(八幡合戦)、村田川のほとりの林の中で自刃した。享年59歳〕。階段には落葉がたまり、足元が滑りやすくなっていたので慎重に上り下り。
墓地を抜けて、県道57号線(旧千葉街道)の広い道路に出ます。出た所が、「幕張1丁目」バス停。横に「大須賀山と文化財」という看板。読んでみると、意外と知られていない地名の由来がわかりました。
〔幕張町は、古くは千葉郡大須賀荘須賀原と呼ばれ、江戸時代は馬加(まくわり)村と呼ばれ、そこからまくはりの地名になった〕
続いて、バス通りを左折して、セブンイレブンを過ぎて、下八坂橋へ。T字路に大きく赤で子守神社の看板。その先は、道幅が狭くなりますが、直進すると子守神社〔正式には、こまもり神社。縮めてこもり神社と呼ぶことが多いが、間違い。1194年、大須賀胤信によって創建された。例大祭は9月15~17日で幕張担ぎは勇壮である〕へ。鳥居手前の家では、大量にハトを飼っていて、鳴き声が聞こえます。
神社は正月3が日の参拝行列がうそのように、一人もいません。
神社に参拝後、左折してほぼ直進。途中、地元が長い、男性ウォーカーから、幕張3丁目公園〔江戸時代、大須賀氏の代官屋敷があった。当時の建物は昭和の時代まで保存されていたが、昭和43年に千葉市に寄贈され、現在は加曾利貝塚公園に「代官屋敷」として保存されている〕に石碑があることを聞き、立寄ることに。幕張には、大須賀、中須賀、小須賀の氏がいたことも教えていただきました。朝、通った前健生クリニック前を通過し、健生病院へはゆっくり歩いて20分ほど。
ゴールは、12時18分。少々アップダウンがあるコースで、歩行時間は2時間半、距離は約7kmでした。
ウォーク日和で、新旧の幕張町の歴史を知る、良い機会となりました。天候に恵まれ、ケガも無く無事に全員完歩できて、事務局長から「完歩証」の授与。次回のウォークでの再会を期して解散。
コメントする