3月3日(月)、ハトちゃんは千葉健生病院友の会「冬の健康ウォーク」の下見に。今回は「幕張(約7km)」を計画。
本番は19日(水)。病院前から「京成幕張」駅まで徒歩15分。駅前道路を隔てて、昆陽神社―甘藷試作 地。火の神の秋葉神社の地に隣接し、青木昆陽は、「芋神様」として今も土地の人々から尊敬を集めています。神社の先をJRが走っています。
コースのモデルは、JR駅からマップ「幕張駅~幕張本郷駅の昔の農家の人々の暮らしに思いを馳せて」。
京成幕張駅前から階段を下って、地下通路へ。南北を横断できるアンダーパス の歩道を進みます。ハトちゃんの家族が10年ほど住んでいた幕張では、この道路ができる前、「開かずの踏切」が有名で、時間帯によっては20分も待たされた記憶が甦ります。
暗い通路を抜けて直進すると、懐かしい幕張中のグラウンド。道が新しくなって、次のポイント真蔵院への道を探しましたが、よくわかりません。
仕方なく、三代王神社〔創建年代は不詳であるが、千葉氏の一族で現在の武石町周辺を治めた武 石胤盛が帰依したといわれる〕へと向かいます。幕張東小学校裏の道路からの急階段を上るのは止めにして、武石インターに向かって、坂を上り、千葉西税務署手前を左折。うっそうとした木立の中に神社の社殿。周囲が大きな木で囲まれていて、あたりは薄暗い。
コースは急階段を下りるようになっていましたが、参加者の高年齢を考慮して、元に戻り、ゆるやかな坂を下って右折して階段下へ。
小生の子どもたちも通っていた、幕張東小学校グラウンドを左に見ながら、京葉道 路PA方面へ。次の十字路右手に「幕張」の地名の由来にもあたる馬加氏の馬加城址。ただし、現在はマンション「幕張ハウス」が建っています。
その先をすぐ左折。道なりに進むと、住宅街の先に浜田川にぶつかります。川 に沿って、手前の緑地を直進。その先の上り坂を行くと、幕張本郷車庫横の道路へ。
小生が自宅から健生病院へ行く際に使う道に出ました。ちょっと意外な発見?
ふだんはその先の花立踏切を利用するのですが、本日は跨線橋を渡って、 幕張本郷車庫を上から眺めます。いろいろな電車が止まっています。
反対の南側上から、宝幢寺〔真言宗豊山派。806(大同元)年に創建。近隣に末寺を擁する本寺格の寺院でした。明治5年馬加村内にあった末寺5ヶ寺を合併した寺院〕の広い敷地と本殿が望めます。
橋を渡って直進し、大須賀山を目指します。左手の小高い丘へ。ここは大須賀山ではなく、小さな鳥居がある浅間大神。
すぐ左手から、右側に西の谷小学校が見える上り坂を。坂を上りきった所に雑木林。中に入って見ると先日の大雪で折れた枝が散乱。木の鳥居や石祠がありますが、寂れています 。あとでわかりましたが、またも大須賀山ではありません、道祖神社。
横の道に入って行くと、前から急いでいる女性が...。『大須賀山はここですか?』 と聞くと、『この先で 道は無いんですが、前の山ですよ』 と。
意味がわからず、それでも山道(途中で大木が倒れていました)の先を行くと、山ふうの場所に墓地がありました。左手を見ると大日堂跡。つい最近までここに大日堂があったようです。
墓地を抜けて、県道57号線の広い道路に出 ます。出た所が、「幕張1丁目」のバス停で。横に「大須賀山と文化財」という看板。読んでみると、意外と知られていない地名の由来がわかりました。
歩いて来た途中、首塚の左折の表示が2ヵ所あったので、もう一度、大須賀山に戻り、階段と山道を上り確認。
〔高さ3~4m、方形の大きな塚である。口伝によれば、馬加康胤(まくわりやすたね)の首塚で、1456( 享徳5/康正2)年11月、馬加康胤は攻撃されて(八幡合戦)、村田川のほとりの林の中で自刃した。享年59歳〕
道がだいぶ悪いので、ウォークのポイントには向いていません。
続いて、バス通りを左折して、セブンイレブンを過ぎて、下八坂橋へ。T字路に大きく子守神社の看板。その先は、道幅が狭くなりますが、直進すると子守神社へ。鳥居左横の家では、大量にハトを飼っていて、鳴き声が聞こえます。
神社は正月3が日の参拝行列がうそのように、一人もいません。
神社に参拝後、左折してほぼ直進すると、健生病院へはゆっくり歩いて20分ほど。歩行距離は約6.5kmでした。
晴れていたのと、時間があったので急に思い立ち、コースの下見を一人で歩きましたが、トイレが少ないことと、コースの足元が非常に悪いので、前日、雨でも降ると厄介です。
スタート: 健生病院→京成幕張駅→昆陽・秋葉神社→三代王神社→幕張PA(上り線)パサール〔休憩〕→宝幢寺→子守神社→ゴール: 健生病院 (約6km)
というコースに変更した方が良さそうです。
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